守谷八景(その1)
守谷市の沿革を見ると、昭和30年(1955年)に現在の区域が誕生しています。それ以前の旧守谷町には、町内の景勝地を指定した「守谷八景」があったそうです。中央図書館で調べてみたら、「守谷八景」という守谷町中央公民館名の冊子がありました。コピーを綴じた簡単なもので、日付が入っていませんが、場所の地図付きで、歩くには便利なものです。
また、平成19年2月に行われた守谷市教育委員会主催の「守谷八景めぐり」の資料もありました(参加すればよかった)。こちらには碑の写真が付いていますので、良い目印になろうかと思います。
それではまず、「守谷八景」の名称から。
① 長龍寺の晩鐘(本町地内)
② 守谷城城山台(しろやまだい)回顧(本町地内)
③ 守谷城大手門二本松(本町地内)
④ 守谷沼の朝霞(あさがすみ)(本町地内)
⑤ 河獺(かわうそ)弁天の夕照(本町地内)
⑥ 西林寺一茶の遺跡(本町地内)
⑦ 八坂神社の蝉時雨(本町地内)
⑧ 石神の松翠色(まつみどりいろ)(本町地内)
今まで知らずにこのシリーズで紹介した個所もありますが、改めて歩いて見ようと思います。(しかし、それだけでは面白くないので、途中で出会った風景も適宜紹介します。)
今回はその一回目です。なお、上の順序は無視しています。
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写真1 河獺弁天(1) |
写真1は、河獺弁天です(漢字では一字で「かわうそ」ですが、なぜかここではこのようになっています)。「守谷八景」では「河獺弁天の夕照」となっていますが、5月の陽の光まばゆい昼間に行ってみました。
ここは「守谷城址公園」として整備されている一角です。(案内図はこちら)西から見た風景です。
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写真2 河獺弁天(2) |
写真3 「守谷八景」河獺弁天の碑 |
守谷沼のほうからみると(東から見ると)、写真2のような具合で、この写真の左側下に写真3の碑があります。見過ごしてしまいそうです。(ちなみに、写真2の碑は「備田栄農」と彫られた元茨城県知事故竹内藤男氏の銘の入ったものです。このあたりの圃場整備の碑です。この人の銘の碑は、県下いたるところで見ることができます)
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写真4 「守谷八景」河獺弁天の碑アップ |
写真4は、碑のアップですが、材質が白いために、よく碑文が読めません。残念。
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写真5 河獺弁天(3) |
写真6 河獺弁天から守谷沼を望む |
写真5は、小高い処に上がって見たものです。ベンチが一つありましたが、そのほかには何もありません。写真6は、東の方を見たものです。「夕照」となっていますから、夕陽に照らされた守谷沼を見たものでしょうか。
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写真7 守谷沼 |
写真8 水神宮 |
さて、その守谷沼が写真7です。「守谷沼の朝霞」とはいきませんが、釣り人が何人もいました。先の資料には「守谷城を囲む大湖水、昔は漫々たる水がただよっていた。」とあります。明治14年の迅速図「茨城縣下總國北相馬郡守谷町及戸頭村近傍村落」を見ると、「古城沼」とあります。直径が長いところで2.0センチありますから二万分の一縮尺では何メートルになりますか?答えは5月24日「測量士・測量士補試験」の後で。
この沼の脇に「水神宮」があります(写真8)。
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写真9 守谷八景碑のアップ |
柵は少し壊れていますが、その中に写真9の碑があり、これが「守谷八景」守谷沼の碑です。
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| 写真10 水神宮(表) | 写真11 水神宮(裏) |
この碑はちょっと変わっていて、表側は写真10のように別になんでもないのですが、裏には写真11のように彫りこんであります。年号は読み取れなかったのでわかりません。しかし、まさか現代の行政がこれを建てるわけはないので、この「守谷町」は昔の呼び名でしょうか。守谷は江戸時代から「守谷町」でしたから。
というわけで、第一回は2か所でした。