皆さん、今日は、大事な礼拝の時間に、証をさせていただくこと心より感謝申し上げます。私は、皆様の前で「証」をすることは、自ら進んでする人間ではありませんがしかし今年の3月31日をもって38年勤めていた教職を定年退職いたしました。教会の皆様からそのことについて、暖かいねぎらいのお言葉を頂き、今日はそのことについての感謝のあいさつと証をさせていただきたいと思っています。38年間と言うと、モーゼの荒野の40年の長きに匹敵するほどの長い、長い年月でした。そして、それは40年前にこの教会に導かれ、力を受け、守られ、祈られて今日の感謝の日を迎えることができたことただただ感謝です。
4月5〜8日に韓国のソウルに、82才の母を連れて、兄夫婦、私たち夫婦の5人で旅行をしてきました。母は昔は京城と言われた今のソウルで生まれ、20代を過ごしました。丈夫だった母も、気はしっかりしていますが、今は足腰が弱り最後の思い出作りになるよう、娘時代に勤めていた三越百貨店(今も名前は新世界となっていますが建物はそのまま使われている)や朝鮮銀行、黄金町と呼ばれていた生まれ育った町を思い出深く見学し、記念写真を撮ってきました。
僕の生みの母は僕の3才の時病死し、今の母は5才の時、しかも終戦の一週間前に嫁いできてくれました。一週間後に終戦を迎え、軍人の父は捕虜としてシベリヤに引っ張られていき(私たちは北朝鮮の最も北の日窒の日本人町に住んでいて父はその町に憲兵隊の本部から派遣された分権隊長として勤務、終戦で事態は一変)母は兄と私を連れて、「流れる星は生きている」という本のようにあの引上げの死ぬほどの苦しみをへて内地に帰って来ました。その時の死ぬほどの苦しみ、歩いて歩いてきつくて、もう歩けないと座り込んでも、母に厳しく叱咤され泣きながらふらふらと歩き続けなければならなかったつらさを今でも夢にうなされています。
フロイトの言った心的外傷、小さい時の心の傷「トラウマ」は2つ・・・生みの母の胸にすがって甘えてわんわん泣いている自分と、今の母に手を引かれて歩くのが辛くてわんわん泣いている自分の姿を夢にみてうなされることがこの年になっても多々あります。外地はみんな標準語で話していましたから、内地に帰ってきても、阿蘇の田舎での方言の中でいじめを受けたり、田舎を脱出して熊本の高校に行こうと決心したのもそんなことが原因でした。住んでいた黒川温泉は中学は分校で生徒も少なく、複式学級で先生も3人で、勉強はあまりありませんでした。それで中学3年生の時、5q歩いて、町の小国中学(3年7クラス)に転校しそこで課外授業で3年間をまとめて勉強できたのでなんとか無事に済々黌に受かりました。僕のトラウマも自分に与えられた運命として前向きに受け止め、あの引上げの苦しさはいつも自分の励みとなりました。受験勉強の少々の苦しさも、あの引上げの苦しみよりも軽い、乗り切れると励まされ、乗り切ることができました。
しかし熊本の高校に行けば自分の未来や人生への不安を解消できると希望に燃えて熊本に出て来たのにその期待は見事に裏切られました。高校の受験勉強は「生きる意味」「生きる希望」を与えるはずもありません。勉強も興味無くなり生きる意味を、生きる価値を見出しえないニヒリズムに陥り、あまい長くは生きていないだろうと考えていました。大学の時、現在の福岡新生教会の牧師に出会いこの教会に導かれて今あること、主の哀れみ以外にありません。学校勤務も結構忙しかったりしてもいつも忙しそうにもせず、生徒の問題もあまり気にならずに処置できたこと、同僚はあなたは悩みはないのか、忙しくないのかと不思議がられましたが、それは全て聖書に記されている信仰による人間の生き方のようです。いつかまた聖書の人間の生き方など証できればと思います。
学校に勤めてすぐ月給二倍論という政策も出て、日本も物質的には豊かになりましたが、精神は二倍にならず、今、日本はどこに向かって進んでいくのか、その指針やそれに対する希望も見出せず、どんなに豊かに物はあり余るほど持ってもまだまだほしいと貧しさ感から逃れることはできず、分かち合う心の豊かさには至りません。21世紀は心の時代と言われている通り、それしか行き着く道はないようです。
38年間働いてきたので、家では少しはのんびりできると思っていましたが、現実はそんなに甘くはないようです。家内から掃除をしてください、洗濯物を干しておいてくださいと言われたりして不服そうな顔をしようものなら、ずっと暇でしょう、仕事がないでしょう。とすぐ言われます。ふうてんの寅さんが定職を持たずぶらぶらしていると、近所の子どものお母さんたちが子供たちに寅さんのようにはなりなさんなと言います。しかし聖書の考えはそうは言っていません。日本人はあいさつがわりに「おいそがしいですか」と尋ね、相手は「おかげさまで」とはだれ一人答えないそうです。「意に反して」とか「不幸にして」とか働くことをよいこととは思っていないそうです。それはアダムとイブが神の言いつけに背き、エデンの園を追放され、その罰として2つ、「女は産みの苦しみを得よ」「男は額に汗して働け」といわれたことによるのです。だから信仰的に自信をもって無職を堂々と生きていきたいと思っています。
そして聖書の目ざす人間像は「仕える人」です。古代ギリシャの目指す人間像は「英雄」です。日本では末は博士か大臣かと言うように、ギリシャ思想的です。仕えられる人を目ざしています。4月2日月曜日市の福祉協議会にボランティア登録に行ってきました。高齢化社会のボランティアを目ざし、仕える人をモットーに第二の人生を生きて行きたいと思います。
(これは2年前の証しですが、兄弟は現在もボランティアで生き生きと活躍されています。)