環境について
1960年代にDDTの毒性を警戒し「沈黙の春」を著したレイチェル・カーソン、そして今 ”環境ホルモン”で話題となっている「奪われし未来」を上梓したダイアン・ダマノスキの両氏に共通していることは ”女性”でした。おそらく ”母性”という本能性質がなし得たわざだったのでしょう。
 先日あるTVで、日高市の空気中のダイオキシン汚染濃度は県下4位であると報じておりました。早急の規制が必要です。まず、行政がやるべきことは規制ですが、我々市民がゴミを出し続ける以上単なる規制のみではなく、分別収集を目的とした優良産廃業者・リサイクル業者を後押しし徹底したリサイクルを推進すること、そしてリサイクル出来るゴミはチップにし活用させ、またそれの出来ないゴミは溶融炉を建設し溶かし新たに健在へと再生する方法に移行させ、ダイオキシン排出をゼロにすべきです。
 環境先進国ドイツより10年遅れてしまった日本で今生き続ける人々、次世代を生み出す女性に優しい環境を築き上げるのは急務です。



福祉について
今の日本の福祉制度は、個人の努力に任されているのが現状です。新しく2000年にスタートする介護保険では、指定された業者からの介護サービスを受けることは出来ますが、家庭内の介護には適用されません。北欧型の福祉制度のように税金・保険料を高額にするのを避けながら福祉を充実させるためには、家庭の努力をも加味した政策を取り入れる必要があります。家庭で介護する家族にもこの介護保険の運用を加え、家族とヘルパーの両面からの介護により、充実した福祉制度が運用されるように制度を組み立てることが必至です。
 また、両下肢傷害の父をもつ私は、常々身近に福祉というものを考えて参りました。例えば、下肢傷害をもって車に乗ると健常者と全く同じように移動することが出来ます。車を運転している限りは健常者と変わりがありません。今必要なのはこの様に車に相当する制度です。健常者と障害者の大きな差異は、自由に外出を出来るのか、出来ないのかにあります。そのためのボランティア制度を具体化する必要が急務です。
 歩道の段差をなくし、駅にエレベーターやエスカレーターを設置し、建築物の入り口には身障者用の駐車場を用意する、移動が身障者の手となり足となる制度が私の目標です。



教育について
今年に入って学校現場で起きた一連の事件は誠に痛ましいものでした。今児童・生徒はどうなってしまっているのでしょうか。生徒とは、家庭教育・学校教育・社会教育の三者のバランスが取れている時には、穏やかに教育が行われます。今は近所という社会から「街」に新たな遊び場が移行したことと、これら三者の教育の均衝を欠いたことにその一連の事件の原因があります。
 私は、喪失した社会という教育の場を復活させるべく、近所の人たちと児童への一声かけ運動を展開して参りました。欧米では ”子供は大人より劣るものだから、社会が育てなければいけない”という認識があります。今私は、子供たちの ”駆け込み寺構想”をもっております。通学・帰宅途上に近隣の了解を得たお宅に自由に出入りし大人たちと ”ふれ愛”をもって、子供たちの心の充足が出来るような場が必要とされているからです。
 また、学校の空教室を地域の開放し、老人会や女性のサークル活動の場とし、そこに子供たちが自由に出入り出来ることで、地域の人々との ”ふれ愛”をもてる場を用意することが、社会も教育に参加している意識を生み出させる機運になるはずです。







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