荷方の不定記 2003年の「不定記へ」 ホームへ
2004.12.20 実験終わる
実に久しぶりとなる実験が終わる。類推を使った問題解決の研究で、いつものやつである。
今回は、学習時に「下線」を引くことの効果について検討した。下線を引くことによって、文章の理解が進み、結果として問題解決が促進されるだけの知識の獲得が出来るか、というもの。
結果は 正解者(%)
統制群 約25%強
下線プロンプト群 約20%強
読解時下線群 約20%弱
読解後再構成群 約40%
どれもあまり変わらない、とおもいきや。χ2検定では有意傾向。再構成群のみがやや成績が高いらしい。差の出てほしい群は再構成群のみなので、もう少し被験者をとれば出るかもしれない。また、この実験はちょっと群間の被験者数に差がある(読解時下線群だけ他の群の1.5倍)、沢山とると少ない差でも有意になる見本のようである。本来はすべての群に偏りがない方が良いが、再構成群はそれにしてももう少しとった方が良いかも。まあ、どの群もある程度十分な数はあるし。
それでも分かったこと。下線は理解を助けるが、単に線が引いてあったり、引きながら読むだけでは知識の定着までは至らない。より知識の定着を促すためには、改めて下線部の知識をまとめたりといった「知識の再構成」ないしは深い認知処理が必要らしい。そこで、もう少し深い処理を下線と絡める第2実験を計画。被験者の都合もつきそうである。これで上手くいけば、万々歳だな。
結果的に実験1・2と2つの実験が増えた。実験2の結果によっては、○○科学くらいはいけるかもしれない。類推関係の研究はこれで11(調査2、実験9)。さて、この先どうなるか。
ペヤングが食べたい。以前に、確かそういう話をしていたんだっけねえ。どんなプレゼントよりもうれしかったです。ハイ。今度は何か送るね。あ、でもズワイガニはやめてね。とっても高いから。といっても彼は越後の出身。私よりもよく分かっているのか。
そういえば、彼は大学教員ながら、神職でもある(すまん、内輪バレするが...)。大学時代は、実家から持ってきた御神酒の日本酒を何本かいただいた。酔っぱらいのニカタに比べ、本人はやや下戸で、結果として家から持ってきた越乃寒梅や八海山を料理に使いかねない男である(いや、本当に使っていた)。なるほど、彼の心配りの細やかさは、昔からだったよな。
話は変わるが、福井に住んでいたことがあるという大学院の同期が、「さい川」なる菓子を土産に所望したこともあった。これも進物には人気が高いようである。そういう意味では、地方在住の友人とは、手頃な「お取り寄せ媒体」として機能するのかもしれない。
ブログにしようかなと思わないではないのだが、それなりの抵抗が無いわけでもない。それは「コメント」、つまり読み手からの反応である。私のページには「BBS」なるものがない。それは、教員ということもあって、やたらに悪口その他が書かれてもなあという気持ちもあってのことであった。メールは公開している、よほどのことがあればメールできるわけだし(実際来るし)、匿名性のやや高い方法はどうかと思うところが無いではない。あと、簡単にコメントが返せるのは、売り言葉に買い言葉のようなとっさの反応が返る心配もあるし(ちょっと前までは、『脊髄反射レス』と言ったりした)。そういう反応が多くもないのでは?と思わないでもないし。それなりに悩ましいところではある。
ただ、ブログが魅力的な感じが無いわけではない。テーマ別に記事をまとめなおせるのも魅力。例えば、「アルカホリック遭遇記」などはそのまま酒のジャンルで再構成できるし。さて、どうしたものでしょうね。
青山の鈴木先生のサイトで発見。教員採用試験の問題は、エビングハウスだのスピアマンだの60年代以前の項目ばかりだという指摘がされている。確かに、これが現在の「教育心理学」だと思ってくれては困る。学習指導も学校臨床も、少なくとももう少し発展している。
とはいえ、実際の試験でこういう新しい知見が出たらどうなるか。少なくとも日本の教職課程は今の3倍の授業が必要になりそうである。教育学部以外では到底追いつかない。いや、様々なバリエーションの単位を取らなければならない教育学部はもっと大変か。また、新しいところだけ教えるというのも無理な話である。基礎基本はやっぱりスキナーやピアジェ。
いよいよ、教職は専門職大学院化する時期が来ているかもしれない。大学まででそれぞれの専門性を身につけて、教員になりたい学生は3年程度の院に進む。学部では教育原理や教育心理などの最低限の知識だけで良い。その代わり院では様々な内容をみっちり教え、1年くらいは教育実習でインターンをする。そうすれば、非常勤講師のような「厳しい立場」の先生は減るだろうし。チームティーチングもスムーズに導入できるだろう。逆に言えば、チームティーチングはそういう若い先生と組むのが効果的。
免許の更新制なんかにするより、教員の資質向上としてはずっといい気がするのですが...ちなみに私は更新制には大反対。たとえば、教職とは全然違うお勤めをして、35歳くらいのある時、突如教育を志向するようになるような人がいたとする。でも元々の免許はすでに非更新なんてことになったら、最近の流れである「多様な人材の確保」なんて全く叶わなくならないのか?あ、でも専門職大学院で、そのとき免許を交付すればいいか。やっぱりこれだな、これ。
ただし、通常の大学では、きっと教職の専従教員は要らなくなる。現在の規程では、教職課程をもつ大学は最低2人以上の常勤教員が必要(大学の規模で2〜4名必要)だが、これで多くの教育学部と心理学科以外の教職課程では、こういう教員は要らなくなるかも。となるとニカタは間違いなくクビだな。そうなったら困るな!
・ここのところあちこちで教育相談の勉強をしたりした。相談者としては「専門性の低い」立場だからというわけではないが、様々なアプローチを囓る。その中で考えたこと。
クライアントが目の前にいて、どんなアプローチが良さそうかと考える時、そのクライアントの「精神的エネルギー」の強弱が結構材料になるのではないかと。11月に指摘したように、解決志向のようなアプローチは、「元気な」クライアントさんの方が良いように思われる。スクールカウンセラーの日常はこちらの事例が多いかもしれない。反対に、「静かな・控えめな」クライアントさんは、神田橋先生の「精神療法面接のコツ」にあるように、出来る限り「揺さぶりの少ない」アプローチが適しているようである。言い替えれば「変化の大きいパワフルなアプローチ」と「出来る限り変化の少ないアプローチ」の選択。当たり前っちゃそうだけど、かなり決定力があるように思われる。
そういえば、適正処遇交互作用なんて概念もあったな。人と向かい合う時は心したい。
さてさて、今からちょうど3年程前(2001.11.19)にしし座流星群が来たとき以来の流星群見物。
当時職にありつくことをひたすら祈った。これが功を奏したか、今の職に程なく就くことが決まった。今回も、一応別のお願いをしておいた。多分3回唱えられた...はず。
話は変わって、今朝は雨上がりの空。金沢は西に大きな半円の虹ができたちの。しかも外側には微かな二重の虹が。地上から登り、地上まで橋が渡る見事な虹を久しぶりに見た。携帯のデジカメにおさめようと思ったが、大きすぎて全くファインダーに入らず。今日は一日美しい自然と出会った日であった。
(金沢編)
・「お酒強いですね」と言われると、つい適量以上飲んでしまうとです。
・彫りも深かし、髭も濃いかけん、九州の典型的な顔と決め付けられるとです。
・おしゃべりなだけで、九州出身を疑われるとです。
・「方言で話して!」って頼まれたときのために、分かりやすか例ば準備しとります。
・「〜しとるとです」は、限りなく博多弁じゃなかとですか?
(研究編)
・「そこだけは出ないで」という条件間に、なぜか有意差が出るとです。
・一つの結論しか追ってないですから、考察の分量が薄くなってしまうとです。
・実験条件ば、授業のクラスごとに割りあてるけん、各群の被験者数が揃ったことの無かとです。
・いまだに、χ2検定をしたときに、ライアン法で比較する方法ば知りまっせん。
・実は対数線形モデルも、今ひとつ分かっとらんとです。
・今でも研究者に向いとらんとじゃ無かかと、密かに思っとります。
でも書いてみたら、思ったほど面白くありませんでしたから...残念!
「企画倒れだ、間違いない!」斬り!
卓上型は結構いただける。毎年くれる生命保険のジブラルタも使える。去年好きだったのは、SPSS社のくれたカレンダー。とっても良かったけど、何も買わなかった今年はくれないのかな?AMOSでも買うか?
じゃあ減らせば?と来るところだが、案外葛藤は多いもの。
・自分で作ると、多くなる。スーパーで売ってある大抵の食べ物は2人家族以上を想定して包装されている。一人分だけを美味しく作るのも技術的には簡単ではない。何と言っても、同じものが繰り返されると飽きる。
・外で食べても、多くなる。そもそも量は結構多い。学食では、「野菜とらなきゃ」という強迫感から、つい小鉢を一品増やす。若い人向きなので、脂っこい。
なるほど、問題を追っても追っても、解決はしない。解決法が分かっていても、他の認知的制約に邪魔されている。じゃあ、今より「ほんのちょっと」事態が改善する方法は?
これもあまり見つからない。じゃあ、今日に限って言えば?それはアリで、大きなおかずを学食でとらないこと、今日に限っては夕食も未定なので、軽いものにするか、さもなくば、いっそうどん屋などの軽いところに行くか。目の前の解決だけを探せば、何とかなる。
何せ朝の7時前後に降り立ったため、眺めるところも兼六園以外になく、まだ寒く曇天の兼六園を見た覚えがある。当時はどこをどう歩いたのかも分からなかったが、ともかくタクシーで駅から兼六園に行き(考えてみればずいぶん近い。きっと初乗りで着いたのだろう)。そのあと、妙に薄暗い博物館に入って眺めたことを何となく記憶している。
最近になって、あの博物館とはどこだろうと調べてみたら、当時空いていたのは「伝統産業工芸館」だったことが分かる。ちなみに、近くのレンガ造りの建物も何となく覚えている。これは現在の歴史博物館。何のことはない、現在働いている美大の旧校舎。へえ、美大に勤める一回りも前に、もう美大の断片と接していたんだね。
足早に駅にもどり、出来たばかり(だったはず)の金沢百番街で、村上の「わり氷」なる菓子を買い(小さい頃からの大好物)、あとは普通を乗り継いで大阪まで。多分に一瞬の話だったが、今こうしてそのときの所縁深いところにすんでいるかと思うと。縁というのもあるのかと思わずにいられない。
・今日(日曜)になって、金沢は大荒れである。風も強いし、ついに雷と雹が激しく降った。どうも金沢のことだけではなくて、東京も十分に大荒れだったらしい。冬だというのに、ちょっとだけ「熱帯」のような激しさを感じる。
・もうすぐ平成15年、大正時代なら今年で元号が変わり(ちょうど今ごろの季節に昭和になった)、次の元号に変わるくらいに時間がたった。昨晩のバーで、興に乗って「ハノイ=ロックスの曲で踊る、メロリンキュー山本太郎」の話をしていたら、25のバーテン氏にはもうあまりピンと来なかったらしい。そうか、そうなんだ。多分あれが平成2年ごろか。昭和はもっと前、おニャン子クラブや光ゲンジが最後の昭和。
「降る雹や、昭和は遠くなりにけり(中村草田男、ではなく、ニカタ腐った男)」
専任講師であるニカタの名刺は、裏に英語版も刷ってあって、そこには「Assistant Prof.」と書かれている。それこそ「助教授」なのであるが、実際の助教授は「Associate Prof.」と書くのが最近の主流で、これで大体問題ないようである。実際には、この呼称、かなり古くから使われている。自分が「荷方助教授」ではなく、そのうち「荷方准教授」になるのだとしたら、なんかアメリカの大学に転出したような気がして、ちょっとピンと来ない。
助教授が廃止になると、白い巨塔の「財前助教授」や動物のお医者さんの「高屋敷助教授」は、いずれ後世の人にはピンと来なくなるのだろうな。多分、それが一番大きな影響であると見た。うん。
昨日の授業で、学生に「今日は疲れているみたいですね」と指摘される。確かにそうかもね。でも気持ちのコンディションはとても良いんだよ。気遣いありがとう。
夜になると目が冴え、宵っ張りになるのだが、昨日は11時でうたた寝。結局8時間以上寝てしまう。まだまだ連続した時間眠ることはできないが、身体のリズムが違う気がする。同じ内容の思考が頭に再三現れるのもここ数日は少ない。出張中はともかく、日常に戻った現在もその傾向大。いいぞいいぞ。これなら6点のスケーリングは十分につけられる。
またまた覚えたての解決指向アプローチから、「悪くないな」と思うような出来事・状態を「例外」と呼ぶ。調子が悪い時は「例外」を探し、その例外がなぜ起こったのか、それは自分のどのような力によるのかを考える(例外の責任追及)。間違いなくこの例外、自分の気の持たせかた、誠実に解決指向の実行をする自分のなせる技〜♪。ということにする。
今日は会議が多いので、細切れの時間が多くて「忙中閑有り」。せっかくだから、以前に買ったものの挫折した「ブリーフセラピー入門」を読むことにする。きっと実践の後だから、読み進めるはず。分かるはず。
灯油が高い。去年まで20Lで800円強だったのが、今年は悠に1000円を超えている。頼むよブッシュ...。野菜の高騰は随分抑えられているようである。ちなみにうちの近くのAコープは近隣の農家から自主流通の野菜がいくらか入ってきて、白菜は一つ200円の低価格の時があったりする。近所にお住まいの方は検討の余地有りです。しかし、今度は卵が値上がり中とか。世知辛いもんだ。
実は、定収入有りの独身貴族にとって、この消費者物価、あまり打撃にならないのも事実。1500円思いっきり野菜の大人買い(キャベツと小松菜とセロリを一気に買うなど)をしても、バーの一晩分にもならない。どちらかというと、最近飲み代が少々増加中の事態の方がシビアである。
大人買いの結果、野菜料理が続く。身体には良いのだろう。っていうか保たないし、青物。
先週の論文再提出からブリーフセラピーの研修を経て、ニカタは割と調子が良い。どうも疲れているようだが、それも何とも思わないほど。である。1年続いた喉のつかえも胃の痛みも、ここのところでは一番マイルドである。これはきっと回復の兆しでもある。そこで、そろそろ本来の自分を取り戻すためにも、自助努力による心理面への治療的働きかけをいくらかしようかと思う。
今回は第1回目。「成功の原因帰属とスケーリング」
習ったばかりの「解決指向アプローチ」では、「何が心理的問題の原因か」という問題指向ではなく「うまくいっているのはなぜか」に重点がおかれる。「うまくいっているなら、その方法を続けよ」の原則に従って、成功の理由をまずは考えてみよう。
・何と言っても「論文が進んでいる」ことは大きい、うん、偉いぞ、自分。
・仕事自体もわりかし順調。
・周りに人がいることが多くて、話すことも多い。そうじゃないことがストレスだから、これはうれしい。
・人に「頼りにされる、ほめられる」ことが最近何度かあった。やっぱりいいぞ、自分。
これが「いつも」のことなら問題はないが、これはちょっと良すぎる。実際にはこんな上手くいかなくても良いくらい。そこで、普段のノーマルな状態を5として、十段階で点数をつける(スケーリングというらしい。この手法も覚えたて)。できれば6点くらいになるには、今何ができる?
答え、「やりたい実験をする」これなら一応できそう。友人とあれこれ話しもしたし。うん、これでいこう。これで。解決指向アプローチでは、成功は自分の成果とする(例外の責任追及)。スケーリングを使いながら、スモールステップの解決像に焦点をあてることがいいらしい。なるほど、分かりやすい。
さて、ニカタの10点満点は、一体どんな状態か?それは、ナイショ。でもあります。理想の解決像。
・学生相談学会の研修その他で東京へ。秋の関東は明るく、紅葉が綺麗である。そして、今年は暖かい。
・とにかく人と食事する。つくばの「うなぎ村山」で美味の蒲焼を。「ベースメント」「EAU
DE VIE」では上質の酒を。西麻布の「ル・ブルギニヨン」では身分不相応といって差し支えないジビエを。西新宿でプルコギを。いやはや満足。
・今年の研修は、ブリーフセラピーを学ぶ。自分のようなタイプが相談を受けるときには、割と親和性の高い手法だなあと思って学ぶが、もう少しゆっくりした「聞き方」が好きだったりもする。
最近の心境としては、「相談を受ける際には、使えそうな資源と方法は節操なく使う」がいいなあと思う。言い換えると、自分なりの工夫をたくさんする、というか、無手勝流、というか。その意味でも、あちこちにいって、使えそうな「工夫」をたくさん仕入れてくるのは自分にあっているような気がする。もちろん、そもそも相談を受ける立場自体に不向き、ということは変わりない。
・研修で、「温厚な感じ・話しやすい」という評価を多くの受講者さんからいただく。有難うございます。とても嬉しいです。実は、癒されたのは、他でもない自分である。最近身辺が少しバタバタして、結果としては割と「うまく回りだした」気がしないでもない。
・東京は楽しい。年に3〜4回行けるなら、それは楽しかろう。と思う。ただし、そのための出費も実は半端ではない。もし東京の「大学の先生」になっていたら、きっと破産していたような気がする。金沢で先生になったのは、それはそれで絶妙な巡り合わせだったような気がしないではない。
・また更新が途絶えていました。大きな理由の一つ、○○心理学研究の修正稿はひとまず提出。次の結果は1月末だろう。落胆するような結果が来ないことだけを祈っています。
・生まれて初めて、受託研究なるものに手を染めることになる。企業さんから研究費をもらってやる研究のことですな。正確に言えば、自分で研究分担をする受託は初めて。院生として研究のバイトをしたことは何度もある。先輩たちがやっていた受託の話を盗み聞きしていたことが、初めて役に立っている。
・週末から今年もカウンセラーの研修のために東京へ。ちょっと寄り道して筑波で論文漁りもする。今回は飲みの予定は割と埋まり気味、土曜の夜だけはあいています。求む猛者!
・そんなこんなで、結構忙しい先生稼業。これから大変だなあと思っていたが、つらつら考えてみると、来年の科学研究費も申請したよなあ。まあ通る可能性が高いわけでもないし、大丈夫だろうけど。もし通ったら来年1年一体どうなるんだろう?
忙しくなったときのことは、全く考えていなかった。昔はどんなに忙しくても、飲みとデートの時間はいくらでも割けるほど若かったが、今同じように行くのだろうか?ま、割くっても飲みだけか...
・ある人から、「ニカタはモテたい一心で生きている」と指摘を受ける。そうなのですよ、その通りなのですよ。世界の全てが自分を振り向くような、そんな妄想を抱くタイプです。そのための努力も「そこそこ」怠りません。がんばってます。
個人的には、「結構見上げた根性」だと思うのですが。でも、それがマイナスの結果を生んでることは間違いない。そりゃそうだ。
「現場から求められる大学の心理学教育とは」が先日の北陸心理学会でのシンポジウム。その中で気になったのは、心理学を目指して大学に訪れる大学生、あるいは自己の問題を解決するために心理学の大学院を目指した社会人、そのほかかなりの人が、「現場で使える心理学を学びたい」と思い、反対に、アカデミックな心理学を見て落胆することが多いという事実。実はこの現象、既に使い古されているというか、今に始まった話ではない。にもかかわらずホットなトピックであるのは、そうした人が心理学にいつまでも押し寄せるということを意味している。
研究者によっては、アカデミックな心理学とポップな心理学を分けようといったり、基礎研究と実践研究をモード1・モード2と分けて考えようといった「モード論」を展開したり、それなりに答えを見つけようとしているが、何せそういう「難しいこと」を考えたくない「一般の心理学愛好家」も多いので、解決にはつながらない。
その中で、ある臨床家さんが「現場と大学で学んだ知識を『つなぐ』作業」の重要さを指摘していた。これが結構大事なことだと思うしかし、そう簡単な問題でもない。これは学生からの質問でも、企業人からの要望でも良くあるのだが、『この現象って心理学で説明できますか?」「これこれの現象を心理学で分析してください」というもの。不思議な現象や不可解な問題について、心理学なら応えてくれそう。というものである。ここに「つなぐ作業」があるのだが、その作業は難解を極める。
「心理学は『打ち出の小槌』ではない」というのがその時の私の主張。成立からまだ130年程しか経っていない学問ですから、そうそう何でも分かるというわけではない。手軽な「説明機械」として心理学に期待されるのは、やはり応えようがない。
とはいえ、事件や問題が起きると、結構イージーに「解説」をする心理学者も少なくないのが事実。あれはどこかで取り締まれないものか。あと、心理学者ではなく、「精神分析系の医師」が答えているのも困る。理論とデータによる確証の乏しい話を、さも真理のように話すのは、背信的であるとすら思う。反対に考えると、理論さえあれば現場は説明できるというナイーブな信念が強いということか。
ある先生いわく、「適切かつ十分な理論があり、それをよく表現するフィールドがある場合に限り、実践研究は実り多いものとなる」そのためには、やはり基礎研究による膨大な知見の蓄積が大切ということになる。これが結構曲者で、自分の領域だけをよく知っていて、ちょっと専門が違うとほとんど知識のない「心理学者」が多いこと。これでは、「つなぐ作業」もままならない。やはり幅広く勉強するという「これまでの心理学教育」はよりしっかり行うべきである。そしてイージーに「実践的に」見える勉強だけをしないこと。やはり心理学教育は、簡単に変わってはいけない。
・そんな掲示板もあったが、現在のところまさにそう。○○心理学研究の修正稿は、共同研究者とコツコツ直す。相手が百戦錬磨なだけ、「コツ」もいろいろ教わる。科研の書類も1週間で書かねばならぬ。去年の研究者さんをもう一度口説き落とし、プロポーザルを書き直し。そろそろ○○心理学フォーラムレポートの表紙もやってくる。自分で製本する150部の論文。結構大変そう。おまけに企業さんとの研究もやることになる。
非常勤先の卒論生の研究に付き合い。ローカル学会に出席し、次の実験の日程を何となく確定させ。来年予定する2つのシンポジウムの企画を練ったりする。昼休みの食事時に、もし博論が書ける様になったとした時の構成をたま−に考えたりする。そう考えると、結構やってんじゃん。研究。
・丸善の英語対訳ソフトを購入。七万円なり。学会のときにデモをやっていた。驚くほどの速さで、かつ決行「しっかりとした訳」をしていることに驚いて、つい研究費で買ってしまった。
これで英語の論文を書こうなどという卑しい考えではなく、論文を読んでいる際に、どうしても上手く訳せないときの参考にいいかなあと思ったのがメインの理由。あと、論文の英文アブストラクトを書いたとき、日本語に訳しなおしたとき、とんでもない訳になっていたら再考したりできるかなあというのも考えた。まあ、どのくらい使えるか。試していこうかとは思う。
・知り合いになった研究者さんからメール。シグネチャに大学(国立)の名前が入っているのは当たり前だが。
「おかげさまで統合1周年、感謝セール、やってません。○○大学○○学部」と書いてあった。ここまできちんとした「ネタ」のふってあるシグネは久しぶり。絶妙なセンスの先生と見た。久々に感心する。いや、年上の先生なので、感心させていただく。かな。
・あさってから学園祭。明日は準備休講。一週間ほど時間の余裕が空く。ここで、研究者の本領を発揮すべき時。ま、学園祭担当の委員でもあるし、毎日学校に行くし。大学院時代のように、ビールと焼きそばを買って、研究室でしこしこ仕事をするのも、悪くはないよなあ。
・今朝は急に寒くなる。昨日までが雨だったので、少し湿った冷気で、その分埃っぽくなくて清冽である。こういう日が年に2〜3日あって、これがあると「いよいよ冬だなあ」と感じるのだが、寒くもないので割と好きな状態である。これが3〜4月の頭頃にもう一度あったりする。こういうときは大概花見だったり、卒業式の朝だったりする。記憶と結びつきやすい環境でもあるらしい。
今朝、それが一体何度なのか、自動車に備え付けの外気温度計を見たら、9度。大学前の温度計は10度。初めて、自分の好きな「冷気」の温度が分かる。
・昨晩は、激しい胃痛で眠るのも困難であった。最近飲みすぎだったり食べ過ぎたりで(現にその日も食べ過ぎた)調子が悪いような気もしていたので、納得であるが。大変辛い。
ちなみに、胃が悪くなりだしたのは、ちょうど去年の今ごろ。もう一年も経つんだね。困ったもんだ。
・論文の修正稿を作っている。高々数行の文章を書くのに、あっち行ったりこっち行ったりして、うだうだと時間が過ぎる。一行書くのも苦心惨憺である。で、出来たものも気に入らなかったりして、また消して。さらにうだうだして、逃避でページの更新をしたりする。
・まだ台風が来るらしい。それも大きい。上陸の最遅記録なのではない?と疑いたくなるほど。この「割と市街の」家から4キロも歩けば熊と出会えるというのも、納得の行く話。これでは山は荒れていよう。熊はいささか迷惑だが、気の毒だとも思う。
今年はこういう「異常気象」のおかげで、松茸が豊作なのだそうだ。何がどこでどうなるか分からないというのはこのことを言う。
・大体において台風が来るという事態が飲み込めないほど、急に寒くなった。週末の最低気温は10度を割り込むようである。この気温と台風が土台合わない。今年はこちらもすっかり「ヘタレ」で、朝の洗顔に給湯器からお湯を使ったりしている。もはや使わない扇風機もそろそろ片付けて、暖房も考えねばならない。とはいえ、今年の灯油は恐ろしく高い。1リットルが50円というのは、去年の25%高ではないか!(実は外税が内税になったので、そうともいえないが)。
こういう時に、われわれ公務員の頼みの綱であった「寒冷地手当」が今年から廃止になる。お願いだから、せめて今年まで払って欲しいくらいである。今年は寒い。
・最近このページのアクセスカウンタが不調であった。多分筑波大学時代のカウンタを使っていたから、その辺のサーバの関係ではないかと思う。指摘を受けたので、早速ニフティのカウンタを利用。16000アクセスくらいだったと記憶するので、初期値を16000に設定。これで大体元通りではないかと思います。Kちゃん。
・怒涛の5日間のおかげで、今朝はよく眠る。起きた瞬間に「気持ちがいい」と感じる。
・部分日食がバッチリ見えた今日の金沢、突然強風が吹いたかと思ったら、急に雷雨となってぐんと気温が下がった。これが増えると、いよいよ北陸の冬も近いという感じ。それにしても、9月いっぱい暑かったというのに、ちょっと早すぎはしませんかね。
・先々週、歯が少し痛んだので、歯科医を予約。とうの昔に痛みは消失。歯科検診と歯石除去となった。多少歯周病のリスクはあるものの、虫歯その他はなし。ああ良かった。
・今度は名古屋に。教育実習の巡回指導。今回は比較的ゆったりとしたスケジュールになったため、それぞれの学生の授業をきちんと見て、きちんと事後指導までできた。全て地下鉄とバスがうまい事利用でき、タクシーを使わなかったというのもラッキー。
・名古屋の中学校は、給食ではなくお弁当中心。弁当のない生徒は、食券を買ってランチルームで食べるというシステムらしい。巡回指導3年目にして初めて知った。それはそれで結構楽しそうだと思った。
・とある教員養成系大学の先生と会食、どこも大変らしい。でも、会食は楽しかった。ここ数日は同業と仲良くする機会が多かったので、気持ちはとてもラク。
・iアプリの「麻雀」をダウンロードして使っている。ちょっとした電車の待ち時間など、これがあるととても便利。ふと横を見ると、隣のビジネスマン風のおじさんもテトリスをやっていた。本当に普及しているんだなあと実感。ただし、携帯のバッテリーは驚くほどなくなる。例えば、ファミレスや喫茶店など、30分くらい時間を使う場所があったら、そこに10分20円くらいの「AC電源」を用意してはどうか?食事の間に、ちょっと携帯を充電とか。小銭ながら、結構使う人がいるのではないかと思った。
・北陸本線でのJRの特急は、車両の最前列にAC電源があって、パソコン仕事が出来たりする。新幹線でもたまに見たりする。いいなあと思うが、ネットで指定席を予約する場合、この席をターゲットに予約することが出来ない。ぜひとも席の指定が出来るようにして欲しい。例えば、100系の新幹線で、2階建て車両の1階部分に、わずかではあるがグリーンではない指定席がある。これが5列ではなく4列で、結構良かったりする。こういうのも是非指定したいものである。
・今年の教育心理学会は富山。地方開催になると途端に人が少なくなる。しかし、発表はそれほど少なくない。
・富山の町自体が小さいので、飲み会をすればかならずその辺で違う団体が飲んでいる。ちょっと微妙。
・最近小さな学会でしか発表していないので、こういうとき手ぶらで学会にいるのはちょっとバツが悪い。おまけに大学時代のゆかりある先生に、「マメに学会に来る位論文を書け!」と一喝される。いやはや。
・とはいえ、来年のシンポジウムの予定をビシッとキメてきたりと、何気に「仕事」をしてきたりしている。ちなみに来年は北海道の江別。高校以来の北海道行きとなる。
・何せ隣の県。台風で電車が止まることを危惧したこともあり、今回は自家用車で富山入り。結果としてみんなの「アッシー」となる。もちろんこちらもそれを喜んでいるわけで、利害は一致。おまけに富山の地理にも詳しくなり、一挙両得。
・そんなわけで、観光もかねて魚津まで足を伸ばす。水族館フリークの名にかけて、水族館と埋没林博物館を見る。北陸の水族館めぐりも着々と進んでいる。魚津水族館は、コンパクトながらまあまあの展示。やや展示計画に首をかしげるところもあるが(標記の魚が水槽にいなかったり、逆に標記にない魚がいたりする)、博物館とセットで1000円の入場料は、近年では良心的。
・家に帰り着くのもつかの間、明日からは名古屋に出張。早朝5時起きはさすがにハード。今週は教授会も重なる。秋の大きな「ヤマ」である。
・10月に入った途端に気温が下がる。今年は暑い夏だったが、冬の到来も早いのかもしれない。1人暮らしの侘び住まいが急に静かになったと思ったが、よく考えてみればそれは部屋の窓を閉めていることが増えたことに伴うものなのだろう。
・後期が始まり、授業のガイダンスが続く。説明はいいのだけど、それに気をとられ、来週が休講であることを伝え忘れる。美大の学生の皆さん、来週は休講です。
・某学会に投稿した論文の査読が返ってくる、何とかいけそうな感じ。ここは丁寧に修正を練ることとする。そうこう言っているうちに、同じ学会に出したテクニカルレポートの採択も決まる。こちらはごく簡単な査読のため、投稿から3週間で決まる。公刊されるのではなく、自分で印刷・製本し、希望に応じて配布する、一種の「インディーズ」。それでもあるとないとでは、あるほうがイイに決まっている。とりあえず「荷方ら(2004)」ということで、今年も業績ゼロは回避。良かった良かった。
どうしたことか、今年はNHKの全国放送で土浦の花火大会を中継しているではないか。正しくは「土浦全国花火競技大会」。日本有数の花火である。これで受賞するかで、来年の花火商戦がこれで変わるほどらしいから、それは力の入った大会である。
茨城に10年住んで、この花火を見に行ったのは2度、大学1年と2年のとき。とにかく混むので、車を近くにおいて2キロほど歩かなくてはならないのが大変である。花火帰りの渋滞は裕に2時間近く。それでもいい思い出。ちなみに白状すれば、2回とも彼女と行った(1年のときはまだ友人だった)。その後は塾の授業に邪魔されて、一度も行ったことがない。それでもある年、生徒に「5分だけ」と言って、教室の電気を全て消して遠くの花火を見た。これもいい思い出。その子たちももう高校3年生。
見ているうちに、もう一度しっかり見に行きたくなる。来年か再来年にでも、行ってみるとしようか。ただこの花火大会、強いて難を言えば、この季節なので寒い。テレビのサトエリなんざ、毛糸の帽子をかぶっていやがる。ヘタをすると15度くらいの気温になったりするので注意が必要である。そういえば小さい頃に花火を見に行った件の生徒たちは、「昔はねえ、毛布掛けて見たんだよ」と言っておった。
・3連休である。まず初日に愛車パサートの修理。ウィンカーのリレーが不調で、たまにウィンカーが点滅せずに点灯したままだったので、交換。総額6,240円。まあこれなら痛くない出費。
・相変わらずだが、酒を飲む。しかし運動とカロリー摂取の制限で、体重は幾分減少に転じる
・久しぶりに、昼寝をする。体がぐっと軽くなったような心持ち。人間は週に一度は「きっちり休む」ことが大切なのだなあと実感。
・どうもNECノート君が不調である。止まるし、メモリもシステムも不安定だし。実はDynabook氏もネット関連は不調である。どうもウィンドウズとノートンの相性が悪いような気がする。システムの再インストールなど施せば、随分解決はするのだろうが、その前のバックアップが面倒である。それに半日を割くと思うと、それはなおのこと。
・明日から大量のレポートとテストの採点が待っている。実験の準備も進める必要がある。訳しておかなくてはならない論文もある。戦闘体制が整ったとは明らかに言いがたいが、有無を言わさず徴用されることになろう。戦時とはそういうものであると理解する。
春頃から我が鉄筋アパートの1階(駐車場)に、分別されないゴミが不法投棄されていた。住人といっても私と階下の学生くらい。ちょっとお互いがどうのこうの、という感じでもない。不動産屋さんとともに困ったものだと頭を悩ませていた。
やっと投棄されなくなった最近、清掃も終え、なんとかならないかと思案。そこで、大家の許可を取って投棄される場所に「プランター」でも置いてみようかと試みることにした。つくば時代には、アパートの前で朝顔だのバジルだの植えていたので(2001年の不定記参照)それ以来ということになる。とりあえず、秋から冬にかけての栽培植物を物色中。パンジーや葉牡丹が定番なのだが、それはあまりにも「つまらない」ので、何かいい植物を栽培しようかと検討中である。
とはいえ、これで投棄がやむのかどうかはまだ分からない。
・日本心理学会で大阪へ。「学会に忘れ物をしない」と毎回努力はするのだが、今回はまず予約参加章を忘れ、例の如く受付で余分な手続きをする。この参加章、2回に1回は忘れる。何とかならないものか。また、行きの車中で書き物をするためのPCは、拡張バッテリもACアダプタも忘れ、鞄 の1キロ増量だけの用をなす。忘れ物チェックリストを作った後輩は、ネクタイをしめてくるのを忘れたらしい。
・PCが使い物にならなかったおかげで、帰りの車中はゆっくり本を読み、行きの車中では久々に研究のアイディアが固まる。よくよく考えると、「サンダーバード」の中は研究に重要なインスパイアを頻繁に与えてくれる。これが「はくたか」ではなぜか上手くいかない。
・2年程前に、世の中には美人の研究者さんも多いものだ、と書いた。不謹慎ながら、今年もそう感じることが多かった。臨床関係の人に聞くところによると、臨床や発達関係の学会は女性が多いこともあって、なおその感が高いらしい。1人くらい荷方のところにも来てくれないものかと思うが、大体そういう輩のところには来ないのが世の中の常である。
しかし我が研究室一門はとても親切らしく、飲み会で様々なアドバイスをくれる。そこで遂にアドバイスにしたがうことにした。このページに答えは隠されています。
・また太る。さすがに多くの人に指摘されてまずい。ちょっと気を入れてかからなくては。
・「三流心理屋」を自認しているが、ひょっとして(やりようによっては)二流くらいにはなれるのかもしれない。
・明日から通常事態に戻る。しかし「ひとつ奮起してみるか」モードへのスイッチを考えている。
台風来襲。金沢では稀な「大型台風」である。最大風速が40メートルというから、それはそれで結構大きいのだが、最初は風ばかりで雨はなく。まあ予想されたより被害も小さめで何より。
このくらいの台風なら十分にしのげる程の備えはある。風の強い台風で恐ろしいのは、豪雨ではなく、風自体である。特に、送電線が切断されることによって起こる停電は、電気がつかないだけでなく、ポンプの停止による断水が最も生活に打撃を与える。このご時世飲み水はコンビニでも何とかなるが、トイレの水が止まったり、洗顔が出来なくなることは深刻である。そこで、大きな台風の時は、たとえ息災といえども風呂に水を張ることを奨めたい。これに比べれば、食料の確保など、地震の際以外はほとんど杞憂というものである。
自身は平成3年の台風19号で、相当日数の停電を経験している。熊本市内では1週間以上の停電を経験した地域もある。至る所の信号が消灯し、ちょっとした無政府状態であった。翌年の夏まで、家屋の屋根に瓦の代りにビニールシートがかけられていた家も、決して少なくはなかった。洪水はひたひたと押し寄せる。風はいきなり襲い掛かる。風の対策は重要である。
夜半を過ぎた、恐らくは風呂の水も無駄になってくれるようである。明日はちょっと面倒だが、バケツで洗濯機に水を張ることになるだろう。それでもいいのである。
・のんびりとニッキでも、と思ったそばから地震。南海地方は揺れているようである。ともかくは被害は小さいようで何より。
・最近の驚きグッズ。http://www.rakuten.co.jp/hanabi/482422/482533/で、目の前にある光がドラえもんやキティに見えるという。良く行くバーの女の子に教えてもらったのだが、未だにこの原理が分からない。ここのところそればかり気になって仕方がない。もしこのメガネの原理をご存知の方は、ぜひ教えてください。
・夏休みも残すところ2日。折りしも外は野分中。秋の訪れ近しである。
・今年はそれでも「休みらしい休み」を過ごした感が強い。あちこちで遊んだし、普段はやらないような勉強もした。そしてそれぞれが、もう少し物足りないような中途半端感を残しているところも、小学校や中学のときに経験した「夏休み」そのもの。
・台風は慣れっこ。九州の実家もこのくらいのことではびくともしない。とはいえ、その九州で尊い人命が失われてもいるのだから、あまり軽口をたたくわけにもいくまい。
・
帰省中、久住山の麓にある星生(ほっしょう)温泉へ行く。隣は冷泉として有名な寒の地獄のあるところである。一つの温泉場で硫黄泉・硫化水素泉・緑礬泉など4つのお湯が湧く。隣が冷泉だけに16度前後の水風呂があった。これまで水風呂の価値など考えたことがなかったが、次兄は好きらしい。いわれるままに入ってみる。
とにかく「冷たい」。心臓に負担がかかるような思いがするが、これが1分もすれば、むしろ体の温度が保たれる感じがする。人間の恒常性を知る目的でよくやる、氷水に手をつけても体温があまり低下しないあの生物の実験のそれである。3分も入れば十分。そのままもとのお湯に戻ると、体にチリチリとした刺激を感じる。おそらく感覚細胞が誤作動しているのか。頭がすっきりした感じを受ける。実に気持ちがいいことを知る。
温泉も、身体が温まればいい加減飽きる。しかし、これをやると長い時間入浴できることを発見。なるほど水風呂にも一日の長有り。
ちなみに、帰省先の裏には、町営の温泉がある。こちらでは、阿蘇山の伏流水をそのまま水風呂にしていた。これも実に低温。現在、ちょっとした水風呂ファンである。
・
あっという間に金沢へ帰ってくる。そしていつの間にか夏が終わろうとしている。猛暑の夏は秋が早いというが、さて今年はいかがなものか。
・帰省は肥満のもと、を体現する。ちょうど柔道の野村と変わらないくらいの体重。さすがに食事を控えねばなるまい。
・ただ今帰省中。甥姪に囲まれ揉みくちゃにされ、本を読み、ピアノの練習に励み。夜は夜でオリンピック観戦。夏休みらしい夏休み。やはり西瓜も買っておこうか。
・熊本へ向かう高速で、うっかりスピードメーターの前を約30キロオーバーする。さて、違反をとられるかどうか、そして、30キロを超えていたのかどうか。そもそも80キロ制限という場所だったのが痛い。
・両親はPCを使わない。したがって通信は電話線に33Kのモデムを使ったナローバンド。ウェッブを確認したいときなどは、恐ろしく遅い。というか、いつのまにかGIFやJPEGなどの画像がページに多用されるようになっているのだろう。「見た目」はともかく「コンテンツ」としてはあまり情報の量に差はない。もっとシンプルなページが多くてもいいのではないか。
・先週の暑さとうってかわって、今日は秋の気配。立秋を過ぎても「夏」が通常の日本だが、金沢は何となく涼しさが感じられるようになる。暦どおりの街である。
・明日の未明から1週間の「夏休み」、昨年と同様車で九州へ。まあ、ちょっとしたレクレーション。帰省を楽しんでまいります。
・とにかく暑い一週間だった。仕事のテンポは恐ろしく遅れ、。睡眠の質は悪くなる。気分は次第に鬱々とする。その分唯一冷房の効いたバーで飲む時間が増える。考えてみれば、こういうのも「夏バテ」と呼ぶのかもしれない。
・近所のスーパーで安かったので、小玉スイカなる物を買う。好物ではあるが、スイカを買ったのは1人暮らしを開始して初めてである。大玉に比べ、小玉は今ひとつ美味しくないイメージがあったが、実に甘く、みずみずしい。そして、恐ろしく皮が薄い。白い部分がほとんど無いのである。これではカブトムシもコオロギも嘆くであろう。
小玉なので、二つ割にしてその片方をおもむろに食べる。今日は幾分涼しい、夏らしい夏の宵である。
・CDが届く。今回の「当たり」はクリフォードブラウンとマックスローチの名盤。そしてチック・コリアのスリーカルテッツ。後は大体満足。微妙なのはチックのリユニオンされたエレクトリック・バンド。今ひとつ冴えなかったインサイド・アウトやビニーズ・ザ・マスクによく似ている。どうもチックは最近あまり良くありませんな。
・今年もあっという間に8月。時間ばかりが過ぎる。
・ネットで久々にCDをごっそり買う。6枚で1万円なり。ついでに立ち寄ったアマゾンで、Holyoakが思考と推論のハンドブックを出版することを知る。お、それは絶対買いだ、と良く見たら。出版は2005年5月なんだそうだ。随分遠い話で...。とはいえ、最近認知関係のハンドブックは久しく出ていなかったので、間違いなく「買い」である。
・カードといえば、長いことセゾンカードを使っている。年会費はタダだし、ポイントはたまるし。で、随分使い勝手の良いカードなのだが、最近DCが、大学の先生向けのゴールドカードを案内していることを知る。ちなみに今の大学にいる限り、年会費は無料なんだそうな。2枚カードを持つ意味は全くない、と思うとさにあらず、羽田や成田空港のラウンジが使えるらしい。実は実家熊本空港にもあるらしい。空港は時間の余裕を見ていくタイプなので、ラウンジで待ち合わせというのは、それはそれで便利かもね。と、「ゴールドカード持ち」を分不相応に検討中。
・鈴木義司が亡くなり、寂しいなあと思っているそばから。中島らもも逝ってしまう。それも酔っ払って。生きざまどおりだなあと思いながら、また寂しくなる。
・暑い、特に我が鉄筋アパートが暑い。帰宅時には40度をマークしている。もはや暑いではなく「熱い」。こう暑いとコンロを使って夕飯を作るのが億劫になる。結果として外食が増え、きっと体にはよろしくない。
・暑い中、少しでも髪が長いと鬱陶しい。で、散髪をする。それだけでも随分変わるものである。
・現代思想の入門書(ヴィトゲンシュタイン・ポパー・クーン)を読み、臨床関係の本を齧り、英語の論文を嗜む。論文は音楽の繰り返し聴取に関する最新の文献(J.E.P.)で、慣れない領域のため、訳に恐ろしく時間がかかる。1ページ2時間が精々である。哲学もしかり。ただ面白い。
・ついでに、いしいひさいち「現代思想の漂流者」というマンガも読む。先の入門書をとっつきやすくするには、なかなかだと思われる。
・最近、研究室にリクライニング式のアウトドアチェアを導入。本を読む際に時折座っている。安楽椅子で本を読めるような感覚。これは中々良い。夜中まで研究室で仕事をする機会があるとすれば、仮眠をとることも可能だろう。つまりは、昼でもうたた寝しかねない。要注意!
・「お努め品」の桃を2個128円で買う、4日ほど経って今日向いて食す。所々色が変わりつつあるが、甘さの最高点に達している。ああ、ささやかな幸福なるかな。我が暮らし。
・つくばから戻る。今年の関東の猛暑の思いからすると、「そこそこに暑い」北陸は随分控えめというものである。
・さすがに片道550キロの高速往復も、やや疲れるようになった。とはいえ、上信越の上田ー更埴が二車線化したりして、大分便利にはなっている。来月は片道1000キロの熊本。きっと今回が最後か?
・論文をいろいろ集めて帰ったはいいが、他のタイプの論文を集める動機が出来つつある。さて、この場合、どうするか?
1)学外文献複写をする、でも結構費用がかかる。
2)もう一度つくばへ行く、もっと費用がかかるが、また友人と飲める。
3)知り合いに論文コピーのバイトを頼む。
どれも費用がかかるのが問題。
・よく笑い、よく喋り、とても楽しかった。また日常に戻る。
・昔の後輩が、メッセンジャーにメッセージを送ってきた。なるほど、こういう手もあったか。私の知り合いの方、誰かメッセンジャーしませんか?
・ただ今つくば。2年経っても、やはり変わらず「帰省感」がある。とはいえ、あちこちに知らない建物ができていたり、それなりの戸惑いもある。LaLaガーデンなるショッピングモールがなかなか宜しい。大きな書店で学術書が豊富である。やっとつくばにも気の利いた書店が出来たものである。そしてここが在筑中にあったら、まずはプルシェに通ったことだろう。それにしても出来ては消えるプルシェ、今回は大丈夫なのだろうか。
・ホテルで仕事をするという、作家のようなことをしている。ちょっといい気になっている。
・Medlineでテレビゲーム関係の論文を検索してみると、ここ2年ほどで、ずいぶん多くの研究が出ていることが分かる。中には‘Cyber
Psychological Behavior’なる雑誌があることも分かる。ちょっとチェックが必要かも。
・当分仕事は「自分の好きなこと」だけと言っていたにもかかわらず、会議だ何だと結構時間は消費されるものであり、結果として時間は過ぎてゆく。「働く」というのは、存外そんなもので、自分のやりたい仕事というのは、常に「余暇」として行われるものかもしれない。
・週末からつくばへ出張します。関係各位は、どうぞよろしく。
・太平洋側は猛暑らしい。これだけ涼しいと、梅雨もそれなりにラク。もう会議も授業もないので、ラフな服で学校にいるのもイイ感じである。
・にも関わらず、急に肩こりがひどくなり、寝付きが悪くなり、喉のつかえが増す。ベックの抑うつ尺度で「中等度うつ」をたたき出す。おいおい...。そうか、抑うつなのかと、改めて思う。普段明るいし、活動的だし、気がつかなかった...。確かに、意欲はずっと減退しているし、同じ思考が繰り返されるしねえ。
論文と教育実習に追われた6月は、その意味では「症状のでない期間」だった。困ったもんだ。
・珍しく本を読む、まずは「現代思想の冒険者たち:ヴィトゲンシュタイン」から。まずは面白い、かな。
・長いこと更新がお休みでした。
・3月から進めてきた論文を作成し、○○心理学研究に投稿した。結構よく頑張った。あとは(できる限り)すんなりと通ってもらうことを祈るのみ。
・それでも仕事はなくならない、夜中まで仕事をした帰り、学生らとばったり会い、つかの間の七夕を楽しむ。ビールが旨い!
・明日の授業が終われば、一応夏休み期間に入る。この何年も、喉に小骨のつかえたような夏だったが、今年こそは「好きなように」過ごさせてもらおう。まずは、手元にあるクーンとポパーの本を読むことにしたい。
・16〜18の間、今年も教育実習の巡回指導へ。梅雨とは思えない天気の中で、スーツを着込んで学校訪問をするのはシンドイ。でも、中学生の姿を久々に見るのはとてもうれしい。そして、学生も非常によく頑張っていた。去年までは、教育実習生たる学生らの「未熟さ」に気が行くことが多かったが、今年はそれぞれの「いい持ち味」に感心し、学生から教わる点が多々見られた。
・移動中、神田橋條治の「精神療法面接のコツ」を読む。「抱える」ことと「省エネ的介入」が大事なのね。うんうん。
・某学会誌に投稿する論文を書いている。久々夜中まで研究室で励む。今回はサポートしてくれる友人(セカンドオーサー)がいるのだが、文系のこちらが逡巡しているうちに、理系の友人がどんどんアイディアを出してくる。感謝。でもうっかりすると自分の文章が少なくなりかねない。ファーストオーサーを乗っ取られないように頑張らねば。
投稿のデッドラインは七夕。これが出せると、夏休みに他の研究も含めて、のびのび仕事ができる。ここが踏ん張りどころのような気がする。
・とはいえ、他の仕事も結構大変である。実は相当の踏ん張りが必要。
・梅雨の中休みというか、今週は好天なのだそうだ。週半ばから関西に出張、スーツが暑い事必至である。
・年に一回、授業の中で学生にピアノを披露する(色彩と感情の説明で)。今日がその日、練習して臨むことが次第に難しくなる昨今、それでも去年より一曲増やして。
結論から言うと、腕はボロボロ。でもやっぱり弾くのは楽し、学生は心中で呆れているのかも知れないが、それでも結局は人前で弾きたい欲求を抑えられるものでもなし、まあ何とか乗り切る。
現在NHKで秋吉敏子のジャズ解説が放送されている。そこで今年は「黄色い長い道」を久々にアレンジ。初めてソロで聴かせる代物ができる。ジャズ歴十数年目の「プチ快挙」だな。
・日中は一日会議の日、数人の友人にメールをもらい、菓子をもらった。そして1人に昼食をご馳走していただく。皆さんどうも有り難うございました。
・時の記念日で、商工会の日で、ミルクキャラメルの日で、路面電車の日(ろ6でん10)で、社会教育法施行記念日で、歩行者天国の日で、無糖(610)茶飲料の日らしい。松たか子や大神いずみ、ジェームス三木や徳川光圀、米長邦雄にクールベ、ジュディ・ガーランドの誕生日でもある。ジャンヌ・ダルクが火あぶりになり、国立西洋美術館ができ、よく通る北陸トンネルの開通日でもあるらしい。
・32歳といっても、特に感慨はないが、これまでの人生を倍にしてみると、64歳。大学教員の仕事を続けたとすると、まだ定年にならないことが分かる。それほど長いのかと、ちょっと複雑である。ちなみに、大学院に入って研究者の道を歩み始めてから8年、同じ時間をもう一度やると40歳。ほう。
行きつけのバーで、「数学嫌い」に関する話を学生さんとする。かの業界では「数学不安」なるテクニカルタームがあることなどを伝えたりする。こちらもズブの素人なのであまり役に立たない話をする。
数学嫌いについての理由をいくつか考えると、まず思いつくのは「学習性無力感」、出来ないという経験が重なることで、「もとよりできない」という無力感を感じるという説明はできそうである。しかし気になるのは「ある程度できる子でも、嫌いだ」という事実である。数学がとんと苦手な私であるが、それにしたって大学には入る程度の勉強はしただろう。2度目の高校入試の時には、満点をとって入学したこともある。にもかかわらず、数学はいつだって「苦手」教科であった。これはいったいどういうわけだろう。
自己の記憶をたどってみると、数学は「できた感触の薄い」教科だったと感じる。計算が苦手とか、問題の意味がわからないとかではなく。なんとなく自分でやっていることのつながりが分からない。というか。頭の中で操作する内容が少しでも複雑になると、もう自信を持ってコントロールできない、というか。問題の意味と手続きが一致しないというか。そういう「納得いく」感触の薄さ、自己不全感のようなものが付きまとっている。それは、何となく数学の意味がわかり、教えることさえ出来るようになった今でも残滓のように残っているのである。たとえ解けても、意味がわかっても、私にとって数学は「不安の高い」領域である。
いわゆる「できない子」の数学不安ももちろん見るべきものがあるが、実は「できる子」の一部(つまり文系)がもっている数学不安のインタビューなぞしてみると、面白いのではないかと思った酒の席であった。
・怠惰に過ごす、充電になってるんだか...
・コードレスのアイロンが欲しいなどと言っていたが、実は7,000円分ほど電器店のポイントがあることが分かる。そこでアイロンを購入した。まだ使ってはいないが、何となくワクワクする。
・あと4日で、32になることを思い出す。どうということでもないが、時間の過ぎることの速さを思い知る。
・学会で大阪へ、スーツを着ていることもあって、大阪はとても暑かった。口頭発表は冷や汗をかきながらあっという間に時間が過ぎてしまう。どちらかというと、ポスターの方が好き。
・久しぶりに電器店で長い時間を過ごす。あれこれ欲しいものがあるなあ。とりあえずコードレスのアイロンが欲しい。あとコードレスのマウスも。
・これで研究活動は一段落。6月は気張って、書き物に精を出す。つもり...
ただいま四芸祭中。今年は金沢美大と東京・愛知・京都の芸大対抗のソフトボール大会を挙行。一応選手として出場する。そもそもソフトボールは大の苦手、特に守備はひどいものである。それでも3打数2安打で、自分なりに健闘。ただし、「明らかに」捕れねばならないゴロをトンネルし3点を献上、相手チームから「最優秀殊勲選手」の拍手をもらう。美大の皆さんすいませんすいません。
・仕事に精を出す。
・やっと耳の痛みも顎の痛みもとれる。食べ物ががぜんうまくなる。
・考えてみれば、年を重ねるごとに、肩こりだの、体が重いだの、若いときには考えられない「不調といえないほどの不調」を抱えている気がする。これが老化なのか、と思う。そして、驚くことに、それが重大ではないとわかっていると、かなりしんどくても耐えられるものである。高齢になったときの不自由の実体が、何となく垣間見れた気がする。
・新しい携帯は、一日で電池が半減する。恐ろしく電池が持たない。
・来週の学会のためのプレゼンを用意しなくてはならない。7月初頭〆切の論文も、コツコツ書かねばならない。でも、何時?
・結構悲観的であり、ネガディブ思考のたちである。おとつい行きつけのバーのマスター(女性)からニカタ、ならぬ「ネガタさん」の称号を賜る。苦笑しながらも、言い得て妙だと納得してしまう。
・iMaのセットアップなどして一日過ぎる。PCを一台自分のモノにするには、結構手間がかかるものである。昔「ライバルを蹴落としたければ、PCを一台贈るといい、彼が新しい環境に慣れるまでに、君は彼を出し抜くことが出来る」というセリフを聞いたことがある。まさにその通り。
・2年半使った携帯(So210)のジョグがずいぶんバカになっているなあ、と思っていた。携帯ショップにふらりと入り、So505isなんぞをふらふらと見ていたら、店員に薦められる。重いからなあとやや尻込みするも、値段を聞くと機種変更で7,000円という、これに貯まったポイントをあてると、ほとんどタダ同然の値段になる。そこでふらりと替えることにした。
初めての「カメラ付き」、とりあえず友人にフォトメールを送ったりして、練習をしたりする。意外と簡単なものだ。一つショックといえば、このカメラ130万画素、2年前に買ったデジカメ(Canonのイグジ)は200万画素、実際のところ、デジカメは当分使わないかもしれない。機種変10,000円そこらで、デジカメが買えると思うと、これでもいいのかもしれない。ただし、携帯がこう重いのはいただけない。
・ここのところ「耳かき」にやや熱中していた。結果耳を傷つけたのか外耳炎になる。ここまでは何となく対応可能なのだが、炎症を起こした場所が悪かったのか、顎の関節も同時に痛みだす。痛いだけでなく、口もうまく開かない。典型的な顎関節症である。食べ物も食べられない上、授業で話すのもキツイ。ひどいときは、寝付いても痛みで目が醒める始末。ここへ来て終息の流れへ来たようだが、今週は飲みに行くのも見送りか?痛い週末である。
・バレーボールの試合を見る。韓国にストレートとは思っても見なかった。健康的な可愛らしい娘さんを見ながら、素直に応援する。これでロシアに勝てば、アテネのメダルにもちょっと期待がかかる。
・とうとう新しいマックを買った。とはいえ中古。以前のノートの後継ということで、iMacの700MHZ、Combodrive付きを10万でSofmapから購入。1年半落ち程度の品物。現在のG4iMacが13万程度で手に入ることを考えると、割に「得」ではない買い物だが、OS9.2がプレインストールされ、OSXとのデュアルブートも容易ということもあって、決定することにした。これで、旧MacOS時代の資産を全て取り出すことが出来る。作業としてはかなり面倒だと思われるが、夏休みの間にでもやろうかと目論んでいる。
実はもう一つ、旧OSでしか動作しないゲームの一つ(Jewelbox)が楽しめるのも購入の鍵。購入動機の半分はこれといってもいい。
・つらつら計算すると、初めてコンピュータを導入してから今日までに、コンピュータ関連機器・ソフトの購入費は、裕に250万を超えるものと思われる。随分使ってるなあ。ミニバンやステーションワゴンが税込みで買えそうな勢いである。
・晴れれば風が心地よく、降れば空気が心地よい。気候だけは文句なしの毎日。
・CMが面白い、大滝秀治が「お前(息子)とわしの2人だけ、殺風景なもんだ」という、その岸部一徳に同情したりしている。
・長いこと、「自分で行きたいところへ行く」旅行をしていない。家族と温泉に行くことがあるくらいと、あとは出張。仕事にもかかわらず、夜1人で飲んだりするのはそれなりにワクワクするもの。まあ、1人では旅館一つとりにくいというのも正直なところ。今日たまたまネットで、ニューカレドニアに行き着く。もともと青い海がたまらなく好きなこともあって、無性に行きたいと思う。ニューカレドニア5日で20万くらいなのですねえ。
行けるようになった今は、一番行きにくいのは如何に?
・大過なく終了。明日からの忙しさを考えると先が思いやられる。
・Mac購入でいろいろ迷っている。思ったよりもiBookが安く、G41Mで13万ほど。ただしこれを買うとOS9は別にインストールしなければならない。ちょっと前の中古は逆に割高感がある。本当は昔のゲームもやりたいので、最新のマシンを買うのはかえって面倒かもしれない。
ちなみに壊れたディスプレイを修理すればの条件で、デスクトップも検討中。
・金沢市はケーブルテレビで火災情報を伝えている。今日サイレンがけたたましいので情報を確認したら、結構近くで火事だということがわかる。便利といえば語弊があるが、使えることは確かだ。
・それなりにGWらしくしている。春物の服を買ってみたり、ちょこちょこ仕事をしたり。
・夕飯の「手抜き」を目論んで、スペアリブの煮込み、鯵の南蛮漬けなど、惣菜を一気に作る。冷蔵庫から取り出したり、温めたりするだけの台所はとてもラク♪
・1997年初頭、修士1年の頃から連れ添ったPowerbook1400cのACがダメになってしまったらしく、当面使えなくなる。ま、極まれにゲーム機として使っていただけだが。既にフロッピーが使えず、中のファイルも取り出せなかっただけに、このままそっとしておこうかとも。
私の修士論文はこれで書いた。煮詰まったときは、当時普及し始めたばかりのWWWで遊んだ(そもそもフォンネットだった、本当に遅かった)。行きつけのバーに持ち込んでメニューデザインのバイトをしたり、随分仕事をしてくれた。7年、よく持ったものだ。
デザインも思想も気に入っていたマシン、43万も出して買ったマシン、である。当分は研究室の、「Mac博物館」に展示することとする。そのうち、ACが見つかれば買って復旧でもしようかと思う。
こうなると、いよいよ OS9時代の遺産を残すべく、古いマシンを一台購入しようかと思う。現在は、現行iMacの第1世代が候補。5万くらいで手に入らないかな。
・とはいえ、何か特にあるわけではない。休養と仕事の先取りに費やすことになる。
・「虫が知らせる」感触を持つ、十数秒後、本当に実現する。しかしながら、その内容は明らかに良い結果ではなかった。凹むなあ。
・両親が金沢へ来た。大学に入学して以来、一度も息子の元へ訪れたことはなかった(まあ、10年は筑波だったから、納得もするが...)。庄川に湯治に行ったり、砺波のチューリップフェスタに行ったり。春満喫。
人と過ごすというのは、何と楽しいことか。やっとこさ両親に「いいところ」を見せられたのは、息子として嬉しい。これで全費用息子持ちなら、大変カッコいいが、残念ながら「持てる者」は両親でありました。
・ああ、家族が欲しい。とちょっとだけ憂鬱。
友人が自己責任についての私見を述べていた。そこで、荷方も、最近の思いのたけを。
こういう話を考えてみよう。日本も他の国と変わらぬ自動車大国であり、多くの人が免許を持っている。当然ながら交通事故も多く、毎年多くの死者のみならず、障害を持つ人も増加する。国家はこのような不幸を避けるために、道路交通法その他の法律を定めており、これに違反すれば処罰される。ここで、ある個人が、法を著しく逸脱するスピード違反を行い、その結果事故を起こし、社会的な保護なしには生活できない境遇になったとする。国は「法まで破ったあなたが悪い、それは自己責任だから国は面倒を見ない」と言えるだろうか?
答えは否である。たとえそれが個人の責任であったとしても、国家はその当事者が国民である以上、その基本的人権を擁護しなければならない。憲法では、生存権・幸福追求権・法の下の平等といった多くの条文で、これを保障しているのである。そして、その保障のため、我々は税金を支払い、その福利をうける権利がある。結論として、自分のせい(不作為)であっても、国は面倒を見なくてはならないのである。今回のイラク人質に関する一連の問題は、結果としてここに帰着する。たとえ国家が退避勧告を出したからと言って、後は知らないよ、ではないのである。では、かかる費用の個人負担はどうなるか。これも救急や消防に負担が要らないのと同様である。では、自己責任とはどこにあるのか。例えば自衛隊が撤退しなかったために、尊い人命が失われたとする。これを国に責任があるとして、賠償その他をすることはない。あくまで、「個人の責任」ということができる。
「そこまで国は面倒見なければならないのか」と思う人もいよう。「自分のことは自分で」という振る舞いが重視される今日の社会では、その心情は強いかもしれない。ただ、これも国家のあり方による。確かに古典的には「夜警国家」という概念があって、それこそ夜に泥棒が入らない程度に、国は最低限のサービスをするという「小さな国家」もあった。しかし、現在は「福祉国家」が先進国の主流であって、18世紀のイギリス以降「ゆりかごから墓場まで」のサービスを国家がにない、それに応じて国民に高い負担(税金)を求めるのである。また国民は国家と、そのような政治を行うことについて、契約関係を結んでいる。その政治・政府に異論がある場合、その変更を求めるか、国民であることを再考するかしなくてはならない。これはルソーに代表される「社会契約論」に由来する。中学校3年生の公民で皆さんご存じだろう。
最近のメディアその他を見ると、どうも「心情論」と「筋論」がない交ぜになっている感じがする。それはそれで重要な意味を持つのだが、当事者のバッシングといった行為が先行するにつけ、現在の国家とはそういうものだ、という前提が抜け落ちているように思う。いや、党の為政者の中にも、意外と抜け落ちているのではなかろうかとすら思う。
(注)本エッセイは特定の主義をもった政治的活動ではなく、また個人のホームページによる、個人の意見です。
(公務員なので、政治的活動は厳に戒められております)
・
学校に学生が戻ってきた。いきなり授業もたくさんある。昨日までの気分が驚くほど改善する。そうだ、これなんだ。と思う。
・修士論文までの質問紙は処分してしまったが、その後のデータは保管されている。昨日と今日で、もう一度きれいに分類し直す。実際見ると、何となく結果らしきものはあるが、手に負えなくなった研究が2つほどある。よくよく考えてみれば、学会発表くらいやっておいても良いのかもしれない。
若い時、有名な大家がどうでも良いような内容の研究を発表しているのを見て、首をかしげたことが度々あった。今になって思うのは、ひょっとすると、そんなに良い結果ばかりをねらわなくても良いのかもしれない。
・宴会で飲む、最後に一人で飲む。結局しこたま飲む。今日は午前中に講義だ、と一応理性を働かせ、1時に帰宅する。朝の7時に目が覚める。スーツのままソファーで寝入ってしまっていた。その瞬間までちゃんと記憶があるのに、なんと詰めの甘いことか。冬でなくて本当に良かった。
・
イラクで日本人(民間人)が誘拐された。
もちろん3名の早期解放を心から祈るのだが、来るべきものが来た思いも強い。厳格なことを言えば、外務省の渡航自粛勧告を理解された上でわたられたのだろうから、ある程度の自己責任を問われる立場になろうということも事実。国家としては、しかるべき判断から自衛隊を派遣したのであろうから(ここで引き下がるのは、あまりに見識がなかろう)、どのような事態にあっても説明責任を持つこととなろう。
「うちは戦後復興のために自衛隊を派遣したのだから、軍隊と思わないでくれ」というのは、あまりに身勝手というか。そもそも派遣の時点で、国際社会からはそう理解されることを考慮しなかったとでもいうのだろうか。「国家として主張すべきところはする」ということと、「自己の論理を自明として主張する」というのは基本的に別ものである。たとえ誤解であろうとも、相手が感じたことはきちんと理解するのが、国際協調のキモであろう。
・症状がすっきりしないので、医師に相談。薬を少々変更。これがそれなりに功を奏したりする。何となく消極的に見えたりする我が先生、意外に的確なのだなと改めて信頼したりする。
・仕事はそれなりに進む、こういう時もう少しテンポアップしなくてはと
いう気持ちが頭をもたげる。気持ちは分かるが、まあ無理をしなさんな。
・今年は新規の授業が結構あって、その準備もそこそこある。授業開始までには全体のテキストを作成。そうでなくとも最低でも2ヶ月の余裕はとりたいところ。これが決まらないと、全体が見通しにくい。
そこでコツコツとテキスト作り。今回は資料もコピーを少なめにして、自分で丁寧に図表など作っている。こういう仕事、やっぱり楽しい。大学院の頃、研究そっちのけで教育産業のプリントや問題集を作り続けた時期を思い出す。なるほど、こういう仕事が好きなんだなあ。
・咽喉のつかえは「咽頭頭異常感症」といわれるものらしい。ガンや他の病気を疑ってしまうが、仕事をしていると気づかなくなるようなら、こちらの可能性が高いということ。それにしても、これが消えてくれないと、何ともやりにくい。いっそ内視鏡を飲んではっきりさせてやろうか。
・うっかりコンタクトレンズを洗面所の排水溝に落とす。今回は配水管から取り出し、事なきを得る。強いてエラーの分析をすれば、落とすのは偶然のミス。排水溝に網をかけていなかったのがエラーの最大原因。エラープルーフシステムの実施をさらに確認することが最良の防止策。
・急に天気が良くなり、桜も満開で、仕事も沢山。一気に新年度モードに突入。
・とあるバーの花見に参加、普段と違う人ととことんまで飲んだ。いろいろ得るもの多く、今日の寝覚めは大変宜しい。とはいえ、アルコールは随分体内に残っているようだ。
・「報道ステーション」始まる。18年の久米宏のイメージが強いので、なかなか馴染むまでには時間がかかりそう。で、番組中ずっとやたらカッコいいジャズが流れているのが印象的。あれは誰が弾いているんだろう。
・書籍第2作が出版。辞書の分担翻訳なので、それほどのボリュームはないのだが、おととしの夏休みの結構な思い出である。税抜きの価格(これではまずいのかも)で22,000円なり、一冊買おうにもためらってしまう。皆さん、献呈はしませんのでご了承ください。
・春愁はちょっとばかり続いている。新学期になってくれ、1人はどうにも耐えられない。
・桜はまだちらほら、でも河川敷では既にビールを持った人がちらほら。やはり春は花、げに一刻の千金の、なんだろうねえ。
・蕗のトウ味噌を食す。苦味が美味い。
・今日27日で、金沢3年目に突入。もはや金沢初心者とは言いにくくなりました。会話の端々に「何しとらぁ」とか「ダラやし」など、ちょっと俗っぽい言い回しに金沢ことばが混ざるようになりました。無理しているというよりも、思考や印象のニュアンスに侵入するようになった感じです。
・ここ数日、かなり強い咽喉のつかえと不安を感じていました。何かの病気というよりも、疾病不安のようです。心理屋がこれではシャレになりませんが、まあ致し方ない。とりあえず筑波の友人に電話したり、近くの先生をつかまえて話をしたりでまずは治療。
世の中というのは良く出来たもので、こういう時に限って知り合いが金沢を訪ねてきて、酒を酌み交わして談論風発。何よりの薬になったりしました。皆さんに感謝しております。
まだまだ不安定な状態は続くのでしょうが、とりあえず大丈夫です。覚悟は付きました、貯金をジャブジャブ使って、やれそうな事だけをやって切り抜けます。ちなみに、今日はマーラーの3番を聞いておりました。第1楽章で背筋に寒気が走り、第6楽章で心の浄化を感じました。不思議と心が落ち着き、体調が回復。
・本当に世の中は良く出来ているもので、後輩とメールをするうちに、塩漬けになっていたデータを論文にする方向が決定する。私より沢山論文を持ち、ノウハウもある後輩と一緒に進めることにした。ストレスの一因は研究が進まないことだったりするので、飛びついてみた。頑張りますよ。
・遂に金沢も桜が開花したようである。このまま行くと、15日の大学の入学式には散ってしまいそうでハラハラする。大学の桜は見事なので、学生が大学に戻ってくる前に散って、先生だけが享受するのはいささか勿体無い。
花見をする人がいたら、誰でもいいので誘ってください。
・いかりや長介が亡くなる。少なくとも30代以上から40代の人には大きな驚きというか。10代の頃、片岡千恵蔵ンが亡くなろうと三波伸介が亡くなろうと、それは子供にとって「知っている人」という以上のイメージはなかった。だが最近明らかには自らの世代を形成した人を見送りつつあるようである。いずれ「我々が憧れた人」を見送り、「同世代の認識をもつひと」を見送ることになろう。それは、年をとったことに他ならないのだなあと改めて実感。
・ただいま実験計画作成中。
・
2〜3日前から、兆候はあった。昨日はくしゃみも確認した。今朝はもう確実に花粉症を自覚した。とはいえ、今年は随分軽い。花粉の飛散が少ないことがよく分かる。病院に行かずにどこまでやれるか。
・春休み、学食も開いていないので久しぶりに弁当を作る。既に2週間ほど。これが結構おいしいし、腹八分で作れるし、大して時間はかからないし。気に入っているのだが、これをやると間違いなく研究室の外へ出なくなるし、そして昼食はあっという間に終わる。結果気分転換という意味ではあまり好ましくない。ちなみに、お茶も良く減るようになり、ポットの湯の回転も良くなる。
・人の動く春、我が身の回りもそれなりに異動がある。大概は職を得たりステップアップだったりで、おめでとうございます。あとは退職のお疲れ様か。反対に、能力のある若い人がなかなか職に就けないパターンもしばしば耳にする。残念なことであり、勿体ない。とはいえ、自分の首さえ危なくなるかもしれないこのご時世。世知辛いことだ。
・ウォーキングを再開してはや1週間。始めは手袋なしでは寒かったが、ここ数日はすっかり暖かくなった。春らしくなっていると実感。暖房を入れなくとも済む日も増えた。ただ気をつけないと、灯油が余ってしまい、4月ごろに無駄な暖房を入れる羽目になる。たとえ寒くなろうとも、早めに使い切る方が正解であると理解する。
・この2年、結局のところ大したデータも取らなかった。4月から「まとまった」データを取ろうと思う。何となく実験の方向性は見えてきた。あとは「結果の出る」ところまでどう持ってくるか。ここが正念場かもしれない。
・煮物を作る。大根というのは、実に味の染みる食材である。これに対してニンジンは実に「染みにくい」食材である。大根が醤油や肉のうまみを存分に取り込むのに比べ、ニンジンはあくまでも「自らの風味と甘味」を主張する。大根は日本料理に欠かせない野菜の代表である。ニンジンは日本料理では膾(なます)程度であり、どちらかというと洋食に活躍の多い野菜である。
周りとの親和性を重んじる大根、あくまで個人の存在を主張するニンジン。ムラ社会的な大根と、個人主義的なニンジン。同じ根菜でこうも違うものか。そして大根は「日本人」であり、ニンジンは「欧米人」であると確信する。
・ナイターでゲレンデへ、今年最後と思われるナイスコンディション。今年はそれなりに進歩したなあと思う。あとは来年。
・去年のシンポジウムの内容を論文として発表しようということがまとまる。みんなで分担執筆なので、当然編集がいる。ということでエディターを買って出る。師匠が苦労していたのは、原稿を期限通りに集めること。さて、どうなりますことやら。
・鳥インフルエンザ問題の渦中にいる方が、不幸な結末を選択されたらしい。どうして日本は失敗やミス、過ちを徹底して「悪」と呼ばわる社会になったのだろう。
・どうも視力が落ちているような気がする。
・大阪で。最近とんとこの手の刺激が減っているように思う。
・「メディアとしての日記」というテーマの考察をしている発表を聞いた。やはりWeb日記は、恋愛日記と闘病記が圧倒的に多いのだそうな。「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば」と兼好が言っている通り、どちらも口に出せない、あるいは口にでも出さなければ心の晴れないことだからなのではないかと思う。その意味で、日記は基本的に「他者への語り」を念頭におき、にもかかわらず「自己中心性」を確保するために、公共性の低い書きぶりを許す。これは、この不定記にも間違いなく合致する。
・実のところ、研究会は、その後の飲み会の充実ぶりいかんによって、単発で終わるか、継続性を持つかがかなりの程度左右されるのではないかと思う。
・長い付き合いの方が結婚なさるということである。心よりおめでとうございます。ただわが身を振り返れば、滅入らないこともない。
・3月の初旬は、それはそれで雪の多い時期かもしれない。ゲレンデコンディションのことを考えれば、これが最後のチャンスか?先週のおさらいも兼ねて、ぜひと行きたいところである。
・休暇は十分余っている。そこで白馬へ一泊スキーを敢行。岩岳と栂池の2ヶ所を回ってきました。栂池はもっともっと初心の頃に経験済み。ここは敵討ちといきたい所だったのだが、折りしも絶好の天候で気温が上がり、雪の状態が悪くて苦戦。それでも当時よりは随分上手くはなっていたのだけれど。
珍しく人と連れ立ってのスキー、熟達者のアドバイスつきで、随分コツとリズムをつかむ。恐らくは、これまでの中で最も熟達度は進んでいる。あと2回くらい行って、感覚を確かにしておきたいけど、暖かくなったからねえ...
・フルで滑った割には、筋肉痛はほとんどなし。いい傾向だ。
・週末は実験研究を学会発表形式に仕上げるつもり。学生の卒論データをもとにした共同研究なので、いまひとつこの領域に疎いのが問題。ともかく分析をうまく仕上げて、論の弱さをカバーしよう。
・昨日ちょっと夜更かしをしたらそのままうまく眠れず、寝てもうとうととするばかり。案の定今日は大変調子が悪い。少し情報に振り回されてしまったらしい。
・実は古いテレビ関係のコンテントを調べていたら、止まらなくなってしまったのが真相。最近はネットで「これでもか!」と情報が集まる。特に「知られざる世界」のオープニング映像と「放送広報センター」のCM映像を見つけて、狂喜していた。郷愁を差し引いても、昔の番組は「丁寧に作りこまれている」と思う。
ちなみに放送広報センター、公共広告機構の前身らしい。荷方自身は、交通事故防止のCMで、ひたすら救急車の走る映像の合間に、事故の写真が挿入されるやつがとても怖かった。この手のCMは随分減ったなあと思う。それはテレビの進歩か?退化か?
さらにCSでは、10年程前のフジテレビの深夜放送が見られるらしい。大学時代、とにかく見ておりました。「音楽美学」「Stray
Sheep」「Midnight TV+」あたりがヒットです。思わず加入しようかと思った。
・今日分かったことだが、「我修院達也」なる人物は「若人あきら」であることを知る。なんと!。眉で気づくべきだった。
・ついでに「ポンキッキ」なる幼児教育番組(昔はそうだった)の「ポンキッキ」は、サンスクリット語の「ゴマ」であることが分かる。ヘッドスタート計画によって生まれた偉大なるアメリカの教育番組「セサミストリート」を意識していたのね。知らんかった。
ちなみに、セサミストリートは、大した教育効果を生まなかったことで知られる。ポンキッキは、それなりに効果があったように思われるが。我々の世代には馴染みの「スポットコーナー」あれはブルーナーやピアジェの課題そのものです。とはいえ藤永保率いるポンキッキの「生みの親」ら心理学者の論文がなかなか見つからない。誰か知っている人がいらっしゃったら。ご一報ください。
・閑話休題。最近テレビを賑わせていた我が郷里黒川温泉の某ホテルは、いきなり廃業してしまったらしい。詳しいことはよく分からないが、最初のいきさつから最後まで「この程度」の質しか持ち得なかったのだろうと思う。少なくとも、日本の名だたるホテルや、世界の格式あるホテルで何らかのハンディをもつ人を拒否するなどとは聞いたことがない。
それでも、「ハンセン病(元)患者の入った風呂に入るなど、生理的にイヤだ」と公言できる輩の多いこと。呆れたものだ。
・「茶めし」なる食べ物がある。ちょっと気になって、レシピを探していると、何となく違和感を感じる。そこで、ちょっとばかり調べてみることにした。
1)葉茶の煎じ汁で炊いた飯。塩で味をつける。
2)醤油と酒とをまぜて炊いた飯。きがらちゃめし。さくらめし。味付飯。「おでん―」
[広辞苑第五版]
つまり、大概の茶めしは(2)らしい。茶色のゴハンというわけですな。ずっと(1)だとばかり思っていました。まだまだ知らないことだらけだ。
・レポートの採点中である。いつかどこかで、「レポート」様の文章と、「エッセイ」が違うことを、はっきり教えなければならない。最近のメールの進歩にも関係ありそうだが、一文や、あるいは読点でいきなり改行する文章も多く見られる。詩的だなあと思いながら、それはそれで頭を抱える。学生の皆さん、やっぱり文章の書き方も勉強しましょう。
・牛スジをストーブの上でコトコト3時間ほど煮る。いつもより味は薄かったものの、とても柔らかいすじ大根を拵える。北国の暖房はファンヒータが一番なのだが、煮物一つのためにストーブを脇に置くことが出来ない。そんな訳で、今日の書斎(寝室ともいう、いや寝室といった方が正しい)は醤油のいい香りで満ちている。
・微小軟体帝国(と言った方がいる)が作り出したWindowsはまた「致命的な欠陥」を発見したらしい。スタンドアローンで使用中の機械をまたネットに繋いでアップデートしなければならないかと思うと腹が立つ。いっそのこと手持ちのPCは全部Macにしてしまおうかと思うが、世の中の多くの人とのファイルのやりとりや、軽量ノートの使い勝手のことを考えると、それはそれでゲイツ君を使わねば面倒なのも事実である。Macなんてこの10年ウィルス一つ感染したこともないよ。
・春めくなどと喜んでいたが、明日はマイナス5度まで下がるらしい。金沢では珍しいと思っていたら、実家(阿蘇)はマイナス10度まで下がる予報らしい。改めて、九州は奥深いと思う。
・(昨日のこと)あちこちで牛丼の代わりに色々趣向を凝らしているらしいと聞き、近くの吉野家へ行く。それで分かったことだが、まだ吉野家には牛丼があることを知る。で、結局牛丼を食す。別に永久に食べられないわけではないのに、そう慌てずとも良かろうと思う。でも、まあ美味かった。ちなみに、牛丼は「すき家」が一番美味しいと思う。松屋は甘いし、らんぷ亭は食べたことがない。なか卯はうどんの方を...。
・いつのまにかスーパーやコンビニにも、明るい配色の商品が並んでいる。毎日雪ばかりだが、もう1月もすると、本格的に春めいてくるのだろう。
・大学も、長い春休みモードに近づく。やりたいことは山ほどあれど、さてどの位できるか。
・考えてみると、学食も長の春休みに入る。安くて便利でいいのだが、この時期は悩ましい問題である。隣の大学の学食もあるのだが、いまいち落ち着かないし。いっそのこと春休みくらい、弁当を作ったり、サンドイッチをコンビニで買ってきて済まそうかと頭にちらつく。
某大学の著名な心理学の先生のページで、上記タイトルの書き込みを見つける
1)学部にはある推薦入試がなぜないのか(一部はある)
2)なぜ学力試験重視になっちゃうのか
3)研究者にふさわしいと思う学生がなぜ受験しないのか
4)決め手になる試験がなぜないのか
5)なぜ、この時期なのか
6)なぜ、あちこちで大学院ができるのか
なるほど、これは面白い。特に(3)は身につまされる。ただ1つ言えることは「研究者にふさわしい」資質を持った学生は、他の領域にも大概適応性が高いので、もっと「良い進路」を選ぶことでしょう。自分が大学院を目指したときも、先輩は「(来たけりゃそれでいいけど)本当にデキる人は、国家一種や家裁調査官を受けるんだよ」とからかわれたような気が。あと、「いいよ、大学院に行きな、君は社会に出すより、研究室に押し込んでおいた方が社会には有益」と言われもしたなあ。そもそも(自分は特異な事例と脇によけても)、研究者というチョイスは、やはり「何かの次」のチョイスなのではないかと。
推薦がないのも、今や不思議といえば不思議だが、やはりない方が良いという思いは強い。指導教官(上司)の恣意的な配慮が反映しないとも限らない。外部の大学の学生で、本当に熱意のある学生がスムーズに入ってくるためには、固有な基準が絡むより試験を課した方が通過率は高いだろうと思う。反対に、学力試験ではなく卒論の質その他で判断するのもいいだろう。研究者の資質を見るいい指標にも思えるが、そもそも卒論の質は大学院の論文のそれとはかけ離れているし、指導教官の指導一つで良くも悪くもなりやすい。その意味では、決め手となる試験は存在しないかもしれない。第1、英語と専門の試験が、後の研究能力にどれだけ関係があるのかすら分からないのではないだろうか。
研究者の最も基本的な能力が「たゆみない努力が出来ること」ならば、努力なしには点の取れない課題を課すことが最も適切なように思うし、さらに研究者のセンスを見るためには、卒論や研究計画案作成のような課題を出すことも重要かと思う。個人的な意見としては、心理学なら統計と研究方法の試験も課してはどうかとすら思う。となるならば、卒論提出後の今でなければ、試験は成立しないのでは。ついでに言えば、この時期の試験は、落ちると後がないので、ヤワな学生をふるい落とすスクリーニングにも役立つような気がする。もっと乱暴なことを言えば、合格させる側の思いをくみ取って、その場の読める学生でなければ初手からダメなのではとも思う。その意味では、学校はできるかぎり難しい試験を課して、定員を割ってもどしどしふるい落とせと思う。
試験がより良くなれば、イイ学生はとれるが、そのとき私は落ちるだろうなあ。大学も「心理学ブーム」の直前に入って、後年やってくる入学水準の難化からは免れたし。運というものもあるようだ。
・既に2004年も1月が過ぎてしまった。
・確定申告の計算をしようと思う。有り難いことに、国税庁のホームページで計算をしてくれる。予想より納税額が少ないことが分かり、とても喜ぶ。ニコニコ払う優良納税者である。
・不動産屋から、更新の書類がくる。もう2年が経っていたのかと、改めて驚く。そして、更新料のことをすっかり忘れていて、少しだけ頭を抱える。
・昨夜来から猛烈に雪が降る、あれよあれよという間に積もり、気温は零下を下回る。今日になって風は一層強さを増し、吹雪になる。交通機関がマヒし、明日は大丈夫だろうかとの思いが強くなる。ここまでくると、白い魔性のようなものを感じる。
学生が雪の中で元気に遊んでいる。雪の珍しい暖かい地方の学生かと思ったら、北海道出身の学生だった。これほど一気に積もるのは、それはそれで珍しいらしい。なるほどね。
・
新聞を見ていたら「美人局アナ」という雑誌の見出しを見つける。「つつもたせアナ」としか読めなかった。(ちなみに、「びじんきょくアナ」で一発変換、「つつもたせアナ」では「美人局穴」となった)。
・本日の教育心理学の講義は、教育評価。学生相手に分布曲線や標準偏差の式など書いて奮闘。授業の感想はいつになく沢山の質問と疑問であふれた。一番多いのは、「そんな理屈で成績をつけているとは思わなかった」である。学ぶ側からすれば、自分に返ってくる成績は、未だブラックボックスの中なのだと実感。
やはり「どういう基準で成績をつけているか」その客観的基準を公表した上で、その過程が公開可能な形で成績をつけ、さらに説明をするべく、先生は責任を持つべきではないだろうか。「いい・悪い」は評価の後にくる主観的価値観であって、評価そのものではない。「今のあなたは、これが出来て、こういう状態」を可視化することがまさに評価なのだと思う。
高校生くらいになったら、相対評価(5段階評価)の配分比率や、診断的評価・形成的評価の意味、到達度を公開した上での課題提示など、もっと「点数の取り方が分かる」よう、ちゃんと指導してはどうかと思う。もちろん、そのために、先生はどういう基準で成績をつけるかというポリシーを、説明可能な形で持たなくてはならない。
・今年も監督をやりました。ついでに合間を縫って、国語1・2は解いてみました。見直しなしの60分足らずの結果は、180点には届かない程度でした。次第に点数が下がりつつあります。論説・漢文はバッチリです。地理Aも解いてみましたが、満点には至りませんでした。ODAとか、昔は政経や現代社会に組み込まれそうな内容が足を引っ張りました。全体的に、今年は割と簡単だったのではないかと思います。少なくとも、センター対策の授業をする先生は、何のトリックも使わず指導ができるでしょう。
・今年は3つの大学で、開始時間を10分早めるというヒューマンエラーが発生しました。2日目の朝1に集中しています。実は、試験の予鈴から開始鈴までは通常10分、初日の第一回目は、準備が多いので20分。エラーが集中した2日目の朝1も、実際は20分。つまり、「10分ペースに慣れた」監督者が、過剰に適応してうっかりエラーを犯したと解釈するのが、このエラーの分析としては最も妥当なように思います。
十分に避けられるエラーですが、人間の「過剰適応」の本質もついている。人間の「賢さ」がかえってエラーを引き起こすという好例です。
暖冬で条件は決して良くないが、思い立ってナイタースキーに行った。この冬初である。チューンナップしたスキーはやや滑りすぎるほどになっている。結果はというと、去年の最後程度は滑れた。ゲレンデも、それなりに悪くはなかった。ともかく、去年のように腰痛などになってシーズンを棒に振らないようにというのが現在の願望。もし行きたいという方がいれば、どなたでも誘ってください。
・
来週末はセンター試験。そろそろ大学入試も盛り上がる時期で、新聞は毎日あちこちの私大の広告が並ぶ。多くの若い人が大学に進学するということは、とりもなおさず自分自身の身分が相応に安定するという意味でも重要だが、世の中にそれほどのホワイトカラーの需要があるのかは疑問。それは特に大学院に関して顕著で、アカデミックポストの需要から考えれば、こんなたくさんの大学院生は要らないだろうという気がする。
実をいえばかくいう自分だって、大学院に行くときには「安易に進学しないように」と先生や先輩に釘を刺され、それでも入った覚えがある。入ってから(今でも)「この進路さ選ばなければ」と何度も後悔もした。就職はなく、身分は30まで安定しない。決して割のいい話ではない。それを支えたのは「他の人はいざ知らず、自分だけは人と違って成功する」という根拠のない信頼だったのではなかろうか。若いというのは常に生意気を包含するという典型例。
プロのミュージシャンを目指す10代の若者も、「会社があわない」と言って院に戻ってくる20代の若人も。一定数の割合でこの「根拠なき自信」だけで入ってくるような部分がある。そして現実とのギャップに苦しみ、また失敗したときのリスクへの対応に無頓着なあまり、崩れていったりする。ただし時々宝くじに当たるような確率で、能力以上の結果をおさめるものもいる。それがまた若い者を刺激し、自分だけはその僥倖にあずかれると信じている節がある。かくして、ある種の「夢の見やすい」大学に学生が押し寄せる。カウンセラー養成の大学院などは、それをよく示している。
とはいえ、そういうハイリスクの中から、時々ものすごいリターンをするケースがある。がらくた債券(Junkbond)ともいえる。これが学問や発明を支えてきたのも事実。社会はそういうがらくたも含めて上手くいくようにするのが健全なのかもしれない。もちろん夢を追う者も大学人も「どこかで見極めて、引導を渡す」ことも必要となるだろう。
・思いっきりウケたが、実際そうだと思う一言。
「仕事をしないで、仕事の仕方ばかりを考えている人がいる。研究をしないで、研究の仕方ばかりを考えている人がいる。そんな人が1割いるようなら、その知的環境は好ましい。(海保博之)」。そうなりかねないので、気をつけなければ。
・今日から働き出す。大して仕事はないよなあ、論文を読もうかなあなどと思っていたら、いきなり渉外の仕事が入ったり、成績評価が沢山あったりする。荷方、今年もフルスロットルか?
・ついに、我が研究室にもSPSSが導入される。BasementとProfessional Statisticsの2本が入り。因子分析も重回帰も、複雑な分散分析もボンフェローニの多重比較も対数線形モデルも可能である。これでAmosが導入されて共分散構造分析までできるようになれば文句なしだが、当分SEMを使う予定はない。あるとしたら学生の研究に付き合うときだろうか。ちなみに購入額は2点で10万。やっぱり高い。
・今年は3篇は論文を書きたい。ゲームに関する研究が一本と延び延びになっている読書科学への研究、そして博士がらみの実験が1本論文になれば言うことなしである。
・珍しく友人がやってきて、ビストロ=ニカタは久々の開店。熊本から持ち込んだ馬刺しと辛子蓮根を切っているところである。ちなみに今回は和食なので「割烹 荷方」なのかもしれない。
・阿蘇から金沢へ、空港までは列車とタクシーを乗り継ぐ。水前寺までしか来なかった特急が、豊肥線電化でいつのまにか肥後大津まで来ている。市町村合併で阿蘇市やら宇城市やらいろいろ出来るようだし、私の知っている熊本は、どんどん変わっていくらしい。
・新春草々書籍が届く、テレビゲームに関する心理学研究の書籍がついにもう一冊増えた、なかなか最新の知見が収録されており興味深い。それと、敬愛してやまない那須の作家、見川鯛山の最新作(といっても出版から2年経っている)を手に入れる。新年から「本の虫」と化す。
・「話が聞けない男、地図が読めない女」の文庫本も帰省の車中から繰り返し読んでいる。面白いことは間違いないが、どう考えても都合のいいデータを都合よく解釈した部分が多すぎるきらいがある。筆者によれば、男女の差異は脳の機能差であり、ホルモンの差異であると結論付けられるが、進化の過程で環境に培われた生得的部分は遺伝/環境のどちらでも説明可能になっているし、心理屋からみれば学習による部分が軽視されるきらいがあると思う。
それにしても、男女の行動の差異をつぶさに観察した行動記録として読めば、かなり痛快だし、興味深い。その特質をよく理解すれば、確かにジェンダー間の理解は増すことであろう。
・「なぜそんな陳腐な曲が売れる?」とか、「どうしてそんな悪趣味なものが人気なのか?」と思うようなことはしばしばあるが、考えてみれば自分の好むの好まざるとに関わらず、価値というものは存在し、誰かが興味を持てばそれは新しい価値として成立する。不易流行の問いに応えていてはなかなか前に進まない、悪趣味でも新たな価値を生産していかなくては。と何となく車窓の中から考えたりする。ゴミであっても、生産物が多いことはおそらく重要だろうと理解する。
・
我が帰省先は、阿蘇国立公園のど真ん中。家の前を2キロも行けば仙酔峡という観光地、家の裏手は簡易保険の宿泊所である。この帰省中の入浴は、すべてこの温泉に入ることとなった。ちょっとした湯治気分でなかなか楽しいものである。金沢だって近くにいくつかの風呂屋もあるのだが、これがなかなか行かないのは、どういう気分の違いであろう。
・平成生まれの子供が沢山、廻りにちょろちょろとしている帰省であった。実家でも、親類の家にも。これが結構どの子にも懐かれるのは、人徳か仕事柄か?その結果、当の両親と落ち着いて話すのは、この子らの帰った最終日の夜とだったりする。とはいえ、子供がいないと場は華やかにならない。
・俗っぽい話ながら、御神籤は大吉(由緒正しい官幣大社阿蘇神社であるぞ!)、夢の中に富士(富士屋という単語だった)が出てきたようなそうでないような(夢自体は割と切羽詰った「よろしくない夢」だったか...)。まあ、今年こそはいい年であるということで。
・明日は金沢、帰路ゆっくりと今年の計画その他を思い巡らすとしましょうか。
2004.01.01 年頭のご挨拶
・ あけましておめでとうございます。今年のニカタは、「何事も大切に」と「人生前のめり」の2つが目標です。