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2012年5月2日 水曜日 13:53:53 「内なる自身との対話」
 連休も後半に入った。今日を入れてあと5日である。今日は朝から雨模様ということで、自宅で読書などをしている。ただ、運動不足になるといけないので、朝一番で自宅周りをウォーキングした後、ゴルフの練習場に行き、70球ばかり打ち込んできた。午後からは、小池真理子の新作「無花果の森」を読んでいる。おそらく、明日中には読み終えてしまうのだろう。読書に耽溺していると時間を忘れ、連休もあっという間に終わってしまうのだ。でも、そういう過ごし方がすごぶる気に入っているのも事実である。


 社会人になって31年、脱サラをして18年、何とか生きてこれたことにまず感謝である。現象面的には流転というか流浪の生き方だったと思う。現実は残酷なまでに厳しく、私のような不器用な所作しかできない者は、その現実の中で確実に淘汰されていくのだ。淘汰されかかっては踏みとどまったり、何とか生き長らえたり、結果として私は生かされて、それなりの事業領域で活動している。時々、そのことを「夢の中の出来事」と思ったりする。そして、本当の夢の中では「食えない時の苦しみ」が再現される。


 この先、どこまでいっても、私の行動というものは、その時々の案件と向き合い、あれこれ思案しながら精一杯取り組むというところに基軸を置くのだろう。それは、おそらく70歳で現役引退するまで続くのだろうし、それが私自身の生き様そのものなのだろうと思ったりする。どう考えても、時間の経つスピードの方が自分自身のPDCAサイクルの時間よりも速い。自分がやっている案件の起承転結をきちんと確認できないまま、時間だけが前に行っているというのが正直なところだ。


 マーケットの反応・評価が全てということは、1つの真理だ。でも、それと併存する形で自己評価というものがある。そもそも、その仕事に対して自分自身が納得しているのかということからそれは始まるのだろう。つまりは、内なる自身との対話である。自分が間違ったことをしていないか、この方法は最適なのかどうか、きちんと成果を出せているのかどうか等々、できるだけ客観性を帯びた自己評価というものが必要だ。


 忙しいという字は、「心を亡くす」と書く。忙しい忙しいと言っていると、本当に考えなければならないことを失ってしまうということだ。だから、私はこの言葉をできるだけ使わないようにしている。これを常用し出すと、言霊になって「心を亡くしてしまう」からだ。だから、人から「いつもお忙しいでしょう」といわれても、「スケジュールは入っているかもしれませんが、大したことをしていません」と言っている。日程が案件で一杯になっていることが「精神安定剤」だった時期も確かにあった。そしてその価値というものを痛いほど知っている。でも、もう、その段階ではない。日々の案件に対して、どれだけの成果を出せたかということが最も重要なのだ。自己満足であってもいい。量的なものよりも質的な充実感をもって生きる、これも自己実現への道のりだと思っている。


 
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2012年5月1日 火曜日 5:55:06 「雨模様の連休、それもまたよし」
 5月に入った。連休の前半はまずまずの天気だったが、今日から4日間、雨模様の天候となるようだ。この次にカラッと晴れるのは6日と7日、結局、まともな晴れの日は3日しかないことになる。天候のことは仕方がない。雨ならば雨なりに過ごすしかない。雨の日もまたよしである。今日は専ら自分の部屋で読書をすることにしている。あとはゴルフの練習場に行くくらいである。好天候の休日は、どこかに出かけないといけないという強迫観念にかられるが、雨模様だとそういうこともない。気持ちが楽なのだ。


 それにしても、連休の貴重な休日は風のように過ぎていく。今日はもう4日目である。あっという間に終わってしまうのだろう。でも、時間が刻々と過ぎていくのはいいことだと最近思うようになった。時間が過ぎるということは、すなわち物事が変わっていくということだ。変化に対応できない人間は淘汰されていくし、そういうサービスや商品は陳腐化していく。そうして生まれたマーケットやスラック(間隙)を埋めるべく、新しい商品やサービスが生まれてくる。人材もそうである。物事の循環というのは、同じ現象を繰り返すのではない。そこには、必ず淘汰というものが伴っていく。それでいいのだと思う。


 現実の社会でもいろいろな淘汰が進んでいる。我々の業種もそうだ。一般のビジネス社会でもそうである。それを単に格差社会などと決めつけるのは間違いで、冷静にみていけば、やはり変化に対応できない層がおいてけぼりになっている部分がかなり多いことに気づくのだ。例えば、50歳代で、男女問わずだが、何らかの技術や資格も含めた専門性、ノウハウなどをもたない人間には、まともな働き口がないというのは誰もが知っていること。従って、その年齢層にワーキング・プアが多いのも頷ける話ではある。


 日本全体の企業活動で生み出される粗利益(付加価値)が減ってきている以上、その分配に軽重が生まれるのは必然のこと、多く配分してもらおうとすれば、それだけ付加価値の高い仕事をしなければならないということになる。ある団体で軽作業の契約事務員の募集をしたら、150人の応募があったということだ。かつて私の事務所の事務員の募集をしたら30人以上の応募があってびっくりしたものだ。付加価値の低い仕事に応募が殺到するということは、付加価値の高い仕事の募集が少ないか、付加価値の低い仕事しかできない人があまりに多いということの証左であろう。


 私なんかも特段の技術ノウハウをもっているとはいえない人間である。いまの職業だって、試行錯誤を重ねながら、諦めずにやってきた結果として何とかやれているだけで、たいしたことをやっているわけではない。今から10年くらい前の私は、外形的にはいまでいうワーキング・プアそのものだった。中小企業診断士の資格こそ取得していたものの、付加価値の高い経営コンサルティングを遂行する術も機会もなく、ただ、そういう日がくるのを待望しながら、仕事の機会を得るために走り回っていたというのが正直なところ。あの状態があと2年続いていたら、おそらく私はこの業界には存在しなかっただろう。


 付加価値の高い仕事をして、より多くの分配を受益するか、そうでない状況下で低賃金に甘んじるかは、その人の努力や戦略次第だろう。より多くの人が努力をして自身を高めて付加価値の高い仕事を志向する社会になると、確実にこの国は良くなるし、生活保護などの福祉も最低限ですむはずである。稼ぎの少ない成熟社会においては、そういった経費を極力切り詰めていかなければならない。企業経営でいうところの「固定費の削減」である。我々は国の固定費にすがるのではなく、いかにして収益に貢献できるかというところに努力のベクトルを向けていくべきなのだ。


 
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2012年4月30日 月曜日 6:58:26 「後進人材との付き合い方」
 この春、独立することになった後輩診断士が金曜日に私を訪ねてきた。独立するにあたって、いろいろなことを聞きたかったようだ。同じように彼がいる地域でも先輩診断士を訪ねていて、それは私が独立前にアドバイスしたことなのだが、できるだけ多くの助言をもらっているらしい。この「先輩訪問」という「儀式」は、後輩診断士のためになるかどうかという視座で捉えられがちだが、実は、「先輩の度量・実力が測られる」ものだということを気づいている人は極めて少ない。


 今から13年前の1999年、中小企業診断士の資格登録をした私は、このホームページを更新しながら、営業活動を開始し、当時在籍していた診断協会大阪支部の交流会や研究会などで知り合った先輩診断士を片っ端から訪問した。当時の私は、先輩訪問をして真面目に話をすれば、力を貸してくれる先達がきっといるだろうと愚直に信じていた。それで、いろいろな人を訪問してはアドバイスを求めた。もっといえば、仕事を回してくれそうな機会を希求していた。


 その期待というか願望は、見事に裏切られた。アドバイスなどというようなものは全くなく、自分の自慢話か、ありきたりの一般論、例えば、公的支援機関に専門家登録してせっせとそこに通えとか力量のある先輩にくらいついて鞄持ちでもしながら仕事をもらえとか、その類の話である。新人診断士は、そんなことを聞くために足を運んでいるのではない。もっと、本質的なことが知りたいのだ。しかし、一部の人間を除いて殆どの独立診断士には、その要請に応えるだけの度量や実力・実績がなく、一般論や自身の与太話的な自慢話に終始するのだ。


 挙げ句の果てに、安い居酒屋に連れて行かれて、割り勘というのが相場のようで、この「人間的小ささ」にも、新人診断士からの不満が噴出している。それも、自分ばかり食って呑んで明らかに「割り勘負け」になっていることが多い。情けない話である。金曜日に事務所での話が終わった後、近所の寿司店に行き、旨い料理と焼酎を呑みながら話はさらに続いた。事務所に来てもらった人には、こちらがそのことへの感謝の意味を込めて「歓待」・・これは、恩人である森井義之先生から教えられたことである。そして、「先輩が後輩の面倒をみるのは当然のこと」という規範は、私自身が食えない頃から実践していることだ。


 「坪野先生のような人は、私の地域にはいません」と後輩診断士は断言する。いるかもしれないしいないかもしれないのだが、いい先輩に出会って、ためになるアドバイスをもらえることは極めて有意義なことだ。そして、その出会いを求めていろいろな会合に顔を出して交流をしていくことも大事だと思う。しかし、である。本当に伸びていく人は、基本的に群れないということを肝に銘じるべきだ。特に、我々はしょせんは一匹狼であり、自立した一匹狼同士が連携し協働することで大きな価値を創造するものだ。つまり、群れないことに存在価値を見出すべきであり、それが存在理由の基本だということだ。


 金曜日は、せっかく遠方から訪ねてきてくれた後輩診断士にさまざまなアドバイスをした。おそらく、その前途には厳しいことの方が多いし、苦労も重ねていくのだろう。でも、それを厭わずに自分が信じた道を突き進んでいくのであれば、やがて光明もみえてくるのだと思う。安易な覚悟で臨む事業では、安易な成果しか得られないのだ。それに、この職業は、特段の物的投資を必要としない。せいぜい、事務所とか事務機器とかそういうものだけである。事務所もなければ固定経費は限りなくゼロである。だから、誰でも参入できる業種だし、それなりにやっていける余地もある。しかし、「本物と偽物はおのずとマーケットが峻別する」のだ。その後輩診断士には、是非とも本物になって欲しいと思う。


 
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2012年4月28日 土曜日 13:13:28 「自由な時間と自由な思索」
 今週は高知県内に3日間出張の後、木曜日と金曜日は事務所での会議と会食などで終わり、あっという間に連休に突入した。一応、9連休ということにしているので、毎日、何をしようか、あれこれと考えているところだ。昨年同様、遠方への移動はせずに自宅周りで過ごすことにしている。2日ほど来客もあるが、自分の時間に浸っていられる時間を十分に確保できそうで何よりだと思っている。


 体調もかなり良くなってきたこともあり、読書欲というものが著しく高まっていることを意識している。この連休の多くの時間は読書に費やそうと思う。読書は私に「エンプティの時間」を与えてくれる。エンプティの時間という言葉は、故伊住政和君が遺してくれた素晴らしいもの、私にとっての宝といってもいい。良書に触れて親しむ時間は、珠玉のものだ。


 ギターの弾き語りも連休中は毎日やっている。相変わらず同じような曲ばかりやっているが、このところ味わいがさらに深くなってきたようだ。ユーミンの「翳りゆく部屋」、チューリップの「青春の影」、ふきのとうの「やさしさとして想い出として」、はしだのりひことシューベルツの「風」などを弾き語るとき、独特の雰囲気が醸し出される。いずれも名曲である。翳りゆく部屋はそれほどメジャーな曲ではないが、好きな曲のベストスリーには入る。歌詞をたどると情景がカラーで再現されるような感じがする。


 自宅の5畳ほどの小さな書斎にあるシングルソファに身を委ねて、好きな音楽を聴きながら、心ゆくまで本を読む。ささやかな楽しみだが、私にとっては価値ある「エンプティの時間」となっている。


 
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2012年4月14日 土曜日 14:14:35 「自分だけの価値ある時間を過ごす」
 3月の過密な出張シリーズの副産物として、自宅の小さな書斎があまりに雑然としてしまったので、2日間かけて整理にかかり、やっとそれらしい感じになった。まだまだ8割くらいの「復旧」であるが、わずか5畳強の小さな書斎が、私にとっては「素顔で過ごす価値ある空間」だ。そのわずかなスペースに置いてあるお気に入りの黒い革のソファは、東京に分室を設置したときに購入したもので、もう5年ほど使っているものだが、このソファに座って読書をしたり、パソコンに向かったりする時間がとても気に入っている。


 テレビは基本的にニュースとゴルフ番組しか視ない。自分の部屋に籠もって、好きな音楽を聴きながら読書をするのが私にとっての最上の楽しみである。おそらく、この部屋のドアの向こうがいわゆる「社会」であり、この部屋の中はそこからは遮断された「私だけの空間」ということになる。そこには煩わしい人間関係はなく、自由な思索が保証されているのだ。


 今日は土曜日でしかも終日雨である。こんな日はどこにも出かけずに自分の部屋で過ごすに限る。読もうと思って溜め込んでいる本が山ほどある。今読んでいるのが小池真理子の「ストリベリー・フィールズ」という本で、なかなか味わいのある内容、いい本に触れることは、いい人に会ったのと同じくらいの価値がある。最近はいい出会いが少ないので、いい本に触れて心の充実感を高めていく方が手っ取り早いかと思っている。


 そうこうしている間に、4月も中旬になった。間もなくゴールデン・ウィークに入る。体調も完全回復とまではいかないが、休暇が奏功していい感じになっている。例年、6月くらいに体調を崩しているので、今年はそういうことがないように普段(不断)の健康管理に特に留意したいと思っている。多くの人と同じように、私の場合も睡眠の深さがそのバロメーターになる。不眠気味になると必ずといっていいほど体調がおかしくなる。そして、睡眠導入剤などの薬の世話になると、真の健康を取り戻すのに2ヶ月以上を費やすことになり、いろいろな意味で好ましくない事態が陸続と発生する。


 薬の世話にならずに、睡眠が十分にとれて、心身ともに健全な生活ができることが1つのあるべき姿で、そういう期間が引退する前の14年余りの殆どを占めていくことを願っている。心身ともに健全であれば、1回1回の食事をおいしくいただけるし、酒もそうである。会話も前向きなものになっていくだろう。ゴルフもそうである。そして、何よりも自分の書斎で過ごす時間が楽しくなる。小椋佳の曲を聴きながら、あれこれ思索をする時、また、新たな展望が開けたりする。


 
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2012年4月7日 土曜日 20:24:19 「やるべきことをやっていくのみ」
 丸1週間ほど休暇をとり、休養に充てた。おかげで体調もほぼ回復して調子があがってきた。月曜日からテンションを上げて仕事に臨むことができそうで何よりである。やはり、休養は必要だ。若い時はそうでもないが、少なくとも40歳代後半からは、そういうことを意識しながら仕事をしていくべきだろう。無理をしてはいけない。無理をすると必ずそのツケがどこかにくる。若さとか勢いとか、そういうものは、得てしてそういった物事の本質の部分をみえなくしてしまう。


 今年度は、案件の出足が例年よりも早いようで、そのこと自体は喜ぶべきことだと思う。この業界は仕事がないのが最も忌むべきこと、忙しすぎるくらいがちょうどいい。とにかく、マーケットから支持されてこその我々である。マーケットの実情から来るニーズと乖離した経営支援はあり得ない。しかし、そうはいいながらも「あるべき姿・目指すべき目標」を指し示して、そこに至る道筋を明確にしていかなければならないのが、経営支援の専門家たる存在理由でもある。


 その意味では、経営コンサルタントとしてのキャリアが14年目を迎え、年齢的にも55歳になる今年辺りは、事実上の収穫期に入る記念すべき節目になるのかもしれない。ここまで来るのに長い時間を費やすことになった。もちろん、これから先が「真のプロコンへの道」となる。70歳で引退するのであれば、ちょうどあと15年の道のりである。この15年が長いのか短いのか、それは、その期間が終わる時でないと実感できないのだろう。すべては結果である。結果さえよければプロセスもよくなるものだ。


 これまでもそうしてきたが、今年は特に意識してマーケットとの対話を大事にしていきたいと思っている。林業は現場で形成される産業だ。その現場の声を聴かずして、経営支援もなにもあったものではない。つまりは典型的な「マーケット・イン」型の経営コンサルティングを貫徹していくべきなのだ。それも、経済行為だけの価値観や視点では語れないので、もっと幅広い視野でもってこの産業を語る必要があるのだ。


 もう、すでに若くはないし、かといって年寄りでもない。限りなく中途半端な年齢なのだが、キャリアも相まって、やっと大向こうに物が言えるようになったと思う。それだけのことはしてきたし、それをベースにしてこれからもどんどん実態を積み上げていくしかないのだ。目指すべきは「より多くの利害関係者の最大幸福」である。そのための「やるべきことをやっていく」ことが大事だし、日々、その取り組みの繰り返しなのだと自分自身にも言い聞かせているところだ。


 
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2012年3月29日 木曜日 18:02:38 「年度末の案件終了、明日から休暇」
 昨日は愛知県での経営診断報告会だったが、社員コンサルタントに単独で行ってもらった。私の方は追加案件で企画書を急遽作成することになり、昨日の夜から渾身の馬力でパソコンに向かった。おそらく、私にしかできない案件であり、意気に感じて集中してやったのだが、完成してそれなりの充実感はあったものの、まあ、55歳になろうかというオッサンがやる仕事でもないなと思ったりした。本来、映像とか音声とかそういうことには感性の鋭い若い人が携わるべきだ。妙にやれるからやってしまう、そのこと自体は悪いことではないのだが、もうそろそろその世界も卒業しないとなと別の自分がそう言っている。


 ということで、今年度の案件はすべて完了した。前半は大震災の影響もあって、案件がストップしてしまい、「このままじゃヤバイな」と危機感を募らせたが、下期に入って物事が動き出し、何とかかんとか4月を迎えることができるというのが正直なところだ。とにかく厳しい世の中、生きていくのが大変である。私のような零細事業者は、うっかりするとすぐに経営危機を迎え、そのまま息絶えてしまう。「生きているだけでもラッキー」と思わなければならないのか、経営コンサルタント歴、丸13年の者がいう言葉ではない。


 そもそも、この職業は金を儲けるためにやるものではないとして、かなりやせ我慢と背伸びをしながらやっている現実がある。でも、デコボコがありながらも、例えば林業に本格的に関わってもう7年、私はマーケットである林業関係者の人達の熱いニーズを受け止めながら日々奮闘している。先日も、ある民間事業体の社長から「あなたにしかできない役割があるのです。私はそれに期待をしている。どうか頑張って欲しい」と激励された。そういう言葉を聞くと、やはり粉骨砕身、頑張らなければと思ってしまう。


 明日から休暇をとって休養する。この半年ほど、かなり無理をしてしまったようだ。体が軋んで悲鳴をあげている。もう無理ができない年齢になってしまったのだとこういう時につくづく思う。ちょっと仕事を離れて体を休ませることが必要だ。


 
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2012年3月27日 火曜日 11:20:11 「自己実現に向けて気持ちを入れ直す」
 例年通り、2月と3月は出張ラッシュになった。途中、体調が低下して危ない局面もあったが、何とか乗り切ることができた。しょせんは生身の体である。日々、健康管理をしていくことの重要性を感じながらも、この歳になってもそれがきちんとできていない実態がある。普段の活動の中で最優先すべきは、健康管理のはずなのに、ともすればそれを軽視してしまう。もっと、自分に厳しくならなければと思っている。


 さて、4月からのことだが、いよいよ「自己実現に向けた助走」が始まることを強く意識している。何から始まるのか、始められるのか、非常に楽しみでもある。普段、ギターを弾いて歌ったりしているが、こんなのは単なる趣味であって自己実現に連なっていくものでもない。しかし、それが全くゼロかというとそうではなくて、パーツの1つとしてはあり得るのかなと思ったりする。それから、ゴルフ、これもそれなりに熱心にやってはいるが、自己実現というところにはかなり遠いものになる。むしろ、自己満足の範疇に入るものだろう。


 今月末から4月初めにかけてちょっと休養してから、諸活動に入る予定だ。大地震の懸念は依然として続いているが、それがなければ今年はいい1年になる予感はある。楽しいことが辛いことを上回った時に「幸福度」が著しく向上していくのだろう。その楽しいことの集積が自己実現につながっていくのだろうと思う。その文脈でいうと、少々我が儘であってもいいから、自分が楽しいと思うことをどんどんやっていけばいいのだと考えたりする。他人の都合に振り回される状況下では自己実現など望むべくもないだろう。


 月刊誌の「現代林業」に連載している「金言・名言に学ぶ経営術」という記事が幸いにして好評を博し、いろいろな人からそれなりの評価をいただいている。これまで5回連載されたのだが、私が直接、その人から聞いた、心に残る珠玉の「金言・名言」を私なりの味付けで、そして、そこから学ぶべきエッセンスを示しながら紹介する内容となっている。1回目は、「私が責任をとるからとにかくやってみなさい」(多野東部森林組合 新井和子組合長)、2回目が「雨の夜でも天には星」(新将命氏)、3回目が「明るさが買えるならいくら払っても惜しくないね」(釜石地方森林組合 曽根哲夫前組合長)、4回目が「良き人は常に初心者」(祖父、坪野賢三)、そして、5月号に連載予定のものが、「中有小企業はいいものを高く売らなければならない」(日本アルミット 澤村経夫前社長)である。


 書くことに基本的にストレスはない。調子のいいときはどんどん書くスピードが上がっていく。文字で伝えるという行為には、無限の可能性がある。たった、一行の文章が読む人の生き方を変えることもある。いい文章の価値というものは金銭では計りきれないほどの価値がある。その文章を音声にしたのが我々が発する言葉である。私は言葉というものを使って、コンサルティングや助言等、日々の活動をしている。文章にしろ、音声にしろ、言葉は極めて大事だ。そして、書く・話すという行為はコミュニケーションの基本中の基本アイテムだ。その辺のことに自己実現のヒントがあるのではないかと最近考えたりしている。


 
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2012年3月5日 月曜日 22:00:17 「霙(みぞれ)交じり、雨の青森で」
 青森市内での森林組合監事研修会での講演を終えて今夜宿泊するホテルの部屋にいる。外は雨模様、それも霙交じりの雨のようだ。ことさら寒く冷たく感じるが、部屋の中は暖房が程よく効いて快適である。夜の交流会もそこそこに失礼して部屋に戻り、本を読んだり明日の仕事(岩手県・二戸)の資料づくりなどをしている。でも、このところ睡眠不足気味なので今夜は早めに就寝するつもりだ。


 先月に続き今月も期末とあって例年通りの出張続きである。今月は28日まで日程が入っていて、移動も多くその距離も長いのでこの歳なると適当に休みを入れていかないと疲労が蓄積する一方だ。徹夜仕事を3日も続けてなお余力のあった、40歳代半ばまでの頃のようにはもういかない。でも、青森というところに先月に続いてまた呼んでもらえたことに感謝をしなければならないし、一期一会であっても、それは次善の取り組みの始まりになっていくことがある。出会いは大切にしなければならないのだ。


 講演会はそれなりにテンションを上げるので、終わった後、その余韻や興奮が冷めずに眠れないことがよくある。多くの人の前で、それなりの立場でその使命を全うするような話をすることは、相当なエネルギーを要することを最近になって痛感している。勢いだけで乗り切っていけるものではなく、総合力を問われる仕事であり、私のような者に務まるのか、常に自問するのだが、とにかく1回1回に全力投球するしかない。その意味では、先日の企業診断の特集でもコメントしていたように我々は「アーティスト」なのだ。


 こんな夜は、ちあきなおみの曲を聴きながら、クールダウンして自然な眠りに入っていきたいと思う。例えば、「そっとおやすみ」や「酒と男と女と涙」「アカシアの雨がやむとき」などというカバー曲は秀逸である。


 
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2012年3月5日 月曜日 10:57:24 「JAL内で考えたこと」
 青森に向かうJAL内にいる。企業再生の取り組み効果か、JALの諸サービスが以前とは格段によくなったような気がする。サービスとは人が人に提供するものであり、サービス提供や受益の場の空気も人が醸成する。その空気そのものもサービスの一部だといえる。サービスには基本的に直接経費はかからないが、良質なサービスを提供する人材確保や育成のための費用が半端ではない。しかし、そのことがサービス業やサービスをコアバリューとする企業の生命線だとしたら、その企業はそういった費用を惜しんではならない。


 我々の業種もカテゴリー的にはサービス業である、というか典型的なサービス業だ。助言という言葉を通じて経営者や社員にサービスを提供している。そして、いつの世も質の高いサービスを継続的にマーケットに対して供給している者だけが『選ばれしもの=生存適者』として生き残っていく。その歩留まりは経験値ではあるが常に一定であり、限りなく2:8の原則に収斂していくのだろう。


 そのサービス業からさらに『社会貢献業』へと進化していくのが、我々のさらなる未来への針路だと思う。ビジネスとしての経営コンサルティングと社会活動としての社会貢献を両立させることこそ、おそらくは私自身も志向している自己実現への道に連なっていくのだろう。いま、私が携わっている森林・林業の再生支援は、まさにその活動そのものといえる。


 この先、私自身の活動はどういうものを目標にしてどういう道筋になっていくのか、協働するパートナーは誰なのか等々、思考はどんどん展開していく。そこに設計が生まれて、さらに具体的な行動や成果を喚起していけるのか、不安な部分もあり楽しみな部分もある。来年度は、そういった活動を始める嚆矢となるだろう。日本の森林・林業の再生にも、それに真剣に関わっていく人にも与えられた時間や労力は限られている。私自身も例外ではない。愚者なりの知恵を絞り、汗をかきたいと思っている。


 
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2012年3月3日 土曜日 13:17:33 「久々の更新をする理由」
 このページの更新は久しぶりになる。仕事が忙しかったわけではないのだが、不特定多数の人に情報を発信する意義が自分自身、ぼやけてきたこともあって2月などは全く更新をしなかった。書きたいこと、書くべきことはたくさんあったのだが、どうも、そのインセンティブが弱いというか、自身の内奥から湧き出てくる「書いて発信する意欲」というものが一頃よりも薄れてきたのは事実だろう。


 このページを始めた頃、あるいはそれから数年間くらいは、自分のことをいろいろな人に知ってもらおう、そして、あわよくば仕事につながったらラッキーだという思惑があったことも事実だ。経営コンサルタントのホームページなど、営業目的以外の何物でもない。ただ、私の場合は営業というよりは、自分の素顔を垣間見せる唯一の「公開の場」ということで、このページを位置づけてきた。だから、時々、これまで13年間の全ページを読み返して、自分の辿ってきた軌跡をレビューしたりすることもある。


 このページは、ホームページビルダーでつくっているので、パソコンで書いていちいちアップロードしなければならない。最近、ノートパソコンを持ち歩くことを殆どしなくなったので、以前のように移動時間とかに更新をするということもなくなった。今後は、Ipadでもっと簡便に発信できるものに移行していくべきかと考えている。しかし、そもそも、どれだけの人がこのページを読んでくれている、あるいは楽しみにしてくれているのか、よくわからないし、自己満足でやっていると思われるのも何だし、どうしたものかと迷っているというのが正直なところだ。


 そんな中で、「企業診断」の3月号に、「中小企業診断士のフロンティア」という特集が掲載されていて、「診断士村を飛び出した診断士たち」というサブタイトルで、要するに既存の中小企業診断士の枠から出て、独自の活動をしている人達を紹介している。5人の中小企業診断士の資格を持つ経営コンサルタント達が紹介されているのだが、そのトップバッターで私が紹介されている。取材は、昨年末に堀切研一さんというNPO法人などのコンサルティングや街おこしのコーディネーターなどをしている診断士が事務所に来て、3時間ばかり話を聴いてくれた。仕事に対する真摯さが、その言動から伝わってくる好人物だった。


 その記事の最後に私の個人サイトのアドレスが表記されていたので、この記事を読んだ人達が、このページを読むかもしれないと思って、慌てて更新をしているというわけである。記事の内容は、これまでこのページなどで再三語ってきていることと重複しているので、私を知っている人からすると「いつものことを言っているな」というふうにしか感じないだろう。でも、初めて私の論調に触れる同業者や受験者の人達には新鮮な刺激や示唆に溢れているかもしれない。つまり、私は「伝統的な中小企業診断士なるものを全否定し、それでも中小企業診断士の資格を持つ者として独自の活動分野=事業領域を切り拓いて来た、そして、そのことをいろいろな媒体で気づいてそれなりに評価してくれる人達がいて、今回の取材と掲載に至ったということだ。


 私のような不器用でビジネス下手の経営コンサルタントを、その道のフロンティアとして大々的に紹介してくれた、企画者の人達にまずは感謝をしたい。これまでだと、中小企業診断士で華々しく活躍している典型というと必ず出てくる吉田雅紀氏よりも先に、私を紹介してくれたことが、私にはとても面白い現象だと思うし、私のような者が注目をされるということ自体が、この業界やこの業界を取り巻く価値観の変遷を物語るものだといえなくもない。記事を読んでそう感じた人がかなりいるはずだと思う。


 それから、この特集のおわりに「ソーシャル時代の診断士像」という総括文を書いている、CSRコンサルタントの泉貴嗣氏にもこの場を借りて御礼をいいたい。中小企業診断士の現状や今後のあり方についての泉氏の指摘は、まさに正鵠を射ていると思う。中小企業診断士という資格を持っているというだけで「経営コンサルティングもどき」の「無責任な小銭稼ぎ」をやっている人達に対する痛烈な批判が展開されているし、それは、これまで、私もいろいろな場で言明してきたことと殆ど重なり合っている。


 そういうわけで、媒体は変わるかもしれないが、もう少しこういった情報発信を続けて行こうと思っている。少なくとも私の存在や活動の価値を認めてくれる人がこの世の中にいる限り、それを励みに経営コンサルティングを含む社会的な活動に参加していくべきだ。まだまだ白けている場合ではない。自分自身の自己実現への道はまだまだ遠いが、日々、やり残したことのないような生き方をとにかくしていかなければと思っているところだ。


 
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2012年1月15日 日曜日 11:30:51 「緊張感と危機感を持って・・・」
 正月明けの日々は、取りあえず平穏には流れている。それはあたかも年内に予測していた範囲の現象で収まっている様相だし、まずまずの1年のスタートだと思う。仕事始めは5日からで、翌日には、若手の中小企業診断士たちが当社の事務所に集まってくれて、鍋を囲みながら賑やかな新年会となった。先週は早くも仕事モードとなって、いろいろと案件が動く中で、適度な緊張感が漂い、いい感じになっている。我々の職種にはある程度の緊張感、さらには危機感が必要だ。剣道や居合道でいう「間合い」の凄みというものは、普段、どれだけの緊張感や危機感を持っているかで決まる。


 心配なのは地震である。東京湾や相模湾に鯨が無数に打ち上げられている現象は多分に地震の近い発生を想起させるものだ。そんなことがないことを願うのみだが、こればかりはどうしようもないところで、とにかく、一日一日を精一杯生きるしかない。その上で地震をはじめとする災禍がなかった時に、その積み重ねが奏功して、さらに充実した明日につながっていくのだ。だから、精一杯の努力はしなければならない。そういった、いい意味での刹那的ともいえる行動規範がこの時代には極めて重要なのではないかと思う。


 明確な死生観を持つことは、今日を精一杯生きようという刹那性につながり、それが連綿と続くことで人は成長していく。いい意味での諦観は積極的な達観になり、それが創造活動の源となっていく。自分で努力すれば変えられる部分、達成できる目標、実現可能な夢、そういうものに向かっていくことが大事だ。私の場合は、これから自己実現の世界に向けての階段を上っていく過程に入ろうとしている。その行動規範は、かなりの刹那性を帯びているが、とにかくいつでも前を向いて生きていこうと思っている。


 
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2012年1月15日 日曜日 11:30:51 「緊張感と危機感を持って・・・」
 正月明けの日々は、取りあえず平穏には流れている。それはあたかも年内に予測していた範囲の現象で収まっている様相だし、まずまずの1年のスタートだと思う。仕事始めは5日からで、翌日には、若手の中小企業診断士たちが当社の事務所に集まってくれて、鍋を囲みながら賑やかな新年会となった。先週は早くも仕事モードとなって、いろいろと案件が動く中で、適度な緊張感が漂い、いい感じになっている。我々の職種にはある程度の緊張感、さらには危機感が必要だ。剣道や居合道でいう「間合い」の凄みというものは、普段、どれだけの緊張感や危機感を持っているかで決まる。


 心配なのは地震である。東京湾や相模湾に鯨が無数に打ち上げられている現象は多分に地震の近い発生を想起させるものだ。そんなことがないことを願うのみだが、こればかりはどうしようもないところで、とにかく、一日一日を精一杯生きるしかない。その上で地震をはじめとする災禍がなかった時に、その積み重ねが奏功して、さらに充実した明日につながっていくのだ。だから、精一杯の努力はしなければならない。そういった、いい意味での刹那的ともいえる行動規範がこの時代には極めて重要なのではないかと思う。


 明確な死生観を持つことは、今日を精一杯生きようという刹那性につながり、それが連綿と続くことで人は成長していく。いい意味での諦観は積極的な達観になり、それが創造活動の源となっていく。自分で努力すれば変えられる部分、達成できる目標、実現可能な夢、そういうものに向かっていくことが大事だ。私の場合は、これから自己実現の世界に向けての階段を上っていく過程に入ろうとしている。その行動規範は、かなりの刹那性を帯びているが、とにかくいつでも前を向いて生きていこうと思っている。


 
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2012年1月11日 水曜日 9:11:22 「車内での過ごし方、読書+思考」
 今年最初の出張のため、東北に向かっている。新幹線の車内は静かで特に読書をするには最適の環境だ。時間的にも3時間くらいがちょうどいい。関西方面だと新神戸駅くらいまでである。今年もこういうパターンが多くなりそうだ。年々、歳をとっていくので、長距離の移動がしんどくなってはいくが、その分、移動中の車内での作業時間が増えるので、この時間をどう充実させるかが大きなポイントになる。昨年まではパソコンを欠かさず持参して資料づくりなどに勤しんでいたが、今年からはIpadが主力になり、それもまた最低限で本を読んだり、目を閉じて思索に耽るような時間が多くなると思っている。


 新幹線の車内等でしゃかりきになってパソコンに向かう姿は、少なくとも我々中高年には似合わない。また、重い荷物を抱えて走り回るのも同じだ。それなりの佇まいをもって活動をしていきたいと思っている。今年は、その佇まいたるものを確たるものにしていく嚆矢となる1年にしたい。これも自己実現への第一歩だと思うし、それは仕事の仕方における熟練度の向上にもつながっていくものなのだろう。もちろん、我々の商売道具である「言葉」というものを、さらに磨いて常に研ぎ澄まされたものにしておく必要がある。


 話は変わるが、ジャーナリストの佐野真一氏が書いた「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史上下巻 集英社文庫」という本を、年末に購入して、上巻を読んだところだが、非常に読み応えのある内容だ。いわゆる、基地や侵略といった大文字ではなくて地に足のついた小文字による表現で、骨太に素顔の沖縄を描き出している。私自身は3回ほど観光でしか行ったことがなく、知己もいないので、佐野氏のいう大文字のイメージしか持ち得なかったのだが、それでも、これまで断片的に接してきた沖縄に関する本能的ともいえる疑念について、この本を読んでその本質というものがみえてきた気がする。


 どこの地方・地域にも歴史があり、そこに人間が生活し経済活動をしている以上、その人間達が織りなす人間模様というものが、さまざまな創造や葛藤を生み出していく。かつては独立国家であった琉球が、江戸時代から現在に至るまで外部の思惑や駆け引きなどに翻弄されてきたのは周知のこと、でも、その中でむしろ強かに生きぬいてきた現地の人々の「生き様」に我々は思いを馳せる必要がある。そうしなければ生き抜いてこれなかった事情というものもあるだろうし、カオスのような状況を奇貨として成り上がった人達もたくさんいたのだろう。


 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。思考の常として、もちろん、水平的な広がりを意識するべきだとは思うが、「原因があって結果がある」という因果関係を歴史を学ぶことによって追究することの意義は極めて高い。いわゆる時系列的な思考と水平的ないし面的な思考が活着するときに、鮮烈な認識や閃きが生まれるのであろう。目の前の現象を現象としか捉えない思考回路からは、何の知恵も行動も生まれてこない。常に、掘り下げて本質を追求していくことが大事。その意味で、佐野真一氏のこの著書は格好の事例を提供している。良書との出会いは、かけがえのない価値を読み手にもたらすものだ。


 
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2012年1月1日 日曜日 6:37:22 「年齢相応の言動と自己実現への道」
 2012年の幕開けである。早く目が覚めたので自分の部屋でこれを書いている。静かな年明けになった。穏やかな時間を過ごせるのは、とても幸せなことで、そういう時には思索がどんどん内面に入っていく。自由な思索はとめどなく展開して、現実との境界線を超えたりもしながら、ある意味での理想郷に進んでいくのだ。人間は誰でも哲学者であり、思索の繰り返しがその深みというものを醸成してくれる。深く物事を考えない人間に哲学というものが身につくとは思えない。


 そこで、今年の展望だが、まず、行動規範として「
年齢相応の価値観と矜恃をもった言動、60歳代に向けた自己実現への第一歩を踏み出す」というものを掲げたいと思う。若干、長い文言になったが、今年は55歳になり、55歳といえばその昔、サラリーマンや公務員の定年の年齢だった。小学生の私からすると55歳の男性は父親よりも年上であり、「おじさん」というよりは「おじいさん」に近い存在だった。それから40年以上の歳月が流れ、いまの55歳が昔のそれとは全く違う社会的位置づけになっているとしても、やはり、55年生きてきた、そして還暦まで5年という年嵩をもって、それなりの言動をしていく必要がある。


 60歳になるということを近い将来の現実として、自己実現を意識する人がどれほどいるのだろうか。残念ながら、そういう高邁な言葉を発信する中高年に会うことはめっきり少なくなった。彼らから出てくるのは、それとは対極にある「俗っぽい」話題ばかりだ。曲がりなりに30数年間、ビジネスマンとして生きてきた蓄積や深みというものを、60歳を前にしたこの時期に醸し出して欲しいと思う。いわゆる「自己実現への道」である。ビジネスマンとしての仕上げの時期に差し掛かっている年代なりの発言や行動があってしかるべきだ。


 そういうことも踏まえて、今年は自分自身の自己実現に向かう道に一歩踏み出していきたいと思っている。おそらくそれ自体が行動規範になっていくのだろう。自己実現の具体の姿というもののイメージは、自分ではかなり意識をしているが、いろいろと取り組んでいく中で「まるで轆轤をまわして陶器を創作するように」形ができていくのだろう。いろいろな発露があるものと思う。


 老いをそれほど意識しているわけでもなく、かといってまだまだ若いというつもりもない。ただ、55年生きてきたという年輪からくる行動規範は持つべきだと思っている。それは、これまでの試行錯誤も含めて生きてきた時間の中で積み重ねてきたもの、抱き続けてきたものの集大成であり、おそらくは、人生を終える時にあの世に持って行ける唯一の「自分だけのもの」に進化していくものなのだろう。「自己実現への第一歩」、今日からそれを意識して行動していきたいと思っている。


 
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2011年12月31日 土曜日 16:55:59 「来年に向けた想い@大晦日」
 今年もあと数時間で終わり、1年間を無事で生きて活動できたことに感謝あるのみだ。健康状態もいい感じで新しい年を迎えることができることをまずは喜びたいと思っている。今年の初めの「原点回帰した上での点的思考と行動、ただ肩の力を抜いてということを1年間の行動規範にするとこのページに書いた。そして、何よりも健康管理を重視することも肝に銘じた。その行動規範を胸中に収めつつ、まずは思った通りの行動ができたと思うし、それなりの成果があった1年だったと自己評価しているところだ。


 若いときは、是々非々で生きたし、何よりも自分に嘘をつかないというのが価値観の根本にあって、それゆえにずいぶんと生きる上での苦闘を強いられたし、回り道をしてしまった感もある。一言でいってしまうと、うまく生きるということが出来なかったわけで、いまだにその傾向を払拭できずにバタバタしているところがある。それはおそらく学生時代からずっと続いているのだと思う。生き方下手はそれなりに生きていくしかないのだろうと最近では割り切っているというか開き直っている部分がある。


 でも、こんな私でもきちんと処遇してくれる世界があり、頑張れば正当な評価もしてくれるし、ありがたいことに好きな仕事をして食べていっていけているという実態が自分自身の心根を強くしてくれる。仕事に関してはまだまだ発展途上だが、信じるところをきちんとやっていけばやっていけるという自信があるし、そのためにも、健康管理をして先述のような行動規範で活動していかなければならないと思っている。


 テレビをみていると、「来年はいい1年になればいいと思います」と誰もが口を揃えるが、そもそも、行動や努力なきところに成果はないわけで、我々の人生もそう、他力本願で得られるものなどしれているのだ。主体的な行動には当然リスクが生じる。リスクを恐れて行動しない人間には僥倖は訪れない。リスクをとろうとしない人間が多すぎるのではないかと思う。自分自身は安全地帯にいて、他人にばかりリスクを強要するような輩もウヨウヨいる。


 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という諺は、もう陳腐化してしまったのか、「武士は食わねど高楊枝」もそうなのか。世相を俯瞰していると、生きるのが嫌になるような現象ばかりである。何かに心から感動することも少なくなった。これではいけないと思う。来年は年頭から心の洗濯をして、出来る限り澄んだ心で日々の物事に向き合っていきたいと思っている。


 
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2011年12月29日 木曜日 8:19:47 「いかにしてシンプルに生きるか」
 ノートパソコンを持ち歩かないようになって早や2週間、鞄の中がすっきりして軽くなり非常に快適である。一旦、こうなってしまうとそれが日常化して、パソコンを持ち歩くことが非日常化していく。長年の習慣のようなものが瞬く間に非日常化していくのは、不思議な感覚だが、しょせんはそういうものなのかもしれない。習慣と惰性は近接するもので、我々は知らず知らずのうちに惰性でもって行動しているケースが少なくない。


 もっとも、ノートパソコンに関しては、常に持って歩かなければという一種の「脅迫観念」があったのは事実、それが約14年間続いたということだ。ある意味の「呪縛」ともいえるが、自分自身のパラダイムの変換とipadという便利なものの出現で、その呪縛たるものから解放されることになったことを率直に喜びたいと思う。日々、目に見えて自分の成長というものを実感することが少ないだけに、形のある変化というものをことさら重く受け止める傾向がある。


 余計な荷物は出来るだけ持たないほうがいいと最近特にそう思う。身軽なのがベストだ。これから60歳代に向かう中で、少しずつ、計画的にいろいろな荷物、精神的なものも含めて、そういったものを極力減らしていくようにしたい。とにかく、余計なものを抱え込まないことだ。泣いても笑ってもビジネス人生は最長であと15年余り、自身の人生も20年あるかないかだろう。いずれにしてもシンプルライフを追求していくことにためらいはない。足し算よりも引き算ないし割り算の人生というのもありだと思っている。


 来年はさらにこのパラダイムを強くして、「物事のシンプル化」を推し進めようと思っている。いわゆる「断・捨・離」であるが、この中でも特に「捨てる」という部分を専らにしたいと思う。54年間の人生の中で普通の人よりも試行錯誤してきた分、余計な荷物を持ちすぎてしまった感がある。少なくとも還暦を迎える60歳までに、それらをすべて処分したいと思っている。それからは、出来るだけ新たな荷物を増やさないようにして、自分なりの「シンプルライフ」を過ごしたい。


 それともう1つ、来年に向け、心がけていきたいことは、「より質的なものの追求」だ。これは時代の要請でもあるといえるが、いたずらに廉価なものに走ったり、人為的な流行や仕掛けに踊らされたりしない生き方、ポリシー哲学のようなものが必要だ。質的なものの追求とは、すなわち生き方に関する哲学を持つということになる。それは、この国に住む人間に最も欠落している点でもある。自戒しつつ日々チェックしながら行動していきたいものだ。


 
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2011年12月16日 金曜日 8:55:49 「捨てることの重要性」
 50歳を過ぎてつくづく思っていることは、「余計なものを捨ててできるだけシンプルに生きていくという」ことだ。とにかく、これまでの「複雑系」の人生の中で背負いすぎたものが多すぎる。荷物はできるだけ少ない方がこの年齢には似合っていると思う。若い時ならば、たくさんの荷物をしょって動き回っているという「生き様」が似合うし、活気の証左にもなるとは思うが、この歳になるとその風景は違う見え方になってくる。


 1つの例を挙げれば、ノートパソコンである。初めてノートパソコンを買ったのは、確か1997年のことだったと思う。それ以来、歴代のノートパソコンを鞄に入れて持ち歩くことをずっとしてきた。実に14年間である。しかし、いつの日だったか、おそらく2年前くらいの時だったと思うが、新幹線の中で同年代の男性がノートパソコンを開いて脇目もふらずに資料を作っている姿をみて、「あまり格好良くないな」「我々の年代には、それなりの佇まいがあるのではないか」と感じたのが、こういうことを考える端緒だった。


 新幹線の車内で仕事をすることは、もちろんいいことだし、寸暇を惜しんで仕事に注力する姿勢はビジネスマンとしては当然というかごく普通のことであろう。私自身も独立してからはずっとそうだったし、そのことに対して疑問を持ったこともないし、むしろ、24時間頑張るビジネスマンというものを全肯定してきた。でも、その時にふと、格好良くいえば「本質的なこと」に気づいたのだ。


 仕事のことを24時間、頭の中で考える、思考を途切れさせない、という習慣は特に我々のような職業には不可欠なものだし、この職業に就いている限り、それは間断なく続いていくのだろう。いわば、職業的な宿命ともいえる。でも、それと実際に車内でノートパソコンで資料を作るというのは意味が違うということだ。特に最近、隣席でパソコンのキーボードを打つ音が耳障りに感じることが多くなった。デッキでの携帯電話もそうである。そろそろ、自分の気持ちに忠実に振る舞う時期に来たのではないかと、このところずっと考えていたところだ。


 いろいろと考えて、常に持ち回るのは「ipad2」と携帯電話だけにすることにした。これで、移動時の荷物を最小化することができる。メールとかインターネットでの諸手配もこれで事足りる。ipadならば音も出ないし、新幹線などで隣席の人に迷惑をかけることもない。携帯電話は必要最小限の使い方を以前からしていて、電車内では緊急時以外は出ないようにしている。我々の年代における情報化や移動形態のあり方をこれからも追求し続けていきたいと思っている。


 例に挙げたのはノートパソコンだけだが、この他にも捨てたり敢えて距離を置いたりするべき対象は限りなく多い。おそらくその最たるものが人間関係だろう。究極のシンプルライフを実現するには、まだまだ時間がかかるし、おそらくはビジネスの世界から身を引くまでは完全なものにはならないのだろう。でも、それを目指して日々改善の取り組みを続けていくことが大事だと考えている。


 
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2011年12月14日 水曜日 11:59:54 「自分なりの使命を遂行する」
 経営コンサルティングの活動を始めてもうすぐ13年になる。13年という年月はそれなりのものだが、私にとってのこの期間は、自分の人生の中でもっとも山谷があり、また、強烈すぎるほどのインパクトに満ちたものとなっている。それは公私にわたるものだが、想い出したら、気分が悪くなるくらい重いものばかりだし、できれば忘却の鉄箱に閉じ込めておきたいものが多い。


 どうしてそういう苦闘を強いられることになったのか。どうして、自分ばかりがそんな辛い目に遭わなければならないのか、自問自答し自己嫌悪に陥ったこともしばしばだった。若い時の苦労は買ってでもするべきだというが、私の場合はそれが40歳代の後半まで続いた。何がいけなかったのか、いまだによくわからないが、これでもかと押し寄せる現象の波に翻弄され続けたというのが正直なところだ。


 50歳を過ぎて、その波はさざ波になり、やがて凪となった。やっと私に平穏な時間が訪れようとしている。来年は55歳になり、60歳という「1つの折り返し点」がみえてくる年齢になる。いろいろなことがあったからこそ今があるという考え方も必要だし、「天は乗り越えられない試練は与えない」」ということもある意味真理だと思う。最終段階で後悔する人生だけは送らないようにしないといけないと思うし、これからの10数年間がまさにその時に向けた階段を登る期間に他ならないのだという実感がある。


 その中で、自分が果たすべき使命を自己認識し、日々の活動の中に同期させていく。自己実現という側面もあるだろうけど、社会と関わり合って生きていっている以上、そこからの要請といったものに応えていくことが「自分自身の社会的使命を遂行する」ということに他ならない。では、一体、その社会的使命とは具体的に何かということだ。それは、いま、私が関わっている森林・林業の再生かもしれないし、また、これからの日本社会を担う若い人財の育成だったりする。


 ここにきて、若手の経営コンサルタント(中小企業診断士)達が、私の論調に共感し、集まってきてくれるようになった。このサイトを立ち上げてもうすぐ13年、その他の媒体も含めて、いろいろなことを発信してきたが、それらを読んで共感し支持してくれる人達が、時間はかかったものの確実に増えてきているということに感謝をしたい。私のような愚かな者でも、その考え方や行動を理解し支持してくれる人達がいるという事実だけでも大いに励まされるのだ。そういった若い世代の人財に対して惜しみない支援をして、彼らと彼らが支援する企業や経営者の最大幸福がさらに大きくなることを願って、私なりの活動を来年も続けていきたいと思っている。


 
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2011年12月10日 土曜日 15:55:19 「師走に想うことの主たるものは・・」
 気がつけば12月も中旬になろうとしている。あと21日で今年も終わる。関東に活動拠点を移してから丸2年が過ぎ、こちらでの暮らしがすっかり板についてきた。そもそも、関西から東京に全拠点を持ってくるというのは、経営コンサルタントとして活動を始めた頃からの目標だった。つまり、その頃から全国展開を意識していたのだ。大阪市内に住んで和歌山市内に通っていた頃、ある先輩診断士に「私はいずれ東京に出て活動しようと決めています」と言ったら、びっくりしたような顔でみられたことがある。


 「関西でもろくに食えていないのに、東京進出を口にするなど論外である」といわんばかりの顔つきだったが、私にしてみれば、「この道に入った以上、頂点を目指すのは当然のこと、殆どの情報や資本、人材が集中している東京に向かっていくのは普通の発想だ」という認識だった。そんなにびっくりするような話ではない。でも、関西にいる同業者で東京への進出を企図したりする人は驚くほど少ないし、実際に実行する人は私の知る限り殆どいない。それほど関西というところは居心地がいいのかどうか、東京に対するコンプレックスが潜在意識としてあるのか、私にはよくわからないが、そういう傾向はあると思う。


 私自身、大阪や神戸、京都といったいわゆる関西の主要都市に、特段のしがらみがなく、また、思い入れもなかったことで、東京進出という「一大事業」を特段の迷いや障害もなく遂行できた。親の世話をしなければならないとか、家族が関西を離れたくないとか、そういうものは一切なかった。この点はラッキーというべきなのかもしれない。でも、そういったものは本質的な要因ではなくて、当初から東京に気持ちが行っていたのは、先述のように「この仕事で全国展開をするんだ」という想いがあったからだ。


 地域性ということにこだわり、地域に密着し、地域の中小企業者を懸命に経営支援していくという生き方は素晴らしいし、そういう経営コンサルタントがたくさんいて、食べていけるという実態こそが、地域の資産でもありパワーの証明にもなるのだと思う。でも、私はそういうことに縁がなく、一時期はそういうことも意識していた時期もあったが、ある時点で、特定の地域性を帯びない活動を志向するようになった。そして、林業という業種と巡り会い、その経営支援に専門化するようになって、その形が明確になっていった。


 1つの地域に特化する代わりに、1つの業界に特化したわけだが、かといって、自分が住む首都圏ないしは関東という地域を全く意識していないわけではない。来年あたりは、地域での活動というものを再構築してみようかとも思ったりしている。でも、それはビジネスとか、そういう範疇に入らないものかもしれないし、経営コンサルティングの枠外の活動かもしれない。自分なりの「自己実現」の一環になるような気もするし、そんなことを意識するような年齢なのだとも思ったりする。


 
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2011年12月7日 水曜日 19:09:00 「自分を時々客観視する」
 北海道・美唄で開催されている、北海道・森林施業プランナー研修で1コマを講義した帰りである。北海道の日帰りは出張は、体力的にもかなりきついのだが、今週は月曜日から宿泊出張となったので、4日連続、それも松山と北海道はきついと思って日帰りにすることにした。亡くなった学生時代からの親友の故伊住政和君が、生前「出張というのは、移動した距離に比例して疲れるものだ」とよくいっていたことを思いだしたりする。54歳、もう無理が利かない年齢なのかもしれない。


 このままだと、帰宅できるのが午後11時過ぎになる見込み、でも、北海道、それも札幌からさらに1時間くらい特急電車で移動したところに東京から日帰りできるなど、昔では考えられなかったことだ。講義の時間が90分、それに対して移動時間が自宅からだと往復10時間半である。明らかに、講義の報酬よりも交通費の方が高い。それでも、私を是非にと呼んでくれることに感謝しなければならない。とにかく、1回1回、精一杯やることだろう。今日一日を思い残すことのないように生きる、それが、極めて大事な行動規範だ。そして、それが明日の実りにつながっていく。


 今日、プランナー研修で喋っていて、ふと、自分を客観視することがあったのだが、その時、まさに気合いを入れて喋っている自分の後ろから、何か薄い光のようなものが差しているような感じがした。それは一体何だったのか、よくわからないが、私の全人格的な講義が独自の世界を創りだしていることで醸成された光景だったのかもしれないと、後から考えたりした。いわゆる「坪野劇場」である。私の一人芝居だとしても、その部分が一筋の光で浮き上がっている。この道に入ってからずっと「そうなりたい」と思って意識してきた世界である。


 何年もやっていると、そうなっていくものなのだろうか。人前で喋るということも1つのアートだと思う。それなりのストーリーがあって、あらかじめ設計し、現場でその空気を読んでカスタマイズする。そうやって、その日の作品というものを創り上げていく。今日の「コミュニケーション&営業能力」という講義の出来映えはどうだったのだろう。自分としては85点くらいはつけてもいいかなと思っているが、初対面の受講者の心にどう受け止められたのだろうか。


 いずれにしても、これからもっと味があって、大人の色気があり、深みのある、そして示唆に富んだ講演やプレゼンテーションをしていきたいと思っている。


 
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2011年12月5日 月曜日 10:29:05 「老いてなお看板に執着する人々」
 新幹線に乗って、岡山に向かう途中だ。ふと目の前のポスターをみると、「貴社の経営が変わる この男たちの人脈とノウハウが変える」というキャッチフレーズが目を引く。そこに元ソニーの副会長だの元NECの副社長だの、元トヨタの副社長だのという人達の顔写真が並んでいる。中小企業向けの顧問斡旋会社のポスターだとほどなくわかった。


 それにしても、大企業の元役員がよくもまあ、元の看板と顔写真をよく人前に晒すなあと鼻白むのは私だけだろうか。人脈?あくまで現役時代のものであろう。オーナーならばいざ知らず、サラリーマン役員の人脈はすべて会社の経費や取引等の活動で培ったものであり、基本的には会社に帰属する「無形資産」である。それにノウハウというが、それらはあくまで、その会社だけで通用するものであろう。


 その顧問斡旋会社のビジネスだと言い切ってしまえばそれまでだが、そんなものをみて顧問の斡旋を申し込む中小企業なりの経営者が本当にいるのだろうか。三顧の礼をもってそういった「大企業上がり」の人達を迎え入れる企業がどれだけあるのだろうかと、疑問だらけである。そもそも、大企業出身者には中小企業独自の苦しみとか痛みとか、悩みを真の意味で共有することは不可能だと昔から思っている。それに、大企業でのノウハウは、中小企業に殆ど役に立たないことも、私なりの経験値の中で実感していることである。


 経営資源が圧倒的に足りない、それが中小企業、そのことは長年、中小企業に接してきて痛いほどよくわかっている。だから、大企業出身者がそれを補ってあげるのだ、という論調が基本的に間違っていると思う。その前に、そういう考え方自体が大企業寄りの「上から目線」であり、中小企業の経営者との意識の乖離を踏まえないものだ。中小企業をバカにするなといいたい。その勢いでいうと「老兵は死なないが消えゆくのみ」であって、昔の看板を使って、商売をしようとするなど、仮にも大企業でトップを張った者のすることではないと思う。


 こんなのが横行する要因の一つとして、中小企業専門の経営コンサルタントが、これまでまともな仕事をやってこなかったということがある。中小企業診断士の資格を持つ者として忸怩たる思いだ。診断士の世界も蓋を開けると、大企業のリタイア組がその多数を占めていて、構造的にはくだんのポスターの仕組みと同じなのだ。中小企業者の苦しみや悩み、彼らの悲痛な叫び、希望に応えてきたのか、そうでなかった結果が「金儲けのために中小企業を出汁にするような」ビジネスの横行を招いているのではないだろうか。

 新幹線内のポスターをみながら、抑えきれな憤りと哀しさ、やり切れなさを感じている。でも、私は私なりに中小企業者のために精一杯やってきたし、これからも変わることはない、真のメンター、助言者は自分たちだという自負を持っている。そのことが唯一の救いであり、自分自身を動機づける要因になっている。そして、今日も彼らのために奮闘しようと思っている。今日は、愛媛での経営診断報告会に臨む。頑張ってきたい。


 
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2011年12月3日 土曜日 21:38:45 「今日を精一杯生きるだけ」
 昨夜の東京駅界隈は、いつもよりも明るい雰囲気が漂っていた。構内を行き交うビジネスパーソン達の表情も何となく明るい。何故だろうと考えると、ボーナスが出たからだということに気がついた。ボーナスはサラリーマン及びその家族の最大の楽しみといって過言ではない。年末年始の旅行とか、以前から楽しみにしていた買い物とか、ボーナスをもらって不機嫌になるサラリーマンはまずいない。


 私にもそういう時代が13年間あった。もっとも、最後の2年間はボーナス支給がなかったが、それでも、10年余りは人並みに平和なサラリーマン時代を過ごすことができ、それはそれで有意義だったと思っている。でも、その記憶もどんどん薄れ、モノクロームの世界になっていく。色褪せていく記憶や想い出のコンテンツは、時々、眠れぬ夜の浅い夢の中で再現される。そういった類の夢をみることも、最近では楽しみの1つになっている。


 サラリーマン時代はいざ知らず、独立してからは楽な生き方など一切なかったし、それは今もそうだし、これからも同じだろう。明日のことなど杳としてわからないし、1ヶ月先のことを予測することも虚しいほど、不確実で移り変わりの激しい世の中になっている。そういう中で、自分を保ち、自分らしく生きていくためには、とにかく今日一日を精一杯生きるということに尽きる。基本的に明日は今日を通過しない限り来ないし、未来は今日と明日の集積である。だからこそ、今日が一番大事だということになる。


 我々の国、日本には明日があるのだろうか。甚だ心許ない命題だ。あれこれと考えると嫌になるので、この国の未来については極力考えないようにしている。こういった時代には、ある意味「刹那的に生きる」のも1つの見識ではある。それは今日を精一杯生きるということと同義だ。やり残したことをできるだけつくらない生き方、今日できることは今日やる、明日やるべきことで今日できることも今日やる、夜、眠りにつくときに積み残しているものができるだけ少ない方がいい。


 金額の多寡はあるかもしれないが、ボーナスをもらったサラリーマンの人達は、それによって明日やその次の日を頑張ろうというエネルギーのようなものが増幅されたのだろうか。34歳の時から20年間、ボーナスというものに接していない私にはそれがイメージできない。ボーナスというものの存在理由自体さえよくわからないし、サラリーマン以外の人間にはしょせんは遠い存在なのだと思ったりする。


 先行きが不透明な社会におけるキーワードの1つとして、先述の「刹那性」を私は確信をもって挙げたいと思う。明日のことを特段意識せずに、今日を精一杯生きることから、その人の充実感たるものが醸成されるし、ストレス社会において生き抜いていく基本的なあり方、佇まいとしての「刹那性」というものにも注目すべきだし、端倪すべからざるものだとするべきだろう。というわけで、今日が終わり、明日という今日を精一杯生きていきたいと思っている。


 
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2011年10月21日 金曜日 21:31:16 「自分なりのマイル・ストーン」
 石川県から越後湯沢経由で帰る新幹線の中である。昨日、金沢に前泊のはずだったが、途中で人身事故とのことで、急遽、大宮から帰宅し、今朝早く出直した。人身事故とはすなわち飛び込み自殺である。迷惑千万とは思うが、そういう世の中に生きている巡り合わせをこういうときに実感するのだ。だから、怒ってばかりもいられない。こういう社会で、それでも生きていかなければならないという現実に思いを馳せることになる。


 「何もしないこともリスクヘッジの1つ」とはよく言ったもので、そういうこともあるかもしれないと思ったりする。妙に他人と関わらないことでストレスを回避できるというのも一面あたっている。困った社会状況になったものだとつくづく思う。そういう中で「自己実現を図る」ことなどできるのだろうかと考えたりすることもある。いいことが今後続いていくという希望の連鎖が、今を生きる勇気を与えてくれる。そして、生きていくためには何らかの当面の目標=マイル・ストーンが必要だ。


 私自身の目下のマイル・ストーンは、自分自身も関わっている「森林・林業再生」という大プロジェクトの推移をリアルタイムで見守りつつ、その実現に向けた自分の役割を十二分に果たして、その結果を見届けるというものだ。時間的には平成32年、2020年である。これから9年間、そこに向けた活動が連綿と続いていく。そして、そういった仕事の部分と軌を一にして、自身のプライベートな部分でも一定時期のマイル・ストーンを描いている。


 しかしながら、自分の行動規範は相変わらず「今日を精一杯生きる」というある意味刹那的なものだ。そこには、明確な諦観ないし達観がある。でも、命がある以上、日々の生き様というものを充実させていかなければならない。自分が最も納得する生き方をすること、妙な妥協をせずに自然体で生きていくこと、大事にしなければならないものとそうでないものを峻別すること・・・等々、50代も半ばになってくると、どんどんそういう思考回路になってくるのだろうか。


 
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2011年10月18日 火曜日 18:04:34 「やはり今日を生きる」
 調査の案件で久しぶりに静岡県・天竜地域に行った帰りの新幹線の中、麦焼酎の水割りをのみつつ、いろいろと自由な思索を楽しんでいる。思いはついつい過去に向かいがちであるが、過去のことに嵌ってしまうとろくなことはない。嫌なことを想い出して気分が悪くなるだけだ。それに、いいことがあったとしても過去には二度と戻れないのだ。我々には今を生き、そして未来を生きているしかないのだ。


 東京にいても地方に行っても、「閉塞感」というものを接する人々からストレートに感じる、それは私だけではないだろう。閉塞感が蔓延するかぎり、そこには希望というものは存在しない。明日への希望、明日がきっと良くなり、自分たちにもいいことがある、努力ををすれば必ず報われるという希望がないと人間は前に進んでいかない。今の日本社会はそういった希望を持ちにくい「閉塞感が溢れた社会」になっている。


 そうはいいながらも、我々は今日を、そして明日を生きていかなければならない。例え、希望がない社会であっても、そこに何らかの「生きる意味」を見出して、それなりの充実感を持って生きていかなければならない。おそらく、それは誰かが与えてくれるものではなくて、自分自身でみつけていかなければならないものだろう。そのことは、この国の国民全員に突きつけられている命題であり、私なんかもこの歳になってますます実感していることなのだ。


 自分の身は自分で守っていかなければならない、自分の家族もそうである。それは都会であっても地方でもあっても同じ、すなわち「自己責任社会」である。他人をあてにせず、それを所与のこととしながらも、共生社会を目指しているという矛盾を孕んだ生き方が希求されるのだが、シンプルに考えると、まずは自分自身がしっかりとした「人生観」を持つことだ。誰かに依存する「飼い慣らされた犬」になるのではなく、少なくとも「精神的自立」は果たしていくべきだ。それが、成長なき成熟社会に生きる行動規範になるのだろう。


 
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2011年10月14日 金曜日 16:27:02 「緩やかに週末に向かうとき」
 6日ぶりに帰宅する新幹線の中にいる。日曜日は大学のクラブのOB会で翌日は京都市内を散策、火曜日から4日間、京都・日吉町での研修だった。出張疲れがピークに来ているが、私が関わっている集合研修が一段落して、いくぶんホットしている部分がある。今回も私なりのベストを尽くしたという実感があって、ほどよい充実感をおぼえつつ、帰路についている。


 アーモンドチョコをつまみにして、赤ワインを味わいつつ、好きな音楽を聴く・・私が好きな時間である。いま、名古屋だから品川までしばらくその時間が続く。誰にも邪魔をされない自分だけの時間だ。自由な思索がそこにはあって、私は自分だけの世界に浸りきるのだ。まるでそれは長かった出張とその案件に全力で取り組む自分自身に対する報償のようなものだといっていい。


 明日はしっかりと休養をとろうと思う。明後日の日曜日も資料作成はあるが、ほぼ休養に充てるつもりだ。小さな私の部屋もずいぶんと散らかっているので、一定、片付けをしなければならない。その上で、読みたい本もかなり溜まっているので、この週末に読書に耽溺する時間も十分とりたい。もともとが「読書おたく」である。本を読んでいなければ、あるいは本に囲まれていないと落ち着かない人間だ。


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2011年10月11日 火曜日 12:35:12 「出張の合間に」
 昨日は学生時代や社会人の数年間を過ごした京都市内を散策した。昨日の京都は汗ばむような陽気になり、4キロほど歩いたらかなり疲れた。でも、その道すがら、学生時代に遡っていろいろなことを想い出したり考えたりする機会になった。楽しいことも多かったが、そうでないことも同じくらいはあった。京都というところは学生が住んで生活するには非常にいい環境のところだと思うが、社会人としてあるいはビジネスマンとして活動する段になると難しくそれなりの世渡りをしていかなければやっていけない風土をもったところだと思う。


 社会人としてのスタートは京都の放送局だった。報道記者を5年、営業職を8年やった。あのまま、その会社に勤務していたらどうなっていたのだろうと昨日、その会社、KBS京都の近くを歩きながらそう考えていた。あの倒産騒ぎさえなければ、おそらくずっとそこにいた可能性が高い。もともと、私は教員の家の出て、安定志向というか組織への帰属意識の高い人間だった。その教員になりそこねて進路を変えて就職したのがKBSだった。36歳でそこを依願退職するということは当初の想定には全くなかったわけである。


 放送局に就職した者は、通常、途中退職ということを想定はしない。定年までずっといるということを前提にビジネスライフを描くのであろう。しかし、私は結果的にそういうものに背を向けて、自力で生きていくという「最も困難なプラン」を選択した。京都はそのスタートとなった地でもある。大いなる大志と不安を抱えたまま独立という道を選んだ36歳当時の私は、やはり京都の街角を歩きながら一体何をどう考えていたのか・・そういうことを想起して、そしてその後の人生を振り返った時に、何ともいえない気持ちになった。でも、過ぎ去った時はもとには返らないし、時計の針はさか回りはしない。


 夕方、ホテルの部屋に戻って、近所のコンビニで買った「神の河」をちびちびやりながら考えたのは、ここまで必死で生きてきて、今があるのは事実、とにかく今が大事でその次に大事なのが未来、そして過去という位置づけであるということ。一昨日の大学のクラブのOB会とかもそうだが、たまには過去を振り返ることもいいが、そのこと自体は現在の前向きな活動には直結しない。とにかく今を生きること、そしてそれを未来につなげていく連綿とした営みが続いていく、それが生きるということなのだと。


 7週間連続で宿泊出張が続いており、かなり疲れが蓄積している。疲れがピークに達すると睡眠のリズムもおかしくなってくる。そろそろ、休みなさいというサインともいえる。昨夜はビジネスホテルのベッドということもあって、寝酒で焼酎をのんでもよく眠れなかった。今回の出張が終わるのが金曜日だから、翌日の土曜日と日曜日は自宅でゆっくり休養したいと思っている。休養といっても、ただソファに横になっているのではなく、近所の公園を散策したり、駅前の商店街に出かけていったり、ゴルフの練習場に行ったりといろいろと体を動かしながら、出張で疲れた体をほぐしヒートアップした頭を休めるというパターンである。


 疲れがたまってくると1時間話すだけでもかなりのエネルギーを消耗する。そしてまた疲れが積み重なっていく。疲れが溜まりすぎると回復するのに時間がかかる。少しの時間しか休養できなければ疲れを蓄積させたまま、そしてエネルギーを充填できずに、また、仕事に向かうのでさらに疲れるということになる。まさに悪循環である。そうならないために自己管理が必要、まずは休むことである。今を生きるということの中には、適度な休養をとりながら前に進んでいくという行為も含むのだと思う。


 しょせんは生身の人間だ。いつも一定の体調だということはあり得ない。気力だけでは体力をカバーできない。気力もやはり旺盛な体力がカバーするのだ。持続可能な活動は常に健康で一定の体力が保持できていることが前提となる。金曜日の夜、帰宅し土曜日の朝目覚めたときにすっきりした気分であれば、月曜日からの持続可能な活動が担保される。これは今週における私の重要なマイルストーンである。


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2011年10月10日 月曜日 7:33:13 「33年目のOB会」
 昨日、京都市内のホテルで学生時代に私が創設した「同志社プロレス同盟(DWA)」の第1回OB会総会が開催された。後輩有志が開催の労をとってくれて創設33年にして初めて公式のOB会を開催する運びとなったのだ。1976年度生から現役生まで50人余りが参加、世代を超えた邂逅がそこにあった。まるで夢のような光景が目の前にあり、学生時代のことはすでにモノクロームの世界になっていた私自身も年甲斐もなく興奮を抑えきれなかった。


 私が京都の同志社大学文学部文化史学専攻に入学したのが、今から34年前の1977年4月のこと、最初の1年間はキャンパスの空気に馴染めずアルバイトに明け暮れたが、2回生になった1978年4月に英語の授業の時に生涯の友人となった千政和君、のちの伊住政和君と知り合った。その際、お互いにプロレスファンということがわかり、私が「プロレスの実技を実際にやるクラブを創りたい」ということを提案すると、彼が「オレが協力してやる」と言ってくれて、その2ヶ月後にDWAが誕生した。


 以来、33年余り、このクラブは生命力をもって歴史を刻んできた。いまや、大学の公認サークルとして活動を続けている。OBも累計で150人から200人くらいはいるだろうということだ。今回のOB会発足を機に、世代を超えた新たな交流が生まれることを期待している。昨夜も各自の自己紹介の中で、DWAに入部し活動したことが自分の人生の方向性に大きな影響を与えたという声がかなりあった。体育会とはまた違う味がこのクラブにはある。


 創設者である私と千政和君の友情と交流は、社会人になってから2003年2月に彼が44歳で逝去するまで続いた。彼との25年間は私にとっての宝だったし、これまでの人生で一番嬉しかったことは彼と出会ったことで、最も悲しかったことは彼を失ったことだといって過言ではない。でも、いまは彼の分まで頑張らなければと思って日々奮闘している。私が常に前を向いて新しいン何かを切り開いていくという行動規範は、学生時代に彼と出会ってから培われたのだということを昨日、再確認した。


 今日は京都・大徳寺にある彼の墓前にOB会発足の報告をしにいこうと思っている。私自身の活動に関する報告事項もある。今年の命日はどうしても都合がつかなくてそこに行けなかったので、今日はゆっくりと積もる話をするつもりだ。


 創立33年にして初めてのOB会は、まさに夢のような光景だった。伊住君と私の一期一会の出会いが、このクラブを産み出し、そこからいくつもの出会いや交流が創出された。その塊が昨日、想い出の京都に結集したのだ。そこには懐かしい顔がいくつもあった。学生時代は自分の判断で自由にしたいことができる唯一の期間である。同志社大学のいいところはその自由を公認しているところだ。「ルールを守った上での自由」それを私と千君はクラブの基本理念とした。そして、それがいまもなお、私の活動の原点であり、これからもそうなのだろうと昨夜、ノスタルジックなエネルギーに溢れた場所でそのことをしみじみと噛みしめたのだ。


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2011年10月5日 水曜日 8:25:24 「鏡に映った自分の姿に」
 先週土曜日のこと、日本橋の事務所に出て打ち合わせをした帰り、地下鉄に向かう道すがら、ビルの1階にあるショーウインドに映る自分の姿をふとみる機会があった。いわゆる自身を客観視するということだが、印象的なことが2つあった。1つは白髪が増えて年齢相応かそれ以上にみえるということ、2つめが2年前くらいと比べてずいぶんとスリムになりスーツが似合うようになったということだ。要するにそれなりに歳をとりながら見栄えもすっきりしていているということになる。かつての「いかつさ」のようなものはだんだんと影を潜めていっているといっていい。


 今の首相と同じ年齢ということもある。かつて安倍晋三氏が総理に就任したとき、私よりも3歳年長だったこともあって、いよいよ、同世代の人間が社会の中心になっていくという思いを強くしたものだった。しかし、その後、麻生太郎氏、鳩山由紀夫氏、管直人氏と旧世代や団塊世代の総理が続いて、世代交代はしばらく先になるのかと思っていたところに昭和32年生まれの野田総理誕生となった。対峙する自民党の方も、石破氏や石原氏など同世代の人達が前面に出てきている。


 社会人になって30年余り、曲がりなりにビジネスマンとしてやってきた。サラリーマンとして13年、その後、独立事業者や起業家、経営者、経営コンサルタント等として17年間余り、自分としては真剣に生きてきたつもりである。その上で54歳になった現在、自分という存在は一体何なのか、社会の中でどういう機能を果たしどういう価値を持っているのか等々、自問自答しながら活動する日々である。森林整備・管理には将来のあるべき姿を描いてそこに向かう間伐等を行っていく「目標林型」という考え方がある。同じように私自身の究極の目標を設定し、そこに向けた活動をしていくことが重要だと思っている。


 時間軸としては、まず60歳までの6年間をどう生きるかということ、そこにまず短期的な目標があり、それに伴う手段や条件があるべき。実はその辺の段階で70歳時に設定しているビジネスの現役引退という節目があり、その時点での自分の姿というものが最終目標となり、それは60歳から10年かけて構築していくものなのだろう。いずれにしても、私に残された活動時間はそれほど長くはない。あるいは、その16年間さえ保証されたものではなく、厳密な自己管理やリスク管理等が遂行されてこそ結果的に全うできるものだといえる。


 気がつくと、誰に対してもぞんざいなものの言い方をしなくなった。言葉は常に定義しながら発するようにしている。理解されなければ、また受容されなければコミュニケーションツールとしての言葉を使う意味がない。その意味では私という人間はかつてのような毒舌や奇抜なことをいわない、「硬いことばかりいう中高年」になってしまったという感を拭えないが、自分自身としてはそうではなくて、私なりの本音の部分や正義感、価値観といったものは、どんどん内在化していっていると思っている。歳をとるということは、つまりそういうことなのだということなのだろう。


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2011年9月29日 木曜日 18:05:57 「北海道、体感する秋」
 北海道での研修が終わり、旭川空港で東京行きの便の時間待ちをしている。人気(ひとけ)のない静かな時間だ。東京に着くのが午後9時半で帰宅するのはそれから1時間余りのことになる。8月末から毎週、宿泊出張が続いているのでさすがに疲れてきたが、自分のペースを堅持しながら活動しているのが奏功しているのか、以前のようにどうしようもない疲弊感をおぼえることはなく、元気でやっている。


 旭川の昼間の気温が19度で秋もののジャケットがちょうどいい気候だ。東京近辺にいるよりも一足早く秋を体感している。湿度も低く街を歩くと非常に快適でもう1泊してゆっくりしていきたい気持ちになるが、そうもいかない。早めに空港に来てラウンジでこうしてパソコンに向かい、せめてゆったりした気持ちでいられるだけでもいい身分だと思わなければならないのだろう。イヤホンで好きな音楽を聴きながらあれこれ思索に耽る時間も味わい深い。


 こうして元気でまたビジネスにおける現役として迎えることのできる秋はあと何回なのだろうかなどと考えたりする。この年齢になると、とにかく引退の時期から割り戻して物事を考えるようになる。70歳で引退するとしてあと16年、この期間が長いのか短いのか、いずれしてもそれだけしか私に残されたビジネスタイムはないのだ。この期間を無為に過ごすことは犯罪的だとも思う。でも、ただ仕事に追われるだけの過ごし方も不本意だ。


 何だかんだと言っているうちに、きっと60歳代に突入するのだと思う。そうなるともはやリタイアまでのカウントダウンが始まる。そこからビジネスにおいて新しいことにチャレンジするできるわけでもなく、その必要もなく、ただ、それまでに築き上げたものの延長線上で「ビジネス人生の終楽章」をいかにして美しく奏でていくかということに向かっていくのだろう。


 今日を生き、それが明日につながり、未来に連なっていく。そこに希望が生まれて生きていく活力源となる。少なくともこれまではそうしてきた。でも、その繰り返しは永遠のサイクルで続いていくわけではない。期間が決まっているのであれば、その範囲内でいかに残りの人生を充実させるか、輝かせるかということに尽きるのではないか。そんなことを秋に向かう北海道で考えている。


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2011年9月10日 土曜日 21:39:15 「微笑と目礼と傾聴」
 最近は努めて常に微笑を絶やさないようにしている。怒り顔よりも微笑み顔の方が印象がいいだろうし、この年齢にも合っていると思う。もちろん、厳粛な場面ではそうでもないのだが、ベースはそういうことにしている。重要なのはその微笑なりが自然なものになっているかどうかということだ。


 それとパーティーなどで知り合いの人に会ったら、まず目礼をして会釈をするということも励行している。その後でタイミングをみてじっくり話をすることになる。アイコンタクトというかこの目礼はさりげない行為だが、かなり重要だと思っている。話をするときには、まず、相手の話をきちんと聴く、つまりは傾聴を心がける。微笑と目礼と傾聴、この3点セットでコミュニケーションはかなりの部分で良好になるだろう。


 今日もプロコン育成塾の会合で話をしたのだが、私も50代半ばになり、人間がすっかり円くなったようだ。「貫禄がつきましたね」と久しぶりに会った人から言われたが、そういう年回りかもしれないし、少なくとも相手から「信頼に値する」という印象を持ってもらわなければ仕事にはならない。特に言葉遣いには留意しなければならない。私はそういう職業に就いているのだし、現役を引退するまでは自分自身を磨き続けていくのみだと自らに言い聞かせている。


 懐かしい人達との再会と交流、そして新たな出会い、過去と現在が交錯するなかで、とにかく「今日」を精一杯生きていこうと思う。「微笑と目礼と傾聴」を続けながら、自分らしく生きていくことができたら素晴らしい。


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2011年9月9日 金曜日 9:31:14「現実をあるがままに受け入れて生きる」
 出張が毎週続き、その移動中にいろいろと物事を考える日常となっている。もともとが決まったところを往復するというスタイルにどうもなじめない。企業の内勤という事務職や研究職というような職種は全く向かない。でも、サラリーマンを13年間曲がりなりにもやったのだが、組織の中で働くことに向かないということではなかった。むしろ、個性は強いが組織人間としては良質の方だったと思ったりもする。ただ、不幸にして会社を辞めざるを得ない状況になってしまい、36歳の時から私の「漂流」が始まった。


 幸いにして、いまの日本社会は基本的に自由度の高い社会である。ただ、それは企業社会とか組織を離れたらという前提においてである。つまりは「糸きれ凧状態」である。すべてが自己責任、他人の都合に翻弄されても、結局は自分で責任をとらなければならないというのが独立事業者の定、でも、辛いことと楽しいことのどちらが多いかといえば、後者だと言い切ることができる。そもそも、そういう人生を選んでしまったのだから、楽しいことが多くなるようにしていかないとやってられないというのが本音のところだ。


 放送局を辞めて独立してから今年で丸17年になる。よくもまあ、しぶとく生きてきたと思う。もともとが教員の家の出なので、ビジネスの素養があるわけではなく、むしろ金儲けの部分では不器用な方である。民間企業の世界でも務まっていくかどうか怪しいのに、他人様に経営を説いて、それで飯を食っていくなど無謀も甚だしい行為だと客観的に思ったりする。普通の感覚では「あり得ない選択」であろう。でも、私はこの職業を選択し(これしか選択肢がなかったのだが)、すでに17年間余りにわたりこの世界で生きてきた。


 「生きていくというのは基本的に闘いの連続である」と実感をもって思う。楽で平和な生き方ができればそれはそれで結構なことなのだが、そんな生き方はこれまでできなかったし、おそらくこれからも無理だろう。でも、自分でこういう生き方を選んだのだから、どんな厳しい状況に遭遇しても、それをみだりに他人のせいにしたり、その現実から忌避したたりしようとは決して思わない。現実には向き合わなければならないし、必要があれば闘いに直面することも覚悟している。自立と自己責任は一体のものだ。


 それと「平和」が最初から与えられているわけではない。平和は「血で贖うもの」「勝ち取るもの」である。一度も闘わずに平和だと思っている人間は、現実を受け入れずにそこから逃げているだけの愚者だといってもいい。人間が複数いてそこに人間関係がある限り、葛藤が発生し、その葛藤を解消するために闘いが始まる。これは自然な成り行きであり、我々はこれをあるがままに受け入れて、自分が生きていくために対処していかなければならない。脇に差した「白刃」は、無闇矢鱈に抜いてはいけないが、もしもという時には使えるようにしておかなければならない。


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2011年9月6日 火曜日 16:12:59 「台風の爪痕、教訓」
 台風12号がもたらした被害は甚大で、私の実家がある那智勝浦町の名前が全国ニュースで報じられるたびに、知人から電話がかかり、「大丈夫か」ということだった。私の実家は幸いにして被害は殆どなく、断水になった程度でそれ自体は安心したのだが、町はかなりの被害を受けている。とにかく雨量が半端ではない。もう日本、特に本州の夏の気候は亜熱帯化しているのではないかという認識に立たなければならない。あの雨の降り方はスコールそのものである。これまで想定された雨量を前提としたインフラでは処理しきれないものすごさがある。


 猛暑もそうだが、気候が変質していきていることが明白な以上、我々はそれに応じた生活やビジネスのあり方を模索していかなければならない。農産物もそうである。エネルギーについても同様だ。四季がなくなって夏と冬の二季化になってきているという現象を踏まえるならば、1年間の生活パターンも大きく変わらざるを得ない。夏にスーツを着てネクタイを締めるなど、もうあり得ない行為だし、食べるものだっておのずと変わっていくのだろう。生活パターンが変わってくると、人間同士の関係性も変質するだろう。文化もそうである。


 リスク管理、危機管理の考え方や行動様式も変わる。ライフラインのあり方もおのずと見直さなければならない。インフラの部分を改善していこうとすると莫大な費用が必要になる。また公共工事かということだが、そうではなく、国民の安全と安心、経済活動等をきちんと守っていくために必要な再投資は実行していかなければならない。それはまさに英知を結集した取り組みになっていく。国民の命が最も大事である。それを守っていく事業も重要だ。「生きてこその諸活動」ということになる。


 大自然の猛威の前には人間はなすすべもない。ただ、うな垂れて立ちすくむだけである。でも、営みは続けて行かなければならない。どん底に落ちてもなお前を向いて這い上がっていかなければならない。それが次の世代に向けた繁栄や充実の基盤となっていく。先般の大地震は東北の人達の人生を変えてしまったし、一昨日の台風12号もそうである。でも、どん底の中からまたあたらな希望が生まれてくる。その希望こそが明日のこの国を造る原動力になるのだ。


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2011年8月30日 火曜日 8:52:55 「初秋の空気の中で」
 長く厳しかった夏が終わろうとしている。今月は特に長く感じた。盆前の出来事が半年前のことのように思ったりする。いつの間にか新しい総理大臣が誕生しようとしていて、野田代表は、昭和32年生まれで私と同年齢である。昭和30年代生まれの総理大臣は初めて、いよいよ、我々の世代が社会のリーダーになっていく、そういう年回りになったという実感を持っている。その意味では同時代を生きている同世代が頑張っていくのだから、私も「もう歳だから」とはいわずに、いましばらく踏ん張ってやっていきたいと思う。


 そうかと思うと、同じ昭和30年代生まれの島田紳助が暴力団との交際で芸能界引退の報、いまさらそんなことでとは思うが、以前、女性のマネージャーに暴力をふるったときにさっさと引退するべきだったのだ。周囲が過度に甘やかすから増長する。自分が業界や社会を動かしているというような錯覚に陥り、立ち居振る舞いが横柄になる。もともと教養がないので、どんどん品性が卑しくなるというわけである。


 もっとも嫌いなタレントの一人がテレビなどから姿を消すので、テレビに対するアレルギーがちょっとは緩和されると思うが、テレビから離れてずいぶん長い時間が経ち、テレビがなくても問題なく生活できるパターンになっている。テレビをみない分、活字や音楽に親しむ時間が増えて、それは自分にとっては大きな意味を持っている。


 野田総理がどういう組閣をして、どういう政策を打ち出していくのか、関心はなくはないが、前にも書いた通り、政治には何らの期待もない。この国では自分のことは自分で責任を持ってやっていくという「自己責任原則」に基づいて生きていくべきだ。誰かをアテにして、誰かに依存して生きていくという行動規範はあり得ない。自分を取り巻く周囲の動静をきちんと観察し、予測し、行動していくこと、それは、少なくとも子供や一部の社会的弱者を除く全ての国民に求められていることだ。


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2011年8月24日 水曜日 6:57:12 「出張シリーズに入る
 昨日から群馬県の多野東部森林組合で開催されている「ステップ・アップ研修」に来ている。この研修は平成20年から始まった林業事業体の経営管理層や現場技術者を含む集合研修で、私はその講師としてカリキュラムの検討から関与してきた。これも含めて今週から9週間連続で2泊3日程度の宿泊出張が入っている。それに日帰り出張が毎週のように入ってくる。


 この出張シリーズが一旦終わる頃には秋もかなり深まっているのだろう。幸い、体調がいいので無理をしなければ何とか乗り切れそうな感じだ。体重も待望の80キロを切る直前まできており、フットワークも軽くなっているので、むしろ、この出張ラッシュを楽しむというようなスタンスで年末まで頑張りたいものだ。


 今年はどうも下期に仕事が集中しそうで、まずは来年3月まで走り回ることになる。きちんとした仕事が一定量あるというのは本当に有り難いことで、そのことは、今月から主宰している「プロコン練成プログラム」の中でも何度も強調していることだ。我々、プロコン(プロコンサルタント)にとって、最も大事なスキルは「仕事を獲る」というもの、「診る、書く、話す、聴く・・」とか、そういうのは、仕事を獲ってから必死でやれば何とかなるものだ。まずは、仕事を獲るということに最優先で我々は取り組んでいかなければならない。


 今年の盆は事務所も4日間休みにして、自宅周りで過ごした。良書を何冊か読むことができたし、それはとても充実した時間だった。50歳を超えると時間の経過という感覚が40歳代とは違うし、おそらく30歳代の時の倍以上に体感するようになる。それで、これもあれもやらなければならないという「焦燥感」に日々苛まれることになる。でも、達観ということで捉えると、誰でも歳はとるものであるし、それは自然の摂理、逆らうものでもないし、むしろ、歳をとることに充実感をおぼえながら「やれる範囲でやっていく」ことが大事ではないかと思うようになった。


 昨日も私なりに「これからの日本林業の方向性」というマクロな話を語り、各論においては「組織において協働するための要諦」や「働く人がやる気を向上させるモチベーションのあり方」等々について熱弁をふるった。自分自身も「林業界の業界人である」という自負心をもって、現場で森林管理に努力をしている人達と同一目線でこの業界の振興・成長をともに考えて行動していきたい。それが私の「基本スタンス(軸足)」であり、これを常に確認しながら、「言葉」というツールでもって経営コンサルティングを遂行していきたいと思っている。


 夏はまもなく終わり、秋が訪れ、やがて冬になる。そして春が来てまた暑い夏になる。季節は巡り、そのたびに私は歳をとっていくのだが、季節は変わり世の中の景色は変わっても、変わらないもの=不易というものをことさら大事にしたい。その不易なものこそ、上記の「基本スタンス=軸足」なのだと考えている。「ブレないこと」もこの不透明な社会では重要なこと、少なくとも独立して以来17年間、自分自身は大きくブレたことはないと自負しているが、これからもそうでありたい。


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2011年8月1日 月曜日 9:02:15 「夏はまだまだ続く
 梅雨の時季からかなりの猛暑が続き、夏がもう3ヶ月以上は続いているような気がして、今日から8月でまだまだ猛暑が続くのかと思うと、気力が萎えてきそうになる。実際、東京のビル街を猛暑の中、歩くと体力を著しく消耗する。熱中症で倒れる人が多いせいか、地下鉄なんかも節電で当初冷房を控えていたが、すぐに方針転換して通常の冷房に戻した。車内が暑かったので倒れたと言われたらたまらないのだろう。


 暑さの中で食欲が進むというのが、この時期の健康のバロメーターになる。年々歳をとっていくにつれ、体力が落ちてくるので、若い頃よりも日々の健康管理が重要になる。夏場の暴飲暴食は絶対に避けなければならないし、睡眠不足もそうである。この歳になるとさすがに暴食というのは少なくなってくるが、付き合いで暴飲というのはまだある。要はそれに耐えうる体力と健康があるかということだ。


 また、睡眠の重要性はいまさら強調するまでもないことだが、これまでしょっちゅう不眠に悩まされてきた私にとっては、夜、熟睡できることの喜びや価値を十二分に感じている者の一人である。睡眠はすべての健康の源であるといって過言ではない。熟睡した次の日は体の切れもいいし、頭の回転も速い。食欲も旺盛でとにかく活気がある。睡眠不足の場合はその逆である。


 今日から8月、1年中で最も暑い時季に入る。5年前の真夏に、大手町付近を歩いていて、突然、目眩がして歩道に倒れ込んだことがあった。病院に行ったら水分不足が原因といわれた。その頃は過労気味で、疲れも相当たまっていたのだろう。そういうことのないように、日々、健康管理にことさら留意していこうと思う。今月には54歳になる。「自らの体力の限界を知って、常に健康状態を測りながら、無理をせずにやっていく」ことが、持続可能な活動の基本なのだろうと今更ながらに実感しているところだ。


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2011年7月18日 月曜日 10:18:14 「悩んだ果てに・・・」
 1ヶ月半くらい、このページの更新をしていなかった。いや、できなかった。仕事が忙しかったわけではない。私自身の内面での葛藤がその主要因である。その葛藤は今も続いている。おそらく、この先も根っこの部分は燻り続けていくのだろう。でも、かれこれ3ヶ月間くらい、その葛藤と闘っていると、それなりの答えのようなものも生まれてくる。人間は常に学習する動物であり、思考にも一定の節目がある。


 この国がおかしくなっている・・多くの人がそう直感、あるいは確信していることだろう。政治は不信感を持つとかそういう次元を通り過ぎて、むしろ滑稽である。経済界は大企業を中心に基本的に金儲けと自分のことしか考えていない。ニューリーダーといわれる孫正義氏のこのところの言動を見聞きしていると、「インフラビジネス」の牙城であるところの「電力の発送電」というところに、新たな「ゴールドラッシュ」を見いだしているとしか思えない。通信は国民の生命線にはならないが、電力はまさにライフラインそのものである。そこに全国の多くの知事たちが蝟集しているが、本気で再生可能エネルギーの開発や導入を考えているのか、それが可能だと思っているのか甚だ疑問だ。


 アメリカのデフォルト騒ぎも非常に気になる。大震災があったばかりのこの時期にそういうものが出てくる、タイミングが一致しすぎていると訝しく思うばかりだ。恐慌と戦争は常に背中合わせであり、それは、これまでの歴史を読み解くと自明の理である。とはいえ、何らの力のない一市民である我々には、社会のメカニズムを大掴みし、今後の推移を少しばかり予測できても、マクロな部分に対応する術をまったくもたない。前にも書いたが、そこは、積極的な諦観=達観し、自分の努力の範囲内で「最大幸福」というものを志向していくという行動規範にどんどん傾斜していく。


 先述のように、まだままだ悩み深き時間が続いていくのだと思う。でも、いずれはいろいろな葛藤が消え去り、一定の方向性が明確になって、胸のつかえのようなものがなくなる時が来るのだろう。それまでは、日々の公私の活動の中で「小さな喜び、楽しみ、充実、幸せ、希望」といったものを、積極的に見いだしたり創出していくことに腐心していくことになる。その際のキーワードはやはり「達観」ということになるのだろう。


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2011年5月28日 土曜日 7:33:22 「50代をどう生きるか」
 昨夜から雨が降り出し、今日も終日雨模様になるようだ。自宅の裏山にある雑木林の木々が雨を受けて生き生きとしている。こんな日は、いい音楽を聴きながら読書をして、思索の世界に没入するに限る。思索は限りなく広がり、それをとめることはできない。それは、私だけの世界であって、誰もそこに入ってくることはなく、何の制限もない。さまざまな言葉がそこに浮かんでは消えていく。気がつけば数時間経っていることもある。


 そういう思索の中では、残された自分のビジネス人生をあれこれ考えることも多い。70歳で事実上引退するとしてあと16年、この貴重な時間をどう充実させていくのか、当面は、まず、50歳代の生き方である。すでに若くはなく、かといって年寄りではない。ビジネスマンとしては50歳代が最も旬な時期であり、ある意味「輝く」期間でもある。この期間をいかに実のあるものにするかどうかで、次の60歳代の10年間における充実度が規定されるのだろう。


 50代における行動規範の最たるものは、まず「どっしりと落ち着いて自然体で構えること」である。そして、何事にも慌てないことである。これまで自分が培ってきた蓄積を信じて、ブレずに行動していく、そんなアイデンティティが重要だろう。50歳を過ぎて、40歳代と同じように場当たり的な「軽い」発言をしている人間をみると、「この人には、自身の価値観とか行動規範が存在しないのだろう」と、可哀想な人だと思ってしまう。


 ふたつめの行動規範は、「他人のことをいたずらに蔑んだり、必要以上に羨ましがったりしない」ということだ。前述の可哀想な人と思うことと蔑むというのは全く意味が違う。後者には悪意があるが、前者にはそれがない。以前に書いた諦観ないし達観という切り口である。また、他人を羨ましがらないというのは、現象面のことに振り回されないという行動規範から来ているものだ。人には人の生き方があり、また、その中での夢も悩みもある。その人の価値を外観だけで判断してはならないし、必要以上にその深みに踏み込むこともない。


 3つめの行動規範は、「常に物事の本質的なところを読み取りながら判断する」ということだ。自分が信じるもの、拠り所とするものは最終的に自分自身の判断力とその結果しかない。そして適正に判断するためには、現象の奥にある本質的なところを見透す能力が必要になる。一歩、外に出て歩き、人に会えば、そこはまさに現象の坩堝である。上辺だけをみて、それを看過していくのなら、これほど楽なことはないが、それは思考停止と同義である。静かな水面の底では大きな流れが発生しているかもしれない。50歳代になったら、そういう思考回路になっていくべきだ。


 雨の日の思索はどめどもなく続く。「雨の日も楽しきかな」である。


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2011年5月22日 日曜日 15:42:31 「常に気持ちを整える」
 50歳を過ぎた頃から、自分自身の感情とか主観というものをできるだけ内面に留めて、表出させないようにするようにしている。もちろん、完璧なものであるはずがないが、それでも日々、自分の行動規範の中に根付かせるようにしていると、かなりのレベルを維持することができるようになる。


 その上で「直観力」を磨き、収集した情報を分析しながら「あるべき姿・形」を構築していく、仕事のプロセスでもその考え方が基本になっている。これは、ある意味、経営コンサルタントとして熟成しつつあるという証左だと思っている。常日頃の思索とか知見とかそういうものがどんどん内面に蓄積されて、多くの引き出しに整理される。経営コンサルティングには、実にさまざまな視点が必須である。引き出しは多ければ多いほどいい。


 自らの個人感情を露わにするときもある。でも、それは感情に流された結果の行為ではなくて、敢えて行っていることが多い。個人感情のままに行動することはビジネスマンとして極めて愚かなことだ。それがわかっていながらも、なかなか、自分自身を制御できずあとから自分の言動を悔やむという人が殆どではないかと思ったりする。理想とする姿は誰でも描けるが、そこに到達することは並大抵のことではない。



 修行がまだまだ足りないのは十分わかっている。これからきちんと体得しなければならないのは、少なくとも知識ではなくて、また知恵でもなく、おそらくは「自分自身を常に自然体で保つ」という行動規範のようなものなのだろう。よくいうオーラというものは、そういう佇まいから発散されるものだと思うし、企図してできるものでもない。日々の気持ちの置き方、変化に対する心のあり方が大事なのだ。


 今日は午後から雨が降り始めたので、外出はせずに、本を読んだりしている。こういう日は思索を巡らせるのには最適である。思索は全くのフリーで展開する。特に結論を出すようなものでもなく、頭の中に浮かんでくる事柄を1枚の画用紙にどんどん落とし込んでいくようなイメージで、それらを関連づけながら1つのストーリーを創る。そのプロセスで出てくるアイデアや枠組みを単語や文章にしていく。


 独立して18年目、経営コンサルタントとして活動を始めて13年目、この間、蓄積してきたものは実に多いし深いものがある。これからもその積み重ねをしながら、自分自身の心の有り様を常に整えておきたいと思っている。


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2011年5月15日 日曜日 19:55:59「ある意味での諦観、あるいは達観」
 サラリーマンだった時代はともかく、36歳で独立してからの私はある意味、尖ってそして安易な妥協をせずに、一定の目標を常に掲げながら生きてきた。是々非々でやってきたこともあって、独立してからの17年間というものは、うまくいった期間の方が圧倒的に少なく、想定外の苦闘を強いられることが多かった。いまとなっては、それも試練の1つだったのだと思ってはいる。


 そういう中で、他人との接し方、さまざまな局面における身の処し方などを経験値的に培ってきた。それは、極端なまでに人の心の襞を斟酌し、その機微に思いを馳せるもの、相手の心のありように自分の言動を適合させていくといったものだ。特に、この職業に就いてからというもの、その考え方をさらに深化させている。いまでいう「自己中」とは対極にある考え方である。


 でも、正直なところ、最近、自分の考え方が世間の多くの部分からズレてきているのではないかと思うようになっている。それは、世の中全体の価値観というものが変質していっているのか、私自身の価値観が時代に合わなくなっていっているのか、よくわからないが、少なくとも全方位的な身の処し方は、もうできないし、私は私の価値観の中で生きていくしかないと考えている。


 自分自身の考え方や価値観がそれなりに正しいと信じるのであれば、さまざまな価値基準がある中で、安易な妥協をするべきではない。そこが響き合う人とだけやっていけばいい。それで世間を自ら狭くするとしても、生き方としてはそれでいいと思う。これは一種の諦観である。この国の価値観というか国民性というか、国家としての佇まいは昔は凛としたものがあったが、いまは見る影もない。政治にも大きな期待はできない。


 そういう中で大事なのは、先述の諦観、それも「積極的な諦観」であろう。言い換えれば達観である。それなりの社会的常識とか良識を踏まえた上での「自分の生き方を貫く」というものだ。いまの若い世代に多い「自分様症候群(自分が一番偉いと思っている)」ではなくて、自分なりのゆるがぬ価値観をベースにした身の処し方ともいえるだろう。そして、それが、この住みにくい国で生きている知恵なのかもしれないと思っている。



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2011年5月8日 日曜日 13:23:06 「過去は振り返らない」
 長い飛び石連休は今日で終わる。昨年同様に、いや昨年以上に自分の時間を大事にして、マイペースで過ごす期間になった。自分で得心のいく休日やオフタイムの過ごし方をこれからはさらに意識していかなければならない。そうでなくても、元気で活動できる期間はそう長くはない。常に前を向いて、前に進むような生き方をしていこうと思っている。


 私よりも若い世代に人気がある「エブリ・リトルシング」というデュオの曲の中に「TIME GOES BY」という曲があって、カラオケなどで涙ながらに熱唱する人が多いのだが、メロディはいいのだが歌詞が最悪である。いわく「もう一度思い出して あんなにも愛したこと」別れたのだから、そんなこと思い出す価値も理由もない。さらには「過ぎた日に背を向けずに ゆっくりと時間(とき)を感じて いつかまた笑って会えたらいいね」違うだろうって、二度と会う必要などないのだ。わけがわからない。

 以前、付き合っていた彼女に振られたくせに、その後も時々食事をしたり映画を観に行っているという30代の男がいた。アホではないかとさんざん説教をしたのだが、その意味がわからないらしい。そもそもプライドがないのか、生き方にいい加減なのか、よくわからなかった。相手の女も女である。別れを自分から言っておいて、また連絡をしたりする。そんなことをするから、いつまでも男がウジウジとしているのだ。


 いつも言っているように、過去は現在につながり、現在が未来につながっていく、その意味で過去を否定する必要はない。しかし、それはそれ、終わったこと、よりより未来に向けて現在=今日を懸命に生きることで、人間は少しずつでも成長していくのだ。過去に付き合った女性に想いを馳せる暇があったら、眼下の女性をもっと愛することに注力すべきだし、恋人がいなければいろいろと模索をする行動が大事だ。


 「昔話」は会話やコミュニケーションのスパイスにはいいのかもしれないが、そればかりになると思考停止状態になる。過去は基本的にゴミ箱に捨てるものであって、大事にしなければならないのは現在と未来である。少なくとも私はそう思っているし、そういう考え方を行動規範にしている。男と女は別れたらそれで縁も切れる。未練たらしく連絡をしたり、会ったりするものではない。過去に拘泥することほど愚かなことはないのだ。



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2011年5月2日 月曜日 9:25:08 「連休中の楽しみ」
 「プロコン練成プログラム」の専用サイトを作って、適宜更新をしている。私のメッセージに対してどれだけの人が気づいて感じてくれるか、そして反応してくれるか楽しみである。広告は6月号にも掲載される予定なので、状況をみながら内容を検討していきたい。私の論調に共感してくれるプロコン志望者がこの日本中に相当数いることを信じて、これから開講直前まで、縷々メッセージをし続けていきたいと思っている。


 さて、連休の前半が終わり、今日は平日、頭の中は当然仕事モードである。社員や提携コンサルタントへ業務の指示をしたり、仕事の関係先にメールを送ったりしている。連休は基本的に自宅周りで過ごしているので、休みという感じはするが、非日常性を帯びたGWといった雰囲気はない。明日からの連休後半も同じである。明日からは特に読書を主体とした時間を中心に過ごすことにしている。


 この季節は1年中で最も過ごしやすい時季である。暑くも寒くもないし湿度も少ない。社会人になって、これまで30回のGWを過ごしてきたことになる。そして、これからビジネスを引退するまでどれだけのGWをおくることができるのか。つまりは元気で楽しく心豊かな休暇になればいい。70歳くらいまでそんなことができれば最高である。その持続可能性こそが人生の目的のひとつだといえるだろう。


 時間が一定して穏やかに過ぎていく。自分のライフスタイルで無理なく生きていく。そんな生活がやはりあるべきだと思う。



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2011年5月1日 日曜日 15:59:19 「運動と読書と音楽と思索」
 連休2日目、朝は8時前までベッドにいた。昨日は午後から来客があり、若い人達と賑やかな時間を過ごした。今年の連休は、それとゴルフ仲間と1回ラウンドをするくらいである。他には特段の予定を設けずに自宅周りで過ごす予定になっている。昨年も同じような連休の過ごし方をしたのだが、長年の疲れがどっと出たのか、睡眠時間をとりすぎて体調をおかしくしてしまった。その反省もあり、朝はできるだけ早く起きて天気が良ければジョギングをし、それから、朝食、新聞に目を通して、その後、読書をするといったスタイルになる。


 朝のうちに、運動をしてそれからギターの弾き語りで好きな曲を演奏し歌う。このパターンは非常にいいリズムになる。声を出すというのは体全体の力を底上げするような効果がある。そして、自分が好きな曲を情感を込めて歌うとアドレナリンが出るような感じになる。その流れで本を読んだりするとまたいいリズムで時間が過ぎていく。昼食はそばとか簡単なものですませる。それから、午後の浅い時間に気が向けば、近所のゴルフレンジに行き、80球ほど打つ。1打1打真剣に打つと結構汗がでる。


 ジョギングは半分くらいはウォーキングをしている。いわゆるジョ・ウォーキングというやつで、大した運動量ではないが、それと平行して肩を回したりストレッチ的なものを上半身でやりながら足を動かすというやり方である。これでも40分ほどやれば充実したものになる。そして、この時間、いろいろと頭の中では思索を巡らせることになる。もちろん、仕事のことが中心になるが、それはそれで楽しい時間になる。


 テレビは基本的にニュースとゴルフ中継しかみない。ニュースもヘッドラインだけみれば十分である。だから、CATVに加入してゴルフチャンネルを専らみることにした。それ以外は本を読んだり、思索に耽ったりするのがベターである。良書をじっくりと読む時間は珠玉である。最近では、経営関係の古典的な本を赤線を引きながら読んでいる。「これは正しい、これは違っている」とかぶつぶつ言いながらである。そうこうしているうちに夜も更けて、また、未知の明日へと就寝するという連休の日々はなかなか味わい深いものになっている。


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2011年4月29日 金曜日 8:25:53 「プロコン練成プログラム開催へ!」
 昨日発売の「企業診断」に、私が主宰して今年8月から9月にかけて開催する「プロコン練成プログラム2011」の広告が掲載された。併せて、専用のサイトも急遽開設した。6年余り前に東京に拠点を置いた時、いつか、自分の全人格でこういったものをやろうと心に決めていたのだが、立ち上げるまでに相当な時間が経ってしまった。もっとも、この広告をみて受講を応募してくれる人がいないと実現はしないのだが・・・。


 広告はかなりインパクトのあるものになっている。カラー刷りの1ページ広告で表紙の裏に掲載されている。おそらく、個人が全面に出て打ち出す「プロコン塾」で、こういった広告を出したケースは初めてだろう。いろいろな人がこれをみて、また、伝え知って私のことを想起するに違いない。それもまた、今回の広告の副次的効果といえるのかもしれない。


 今回のプロコン練成プログラムは、私が6年前に神戸で立ち上げ、ずっと講師をやってきた「診断協会兵庫県支部プロコン育成塾」の内容がベースになっている。しかし、そこで語られることは、おそらくこれまでのものとはまた違う、私独自の「経営コンサルタント観」がその根底に脈々と流れるものになるだろう。専用サイトの扉にも書いたが、自分自身の生き様やそこからくるコンサルティング思想といったものを、ある意味、全面に出して、それに共鳴してくれる人達が集まってくれたら幸いだと思っている。


 経営コンサルタントには、「人間臭さ」が重要な属性の1つであるというのが私の持論である。それは、変な癖があるという意味ではなくて、非常にバランスのとれた思考ができるということを前提に、コンサルティングにおいては人間臭さが滲み出るというものだ。その人間臭さ、人間らしさが、他の属性と相まって、また、経験と相まって「オーラの出る」コンサルタントになる。まさにそれは全人格的なものである。


 このプロジェクトは、これまで私が歩んできた「経営コンサルタント人生」の中間決算的なものになる。非常に拙い生き方で、特に前半の6年間は殆ど職業という体をなしていないものだった。この6年間という期間の意味は非常に深いものがある。そして、その状態からどのようにして脱却したのか、這い上がったのか、その分岐点たるものがどこにあったのか、どういう考え方でどういう行動をしたのか等々、そのプロセスを私はコンサルタントとしてのノウハウとして受講生の人達に開示していきたいと思っている。


 こういう私のメッセージにどれだけの人が気づいてくれるのか、そして、アクションを起こしてくれるのかということを、開催までの期間、私は願わずにはいられないし、このページとかで、そういう人に向けたメッセージを発信し続けていきたい。


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2011年4月23日 土曜日 6:50:33 「日々、積み上げていくこと」
 昨日は、森井義之先生の事務所を訪問し、近況報告をさせていただいた。時間を忘れるほど、経営やコンサルティングについて話を聴かせていただく。そういう森井先生との時間は先生と縁を得てからの8年間余り、ずっと変わっていない。この間、先生はずっと私の活動内容を見守ってくださり、適宜、指導や助言をしてくださった。その助言や指導を拠り所にして、私は今日まで愚直にこの仕事に取り組んできただけである。


 気がつけば、私は53歳になり、森井先生は70歳半ばですでに現役を引退されている。森井先生が経営コンサルタントとして最も力量を発揮された年齢に私も到達している。これから10年くらいが、私にとっての「黄金時代」になるはずだし、これまで積み上げたものが開花するのがこれからの10年間だと思っている。この8年間余り、先のことはほとんど考えずに、無我夢中で前に進んできた。そして、その積み上げてきたものが、やっと形になり、10年先を見据えながら腰を落ち着けて物事を考え行動するようになったのが、去年くらいからである。


 何もないところから自分の看板をつくるには、普通の人で10年かかるということを、経営コンサルタントとして活動を始めて丸12年を経過した現時点で検証も含めて確信する。この10年というのは非常に深い意味を持っている。その間、自分やマーケットへの投資期間だと位置づけると、50歳で独立するとしたら看板ができた時点で60歳、60歳から旬な活動をするのはかなり無理がある。定年まで企業に勤めてその後、独立経営コンサルタントとしてバリバリやっていこうとするのは、その意味ではほとんど不可能に近い。だから、35歳から44歳までが、経営コンサルタントとしての「独立最適期間」だと私はずっと言い続けている。


 では、独立するにはどういうタイミングがいいのか、答えは簡単、「思い立った時」である。貯金が300万円以上なければならないとか、家族の了解がどうのとか、いろいろと人はいうが、それらはあくまでも現象面のことであり、この仕事に人生を賭けるのであれば、それらの条件は些末なことに過ぎない。自分自身の生活とか人生にリスクをとれない人が体を張っている経営者にものを申してはいけない。我々は評論家ではなく、あくまでコンサルティングを通じて企業をよくしていく「実務者」である。


 今年8月には54歳になる。すでに自分の生き方や言動に責任を持つ年齢になっている。これまで積み上げてきたものをベースに、今後それをさらにボトムアップさせながら、自分自身で掲げた理想像を追求していく。それはすべて実務を通じてである。現場を離れたコンサルティング理論や経営理論は何らの意味をもたない。借り物の理屈を振り回すだけのコンサルタントは存在理由ゼロである。しかし、一定以上の知識は必要、それはさまざまな視点を持って「物事を見透す」ためである。


 森井先生の事務所を辞して、渋谷駅に向かう道すがら、上述のようなことをつらつらと考えた。8年余り前に初めて先生の事務所を飛び込みのような形で訪問させていただいた時、先生から「また、いつでも来てくれたらいいから」と暖かい言葉をかけていただき、感動しながら歩いた道である。いくつもの季節が過ぎて、また、この国のありようも大きく変わり、でも、我々は経済や生活をいう営みを続けながら何とか生きていかなければならない。その際のキーワードは、「確かなことを真面目に積み上げていくこと」である。


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2011年4月15日 金曜日 16:41:33 「経営コンサルタントは何者?」
 経営コンサルタントという名称が、「怪しい人間の職業名」の如く喧伝されて久しい。いわゆる虚業であり、口先だけで経営者を騙したりする、胡散臭い輩・・・。関西空港の利権疑惑で暗躍した泉井某という男も経営コンサルタントを名乗っていたし、手抜きマンションの指南役といわれた老人も経営コンサルタントと称していた。要するに怪しい人間が大っぴらに使うから、怪しい職業の代表のようになってしまっている。


 数年前に顧問先に同行してロシアとベトナムに行ったとき、「経営コンサルタントだ」と自己紹介したら、「オー グッド」といわれた。向こうでは胡散臭いという印象はないようだ。ついでに「経営コンサルタントの国家資格を持っている」というと「グレイト」と褒められた。日本ではこうはいかない。でも、中小企業診断士の資格を持って日々経営コンサルティングに取り組んでいるということは、まあ、まともにやっているという証左にもなるのだろう。儲かっているかどうかは別だが・・。


 地方では、税理士をしながら合わせて中小企業診断士の資格でもって顧客サービスをしたり、公的支援機関の仕事をするパターンが多い。この場合は、診断士の仕事はあくまでも「ついで」である。そもそも、中小企業を対象にしているとはいえ、事業領域が違うのだから、どちらかがメインにならざるを得ない。当然、堅く収益を確保できる税理士を選ぶのがまっとうであろう。地方を拠点にして、経営コンサルタントだけで食っていくとなると、かなりの覚悟と努力と戦略性が必要になる。でも、そういう「プロコン」が本当は求められているのだ。


 私の場合も、大阪で経営コンサルタントの活動を始めたのだが、途中で公的支援機関との接点から、出身地の和歌山県に軸足を置いた活動を志向した。でも、取り組み方がよくなかったのか、それは空振りに終わった。それで、縁もゆかりもない神戸に行って、そこで上向きになる端緒をつかんだ。100万都市とかその規模の経済圏で活動しないのであれば、やはり行政機関や公的支援機関と密接な関係を築きながら、地域密着でやっていくべしであろう。でも、そこでもやはり戦略性は重要である。和歌山では和歌山なりのやり方があったのだろうと、今にしてみるとそう思うことがある。


 いずれにしても、この世界で胸を張って生きていこうとするのであれば、どの分野であれ「一番」になるつもりで努力を続けなければならない。もちろん、最初は先達の物まねでもいい。誰だって最初からオリジナリティなどあろうはずがないのだから、どういう入り方をしようと構わないのだが、いろいろな経験を積んでいくうちに、「この分野や業種で一番になってみせる」という気概のようなものが生まれてこなければその人は大成しないだろう。一生、どこかの下請や川下に甘んじる生き方など面白くも何ともない。


 8月から開講予定の「プロコン錬成プログラム」で求めている受講者像は、地方を拠点に、地域経済振興に寄与しようと、人生を賭けて経営コンサルタントだけで生きていこうとする使命感と情熱溢れる人財である。やり方次第では地方を拠点にしていても十分やっていけるし、私のように業種特化をするのも大変有効な方法だ。苦労は織り込み済み、自分の人生は自分自身で切り開くのだというような経営コンサルタントやその志望者が、私のメッセージに反応してくれることを楽しみにしている。


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2011年4月14日 木曜日 21:54:17 「過ぎゆく日々、新たなる日々」
 新年度になって、私の身辺でいろいろなことが動き始めている。また、自分自身も経営コンサルタントとして13年目の今年、また新たな気持ちで仕事に取り組んでいこうとしている。過去のことは現在につながっているという意味で捨てられないが、出来る限り過去のことに囚われずに、前を向いて生きていきたいものだ。


 ところで、2005年から6年間関与してきた中小企業診断協会兵庫県支部の「プロコン育成塾」講師をやめることになった。この6年間、特に立ち上げから3回目くらいまで、心血を注いできたプロジェクトだった。それだけに思い入れも相当なものなのだが、活動拠点を東京に移転した時から、いずれ離れなければならないとは思っていた。


 それと相前後して、経営コンサルタントになったばかりの人や近々に独立する予定の人を対象にした、「プロコン錬成プログラム」という全国展開のプロジェクトを東京で開催することになった。もちろん、最低限の人数が集まってこそ成立するものだ。「企業診断」という中小企業診断士と資格受験者が主たる読者の月刊誌の5月号と6月号に募集広告が掲載される。私からのメッセージにどのくらいの人が反応してくれるか楽しみでもある。


 今年8月で54歳になる。経営コンサルタントとしてのキャリアが12年、年齢的にもこれからが旬な時期である。自分で自分を客観すると未熟なところだらけであり、後進を指導するなどおこがましいのかもしれないが、「今やらなければいつやるのだ」という気持ちの方が強く、仕事が充実してきている今こそがそういったものの実行のタイミングなのだと自分に言い聞かせている。


 明日から、このページでまた見ぬ「受講生達」に私なりのメッセージを発信していこうと思っている。私の「プロコン錬成プログラム」の基本コンセプトは、「地域貢献型プロコン育成」である。地域経済を担っているのは、その地の中小企業であり一次産業の事業者であり、彼らを経営支援する経営コンサルタントは間接的にその地域の経済を支えていることになる。その意味では彼らもまた人財なのだ。


 決して平坦な道ではなかったにせよ、いま、こうして東京を拠点にマーケットの負託を受けながら奮闘している。そのこと自体、奇跡的なことだし、私の努力だけでは培ってこれなかった世界だとも思う。でも、そもそも実力がなければ生き抜いていけない世界だということも事実だ。その実力を磨きつつ、前を向いて生きていくこと、そして、この仕事のすばらしさを受講生の人達に伝えていきたいと思っている。


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2011年4月7日 木曜日 16:09:44 「既成神話を信じない」
 大震災以来、総国民呆然自失状態が続いている。もう3週間になる。私自身もそうだ。人間の生き方について根本的に考え直す機会になった。国や政治家も大企業も、非常時にはアテにはならないということも思い知った。どこかで十二分にわかっていたはずなのにである。これから、日本国民全員が背負っていかなければならない宿命の重さを知れば知るほど、気持ちが沈みがちになるが、それは現実としてきちんと受け止めなければならない。


 最も、認識すべきは「既成神話の崩壊」であろう。我が国は安全では全くない。危険だらけの中で我々は日々経済活動を行い暮らしているといえる。エネルギー源の殆どを電力に依存した営み、オール電化という東京電力や関西電力のマンション売らんかなの「謳い文句」も、実は最も脆弱なインフラだったことが露呈してしまった。「緊急時に最も復旧が早いのが電力」と彼らはユーザーに対して嘘を言い続けてきたのだ。


 その東京電力、分類的には「公企業」といって、役所の次に潰れにくい安定した経営体だったが、事実上の倒産=国有化は避けられない。そして、その株式を持っている人達はすってんてんになる。含み損と配当なしで、それで生活費を得ていた人達も相当いるので、アテがはずれる「投資家」が相次ぐだろう。もちろん、東電の社員はこれまで「特権階級」の恩恵を享受してきたが、これからはまさに「茨の道」になる。


 私は、36歳のときに定年まで勤めようと思っていた近畿放送が経営破綻し、会社更生法の適用申請があきらかになった段階で退職したが、その時に、「企業は永遠だ」という神話を一切否定するようになった。経営コンサルタントとしての恩人である森井義之先生は「企業は生きている」という本質をご指摘されている。生きているということは死ぬことだってあり得るわけだ。東京電力はまさに「死に体」、日本中で最も潰れにくい企業が潰れるという「神話の大崩壊」の始まりである。


 大きな組織や誰かにすがって生きるという「依存型の人生」と我々は訣別して、事実上、自分(達)の力で生きていくという行動規範を構築していかなければならない。それは我々のように独立している者だけではなくて、公務員やサラリーマンの人も同じである。もっといえば専業主婦もそうである。何もなければそれでいい、でも何かあった際は、誰かに依存せずに生きていける、その姿勢と能力を持つべきなのだ。


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2011年3月31日 木曜日 23:32:30 「新たな行動規範について」
 年度末の最終日の今日、来期への展望を感じながら、打ち合わせ会議とか挨拶をするなかで、自分自身の新たな行動規範を再確認した。要するに「自分がどう生きていくか」ということを明確にすることから全てが始まるという思想である。他人に振り回される人生など愚の骨頂だ。


 アメリカのオバマ大統領が「日本人の忍耐強さに感心する」とか言ったそうだが、それは「あまりも自立していない日本民族」というものに対する半ばバカにした表現だと私は直感している。農耕民族だからとかそういうのではなくて、今回の大震災に際しての政府や東京電力の対応にどうしてもっと怒らないのか、抗議しないのかということだ。「去勢された民族」と誰かが言ったが、そういわれても仕方のない部分がある。


 これからの日本国民は、物理的な復興だけではなくて、まず、誰かに依存せず、自立していくことから「精神的復興」をしていかなければならない。中国なんかに嘗められて黙っている国であって断じてならない。是々非々でメリハリをつける国家になるべきだ。そのためには、国民の一人一人が精神的にも自立をしていくしかない。今回の大震災は、そういう命題を我々に突きつけているのだ



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2011年3月28日 月曜日 19:53:33 「真摯に生きる、でもそれだけじゃ」
 金曜日から4日連続で出張になり、新幹線での移動が殆どで、おかげで車内で過ごす時間が多かった。品川から新山口までは新幹線で4時間余り、これはなかなか乗りがいがある。山口から新大阪までまた新幹線で移動して、翌朝天王寺から京都・日吉まで移動、今日は松阪まで日帰りとかなり目まぐるしかったが、これで年度内の出張が全て終わった。


 こうして毎日、経営支援先等から期待をされながら動き回っている。そのこと自体が経営コンサルタント冥利に尽きるのだ。何とか健康で、自分の好きな仕事を続けられることこそ、人生にとって大きな価値があるのだと思う。やはり価値というものは、長年かけて営々と積み上げていくものであり、1つ1つの仕事を精一杯遂行していくことの集積なのだということを実感する。


 仕事に没頭できる環境があるというのは大変ラッキーなことだ。その仕事以外に楽しめる趣味や嗜好を持つことはさらにラッキーなこと、人生は常に「More Than」で考えなければならない。特に大したことをしているわけではない。でも、卑下するほどのものでもない。要は自然体でやればいいのだ。真摯に生きるというのはとても重要なことだが、それを肩の力を抜いてやるということを両立させていくべきだ。


 東日本大震災から3週間、復興への取り組みが始まっている。いろいろと考えるところはあるが、最も大事にしなければならないのは常に国民の生命である。生きていてこその人生だと思う。一定の死生観を持つことは重要だが、生きるということと、生きてやるべきことをやるということの価値を改めて噛みしめている人が多いのではないか。私もその一人である。自分なりの「納得できる生き方」をしようと思っている。



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2011年3月25日 金曜日 10:12:40 「肩の力を抜いて、でも前を向いて」
 東日本大震災の被災者の人達には心からお見舞いを申し上げたい。首都圏の海岸部に住む我々が遭遇したとしても全く不思議ではない大地震と津波であった。だから他人事ではなく、みんな自分のこととして真摯にとらえなければならない。震災発生から2週間、大自然の脅威と失われた生命の尊うさ、親しい知人の悲しい知らせ、自分自身の無力さ等を受け止めながら、これから自分に何が出来るのかを自問自答する日々だった。


 この間にも、出張する日々は続いたが、どうも気分と体調がすぐれず、重い気持ちでいた。でも、目の前の案件にはとにかく全力を尽くさなければならない。みんなが立ち止まっていては、復興も進まないし、とにかくいまは前を向くことだと思う。自分にできることは、少なくとも社会から負託を受けた仕事、高邁な言い方をすれば使命を真面目に遂行していくことだと、それしかないのだ。


 ただ、どこかで死生観は持っておきたい。その上で今日という日を精一杯生きる。それこそ、明日に悔いを残さないように、でも、そんなに突っ張らずに肩の力を抜いてやっていきたい。「風」という名曲があるが、そのフレーズの中の「人は誰も人生につまづいて、人は誰も夢破れ振り返る」というのが好きである。そこにはただ風が吹いているだけ、だとすれと、その風に吹かれながら、あるがままに生きていくことも人生における1つの知恵だと思ったりする。


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2011年3月2日 水曜日 14:49:13 「年度末の日々」
 いつの間にか3月に入り、年度末の仕事が立て込んでいる中で、来年度の活動を展望している。今週は月曜日から山口県内で経営診断案件があり、2泊3日でそれを終えて、いま帰りの新幹線に乗っている。自宅に着くのが午後7時前になる予定だ。経営診断案件では、基本的に組織構成員全員からヒアリングを行い、結果的にその事業体なり企業が抱えている経営課題そのものの「重さ」をそのまま受け止めることになるので、終わった日は正直ぐったりする。今夜は旨い赤ワインをのんで、自宅のベッドでゆっくり休みたいと思っている。


 今月は出張に明け暮れることになりそうだが、出張の移動中などに読書をしたり、DVDを観たりして、出張時における「充実した時間」を過ごそうと思っている。新幹線や特急の車内でゴルフ雑誌を読んで、週末ゴルフのイメージをつくるのも楽しい。現地でゴルフというのはなかなかハードルが高いが、たまにはそういうこともあってもいいと思っている。とにかく、ゴルフはいい仲間に恵まれることが必須条件だ。


  重い鞄を持って出張に飛び回ることをいつまでできるのか、おそらくはあと15年くらいだとは思うが、その間は何とか健康で目の前の案件について最高の結果を出して、それを積み重ねていきたい。年齢、キャリアともに、これからがその「最高の結果」を出していける時期に入る。自分が発する言葉が持つ力、重みというものを認識しつつ、言葉というもの自体を日々磨いていく努力を続ける、それしかないのだと思っている。



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2011年2月28日 月曜日 11:22:55 「いつか恋愛小説を書きたい」
 60歳になる頃に、骨太の恋愛小説を書いてみたいと思っている。直木賞とかそんなのを目指すわけではない。むしろ、自分自身の記念碑として残しておきたいという気持ちが強い。とにかく、男と女の関係性というのは複雑怪奇で、それだけに興味深いし、魅力的でもある。主観と客観のギャップは限りなく大きいのが恋愛の常であり、そのギャップの大きさに苦しむ男女の何と多いことか。


 60歳というのは1つの大きな節目である。還暦という年回りであり、企業であれば定年の年齢である。私の場合は定年はないが、60歳という年齢には遠からず到達する。その時にどんな佇まいになっているのか、風体になっているのか、いまから気になるところだ。でも、自分としてはこのままいくと結構味の出る感じになっていると思っている。人生を語るにはまだ早いかもしれないが、恋愛を語るにはちょうどいい頃だろう。


 男女の出会いは、さまざまであり、それは常に偶然のなせるものである。その出会いそのものにそれぞれの物語がある。でも、始まりは終わりの序章であったりするし、逆に終わりは始まりへの扉を開ける瞬間だったりする。その出会い方、別れ方、そしてそのプロセスには、非常に深いものがあって興味は尽きない。それらの現象面の根底にある本質的なものを探ってみたいという欲求もある。


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2011年2月19日 土曜日 21:34:38 「ある休日の風景」
 朝、6時頃に老犬が私を起こしに来る。一度は寝かせるが、ほどなくまた起きてくるので、私もベッドから出てベランダで朝の空気を吸う。それから水をコップに一杯飲み干しす。そして、愛用のタカミネのギターで3曲ばかり弾き語りをする。今朝歌ったのは、大阪ソングシリーズで、「大阪で生まれた女」「悲しい色やねん」「放(ほか)されて」である。3曲をフルコーラスやると10分くらいの時間があっという間に経つ。その間で眠気が覚めて仕事モードになっていくのだ。


 家内が朝食を用意してくれて、新聞の折り込みなどを題材にしていろいろと会話をしながらそれを食べる。会話のある食事は理想的である。逆にそうでないのは虚しいだけである。何気ない会話があることの価値を知る者は、ないことの空虚さを知っている者である。弾き語りの歌を一緒に歌ってくれることの喜びは何物にも代え難い。「失わなければ得られない」という一つの真理をそういうときに実感するのだ。


 午前中から昼過ぎにかけて、家内と近所の売りに出ている不動産をみにいった。将来に備えて、自分たちの生活イメージに適合した物件がないかといろいろとチェックをしている。いわゆる「終の棲家」である。家内と共通するイメージは、家自体は古くてもいいから、しっかりとした構造であり、それにリフォームをかけて外観はイタリアのテイストで、内装はカラマツやヒノキなどの国産材をしっかり使った造作にして、家具はこれまでに集めたアンティックなものを配置するというものだ。


 それがいつ実現するのかわからないが、「共通の目標」を持つというのは組織においても夫婦においても極めて重要なことである。そしてその目標に向かって協働するということもしかりである。そして会話である。これらは夫婦の絆を醸成する三原則といってもいいだろう。


 不動産をみてから腹が減ったので、とても旨いと評判のラーメン店に行った。それから、腹ごなしではないが、その近くのゴルフ練習場に行き、先日、モニターの抽選であたったテーラーメードのドライバーを試し打ちした。これがまたよくあたり、次回のラウンドが楽しみになった。自宅に戻ったのが午後4時過ぎで、それから仕事のメールを書いたりしていたが、不意に眠気に襲われて夕方まで1時間ほどソファで寝入ってしまった。


 そして、夕食は今日一日の出来事をレビューし、それを肴にしてワインをのみつつ、家内の手料理をいただく。午後8時からはNHKのBS2で「フォークソング大集合」があったので、それをみて時折ギターで音を合わせてみる。そんな時間がとても楽しい。極めて「普通の生活」をしているだけなのだが、その普通さが私にはとても貴重なのだ。「普通のことは普通のことをしていたのでは手に入れられない」ということも一つの真理だ。まだまだ人生を語ることができる年齢ではないが、いろいろなことを乗り越えていかないとみえてこないものがあるのだと思ったりする。そうして得た「普通の時間・空間」の積み重ねが真の意味での「充実感」をもたらすのであろう。


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2011年2月17日 木曜日 9:58:27 「成熟社会における中小企業」
 日本はGDPにおいて中国に抜かれ世界第3位になったということ、我が国はすでに成熟社会に突入しているのだから当然の現象と云える。ここで我々がもつべき行動規範は、「成熟社会に適合したライフスタイル」を貫いていくということだ。つまり、高度成長期のような経済拡大が望めず、少子高齢化の中でどのようにしてビジネスを継続させ、個人の生活を充実させていくかという「理念」のようなものをもつべきなのである。


 成長社会は生産行為の主体になる企業中心の社会構造になっているが、成熟社会においては、それが消費者中心のものになる。消費者が納得して受け入れない製品やサービスはことごとく淘汰されていくことになる。その関連でいうと、テレビショッピング「ジャパネットたかた」なんかは、徹底した「消費者志向」「マーケット・イン」の考え方と販売手法で成功したわけで、「いいものを作ったらこれを使え」というような「製品志向」とは全く異なったものだ。


 中小企業の行動規範も成熟社会においては当然変わっていくべきだ。つまり、大企業の系列や下請けからの脱却である。大企業は往々にして経済の変動リスクを中小企業に「下方圧迫」しがちだが、それを「けしからん」と怒るのではなくて、中小企業側はそのリスクを最小化するような行動を志向するべきだ。具体的にいうと3つあって、1つは「独自製品・サービスの展開」であり、2つには「大企業とのフラットな関係性構築」であり、3つめは「大企業の下請け化」である。


 ドイツの中小企業で優良な会社は、すべからく独自の技術を持っており、その部分の研究開発に多額の投資を行っている。そして、自社の技術でカバーできない部品については、量産をする大企業から適正なコストで「買い物」をしてアセンブリーするということだ。その際の大企業の位置づけはあくまでも「一取引先」であり、あるいはビジネスパートナーだということになる。その関係性はあきらかに「ヨコ」(取引・連携)のもので、「タテ」(系列・下請)ではない。


 日本は長らく大企業中心の企業社会だった。圧倒的な資本力を持つ大企業が研究開発や生産設備、販売等に多額の投資や費用をつぎこみ、特に生産面において中小企業の技術やマンパワー等を活用してきた。それはそれで良かったのだが、成熟社会に入って、「一人十色」といわれる価値観の多様性が定着する中で、大量生産・大量販売を前提としないマーケットの嗜好というものが消費社会の主軸となってくる。その局面では、中小企業がビジネスの表舞台に躍り出ることがスタンダードになってくる。


 今から14年くらい前、私は新しい時代のメディアとしての地域経済新聞の創刊に関わったが、その時に標榜していたコンセプトが「大企業下請論」であった。大企業を下請で使うような技術やノウハウを持った中小企業がどんどん輩出してこなければならない。そして、澎湃としたその勃興こそがこの国の経済を活性する源泉になるのだということだ。それから一定期間経って、私はますますその思いを強くしている。成熟社会は「規模の経済」が作用するマーケットは殆ど存在せず、むしろ「範囲の経済」でトップランナーとなることが中小企業には希求されるし、私はそういう企業を支援していきたい。


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2011年2月15日 火曜日 19:46:01 「それぞれの人生を生きる」
 出会う人がいれば、別れゆく人もいる。人が生きていく風景はそれぞれである。喜びと哀しみ、怒り、楽しさを紡ぎながら、人は日々を生きている。もう死んでしまいたいと思うような哀しみのどん底に落ちることもある、かと思えば楽しくて仕方がないといった時もある。人生とはその繰り返しなのかもしれない。「朝の来ない夜はない」というが、哀しみのどん底から這い上がると不思議なほど、生きる勇気というものが湧き出てくる。


 その哀しみを人よりも多く知った人間の方が、そうでない人よりも人の心の痛みというものがわかるのだろう。「流した涙の量だけ人は優しくなれる」という所以である。「人は人を傷つけながら生きている」傷つけるよりも傷つけられる方が気が楽である。吉田拓郎の名曲の一つである「外は白い雪の夜」という曲のフレーズに「傷つけ合って生きるより、なぐさめあって別れよう」というのがある。


 出会いは別れの始まりであり、別れは出会いの契機になる。だから、出会いの時に過度な希望を持ってはならない、同じように別れの時に嘆き悲しむのにも限度がある。でも、人間だから喜び悲しむのは当然のこと、それが生きているという証左だから、嬉しい時は大いに喜び、悲しい時は大いに泣けばいい。そういうことを繰り返していくうちに、だんだんと人間性に深みがでてくるのだろう。



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2011年2月15日 火曜日 0:41:20 「大雪のバレンタインデー」
 東京は夕方くらいから雨になり、それがやがてみぞれになり、さらに雪になった。みるみるうちにあたりは雪化粧となり、大都会の景色を一変させた。会食を早めに切り上げて2次会の予定もなしにして、帰路についたのだが、東京駅の手前の道路で足を滑らせて転倒してしまった。とにかく、雪が積もると危ないのだ。今日なんかは、それこそ「予測能力」で雪を想定して、カジュアルな格好で、靴も底のすべらないスニーカー系のものを履いている。これが革靴だったら悲惨である。


 そんなふうにして、這々の体で帰宅した。自宅は暖かくけだし天国である。湯船に浸かり冷えた体を温める。それから、ベッドに入ってしばらく読書をする。今日はバレンタインデーだが、チョコレートは昨日家内が手製のチョコレートケーキを焼いてくれた。今日は特段イベントをやることもなく、男同士で仕事の話をしながら事務所近くの寿司店で真面目な話に終始した。50歳を超えた「仕事オヤジ」にバレンタインデーなど無関係である。新宿歌舞伎町のクラブのチーママからゴディバのチョコレートが送られてきたが、まあそれは社交辞令だろうし、こういった日がどんどん現実的でなくなるという年代なのだろうと、割とクールになっている。


 このまま降り続いたら、明日というか今日の朝は交通機関が麻痺状態となって、通勤や出張にも支障をきたすだろう。私は明日終日、自宅での報告書づくりに専念することにしているので、特に問題はない。でも、転倒した際に怪我などをしなくて良かった。


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2011年2月13日 日曜日 10:05:10 「予測する能力の重要性」
 経営コンサルタントとして最も磨かなければならないものの1つとして、「予測する能力」と「直観力」の2つを挙げることができる。この2つは非常に近接しているが、基本的には、裏付けがあるかないかというところで別物だといえる。予測する能力は、自身の経験や知見が詰まった引き出しにある情報を駆使して確度の高い仮説を構築するものであり、直観力はそういう裏付けのないいってみれば「非科学的」なものである。


 昨日、家内とカラオケボックスに出かけ、2時間ばかり歌い込んだ後、駅前の「おでん店」に行き、そこで支払いをしようとしたら胸ポケットにあるはずの財布がなかった。一瞬、悪い予感がしてカラオケボックスにとって返し、部屋をみてもらったがそこにはないという。もしかしたら、自宅を出るときに横長の札入れをジーンズの後ろポケットに入れたまま、ブルゾンを着て出てしまい、バスの中かカラオケボックスの座席に座った際に落としたのかもしれないと思った。


 とりあえず、おでん店の支払いは家内がして、タクシーで一旦自宅に戻った。その車内で考えたのは、先述の「予測する能力」の重要性である。これは「リスク管理」にも直結するもので、そこには科学的な分析があり、また、それに基づいた判断がある。そこまで考えて、結局行き着いた結論は「財布は自分の部屋の机の上にある」というものだった。少なくとも普段、予測能力を高めるべく、いろいろやっているのだ。その自分自身を信じることにしようと・・。自宅に戻り部屋に入ると机の上にその財布は置いてあった。


 よくよく自分のでかける前の動作を思い返すとこういうことになる。横長の札入れを持っていこうとしたのは事実で、ジーンズの後ろポケットに入れようとしたのもそうだが、その後で、「これはどこかで座った際に落ちる可能性が高い」と予測し、一旦机の上に置いたのだ。その際に千円札の束をジーンズの前ポケットに入れたので、心のどこかで「今日はこれで足りるだろう」と思い、財布を置いていったのだろうと推測できる。


 「いや、たまたま財布を持っていくのを忘れただけじゃないか、その忘れっぽさを美化するな」という声も聞こえてきそうだが、それもそうである。でも、結果的に大きな被害を未然に食い止めたのだから、無意識にしろその動作は正しかったといえる。その意味では「予測する能力」というのも、潜在能力に近いもので、ある意味直観力と同じように作用するのかもしれない。重要なのはそういう思考回路、動作を自分自身の行動規範の中に組み込んでいくことなのだ。その積み上げが経営コンサルタントとしての武器になる。昨日のできごとはそのことを再認識する機会になった。


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2011年2月12日 土曜日 11:50:29 「常に本物を目指す」
 他人に「あるべき道=本物の生き方」を説く以上、自分自身が「本物」でなければならない。そして、人は本物のいうことしか受容しない。だからこそ我々は「本物の経営コンサルタント」にならなければならない。偽物はマーケットが必ず見抜かれ駆逐される。長年、第一線で活躍し続けることができるということ自体が、本物であるという証左であろう。そんなことをいうと「お前は自分が本物の経営コンサルタントだと自負しているのか」と突っ込まれそうだが、それに対しては、少なくともそれを目指して日々奮闘しているつもりだとしか答えようがない。


 昨夜、寝る前にyou tubeで「ちあきなおみ」の曲を聴いた。彼女は夫の急死を機に45歳で突如引退してしまったが、歌手としては一流、どんな曲を歌っても「これは本物だ」と感銘を受けてしまうほど素晴らしい。芸能界ほど本物と偽物が混在する業界はない。そして、きちんと生き残ってファンの支持を得ているのは「本物」なのだ。今時の歌手や曲に心が響かないという中高年の人がとても多い。それは曲自体にも原因があるが、行き着くところはそれを歌っている歌手そのものだろう。


 このところ何回も書いていることだが、我々の職業は60歳を過ぎてから味が出てくる。そしてそれは、20年以上かけて実力やコンサルタント人格を熟成させた結果である。つまり、それだけの期間、努力を積み重ねないと本物にはなっていかないということだ。そして、その過程には実にいろいろなことが起こり、当然、試練や岐路といわれるものも到来する。それらをすべて乗り越えて60歳なりを迎えるとき、我々は「本物」としてのパスポートを得ることができ、それはまさにマーケットが付与する価値ある「勲章」でもある。


 自分が60歳になったとき、その勲章たるものをマーケットから与えられうるのか、それはそのときになってみないとわからない。でも、あと7年弱という時間があるので、私なりに「本物」になることを目指して、こつこつとやるべきことを積み重ねていかなければならないと思っている。


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2011年2月10日 木曜日 11:21:58 「新たな境地への展望」
 2月は時間が過ぎるのが早い。あっという間に中旬になろうとしている。それに今週は3連休もあり、稼働する時間が短い。昨日は来年度から始める新規事業(コンサルタントの育成)のことで、旧知の編集者に事務所に来てもらい、夕食の時間も含めて6時間くらい打ち合わせをした。打ち合わせというよりは、私が一方的に企画案を喋るといた格好であったが、一応、私が考えていることを一通り彼に受け止めてもらい、ベースを作りながら、企画全体を組み上げていくという形が望ましいと思っている。


 昨日の話の中で、中小企業診断士という国家資格についての議論もあった。中小企業診断士というのは、あくまでも資格名であって、職業名ではない。そこが税理士とか社会保険労務士、司法書士等の国家資格とは違うところだ。要は業務独占がないので、名称のみ使えるという妙な国家資格になっているのだ。資格名は中小企業診断士だが、職業は経営コンサルタントであって、別に大企業や中堅企業、場合によっては個人のコンサルティングをしてもいい。つまり事業領域を規定するものでもなく、限りなく中途半端な資格なのだ。それでいて、試験に合格するのは結構難しく、数ある国家資格の中でも難関資格として位置づけられている。「足裏の米粒(とっても食えない)」という所以だ。


 実態としては、依然「食えない資格」の代表格で、約2万人いる資格者のうち、独立しているのは3割弱という数字がそれを如実に物語っている。しかも、独立診断士の7割強は定年後に活動している「年金受給者」である。また、「企業内診断士」などという「苦し紛れの」概念が生まれ、結局は「実務能力検定」の延長に過ぎないのかと外部から揶揄され、この資格を持って奮闘している者としては何ともいえない「情けなさ」を日々感じているところだ。私なんかは、活動を始めた当初、この資格しか頼りになるものがなかったので、これを何とか活かそうとしたが、結局は実力をつけて実績を積み、自分の看板の価値を高めることしか生き抜いていく術はないのだということを思い知って、最近は、この資格を前に出すことは全くしなくなった。株式会社フォレスト・ミッションの名刺では裏面に記載している程度である。


 しかしながら、私自身、この資格を取得するのには相当な努力をして、費用も使い、切羽詰まった中で勝ち得たものなので、人一倍思い入れが強く、何だかんだといいながら、これまで診断協会等の活動にも関わってきた。兵庫県でのプロコン育成塾は今年で6期を終えたが、あれも元々は私が企画立案して始めたものだ。プロコンサルタントとして有為な人材を育てて輩出していくことで、彼らの経営支援を受ける中小企業のメリットが増大していく、本当にコンサルティングができるプロコンを輩出していくことの意義は限りなく大きい。


 この夏くらいに、そういった「真のプロコン」を育成する事業を独自でやっていこうと思っている。他人に「プロコン道」を説くには、まだ若輩だしキャリアも足りないのかもしれないが、少なくとも自分が旬な活動をしているうちにやっておかないといけない、あるいは思い立った時にやならいといけないと思い、実行することにした。コーディネートはその編集者にやってもらうことになっている。東京に来てまた新たな境地を切り開いていきたいと思う。


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2011年2月9日 水曜日 11:39:56 「東京都内での活動」
 昨日、たまたま入った事務所近くの寿司店が、よく知っているオーナーの3号店だったということがわかって話が弾んだ。そのオーナーは私よりも少し年下だと思うが、相当頑張っているなということを伺わせる人物で、とにかく元気である。その寿司店も事務所から歩いて2分くらいのところにあり、これからもお客さんとの打ち合わせなどで使えると思って、これはいい再会になったと何か得をしたような気持ちになった。


 その後、家内の友人が関係する芸能プロダクション主催の新人歌手の「ライブ」に足を運んだ。「フウジンライジン」という女性の2人組で、「歌って踊るエンターテイナー」とのことで、非常にパワフルなステージだった。昔、放送局の東京支社に勤務している時に、レコード会社の招待でこういった「コンベンション」によくでかけたことを思いだした。そして、その後、行きつけの六本木のバーに顔を出して焼酎のロックを3杯ほどのんで帰路についた。帰宅したのが午前0時前で、それから風呂に入り、少し読書をして就寝した。


 年末あたりから、出張の回数が減って、自宅で資料を作ったり、事務所も含めた東京都内で打ち合わせや会議をしたりする機会が増えている。これは大変いいことで、いわゆるマーケティング活動の時間があると、かなり長期的な展望で事業の骨格を組み立てていくことができるので有意義である。上記のような行動形態は少なくともこの数年間はなかったことだ。とにかく、目の前の仕事を必死で遂行して次につなげていくので精一杯だった。やっと、腰を落ち着けて中長期的な仕事に取り組めるのだと思うと、これも感慨無量である。独立して以来、17年間で積み上がってきたものが、漸く実を結びつつあるという実感を確かな手応えとして感じているところだ。


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2011年2月8日 火曜日 10:51:27 「何故、書き続けるのか」
 2月3日付けのこのページで、現役引退をしたらこういう形での情報発信はやめると書いた。だから、あと最長17年間は書き続けようとは思っている。そもそもこのページを開設したのは、今から12年前、1999年の3月だった。経営コンサルタントとしてのスタートを切るにあたって、やはり、自分のことを広くマーケットに知ってもらうには、「不特定多数に対する発信」が重要だと考えたのがきっかけだ。それで、2週間くらいかかって手作りのホームページをつくり、このページの原型がスタートした。


 だから、私にとってこのページは、自分自身の41歳からの歴史を刻む「貴重な資料」であり、この12年間の喜怒哀楽のほとんどがこのページの中で綴られている。その意味では、相当の思い入れを持ってこのページを更新している。現在のアクセスはせいぜい40件/日程度であり、一時期からするとその数は激減したが、そんなことはあまり関係なく、私自身の「生きている証」として、このページの更新をこれからもしていくことにしている。つまり、そのエンディング・ポイントは70歳なりでビジネス人生を終える時までということになる。


 では、これから一体何を書いていくのかということだが、基本的な考え方はあくまでも「自分らしさを全面に出したもの」これに尽きる。誰に阿るわけでもなく、読ませるわけでもなく、自分の考え方、解釈、主張などを自己責任において記していきたい。そもそも実名で言いたいことをそのまま書くことができるというのは「独立事業者」の数少ない特権でもある。他人の実名を挙げてボロクソに批判するのは決して好ましいことではないが、必要があればそれも厭わない。時には誤解を恐れぬ論調もありだと考えている。


 日本の社会は明らかに「自己責任原則」の生き方を希求される状態になっている。徒に他人や組織を頼ることができない仕組みになりつつある。もちろん、いろいろな人間の共生社会で生きていく以上、そこには「法律」を典型とするルールがある。常識という人によって限りなく客観性を欠いた規範も存在するが、我々は一定のルールを守りながら、この小さな国で生きていかなければならない。しかし、そのルールたるものが最後まで国民を守ってくれないのが現状、であれば、自己責任でやっていくしかない。


 私のページは、格好良くいえば、その自己責任原則に基づいたものだ。頑張って社会的評価を受けるのも自分、マーケットからの支持も自分次第、逆に落ちぶれるのも自分の甲斐性がないからといった価値観でやっている。その規範みたいなものをこのページで示していくことだと思う。それが正しいかとかそういう問題ではない。ただ、ひたすら、自分自身の生き様とその基本にある価値観を言葉に変換して綴っていくという作業なのだろう。これを書いているこの一瞬こそが、その生き様の渦中の出来事であり、価値観を確認する価値の高い時間なのだ。


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2011年2月6日 日曜日 14:41:32 「過去をどんどん捨てて現在を生きる」
 今日は朝から自分の部屋の整理をしている。出張が続くと片付けをする時間もなく、それが2週間くらい続くと収拾がつかない状態になる。家内からクレームがつかないうちに自助努力で整理することがベストなので、日曜日の自由時間を使って頑張っている。元々がまめに整理整頓のできない性格で、それは父親の同じような状態をみたらすぐにわかるのだが、私が父親と違うところは、時々は自分で片付けをするというところで、すべてを家内に依存しているわけではない。そうしないと、個別の部屋を使っている意味がない。その点、父親の世代(昭和一桁生まれ)の男性は「亭主関白」ということと「家では何もしない」ということの違いがわかっていない。


 私なりに時々やる整理整頓の意義を定義すると、それは多分に「過去との訣別」という側面がある。整理すべきいろいろなものを、部屋の床に出して並べてみる。そして、公私にかかわらず、過去のものを中心にどんどん捨てていく。但し、年賀状など「人の縁」に連なるものは大事にとっておく。昔の新聞の切り抜きなど置いておいてもどうしようもないものは、どんどん捨てていく。そういえば、実家にある父親の書斎には、黄ばんでしまった新聞記事の切り抜きが畳の上に散らばっている。それを母親が捨てようとすると烈火のごとく怒り出すそうである。


 過去があって、現在があり、また、未来がある。それは揺るがない真実であろう。また、過去の自分がやったこと、その事実からは誰しも逃れることはできない。それがいいことにしろ、悪いことにしろ、である。しかし、どちらが大事かということになると、現在を一番大事にしなければならないし、その向こうにある未来は当然、無限の価値がある。過去はしょせん過去である。過去に生きるようになったら、人間も終わり、それは、「人生の終末段階」でいいのだ。「過去を捨て続けることで、現在の自分の立ち位置が明確になり、未来が見通せるようになる」、最近、つくづくそう思うのだ。


 昔話に花を咲かせるのは決して悪いことではない。中学とか高校とかの同窓会も悪くはないと思う。中学の同窓会があったら一度は是非行ってみたい。でも、その結果がみえているだけにモチベーションが作用しないのだ。あの頃、可愛かった女子はとんでもないオバさんになっているだろうし、男はほとんど世俗に塗れているか、老人の一歩手前になっているだろうからだ。幻滅しかない、それがわかっているだけに、どこかで二の足を踏んでしまうのだろう。あるいは「怖いものみたさ」という向きもある。


 80歳まで生きるとしたら、あと27年弱、おそらく過去にかえることはこの世を去るときまでないだろう。とにかく、現在を生き、そしてそれを積み重ねて未来へとつなげていきたい。そして、どんどんたまっていく過去は、パソコンのハードディスクをクリーニングするように、どんどん捨てていく。そういう生き方をしたいものだと思う。



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2011年2月4日 金曜日 11:44:40 「男の生き方について」
 岐阜に向かっている。節分も終わり、気持ちも新たに仕事に取り組もうという感じだ。このところ、できるだけ無理をしないようにしているので、以前のように時々、何とも云えない倦怠感に襲われることもなくなっている。ここ数年なかった健康状態で推移しているのは、家内の食生活を中心とした健康管理のたまものであろう。


 川北義則という人が書いた「50歳から男の磨き方」(PHP)という本を、盛岡駅内の書店で購入し、昨夜、寝る前に読んだ。川北氏はスポーツ新聞社の出版部長などを務め42歳で独立、出版プロデューサーや生活経済評論家として活躍している。1935年生まれだから、私よりもかなり上の世代である。最近は20歳代とか40歳代とか、各年代別に「生き方」の本を出されている。その論調はかなり硬派で、共感するところが非常に多い。まずは、人生の先輩として意見を傾聴させていただくということだろう。


 川北氏と同様に男の生き方論を書いている経営コンサルタントの山崎武也氏も70歳代半ばである。ふたりとも基本的に自分の力で生きてきた人達で、私なんかにとってはいわば「独立事業者」の先達である。そして、それぞれの著書で指摘している「男の生き方」に関する論調はほぼ重なっている。「生き方の達人」は、かなりの部分で重なり合う価値観を持っているのだろうと思うのだ。そこにくると、私などはまだまだ若輩者であり未熟者でもある。人生を語るにはまだ早いし、生き方論についても同様だ。


 その川北義則氏が前掲の本の中でこういうことを言っている。「50歳を過ぎたら、会社にしがみつけ。独立など考えない方がいい」あるいは「50歳を過ぎて(ビジネス関係の)資格をとっても使えない」というものだ。これは非常に重い指摘で、前者は私なんかも30歳代半ばの時にさんざん悩み、結局見切り発車で企業社会からはみ出てしまった。そして、40歳代からの「稼げる仕事を築いていくために」、後者の指摘である中小企業診断士の資格にチャレンジした。これも、おそらく50歳代になってそんな資格を持って経営コンサルタントなんかを始めても使い物にならないという予感があったからだ。


 私だって、あのまま放送局にいて現在に至っていたとしたら、この歳でどうこうするということはないだろう。というか、何もできないと思う。このままおとなしく定年までいた方が、あらゆることを総合しても「得だ」という判断になる。運良く役員にでもなったら、さらにう5年くらいビジネス期間が延びる。だから、50歳を過ぎたら、給料が出ている限り、クビにならない限り、自分から会社を辞めるなどという選択をするべきではないという前掲本の論調には共感するところが多いのだ。


 私の場合は、短気を起こして会社を辞めたのではなく、会社が経営破綻してしまったので、やむなく飛び出したというのが正直なところ、それにまだ36歳だったし、自分自身の実力を別の世界で試してみたいという野心もあった。その両方で何のビジネス・スキルもないまま独立し、徒手空拳で「自由競争」の世界にチャレンジしていったが、壁は厚く長い期間、苦闘を強いられることになった。でも、結果的に30歳代それも半ばで独立して本当に良かったと思っている。勤めていた会社の経営破綻がなければ、そのままいたか、独立するにしてももっと後になっていたに違いない。



 
この頃、しみじみ思うことがある。それは、1人の人間の人生というのは必ず帳尻が合うようになっているということだ。苦労するときもあれば、平和で幸せなときもある。雷の下にいるようなときもある。でも、同じ苦労をするのであれば、それは若いときの方がいいに決まっているし、穏やかで平和な日々というのは人生の後半に来る方がその幸せをじっくりと噛みしめられる。だからこそ、昔の人は「若いときの苦労は買ってでもしなさい」と言ったのだろう。その意味が最近よくわかるようになった。私はあの時に苦労を自ら買って出たのだ。会社を辞めずにそのままいるという選択もできたはずなのに、である。


 50歳を過ぎて、仕事やプライベートの問題で重大な決断をしたり、苦闘したりする人をみていると、余計にそういう想いになる。前掲の本などはそのことを見事に喝破している。私も70歳くらいになるかならないかの時期に、私なりの「生き方教本」を書いてみたいと密かに思っている。


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2011年2月3日 木曜日 21:01:12 「老後の生き方について」
 だいぶ前から70歳で現役引退をしようと考えている。その後の人生は余禄であり、もしも80歳くらいまで生きられたら、それはラッキーなことだと思っている。70歳からの生き方のイメージは、まだ、具体的には描けていないが、基本的には「世捨て人」の日々になるだろう。何ら生産をしない人間は、社会の前面に出るべきではない。「老兵は消えゆくのみ」なのだ。でも、80歳までとしても10年という長い時間がそこにはある。


 企業や役所等にに勤め定年後、「毎日が日曜日」になり、ゴルフ三昧という人がいる。近隣のゴルフ場でも独りで来ている老人がたくさんいるそうだ。誰か知らない同じような境遇の人とパーティーを組んでプレーをしている。そんなゴルフって本当に楽しいのだろうか。私には殆ど理解できない。仕事を伴わないゴルフなど楽しくとも何ともない。70歳までは仕事で頑張る。そして、ゴルフライフもそこで同時に終焉を迎える方がいいと思う。


 老後の生き方として、明確にいえるのは、極端に人付き合いが減るということだ。仕事をしていないのだから、無理をして他人とコミュニケーションをする必要はない。あるいは、世間でのいろいろな事象に首を突っ込んで、口を挟むようなことをするべきではない。「リタイアード・モンスター」と呼ばれるクレイマーになる老人もいるようだが、そんなことをしたら、自分が惨めになるだけである。一流とされる大手企業や官庁などで役員とか管理職をやったような人が多いようだが、「世間に関わっておきたい」という思いの強さの発露だとするのはあまりに好意的に過ぎる。単に「昔を栄光を忘れられないだけ」なのだ。


 老後の生き方として、もう1つはっきりしているのは、「住んでいる街のゴミを拾ったり、自宅まわりの近隣の掃除をしたりする」ということだ。いわゆる社会奉仕であるが、同じ体を動かすのであれば、グランドゴルフをしたり、山歩きをするというような「自分のための」ことをするより、少しでも地域や他人のためになるようなことをするべきだと考えている。少しでも年金がもらえるのであれば、その分、そういった無償奉仕をすることで、応分のものを社会に提供するというのが老後の目指すべき生き方だと思う。


 あと、こんな形での情報発信も一切やめる。ブログなどで定年退職者とおぼしき人物の「社会批評的な」ものが結構あるが、これも、自分には見識があるのだという妙なプライドと社会と関わっていたいという潜在欲望が入り交じって表出した形だと思っている。引退したのだから、その引退をしたビジネス社会とは、一定の距離を置くというのがあるべき姿勢であって、プライドは内に秘めるべきものである。要するに未練がましいのだ。本当にプライドのある人は、現役の時も引退してからも自分の生き方に対する明確な理念に基づいた行動規範を持っているのだ。


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2011年2月2日 水曜日 14:42:32 「春の気配を感じつつ」
 盛岡の講演から戻る新幹線の車内である。講演は午前9時から3時間に及び、自分としてはいつもよりも淡々とした口調ではあったが、気合いを入れて喋ったので、結構疲れた。専門的な話を中心に3時間も話をするのは容易なことではない。今日の聴衆は県職員が殆どで、森林や施業現場における知識は私なんかよりはるかに豊富である。そういう人達を相手に、ポイントを突いた話を3時間もすること自体、よくよく考えると大変なことだと思う。単なる政策紹介ではダメで、そこに独自の分析や根拠に基づいた予測、有益な示唆が盛り込まれていないとこの3時間は退屈なだけになるし、何よりも東京から私を呼んだ値打ちもない。


 盛岡市内は根雪が固まってうっかりすると革靴がすべって転倒しそうになったが、午後の日差しは、かなり暖かく春の気配を感じさせるものだった。「なごり雪も降る時を知り、ふざけすぎた季節の後で・・・」という名曲のフレーズを思い出しながら、講演後、駅へと急いだ。1回1回の仕事に全力を尽くす・・・これが私の経営コンサルタントとしての原点であり、それはこれからも変わることはないが、その方向性として、あくまでも「経営」という視点からの提言や論調がますますその主体となっていくということを、これまで以上に意識している。


 何を言いたいかというと、例えば林業においては、今般の森林・林業再生プランの目玉ともいえる「フォレスター(森林官)制度」のように、オールマイティ的な専門人財が今後、日本でも輩出されていくという道筋がある。私なんかもせめてもう10歳くらい若かったら、そういうものを目指すと思うのだが、いかんせん、すでに53歳であり、元々が林業育ちではない。そういう人財のソースは、少なくとも40歳前半以下の層に求めていくべきだと思う。だからこそ、経営の視点、マネジメント、あるいは林業を主体とした地域振興といった部分で、自分の活動領域をある程度特定し、フォレスターやプランナー、現場技術者といった人材を応援していきたいと思っている。


 今日の講演の中でも話したのだが、林業における現場人材としては無理があって、せいぜい自分の森林を持って、手入れとかをやって、森に近い人間になるというくらいしかできない。でも、「忠実なる観察者・率直なる助言者」である経営コンサルタントとしては60歳くらいから味が出てくるので、そういう立場であと10数年頑張るのだと内外に宣言している。今の林業にはいろいろな役割の人間が必要で、私のようなスタンスの人間がいてもいいのだと思う。


 昨夜はホテルですぐには寝付けなくて、結局、午前2時くらいまで起きていた。おかげで寝不足である。今日は夜、東京で会食があるが、おそらく鎌倉の自宅に帰り着いたらすぐに爆睡になると思う。こんな日々を送っているうちに春が到来するのだろう。


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2011年2月1日 火曜日 20:29:39 「しぶとく生きている」
 盛岡に向かう東北新幹線の中にいる。明日の講演が午前9時からなので、盛岡市内のホテルに前泊することになっている。事務所での仕事を終えて、東京駅に向かったのが午後7時半、多くのビジネスマンが帰路につく頃に、私は弁当を買って東北新幹線のホームに向かう。かなり気持ちが暗くなる瞬間だが、車中の2時間余りというもの、好きな音楽を聴きながら、自由な思索を巡らせて、独りの時間を楽しむことにしており、それはそれなりに充実したものになる。


 明日は、学生時代からの友人であった伊住政和君の命日である。亡くなってもう丸8年になる。生きていれば満52歳、男盛りである。彼の命日には毎年、墓参りに行っていたのだが、今年は出張もあって行けそうにない。次回の関西出張の際に行こうとおもっている。彼が生きていたら、お互いに50歳を超えたこの時期に、立場は違えど、あれこれと同時代を生きながらやり取りができたろうにと、いまさらながらにその死を無念に感じる。ゴルフなんかも一緒にしたかったのに、ついぞその機会にも恵まれなかった。


 彼のような、この日本にはなくてはならないような人物が44歳という若さで夭折し、私のような平凡な人間が、彼よりもすでに10年も長生きしようとしている。自分としては馬齢を重ねてきたということは断じてなく、私なりの努力を積み重ねてきたと自負している。でも、彼が亡くなってからの8年間というもの、何かもの足らないものを感じながら、でも、生きていくために必死でやってきたというのが正直なところだ。その過程で、いろいろなことを率直に相談しあえる友人という存在の貴重さを何度思い知ったかわからない。結果的にすべてのことを私はひとりで意思決定し行動してきた。


 その結果として、私はこうして今日も一応健康で、マーケットの要請に応えるために走り回る日々を送っている。昨日は経営診断報告会で三重県内に日帰り出張だった。自分がやっていることに対しての手応えをいつにも増して感じ、もしかしたら「亡くなった彼の分まで奮闘しているのだ」と思ったりした。独立してから丸17年、いろいろなことがあったが、私はこうして「しぶとく」生きている。


 車内で愛用のピューターと銅製のグラスで、IWハーパーを味わいつつ、中西保志の曲をBGMに、いろいろと思索を展開する・・・、私には珠玉の時間である。明日の講演も全力を尽くして、それで勇気づけられ頑張る人が一人でも多いことを願うのみである。現場で懸命に働く人達のやる気、創意工夫を伴った事業活動に、日本の経済の命運は委ねられているといって過言ではない。私の社会的使命はそういう人財たる人達にできるだけ明確にやる気を高めたり、問題解決のヒントとなる助言をしていくことなのだ。そういう意味で、これからも「しぶとく生きて」私なりの使命を遂行していきたいと思っている。


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2011年1月30日 日曜日 20:27:19 「プロコンとしての自負心と誇り」
 この土日は、自室に閉じこもって経営診断報告書や講演資料等を集中的に作成していた。まさに寝食を忘れてという感じである。締め切りのあるものについては、とにかく、間際にならないと集中してできないという性格で、それゆえに先方に対していつも心配や迷惑をかけていて、申し訳ないという気持ちでいっぱいなのだが、なかなか、その癖を直すことができないでいる。


 今日なども殆どの時間を報告書作成に充て、煮詰まった時に外に散歩にでかけ、夕食時には気分転換に私が調理をするなど、それなりにアクセントをつけながら作業に没頭した。日曜日も土曜日もないというのが我々の職業の現実であり、自宅での家族サービスを犠牲にしてでも、仕事を遂行するという決意と実行がなければ、プロの経営コンサルタントとして成功することなどあり得ない。


 明日、完成した経営診断報告書を持って、先方での報告会に臨むが、自分で得心のいく報告書を書き上げることができれば、報告会の成功は80%以上保証されたも同然である。それくらい、報告書作成には魂を込める。我々の職業は仕事の中で具体的な成果を出してこそ評価の対象になるのだ。


 報告会が終わったとき、いつも脱力状態になる。そしてまたそこにエネルギーがチャージされていくのだ。その源泉は「いい仕事をした」という「自負心」であり、価値のある仕事を1つ1つ遂行しているという「誇り」にほかならない。東京に帰り着く頃には、チャージが半分くらい終わっており、さらにその後の余韻の中でフルチャージとなるのだ。自分なりの「美学」をずっと持っていたいし、究極的には「芸術的」ともいえる仕事を遂行していければと思っている。


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2011年1月28日 6:58:52 「仕事そのものが鼓舞してくれる」
 年が明けてから、ずっと70%くらいの体調で活動してきたが、この数日でそれが80%くらいになり、今朝なんかはずいぶんとすっきりとした目覚めで、内面からかなりパワーが湧き出てくるような感触も出てきた。もう53歳なのだから、そこここが傷み出すのは当たり前といえばそうだし、製品でいえばこの肉体は中古品であり、「ハードオフ」なんかへ持って行ったら「気持ちだけの金額で引き取ってくれる」という代物であろう。そこに一定以上の知見や価値を生む能力が備わっていなければ、「ただのオッサン」は、粗大ゴミに過ぎない。


 昨夜、ニューズ番組をみていたら、JALの副操縦士だった52歳のパイロットが再就職先に窮し、ハローワークに通って職探しをしているというシーンがあった。52歳といえば、私よりも年下である。「また、えらい厳しい世界だね」と家内と話しつつ、突然、思い出したのは、10数年前に生活に窮して、当時の家内の父親の紹介で、ある中小企業に就職の面接に行ったときのことだ。私の履歴書をみるなり、「あんたのような経歴の人をうちで使いこなすことはできない。あんたにはそれなりの道というものがあるはずだ」と社長は開口一番いった。自分自身ではたいした経歴でもないと思っていても、別の立場からはそうは思えないということをそのときに思い知った。いわゆる、「雇用のミスマッチ」であり、そのパイロットにもそれがいえるのかもしれない。


 そういう意味でも、曲がりなりにも経営コンサルタントとして、日々活動ができて、小さいながらも会社組織としてやっていけていることを、ことさら「ありがたいこと」と思わなければならない。昨日も林業関係者が集まる「事例発表会」で、それを思い知る場面がたくさんあった。愚直ながらも営々とやってきたこと、私なりの「マーケティング戦略」でもって取り組んできたことが実ってきているという実感を持つ、それは、当然、仕事を通じてのこと。仕事そのものが自分自身の存在証明を自覚させてくれるし、鼓舞してくれる。これも大変ありがたいことだと思う。


 「私の職業は経営コンサルタントです」と言い切ることに、最近は何のためらいもなくなった。船井幸雄さんのように、「新幹線の中で出会った経営者に経営コンサルタントのことを馬鹿にされたから、上場を目指した」というわけにはいかないが、私自身は、価値のある仕事を積み重ねていくこと、その中で具体的な成果を出していくことで、この職業についているということの誇りをしっかりと持続させていこうと思っている。


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2011年1月25日 火曜日 11:58:20 「同級生との思いがけない邂逅」
 先週の土曜日、我が家に来客があった。家内の長い知人であるUさんである。1年くらい前に本人と会って話をしていて、彼女が私の大学の同級生だということがわかった。食事にも何度か一緒に行ったことがあるそうだ。記憶を辿ってみると確かにそんなことがあったような気もする。彼女のこともかすかに覚えていて、どうして、京都出身の女性が湘南にいるのか、そして、私の家内を通じて30年ぶりに再会したことも不思議でならない。


 彼女が持ってきてくれた大学の卒業アルバムをみながら、あれこれと学生時代のことを語り合った。その流れでいろいろなことを想い出しつつ、私の学生時代を同時代で知っている人が身近にいるという偶然を改めて実感した。こういう偶然はそうあるものではない。彼女によると、他にも同じ大学出身者が何人かいて、「湘南同志社会」なるものが存在するとかしないとか、なければ、これから作りましょうという意味か。家内も「それはいいことだわね」と言ってくれる。


 おまけに、Uさんは主婦でありながらゴルフが生き甲斐ということ、近々に友人を誘うから一緒に行きましょうと、ゴルフのお誘いまでしていただき、感謝感激の極み、この地に来て良かったとしみじみ思ったりする。ゴルフを本格的に再開しようとしている立場としてはこんなに有り難いことはない。


 私はこれまで、中学・高校・大学の同窓会といった類のものには一切参加をしてこなかった。独立してからというもの、過去を振り返る余裕などなかったし、そういうものに意味を感じなかった。それがもう17年間も続いている。でも、去年くらいから、そう頑なにならなくてもいいんじゃないかという気持ちになってきた。一つは歳をとったからだろうし、もう一つは精神面でちょっと余裕が出てきたからかもしれない。


 Uさんのいう「湘南同志社会」は、とてもいい枠組みだと思う。東京とはまた違った味があるのだろう。思いがけない邂逅が、また新たな出会いや世界を切り開いてくれる。人間は独りでは生きていけないもの、縁でもって生かされている。出来れば、いい人のネットワークを創っていきたいもの、この歳になって漸くそんなことに目覚めたのは遅きに失した感もあるが、60歳からが味の出てくる人生だと定義している私にとっては、新しい生き方はまだ始まったばかりだ。この先に起こることへの期待が日々の生活に張りを与えてくれるという事実が、何よりも嬉しい。


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2011年1月22日 土曜日 10:50:40 「ゴルフの楽しみについて」
 昨年秋くらいから、月1回くらいゴルフにでかけるというペースになった。独立をした1994年から事実上封印していた「趣味としてのゴルフ」を17年ぶりに再開することになって、正直、とても嬉しい気持ちになっている。大学の体育の授業以来、1986年に久しぶりにゴルフクラブを持って練習場に通い始めてから25年になる。


 この間、8年間は夢中でゴルフに親しみ、その後の17年間は全くやっていなかったわけではないが、事実上の「休止期間」」となった。きちんと自分の力で飯が食えるようになるまでは、金のかかる趣味はやってはいけないと自分自身に言い聞かせ、ギターを弾く以外に趣味らしきものは何もなかった。


 ゴルフはどちらかというと楽しむというよりは「競技志向」で、やる限りはベストスコアを目指すというタイプである。だから、これまで各種のコンペで10回くらい優勝している。特に、ショートゲームにはかなりの自信を持っていた時期があった。前回だったか、葉山国際CCでプレイしたときに、その片鱗をみせたことがあった。30ヤードくらいのアプローチをPWで寄せて、チップインバーディーを狙うというチャレンジである。ラインに乗っていい感じでボールが転がり、その瞬間、「まだまだいける」という手応えを感じるには十分なアプローチだった。


 これからは月1回のラウンドをベースにして、週末には練習場に行き、できればショートコースにも出かけたいと思っている。ドライバーなんかは練習場で感触をつかめるが、ショートアイアン、アプローチとかパットは実際のコースでやらないと勘というものを養うことができない。得意のショートゲームでチョンボをしていたのでは、いいスコアが出るはずもない。

 1年くらい前にクラブを一式、新調した。これも実に17年ぶりのことである。私なりのゴルフライフをこれから精一杯楽しんでいこうと思っている。


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2011年1月21日 金曜日 10:39:11 「経営者としての経験は必要」
 熊本に向かうANAの機内にいる。今日は経営者向けの内容になる。朝、午前7時前に起きて出張準備にかかり、羽田行き8時20分発のバスに乗る。こういう日はバスの中で家内が作ってくれた「おにぎり弁当」で朝食をすませる。羽田空港に着いたのが約1時間後の9時半頃、フライトまで1時間近くあったので、ANAのラウンジでメールをしたりする。社員への業務指示がかなりある。


 今月は出張日数が移動日を入れて7日間と昨年よりもぐんと少なくなっている。ヒマになったのかというとそうではなく、社員コンサルタントの藤野君の出張日数や稼働日数がものすごくなっている。おかげで、私は経営診断報告書の作成をしたり、その他の活動をしたりする時間ができて精神的にも肉体的にもひと頃に比べるとゆとりをもって案件に向き合うことができるようになっている。


 先週の「プロコン育成塾」でも話したのだが、社員を2人もかかえると固定費たる一般管理費が増えて、それをまかなうための「収益」を毎月確保しなければならなくなる。もちろん、それは経営者たる私の役目であり、さらには、社員たちがやりがいをもって仕事をする「動機付け」を継続的にやっていく必要もある。


 経営コンサルタントにとって、自ら経営を実践する経験が必要かどうかというテーマについて、よく議論になることがあるが、当然、ないよりあった方がいいに決まっている。自分の経営コンサルタント会社を経営するというのもその1つだとは思うが、1人でやっているのは経営とは到底いえない。それはただの「自営業」である。

 
 私の場合は、1996年から1999年まで報道系ベンチャー企業(地域経済新聞社)の創業と経営に携わった貴重な経験がある。社員はピーク時で40人くらいになり、相当な大所帯になった。ビジネスモデルとしては当時では斬新であり、マーケティングのコンセプトも事前調査を行った上でかなり練って構築したのだが、不測要因があまりに多く、苦戦を強いられた。


 でも、その経験は今もしっかりと活きている。経営者の人に物をいうときも、自分自身にその経験があるのとないのとでは、言葉の力が違ってくるし、当然、受容度も違う。リスクを負って経営するものと雇われている者との各種の温度差は企業の規模にかかわらず悲しいくらいに顕著なのである。


 今日は講演の後、懇親会があり、そのまま熊本市内に宿泊する予定である。今日も渾身の内容で仕事を終えて、旨い酒をのみたいものだと思っている。


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2011年1月14日 金曜日 20:56:19 「不屈の闘志と諦観の共存」
 「成功する秘訣は諦めないことである」という定説がある。我々の業種にもそれが言える。今日や今週がとことんダメなことばかりであったとしても、気を取り直して頑張れば明日や来週にはいいことがあるかもしれない。希望や期待感が現実の苦しみや辛さを上回る時、人は前を向いて努力をするものだ。だから、プロコンサルタントとしてそれなりにやっていくために、第一義的には絶対に諦めないという「不屈の闘志」が必要だといえる。この場合、「諦めが悪い」ということをネガティブに捉えなくてもいい。


 これに対して、真逆の考え方として「いくら努力しても、マーケットから支持されないのであれば、さっさと撤退する」という「諦観」もまたあっていいと思う。コンサルティングは、「こういうことをやって欲しい」という顕在なり潜在なりの「コンサルティング・ニーズ」があって初めて成立するビジネスである。「私は優れたコンサルタントだ」といくら自負していても、実際にニーズに基づいた仕事をして成果を出さない限り、彼の実力は誰にも評価されない。そして、そのニーズを有するマーケットから何ら相手にされない現実が何年も続くのであれば、この職業には向いていない、あるいは能力がないと判断してさっさとやめるべきである。


 私の場合、この仕事を始めた1年目にいきなり厳しい試練に見舞われた。前に書いた通りであるが、心が折れかかったことも一度ではなく、実際に転職も考えたし、そういうアクションをしかけたこともある。プライベートの部分の問題もあって、悩みが悩みを呼んでうつ状態になり、自殺を意識したこともある。でも、最終的に私はこの職業を断念することは出来なかった。意地? 根性? そんな格好のいいものではない。ただ、やめたくなかっただけだ。


 体調を大幅に崩して、半年間、実家で静養して仕事に復帰した2002年の10月、今から8年余り前になるが、私は溢れんばかりの闘志と情熱、使命感を持ってある意味取り憑かれたように激しい活動を展開したのだが、同時に先述のような「諦観」を胸奥に持つようになった。「もう1回、チャレンジしてみてマーケットが自分を全く評価してくれなかったら潔くこの仕事をやめて、全く違う世界で生きていこう」と思った。これが標題の「不屈の闘志と諦観の共存」である。


 その気持ちは現在でも基本的に変わらない。我々はマーケットに育てられ生かされている。そのマーケットから見捨てられたとき、我々に何の存在価値があるというのだろう。自立を基本とする我々の職業は、誰かに「しがみつく」べきではない。それは自己否定のなにものでもない。「誇りを失った経営コンサルタントは、ただのオッサン以下」なのである。


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2011年1月13日 木曜日 23:50:14 「経営コンサルタントとして生きる」
 経営コンサルタントという職業を名乗っている人間は、日本にどれくらいいるかというと、一説には3万人くらいだということだ。世間で名をしられている有名コンサルタントから無名でも日々奮闘している人、殆ど実体のない人、詐欺紛いの怪しげなことをやっている者もその中には含まれているのだろう。


 私自身、当初から経営コンサルタントという名称には違和感があって、できるだけそう名乗らないようにしてきた。一時期は「企業新生プロデューサー」などという造語をあみだしてそれを名乗っていたこともある。ちなみに中小企業診断士というのは資格名であって、職業名を示すものではない。「司法試験合格者」と「弁護士」や「検事」の関係と同じである。だから、「中小企業診断士の誰々です」と名乗るのは基本的に間違っている。税理士とか社会保険労務士は資格名と職業名が同じである。これは法定の業務独占が存在しているからであろう。


 そういうこともあって、自分の職業をどう名乗ろうか、最近まで妙に悩んできた。アンケートなどで職業を記入する欄があるが、経営コンサルタントなどというカテゴリーはまずない。だからいつもその他である。あるいは、曲がりなりにも会社を経営しているので、「会社役員」というところに印を入れたりしている。


 でも、最近は自分の職業を「経営コンサルタント」とすることに抵抗がなくなってきた。企業や団体等の経営に関するコンサルティングをしているのだから、この名称以上に実態を示す表現はない。それに、仕事先の関係者が私のことを「林業専門の経営コンサルタント」と紹介してくれるので、いつの間にか抵抗感もなくなった。


 一応、経営コンサルタントとして12年間、私は試行錯誤の中で生きてきた。そして、1つ1つ実績を積み重ねてきた。その過程で「経営コンサルタントなりの人格」を身につけてきたと思っている。いわゆるプロコン人格であるが、これは、聖人君主であるということと同義ではない。あくまでも、経営コンサルティングのシーンにおける特定の人格である。真面目さは必要だが、それだけで通用する世界ではない。かといっていいかげんなことをしていたのでは仕事は続いていかない。学者や研究者のようなことばかり言っていたのでは何ら効果があがらないし、やたら元気なだけで中身がなければバカにされる。だから確実にこの職業独特の属性や人格を具備することが必要なのだと思う。


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2011年1月12日 水曜日 23:03:14 「プロコン設備という考え方を持つ」
 機械や建物、車両などを購入することを設備投資という。そして、その費用を一定の期間内で費用化していくことを減価償却という。同じように、我々経営コンサルタントにも「プロコン設備」及び減価償却という考え方が必要だというのがこのページの主旨である。


 プロコン設備に該当するものとして、スーツとかバッグとか時計とか、主に我々が人前に出るときに身につけるものと定義する。設備という以上、形のあるものでなければならないからである。


 自家用車とか、事務所の備品とかは、事務系の設備であり、これらとは区別したい。また、知識を得るための本を買ったり、資格をとったり、セミナーに通ったりする費用は、同じ投資的行為でもコンサルティングに関する商品開発や研究のためのものになる。これはいわゆる「繰延資産」であり、やはりプロコン設備とは峻別される。


 前置きが長くなったが、いま、私が着ているスリーピース(パターンオーダー)は、1年ほど前に買ったもので12万円だった。あと、ワイシャツやネクタイ、靴と時計、万年筆、ボールペンなど身につけているものを全て購入価格でたしあげると仮に40万円だったとする。これが高いか安いかはその人の価値観であろう。


 この装備で、私が年間20回、コンサルティング等に出かけたとする。これらプロコン設備の償却期間を5年間とし定額法でいくと、1回あたりの減価償却費は4,000円(40万円÷5÷20)ということになる。つまり、私はこの格好で出かける仕事1回につき、4,000円の費用をかけていることになる。それなりの報酬をいただく以上、あるいは、プロとして価値のある発信をするのに、4,000円くらい原価をかけないだろうか。仮に稼働が10回としても8,000円である。

 
 実際にはスーツやワイシャツはともかく、時計やカフス、ペンなんかは10年以上問題なく使えるので、1回あたりの費用はもっと安くなるのだろう。そう考えると、40万円というプロコン設備への投資は決して高くないといえる。プロフェッショナルにはそれに適合する装備が必要なのだ。それは決して贅沢でも何でもなく、より、いい仕事をして、マーケットの要請に応えていくためのもので、戦場における「鎧甲」に相当するものだといえる。


 以上が私なりの「プロコン設備」の考え方である。妙な考え方だとする向きもあるかもしれないし、「コンサルティングは内容で勝負であって、見かけなど関係ない」という意見も否定しない。でも、私はこういう考え方でずっとやってきた。だから必要以上に服装や持ち物にこだわる。これからも年齢相応、TPOに応じたプロコン装備を続けていきたいと思っている。


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2011年1月11日 火曜日 21:36:12 「あるべき(でない)コンサルタント像とは」
 「自分が経営者だったら、こんなコンサルティングをして欲しい、あるいはこんなコンサルタントと一緒に仕事がしたいというコンサルタントを目指す」というのが、私の経営コンサルティングに対する基本的な考え方である。主観的なところに踏み込むと、私なりのあるべきコンサルタント像は下記のようなイメージになる。


<私が経営者だったら一緒に仕事がしたいコンサルタントのタイプ>

  • 自分とは違う視点を持っている
  • 価値観が自分と近い
  • 相手の気持ちを忖度した言動ができる
  • 基本的にはポジティブな発想を持っている
  • 話を聴いていると気持ちが明るくなったり楽しくなる
  • 金にせこくない
  • 普段は冷静沈着だが、時々人間味を垣間見せる
  • 自分のスタイル(服装・行動規範・生活様式・趣味等)を持っている
  • 付き合い上手である
  • よく笑う


 上記は私の極めて主観的な条件であるが、大事なのはこういうイメージを映像化して常に心のスクリーンに焼き付けておくことである。人間、自分の価値観とか主観というものに本来自信を持つべきである。その自分がこういう人と仕事をしたいと心底思う経営コンサルタントのイメージを具体的に描き、そうなるように日々努力や研鑽を重ねていくことで、その本人も成長する。成長する中で、あるべきコンサルタント像も進化していくのだろう。


 逆に一緒に仕事をしたくない、付き合いたくないコンサルタント像というのも当然存在する。それを自分自身への戒めとしてチェックしておく必要がある。ちなみに、私が描く嫌いなコンサルタント像(ビジネスマン像と言い換えても同じ)は下記のような感じだ。


  • 私は偉いのだという内面が態度に表出している
  • 学歴とか経歴に異様にこだわる
  • 金銭に細かく妙にせこい
  • 酒ののみ方に品がない
  • 何かというと有名人(松下幸之助とか稲盛和夫とか)の金言を引用する
  • すぐに「私が 私が」としゃしゃり出てくる(コンサルタントは主役ではない)
  • 妙な経営理論を当たり前のように押しつける
  • 服装とか装飾品の趣味が悪い(変なブレスレットとか似合わないヘンリーネックのシャツとか、ルイ・ビトンのブリーフケースとかを持っている)
  • 言葉が軽い(ペラペラとよく喋るが内容がなく結論もない)
  • 聞いてもいないのに自分の家族の話をし出す(仕事とは関係のないこと)


 結局何を言いたいかというと、自分なりの価値観、理想像というものをきちんと持っていないと、この職業では成功しないということだ。それは時にマニアックなものであってもいい。マニアックであればあるほど、特定のニッチな市場で高く評価されることもあるのだ。私だってまだまだ未熟で道半ばの人間だ。偉そうなことを言える身分でもない。でも、自分の価値観を曲げることなく、これまで営々とあるべき姿を目指して取り組んできたという自負は持っている。人の好き嫌いもはっきりしている代わりに、逆もまた真だと思う。しかし、自分の価値観を曲げることよりも、敵を作ることを選ぶ生き方に私は与する。平和というのは血を流すことを厭わない戦いの結果、勝ち取るものだということをこれまでの人生の中で体験的に知っていることもある。それくらい、自分自身の価値観というものは大事なのだ。


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2011年1月10日 月曜日 22:25:58 「言葉と言刃と言場」
 我々、プロコンサルタントが仕事をしていく上で最も重要な道具は「言葉」である。経営者や役職員等の生の言葉を傾聴し、情報を収集し分析、問題をみつけ解決するべき課題を設定し、その解決方法を助言し彼らと一緒に解決する取り組みを行う。その助言についても書くなり話すなりの言葉で行うのだ。プロコンサルタントになるためには、この最重要の道具=武器である言葉を普段から磨き込んでおかなければならない。


 言葉は「言の葉」と書く。つまり口から出た葉である。その葉っぱにメッセージが書き込まれているのである。そのメッセージの塊である言葉を相手が受容してこそ、その意味が理解され、それが行動に繋がるのだ。しかし、言葉は一度その人間の口から出たら最後、二度と元には帰らない。葉っぱだからヒラヒラと空を舞っていくのだ。


 今から10年ほど前、プロレスラーの長州力に対して、暴言を吐いた後輩の橋本真也(故人)に対して、長州が「おまえ、一度吐いた言葉は二度とのみ込めないんだからな」と言い放った名言がある。その通りである。言葉は一度言ってしまえば、独り歩きするのである。だからこそ、言葉でビジネスをしている我々は自分が発する言葉そのものに責任を持たなければならない。


 経営コンサルタントにとっての「ことば」の2つめの概念、それは「言刃(ことば)」である。つまりは刃(やいば)のようによく斬れるものだということだ。「エッジのきいた言い方・表現」などという形容がある。エッジというのはスケート靴の刃の部分という意味である。我々にとって、言葉はとにかく斬れ味が鋭くなければならない。だから普段から「刀(言葉)」を磨かなければならないのだ。でも、時には斬れ過ぎて、相手を傷つけてしまうこともある。言葉の選び方、表現の仕方、トーン等にはくれぐれも留意したいものである。


 ついでに3つめの概念、それが「言場(ことば)」である。つまり、その場の空気やシチュエーションに応じて、最適な言葉を選択していくということだ。コンサルティングという真剣勝負の場の緊張感の中で、その場の空気を把握し、顧客の成長・改善につながる助言をしていく、そのツールとしての言葉は極めて重要だ。我々が発する言葉によって、その企業が生き抜いていくべきだし、間違っても死なせてはならない。だからこそ、単語を1つ1つ定義し、重みとインパクトのある言葉を発していく「プロの言葉遣い」が必要不可欠なのだ。


 言葉と言刃と言場、経営コンサルタントとして、是非とも大切にしたい概念である。


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2011年1月9日 日曜日 22:52:08 「プロコンサルタントの佇まい」
 経営コンサルタントを本業として活動を始めてからもうすぐ丸12年になる。中小企業診断士の資格に登録した1999年4月、満41歳の時だった。やる気は満々だったが、ベンチャー企業の創業と経営の直後だったこともあって、貯金がゼロ、おまけに借金があった。いわゆる「マイナスからのスタート」になった。それで、人脈を駆使して想定される限りのところに営業をかけたが、見事なまでに空振りに終わった。ビギナーズ・ラックもなく、家族を抱えた当時の私は現実の厳しさになすすべもなかった。


 それから12年、当時の私と現在の私ではどこがどう違うのか、その違いたるものを明確にすることで、「プロコン像」の外形を少しは示すことができるのではないかと思う。
まず、その違いとは次の5つに収れんするだろう。

  • 年齢(外見も含めて)から来る信頼感・安定感・説得力
  • 林業コンサルティングや経営再生支援における実績
  • マーケットからの具体的な評価と要請
  • 孤軍奮闘ではない、組織化やネットワーク化された実態
  • 活動を支えてくれる家庭を中心にしたロジスティクス体制


 しかし、まだまだ道半ばである。上記の5つの項目だって今後どうなっていくかわからない。この世界は「今(現在)が一番大事であり、将来(明日)は現在の努力や取り組みによって規定される」という真理を我々は肝に銘じなければならない。そのことは、私なりの拙い12年間の活動から得た教訓である。我々は今日を生きているのであって、それがあって初めて明日を生きることができるのだ。そして、過去の積み重ねが今日の活動を活かし、それが明日の収穫へと連結していく。これもまた真理であろう。


 真のプロフェッショナルになる、それは並大抵の努力で実現するものではない。公にベラベラと開陳できない「企業秘密」もそこには隠然と存在するのだろう。でも、真理は厳然と存在する。「目指すべき目標に向かって、営々とあるいは愚直にやるべきことを積み重ねていく」ことだ。


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2011年1月8日 土曜日 19:34:09 「味が出るということ」
 最近、人の話を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、曲を聴いたりするときに、「味が出ているか、そうでないか」ということにこだわるようになってきた。もちろん、自分自身に関しても例外ではない。同じことを言っても「味が出ない」とさらに深く受容されないのではないかという仮説を持っている。いわゆる「深味受容説」である。味わい深いほど、その内容は受容されるということだ。


 最近、好きでよく弾き語りで歌う曲に「あなたに逢いたくて」という曲がある。松田聖子が作詞作曲した曲だ。「一緒に過ごした日々を忘れないでね 後悔しないでしょ ふたり愛し合ったこと」というフレーズがいかにも彼女らしい。you tubeで検索したら、この曲を松浦あやと稲垣潤一がデュエットしている。稲垣潤一はそれなりに味が出ているのだが、松浦あやはダメである。松田聖子の「味の深さ(濃さ)」とは雲泥の違いである。同じ曲を歌ってもここまで違うのかという典型だ。要は人生経験の違いであろう。


 松田聖子ほどポジティブな生き方をしている女性はいない。あそこまでいくと大したものだと思う。昔は嫌いで仕方がなかったが、「あなたに逢いたくて」を出した10年間くらいから「なかなか味が出てきていいな」と思うようになった。とにかく、強いひとだし、それに共感する女性も多いことだろう。中森明菜とはえらい違いだ。


 綾小路きみまろという芸人も味がある。この人も売れない期間が半端じゃなく長かったらしい。場末のホールで司会などをして食いつないでいたらしい。相当苦労したのだと思う。だから、芸に味があって笑いをとるワザを持っている。鳩山元首相の物まねをしていた何とかという芸人とはえらい違いである。やはり、長年かかって積み上げてきたものは伊達ではないのだ。本物はどんな時代でもきちんと生き残っていく。我々の職種も同じことだ。いかにして味の出るコンサルタントになるか、バカにできない命題であろう。


 先日、家内とDVDで「ゴッドファーザー」という映画を観ているときに、ゴッドファーザーことマーロン・ブランドの演技をみて「味があるなぁ」と見解が一致した。その映画を観ていてふと想い出したのが、サラリーマンの時代に可愛がってもらい、いわゆる「帝王学」を指南してもらったS氏のことである。S氏もゴッドファーザーのようにいろいろな人の相談に乗り、その人脈や権力で解決して、「S氏のところに行けば何でも解決してくれる」というような「虚像」が既成事実化していたユニークな人だった。6年くらいお付き合いをさせてもらったが、その言動にはとにかく味があった。でも、昭和という時代を裸一貫で生き抜いたプライドがそこには見え隠れした。


 私も是非「味の出る」経営コンサルタントになっていこうと思っている。その思いが日に日に強くなっている。


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2011年1月5日 水曜日 18:50:21 「生きていくということ」
 今日は新年の挨拶回りで終日、社員の藤野君と都内を歩き回った。歩くといえば、最近、東京駅から日本橋の事務所まで出来るだけ歩くようにしている。普通にあるいて18分くらいだが、これが結構いい運動になる。今日なんかは1時間くらいは軽く歩いているので体脂肪もかなり燃えたのかなという感じだ。この正月は事実上1日2食を通したので、ベルトの穴が2つ分くらいウエストが細くなった。やはり、メタボ問題は意識して行動していかないと解決できないのだということを痛感している。


 東京都内、それも中心部のビジネス街を歩くと改めてビルの空き室が急激に増えていることに気づく。それも古いビルではそれが際立っている。便利なところにどんどん高層ビルが建設されているので、そこに移転したというのもあるのだろうが、大企業ならともかく中小企業はそうもいかないだろう。「厳しい時代を生きているんだな」ということを、こういうときにも実感する。そして、その中で細々ながらも東京に拠点を置いて、曲がりなりにも経済活動をやっているという事実に対して感慨深いものをおぼえるのだ。


 一昨日だったか、車で通りかかった「リサイクルショップ」に家内と立ち寄った時に、応接用のソファやテーブルのセットが、異常に安い価格で販売されていたのをみて、「おそらくは倒産した会社のものだろう」と直感した。その応接セットでどれだけの商談やミーティングが行われ、どれだけの収益が生み出されたか、誰だって失敗するために経営をしているのではないのにと思うと、いたたまれない気持ちになった。自分だっていつそういうことになるかわからない、不透明感とリスクを背負って私は日々活動しているのだ。


 そうはいいながらも、私は今日もこうして生きて活動をしているし、明日もそうだし、デコボコはあるにしても、昨日このページに書いたように、経営コンサルタントとしては旬な時期を迎えつつある。「いまやらなくていつやるのだ」という「もうひとりの自分」がいつも檄を飛ばしている。確かにそうである。四の五の言っている時間や余裕などないのだ。日本橋方面から東京駅八重洲北口とその背景を鳥瞰するという東京で最も好きな風景を見上げながら、前記のようなことに想いを馳せた。「今日を生きて明日を生きる、今日があるから明日がある」という「原理原則」を踏まえて、今年も頑張ってみようと思っている。


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2011年1月4日 火曜日 14:52:29 「いつまで現役でやるか」
 仕事始めは明日からということで、今日は自宅でいろいろな作業をしている。15日に講師を務める神戸でのプロコン育成塾の追加資料を作成したり、書類の作成をしたりして明日からの本格稼働のアイドリングをしている。ありがちな正月休みボケもなく、テンションもかなり上がってきている。昨夜、ちょっと風邪の予兆を感じたので、葛根湯をのんで早めに就寝した。何かの予兆を感じたり、直観力を働かせるのはとても大事なことだ。


 昨夜は午後10時には就寝したので、夜中に目が覚めてしまった。仕方がないので、標題のテーマについていろいろと考えた。日野原先生のように100歳近くなっても現役で活躍する人もいるが、誰もができることではない。先生は「引退の時期を年齢で判断するのは間違っている」と雑誌のインタビューで仰っていたが、私はその時期は自分で決めればいいと思っている。私なりの考え方は、「70歳で現役を退く」というものだ。その後の人生は60歳を過ぎてから準備するべきだと思っている。個人的にはゲートボールやグランドゴルフ等に興じたりするよりも、自分の主体性で「社会奉仕」をするような方向性を模索したい。


 現役ということで、私が注目している職種の人達がいる。誰あろう、プロレスラーである。具体的には長州力と藤波辰爾である。長州力は本名を吉田光男といい私よりも6歳年長の59歳である。つまり還暦の手前だ。1998年に一旦現役を退いたが、その後復活し、新日本プロレスをやめてワールド・ジャパンプロレスという団体を創設した。その際のコメントがふるっている。「ど真ん中を走ってやる」である。しかし、この団体は1年もたず経営破綻し、長州は再び新日本プロレスに舞い戻った。そしてそのまま現役としてリングに上がり続けている。


 一方、藤波辰爾は昭和28年生まれ、長州よりも2歳年下である。現在57歳、新日本プロレスの社長まで務めたが、その後、独立して現在は「ドラディッション」という団体を主宰している。もちろん、現役である。プロレスの他でもいろいろと事業をやっているようで、とにかく元気である。確か、高校を中退して日本プロレスに入門しているので、プロレスラー歴が40年くらいにはなる。長州は36年、いずれにしてもすごい年数だ。いったいいつまで現役でやるのか、私には大きな関心事なのだ。彼らがプロレスというハードでタフな「労働」をやり続けているということに大いに励まされる部分があるからだ。


 60歳近くになっても、長州と藤波は筋肉がそれほど衰えてはいない。技のキレも全盛期と変わらないくらいである。それに、試合運びや技の受け方などに「味」が出てきている。「プロレスラーは40歳を過ぎてから脂がのってくる」というプロレス評論家がいたが、50歳を過ぎたら今度は「味が出てくる」のだ。同じように我々、経営コンサルタントは「50歳を過ぎて脂がのってきて、60歳を過ぎて味が出てくる」といえなくもない。茶道などの芸事は「60歳を過ぎてから脂がのってきて、70歳を過ぎてから味が出てくる」そうである。ということは、経営コンサルタントはある意味(旬な時期という意味で)プロレスラーと芸事の中間的な位置づけになるのかなどと、夜中にひとりで納得したりした。


 ゴルフのジャンボ尾崎は、もうすぐ64歳になるという年齢で、シニアツアーには一切出ずに、レギュラーツアーにこだわっている。その姿勢に励まされる「団塊の世代」の人達も多いことだろう。しかし、渡辺淳一著の「孤舟」の主人公のように思いと現実とのギャップに喘ぐ人も多いのが現実だ。でも、プロレスにしろゴルフにしろそれだけ賭けられるものがあるというのは幸せなことだし、そういう才能がない者からすると羨ましい限りである。やはり64歳で第一線で歌い続ける小田和正なんてその典型である。


 いつまで現役でやるか、思索の展開が尽きないテーマである。まあ、しかし、先述のように、「引退の時期は自分で決める」というのが私の結論だ。


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2011年1月3日 月曜日 12:00:08 「今年の抱負と雑感」
 この年末年始は、基本的にどこにも行かずにずっと自宅にいて、本を読んだり書き物をしたりする時間が十分にとれている。まことに結構なことだ。天気も概ねよくて、年末は藤沢市内にある行きつけの寿司店に行ったり、昨日は久しぶりにゴルフショップに行ったり、ブックオフに行ったりと、何とも平凡というか、それでも私なりに充実した正月休みを過ごしている。ゴルフショップでは、福袋を買ってしまったのだが、風の冷たい冬ゴルフ用の装備一式で、今月にもラウンドの予定があるのでちょうど良く、それだけでいい気分になって帰宅したりする。


 ゴルフはサラリーマン時代に東京支社に転勤になったのを機に、上司から半ば強要されて始めた。幸い、20代の後半でまだ若かったことと、コンペなどでラウンドをする機会が多かったこともあって、腕の方はメキメキと上達して、始めて4年目でハーフ30台のスコアでまわり、だいたい1ラウンド85くらいでいつもプレーできるようになっていた。90台になると「いまいちだな」と思うくらいだった。当然、毎週土曜日ごとに近所の練習場に行き、2時間くらいみっちり打ち込むし、ゴルフの理論書を買い込んでは研究を怠らなかった。それで年間ラウンド回数はピーク時で38ランド(月間3回強)である。うまくなるのは当たり前である。


 いきなりゴルフの話から始まってしまったが、ついでにゴルフについていうと、1年余り前から、もう一度きちんとゴルフに向き合ってみようという気持ちになり、実に16年ぶりにクラブを新調した。ゴルフ仲間のH氏が御徒町に付き合ってくれて、試打をしてドライバーを選び、アイアンはナイキのみるからに顔のシャープなものにした。それを機に月1回はラウンドをしようと思ったのだが、雑事に紛れてそうもいかず、先々月と先月に1回ずつ行き、今月も10日に予定しているので、これでやっと「月イチゴルフ」というささやかな計画が実現するのかなと、妙に喜んだりしている。H氏は私より2歳年長でゴルフ歴も同じくらい、いつも完全スクラッチで競い合っている。いいライバル、仲間がいればゴルフもなお楽しいというところだ。


 さて、前置きが長くなったが、今年の抱負は「原点回帰した上での点的思考と行動、ただ肩の力を抜いて」というものだ。わかりやすくいうと、「過去を引き摺らないで、自分の原点に戻って自然体でやっていく」ということだ。この数年、無理に無理を重ねてきたきらいがあって、その反動が健康状態に影響するというようなこともあったので、まずは健康管理、その上で自分が果たすべきことを確実に遂行していくようにしたい。原点回帰というのは、「何が正しいのか、そうでないのか」ということを行動規範にしていくという意味あいになるだろう。その際の要素として「公共善」ということを肝に銘じたいと思っている。「40歳を超えて自分の顔に責任を持つ、50歳を超えて自分の言動に責任を持つ、60歳を超えてそれらに加え自分の影響力(背中)に責任を持つ」ということになるのだろうか。残った正月休みをもう少し考察してみたいと思っている。


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2010年12月28日 火曜日 15:27:09 「仕事納めに際して」
 当初の予定よりも早く、今日仕事納めをすることにした。年末とあって事務所内は静かなものである。今月中旬に少し体調を崩していたのだが、先週末くらいからかなり良くなった。このままいけば、元気で穏やかな年末年始を迎えることができそうである。何よりも今年1年間、大きな事故もなく無事に終えることができるという事実自体が誠に喜ばしいことだ。この歳になると、健康こそが最大の経営資源になる。そのことを痛感する毎日である。


 織田信長の時代は「人間50年」ということで、50歳まで生きれば十分だった。だから、12歳くらいで元服というようなことだったのだろう。でも、我々が生きる現代社会は事実上、40歳代までが投資期間で、50歳からが収穫期といっても言い過ぎではない。だから50歳そこそこで死んでいたのでは、何のためにそれまで苦労や努力をしたのかわからない。そして、その収穫という意味は必ずしも経済的なものだけではない。むしろ、精神的な豊かさ、生き甲斐というようなものの占めるウエイトが重いのではないだろうか。


東京を拠点とした活動にも慣れてきたし、鎌倉での生活にも馴染んできた。仕事と私生活の中で積極的に楽しみをみつけようとしている自分自身がそこにいる。これはある意味では画期的なことだ。肩の力が抜けてきたというか、遅まきながら人間らしい生き方をしようとしているというか、50歳を超えたこの段階で、そういう生き方を希求し始められたことは率直に喜ぶべきなのだと思う。


 年末年始は基本的にどこにも行かずに、鎌倉で家内と過ごすことにしている。集中的にやらなければならない仕事が残っているので、それを自宅でやるが、それ以外は読書をしたり、近辺を散策したり、音楽を聴いたりと平凡な日々で十分充実すると思っている。元々、確たる趣味のない人間である。「楽しい時間を過ごせるという環境に対して楽しみをおぼえる」というのが、正しい表現になるのかもしれない。


 テレビは基本的にみない。紅白歌合戦などというものに興味を失ってから久しい。ただ、年末恒例の格闘技番組だけはみる。良本に親しみ、その知見や示唆に耽溺し、自分自身の思索というものを無限に展開する、そういった時間を過ごすこと以上に贅沢なものはない。その思索の果てに、真っ白い紙に、青インクの跡も鮮やかに自分の想いを書き連ねていくことで、自分自身の世界がさらに体系化されていく。来年は50歳代前半の最後の年になる。自分の顔や言葉に責任を持つ年齢になった。それなりの自覚をもって日々の物事に臨みたいと思う。


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2010年11月22日 月曜日 18:49:55 「積み重ねた後に来るもの」
 経営コンサルタントを専業とするようになって11年半になる。41歳の時からそれなりに積み重ねてきたものがあると自負している。その中で、いわゆる「コンサルタント人格」というものもまだ道半ばながら身についてきていると思う。ただ、実年齢が53歳、これはまだまだこの職種では人生経験が未熟者と云えるだろう。本当の意味で味が出てくるのがおそらく60歳くらいからで、そこからが真の「全人格的な経営コンサルタント」だと自他共に認める境地ではないのかと最近つくづく思ったりする。


 週末を利用して熊野古道を歩きながら、そんなことを考えていた。人生、なかなか思うようにはいかない。この仕事には終わりがなく、完成というのもない。やめる時期は自分で決める。それまでは、理想を追求し続けるのだろうと・・・。でも、日々後悔のないように精一杯やろうと思う。


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2010年11月15日 月曜日 12:53:27 「解答は常に自分自身の中にある」
 今日から5日連続の出張である。週末は熊野古道を歩くことになっていて、その後、実家にも立ち寄るので、来週の火曜日まで自宅を空けることになる。今朝、自宅を出るとき、もうすぐ19歳になる老犬が私の部屋に座り込んで動かなかった。盲目で耳も不自由な彼女は嗅覚と気配だけで、私が長期出張に出ることを察知しているらしい。家内が長年飼っているヨークシャーテリアだが、最近は私に懐いて、自宅にいるときにはそばを離れようとはしない。老犬に好かれて、まあ、悪い気はせず、「人生の先輩」を敬う気持ちで接したいと思っている。


 世界最強の格闘家といわれたヒクソン・グレーシーの「無敗の法則」(ダイヤモンド社)という本を読んでいるが、示唆に富む内容満載でその一字一句に感銘を受けている。彼は偉大な格闘家であると同時に、透徹した哲学者でもある。かつて、高田延彦や船木誠勝といった名だたるプロレスラーと闘った時の彼の佇まいには、グレーシー柔術を背負っているといったプレッシャーは微塵も感じられなかった。自然に立って自然に構え、自然に組み合うという、何か格闘技とかそんなレベルを超越しているような雰囲気を漂わせていた。


 その本の中に標題の言葉がある。同じようなことをこの数年間、いろいろな局面で考えてきた。我々の職業においても、結局は自分自身をいかに高められるか、そして、その自分が目の前の問題に対して、いかに適正な解答(助言)を出せるかということに尽きるのだ。誰が教えてくれるわけでもなく、真理は常に自分自身で追求し、あらゆる現象について、自分なりの分析を行いその本質に迫っていかなければならないのだ。


 その意味では、特に今年に入って、自分自身の中で常に「自問自答」をしながら、より最適な解を追求するという習慣が定着してきたように思う。それを「哲学的」とは、まだまだ烏滸がましくて自認さえできないが、思考回路としては、それなりの形になってきたと言っていいと考えている。少なくとも5年くらい前の「ギラギラとした眼をして使命感や情熱に満ちた新進気鋭の経営コンサルタント」という風の雰囲気はない。それ以来の試行錯誤も含めた意義ある仕事・事業環境の中で、年齢相応、あるいは実年齢以上のコンサルタント人格が身についてきたのかもしれない。


 我々の職種は基本的に他者と競う性質のものではない。より成果の挙がる助言や提案等を行うために、自分自身を高め続け、安易に妥協を許さない行動規範を持つことが重要だ。結果はマーケットが評価し、それが報酬の起算根拠となる。ということは、「自分自身が納得いかないコンサルティングをすることはできない」わけで、よって「解答は常に自分自身の中にある」ということになる。といいながら、人格的にはまだまだである。さらに研鑽を積んでいく必要性を痛感している。


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2010年11月11日 木曜日 21:48:22 「万年筆の感触、インクの香り」
 昨日、歯周病予防の手術をして歯茎の痛みがかなり残っていたので、今日は自宅で静養がてら「サテライト作業」をした。歯の治療にはもう丸2年通っている。大手町の近藤歯科医院というところだが、完全予約制で1分と待たないシステムだし、インフォームド・コンセントが徹底していて信頼できる歯科医院である。歯周病予防の手術は今年に入ってから4回目、これで最後である。あとは前歯のインプラントとか、ブリッジとかの治療をすることになる。これからも歯科医院にはずっと通うことになる。


 このところ、万年筆で手紙を書いたり日記をつけたりすることを意識的に多くしている。自分の素直な気持ちを伝えるのには、手書きの手紙が一番である。日記もそうだ。万年筆を持って、その重みを感じながら、あれこれと考えを整理してから一気に書く。その時のインクの香りがとても好きだ。仕事関係のアイデアも普段は、「スケッチャー」といわれるハンディなケースに入れた小さな和紙に書き込み、後から愛用のバインダーノートに万年筆で清書している。1冊分書き上がったら、りっぱな経営書になるのだろうと思ったりしている。まあ、完成するのはいつの日になるかわからないが・・・。


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2010年11月07日 日曜日 12:00:58 「心の友がいない男たち」
 先々週あたりから、高校時代に人気のあった青春ドラマ、「俺たちの旅」の続編である、「10年目の再会」「20年目の選択」「30年目の運命」を続けて観た。もう何回観ただろうか。キャストもスタッフも当時とほぼ同じという「同時代性のあるドラマ」である。私が高校生の頃、20代前半だった中村雅俊や田中健は「30年目の運命」では50代前半になり、中村雅俊扮する「カースケ」は、単身で行ったマジョルカ島のホテルが倒産し、徳島の漁師町で働いており、田中健扮する「オメダ」は造り酒屋の主人から市長になり3期目を迎えているという設定になっている。


 秋野大作扮する「グズロク」を合わせた3人がこのドラマの主人公なのだが、とにかく羨ましいのは、社会人になって離ればなれになってからも、友のことを想い、何かあれば相談に乗ったり助けに行ったりするという行動パターンである。友情とはそういうものなのだと改めて考えたりする、そこに共感する同世代の男たちが圧倒的に多いのだと思う。「自分にもあんな友達がいたらなあ」ということだろう。少なくとも、私にはそういう友はいない。仕事関係では親しい人はたくさんいるが、カースケとオメダの関係のような友人はいない。学生時代からの友人が一人いたが8年前に亡くなった。


 さて、このドラマ、是非とも完結編として「40年目の○○」というのをやって欲しい。前作が2005年だから2015年、4年後くらいには制作ということになる。中村雅俊は1951年生まれだから実年齢で64歳、田中健も同年齢である。60歳代に入った彼らがどういう仕事、生活をしているのか、そして変わらない友情のあり方は・・・そういうシーンを是非みたい気がする。60代はまだまだ元気である。組織に縛られない自由な仕事ぶりを示して欲しいと思うし、定番の恋物語と相まって同世代の人たちに勇気と希望を与えるだろう。


 多くのビジネスマンは、真の友人がいない。ほとんどが会社か仕事がらみ、会社を離れたら独りぼっちというオジさんばかりといっても過言ではない。私もその一人である。渡辺淳一の最新作である「弧舟」という本の中に出てくる大手広告代理店を退職した60歳過ぎの男性の姿は悲哀に満ちているし、実際、そういう人がかなりいるだろうと頷けるところが多い。そんな時に思い出すのが、「俺たちの旅」であり、主人公3人の友情のあり方である。


 学生時代の唯一の親友を失った私としては、この先、親(心)友と呼べる友はもう現れないだろうとすでに諦めている。だから、あのドラマは「失ったものへの郷愁」に溢れた一種の理想郷であり、憧憬でもある。是非とも完結編をやってもらいたいと思う。日本テレビにもメールを出しておこう。「夫婦は永遠ならずとも友は永遠なり」・・この言葉に共感する男性は多いことだろう。でも、夫婦仲良く、心の友がいて、いい仕事ができるというのが理想だ。まあ、このうち2つが満ち足りていればいい人生だといえるだろう。


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2010年11月6日 土曜日 23:27:08 「アナザーワン・自身を客観視する夜」
 朝起きたらちょっと悪寒がして、風邪の前兆だと感じたので、家内が愛用している電気温熱器で背中を温めて葛根湯を服用したら午後には良くなった。風邪で寝込むというような「無様な」ことを我々はするべきではない。以前はちょっとでも悪寒がしたらすぐに病院に行って注射を打ってもらっていたのだが、最近は出来るだけ自助努力=ホメオスタシスで治すようにしている。おかげで今年に入ってから風邪を引き込んだことはない。我々にとって健康こそが最大の経営資源であるというのは真実である。


 風呂上がりは久しぶりに好きな「I・Wハーパー」をストレートでのみつつ、これを書いている。また、今日から10年日記を書き始めた。これから10年間の軌跡をリアルタイムで記録していきたいと思ったからである。分厚い10年日記ブックにモンブランの万年筆、インクはブルーブラックで3行くらいずつ書いていく。3行だから150字くらいのものだが、その日の感想を短文でまとめる。これはとてもいい習慣だと思う。出張で自宅にいない日は当然書けない。それはそれでいい。自宅にいるときに書いていけばいい。


 時々、もう一人の自分を設定して、自分自身を客観視している。もう何年になるだろうか。おそらく、独立した頃からやっている習慣である。食えない時は客観視することが怖かったし、やればやるほど自分が惨めになった。でも、それが事実だから仕方がない。自分自身の取り組みや成果を客観評価すること、これは我々の職業にとっては大変重要なことだ。自身を客観視できるからこそ謙虚になれるし、現状を踏まえた新たな目標を設定することもできる。


 世間一般の常識からはかなりはみ出した生き方をしてきたと思う。もう一人の自分もそう率直にそう思う。いわゆる「落ちこぼれ」である。そんな生き方をしようと最初から思っていたわけではなかったのに、成り行きもあってそうなってしまった。困ったものである。大学の3年生までは故郷に戻り高校の社会科の教師になろうと思っていた。それが放送局に就職し報道記者になった。そして放送局あるいは放送業界でずっといるのかと思ったら、そうもいかず、これは京都放送の都合ともいうべきかもしれないが、経営破綻、してしまい、若さもあって独立という選択をしたのが36歳の時だった。そこから現在に至る流浪の旅が始まるのだ。


 「自分が納得する生き方をしよう」と独立した時にそう心に誓った。そして、そういう境地を目指したのだが、自分が曲がりなりにそう思えるようになるまでには、それから10年以上の歳月を要することになった。「失われた10年」と呼んでいるのだが、その間、あまりにも失うものが多すぎた。何故そんなことになっってしまったのか、それは私自身の戦略性の欠如であり、もっといえば実力不足に尽きる。「人生はすれ違いの連続である」とはよく言ったもので、後から考えると「あの時こうすれば良かった」と明確に思うことが、その時は全くみえないものだ。「後悔先に立たず」という所以である。


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2010年11月5日 金曜日 20:30:21 「休暇中の想い VOL2」
 5日間の休暇はあっという間に過ぎた。この間、心身を休めながらいろいろなことを考えることができてとても有意義だった。欧米のビジネスマン達が1ヶ月とか長いバカンスをとる気持ちがよくわかる。日本人はそんなに長い休みをとるわけにはいかないが、今後も計画的にこういった休暇の機会を作りたいと思っている。「人は働くために生きるのではなく、生きるために働くのです」と、出逢ったばかりの時に、家内が私に言ってくれた。仕事はこれまで以上に充実させていくつもりだが、それだけではない人生も積み上げていきたいと思っている。「自分には仕事しかない」と、この数年間は諦観していた。でも、そこから一歩も二歩も前進した自分自身を自覚している。


 「良き人は常に初心者」という祖父の遺訓があって、私はそれを座右の銘としている。独立事業者としては、16年半前に脱サラをして独立した時の「精神的自立、経済的自立、社会的自立」という3つの自立を果たすという原点と、経営コンサルタントとしては「この仕事を通じて社会貢献をする」という原点を忘れずにいたいと思っている。原点を忘れずにいつも自分自身を真っ白にしている状態、先入観や偏見に囚われず、そこに自由に絵を描いていくということが、祖父の遺訓の意味だと私なりに理解している。


 祖父は旧制中学の校長から、大政翼賛会の和歌山県事務局長という要路を経て、公職追放の後、地元の町長を務め、最後は県の教育委員長だった。教育者であり政治家であった。町長当時のラジオの録音を聴くと、低音の声で相当な雄弁家だったことが伺える。町長になったのが62歳の時、教育委員長になったのが70歳過ぎだったと思う。それを考えると、私などはまだまだこれからである。経営コンサルタントは、基本的に経営者に物を申す仕事、あるいは有識者として天下国家を語ることもある。先般の「森林・林業再生プラン検討委員会」などはそういう機会だった。おそらくは、60歳くらいから経営コンサルタントとしての「味」が出てくるのだろう。


 そう考えると、目の前がとても明るくなる気がするし、いろいろなことを勉強・研究しようという意欲が出てくる。60歳からの自分の「佇まい」というものを1つのマイルストーン(一里塚)として、それに向かってこれからの7年間を生きていきたいと思うのだ。祖父のように「毅然としていて、威厳があって、ブレずに」物事の本質に斬り込んでいく経営コンサルタントになりたい。なりたい、なろうと思い続けていれば、いつかそういうふうになっているのだと信じて、やるべきことを愚直に実行していくつもりだ。


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2010年11月2日 火曜日 14:20:11 「休暇中の想い VOL1」
 月曜日から5日間休暇をとった。仕事が一段落したこともあり、夏休みをまともにとっていなかったこともあって、このタイミングでまとまった休みをとった。こんなことは独立して以来皆無だったし、自分自身の最近における心境の変化だといえなくもない。そして、この間、今後の人生等についていろいろと考えたい。


 今朝、家内と遅い朝食をとりながら今後の生き方・ライフスタイルなどについてあれこれと話をした。仕事というか事業については、まだ成長期に入ったばかりで、これから多分60歳くらいまではそれが続く。新たな境地も含めて市場深耕を図っていくことになる。私の考え方だが、成長ベクトルにおいて多角化以外はすべて市場深耕(浸透)に収れんするのだ。その意味で、今の市場(顧客)にいかにこだわるか、自身を高めていけるかが重要なのだ。


 移動の飛行機の中で読んだ雑誌にテレビでよくみるジャーナリストが「40歳代までは種まき、50歳代で収穫する」という発言をしていた。その人は現在60歳、私より7歳年長である。「自分の経験と重ね合わせてみてもやはりそうだな」と妙に納得してしまった。だから、30代や40歳過ぎで収穫を得ようとするのは甘いのだ。物事がよくみえてくる50歳代で真の収穫を得るというのが真っ当なのだろうとつくづく思う。そして、我々のような職業においては、それが60歳代まで続く、これは本当に有り難いことだ。


 但し、その時に確たる「基盤」を築いておかなければならない。その基盤を築くのに30代で独立して40代で積み上げていくといイメージなのだろう。その意味で私の持論である「コンサルタントの独立適齢期は35歳から44歳」というのは正鵠を射ていると思う。少しは社会やビジネスを知った30代で独立して5年余り試行錯誤の中で基本的な部分を積み上げていく、そして生活の糧を得る部分と投資的な活動を同時にやりながら収穫期にもっていく期間が数年あって、さらに戦略的に動く期間をプラスするとやはり真の収穫期までには10数年の時間がかかるのではないかと今にして思ったりする。


 その意味では、独立以来16年半、いまの職種になって11年半、ようやく基盤のようなものが出来上がって成長期に入ったところだといえる。しかし、まだまだその基盤も脆弱で完璧なものではない。人間としてもいまだ未熟であり、研鑽を続けて行く必要がある。でも、この仕事は50代から実力が発揮できてきて、60歳くらいから味が出てくると自分自身や諸先輩をみていてそう思う。若さや勢いは基盤づくりや投資のために費やすものだとこの歳になって実感するのだ。自分の未熟さが実感できるのもその未熟さゆえに多くの失敗や苦闘を重ねてきたからこそで、自身を常に客観視できるようになりつつあるのもその教訓があればこそだと、さまざまな「過去たち」 を恨むことなく彼らに感謝あるのみなのだ。


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2010年10月24日 日曜日 16:23:38 「後悔しない人生を送る」
 明日から2日間、北海道出張ということで、今日は資料作成等、その準備に追われている。札幌市の郊外での活動となるが、もう雪が降る時季だ。そういう時用のコートを羽織っていくとちょうどいいだろう。関東地方は今日は雨でかなり寒い。秋が殆どなくて、夏からいきなり晩秋になり、そのまま冬に突入するというイメージである。来週になれば11月、今年もあと2ヶ月となる。案件に追われるようにして日々を生きていると、年頭に立てた目標が十分に達成されていないことに気づくことがある。


 「去年よりも今年」と思って毎年頑張っているつもりだが、かなりのものを積み残したことを認識して、その重さに何とも言えない気持ちになることがある。マーケットの要請や期待に応えることだけで満足していないだろうか、もっと主体的な活動をしなければならないのではないかと半ば強迫観念のようなものを感じることもある。切れ目なく仕事が入り、それで何とかやって行けていること自体、喜ぶべきことだとは思うが、何となく日常に流されている自分自身に気づくとき、「これではいけない」と自戒することが大事だ。


 こういう時は、自分の原点に戻ることが重要、日常に紛れるとそれがみえなくなったりする。私の原点は1999年4月に中小企業診断士として登録し、本格的に経営コンサルタントとしての活動を始めた時に存在する。高邁な想いを抱いて活動を開始したが仕事は全くなく、理想と現実のギャップを思い知った。だから「マーケットが提供してくれる仕事がある」ということは非常に有り難いことであり、だからこそ一件一件の仕事に全力を尽くさなければならないという、その気持ちこそが私のこの世界における原点である。


 来年の春でそれから丸12年になる。ライフサイクルでいえばまだ成長期に入ってしばらくした時期、まだまだ新たなチャレンジをしていかなければならない。普通の能力しか持ち得ない人間は人一倍努力をしなければならず、「これでいいのだ」と満足をした瞬間、成長はそこで止まってしまう。とにかく、マーケットの声をよく聴いて、顕在なり潜在ニーズに応えていくことが大事だ。そして、時々は立ち止まって自分の原点に戻ることも忘れてはいけない。結局は人生の終焉時に「後悔しない人生」を目指すべきだろう。安易な妥協は罪である。自分自身に常に問題提起をしながら、前に進んでいきたい。


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2010年10月19日 火曜日 9:29:31 「仕事人間からの脱却に向けての模索」
 今週も殆ど東京都内での活動になっている。会議や打ち合わせは事務所で行うが、資料作成などは最近自宅の書斎でやるようにしている。いわゆるサテライトオフィスである。自宅から事務所までは1時間くらいかかるので往復で2時間のロスが出る。それならばと内勤だけの日は自宅にいて作業をするほうが効率的だという判断になる。一時期は自宅では一切仕事をしないようにしていたのだが、その後、一体何が自分や自分の身の回りの人にとってベターな形なのか、効率的なのかということをよく考えると、こういう形態がいいのだろうということになった。


 私は独立してこの方、圧倒的な「仕事人間」だった。経営コンサルタントとしての仕事量が多くなった5年前くらいからは、寝食を忘れて仕事に没頭する日が続いた。東京に事務所を移転した昨年11月くらいから、仕事に対する考え方、スタンスを根本的に考えていかなければと思い、この1年間、私生活の変化の中でいろいろなトライアルをしてきた。その結果として、自分が追求していた形というものに近い活動パターンというものを半分くらいは構築できているという実感を持つに至っている。


 昨日などは夕方に銀座で仕事を終えた時に、昨年の状況であれば銀座界隈で誰かと会食して、2次会に流れるのが普通の行動様式で、そして、夜遅く自宅に戻りそのまま就寝するというパターンが多かった。しかし、今年に入ってからは、夜の活動にもメリハリが出てきて、その分何もなければ早めに自宅に戻るという生活が定着している。当然、夜、就寝する時間も早くなり睡眠時間もそれなりに確保できる。いま、トライアル中の「自宅での学習・研究活動」もそのうち身についてくるだろうと思っている。


 「どちらかというと引き籠もりタイプ」なのかもしれないと思ったりする。独りで机に向かっていることに抵抗感はなく、それで仕事が完結するのであればそれに越したことはない。元々、一匹狼が向いているのかもしれない。経営コンサルタントなどという職業はつまるところ一匹狼なのだと割り切ってもいる。一般の人が休んでいる時も仕事をして、でも、彼らが仕事をしているときは当然のようにこちらも仕事をする。それで何とか成り立っているという実態もあるだろう。


 そうはいいながらも、人間、齢を重ねると、そうそう突っ張ってばかりもいられなくなるものだ。適度に自分の心身を労っていかないと「持続可能」ではなくなる。今年に入ってからのいわゆる「自己改革」は、その発露だといえるだろう。公私のバランスも大事だし、自身の思考のバランスもしかりである。この1年間が旧バージョンの自分から新バージョンの自分への移行期間だったのかもしれない。秋も深まり、時間が経つ速さをことさら実感する時季である。残されたビジネスタイムを充実の中で過ごしていきたいと思っている。


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2010年10月17日 日曜日 12:28:53 「秋晴れ、京都での佳き日に」
 先週は東京都内に4日間いて、連日各種の会議や会食があり、気がついたら金曜日、いつもならば週末で繁華街に繰り出すところだが、夜、8時には帰宅し家内と鍋を囲んだ。この季節になると鍋料理を定期的に食べたくなる。鍋料理を仕立てるプロセスや一緒に食べながら会話が進むのもこの料理のいいところだ。前にも書いたかもしれないが、何となく心が温かくなるのである。「これからは毎週鍋でもいいね」と家内と話したりする。


 昨日は昼頃に自宅を出て、小田原から新幹線に乗り京都に入った。目的は京都市内で今日執り行われる当社の社員の結婚式と披露宴への出席である。こういったところにいわゆる主賓として呼ばれるのは、おそらく最初で最後の機会なのかもしれないと思いつつ、そういう立場になったことに一定の喜びと責任感を覚えている。いずれにしても、まことにおめでたいことである。


 昨夜は宿泊するホテル内で京料理を食べて、その後、同じく披露宴に出席するH氏と祇園に出て歓談した。ホテルは烏丸三条にあるが、このあたりは最近目覚ましく建物が入れ替わり、京都らしい風情のあるビルや店舗が並んでいい雰囲気を醸し出している。必然的に、人の流れもかつての繁華街であった四条河原町近辺からこのゾーンに移りつつあるのだということを実感する。そこへいくと祇園などというところは、私の学生時代から何ら変わらず、それはそれで趣があっていいのだが、とにかく客足が少なすぎる。希少価値ということとビジネスとして成立するということは必ずしも両立しない。


 明けて今日は快晴、赤口の佳き日である。披露宴の会場は、私がかつて13年間勤務した京都放送の本社の隣にある。久しぶりに昔務めていた会社を外観して、いろいろなことを一瞬思い出したが、その記憶はすでにモノクロームの世界になっている。特段の感慨もなく、ただ、会社を辞めてから16年半という歳月が流れ、自分がいま、元気で自分の足で立ち、何とか頑張っているということ、そして、結婚をする社員の生活を守っていく経営者という責任を負う立場になっている事実を実感するのみである。「時の移ろいとともに人は変わる、そして、変わったなりの所作がそこに生まれる」ということも。
 
 
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2010年10月11日 月曜日 14:49:11 「今日を懸命に生き、明日を生きる」」
 3連休の最終日、昨夜は遅くまでDVDでスティーブン・セガールのアクション映画「沈黙の報復」を観たので、朝は比較的遅く午前8時に起床した。2日間殆ど雨だったが今日は快晴で午後から駅前の商店街まで買い物に出かけた。市場には新鮮な魚や野菜が並んでいて価格も安い。うるめいわしなどは20尾くらいの一皿で200円である。今夜はそれを醤油と生姜で煮てワインの肴にする予定である。3連休は当初の予定通り、自宅まわりで何気なく過ぎた。休日に何か特別なことをしなければならないという「強迫観念」を持たない私にとっては、こういった休日の過ごし方にすこぶる満足している。


 商店街への行き帰りに家内といろいろな話をする。パチンコ店の前を通ったときには、学生時代に一時期パチンコに通った時期があって、出る台とかの定量情報を記録して分析しながら通ったが結局は大損したという話をした。2年生になってからは、そういうアホなことは一切やめて、アルバイトで稼いだお金は出来るだけ本の購入に充てて、大学での勉強と平行して、現代史や経済、哲学、ドキュメンタリーなどの本を片っ端から読んだ。おかげで本を読むことが習慣として根付き、それなりに知識を蓄積する癖がついた。パチンコで貴重なお金を浪費することを早期にやめて、本に傾斜したことは正解だった。


 明日からの活動に向けて、今から徐々にテンションを上げていかなければと思っている。いま抱えている案件のこともそうだし、来年度に向けた事業開発・市場開拓等のテーマもある。昨年は事務所の移転等もあって10月・11月とかなりバタバタしたが、今年は腰を据えて短中期のことに集中できそうだ。事務所の方は移転後約1年でかなり落ち着いて、仕事の拠点、発信基地としての機能を果たしている。立地も地下鉄銀座線の三越前駅や日比谷線の人形町駅から徒歩5分くらいで大変便利なところにある。昨年、思い切って東京に全面移転して本当に良かったと思う。


 5年後・10年後の「あるべき姿=ヴィジョン」のようなものは常に描いているし、その先の目標もある。目標のないところに実現なしだとも思う。でも、現実としてはまず「今日を懸命に生きること」が大事、それがあって明日の充実がある。今日があって明日がある。明日があるから今日を生きているということもいえるが、前者の方に真理がある。古い曲で「明日があるさ」というのがあるが、あれは今日を一生懸命に生きない者の「言い訳」に聞こえるし、もっと深読みすれば「現実逃避」ともいえるのかもしれない。今日を手抜きなく精一杯生きることで明日への展望が活力と共に生まれるのだろう。そういう意味で日々、「今日を懸命に生きていこう」と考えている。

 
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2010年10月10日 日曜日 20:18:13 「秋の何気ない一日」
 連休初日の昨日は、午後から家内と車で金沢区にある「コストコ」に出かけたが、雨にも拘わらず(雨だからか)店の前は大変な渋滞だったので、そのまま引き返してきた。夕食時にワインをのみ、さらに焼酎をのむといい気分になり、酔いがさめないままに就寝した。今朝は午前7時に起きてちょっと読書、朝から雨模様だったので終日自宅で過ごした。休日でもテレビは殆ど視ない。もっぱら音楽を聴きながら本を読んだり、パソコンに向かったりしている。そして、気が向けば好きな映画をDVDで観たりする。


 自宅の書斎に籠もって、300冊ほど本が詰まった書棚から読みたい本を数冊出して、時間を忘れて読書に耽溺する。頭の中にその内容をインプットしようとするときには、赤ペンで線を引きつつ、万年筆で書き込みをしながら読み進めることにしている。とにかく、心ゆくまで本が読めるという環境があるということが嬉しい。分厚い上下巻の小説などに触れる時、何ともいえない気持ちになる。休日は出来るだけ自宅まわりで心静かに過ごすようにしている。「読書と会話のある生活」秋の一日は珠玉のままに過ぎていく。


 
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2010年10月9日 土曜日 6:16:26 「哲学を持つことの意味」
 今週は月曜日は終日会議で夜は会食、火曜日からは京都・南丹市で3泊4日の研修事業があり、昨日夜に自宅に帰り着いたのが午後8時前、遅い夕食を摂った。今日から3連休になる。自宅で書類等の作成もするが、秋の風情を楽しむ時間を多くとりたいと思っている。鎌倉に移り住んでから、まだそれほど古都の佇まいを楽しむといったことをしていない。散策をしながら、自由な思索に浸るというのも悪くはない。ここ数年、そういった時間を楽しむことが殆どなかった。取り憑かれたように全力疾走で仕事に没頭してきたきらいがある。


 自分自身の言動における規範となる「哲学」をしっかりと持っておくことの重要性を、この歳になって痛感している。それはおそらく、がむしゃらに走ってきてちょっと立ち止まるゆとりのようなものが出てきたのと、日々の活動の中でそういうものがなければやっていけないという気持ちが強くなってきたのが主要因だと思う。そして、その哲学を確立するには、まだまだ圧倒的に勉強が足りないということもわかっている。多分、浅学非才のまま、ビジネス人生を終えることになるのだろう。だからこそ、少しでも理想像に近づくように努力をしていかなければならない。


 考えてみれば、いろいろな人との出会いがあり、薫陶を受け、また、自助努力による積み上げもあって、それなりの知見と洞察力を身につけることができたと思う。何ら知識もなく教養もない人間が社会に出て生きていく中で、そういった進化をしていく・・本当に有り難いことだし、数々の邂逅と受益に対して心から感謝をしたい気持ちでいっぱいだ。そこで強く感じるのが自分自身の未熟さだ。それもこの歳になってひしひしと感じるようになった。だから、もっとたくさんの本を読みたいし、それぞれのテーマについて掘り下げた研究をしたいという欲求が湧出してくる。


 おそらく、自分なりの「哲学」が確立され、それを規範にして全くブレなく行動していくという境地に達するには、なお莫大な時間を要するのだろう。もしかするとその時はもうビジネスタイムを終えているのかもしれない。時の移ろいは煩悩する人を待ってはくれない。何もしなくても我々は歳だけはとっていく。見てくれだけは自己を確立した紳士のようにみえても、その実、俗世間にまみれたただの「オッサン」だったりする。そうはなりたくないと思ったり、オレは違うと意気込んでも、「目くそ鼻くそを嗤う」の類だったりする。情けないことである。「愚者が愚か者たる所以は、自身の愚かさに気づかないこと」だとすれば、まだ、それを自覚して、そこから一歩でも前進しようとする愚者の方が救いがあろうというものである。


 透徹した視点で目の前の現象を見透すこと、そしてあるべき姿との離間にある問題なりを認識する。そこから解を生み出すアクションになる。あらゆる引き出しをあけて知見を駆使して仮説を構築していく、その根底には常に「ブレない哲学」が存在していなければならない。今日はそんなことをじっくりと考える一日にしたい。「愚者は愚者なりの哲学を持つ」そして、それは「哲学する」ことを始めることが端緒になる。祖父の「良き人は常に初心者」という遺訓がこのことと重なり合う。とにかく、何かを始めること、行動を起こすことだろう。


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2010年10月2日 土曜日 16:13:39 「個人的見解いろいろと」
 このところ、ニュースなどをみていて思うところが多いので、まとめて書くことにする。

<タバコの値上げ>
 森永卓郎という私と同年齢の軽薄な評論家が「買いだめ」をしたとかテレビの番組で言った頃から、あちこちで買いだめをするニュースがやたらと流れるようになった。無駄な抵抗だと思ったが、愛煙家(実はニコチン中毒者)の行動パターンかもしれない。テレビニュースのインタビューなんかで「小遣いを減らすしかない」と答える男性の「いじましさ」に半ば呆れる。タバコは元々、国が税収を確保するための「収奪の手段」、まんまとそれに嵌っている「愚かさ」をまずは知るべきだと思うが・・。


<尖閣列島問題>
 「ヤクザ国家には核武装で対峙するしかない」と石原慎太郎都知事が吠えている。確かに理不尽なことを正論のごとく言い募る民族ではある。個人的には付き合いたくない人達だ。でも、GDPが世界2位、もう10年もすれば世界一になるかもしれないという経済大国だけに「成熟国家」である日本は、「厄介な隣人」としながらも、それなりに付き合っていかなければならない。難しいところだが、彼らに対しては「性悪説」で対応していくしかないだろう。


<4%の高収入男に群がる婚活女性の愚>
 ある調査によると、年収1,000万円以上の高収入男性は全体の4%しかいず、この男達をめがけて婚活女性が殺到しているとのこと。50代男性には30代女性が、40代男性には20代女性が対象として向かっていくという。30代であれば同年代は年収が低く、「共働き前提」の結婚になるので「専業主婦志向」の強い女性からは敬遠されるという。まあ、何と身勝手なと呆れる。自分を何サマだと思っているのだろう。物事の表層しかみない低脳、世も末である。


<東国原=そのまんま東の勘違い 前からわかっていたことなのに>
 東国原宮崎県知事が、次期知事選には出ないと明言、東京都知事とか国会議員に転出とかいわれている。私は以前、彼が知事に当選したときに「宮崎県民はこいつを知事に選んだことをきっと後悔するときがくる」とこのページに書いたが、まさにそうなろうとしている。客寄せパンダならば田中康夫が先駆者である。単に宣伝広告費をそれほど使わずに名前を売っただけではないか。結局、宮崎などに愛着はなく、東京で遊びたいだけといわれても仕方がない。芸能人は政治の世界に出しゃばるべきではない。


<JAL 危機感と判断力の欠如>
 稲盛会長によると、JALの経営破綻の主要因は「危機感と判断力の欠如」だという。社員にも奢りと慢心があったとのこと、稲盛氏ほどの人物がそういう限りそうなのだろう。でも、そのこと自体、大企業においては普遍的な現象ではないか。「他はよく知らないけど、自分の会社は大丈夫」と思い込んでいる人が殆どと言っていいだろう。そういった「危機感の不在」が改善、ましてや創造的破壊を阻害する要因となる。「いいときほど危機感をもつべき」だといつも言っている。


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2010年10月1日 金曜日 19:45:46 「出張帰りのひとときに」
 愛媛県内の経営診断報告会を終えて帰る途中、松山から羽田に向かうANA内にいる。今週は出張が4日と慌ただしかったので、明日は少し休息の時間をとろうと思っている。読みたい本がたくさんある。このところ、じっくり本を読む時間がなかったので、明日あたりは終日読書という「贅沢な時間」を満喫できるかもしれない。


 今日あたりは温度も湿度もほどほどで実に気持ちのいい気候となった。少し厚手の夏物スーツを着てネクタイをきちんと締めると気持ちが引き締まり、そのまま、緊張感が漂う報告会に臨んだ。今日はこちら側も3人体制という「総力戦」で、経営課題に対する真剣なやりとりは、経営診断を受ける側の主体性、改善に対するやる気の高さを示すものだ。


 こういった仕事の節目には、いい酒をのみたくなる。バーボンだと、I・Wハーパーの12年物がいい。竹内まりあの「駅」や大橋純子の「シルエットロマンス」、もとまろ・リリの「サルビアの花」などを聴きながら、ロックグラスを傾ける。時間の経過は特に気にせずに思考をフリーにする。過去と現在、未来が交錯するが、特に気にはしない。


 うまい酒をのんで、現実と夢想の境がなくなり、やがて深い眠りに落ちる。昨夜は遅くまで今日の準備や他の案件のことに対応し、かなり寝不足気味なので、今夜はきっとよく眠ることができると思う。そして、明日の朝はすっきりと目覚めることができるのだろう。健康状態が良好なことにまずは感謝である。


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2010年9月26日 日曜日 13:12:45 「睡眠、深さと時間の関係性」
 6月中旬頃にやや不眠気味になったが、その後1ヶ月かけて持ち直し、先月末あたりからは、自宅での睡眠がいい感じになっている。自宅にいるときは出来るだけ日付変更線の前には就寝することにしていて、調子の悪いときは1時・2時まで寝付けなかったのだが、この頃は分厚い本を手にとって数ページ読み進める5分か10分の間に寝入ってしまうようになった。睡眠導入剤の世話になることもなく、自然な眠りが日常化してきたので、健康状態もすこぶる良くなっている。


 今日みたいな休日は、それほど早く起きる必要もないのだが、昨夜は午後11時前には就寝したので、今朝6時には起きて本を読んだりした。だいたい7時間くらいは寝ていることになる。それで午前8時過ぎくらいに朝食を摂る。その前にベランダに出て朝日を20分くらい浴びるのが習慣になっている。体内時計をより正常化するためのものだが、夜は早めに寝て、朝早く起きることで、体内時計はかなり正常になっていると思う。季節が秋に向かい、睡眠に深さが伴ってくると、併せて体調もよくなる。


 2003年くらいから数年間、睡眠時間が2時間とかそんな状態で仕事に没頭する日が多かった。私にとっての「プロコンサルタント黎明期」であり、寝る時間を惜しんででも、貪欲に仕事に取り組む期間だった。年齢的にもまだ40歳代半ばだったので何とか体力が続いたのだが、その無理が蓄積されてきたことは否定できない。それで、昨年の年末あたりは体が思うように動かなくなるというような現象が発生して、そんな生活をしていたらそのうちに倒れて寝込んでしまうという恐怖感に襲われたものだ。


 今年に入ってからは、家内から「短距離ランナーではなくて、長距離ランナーにならなければ」といわれたこともあって、ことさら健康管理を重視し、食べるものや睡眠については特に意識をして健康にいい方向を家内と一緒に模索してきた。途中、積年の疲れが顕在化してしんどい時期もあったが、先述のように現時点で、非常にいい形になりつつある。特定の薬やサプリに頼ることもなく、自己治癒力でもって健康状態が保たれていることは、ある意味画期的である。懸案の歯の方も通っている歯科医院の丁寧で的確な治療のおかげで快方に向かいつつある。


 「生きるか死ぬか」という切迫感のなかで、限界まで仕事に取り組むことはかけがえのない経験であり、また、独立した者であればそういう期間は絶対に必要である。私の場合はその期間が他人よりも長すぎた感があるが、それだけに確実なベースというものを築いて、それがいまの活動の拠り所となっている部分があって、その期間に体験した苦闘(苦労ではない)や不幸なことをことさらに後悔する気持ちはない。「長距離ランナーとして、いまをどう生きるか、そして明日を、将来をどう造っていくか」そのプロセスを大事にしながら、貴重なビジネスタイムを地に足をつけて生きていきたいと思っている。


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2010年9月25日 土曜日 10:40:31 「協働の形とコンサルティングノウハウ」
 シルバーウィークの終盤、私はカレンダー通りで、今週は火曜日・水曜日と島根県に出張、昨日は事務所で終日、経営診断報告書のブラッシュアップを担当者2名と一緒に行った。経営診断の基本コンセプトを共有した上で、1つ1つの項目が「合成の誤謬」にならないように、全体最適を念頭において骨格を組み上げていく。私が長年培ってきた手法である。経営診断案件については、最近になってパートナーコンサルタントや社員コンサルタントも単独で遂行できるようになってきたので、私は仕上げの段階で関わるだけでいいというケースも出てきている。もちろん、報告会を開催する場合は、私が行かないと始まらないということもあるので、そういう機会には出来る限り参加することにしている。


 経営コンサルティングを徒手空拳で始めて11年半、やっと連携や協働の形が出来てきたように思う。自分一人で処理できる量はおのずとしれているのだ。彼らがやってくれている仕事は、私がこの11年間あまり営々と積み上げてきたノウハウをベースにしている。コンサルティングノウハウというものは一朝一夕に構築できるものではない。何かのベースがあってやるのと何もないところからやるのとでは、その労力において大きな違いがある。


 報告書のブラッシュアップは、今日の午後までかかるという想定だったが、骨格の構築が早めに終わったので、その中のコンテンツを主担当の社員コンサルタントが作り込んでいくことにして、夕方からは別の打ち合わせを行い、その後会食となった。2次会に顔を出した銀座の一応クラブの「Yoshida」は、意外に満席近くなっていて、大手企業のサラリーマンと目される人達がいい調子でカラオケに興じていた。その元気さに「円高メリット系の会社の人かな?」とパートナーコンサルタントのY君と話し合った。


 銀座を午後11時過ぎに出て、帰宅したのが午前0時半頃、昨日は寒い日だった。長袖の秋物シャツに秋物のジャケットを羽織ってちょうどいいくらいである。駅のタクシー乗り場が混むだろうと家内が車で迎えに着てくれた。ミーティングを早めに終えることができたので、土曜日と日曜日は自宅で過ごすことができそうである。その僥倖に感謝しつつ、さらにいい仕事を積み重ねていくことに向かうことでの「気分の高揚」を感じながら、いよいよ秋に突入する前のひとときを楽しんでいる。


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2010年9月11日 土曜日 12:59:32 「久しぶりの神戸 街の香り懐かしく」
 今日は中小企業診断士の資格更新のための研修を受講するために神戸に来ている。診断協会としては東京支部(中央支会)に所属していて、本来であれば東京で受講するのが普通だが、兵庫県支部も準会員になっており、たまには昔の仲間とも会って旧交を温めるのも悪くないと思い、日帰りで神戸に来ることにした。


 久しぶりに降り立った新神戸駅からタクシーで研修会場に向かったが、その途中、車窓からみえる風景は、私がこの地を去った約2年前と殆ど変わっていない。神戸は大都市の中でも最も落ち着きのある佇まいをみせる街である。2003年から2008年まで5年半の間、生活拠点と活動拠点があったのだが、その当時のことがもっと昔のことのように、日々色褪せていっている。


 そもそも、「根無し草」の私はどこに住んでどこで活動するといった物理的また心理的な制約がまったくない。独立してから、京都→東京→大阪→和歌山・神戸→東京と活動拠点をめまぐるしく変えながら、何とか生き長らえてきた。そして、いま、私は当初からの目標であった東京に拠点を置き、鎌倉市内に住んでいる。一昨日も東京事務所で、家内と事務員さんと3人で話をしているとき、いずれも私が東京に行ってから知り合った人達と親しく話していることを客観視したとき、人間の不思議な縁というものを実感したのだ。


 2005年から昨年10月まで5年間活動拠点となった神戸事務所があったビルの前を通った時、その5年間の活動が一瞬脳裏をフラッシュバックしたのだが、詳細なところはモノクロームの世界で、やはりそのこと自体が過去の出来事なのだと思ったりする。あるいは、ここにはもう自分のいる場所はないのだということもある。でも、過去があって現在があるのだから、そこが空白になるということはない。


 研修会場に着くと、懐かしい顔ぶれに会い、「お久しぶりです 元気でしたか?」と声をかけあって旧交を温める。今日の目的はこれに尽きるのかもしれない。2004年に診断協会の支部を和歌山県支部から兵庫県支部に移籍したとき、私にはこの地で知己が殆どいなかった。中小企業診断士の先輩達の中でいろいろな人が私に声をかけてくれ、また、仕事の機会を提供してくれた。私の経営コンサルタントとしての知見と方向性はこの時期に培われたのだと思う。和歌山県の時代も含めて、当時、お世話になった先輩方には本当に感謝している。


 そんなことをつらつらと考えながら、今日は土曜日の半日を神戸で過ごす。日常の活動とは違うものがあって、ちょっとしたアクセントにはなるだろうと思う。こういう時間に自分自身を客観視し、いろいろな物事を整理できれば幸いだ。鎌倉に戻る頃には、また、いつものモードになっていることだろう。その視線を常に前にすえて、「ネアカ・前向き・元気」という経営コンサルタントの基本属性とそれに加えて「冷静・広視野・戦略的」という2次的属性を意識して、まずは50代の残り7年間を走り抜けたいと思っている。


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2010年9月7日 火曜日 13:34:24 「夏の終わりの気配がする」
 松山での研修事業を終えて、松山空港のラウンジにいる。羽田に着くのが午後4時前で、5時半くらいには帰宅することになる。今週は出張はこれで終わり、明日からは会議や打ち合わせが連日入っている。出張ラッシュもちょっと中休みというところで、いくぶんホッとしているところである。


 連日、記録的な猛暑となっているが、夜や早朝はかなり涼しくなってきている。今週末あたりからは、クーラーなしで寝ることができそうで、今年も何とか厳しい夏を乗り切ったなという思いがある。いわゆる「夏の終わりの気配」である。それは、束の間の秋を待つ瞬間であり、だからこそ貴重な秋という季節に向けて想いを募らせる瞬間でもある。


 しかし、こうしている間にも、私に残されたビジネス人生の時間は刻々と少なくなっていく。時間は常に有限である。そのことに焦りがないわけではない。だから、やるべきことは前倒しをしてでもやっておこうという気持ちが強い。ただ、その際に「過度な負担を自分自身に強いない」ということを是とするというところが、以前とは違っている。「オレも歳をとったのかな」と思う所以だ。


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2010年9月5日 日曜日 17:39:20 「調和のとれた生活」
 9月に入り、最初の日曜日である。最近は日曜日を自宅周りで過ごすのが日常的になってきた。暑いので外出は午前中にして、午後からは部屋で読書をしたり、書類を作成したりして過ごしている。石川遼が出ている時には、ゴルフ中継を視たりもする。でも、テレビはニュース番組以外は殆どみない。


 昔から活字に接していないと落ち着かないという性分で、読書はいろいろなジャンルのものを乱読するタイプである。携帯電話やIPadで本を読むという人もいるようだが、私には全くなじまないスタイルだ。ただ、コミック誌については、パソコンで「みる」というのはありかなと思ったりする。実際、あれは読むというものではなく、映像的に「観る」という感じになる。


 ギターで弾き語りをするのも1つの習慣になっているし、楽しみにもなっている。神戸にいたときは、自宅では一切演奏はせず、もっぱら事務所でやっていた。自分自身のテンションを測るバロメーターになるし、好きな曲を大声で歌うことによって、テンションを上げて、その流れで仕事に入っていくということもあった。


 昨日、久しぶりに「暗譜」の練習をしたのが、桑田佳祐の「tsunami」だった。ギターのコードがわからなかったので、有料の譜面をインターネットでダウンロードした。変調の多い曲でハイコードが多く、弾き語りをするには、難易度の高い曲である。これを暗譜して自在に弾けたら、それはそれで格好いいのだろう。弾き語りと読書、穏やかな生活、それが私生活における3種の神器である。もちろん、その前提には仕事の充実がある。


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2010年8月11日 水曜日 17:20:34 「生きているという実感」
 群馬県・渋川市から戻る「湘南新宿ライナー」の車内である。ほどよく冷房が効いていて快適である。高崎駅構内の書店で単行本を3冊買ってそれを読んだりしている。いま読んでいるのは、「祈るときはいつも独り」(白川道著 幻冬舎)の下巻である。この作家の作品が好きで、殆どのものを読んだ。今回の長編もなかなか骨太である。「人は何故生きるのか」という大命題を小説という形で示唆してくれる、非常に味わい深い内容だ。


 仕事の合間や移動の時間などを利用してよく本を読む。趣味らしきものが「ギターの弾き語り」以外に特にない私にとって、読書に耽溺する時間はとても貴重なものとなっている。そこそこおいしいものを食べて、自由に読書ができればそれで幸せなのである。学生時代からずっとそんなパターンできたものだから、それ以外の充実した時間を過ごすことがあると、さらに至福感をおぼえるのだ。


 「明日が今日よりもよくなる」という希望があって初めて人は前を向いて行動するのだろう。努力というものはそういうところに生まれる。希望のない人からは主体的な努力は生まれ得ない。その希望をベースに一日一日を精一杯生きること、それが日々我々に充実感をもたらす源泉となるのだ。「生きていることの実感」を確実な手応えとして自分自身が納得のいく生き方をしていくこと、それこそが理想であろう。


 その意味では、私の「理想の生き方」は、この2・3年でずいぶんと下方修正されたのかもしれない。それはこじんまり生きているということではなくて、日々、やりがいのある仕事をさせてもらいながら、ほんの小さな出来事に深い考察をしたり感動をしたりする自分がいて、そういう自分に対して、「結構いい感じだな」と思ったりする。とにかく、心身ともに健康なことに感謝である。


 昨日、宮崎駅から仕事先の会場まで1キロあまり歩いた。予定より少し早めに着いたからだが、猛暑の中、吹き出す汗をもろともせずに一定の速さで歩くということの爽快感を久しぶりに味わった。昨日は日帰りで東京に戻ったのだが、自宅に帰り着いて、シャワーを浴びてから味わう白ワインがとてもおいしかった。日々、精一杯やって、そして「生きている実感」を不連続ながらもおぼえることの大事さ、価値をいうものを、この歳(53歳)になって腑に落ちるようになった。明日もこんな気持ちで案件に臨みたいものだと思う。


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2010年7月30日 金曜日 18:08:36 「緊張がどこまで続くか」
 今週は丸々1週間、四国の愛媛と高知で活動している。研修事業がメインである。松山市内で3日間、高知市内で2日間滞在してやっているが、5日目となるとさすがにエネルギーが切れてくる。毎日、やる内容が違うので一定の緊張感を持って取り組む必要がある。1999年4月に経営コンサルティングを主たる事業として活動を始めた時から、経営コンサルティングの場面はもちろん、単発的な助言、研修、講演等の機会においても、一定の緊張感を持って対応をしてきた。事業が2005年くらいから本格稼働してからは、連日続く案件に対して緊張感を持続してきた。


 その2005年から丸5年、そういう緊張感のある日々が続いていることになる。40歳代の後半、まだまだ瞬発力や体力がある期間に案件に恵まれることになったので、大変ラッキーだったと思っている。これが50歳を遙かに過ぎた年齢だったら、今日の私はなかったかもしれない。平均睡眠時間が2時間ほどで、半年くらい憑かれたように中小企業の経営再生や経営改善、森林組合の経営診断等に邁進した。いま思えば無茶なことをしたと思うが、40歳代最後という「最後の若さ」が「もう後がない」という危機感と相まって頑張る源泉になったのだと思う。


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2010年7月22日 木曜日 16:35:42  「水害、そして猛暑、夏本番に」
 京都での研修を終えて関東に戻る途中、2時間ばかり新幹線の車内でゆっくりしている。非常に快適な時間、気持ちが落ち着く時間である。前回の更新から2週間、この2週間はあっという間だった。気がついたら7月も下旬、先週は大雨で各地での水害がひどかったが、今週になると今度は猛暑で、熱中症の犠牲者が出ている。自然の脅威は凄まじいものがある。自然の摂理に逆らうようなことをやっていくこと自体に持続性がない。21世紀はそのことを肝に銘じて生きていくべきなのだろうとつくづく思ったりする。


 7月中旬あたりから8月末にかけては、1年中で最も暑い時季であり、それは高校野球の地方予選から甲子園に連なる「熱っぽい」期間でもある。あんな猛暑の中でよく試合をするなあといつも思う。昔、放送記者をしていた頃、高校野球の取材で猛暑の甲子園に毎年行っていたというか行かされていた。その時にスコアカードの付け方も覚えた。あとから原稿を書くのと映像の編集作業を効率化するためである。それにしても真夏の甲子園のスタンドは暑かった。20代前半で体力もあったからこそ、連日、事件とか事故とかスポーツとか取材に走り回っていても平気だったのだろう。


 あれから30年近くなる。昭和は平成にかわり、世の中の景色もずいぶんと変わった。「馬齢を重ねたのかもしれない」と時々そう思う。人間的な成長をきちんとしてきたのだろうか、自分自身に恥じない生き方をしてこれたのかと自問すると心許ない部分が多い。「半端に生きてきた」そういう部分もある。「でも自分自身に正直だった」といえなくもない。とにかく複雑な生き方をしてきたのは事実だ。


 明日は2週間ぶりに事務所に出る。長期間、事務所を留守にしていたので決裁ないし処理しなければならない案件が山積していて今週は休み返上で書類づくりになるかもしれない。来週は5日間、四国で滞在することになっている。体調の方がかなり上向いてきたので、何とかこの猛暑の中の出張シリーズも乗り切れそうな気配になってきた。結構なことである。健康第一でとにかく頑張っていきたい。


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2010年7月7日 水曜日 20:55:23  「不思議な七夕の夜」
 京都・日吉町での研修を終えて、京都駅に移動、新幹線口にある「江戸川」で、「うな重」を食べて東京に戻る新幹線に乗り込んだ。そして東京駅から赤坂に移動し、いま、ニューオータニ東京の6階ラウンジにいる。家内が知人の結婚式に出席していて午後9時半頃に終わるので一緒に帰ろうということになった。ニューオータニのラウンジに来るのはおそらく3回目くらいだと思うが、庭園を観ながらバーボンをロックでのみつつ、しばし思索に耽るのも悪くない。仕事は切れ目なく入り、節目というものがなくなっているが、ちょっとしたこういう時間が貴重である。


 先々週あたりから体調が低下して、テンションがあまり上がらないまま、自身を鼓舞して、北海道や群馬、高知等に出張してきたが、今週に入って上向きに転じている。家内からは「くれぐれも無理をしないように」言われている。それもあって、以前のようにがむしゃらに仕事と格闘するスタイルからはかなり脱却できている。これも家内の助言の賜と感謝している。おかげで、メタボもかなり改善され、体型もかなりすっきりしてきた。


 物質的な豊かさを追求する成長期の時代はすでに終焉を告げて、少ない総付加価値(粗利益)をみんなで分け合って、お金がなくても心豊かに過ごすという「成熟時代」がこの日本にも定着しつつある。金儲けは決して悪いことではない。労働の対価である給料が減るのは由々しき問題だ。でも、この国の経済を俯瞰していると、成長するという希望を持てという方が無理である。生産人口はどんどん減り、生産しない老人ばかりが増える「老人国家」になりつつある。


 菅総理の消費税の増税提起は正しいと思う。それを原資にして老人が安心して暮らせる制度を作って欲しいとも思う。年金は1人あたり月額10万円は何とか保証するとか、10万だと東京では暮らせないが、田舎に行けば何とかなる。年をとって東京で暮らさなければならない理由はどこにもない。現役を引退した老人がするべきことは、いかにしてでしゃばらずに静かに暮らすかということだ。要するに「若い世代から尊敬されないまでもバカにされない生き方」をしなければならない。年金をもらうということはそういうことではないのか。


 京都の山間部で昼間仕事をして、夜は東京のニューオータニで夜景をみながら静かにバーボンをのんでいる。不思議な気分である。こういうシチュエーションは少なくともこれまでなかったと思う。でも、何となくいい感じではある。まあ、とにかく、これからも特に構えずに自然体で生きていければと思う。無理をしないこと、気負いすぎないこと、それらを自分自身に言い聞かせながら明日からも自分らしく生きていこうと思う。


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2010年6月25日 金曜日 18:20:30  「新たなる地平を認識しつつ」
 群馬県での人材育成事業から自宅に戻る「湘南新宿ライン」の中である。自宅に着くのは午後8時前くらいになる。林野庁の補正事業の実施主体となってそのメインの部分である「森林施業プランナー育成研修」の最終回が終わりホッと一息というところである。受講者の反応もまずまずで、結果的にやってよかったと思う。一緒にJVで一から取り組んできた(株)エスピーファームの近藤社長やスタッフの皆さんに感謝したい。


 東京に事実上の拠点を移した3年くらい前から案件やプロジェクトの高度化と相まって、協働するパートナーの存在が欠かせなくなった。(株)エスピーファームとはこの3年間ほど、林野庁の別の事業で一緒にやってきたのだが、その中で林業界における人材育成や組織改革等の喫緊の重要性を共通の問題意識として位置づけ、その延長線上で今回の事業に関して協働することになった。


 スタンドアローンでやれることにはおのずと限界がある。いわゆる「家業」の段階では事業と呼べるものは遂行できない。中小企業相手の殆どの経営コンサルタントはこの「家業」の域から脱することをせず、あるいはできずにいる。業容を拡大すれば当然経営リスクが生じる。さまざまな費用も嵩んでくる。最も出費が少ないのは獲ってきた仕事を自分自身で処理していくこと、そして、事務所とか事務員とかの固定費をかけないことである。


 私の場合はここ数年、ただがむしゃらに仕事をしているうちに、マーケットや利害関係者等に導かれて、事業規模をどんどん大きくすることになった。神戸にいてそこを拠点にしてやっていこうとしていた時期もあったが、結局、その期間も通過点に過ぎなかった。紆余曲折はあったが、最終的に昨年10月末、事務所を東京・日本橋に移転したことで、事業の拡大と充実に拍車がかかった。そして、その流れで鎌倉に住むという形にもなった。


 参加者が200人近く、現場研修も伴う専門的人材育成事業を一から起案してやり遂げるのは並大抵のことではなく、主催側のこれまで培った知恵やノウハウが威力を発揮する。そういう意味で、私と近藤さんのコラボが今回事業を円滑に運営する原動力となったのは事実、やはり、お互いの専門性を足し合わせた相互補完型、シナジー型の連携が威力を発揮する。関西にいるときは、こういった形態の仕事の仕方はしていなかったし、いいパートナーにも恵まれなかった。東京に進出したことで、マーケットに踏み込んだことで得られた成果だと思っている。


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2010年6月18日 金曜日 17:33:11  「週末に向かう緩やかな時間」
 岐阜での会議を終えて名古屋から小田原に向かう新幹線の中にいる。今日は終日雨模様になった。このまままっすぐに帰宅する身としては、雨が降ろうと晴れようと関心外のことである。今週は月曜日と火曜日が山口で、水曜日に東京・高尾で講義をして、その足で北海道の美唄へ、昨日、現地での案件を終えて、今日は岐阜に日帰りである。東京・日本橋の事務所に立ち寄ったのはわずかに1時間くらいなものである。


 5日間連続出張ということで、やはり疲労感は否めない。明日は自宅で静養しようと思っている。最近、天気がいいとマンションのベランダで朝食や昼食をとったりする。裏手が雑木林になっているのでロケーションも悪くない。そこで家内といろいろな話をしながら食事をする。そういう何気ない時間が私にとってはかけがえのないものになっている。「会話のある生活」このことの価値というものを実感しながら日々の生活を楽しんでいる。


 金曜日のこの時間は、週末から休日に緩やかに向かっていくある意味「心地よい」時間だ。以前であれば、出張帰りには必ず繁華街に行き、非日常性の空気をもった店で1週間の出張疲れを癒していたものだ。しかし、いまはひたすら「最終帰港地」に向かっている。金曜日の夜から土曜日にかけての時間は自由で将来の夢を思い描くには最適だ。味わいのある小説を読むという楽しみもある。


 いろいろな葛藤の中で1つの一貫性を持って仕事を遂行していくというのは実際大変なことなのだと思う。この歳になり、またそれなりのキャリアを積み、社会的にも責任の重い役割になってくるとますますその想いが強くなる。だからこそ、仕事以外で自分が素顔になれる空間と時間を創出していかなければならないのだと思うのだ。物事が悪い方に転び出すと収拾がつかなくなることがある。そういうときにこそ、平常心を保つようにする「術」を身につけておかなければならない。


 今週はテンションがそれほど上がらない中、自分を鼓舞しつつ、多様な案件に精一杯対応できたと思っている。それなりに全力を尽くしたという充実感を持ちながら、休日に向かっていくのは何ともいえず豊穣というか満ち足りた気持ちになる。30歳代は夢を追いかけてひたすら試行錯誤を続けた。40歳代は退路を断ってとにかくがむしゃらに前に突き進んだ。そして迎えた50歳代は、もちろんそういった積み上げがあってのことだが、束の間であっても自分のことを大事にしようとしながら、質の高い仕事を志向している。肩の力が抜けてきているのかもしれない。


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2010年6月14日 月曜日 9:46:59  「リスク社会に生きているということ」
 山口県に向かう新幹線の中にいる。今朝、品川駅で新幹線に乗り換える際、痴漢騒ぎで、電車からホームに連れ出されたらしい男性が別の男性に羽交い締めにされている現場にでくわした。横には被害者らしい女性がいる。つかまえられている男性は30歳前後、つかまえている男性は30歳過ぎぐらい、女性は新入社員くらいだ。最初は男性同士のトラブルかと思ったのだが、よく観察するとそうではなさそうだ。女性が痴漢だと叫んだので、近くにいた男性が「犯人らしい」男性をつかまえてホームに引き摺りだしたのだ。


 そのうち、捕まえられていた男性がスキをみて脱兎のごとく逃げ出したようだ。こちらは新幹線に乗り換えようと階段を上がっていたので「待て!」という怒声だけ聞こえた。捕まえていた方も非力な感じだったので、力づくで脱出を図ったのだろう。でも、もし彼がやっていないのであれば、その行為は正解である。痴漢リスクにおける「冤罪対策」は、まずその場からすぐに立ち去ることだという。駅員や鉄道公安に連れられて駅長室に行くということ自体、罪を認めたことになる。今朝みかけたくだんの男性が痴漢をしたかどうかはわからないが、とりあえず逃げた気持ちはそれなりに理解できる。痴漢で逮捕され起訴でもされたら一生が台無しになる。


 痴漢は論外だが、セクハラというのも厄介である。どういう行為にしろ、相手が不快に感じたらセクハラになる。だからビジネスシーンにおいて女性とは必要以外口をきいてはいけないということになってしまう。呑みに行ってプライベートな部分に踏み込んだりするのもタブーだ。「昔はそういう概念がなく職場でも言いたい放題でよかった」と懐古している場合ではない。派遣社員などは履歴書も何も開示せずに職場に来たりする。我々はそういう社会に生きて活動しているということを肝に銘じるべきだ。


 先日、横浜の会員制スパに行ったときのこと、ロッカーにうっかりサングラスを忘れて帰った。あとから気がついて店に電話したら忘れ物や預かり物として届けられていないとのこと、ダンヒルのブランド物だったので、私の次にロッカーを使用した人間が持って帰ったのだろうと指摘すると、「そうであっても特定できないので対応できない」とのことだった。まるで忘れる方が悪いという言い方である。明らかに持って帰る行為こそが犯罪であってそれ自体が責められる追及されるべきなのにである。


 ブランド物のサングラスであれば、インターネットのオークションあたりで「新品同様」として出品すれば結構な値段で売れるのかもしれない。しかし、他人が身につけていたものを持って帰ること自体、「気持ちの悪い」ことである。油断も隙も見せられないイヤな世の中になったとつくづく思う。できるだけ人を信じたいが、信じると騙されたり物を盗まれたりする。自分の身は自分で守るという基本原則を今一度肝に銘じて、このリスク社会を生き抜いていかなければならない。


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2010年6月7日 月曜日 14:38:03  「婚活まで行政頼み?の社会」
 昨夜、テレビの報道番組で、「行政機関が婚活を支援」という話をみて驚き呆れた。茨城県などはそんなのに年間2,000万円もつぎ込んでいるという。自分の結婚相手を見つけるのを役所頼みとは一体何なのか。ネット等で怪しい出会い系サイトが蔓延っているので、役所の主催なら大丈夫だというのか、そもそも、その前に自分の甲斐性で相手をみつける努力というか創意工夫をしないこと自体に問題があるのではないのか。


 昔は男女が年頃になると、親類や知人から縁談話が持ち込まれた。いわゆる「お見合い」である。それは常にボランタリーな行為で、誰から頼まれたというわけでもない、相互的、慣習的なものだった。ところが、いまはその習慣は過去の遺物となっている。男女の出会いの場は勤務する職場に限定され、あとは合コンとかごくわずかのオプションしかない。それもあって婚期を逃し、独身のままでいる男女のなんと多いことか。


 「出逢う機会がない」と彼らはいう。でも本当にそうだろうか。昨日の報道番組でいえば、地方で農家をやっている青年がいて、普段の行動範囲の中では異性と出逢うチャンスがないと言っていた。現象面では確かにそうかもしれないが、だったら、その行動範囲を変えてみるということをしなければならない。おしゃれをして街中に出ていい感じのバーに入ってみるだけでも世界が変わってくる。つまり、行動なきところに成果はないのだ。あるいは投資なきところにも回収はあり得ない。行動や投資をせずに結果だけを求める人間が多すぎるのではないのか。


 自分を高める「投資活動」を続ける人間は常に魅力的である。1つの目標に向かって懸命に努力を続ける人も美しい。そして、出会いの機会は誰にでもある。もう一歩踏み込めばみえる道もある。そこで踏み出すか踏み出さないかによって結果が確実に違ってくる。リスクの多い社会であるからこそ、それを恐れてはいけないのかもしれない。そこで自己責任原則という考え方が大事になる。目の前の現象を的確に分析して自分の行動を規定する判断基準を持つべきだし、そのための勉強・研究を惜しんではならない。


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2010年5月30日 日曜日 22:05:34  「曇天の日曜日、思索には最適日」
 1週間、このページを更新できずにいた。理由は特にないが、以前のように自分一人の時間が少なくなったということが大きい。事務所にいる時間も殆どなく、出張以外でも会議とかで時間を費やしている。そうこうしているうちに5月も終わりになった。今週から6月に入る。早いもので1年の折り返し点になろうとしている。今年に入って自宅の転居があったりして、活動形態が変わり、それに馴染もうとしているうちに6月を迎えることになってしまった。


 昨日は久しぶりに映画を観ようということになり、品川にあるプリンスシネマで「グリーン・ゾーン」という映画を観た。イラクの「破壊兵器」にまつわる疑惑を描いたマット・ディモン主演の問題作である。政権が変わると前政権の問題をえぐり出す映画が容認される、アメリカならではの内容だった。少なくとも日本ではあり得ないことだ。ネタはいくらでもあると思うのだが、正面切ってそれを映画化できるほど、日本は開かれた国ではない。


 今日は朝から雨模様で寒い一日になった。こういう日は外出せずに読書に勤しむのがいい。朝の番組で「Ipad」のことを紹介していたが、確かに魅力的なもので、その活用方法は無限であるとも思う。いよいよコンテンツ時代の本格到来か、これによってダメージを受ける業界も多いことだろう。例えば印刷業や製本業の業界だ。これで本が読めれば紙の装丁など必要なくなる。でも、私なんかはそれに関してはアンチ派であって、本を読むときに紙の手触りや匂いがなければそもそも内容を読み進めることができない。多分、私はこの先、デジタルデバイドになっていくだろう。パソコンさえ使えたらそれでいいと思う。


 社民党の福島瑞穂大臣の罷免問題は、この夏の参議院選挙に向けて、ますます政局の混迷の加速を示唆するものだった。「野党になる」などと福島党首はテレビで言ったとか、ここは民主党の明確な「決意表明」が欲しいところだ。その上での新しい連立の枠組みはあり得るだろう。その連立のありようは「一寸先は闇」としかいいようがない。ただ、いくつかの新党は一定の形に収れんするまでの「つなぎ」の存在でしかない。個人的にはより多くの国民の幸福を追求する政権であって欲しい。


 こういう時に一経済人として、また、ビジネスマンとしてどういう行動規範をもつべきかというと、断然、「自分の心のどん底が納得する部分で判断する」ということになる。つまり、常に自分が得心した部分で、やるべきことをやっていくしかない。政権が変わったらとか、そんなことは我々が関知する事柄ではない。行動規範の基本は「ブレないこと」そして「社会の最大幸福の追求」である。休日の午後、読書の合間につらつら考えるに、そんな結論になった。また、明日から気持ちを入れ替えて頑張ろうと思っている。


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2010年5月23日 日曜日 11:48:22  「六月の雨 シトシトと」
 今日は朝から雨である。リビングの部屋の窓から雨が樹木に降り注ぐのをみながらこれを書いている。雨の日曜日の昼間、何となく心が落ち着く時間である。昔からこの季節の雨の日が好きだった。小椋佳の曲に「六月の雨」というのがある。「いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい」というフレーズが耳に残る名曲である。中学生の頃からこの季節にいいことがあった。新しい出会いがあり、新鮮な感動があった。そういう心象風景が小椋佳の曲と同期するのかもしれない。


 そんなことを思い起こして、パソコンの音源に入れてある「六月の雨」をじっくりと聴いてみる。やはり名曲である。小椋佳は昭和19年生まれ、私よりも一世代余り年長である。第一勧業銀行の行員として勤務の傍ら、曲を作り続けた。シンガソングライターではあるが、その本質は詩人なのだろうと評価している。サラリーマンとの「二足のワラジ」に葛藤もあったのだろうか、地方の支店長だかを最後に退職し、それからはフリーランスのアーティストとして多彩な活動をしている。いわゆる自己実現であろう。


 一度だけ銀座の交差点で銀行員時代の本人とすれ違ったことがある。背が高い人で、いかにも銀行員という風情だった。その時、私は30歳を過ぎたばかり、地方放送局の東京支社に勤務していた。それから時が過ぎて、小椋佳は60代後半となり精力的にコンサートやミュージカルのプロデュースなどの活動をしている。おそらく自由でストレスのない日々を過ごしているのだろうと思ったりする。そして、この私はあれから20年余り経った今、曲がりなりにもやはり自己実現に向かって前に進んでいる。


 そうか、あれから20年以上経ったのか、そんなことを想うと、時の流れの速さを実感するところだ。放送局を辞めて16年が経った。自分の力で生きていくことに決めて徒手空拳で未知の世界に踏み込んだ。いつの間にか20年前にみた小椋佳と同年代になっていた。50歳代は自分の言動と顔に責任を持たなければならない。それと何があってもブレない生き方を貫くと同時に幅のある現象を包み込む許容力・寛容力も必要になる。そのためには物事を全体からみていくアプローチが重要になるだろう。


 「花咲く姿は変わるけれど 変わらぬ心を誓いながら・・」と小椋佳の「六月の雨」は私の心に迫るものがある。昨夜(ゆうべ)、7年位前の自分のホームページをざっと読み返したのだが、あの頃の私はまるで毎日「白刃」をかざして生きているという感じで、発言内容も過激そのもので、安易に妥協することがない。その気持ちで40歳代を走り抜けて現在に至っている。でも、昨年の夏あたりから物事を俯瞰すること、全体最適を目指すこと等、行動規範が変わりつつある。50歳代の生き方、佇まいというものがやはりあるのだということを、雨の日曜日に実感しているところだ。


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2010年5月19日 水曜日 16:23:17  「陽光の京都・日吉で考えたこと」
 月曜日から今日まで2泊3日の研修事業が終わった。東京に戻る新幹線の中にいる。これまでであれば、新幹線の中でウイスキーなどをのんで「独りお疲れさん会」をするところであるが、この春あたりからそれは自宅に帰ってからワインでやるようになっている。今月からコンサルティングや経営診断、研修事業、講演等で地方に出張することが激増する。それらが終わるたびに自宅でささやかな「お疲れさん会」をやることが定番になっていくのだろう。


 政治・経済の動向は依然不透明、世知辛い世情は延々と続く。自分のことしか考えない人間が多くなっていく中、そんな社会が続けば、国自体が滅びてしまうということを我々はもっと心の中に落とし込まなければならない。より多くの人の幸福を願って行動することや、長期的視点で物事を考える思考がものすごく大事なのだとつくづく思う。森林・林業関係の仕事に関わるようになって、その想いは一段と強くなっている。


 少子高齢化が進み、もはや経済成長が見込めない「成熟社会」において、我々はどういう行動規範をもって生きていけばいいのか、一人一人がよく考えて意思決定をしなければならない時代に入っている。その思考を放棄して「いまを普通に生きることができれば幸せ」だと断言する「草食系」なる若者群は、確実に価値を生まない「社会の無価値資産」となっていく。また、社会の第一線に立って経済行為を行い、多くの価値を生み出していく「生産層」を後ろで応援せず、自分勝手な理屈で年金を食い潰す高齢者群もこの社会のお荷物となる。


 若者は先人に学ぶ真摯さを持たなければならないし、将来に対するさまざまな投資を怠ってはならない。この国の最大の経営資源は人材である。ただでさえ少ない若年層が自らドロップアウトしていくような現象だけは何としても食い止めなければならない。いわゆる肉食系・狩猟系の人間がどんどん出てきて、彼らが社会の活性剤になっていかないと、そして、年配者が自分のことはさしおいても、そういう人達を応援して育てていくという形になっていかないとどうしようもない。


 私はできれば70歳でビジネス社会を引退するつもりにしているが、それ以降はどこかに引っ込んで「世捨て人」的に生きていこうと心に誓っている。年金がもらえるのであれば、そういう貴重なものをもらっていることに感謝して、応分の社会奉仕(街のゴミ拾いとか)をするつもりだ。間違っても後進の人達のやっていることに口を出したり、そういう場にしゃしゃり出たりする気持ちは一切ない。「老兵は消えゆくのみ」なのだ。どこかでひっそりと生きていく以上に老人がなすべきことがあるのだろうか、やるべきことはそれまでに終えておくのがあるべき形だと思っている。


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2010年5月16日 日曜日 14:10:01  「時の移ろいと生き方の変化」
 神戸に向かう新幹線の中である。今夜は神戸泊まり、明日から京都・日吉町での研修事業に臨む。何故、神戸で泊まるかというと、今日夕方、神戸で娘に面談するからである。娘に会うのは実に4ヶ月ぶりである。ということは神戸に立ち寄るのもかなり久しぶりということになる。関西での活動や生活と完全に関係がなくなってから半年になる。たまにテレビなどで神戸や大阪の街が映ると、とても懐かしい気持ちになるが、ただそれだけのことである。


 経営コンサルティングの活動を始めたのは、今から11年前のこと、当時、住んでいた大阪市阿倍野区の自宅の小さな一室がその拠点だった。その4年後、神戸市内に移り住み、そこが拠点になった。さらにその2年後からは神戸市内に開設した単独事務所を基地にして、全国的な活動が始まった。そしていま、私は東京・日本橋に事務所を移し、自宅は鎌倉市内にある。鎌倉での生活はこれまでとは打って変わって非常に穏やかなものになり、それが私がここ数年醸し出していたであろう「殺伐とした」緊張感を包み込む要因となっている。


 事実として、この8月で53歳になるのだ。一個のビジネスマンとしての「落ち着いた佇まい」があってしかるべきだと思う。安定感ありどっしり感なりがついてこないとこの職業に就いている者としてどうかと思ったりする。もちろん、理不尽なことに怒ったりする正義感、仕事に対するあくなき情熱というものは重要で、それは以前と全く変わっていないのだが、それがどんどん内面に入っていっているというのが現実である。


 泣いても笑ってもあと10数年しか元気で活動できないだろう。どう頑張っても70歳が限界になる。この期間は長いようで実はかなり短い。初期投資期間が終わって、明らかに回収のステージになり、責任の重い案件を遂行していく中で、時間の経つスピードが加速を増していく。それに対して拘束時間以外で自分の自由になる時間はおのずと限られていく。でも、二度と戻らない貴重な壮年期の時間、それもプライベートな時間を仕事だけで終始することへの懸念や反発も実際感じているのも正直なところだ。


 今月あたりから出張が多くなるが、数日間の出張を終えて、ヘロヘロに疲れて帰宅したとき、その疲れを癒してくれる「オアシス」のような空間、私は最終帰港地というように呼んでいるが、その存在こそがモチベーションの最大の源泉ということになる。そこにおいしい料理とワインがあって、楽しい会話がある、私の後半生はこれまでのような仕事オンリーの一色構造から何色かの彩りに満ちたものになっていくのだろう。そう思うと、これまでの苦闘も少しは報われるような気がする。


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2010年5月13日 木曜日 17:17:03  「健康を気にする日々」
 今年のゴールデンウィークは10数年ぶりに7連休をとり、自宅まわりで休養をとることができた。天気も良かったのも手伝って、快適な時間を過ごすことができ、その巡り合わせに感謝している。この間、好きな本をじっくり読むこともできたので、自分としては最高の連休だったと思っている。出来れば秋の連休もそうしたいし、年末年始も同様に過ごすことができれば幸いだ。


 といいながら、今週からは日常に戻り、業務が輻輳する中でだんだんと緊張感が高まっている。来週からは当社が主催する研修事業や助言事業も始まり、出張日数もかなりのものになる。この仕事は体力こそが経営資源の最上位に来る。体力が気力をカバーするのであり、気力があっても体力がなければそもそもこの職業は務まらない。だから、日々、健康管理に留意して体力をつけておかなければならない。


 健康維持・向上のポイントは、「適正な食生活」「適度な運動」「適当な睡眠」そして「適切なストレス管理の4つのR(ライツ)を日々実行していくことだ。この数年間、私にはそれが出来なかった。仕事に邁進する余り、健康管理という最重要なことをどこかに置き忘れていた。この3月あたりから生活環境も変わり、健康管理に目覚めてかなり意識するようになった。ジョギングもやっているし、腕立て伏せや腹筋運動、スクワットなども適宜やっている。


 やたらと呑みに行くこともそれほどしなくなった。事務所に泊まり込むなどの無理もしていない。但し、自宅で仕事をする時間はその分増えているかもしれない。それもあって、内臓脂肪が減少気味で、体重も徐々にではあるが減りつつある。この夏、出張も多いのだが、節制しながら活動をして、体調はベストな状態にしておきたい。ここ数年、かなり無理をしてきたのは事実で、まあ、それがあったからこそ得られた果実も多かったのだが、これからは度を過ぎた仕事の仕方はしないようにしようと思っている。


 先日の「4つのR」については、このところ自分なりに励行できていると思っている。昨年末あたりは出張+会食続きということもあって、胃腸の膨満感がひどくなり、どうにもならなくなる状態にもなったが、これからはそういうこともなくなるに違いない。要は心がけの問題で、健康を害して得をすることなど何もない。健康管理はあくまでも自己責任でやるもの、その意味で活動形態、生活環境が変わってきているのは歓迎すべきことだといえる。


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2010年5月5日 水曜日 11:01:23  「連休最終日に寄せて」
 今日で7連休が終わる。いま、自宅マンションのベランダに折りたたみ式のチェアを置き、それに身を預けてこれを書いている。非常に穏やかな天候で、屋外にいて長袖シャツ一枚で暑くも寒くもないという1年中で最も過ごしやすい時季である。昼食の後に好きな本をじっくり読むには最適の環境だと思う。これから梅雨までの季節、あるいは夏の早朝や夕暮れ時、秋にこうした時間を持てれば幸甚である。

2011年3月31日 木曜日 23:32:30 「新たな行動規範について」
 年度末の最終日の今日、来期への展望を感じながら、打ち合わせ会議とか挨拶をするなかで、自分自身の新たな行動規範を再確認した。要するに「自分がどう生きていくか」ということを明確にすることから全てが始まるという思想である。他人に振り回される人生など愚の骨頂だ。


 アメリカのオバマ大統領が「日本人の忍耐強さに感心する」とか言ったそうだが、それは「あまりも自立していない日本民族」というものに対する半ばバカにした表現だと私は直感している。農耕民族だからとかそういうのではなくて、今回の大震災に際しての政府や東京電力の対応にどうしてもっと怒らないのか、抗議しないのかということだ。「去勢された民族」と誰かが言ったが、そういわれても仕方のない部分がある。


 これからの日本国民は、物理的な復興だけではなくて、まず、誰かに依存せず、自立していくことから「精神的復興」をしていかなければならない。中国なんかに嘗められて黙っている国であって断じてならない。是々非々でメリハリをつける国家になるべきだ。そのためには、国民の一人一人が精神的にも自立をしていくしかない。今回の大震災は、そういう命題を我々に突きつけているのだ。


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2011年3月28日 月曜日 19:53:33 「真摯に生きる、でもそれだけじゃ」
 金曜日から4日連続で出張になり、新幹線での移動が殆どで、おかげで車内で過ごす時間が多かった。品川から新山口までは新幹線で4時間余り、これはなかなか乗りがいがある。山口から新大阪までまた新幹線で移動して、翌朝天王寺から京都・日吉まで移動、今日は松阪まで日帰りとかなり目まぐるしかったが、これで年度内の出張が全て終わった。


 こうして毎日、経営支援先等から期待をされながら動き回っている。そのこと自体が経営コンサルタント冥利に尽きるのだ。何とか健康で、自分の好きな仕事を続けられることこそ、人生にとって大きな価値があるのだと思う。やはり価値というものは、長年かけて営々と積み上げていくものであり、1つ1つの仕事を精一杯遂行していくことの集積なのだということを実感する。


 仕事に没頭できる環境があるというのは大変ラッキーなことだ。その仕事以外に楽しめる趣味や嗜好を持つことはさらにラッキーなこと、人生は常に「More Than」で考えなければならない。特に大したことをしているわけではない。でも、卑下するほどのものでもない。要は自然体でやればいいのだ。真摯に生きるというのはとても重要なことだが、それを肩の力を抜いてやるということを両立させていくべきだ。


 東日本大震災から3週間、復興への取り組みが始まっている。いろいろと考えるところはあるが、最も大事にしなければならないのは常に国民の生命である。生きていてこその人生だと思う。一定の死生観を持つことは重要だが、生きるということと、生きてやるべきことをやるということの価値を改めて噛みしめている人が多いのではないか。私もその一人である。自分なりの「納得できる生き方」をしようと思っている。



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2011年3月25日 金曜日 10:12:40 「肩の力を抜いて、でも前を向いて」
 東日本大震災の被災者の人達には心からお見舞いを申し上げたい。首都圏の海岸部に住む我々が遭遇したとしても全く不思議ではない大地震と津波であった。だから他人事ではなく、みんな自分のこととして真摯にとらえなければならない。震災発生から2週間、大自然の脅威と失われた生命の尊うさ、親しい知人の悲しい知らせ、自分自身の無力さ等を受け止めながら、これから自分に何が出来るのかを自問自答する日々だった。


 この間にも、出張する日々は続いたが、どうも気分と体調がすぐれず、重い気持ちでいた。でも、目の前の案件にはとにかく全力を尽くさなければならない。みんなが立ち止まっていては、復興も進まないし、とにかくいまは前を向くことだと思う。自分にできることは、少なくとも社会から負託を受けた仕事、高邁な言い方をすれば使命を真面目に遂行していくことだと、それしかないのだ。


 ただ、どこかで死生観は持っておきたい。その上で今日という日を精一杯生きる。それこそ、明日に悔いを残さないように、でも、そんなに突っ張らずに肩の力を抜いてやっていきたい。「風」という名曲があるが、そのフレーズの中の「人は誰も人生につまづいて、人は誰も夢破れ振り返る」というのが好きである。そこにはただ風が吹いているだけ、だとすれと、その風に吹かれながら、あるがままに生きていくことも人生における1つの知恵だと思ったりする。


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2011年3月2日 水曜日 14:49:13 「年度末の日々」
 いつの間にか3月に入り、年度末の仕事が立て込んでいる中で、来年度の活動を展望している。今週は月曜日から山口県内で経営診断案件があり、2泊3日でそれを終えて、いま帰りの新幹線に乗っている。自宅に着くのが午後7時前になる予定だ。経営診断案件では、基本的に組織構成員全員からヒアリングを行い、結果的にその事業体なり企業が抱えている経営課題そのものの「重さ」をそのまま受け止めることになるので、終わった日は正直ぐったりする。今夜は旨い赤ワインをのんで、自宅のベッドでゆっくり休みたいと思っている。


 今月は出張に明け暮れることになりそうだが、出張の移動中などに読書をしたり、DVDを観たりして、出張時における「充実した時間」を過ごそうと思っている。新幹線や特急の車内でゴルフ雑誌を読んで、週末ゴルフのイメージをつくるのも楽しい。現地でゴルフというのはなかなかハードルが高いが、たまにはそういうこともあってもいいと思っている。とにかく、ゴルフはいい仲間に恵まれることが必須条件だ。


  重い鞄を持って出張に飛び回ることをいつまでできるのか、おそらくはあと15年くらいだとは思うが、その間は何とか健康で目の前の案件について最高の結果を出して、それを積み重ねていきたい。年齢、キャリアともに、これからがその「最高の結果」を出していける時期に入る。自分が発する言葉が持つ力、重みというものを認識しつつ、言葉というもの自体を日々磨いていく努力を続ける、それしかないのだと思っている。



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2011年2月28日 月曜日 11:22:55 「いつか恋愛小説を書きたい」
 60歳になる頃に、骨太の恋愛小説を書いてみたいと思っている。直木賞とかそんなのを目指すわけではない。むしろ、自分自身の記念碑として残しておきたいという気持ちが強い。とにかく、男と女の関係性というのは複雑怪奇で、それだけに興味深いし、魅力的でもある。主観と客観のギャップは限りなく大きいのが恋愛の常であり、そのギャップの大きさに苦しむ男女の何と多いことか。


 60歳というのは1つの大きな節目である。還暦という年回りであり、企業であれば定年の年齢である。私の場合は定年はないが、60歳という年齢には遠からず到達する。その時にどんな佇まいになっているのか、風体になっているのか、いまから気になるところだ。でも、自分としてはこのままいくと結構味の出る感じになっていると思っている。人生を語るにはまだ早いかもしれないが、恋愛を語るにはちょうどいい頃だろう。


 男女の出会いは、さまざまであり、それは常に偶然のなせるものである。その出会いそのものにそれぞれの物語がある。でも、始まりは終わりの序章であったりするし、逆に終わりは始まりへの扉を開ける瞬間だったりする。その出会い方、別れ方、そしてそのプロセスには、非常に深いものがあって興味は尽きない。それらの現象面の根底にある本質的なものを探ってみたいという欲求もある。


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2011年2月19日 土曜日 21:34:38 「ある休日の風景」
 朝、6時頃に老犬が私を起こしに来る。一度は寝かせるが、ほどなくまた起きてくるので、私もベッドから出てベランダで朝の空気を吸う。それから水をコップに一杯飲み干しす。そして、愛用のタカミネのギターで3曲ばかり弾き語りをする。今朝歌ったのは、大阪ソングシリーズで、「大阪で生まれた女」「悲しい色やねん」「放(ほか)されて」である。3曲をフルコーラスやると10分くらいの時間があっという間に経つ。その間で眠気が覚めて仕事モードになっていくのだ。


 家内が朝食を用意してくれて、新聞の折り込みなどを題材にしていろいろと会話をしながらそれを食べる。会話のある食事は理想的である。逆にそうでないのは虚しいだけである。何気ない会話があることの価値を知る者は、ないことの空虚さを知っている者である。弾き語りの歌を一緒に歌ってくれることの喜びは何物にも代え難い。「失わなければ得られない」という一つの真理をそういうときに実感するのだ。


 午前中から昼過ぎにかけて、家内と近所の売りに出ている不動産をみにいった。将来に備えて、自分たちの生活イメージに適合した物件がないかといろいろとチェックをしている。いわゆる「終の棲家」である。家内と共通するイメージは、家自体は古くてもいいから、しっかりとした構造であり、それにリフォームをかけて外観はイタリアのテイストで、内装はカラマツやヒノキなどの国産材をしっかり使った造作にして、家具はこれまでに集めたアンティックなものを配置するというものだ。


 それがいつ実現するのかわからないが、「共通の目標」を持つというのは組織においても夫婦においても極めて重要なことである。そしてその目標に向かって協働するということもしかりである。そして会話である。これらは夫婦の絆を醸成する三原則といってもいいだろう。


 不動産をみてから腹が減ったので、とても旨いと評判のラーメン店に行った。それから、腹ごなしではないが、その近くのゴルフ練習場に行き、先日、モニターの抽選であたったテーラーメードのドライバーを試し打ちした。これがまたよくあたり、次回のラウンドが楽しみになった。自宅に戻ったのが午後4時過ぎで、それから仕事のメールを書いたりしていたが、不意に眠気に襲われて夕方まで1時間ほどソファで寝入ってしまった。


 そして、夕食は今日一日の出来事をレビューし、それを肴にしてワインをのみつつ、家内の手料理をいただく。午後8時からはNHKのBS2で「フォークソング大集合」があったので、それをみて時折ギターで音を合わせてみる。そんな時間がとても楽しい。極めて「普通の生活」をしているだけなのだが、その普通さが私にはとても貴重なのだ。「普通のことは普通のことをしていたのでは手に入れられない」ということも一つの真理だ。まだまだ人生を語ることができる年齢ではないが、いろいろなことを乗り越えていかないとみえてこないものがあるのだと思ったりする。そうして得た「普通の時間・空間」の積み重ねが真の意味での「充実感」をもたらすのであろう。


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2011年2月17日 木曜日 9:58:27 「成熟社会における中小企業」
 日本はGDPにおいて中国に抜かれ世界第3位になったということ、我が国はすでに成熟社会に突入しているのだから当然の現象と云える。ここで我々がもつべき行動規範は、「成熟社会に適合したライフスタイル」を貫いていくということだ。つまり、高度成長期のような経済拡大が望めず、少子高齢化の中でどのようにしてビジネスを継続させ、個人の生活を充実させていくかという「理念」のようなものをもつべきなのである。


 成長社会は生産行為の主体になる企業中心の社会構造になっているが、成熟社会においては、それが消費者中心のものになる。消費者が納得して受け入れない製品やサービスはことごとく淘汰されていくことになる。その関連でいうと、テレビショッピング「ジャパネットたかた」なんかは、徹底した「消費者志向」「マーケット・イン」の考え方と販売手法で成功したわけで、「いいものを作ったらこれを使え」というような「製品志向」とは全く異なったものだ。


 中小企業の行動規範も成熟社会においては当然変わっていくべきだ。つまり、大企業の系列や下請けからの脱却である。大企業は往々にして経済の変動リスクを中小企業に「下方圧迫」しがちだが、それを「けしからん」と怒るのではなくて、中小企業側はそのリスクを最小化するような行動を志向するべきだ。具体的にいうと3つあって、1つは「独自製品・サービスの展開」であり、2つには「大企業とのフラットな関係性構築」であり、3つめは「大企業の下請け化」である。


 ドイツの中小企業で優良な会社は、すべからく独自の技術を持っており、その部分の研究開発に多額の投資を行っている。そして、自社の技術でカバーできない部品については、量産をする大企業から適正なコストで「買い物」をしてアセンブリーするということだ。その際の大企業の位置づけはあくまでも「一取引先」であり、あるいはビジネスパートナーだということになる。その関係性はあきらかに「ヨコ」(取引・連携)のもので、「タテ」(系列・下請)ではない。


 日本は長らく大企業中心の企業社会だった。圧倒的な資本力を持つ大企業が研究開発や生産設備、販売等に多額の投資や費用をつぎこみ、特に生産面において中小企業の技術やマンパワー等を活用してきた。それはそれで良かったのだが、成熟社会に入って、「一人十色」といわれる価値観の多様性が定着する中で、大量生産・大量販売を前提としないマーケットの嗜好というものが消費社会の主軸となってくる。その局面では、中小企業がビジネスの表舞台に躍り出ることがスタンダードになってくる。


 今から14年くらい前、私は新しい時代のメディアとしての地域経済新聞の創刊に関わったが、その時に標榜していたコンセプトが「大企業下請論」であった。大企業を下請で使うような技術やノウハウを持った中小企業がどんどん輩出してこなければならない。そして、澎湃としたその勃興こそがこの国の経済を活性する源泉になるのだということだ。それから一定期間経って、私はますますその思いを強くしている。成熟社会は「規模の経済」が作用するマーケットは殆ど存在せず、むしろ「範囲の経済」でトップランナーとなることが中小企業には希求されるし、私はそういう企業を支援していきたい。


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2011年2月15日 火曜日 19:46:01 「それぞれの人生を生きる」
 出会う人がいれば、別れゆく人もいる。人が生きていく風景はそれぞれである。喜びと哀しみ、怒り、楽しさを紡ぎながら、人は日々を生きている。もう死んでしまいたいと思うような哀しみのどん底に落ちることもある、かと思えば楽しくて仕方がないといった時もある。人生とはその繰り返しなのかもしれない。「朝の来ない夜はない」というが、哀しみのどん底から這い上がると不思議なほど、生きる勇気というものが湧き出てくる。


 その哀しみを人よりも多く知った人間の方が、そうでない人よりも人の心の痛みというものがわかるのだろう。「流した涙の量だけ人は優しくなれる」という所以である。「人は人を傷つけながら生きている」傷つけるよりも傷つけられる方が気が楽である。吉田拓郎の名曲の一つである「外は白い雪の夜」という曲のフレーズに「傷つけ合って生きるより、なぐさめあって別れよう」というのがある。


 出会いは別れの始まりであり、別れは出会いの契機になる。だから、出会いの時に過度な希望を持ってはならない、同じように別れの時に嘆き悲しむのにも限度がある。でも、人間だから喜び悲しむのは当然のこと、それが生きているという証左だから、嬉しい時は大いに喜び、悲しい時は大いに泣けばいい。そういうことを繰り返していくうちに、だんだんと人間性に深みがでてくるのだろう。



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2011年2月15日 火曜日 0:41:20 「大雪のバレンタインデー」
 東京は夕方くらいから雨になり、それがやがてみぞれになり、さらに雪になった。みるみるうちにあたりは雪化粧となり、大都会の景色を一変させた。会食を早めに切り上げて2次会の予定もなしにして、帰路についたのだが、東京駅の手前の道路で足を滑らせて転倒してしまった。とにかく、雪が積もると危ないのだ。今日なんかは、それこそ「予測能力」で雪を想定して、カジュアルな格好で、靴も底のすべらないスニーカー系のものを履いている。これが革靴だったら悲惨である。


 そんなふうにして、這々の体で帰宅した。自宅は暖かくけだし天国である。湯船に浸かり冷えた体を温める。それから、ベッドに入ってしばらく読書をする。今日はバレンタインデーだが、チョコレートは昨日家内が手製のチョコレートケーキを焼いてくれた。今日は特段イベントをやることもなく、男同士で仕事の話をしながら事務所近くの寿司店で真面目な話に終始した。50歳を超えた「仕事オヤジ」にバレンタインデーなど無関係である。新宿歌舞伎町のクラブのチーママからゴディバのチョコレートが送られてきたが、まあそれは社交辞令だろうし、こういった日がどんどん現実的でなくなるという年代なのだろうと
、割とクールになっている。


 このまま降り続いたら、明日というか今日の朝は交通機関が麻痺状態となって、通勤や出張にも支障をきたすだろう。私は明日終日、自宅での報告書づくりに専念することにしているので、特に問題はない。でも、転倒した際に怪我などをしなくて良かった。


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2011年2月13日 日曜日 10:05:10 「予測する能力の重要性」
 経営コンサルタントとして最も磨かなければならないものの1つとして、「予測する能力」と「直観力」の2つを挙げることができる。この2つは非常に近接しているが、基本的には、裏付けがあるかないかというところで別物だといえる。予測する能力は、自身の経験や知見が詰まった引き出しにある情報を駆使して確度の高い仮説を構築するものであり、直観力はそういう裏付けのないいってみれば「非科学的」なものである。


 昨日、家内とカラオケボックスに出かけ、2時間ばかり歌い込んだ後、駅前の「おでん店」に行き、そこで支払いをしようとしたら胸ポケットにあるはずの財布がなかった。一瞬、悪い予感がしてカラオケボックスにとって返し、部屋をみてもらったがそこにはないという。もしかしたら、自宅を出るときに横長の札入れをジーンズの後ろポケットに入れたまま、ブルゾンを着て出てしまい、バスの中かカラオケボックスの座席に座った際に落としたのかもしれないと思った。


 とりあえず、おでん店の支払いは家内がして、タクシーで一旦自宅に戻った。その車内で考えたのは、先述の「予測する能力」の重要性である。これは「リスク管理」にも直結するもので、そこには科学的な分析があり、また、それに基づいた判断がある。そこまで考えて、結局行き着いた結論は「財布は自分の部屋の机の上にある」というものだった。少なくとも普段、予測能力を高めるべく、いろいろやっているのだ。その自分自身を信じることにしようと・・。自宅に戻り部屋に入ると机の上にその財布は置いてあった。


 よくよく自分のでかける前の動作を思い返すとこういうことになる。横長の札入れを持っていこうとしたのは事実で、ジーンズの後ろポケットに入れようとしたのもそうだが、その後で、「これはどこかで座った際に落ちる可能性が高い」と予測し、一旦机の上に置いたのだ。その際に千円札の束をジーンズの前ポケットに入れたので、心のどこかで「今日はこれで足りるだろう」と思い、財布を置いていったのだろうと推測できる。


 「いや、たまたま財布を持っていくのを忘れただけじゃないか、その忘れっぽさを美化するな」という声も聞こえてきそうだが、それもそうである。でも、結果的に大きな被害を未然に食い止めたのだから、無意識にしろその動作は正しかったといえる。その意味では「予測する能力」というのも、潜在能力に近いもので、ある意味直観力と同じように作用するのかもしれない。重要なのはそういう思考回路、動作を自分自身の行動規範の中に組み込んでいくことなのだ。その積み上げが経営コンサルタントとしての武器になる。昨日のできごとはそのことを再認識する機会になった。


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2011年2月12日 土曜日 11:50:29 「常に本物を目指す」
 他人に「あるべき道=本物の生き方」を説く以上、自分自身が「本物」でなければならない。そして、人は本物のいうことしか受容しない。だからこそ我々は「本物の経営コンサルタント」にならなければならない。偽物はマーケットが必ず見抜かれ駆逐される。長年、第一線で活躍し続けることができるということ自体が、本物であるという証左であろう。そんなことをいうと「お前は自分が本物の経営コンサルタントだと自負しているのか」と突っ込まれそうだが、それに対しては、少なくともそれを目指して日々奮闘しているつもりだとしか答えようがない。


 昨夜、寝る前にyou tubeで「ちあきなおみ」の曲を聴いた。彼女は夫の急死を機に45歳で突如引退してしまったが、歌手としては一流、どんな曲を歌っても「これは本物だ」と感銘を受けてしまうほど素晴らしい。芸能界ほど本物と偽物が混在する業界はない。そして、きちんと生き残ってファンの支持を得ているのは「本物」なのだ。今時の歌手や曲に心が響かないという中高年の人がとても多い。それは曲自体にも原因があるが、行き着くところはそれを歌っている歌手そのものだろう。


 このところ何回も書いていることだが、我々の職業は60歳を過ぎてから味が出てくる。そしてそれは、20年以上かけて実力やコンサルタント人格を熟成させた結果である。つまり、それだけの期間、努力を積み重ねないと本物にはなっていかないということだ。そして、その過程には実にいろいろなことが起こり、当然、試練や岐路といわれるものも到来する。それらをすべて乗り越えて60歳なりを迎えるとき、我々は「本物」としてのパスポートを得ることができ、それはまさにマーケットが付与する価値ある「勲章」でもある。


 自分が60歳になったとき、その勲章たるものをマーケットから与えられうるのか、それはそのときになってみないとわからない。でも、あと7年弱という時間があるので、私なりに「本物」になることを目指して、こつこつとやるべきことを積み重ねていかなければならないと思っている。


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2011年2月10日 木曜日 11:21:58 「新たな境地への展望」
 2月は時間が過ぎるのが早い。あっという間に中旬になろうとしている。それに今週は3連休もあり、稼働する時間が短い。昨日は来年度から始める新規事業(コンサルタントの育成)のことで、旧知の編集者に事務所に来てもらい、夕食の時間も含めて6時間くらい打ち合わせをした。打ち合わせというよりは、私が一方的に企画案を喋るといた格好であったが、一応、私が考えていることを一通り彼に受け止めてもらい、ベースを作りながら、企画全体を組み上げていくという形が望ましいと思っている。


 昨日の話の中で、中小企業診断士という国家資格についての議論もあった。中小企業診断士というのは、あくまでも資格名であって、職業名ではない。そこが税理士とか社会保険労務士、司法書士等の国家資格とは違うところだ。要は業務独占がないので、名称のみ使えるという妙な国家資格になっているのだ。資格名は中小企業診断士だが、職業は経営コンサルタントであって、別に大企業や中堅企業、場合によっては個人のコンサルティングをしてもいい。つまり事業領域を規定するものでもなく、限りなく中途半端な資格なのだ。それでいて、試験に合格するのは結構難しく、数ある国家資格の中でも難関資格として位置づけられている。「足裏の米粒(とっても食えない)」という所以だ。


 実態としては、依然「食えない資格」の代表格で、約2万人いる資格者のうち、独立しているのは3割弱という数字がそれを如実に物語っている。しかも、独立診断士の7割強は定年後に活動している「年金受給者」である。また、「企業内診断士」などという「苦し紛れの」概念が生まれ、結局は「実務能力検定」の延長に過ぎないのかと外部から揶揄され、この資格を持って奮闘している者としては何ともいえない「情けなさ」を日々感じているところだ。私なんかは、活動を始めた当初、この資格しか頼りになるものがなかったので、これを何とか活かそうとしたが、結局は実力をつけて実績を積み、自分の看板の価値を高めることしか生き抜いていく術はないのだということを思い知って、最近は、この資格を前に出すことは全くしなくなった。株式会社フォレスト・ミッションの名刺では裏面に記載している程度である。


 しかしながら、私自身、この資格を取得するのには相当な努力をして、費用も使い、切羽詰まった中で勝ち得たものなので、人一倍思い入れが強く、何だかんだといいながら、これまで診断協会等の活動にも関わってきた。兵庫県でのプロコン育成塾は今年で6期を終えたが、あれも元々は私が企画立案して始めたものだ。プロコンサルタントとして有為な人材を育てて輩出していくことで、彼らの経営支援を受ける中小企業のメリットが増大していく、本当にコンサルティングができるプロコンを輩出していくことの意義は限りなく大きい。


 この夏くらいに、そういった「真のプロコン」を育成する事業を独自でやっていこうと思っている。他人に「プロコン道」を説くには、まだ若輩だしキャリアも足りないのかもしれないが、少なくとも自分が旬な活動をしているうちにやっておかないといけない、あるいは思い立った時にやならいといけないと思い、実行することにした。コーディネートはその編集者にやってもらうことになっている。東京に来てまた新たな境地を切り開いていきたいと思う。


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2011年2月9日 水曜日 11:39:56 「東京都内での活動」
 昨日、たまたま入った事務所近くの寿司店が、よく知っているオーナーの3号店だったということがわかって話が弾んだ。そのオーナーは私よりも少し年下だと思うが、相当頑張っているなということを伺わせる人物で、とにかく元気である。その寿司店も事務所から歩いて2分くらいのところにあり、これからもお客さんとの打ち合わせなどで使えると思って、これはいい再会になったと何か得をしたような気持ちになった。


 その後、家内の友人が関係する芸能プロダクション主催の新人歌手の「ライブ」に足を運んだ。「フウジンライジン」という女性の2人組で、「歌って踊るエンターテイナー」とのことで、非常にパワフルなステージだった。昔、放送局の東京支社に勤務している時に、レコード会社の招待でこういった「コンベンション」によくでかけたことを思いだした。そして、その後、行きつけの六本木のバーに顔を出して焼酎のロックを3杯ほどのんで帰路についた。帰宅したのが午前0時前で、それから風呂に入り、少し読書をして就寝した。


 年末あたりから、出張の回数が減って、自宅で資料を作ったり、事務所も含めた東京都内で打ち合わせや会議をしたりする機会が増えている。これは大変いいことで、いわゆるマーケティング活動の時間があると、かなり長期的な展望で事業の骨格を組み立てていくことができるので有意義である。上記のような行動形態は少なくともこの数年間はなかったことだ。とにかく、目の前の仕事を必死で遂行して次につなげていくので精一杯だった。やっと、腰を落ち着けて中長期的な仕事に取り組めるのだと思うと、これも感慨無量である。独立して以来、17年間で積み上がってきたものが、漸く実を結びつつあるという実感を確かな手応えとして感じているところだ。


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2011年2月8日 火曜日 10:51:27 「何故、書き続けるのか」
 2月3日付けのこのページで、現役引退をしたらこういう形での情報発信はやめると書いた。だから、あと最長17年間は書き続けようとは思っている。そもそもこのページを開設したのは、今から12年前、1999年の3月だった。経営コンサルタントとしてのスタートを切るにあたって、やはり、自分のことを広くマーケットに知ってもらうには、「不特定多数に対する発信」が重要だと考えたのがきっかけだ。それで、2週間くらいかかって手作りのホームページをつくり、このページの原型がスタートした。


 だから、私にとってこのページは、自分自身の41歳からの歴史を刻む「貴重な資料」であり、この12年間の喜怒哀楽のほとんどがこのページの中で綴られている。その意味では、相当の思い入れを持ってこのページを更新している。現在のアクセスはせいぜい40件/日程度であり、一時期からするとその数は激減したが、そんなことはあまり関係なく、私自身の「生きている証」として、このページの更新をこれからもしていくことにしている。つまり、そのエンディング・ポイントは70歳なりでビジネス人生を終える時までということになる。


 では、これから一体何を書いていくのかということだが、基本的な考え方はあくまでも「自分らしさを全面に出したもの」これに尽きる。誰に阿るわけでもなく、読ませるわけでもなく、自分の考え方、解釈、主張などを自己責任において記していきたい。そもそも実名で言いたいことをそのまま書くことができるというのは「独立事業者」の数少ない特権でもある。他人の実名を挙げてボロクソに批判するのは決して好ましいことではないが、必要があればそれも厭わない。時には誤解を恐れぬ論調もありだと考えている。



 日本の社会は明らかに「自己責任原則」の生き方を希求される状態になっている。徒に他人や組織を頼ることができない仕組みになりつつある。もちろん、いろいろな人間の共生社会で生きていく以上、そこには「法律」を典型とするルールがある。常識という人によって限りなく客観性を欠いた規範も存在するが、我々は一定のルールを守りながら、この小さな国で生きていかなければならない。しかし、そのルールたるものが最後まで国民を守ってくれないのが現状、であれば、自己責任でやっていくしかない。


 私のページは、格好良くいえば、その自己責任原則に基づいたものだ。頑張って社会的評価を受けるのも自分、マーケットからの支持も自分次第、逆に落ちぶれるのも自分の甲斐性がないからといった価値観でやっている。その規範みたいなものをこのページで示していくことだと思う。それが正しいかとかそういう問題ではない。ただ、ひたすら、自分自身の生き様とその基本にある価値観を言葉に変換して綴っていくという作業なのだろう。これを書いているこの一瞬こそが、その生き様の渦中の出来事であり、価値観を確認する価値の高い時間なのだ。


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2011年2月6日 日曜日 14:41:32 「過去をどんどん捨てて現在を生きる」
 今日は朝から自分の部屋の整理をしている。出張が続くと片付けをする時間もなく、それが2週間くらい続くと収拾がつかない状態になる。家内からクレームがつかないうちに自助努力で整理することがベストなので、日曜日の自由時間を使って頑張っている。元々がまめに整理整頓のできない性格で、それは父親の同じような状態をみたらすぐにわかるのだが、私が父親と違うところは、時々は自分で片付けをするというところで、すべてを家内に依存しているわけではない。そうしないと、個別の部屋を使っている意味がない。その点、父親の世代(昭和一桁生まれ)の男性は「亭主関白」ということと「家では何もしない」ということの違いがわかっていない。


 私なりに時々やる整理整頓の意義を定義すると、それは多分に「過去との訣別」という側面がある。整理すべきいろいろなものを、部屋の床に出して並べてみる。そして、公私にかかわらず、過去のものを中心にどんどん捨てていく。但し、年賀状など「人の縁」に連なるものは大事にとっておく。昔の新聞の切り抜きなど置いておいてもどうしようもないものは、どんどん捨てていく。そういえば、実家にある父親の書斎には、黄ばんでしまった新聞記事の切り抜きが畳の上に散らばっている。それを母親が捨てようとすると烈火のごとく怒り出すそうである。


 過去があって、現在があり、また、未来がある。それは揺るがない真実であろう。また、過去の自分がやったこと、その事実からは誰しも逃れることはできない。それがいいことにしろ、悪いことにしろ、である。しかし、どちらが大事かということになると、現在を一番大事にしなければならないし、その向こうにある未来は当然、無限の価値がある。過去はしょせん過去である。過去に生きるようになったら、人間も終わり、それは、「人生の終末段階」でいいのだ。「過去を捨て続けることで、現在の自分の立ち位置が明確になり、未来が見通せるようになる」、最近、つくづくそう思うのだ。


 昔話に花を咲かせるのは決して悪いことではない。中学とか高校とかの同窓会も悪くはないと思う。中学の同窓会があったら一度は是非行ってみたい。でも、その結果がみえているだけにモチベーションが作用しないのだ。あの頃、可愛かった女子はとんでもないオバさんになっているだろうし、男はほとんど世俗に塗れているか、老人の一歩手前になっているだろうからだ。幻滅しかない、それがわかっているだけに、どこかで二の足を踏んでしまうのだろう。あるいは「怖いものみたさ」という向きもある。


 80歳まで生きるとしたら、あと27年弱、おそらく過去にかえることはこの世を去るときまでないだろう。とにかく、現在を生き、そしてそれを積み重ねて未来へとつなげていきたい。そして、どんどんたまっていく過去は、パソコンのハードディスクをクリーニングするように、どんどん捨てていく。そういう生き方をしたいものだと思う。



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2011年2月4日 金曜日 11:44:40 「男の生き方について」
 岐阜に向かっている。節分も終わり、気持ちも新たに仕事に取り組もうという感じだ。このところ、できるだけ無理をしないようにしているので、以前のように時々、何とも云えない倦怠感に襲われることもなくなっている。ここ数年なかった健康状態で推移しているのは、家内の食生活を中心とした健康管理のたまものであろう。


 川北義則という人が書いた「50歳から男の磨き方」(PHP)という本を、盛岡駅内の書店で購入し、昨夜、寝る前に読んだ。川北氏はスポーツ新聞社の出版部長などを務め42歳で独立、出版プロデューサーや生活経済評論家として活躍している。1935年生まれだから、私よりもかなり上の世代である。最近は20歳代とか40歳代とか、各年代別に「生き方」の本を出されている。その論調はかなり硬派で、共感するところが非常に多い。まずは、人生の先輩として意見を傾聴させていただくということだろう。


 川北氏と同様に男の生き方論を書いている経営コンサルタントの山崎武也氏も70歳代半ばである。ふたりとも基本的に自分の力で生きてきた人達で、私なんかにとってはいわば「独立事業者」の先達である。そして、それぞれの著書で指摘している「男の生き方」に関する論調はほぼ重なっている。「生き方の達人」は、かなりの部分で重なり合う価値観を持っているのだろうと思うのだ。そこにくると、私などはまだまだ若輩者であり未熟者でもある。人生を語るにはまだ早いし、生き方論についても同様だ。


 その川北義則氏が前掲の本の中でこういうことを言っている。「50歳を過ぎたら、会社にしがみつけ。独立など考えない方がいい」あるいは「50歳を過ぎて(ビジネス関係の)資格をとっても使えない」というものだ。これは非常に重い指摘で、前者は私なんかも30歳代半ばの時にさんざん悩み、結局見切り発車で企業社会からはみ出てしまった。そして、40歳代からの「稼げる仕事を築いていくために」、後者の指摘である中小企業診断士の資格にチャレンジした。これも、おそらく50歳代になってそんな資格を持って経営コンサルタントなんかを始めても使い物にならないという予感があったからだ。


 私だって、あのまま放送局にいて現在に至っていたとしたら、この歳でどうこうするということはないだろう。というか、何もできないと思う。このままおとなしく定年までいた方が、あらゆることを総合しても「得だ」という判断になる。運良く役員にでもなったら、さらにう5年くらいビジネス期間が延びる。だから、50歳を過ぎたら、給料が出ている限り、クビにならない限り、自分から会社を辞めるなどという選択をするべきではないという前掲本の論調には共感するところが多いのだ。


 私の場合は、短気を起こして会社を辞めたのではなく、会社が経営破綻してしまったので、やむなく飛び出したというのが正直なところ、それにまだ36歳だったし、自分自身の実力を別の世界で試してみたいという野心もあった。その両方で何のビジネス・スキルもないまま独立し、徒手空拳で「自由競争」の世界にチャレンジしていったが、壁は厚く長い期間、苦闘を強いられることになった。でも、結果的に30歳代それも半ばで独立して本当に良かったと思っている。勤めていた会社の経営破綻がなければ、そのままいたか、独立するにしてももっと後になっていたに違いない。



 
この頃、しみじみ思うことがある。それは、1人の人間の人生というのは必ず帳尻が合うようになっているということだ。苦労するときもあれば、平和で幸せなときもある。雷の下にいるようなときもある。でも、同じ苦労をするのであれば、それは若いときの方がいいに決まっているし、穏やかで平和な日々というのは人生の後半に来る方がその幸せをじっくりと噛みしめられる。だからこそ、昔の人は「若いときの苦労は買ってでもしなさい」と言ったのだろう。その意味が最近よくわかるようになった。私はあの時に苦労を自ら買って出たのだ。会社を辞めずにそのままいるという選択もできたはずなのに、である。


 50歳を過ぎて、仕事やプライベートの問題で重大な決断をしたり、苦闘したりする人をみていると、余計にそういう想いになる。前掲の本などはそのことを見事に喝破している。私も70歳くらいになるかならないかの時期に、私なりの「生き方教本」を書いてみたいと密かに思っている。


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2011年2月3日 木曜日 21:01:12 「老後の生き方について」
 だいぶ前から70歳で現役引退をしようと考えている。その後の人生は余禄であり、もしも80歳くらいまで生きられたら、それはラッキーなことだと思っている。70歳からの生き方のイメージは、まだ、具体的には描けていないが、基本的には「世捨て人」の日々になるだろう。何ら生産をしない人間は、社会の前面に出るべきではない。「老兵は消えゆくのみ」なのだ。でも、80歳までとしても10年という長い時間がそこにはある。


 企業や役所等にに勤め定年後、「毎日が日曜日」になり、ゴルフ三昧という人がいる。近隣のゴルフ場でも独りで来ている老人がたくさんいるそうだ。誰か知らない同じような境遇の人とパーティーを組んでプレーをしている。そんなゴルフって本当に楽しいのだろうか。私には殆ど理解できない。仕事を伴わないゴルフなど楽しくとも何ともない。70歳までは仕事で頑張る。そして、ゴルフライフもそこで同時に終焉を迎える方がいいと思う。


 老後の生き方として、明確にいえるのは、極端に人付き合いが減るということだ。仕事をしていないのだから、無理をして他人とコミュニケーションをする必要はない。あるいは、世間でのいろいろな事象に首を突っ込んで、口を挟むようなことをするべきではない。「リタイアード・モンスター」と呼ばれるクレイマーになる老人もいるようだが、そんなことをしたら、自分が惨めになるだけである。一流とされる大手企業や官庁などで役員とか管理職をやったような人が多いようだが、「世間に関わっておきたい」という思いの強さの発露だとするのはあまりに好意的に過ぎる。単に「昔を栄光を忘れられないだけ」なのだ。


 老後の生き方として、もう1つはっきりしているのは、「住んでいる街のゴミを拾ったり、自宅まわりの近隣の掃除をしたりする」ということだ。いわゆる社会奉仕であるが、同じ体を動かすのであれば、グランドゴルフをしたり、山歩きをするというような「自分のための」ことをするより、少しでも地域や他人のためになるようなことをするべきだと考えている。少しでも年金がもらえるのであれば、その分、そういった無償奉仕をすることで、応分のものを社会に提供するというのが老後の目指すべき生き方だと思う。


 あと、こんな形での情報発信も一切やめる。ブログなどで定年退職者とおぼしき人物の「社会批評的な」ものが結構あるが、これも、自分には見識があるのだという妙なプライドと社会と関わっていたいという潜在欲望が入り交じって表出した形だと思っている。引退したのだから、その引退をしたビジネス社会とは、一定の距離を置くというのがあるべき姿勢であって、プライドは内に秘めるべきものである。要するに未練がましいのだ。本当にプライドのある人は、現役の時も引退してからも自分の生き方に対する明確な理念に基づいた行動規範を持っているのだ。


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2011年2月2日 水曜日 14:42:32 「春の気配を感じつつ」
 盛岡の講演から戻る新幹線の車内である。講演は午前9時から3時間に及び、自分としてはいつもよりも淡々とした口調ではあったが、気合いを入れて喋ったので、結構疲れた。専門的な話を中心に3時間も話をするのは容易なことではない。今日の聴衆は県職員が殆どで、森林や施業現場における知識は私なんかよりはるかに豊富である。そういう人達を相手に、ポイントを突いた話を3時間もすること自体、よくよく考えると大変なことだと思う。単なる政策紹介ではダメで、そこに独自の分析や根拠に基づいた予測、有益な示唆が盛り込まれていないとこの3時間は退屈なだけになるし、何よりも東京から私を呼んだ値打ちもない。


 盛岡市内は根雪が固まってうっかりすると革靴がすべって転倒しそうになったが、午後の日差しは、かなり暖かく春の気配を感じさせるものだった。「なごり雪も降る時を知り、ふざけすぎた季節の後で・・・」という名曲のフレーズを思い出しながら、講演後、駅へと急いだ。1回1回の仕事に全力を尽くす・・・これが私の経営コンサルタントとしての原点であり、それはこれからも変わることはないが、その方向性として、あくまでも「経営」という視点からの提言や論調がますますその主体となっていくということを、これまで以上に意識している。


 何を言いたいかというと、例えば林業においては、今般の森林・林業再生プランの目玉ともいえる「フォレスター(森林官)制度」のように、オールマイティ的な専門人財が今後、日本でも輩出されていくという道筋がある。私なんかもせめてもう10歳くらい若かったら、そういうものを目指すと思うのだが、いかんせん、すでに53歳であり、元々が林業育ちではない。そういう人財のソースは、少なくとも40歳前半以下の層に求めていくべきだと思う。だからこそ、経営の視点、マネジメント、あるいは林業を主体とした地域振興といった部分で、自分の活動領域をある程度特定し、フォレスターやプランナー、現場技術者といった人材を応援していきたいと思っている。


 今日の講演の中でも話したのだが、林業における現場人材としては無理があって、せいぜい自分の森林を持って、手入れとかをやって、森に近い人間になるというくらいしかできない。でも、「忠実なる観察者・率直なる助言者」である経営コンサルタントとしては60歳くらいから味が出てくるので、そういう立場であと10数年頑張るのだと内外に宣言している。今の林業にはいろいろな役割の人間が必要で、私のようなスタンスの人間がいてもいいのだと思う。


 昨夜はホテルですぐには寝付けなくて、結局、午前2時くらいまで起きていた。おかげで寝不足である。今日は夜、東京で会食があるが、おそらく鎌倉の自宅に帰り着いたらすぐに爆睡になると思う。こんな日々を送っているうちに春が到来するのだろう。


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2011年2月1日 火曜日 20:29:39 「しぶとく生きている」
 盛岡に向かう東北新幹線の中にいる。明日の講演が午前9時からなので、盛岡市内のホテルに前泊することになっている。事務所での仕事を終えて、東京駅に向かったのが午後7時半、多くのビジネスマンが帰路につく頃に、私は弁当を買って東北新幹線のホームに向かう。かなり気持ちが暗くなる瞬間だが、車中の2時間余りというもの、好きな音楽を聴きながら、自由な思索を巡らせて、独りの時間を楽しむことにしており、それはそれなりに充実したものになる。


 明日は、学生時代からの友人であった伊住政和君の命日である。亡くなってもう丸8年になる。生きていれば満52歳、男盛りである。彼の命日には毎年、墓参りに行っていたのだが、今年は出張もあって行けそうにない。次回の関西出張の際に行こうとおもっている。彼が生きていたら、お互いに50歳を超えたこの時期に、立場は違えど、あれこれと同時代を生きながらやり取りができたろうにと、いまさらながらにその死を無念に感じる。ゴルフなんかも一緒にしたかったのに、ついぞその機会にも恵まれなかった。


 彼のような、この日本にはなくてはならないような人物が44歳という若さで夭折し、私のような平凡な人間が、彼よりもすでに10年も長生きしようとしている。自分としては馬齢を重ねてきたということは断じてなく、私なりの努力を積み重ねてきたと自負している。でも、彼が亡くなってからの8年間というもの、何かもの足らないものを感じながら、でも、生きていくために必死でやってきたというのが正直なところだ。その過程で、いろいろなことを率直に相談しあえる友人という存在の貴重さを何度思い知ったかわからない。結果的にすべてのことを私はひとりで意思決定し行動してきた。


 その結果として、私はこうして今日も一応健康で、マーケットの要請に応えるために走り回る日々を送っている。昨日は経営診断報告会で三重県内に日帰り出張だった。自分がやっていることに対しての手応えをいつにも増して感じ、もしかしたら「亡くなった彼の分まで奮闘しているのだ」と思ったりした。独立してから丸17年、いろいろなことがあったが、私はこうして「しぶとく」生きている。


 車内で愛用のピューターと銅製のグラスで、IWハーパーを味わいつつ、中西保志の曲をBGMに、いろいろと思索を展開する・・・、私には珠玉の時間である。明日の講演も全力を尽くして、それで勇気づけられ頑張る人が一人でも多いことを願うのみである。現場で懸命に働く人達のやる気、創意工夫を伴った事業活動に、日本の経済の命運は委ねられているといって過言ではない。私の社会的使命はそういう人財たる人達にできるだけ明確にやる気を高めたり、問題解決のヒントとなる助言をしていくことなのだ。そういう意味で、これからも「しぶとく生きて」私なりの使命を遂行していきたいと思っている。


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2011年1月30日 日曜日 20:27:19 「プロコンとしての自負心と誇り」
 この土日は、自室に閉じこもって経営診断報告書や講演資料等を集中的に作成していた。まさに寝食を忘れてという感じである。締め切りのあるものについては、とにかく、間際にならないと集中してできないという性格で、それゆえに先方に対していつも心配や迷惑をかけていて、申し訳ないという気持ちでいっぱいなのだが、なかなか、その癖を直すことができないでいる。


 今日なども殆どの時間を報告書作成に充て、煮詰まった時に外に散歩にでかけ、夕食時には気分転換に私が調理をするなど、それなりにアクセントをつけながら作業に没頭した。日曜日も土曜日もないというのが我々の職業の現実であり、自宅での家族サービスを犠牲にしてでも、仕事を遂行するという決意と実行がなければ、プロの経営コンサルタントとして成功することなどあり得ない。


 明日、完成した経営診断報告書を持って、先方での報告会に臨むが、自分で得心のいく報告書を書き上げることができれば、報告会の成功は80%以上保証されたも同然である。それくらい、報告書作成には魂を込める。我々の職業は仕事の中で具体的な成果を出してこそ評価の対象になるのだ。


 報告会が終わったとき、いつも脱力状態になる。そしてまたそこにエネルギーがチャージされていくのだ。その源泉は「いい仕事をした」という「自負心」であり、価値のある仕事を1つ1つ遂行しているという「誇り」にほかならない。東京に帰り着く頃には、チャージが半分くらい終わっており、さらにその後の余韻の中でフルチャージとなるのだ。自分なりの「美学」をずっと持っていたいし、究極的には「芸術的」ともいえる仕事を遂行していければと思っている。


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2011年1月28日 6:58:52 「仕事そのものが鼓舞してくれる」
 年が明けてから、ずっと70%くらいの体調で活動してきたが、この数日でそれが80%くらいになり、今朝なんかはずいぶんとすっきりとした目覚めで、内面からかなりパワーが湧き出てくるような感触も出てきた。もう53歳なのだから、そこここが傷み出すのは当たり前といえばそうだし、製品でいえばこの肉体は中古品であり、「ハードオフ」なんかへ持って行ったら「気持ちだけの金額で引き取ってくれる」という代物であろう。そこに一定以上の知見や価値を生む能力が備わっていなければ、「ただのオッサン」は、粗大ゴミに過ぎない。


 昨夜、ニューズ番組をみていたら、JALの副操縦士だった52歳のパイロットが再就職先に窮し、ハローワークに通って職探しをしているというシーンがあった。52歳といえば、私よりも年下である。「また、えらい厳しい世界だね」と家内と話しつつ、突然、思い出したのは、10数年前に生活に窮して、当時の家内の父親の紹介で、ある中小企業に就職の面接に行ったときのことだ。私の履歴書をみるなり、「あんたのような経歴の人をうちで使いこなすことはできない。あんたにはそれなりの道というものがあるはずだ」と社長は開口一番いった。自分自身ではたいした経歴でもないと思っていても、別の立場からはそうは思えないということをそのときに思い知った。いわゆる、「雇用のミスマッチ」であり、そのパイロットにもそれがいえるのかもしれない。


 そういう意味でも、曲がりなりにも経営コンサルタントとして、日々活動ができて、小さいながらも会社組織としてやっていけていることを、ことさら「ありがたいこと」と思わなければならない。昨日も林業関係者が集まる「事例発表会」で、それを思い知る場面がたくさんあった。愚直ながらも営々とやってきたこと、私なりの「マーケティング戦略」でもって取り組んできたことが実ってきているという実感を持つ、それは、当然、仕事を通じてのこと。仕事そのものが自分自身の存在証明を自覚させてくれるし、鼓舞してくれる。これも大変ありがたいことだと思う。


 「私の職業は経営コンサルタントです」と言い切ることに、最近は何のためらいもなくなった。船井幸雄さんのように、「新幹線の中で出会った経営者に経営コンサルタントのことを馬鹿にされたから、上場を目指した」というわけにはいかないが、私自身は、価値のある仕事を積み重ねていくこと、その中で具体的な成果を出していくことで、この職業についているということの誇りをしっかりと持続させていこうと思っている。


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2011年1月25日 火曜日 11:58:20 「同級生との思いがけない邂逅」
 先週の土曜日、我が家に来客があった。家内の長い知人であるUさんである。1年くらい前に本人と会って話をしていて、彼女が私の大学の同級生だということがわかった。食事にも何度か一緒に行ったことがあるそうだ。記憶を辿ってみると確かにそんなことがあったような気もする。彼女のこともかすかに覚えていて、どうして、京都出身の女性が湘南にいるのか、そして、私の家内を通じて30年ぶりに再会したことも不思議でならない。


 彼女が持ってきてくれた大学の卒業アルバムをみながら、あれこれと学生時代のことを語り合った。その流れでいろいろなことを想い出しつつ、私の学生時代を同時代で知っている人が身近にいるという偶然を改めて実感した。こういう偶然はそうあるものではない。彼女によると、他にも同じ大学出身者が何人かいて、「湘南同志社会」なるものが存在するとかしないとか、なければ、これから作りましょうという意味か。家内も「それはいいことだわね」と言ってくれる。


 おまけに、Uさんは主婦でありながらゴルフが生き甲斐ということ、近々に友人を誘うから一緒に行きましょうと、ゴルフのお誘いまでしていただき、感謝感激の極み、この地に来て良かったとしみじみ思ったりする。ゴルフを本格的に再開しようとしている立場としてはこんなに有り難いことはない。


 私はこれまで、中学・高校・大学の同窓会といった類のものには一切参加をしてこなかった。独立してからというもの、過去を振り返る余裕などなかったし、そういうものに意味を感じなかった。それがもう17年間も続いている。でも、去年くらいから、そう頑なにならなくてもいいんじゃないかという気持ちになってきた。一つは歳をとったからだろうし、もう一つは精神面でちょっと余裕が出てきたからかもしれない。


 Uさんのいう「湘南同志社会」は、とてもいい枠組みだと思う。東京とはまた違った味があるのだろう。思いがけない邂逅が、また新たな出会いや世界を切り開いてくれる。人間は独りでは生きていけないもの、縁でもって生かされている。出来れば、いい人のネットワークを創っていきたいもの、この歳になって漸くそんなことに目覚めたのは遅きに失した感もあるが、60歳からが味の出てくる人生だと定義している私にとっては、新しい生き方はまだ始まったばかりだ。この先に起こることへの期待が日々の生活に張りを与えてくれるという事実が、何よりも嬉しい。


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2011年1月22日 土曜日 10:50:40 「ゴルフの楽しみについて」
 昨年秋くらいから、月1回くらいゴルフにでかけるというペースになった。独立をした1994年から事実上封印していた「趣味としてのゴルフ」を17年ぶりに再開することになって、正直、とても嬉しい気持ちになっている。大学の体育の授業以来、1986年に久しぶりにゴルフクラブを持って練習場に通い始めてから25年になる。


 この間、8年間は夢中でゴルフに親しみ、その後の17年間は全くやっていなかったわけではないが、事実上の「休止期間」」となった。きちんと自分の力で飯が食えるようになるまでは、金のかかる趣味はやってはいけないと自分自身に言い聞かせ、ギターを弾く以外に趣味らしきものは何もなかった。


 ゴルフはどちらかというと楽しむというよりは「競技志向」で、やる限りはベストスコアを目指すというタイプである。だから、これまで各種のコンペで10回くらい優勝している。特に、ショートゲームにはかなりの自信を持っていた時期があった。前回だったか、葉山国際CCでプレイしたときに、その片鱗をみせたことがあった。30ヤードくらいのアプローチをPWで寄せて、チップインバーディーを狙うというチャレンジである。ラインに乗っていい感じでボールが転がり、その瞬間、「まだまだいける」という手応えを感じるには十分なアプローチだった。


 これからは月1回のラウンドをベースにして、週末には練習場に行き、できればショートコースにも出かけたいと思っている。ドライバーなんかは練習場で感触をつかめるが、ショートアイアン、アプローチとかパットは実際のコースでやらないと勘というものを養うことができない。得意のショートゲームでチョンボをしていたのでは、いいスコアが出るはずもない。

 1年くらい前にクラブを一式、新調した。これも実に17年ぶりのことである。私なりのゴルフライフをこれから精一杯楽しんでいこうと思っている。


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2011年1月21日 金曜日 10:39:11 「経営者としての経験は必要」
 熊本に向かうANAの機内にいる。今日は経営者向けの内容になる。朝、午前7時前に起きて出張準備にかかり、羽田行き8時20分発のバスに乗る。こういう日はバスの中で家内が作ってくれた「おにぎり弁当」で朝食をすませる。羽田空港に着いたのが約1時間後の9時半頃、フライトまで1時間近くあったので、ANAのラウンジでメールをしたりする。社員への業務指示がかなりある。


 今月は出張日数が移動日を入れて7日間と昨年よりもぐんと少なくなっている。ヒマになったのかというとそうではなく、社員コンサルタントの藤野君の出張日数や稼働日数がものすごくなっている。おかげで、私は経営診断報告書の作成をしたり、その他の活動をしたりする時間ができて精神的にも肉体的にもひと頃に比べるとゆとりをもって案件に向き合うことができるようになっている。


 先週の「プロコン育成塾」でも話したのだが、社員を2人もかかえると固定費たる一般管理費が増えて、それをまかなうための「収益」を毎月確保しなければならなくなる。もちろん、それは経営者たる私の役目であり、さらには、社員たちがやりがいをもって仕事をする「動機付け」を継続的にやっていく必要もある。


 経営コンサルタントにとって、自ら経営を実践する経験が必要かどうかというテーマについて、よく議論になることがあるが、当然、ないよりあった方がいいに決まっている。自分の経営コンサルタント会社を経営するというのもその1つだとは思うが、1人でやっているのは経営とは到底いえない。それはただの「自営業」である。

 
 私の場合は、1996年から1999年まで報道系ベンチャー企業(地域経済新聞社)の創業と経営に携わった貴重な経験がある。社員はピーク時で40人くらいになり、相当な大所帯になった。ビジネスモデルとしては当時では斬新であり、マーケティングのコンセプトも事前調査を行った上でかなり練って構築したのだが、不測要因があまりに多く、苦戦を強いられた。


 でも、その経験は今もしっかりと活きている。経営者の人に物をいうときも、自分自身にその経験があるのとないのとでは、言葉の力が違ってくるし、当然、受容度も違う。リスクを負って経営するものと雇われている者との各種の温度差は企業の規模にかかわらず悲しいくらいに顕著なのである。


 今日は講演の後、懇親会があり、そのまま熊本市内に宿泊する予定である。今日も渾身の内容で仕事を終えて、旨い酒をのみたいものだと思っている。


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2011年1月14日 金曜日 20:56:19 「不屈の闘志と諦観の共存」
 「成功する秘訣は諦めないことである」という定説がある。我々の業種にもそれが言える。今日や今週がとことんダメなことばかりであったとしても、気を取り直して頑張れば明日や来週にはいいことがあるかもしれない。希望や期待感が現実の苦しみや辛さを上回る時、人は前を向いて努力をするものだ。だから、プロコンサルタントとしてそれなりにやっていくために、第一義的には絶対に諦めないという「不屈の闘志」が必要だといえる。この場合、「諦めが悪い」ということをネガティブに捉えなくてもいい。


 これに対して、真逆の考え方として「いくら努力しても、マーケットから支持されないのであれば、さっさと撤退する」という「諦観」もまたあっていいと思う。コンサルティングは、「こういうことをやって欲しい」という顕在なり潜在なりの「コンサルティング・ニーズ」があって初めて成立するビジネスである。「私は優れたコンサルタントだ」といくら自負していても、実際にニーズに基づいた仕事をして成果を出さない限り、彼の実力は誰にも評価されない。そして、そのニーズを有するマーケットから何ら相手にされない現実が何年も続くのであれば、この職業には向いていない、あるいは能力がないと判断してさっさとやめるべきである。


 私の場合、この仕事を始めた1年目にいきなり厳しい試練に見舞われた。前に書いた通りであるが、心が折れかかったことも一度ではなく、実際に転職も考えたし、そういうアクションをしかけたこともある。プライベートの部分の問題もあって、悩みが悩みを呼んでうつ状態になり、自殺を意識したこともある。でも、最終的に私はこの職業を断念することは出来なかった。意地? 根性? そんな格好のいいものではない。ただ、やめたくなかっただけだ。


 体調を大幅に崩して、半年間、実家で静養して仕事に復帰した2002年の10月、今から8年余り前になるが、私は溢れんばかりの闘志と情熱、使命感を持ってある意味取り憑かれたように激しい活動を展開したのだが、同時に先述のような「諦観」を胸奥に持つようになった。「もう1回、チャレンジしてみてマーケットが自分を全く評価してくれなかったら潔くこの仕事をやめて、全く違う世界で生きていこう」と思った。これが標題の「不屈の闘志と諦観の共存」である。


 その気持ちは現在でも基本的に変わらない。我々はマーケットに育てられ生かされている。そのマーケットから見捨てられたとき、我々に何の存在価値があるというのだろう。自立を基本とする我々の職業は、誰かに「しがみつく」べきではない。それは自己否定のなにものでもない。「誇りを失った経営コンサルタントは、ただのオッサン以下」なのである。


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2011年1月13日 木曜日 23:50:14 「経営コンサルタントとして生きる」
 経営コンサルタントという職業を名乗っている人間は、日本にどれくらいいるかというと、一説には3万人くらいだということだ。世間で名をしられている有名コンサルタントから無名でも日々奮闘している人、殆ど実体のない人、詐欺紛いの怪しげなことをやっている者もその中には含まれているのだろう。


 私自身、当初から経営コンサルタントという名称には違和感があって、できるだけそう名乗らないようにしてきた。一時期は「企業新生プロデューサー」などという造語をあみだしてそれを名乗っていたこともある。ちなみに中小企業診断士というのは資格名であって、職業名を示すものではない。「司法試験合格者」と「弁護士」や「検事」の関係と同じである。だから、「中小企業診断士の誰々です」と名乗るのは基本的に間違っている。税理士とか社会保険労務士は資格名と職業名が同じである。これは法定の業務独占が存在しているからであろう。


 そういうこともあって、自分の職業をどう名乗ろうか、最近まで妙に悩んできた。アンケートなどで職業を記入する欄があるが、経営コンサルタントなどというカテゴリーはまずない。だからいつもその他である。あるいは、曲がりなりにも会社を経営しているので、「会社役員」というところに印を入れたりしている。


 でも、最近は自分の職業を「経営コンサルタント」とすることに抵抗がなくなってきた。企業や団体等の経営に関するコンサルティングをしているのだから、この名称以上に実態を示す表現はない。それに、仕事先の関係者が私のことを「林業専門の経営コンサルタント」と紹介してくれるので、いつの間にか抵抗感もなくなった。


 一応、経営コンサルタントとして12年間、私は試行錯誤の中で生きてきた。そして、1つ1つ実績を積み重ねてきた。その過程で「経営コンサルタントなりの人格」を身につけてきたと思っている。いわゆるプロコン人格であるが、これは、聖人君主であるということと同義ではない。あくまでも、経営コンサルティングのシーンにおける特定の人格である。真面目さは必要だが、それだけで通用する世界ではない。かといっていいかげんなことをしていたのでは仕事は続いていかない。学者や研究者のようなことばかり言っていたのでは何ら効果があがらないし、やたら元気なだけで中身がなければバカにされる。だから確実にこの職業独特の属性や人格を具備することが必要なのだと思う。


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2011年1月12日 水曜日 23:03:14 「プロコン設備という考え方を持つ」
 機械や建物、車両などを購入することを設備投資という。そして、その費用を一定の期間内で費用化していくことを減価償却という。同じように、我々経営コンサルタントにも「プロコン設備」及び減価償却という考え方が必要だというのがこのページの主旨である。


 プロコン設備に該当するものとして、スーツとかバッグとか時計とか、主に我々が人前に出るときに身につけるものと定義する。設備という以上、形のあるものでなければならないからである。


 自家用車とか、事務所の備品とかは、事務系の設備であり、これらとは区別したい。また、知識を得るための本を買ったり、資格をとったり、セミナーに通ったりする費用は、同じ投資的行為でもコンサルティングに関する商品開発や研究のためのものになる。これはいわゆる「繰延資産」であり、やはりプロコン設備とは峻別される。


 前置きが長くなったが、いま、私が着ているスリーピース(パターンオーダー)は、1年ほど前に買ったもので12万円だった。あと、ワイシャツやネクタイ、靴と時計、万年筆、ボールペンなど身につけているものを全て購入価格でたしあげると仮に40万円だったとする。これが高いか安いかはその人の価値観であろう。


 この装備で、私が年間20回、コンサルティング等に出かけたとする。これらプロコン設備の償却期間を5年間とし定額法でいくと、1回あたりの減価償却費は4,000円(40万円÷5÷20)ということになる。つまり、私はこの格好で出かける仕事1回につき、4,000円の費用をかけていることになる。それなりの報酬をいただく以上、あるいは、プロとして価値のある発信をするのに、4,000円くらい原価をかけないだろうか。仮に稼働が10回としても8,000円である。

 
 実際にはスーツやワイシャツはともかく、時計やカフス、ペンなんかは10年以上問題なく使えるので、1回あたりの費用はもっと安くなるのだろう。そう考えると、40万円というプロコン設備への投資は決して高くないといえる。プロフェッショナルにはそれに適合する装備が必要なのだ。それは決して贅沢でも何でもなく、より、いい仕事をして、マーケットの要請に応えていくためのもので、戦場における「鎧甲」に相当するものだといえる。


 以上が私なりの「プロコン設備」の考え方である。妙な考え方だとする向きもあるかもしれないし、「コンサルティングは内容で勝負であって、見かけなど関係ない」という意見も否定しない。でも、私はこういう考え方でずっとやってきた。だから必要以上に服装や持ち物にこだわる。これからも年齢相応、TPOに応じたプロコン装備を続けていきたいと思っている。


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2011年1月11日 火曜日 21:36:12 「あるべき(でない)コンサルタント像とは」
 「自分が経営者だったら、こんなコンサルティングをして欲しい、あるいはこんなコンサルタントと一緒に仕事がしたいというコンサルタントを目指す」というのが、私の経営コンサルティングに対する基本的な考え方である。主観的なところに踏み込むと、私なりのあるべきコンサルタント像は下記のようなイメージになる。


<私が経営者だったら一緒に仕事がしたいコンサルタントのタイプ>

  • 自分とは違う視点を持っている
  • 価値観が自分と近い
  • 相手の気持ちを忖度した言動ができる
  • 基本的にはポジティブな発想を持っている
  • 話を聴いていると気持ちが明るくなったり楽しくなる
  • 金にせこくない
  • 普段は冷静沈着だが、時々人間味を垣間見せる
  • 自分のスタイル(服装・行動規範・生活様式・趣味等)を持っている
  • 付き合い上手である
  • よく笑う


 上記は私の極めて主観的な条件であるが、大事なのはこういうイメージを映像化して常に心のスクリーンに焼き付けておくことである。人間、自分の価値観とか主観というものに本来自信を持つべきである。その自分がこういう人と仕事をしたいと心底思う経営コンサルタントのイメージを具体的に描き、そうなるように日々努力や研鑽を重ねていくことで、その本人も成長する。成長する中で、あるべきコンサルタント像も進化していくのだろう。


 逆に一緒に仕事をしたくない、付き合いたくないコンサルタント像というのも当然存在する。それを自分自身への戒めとしてチェックしておく必要がある。ちなみに、私が描く嫌いなコンサルタント像(ビジネスマン像と言い換えても同じ)は下記のような感じだ。


  • 私は偉いのだという内面が態度に表出している
  • 学歴とか経歴に異様にこだわる
  • 金銭に細かく妙にせこい
  • 酒ののみ方に品がない
  • 何かというと有名人(松下幸之助とか稲盛和夫とか)の金言を引用する
  • すぐに「私が 私が」としゃしゃり出てくる(コンサルタントは主役ではない)
  • 妙な経営理論を当たり前のように押しつける
  • 服装とか装飾品の趣味が悪い(変なブレスレットとか似合わないヘンリーネックのシャツとか、ルイ・ビトンのブリーフケースとかを持っている)
  • 言葉が軽い(ペラペラとよく喋るが内容がなく結論もない)
  • 聞いてもいないのに自分の家族の話をし出す(仕事とは関係のないこと)


 結局何を言いたいかというと、自分なりの価値観、理想像というものをきちんと持っていないと、この職業では成功しないということだ。それは時にマニアックなものであってもいい。マニアックであればあるほど、特定のニッチな市場で高く評価されることもあるのだ。私だってまだまだ未熟で道半ばの人間だ。偉そうなことを言える身分でもない。でも、自分の価値観を曲げることなく、これまで営々とあるべき姿を目指して取り組んできたという自負は持っている。人の好き嫌いもはっきりしている代わりに、逆もまた真だと思う。しかし、自分の価値観を曲げることよりも、敵を作ることを選ぶ生き方に私は与する。平和というのは血を流すことを厭わない戦いの結果、勝ち取るものだということをこれまでの人生の中で体験的に知っていることもある。それくらい、自分自身の価値観というものは大事なのだ。


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2011年1月10日 月曜日 22:25:58 「言葉と言刃と言場」
 我々、プロコンサルタントが仕事をしていく上で最も重要な道具は「言葉」である。経営者や役職員等の生の言葉を傾聴し、情報を収集し分析、問題をみつけ解決するべき課題を設定し、その解決方法を助言し彼らと一緒に解決する取り組みを行う。その助言についても書くなり話すなりの言葉で行うのだ。プロコンサルタントになるためには、この最重要の道具=武器である言葉を普段から磨き込んでおかなければならない。


 言葉は「言の葉」と書く。つまり口から出た葉である。その葉っぱにメッセージが書き込まれているのである。そのメッセージの塊である言葉を相手が受容してこそ、その意味が理解され、それが行動に繋がるのだ。しかし、言葉は一度その人間の口から出たら最後、二度と元には帰らない。葉っぱだからヒラヒラと空を舞っていくのだ。


 今から10年ほど前、プロレスラーの長州力に対して、暴言を吐いた後輩の橋本真也(故人)に対して、長州が「おまえ、一度吐いた言葉は二度とのみ込めないんだからな」と言い放った名言がある。その通りである。言葉は一度言ってしまえば、独り歩きするのである。だからこそ、言葉でビジネスをしている我々は自分が発する言葉そのものに責任を持たなければならない。


 経営コンサルタントにとっての「ことば」の2つめの概念、それは「言刃(ことば)」である。つまりは刃(やいば)のようによく斬れるものだということだ。「エッジのきいた言い方・表現」などという形容がある。エッジというのはスケート靴の刃の部分という意味である。我々にとって、言葉はとにかく斬れ味が鋭くなければならない。だから普段から「刀(言葉)」を磨かなければならないのだ。でも、時には斬れ過ぎて、相手を傷つけてしまうこともある。言葉の選び方、表現の仕方、トーン等にはくれぐれも留意したいものである。


 ついでに3つめの概念、それが「言場(ことば)」である。つまり、その場の空気やシチュエーションに応じて、最適な言葉を選択していくということだ。コンサルティングという真剣勝負の場の緊張感の中で、その場の空気を把握し、顧客の成長・改善につながる助言をしていく、そのツールとしての言葉は極めて重要だ。我々が発する言葉によって、その企業が生き抜いていくべきだし、間違っても死なせてはならない。だからこそ、単語を1つ1つ定義し、重みとインパクトのある言葉を発していく「プロの言葉遣い」が必要不可欠なのだ。


 言葉と言刃と言場、経営コンサルタントとして、是非とも大切にしたい概念である。


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2011年1月9日 日曜日 22:52:08 「プロコンサルタントの佇まい」
 経営コンサルタントを本業として活動を始めてからもうすぐ丸12年になる。中小企業診断士の資格に登録した1999年4月、満41歳の時だった。やる気は満々だったが、ベンチャー企業の創業と経営の直後だったこともあって、貯金がゼロ、おまけに借金があった。いわゆる「マイナスからのスタート」になった。それで、人脈を駆使して想定される限りのところに営業をかけたが、見事なまでに空振りに終わった。ビギナーズ・ラックもなく、家族を抱えた当時の私は現実の厳しさになすすべもなかった。


 それから12年、当時の私と現在の私ではどこがどう違うのか、その違いたるものを明確にすることで、「プロコン像」の外形を少しは示すことができるのではないかと思う。
まず、その違いとは次の5つに収れんするだろう。

  • 年齢(外見も含めて)から来る信頼感・安定感・説得力
  • 林業コンサルティングや経営再生支援における実績
  • マーケットからの具体的な評価と要請
  • 孤軍奮闘ではない、組織化やネットワーク化された実態
  • 活動を支えてくれる家庭を中心にしたロジスティクス体制


 しかし、まだまだ道半ばである。上記の5つの項目だって今後どうなっていくかわからない。この世界は「今(現在)が一番大事であり、将来(明日)は現在の努力や取り組みによって規定される」という真理を我々は肝に銘じなければならない。そのことは、私なりの拙い12年間の活動から得た教訓である。我々は今日を生きているのであって、それがあって初めて明日を生きることができるのだ。そして、過去の積み重ねが今日の活動を活かし、それが明日の収穫へと連結していく。これもまた真理であろう。


 真のプロフェッショナルになる、それは並大抵の努力で実現するものではない。公にベラベラと開陳できない「企業秘密」もそこには隠然と存在するのだろう。でも、真理は厳然と存在する。「目指すべき目標に向かって、営々とあるいは愚直にやるべきことを積み重ねていく」ことだ。


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2011年1月8日 土曜日 19:34:09 「味が出るということ」
 最近、人の話を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、曲を聴いたりするときに、「味が出ているか、そうでないか」ということにこだわるようになってきた。もちろん、自分自身に関しても例外ではない。同じことを言っても「味が出ない」とさらに深く受容されないのではないかという仮説を持っている。いわゆる「深味受容説」である。味わい深いほど、その内容は受容されるということだ。


 最近、好きでよく弾き語りで歌う曲に「あなたに逢いたくて」という曲がある。松田聖子が作詞作曲した曲だ。「一緒に過ごした日々を忘れないでね 後悔しないでしょ ふたり愛し合ったこと」というフレーズがいかにも彼女らしい。you tubeで検索したら、この曲を松浦あやと稲垣潤一がデュエットしている。稲垣潤一はそれなりに味が出ているのだが、松浦あやはダメである。松田聖子の「味の深さ(濃さ)」とは雲泥の違いである。同じ曲を歌ってもここまで違うのかという典型だ。要は人生経験の違いであろう。


 松田聖子ほどポジティブな生き方をしている女性はいない。あそこまでいくと大したものだと思う。昔は嫌いで仕方がなかったが、「あなたに逢いたくて」を出した10年間くらいから「なかなか味が出てきていいな」と思うようになった。とにかく、強いひとだし、それに共感する女性も多いことだろう。中森明菜とはえらい違いだ。


 綾小路きみまろという芸人も味がある。この人も売れない期間が半端じゃなく長かったらしい。場末のホールで司会などをして食いつないでいたらしい。相当苦労したのだと思う。だから、芸に味があって笑いをとるワザを持っている。鳩山元首相の物まねをしていた何とかという芸人とはえらい違いである。やはり、長年かかって積み上げてきたものは伊達ではないのだ。本物はどんな時代でもきちんと生き残っていく。我々の職種も同じことだ。いかにして味の出るコンサルタントになるか、バカにできない命題であろう。


 先日、家内とDVDで「ゴッドファーザー」という映画を観ているときに、ゴッドファーザーことマーロン・ブランドの演技をみて「味があるなぁ」と見解が一致した。その映画を観ていてふと想い出したのが、サラリーマンの時代に可愛がってもらい、いわゆる「帝王学」を指南してもらったS氏のことである。S氏もゴッドファーザーのようにいろいろな人の相談に乗り、その人脈や権力で解決して、「S氏のところに行けば何でも解決してくれる」というような「虚像」が既成事実化していたユニークな人だった。6年くらいお付き合いをさせてもらったが、その言動にはとにかく味があった。でも、昭和という時代を裸一貫で生き抜いたプライドがそこには見え隠れした。


 私も是非「味の出る」経営コンサルタントになっていこうと思っている。その思いが日に日に強くなっている。


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2011年1月5日 水曜日 18:50:21 「生きていくということ」
 今日は新年の挨拶回りで終日、社員の藤野君と都内を歩き回った。歩くといえば、最近、東京駅から日本橋の事務所まで出来るだけ歩くようにしている。普通にあるいて18分くらいだが、これが結構いい運動になる。今日なんかは1時間くらいは軽く歩いているので体脂肪もかなり燃えたのかなという感じだ。この正月は事実上1日2食を通したので、ベルトの穴が2つ分くらいウエストが細くなった。やはり、メタボ問題は意識して行動していかないと解決できないのだということを痛感している。


 東京都内、それも中心部のビジネス街を歩くと改めてビルの空き室が急激に増えていることに気づく。それも古いビルではそれが際立っている。便利なところにどんどん高層ビルが建設されているので、そこに移転したというのもあるのだろうが、大企業ならともかく中小企業はそうもいかないだろう。「厳しい時代を生きているんだな」ということを、こういうときにも実感する。そして、その中で細々ながらも東京に拠点を置いて、曲がりなりにも経済活動をやっているという事実に対して感慨深いものをおぼえるのだ。


 一昨日だったか、車で通りかかった「リサイクルショップ」に家内と立ち寄った時に、応接用のソファやテーブルのセットが、異常に安い価格で販売されていたのをみて、「おそらくは倒産した会社のものだろう」と直感した。その応接セットでどれだけの商談やミーティングが行われ、どれだけの収益が生み出されたか、誰だって失敗するために経営をしているのではないのにと思うと、いたたまれない気持ちになった。自分だっていつそういうことになるかわからない、不透明感とリスクを背負って私は日々活動しているのだ。


 そうはいいながらも、私は今日もこうして生きて活動をしているし、明日もそうだし、デコボコはあるにしても、昨日このページに書いたように、経営コンサルタントとしては旬な時期を迎えつつある。「いまやらなくていつやるのだ」という「もうひとりの自分」がいつも檄を飛ばしている。確かにそうである。四の五の言っている時間や余裕などないのだ。日本橋方面から東京駅八重洲北口とその背景を鳥瞰するという東京で最も好きな風景を見上げながら、前記のようなことに想いを馳せた。「今日を生きて明日を生きる、今日があるから明日がある」という「原理原則」を踏まえて、今年も頑張ってみようと思っている。


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2011年1月4日 火曜日 14:52:29 「いつまで現役でやるか」
 仕事始めは明日からということで、今日は自宅でいろいろな作業をしている。15日に講師を務める神戸でのプロコン育成塾の追加資料を作成したり、書類の作成をしたりして明日からの本格稼働のアイドリングをしている。ありがちな正月休みボケもなく、テンションもかなり上がってきている。昨夜、ちょっと風邪の予兆を感じたので、葛根湯をのんで早めに就寝した。何かの予兆を感じたり、直観力を働かせるのはとても大事なことだ。


 昨夜は午後10時には就寝したので、夜中に目が覚めてしまった。仕方がないので、標題のテーマについていろいろと考えた。日野原先生のように100歳近くなっても現役で活躍する人もいるが、誰もができることではない。先生は「引退の時期を年齢で判断するのは間違っている」と雑誌のインタビューで仰っていたが、私はその時期は自分で決めればいいと思っている。私なりの考え方は、「70歳で現役を退く」というものだ。その後の人生は60歳を過ぎてから準備するべきだと思っている。個人的にはゲートボールやグランドゴルフ等に興じたりするよりも、自分の主体性で「社会奉仕」をするような方向性を模索したい。


 現役ということで、私が注目している職種の人達がいる。誰あろう、プロレスラーである。具体的には長州力と藤波辰爾である。長州力は本名を吉田光男といい私よりも6歳年長の59歳である。つまり還暦の手前だ。1998年に一旦現役を退いたが、その後復活し、新日本プロレスをやめてワールド・ジャパンプロレスという団体を創設した。その際のコメントがふるっている。「ど真ん中を走ってやる」である。しかし、この団体は1年もたず経営破綻し、長州は再び新日本プロレスに舞い戻った。そしてそのまま現役としてリングに上がり続けている。


 一方、藤波辰爾は昭和28年生まれ、長州よりも2歳年下である。現在57歳、新日本プロレスの社長まで務めたが、その後、独立して現在は「ドラディッション」という団体を主宰している。もちろん、現役である。プロレスの他でもいろいろと事業をやっているようで、とにかく元気である。確か、高校を中退して日本プロレスに入門しているので、プロレスラー歴が40年くらいにはなる。長州は36年、いずれにしてもすごい年数だ。いったいいつまで現役でやるのか、私には大きな関心事なのだ。彼らがプロレスというハードでタフな「労働」をやり続けているということに大いに励まされる部分があるからだ。


 60歳近くになっても、長州と藤波は筋肉がそれほど衰えてはいない。技のキレも全盛期と変わらないくらいである。それに、試合運びや技の受け方などに「味」が出てきている。「プロレスラーは40歳を過ぎてから脂がのってくる」というプロレス評論家がいたが、50歳を過ぎたら今度は「味が出てくる」のだ。同じように我々、経営コンサルタントは「50歳を過ぎて脂がのってきて、60歳を過ぎて味が出てくる」といえなくもない。茶道などの芸事は「60歳を過ぎてから脂がのってきて、70歳を過ぎてから味が出てくる」そうである。ということは、経営コンサルタントはある意味(旬な時期という意味で)プロレスラーと芸事の中間的な位置づけになるのかなどと、夜中にひとりで納得したりした。


 ゴルフのジャンボ尾崎は、もうすぐ64歳になるという年齢で、シニアツアーには一切出ずに、レギュラーツアーにこだわっている。その姿勢に励まされる「団塊の世代」の人達も多いことだろう。しかし、渡辺淳一著の「孤舟」の主人公のように思いと現実とのギャップに喘ぐ人も多いのが現実だ。でも、プロレスにしろゴルフにしろそれだけ賭けられるものがあるというのは幸せなことだし、そういう才能がない者からすると羨ましい限りである。やはり64歳で第一線で歌い続ける小田和正なんてその典型である。


 いつまで現役でやるか、思索の展開が尽きないテーマである。まあ、しかし、先述のように、「引退の時期は自分で決める」というのが私の結論だ。


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2011年1月3日 月曜日 12:00:08 「今年の抱負と雑感」
 この年末年始は、基本的にどこにも行かずにずっと自宅にいて、本を読んだり書き物をしたりする時間が十分にとれている。まことに結構なことだ。天気も概ねよくて、年末は藤沢市内にある行きつけの寿司店に行ったり、昨日は久しぶりにゴルフショップに行ったり、ブックオフに行ったりと、何とも平凡というか、それでも私なりに充実した正月休みを過ごしている。ゴルフショップでは、福袋を買ってしまったのだが、風の冷たい冬ゴルフ用の装備一式で、今月にもラウンドの予定があるのでちょうど良く、それだけでいい気分になって帰宅したりする。


 ゴルフはサラリーマン時代に東京支社に転勤になったのを機に、上司から半ば強要されて始めた。幸い、20代の後半でまだ若かったことと、コンペなどでラウンドをする機会が多かったこともあって、腕の方はメキメキと上達して、始めて4年目でハーフ30台のスコアでまわり、だいたい1ラウンド85くらいでいつもプレーできるようになっていた。90台になると「いまいちだな」と思うくらいだった。当然、毎週土曜日ごとに近所の練習場に行き、2時間くらいみっちり打ち込むし、ゴルフの理論書を買い込んでは研究を怠らなかった。それで年間ラウンド回数はピーク時で38ランド(月間3回強)である。うまくなるのは当たり前である。


 いきなりゴルフの話から始まってしまったが、ついでにゴルフについていうと、1年余り前から、もう一度きちんとゴルフに向き合ってみようという気持ちになり、実に16年ぶりにクラブを新調した。ゴルフ仲間のH氏が御徒町に付き合ってくれて、試打をしてドライバーを選び、アイアンはナイキのみるからに顔のシャープなものにした。それを機に月1回はラウンドをしようと思ったのだが、雑事に紛れてそうもいかず、先々月と先月に1回ずつ行き、今月も10日に予定しているので、これでやっと「月イチゴルフ」というささやかな計画が実現するのかなと、妙に喜んだりしている。H氏は私より2歳年長でゴルフ歴も同じくらい、いつも完全スクラッチで競い合っている。いいライバル、仲間がいればゴルフもなお楽しいというところだ。


 さて、前置きが長くなったが、今年の抱負は「原点回帰した上での点的思考と行動、ただ肩の力を抜いて」というものだ。わかりやすくいうと、「過去を引き摺らないで、自分の原点に戻って自然体でやっていく」ということだ。この数年、無理に無理を重ねてきたきらいがあって、その反動が健康状態に影響するというようなこともあったので、まずは健康管理、その上で自分が果たすべきことを確実に遂行していくようにしたい。原点回帰というのは、「何が正しいのか、そうでないのか」ということを行動規範にしていくという意味あいになるだろう。その際の要素として「公共善」ということを肝に銘じたいと思っている。「40歳を超えて自分の顔に責任を持つ、50歳を超えて自分の言動に責任を持つ、60歳を超えてそれらに加え自分の影響力(背中)に責任を持つ」ということになるのだろうか。残った正月休みをもう少し考察してみたいと思っている。


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2010年12月28日 火曜日 15:27:09 「仕事納めに際して」
 当初の予定よりも早く、今日仕事納めをすることにした。年末とあって事務所内は静かなものである。今月中旬に少し体調を崩していたのだが、先週末くらいからかなり良くなった。このままいけば、元気で穏やかな年末年始を迎えることができそうである。何よりも今年1年間、大きな事故もなく無事に終えることができるという事実自体が誠に喜ばしいことだ。この歳になると、健康こそが最大の経営資源になる。そのことを痛感する毎日である。


 織田信長の時代は「人間50年」ということで、50歳まで生きれば十分だった。だから、12歳くらいで元服というようなことだったのだろう。でも、我々が生きる現代社会は事実上、40歳代までが投資期間で、50歳からが収穫期といっても言い過ぎではない。だから50歳そこそこで死んでいたのでは、何のためにそれまで苦労や努力をしたのかわからない。そして、その収穫という意味は必ずしも経済的なものだけではない。むしろ、精神的な豊かさ、生き甲斐というようなものの占めるウエイトが重いのではないだろうか。


東京を拠点とした活動にも慣れてきたし、鎌倉での生活にも馴染んできた。仕事と私生活の中で積極的に楽しみをみつけようとしている自分自身がそこにいる。これはある意味では画期的なことだ。肩の力が抜けてきたというか、遅まきながら人間らしい生き方をしようとしているというか、50歳を超えたこの段階で、そういう生き方を希求し始められたことは率直に喜ぶべきなのだと思う。


 年末年始は基本的にどこにも行かずに、鎌倉で家内と過ごすことにしている。集中的にやらなければならない仕事が残っているので、それを自宅でやるが、それ以外は読書をしたり、近辺を散策したり、音楽を聴いたりと平凡な日々で十分充実すると思っている。元々、確たる趣味のない人間である。「楽しい時間を過ごせるという環境に対して楽しみをおぼえる」というのが、正しい表現になるのかもしれない。


 テレビは基本的にみない。紅白歌合戦などというものに興味を失ってから久しい。ただ、年末恒例の格闘技番組だけはみる。良本に親しみ、その知見や示唆に耽溺し、自分自身の思索というものを無限に展開する、そういった時間を過ごすこと以上に贅沢なものはない。その思索の果てに、真っ白い紙に、青インクの跡も鮮やかに自分の想いを書き連ねていくことで、自分自身の世界がさらに体系化されていく。来年は50歳代前半の最後の年になる。自分の顔や言葉に責任を持つ年齢になった。それなりの自覚をもって日々の物事に臨みたいと思う。


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2010年11月22日 月曜日 18:49:55 「積み重ねた後に来るもの」
 経営コンサルタントを専業とするようになって11年半になる。41歳の時からそれなりに積み重ねてきたものがあると自負している。その中で、いわゆる「コンサルタント人格」というものもまだ道半ばながら身についてきていると思う。ただ、実年齢が53歳、これはまだまだこの職種では人生経験が未熟者と云えるだろう。本当の意味で味が出てくるのがおそらく60歳くらいからで、そこからが真の「全人格的な経営コンサルタント」だと自他共に認める境地ではないのかと最近つくづく思ったりする。


 週末を利用して熊野古道を歩きながら、そんなことを考えていた。人生、なかなか思うようにはいかない。この仕事には終わりがなく、完成というのもない。やめる時期は自分で決める。それまでは、理想を追求し続けるのだろうと・・・。でも、日々後悔のないように精一杯やろうと思う。


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2010年11月15日 月曜日 12:53:27 「解答は常に自分自身の中にある」
 今日から5日連続の出張である。週末は熊野古道を歩くことになっていて、その後、実家にも立ち寄るので、来週の火曜日まで自宅を空けることになる。今朝、自宅を出るとき、もうすぐ19歳になる老犬が私の部屋に座り込んで動かなかった。盲目で耳も不自由な彼女は嗅覚と気配だけで、私が長期出張に出ることを察知しているらしい。家内が長年飼っているヨークシャーテリアだが、最近は私に懐いて、自宅にいるときにはそばを離れようとはしない。老犬に好かれて、まあ、悪い気はせず、「人生の先輩」を敬う気持ちで接したいと思っている。


 世界最強の格闘家といわれたヒクソン・グレーシーの「無敗の法則」(ダイヤモンド社)という本を読んでいるが、示唆に富む内容満載でその一字一句に感銘を受けている。彼は偉大な格闘家であると同時に、透徹した哲学者でもある。かつて、高田延彦や船木誠勝といった名だたるプロレスラーと闘った時の彼の佇まいには、グレーシー柔術を背負っているといったプレッシャーは微塵も感じられなかった。自然に立って自然に構え、自然に組み合うという、何か格闘技とかそんなレベルを超越しているような雰囲気を漂わせていた。


 その本の中に標題の言葉がある。同じようなことをこの数年間、いろいろな局面で考えてきた。我々の職業においても、結局は自分自身をいかに高められるか、そして、その自分が目の前の問題に対して、いかに適正な解答(助言)を出せるかということに尽きるのだ。誰が教えてくれるわけでもなく、真理は常に自分自身で追求し、あらゆる現象について、自分なりの分析を行いその本質に迫っていかなければならないのだ。


 その意味では、特に今年に入って、自分自身の中で常に「自問自答」をしながら、より最適な解を追求するという習慣が定着してきたように思う。それを「哲学的」とは、まだまだ烏滸がましくて自認さえできないが、思考回路としては、それなりの形になってきたと言っていいと考えている。少なくとも5年くらい前の「ギラギラとした眼をして使命感や情熱に満ちた新進気鋭の経営コンサルタント」という風の雰囲気はない。それ以来の試行錯誤も含めた意義ある仕事・事業環境の中で、年齢相応、あるいは実年齢以上のコンサルタント人格が身についてきたのかもしれない。


 我々の職種は基本的に他者と競う性質のものではない。より成果の挙がる助言や提案等を行うために、自分自身を高め続け、安易に妥協を許さない行動規範を持つことが重要だ。結果はマーケットが評価し、それが報酬の起算根拠となる。ということは、「自分自身が納得いかないコンサルティングをすることはできない」わけで、よって「解答は常に自分自身の中にある」ということになる。といいながら、人格的にはまだまだである。さらに研鑽を積んでいく必要性を痛感している。


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2010年11月11日 木曜日 21:48:22 「万年筆の感触、インクの香り」
 昨日、歯周病予防の手術をして歯茎の痛みがかなり残っていたので、今日は自宅で静養がてら「サテライト作業」をした。歯の治療にはもう丸2年通っている。大手町の近藤歯科医院というところだが、完全予約制で1分と待たないシステムだし、インフォームド・コンセントが徹底していて信頼できる歯科医院である。歯周病予防の手術は今年に入ってから4回目、これで最後である。あとは前歯のインプラントとか、ブリッジとかの治療をすることになる。これからも歯科医院にはずっと通うことになる。


 このところ、万年筆で手紙を書いたり日記をつけたりすることを意識的に多くしている。自分の素直な気持ちを伝えるのには、手書きの手紙が一番である。日記もそうだ。万年筆を持って、その重みを感じながら、あれこれと考えを整理してから一気に書く。その時のインクの香りがとても好きだ。仕事関係のアイデアも普段は、「スケッチャー」といわれるハンディなケースに入れた小さな和紙に書き込み、後から愛用のバインダーノートに万年筆で清書している。1冊分書き上がったら、りっぱな経営書になるのだろうと思ったりしている。まあ、完成するのはいつの日になるかわからないが・・・。


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2010年11月07日 日曜日 12:00:58 「心の友がいない男たち」
 先々週あたりから、高校時代に人気のあった青春ドラマ、「俺たちの旅」の続編である、「10年目の再会」「20年目の選択」「30年目の運命」を続けて観た。もう何回観ただろうか。キャストもスタッフも当時とほぼ同じという「同時代性のあるドラマ」である。私が高校生の頃、20代前半だった中村雅俊や田中健は「30年目の運命」では50代前半になり、中村雅俊扮する「カースケ」は、単身で行ったマジョルカ島のホテルが倒産し、徳島の漁師町で働いており、田中健扮する「オメダ」は造り酒屋の主人から市長になり3期目を迎えているという設定になっている。


 秋野大作扮する「グズロク」を合わせた3人がこのドラマの主人公なのだが、とにかく羨ましいのは、社会人になって離ればなれになってからも、友のことを想い、何かあれば相談に乗ったり助けに行ったりするという行動パターンである。友情とはそういうものなのだと改めて考えたりする、そこに共感する同世代の男たちが圧倒的に多いのだと思う。「自分にもあんな友達がいたらなあ」ということだろう。少なくとも、私にはそういう友はいない。仕事関係では親しい人はたくさんいるが、カースケとオメダの関係のような友人はいない。学生時代からの友人が一人いたが8年前に亡くなった。


 さて、このドラマ、是非とも完結編として「40年目の○○」というのをやって欲しい。前作が2005年だから2015年、4年後くらいには制作ということになる。中村雅俊は1951年生まれだから実年齢で64歳、田中健も同年齢である。60歳代に入った彼らがどういう仕事、生活をしているのか、そして変わらない友情のあり方は・・・そういうシーンを是非みたい気がする。60代はまだまだ元気である。組織に縛られない自由な仕事ぶりを示して欲しいと思うし、定番の恋物語と相まって同世代の人たちに勇気と希望を与えるだろう。


 多くのビジネスマンは、真の友人がいない。ほとんどが会社か仕事がらみ、会社を離れたら独りぼっちというオジさんばかりといっても過言ではない。私もその一人である。渡辺淳一の最新作である「弧舟」という本の中に出てくる大手広告代理店を退職した60歳過ぎの男性の姿は悲哀に満ちているし、実際、そういう人がかなりいるだろうと頷けるところが多い。そんな時に思い出すのが、「俺たちの旅」であり、主人公3人の友情のあり方である。


 学生時代の唯一の親友を失った私としては、この先、親(心)友と呼べる友はもう現れないだろうとすでに諦めている。だから、あのドラマは「失ったものへの郷愁」に溢れた一種の理想郷であり、憧憬でもある。是非とも完結編をやってもらいたいと思う。日本テレビにもメールを出しておこう。「夫婦は永遠ならずとも友は永遠なり」・・この言葉に共感する男性は多いことだろう。でも、夫婦仲良く、心の友がいて、いい仕事ができるというのが理想だ。まあ、このうち2つが満ち足りていればいい人生だといえるだろう。


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2010年11月6日 土曜日 23:27:08 「アナザーワン・自身を客観視する夜」
 朝起きたらちょっと悪寒がして、風邪の前兆だと感じたので、家内が愛用している電気温熱器で背中を温めて葛根湯を服用したら午後には良くなった。風邪で寝込むというような「無様な」ことを我々はするべきではない。以前はちょっとでも悪寒がしたらすぐに病院に行って注射を打ってもらっていたのだが、最近は出来るだけ自助努力=ホメオスタシスで治すようにしている。おかげで今年に入ってから風邪を引き込んだことはない。我々にとって健康こそが最大の経営資源であるというのは真実である。


 風呂上がりは久しぶりに好きな「I・Wハーパー」をストレートでのみつつ、これを書いている。また、今日から10年日記を書き始めた。これから10年間の軌跡をリアルタイムで記録していきたいと思ったからである。分厚い10年日記ブックにモンブランの万年筆、インクはブルーブラックで3行くらいずつ書いていく。3行だから150字くらいのものだが、その日の感想を短文でまとめる。これはとてもいい習慣だと思う。出張で自宅にいない日は当然書けない。それはそれでいい。自宅にいるときに書いていけばいい。


 時々、もう一人の自分を設定して、自分自身を客観視している。もう何年になるだろうか。おそらく、独立した頃からやっている習慣である。食えない時は客観視することが怖かったし、やればやるほど自分が惨めになった。でも、それが事実だから仕方がない。自分自身の取り組みや成果を客観評価すること、これは我々の職業にとっては大変重要なことだ。自身を客観視できるからこそ謙虚になれるし、現状を踏まえた新たな目標を設定することもできる。


 世間一般の常識からはかなりはみ出した生き方をしてきたと思う。もう一人の自分もそう率直にそう思う。いわゆる「落ちこぼれ」である。そんな生き方をしようと最初から思っていたわけではなかったのに、成り行きもあってそうなってしまった。困ったものである。大学の3年生までは故郷に戻り高校の社会科の教師になろうと思っていた。それが放送局に就職し報道記者になった。そして放送局あるいは放送業界でずっといるのかと思ったら、そうもいかず、これは京都放送の都合ともいうべきかもしれないが、経営破綻、してしまい、若さもあって独立という選択をしたのが36歳の時だった。そこから現在に至る流浪の旅が始まるのだ。


 「自分が納得する生き方をしよう」と独立した時にそう心に誓った。そして、そういう境地を目指したのだが、自分が曲がりなりにそう思えるようになるまでには、それから10年以上の歳月を要することになった。「失われた10年」と呼んでいるのだが、その間、あまりにも失うものが多すぎた。何故そんなことになっってしまったのか、それは私自身の戦略性の欠如であり、もっといえば実力不足に尽きる。「人生はすれ違いの連続である」とはよく言ったもので、後から考えると「あの時こうすれば良かった」と明確に思うことが、その時は全くみえないものだ。「後悔先に立たず」という所以である。


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2010年11月5日 金曜日 20:30:21 「休暇中の想い VOL2」
 5日間の休暇はあっという間に過ぎた。この間、心身を休めながらいろいろなことを考えることができてとても有意義だった。欧米のビジネスマン達が1ヶ月とか長いバカンスをとる気持ちがよくわかる。日本人はそんなに長い休みをとるわけにはいかないが、今後も計画的にこういった休暇の機会を作りたいと思っている。「人は働くために生きるのではなく、生きるために働くのです」と、出逢ったばかりの時に、家内が私に言ってくれた。仕事はこれまで以上に充実させていくつもりだが、それだけではない人生も積み上げていきたいと思っている。「自分には仕事しかない」と、この数年間は諦観していた。でも、そこから一歩も二歩も前進した自分自身を自覚している。


 「良き人は常に初心者」という祖父の遺訓があって、私はそれを座右の銘としている。独立事業者としては、16年半前に脱サラをして独立した時の「精神的自立、経済的自立、社会的自立」という3つの自立を果たすという原点と、経営コンサルタントとしては「この仕事を通じて社会貢献をする」という原点を忘れずにいたいと思っている。原点を忘れずにいつも自分自身を真っ白にしている状態、先入観や偏見に囚われず、そこに自由に絵を描いていくということが、祖父の遺訓の意味だと私なりに理解している。


 祖父は旧制中学の校長から、大政翼賛会の和歌山県事務局長という要路を経て、公職追放の後、地元の町長を務め、最後は県の教育委員長だった。教育者であり政治家であった。町長当時のラジオの録音を聴くと、低音の声で相当な雄弁家だったことが伺える。町長になったのが62歳の時、教育委員長になったのが70歳過ぎだったと思う。それを考えると、私などはまだまだこれからである。経営コンサルタントは、基本的に経営者に物を申す仕事、あるいは有識者として天下国家を語ることもある。先般の「森林・林業再生プラン検討委員会」などはそういう機会だった。おそらくは、60歳くらいから経営コンサルタントとしての「味」が出てくるのだろう。


 そう考えると、目の前がとても明るくなる気がするし、いろいろなことを勉強・研究しようという意欲が出てくる。60歳からの自分の「佇まい」というものを1つのマイルストーン(一里塚)として、それに向かってこれからの7年間を生きていきたいと思うのだ。祖父のように「毅然としていて、威厳があって、ブレずに」物事の本質に斬り込んでいく経営コンサルタントになりたい。なりたい、なろうと思い続けていれば、いつかそういうふうになっているのだと信じて、やるべきことを愚直に実行していくつもりだ。


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2010年11月2日 火曜日 14:20:11 「休暇中の想い VOL1」
 月曜日から5日間休暇をとった。仕事が一段落したこともあり、夏休みをまともにとっていなかったこともあって、このタイミングでまとまった休みをとった。こんなことは独立して以来皆無だったし、自分自身の最近における心境の変化だといえなくもない。そして、この間、今後の人生等についていろいろと考えたい。


 今朝、家内と遅い朝食をとりながら今後の生き方・ライフスタイルなどについてあれこれと話をした。仕事というか事業については、まだ成長期に入ったばかりで、これから多分60歳くらいまではそれが続く。新たな境地も含めて市場深耕を図っていくことになる。私の考え方だが、成長ベクトルにおいて多角化以外はすべて市場深耕(浸透)に収れんするのだ。その意味で、今の市場(顧客)にいかにこだわるか、自身を高めていけるかが重要なのだ。


 移動の飛行機の中で読んだ雑誌にテレビでよくみるジャーナリストが「40歳代までは種まき、50歳代で収穫する」という発言をしていた。その人は現在60歳、私より7歳年長である。「自分の経験と重ね合わせてみてもやはりそうだな」と妙に納得してしまった。だから、30代や40歳過ぎで収穫を得ようとするのは甘いのだ。物事がよくみえてくる50歳代で真の収穫を得るというのが真っ当なのだろうとつくづく思う。そして、我々のような職業においては、それが60歳代まで続く、これは本当に有り難いことだ。


 但し、その時に確たる「基盤」を築いておかなければならない。その基盤を築くのに30代で独立して40代で積み上げていくといイメージなのだろう。その意味で私の持論である「コンサルタントの独立適齢期は35歳から44歳」というのは正鵠を射ていると思う。少しは社会やビジネスを知った30代で独立して5年余り試行錯誤の中で基本的な部分を積み上げていく、そして生活の糧を得る部分と投資的な活動を同時にやりながら収穫期にもっていく期間が数年あって、さらに戦略的に動く期間をプラスするとやはり真の収穫期までには10数年の時間がかかるのではないかと今にして思ったりする。


 その意味では、独立以来16年半、いまの職種になって11年半、ようやく基盤のようなものが出来上がって成長期に入ったところだといえる。しかし、まだまだその基盤も脆弱で完璧なものではない。人間としてもいまだ未熟であり、研鑽を続けて行く必要がある。でも、この仕事は50代から実力が発揮できてきて、60歳くらいから味が出てくると自分自身や諸先輩をみていてそう思う。若さや勢いは基盤づくりや投資のために費やすものだとこの歳になって実感するのだ。自分の未熟さが実感できるのもその未熟さゆえに多くの失敗や苦闘を重ねてきたからこそで、自身を常に客観視できるようになりつつあるのもその教訓があればこそだと、さまざまな「過去たち」 を恨むことなく彼らに感謝あるのみなのだ。


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2010年10月24日 日曜日 16:23:38 「後悔しない人生を送る」
 明日から2日間、北海道出張ということで、今日は資料作成等、その準備に追われている。札幌市の郊外での活動となるが、もう雪が降る時季だ。そういう時用のコートを羽織っていくとちょうどいいだろう。関東地方は今日は雨でかなり寒い。秋が殆どなくて、夏からいきなり晩秋になり、そのまま冬に突入するというイメージである。来週になれば11月、今年もあと2ヶ月となる。案件に追われるようにして日々を生きていると、年頭に立てた目標が十分に達成されていないことに気づくことがある。


 「去年よりも今年」と思って毎年頑張っているつもりだが、かなりのものを積み残したことを認識して、その重さに何とも言えない気持ちになることがある。マーケットの要請や期待に応えることだけで満足していないだろうか、もっと主体的な活動をしなければならないのではないかと半ば強迫観念のようなものを感じることもある。切れ目なく仕事が入り、それで何とかやって行けていること自体、喜ぶべきことだとは思うが、何となく日常に流されている自分自身に気づくとき、「これではいけない」と自戒することが大事だ。


 こういう時は、自分の原点に戻ることが重要、日常に紛れるとそれがみえなくなったりする。私の原点は1999年4月に中小企業診断士として登録し、本格的に経営コンサルタントとしての活動を始めた時に存在する。高邁な想いを抱いて活動を開始したが仕事は全くなく、理想と現実のギャップを思い知った。だから「マーケットが提供してくれる仕事がある」ということは非常に有り難いことであり、だからこそ一件一件の仕事に全力を尽くさなければならないという、その気持ちこそが私のこの世界における原点である。


 来年の春でそれから丸12年になる。ライフサイクルでいえばまだ成長期に入ってしばらくした時期、まだまだ新たなチャレンジをしていかなければならない。普通の能力しか持ち得ない人間は人一倍努力をしなければならず、「これでいいのだ」と満足をした瞬間、成長はそこで止まってしまう。とにかく、マーケットの声をよく聴いて、顕在なり潜在ニーズに応えていくことが大事だ。そして、時々は立ち止まって自分の原点に戻ることも忘れてはいけない。結局は人生の終焉時に「後悔しない人生」を目指すべきだろう。安易な妥協は罪である。自分自身に常に問題提起をしながら、前に進んでいきたい。


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2010年10月19日 火曜日 9:29:31 「仕事人間からの脱却に向けての模索」
 今週も殆ど東京都内での活動になっている。会議や打ち合わせは事務所で行うが、資料作成などは最近自宅の書斎でやるようにしている。いわゆるサテライトオフィスである。自宅から事務所までは1時間くらいかかるので往復で2時間のロスが出る。それならばと内勤だけの日は自宅にいて作業をするほうが効率的だという判断になる。一時期は自宅では一切仕事をしないようにしていたのだが、その後、一体何が自分や自分の身の回りの人にとってベターな形なのか、効率的なのかということをよく考えると、こういう形態がいいのだろうということになった。


 私は独立してこの方、圧倒的な「仕事人間」だった。経営コンサルタントとしての仕事量が多くなった5年前くらいからは、寝食を忘れて仕事に没頭する日が続いた。東京に事務所を移転した昨年11月くらいから、仕事に対する考え方、スタンスを根本的に考えていかなければと思い、この1年間、私生活の変化の中でいろいろなトライアルをしてきた。その結果として、自分が追求していた形というものに近い活動パターンというものを半分くらいは構築できているという実感を持つに至っている。


 昨日などは夕方に銀座で仕事を終えた時に、昨年の状況であれば銀座界隈で誰かと会食して、2次会に流れるのが普通の行動様式で、そして、夜遅く自宅に戻りそのまま就寝するというパターンが多かった。しかし、今年に入ってからは、夜の活動にもメリハリが出てきて、その分何もなければ早めに自宅に戻るという生活が定着している。当然、夜、就寝する時間も早くなり睡眠時間もそれなりに確保できる。いま、トライアル中の「自宅での学習・研究活動」もそのうち身についてくるだろうと思っている。


 「どちらかというと引き籠もりタイプ」なのかもしれないと思ったりする。独りで机に向かっていることに抵抗感はなく、それで仕事が完結するのであればそれに越したことはない。元々、一匹狼が向いているのかもしれない。経営コンサルタントなどという職業はつまるところ一匹狼なのだと割り切ってもいる。一般の人が休んでいる時も仕事をして、でも、彼らが仕事をしているときは当然のようにこちらも仕事をする。それで何とか成り立っているという実態もあるだろう。


 そうはいいながらも、人間、齢を重ねると、そうそう突っ張ってばかりもいられなくなるものだ。適度に自分の心身を労っていかないと「持続可能」ではなくなる。今年に入ってからのいわゆる「自己改革」は、その発露だといえるだろう。公私のバランスも大事だし、自身の思考のバランスもしかりである。この1年間が旧バージョンの自分から新バージョンの自分への移行期間だったのかもしれない。秋も深まり、時間が経つ速さをことさら実感する時季である。残されたビジネスタイムを充実の中で過ごしていきたいと思っている。


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2010年10月17日 日曜日 12:28:53 「秋晴れ、京都での佳き日に」
 先週は東京都内に4日間いて、連日各種の会議や会食があり、気がついたら金曜日、いつもならば週末で繁華街に繰り出すところだが、夜、8時には帰宅し家内と鍋を囲んだ。この季節になると鍋料理を定期的に食べたくなる。鍋料理を仕立てるプロセスや一緒に食べながら会話が進むのもこの料理のいいところだ。前にも書いたかもしれないが、何となく心が温かくなるのである。「これからは毎週鍋でもいいね」と家内と話したりする。


 昨日は昼頃に自宅を出て、小田原から新幹線に乗り京都に入った。目的は京都市内で今日執り行われる当社の社員の結婚式と披露宴への出席である。こういったところにいわゆる主賓として呼ばれるのは、おそらく最初で最後の機会なのかもしれないと思いつつ、そういう立場になったことに一定の喜びと責任感を覚えている。いずれにしても、まことにおめでたいことである。


 昨夜は宿泊するホテル内で京料理を食べて、その後、同じく披露宴に出席するH氏と祇園に出て歓談した。ホテルは烏丸三条にあるが、このあたりは最近目覚ましく建物が入れ替わり、京都らしい風情のあるビルや店舗が並んでいい雰囲気を醸し出している。必然的に、人の流れもかつての繁華街であった四条河原町近辺からこのゾーンに移りつつあるのだということを実感する。そこへいくと祇園などというところは、私の学生時代から何ら変わらず、それはそれで趣があっていいのだが、とにかく客足が少なすぎる。希少価値ということとビジネスとして成立するということは必ずしも両立しない。


 明けて今日は快晴、赤口の佳き日である。披露宴の会場は、私がかつて13年間勤務した京都放送の本社の隣にある。久しぶりに昔務めていた会社を外観して、いろいろなことを一瞬思い出したが、その記憶はすでにモノクロームの世界になっている。特段の感慨もなく、ただ、会社を辞めてから16年半という歳月が流れ、自分がいま、元気で自分の足で立ち、何とか頑張っているということ、そして、結婚をする社員の生活を守っていく経営者という責任を負う立場になっている事実を実感するのみである。「時の移ろいとともに人は変わる、そして、変わったなりの所作がそこに生まれる」ということも。
 
 
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2010年10月11日 月曜日 14:49:11 「今日を懸命に生き、明日を生きる」」
 3連休の最終日、昨夜は遅くまでDVDでスティーブン・セガールのアクション映画「沈黙の報復」を観たので、朝は比較的遅く午前8時に起床した。2日間殆ど雨だったが今日は快晴で午後から駅前の商店街まで買い物に出かけた。市場には新鮮な魚や野菜が並んでいて価格も安い。うるめいわしなどは20尾くらいの一皿で200円である。今夜はそれを醤油と生姜で煮てワインの肴にする予定である。3連休は当初の予定通り、自宅まわりで何気なく過ぎた。休日に何か特別なことをしなければならないという「強迫観念」を持たない私にとっては、こういった休日の過ごし方にすこぶる満足している。


 商店街への行き帰りに家内といろいろな話をする。パチンコ店の前を通ったときには、学生時代に一時期パチンコに通った時期があって、出る台とかの定量情報を記録して分析しながら通ったが結局は大損したという話をした。2年生になってからは、そういうアホなことは一切やめて、アルバイトで稼いだお金は出来るだけ本の購入に充てて、大学での勉強と平行して、現代史や経済、哲学、ドキュメンタリーなどの本を片っ端から読んだ。おかげで本を読むことが習慣として根付き、それなりに知識を蓄積する癖がついた。パチンコで貴重なお金を浪費することを早期にやめて、本に傾斜したことは正解だった。


 明日からの活動に向けて、今から徐々にテンションを上げていかなければと思っている。いま抱えている案件のこともそうだし、来年度に向けた事業開発・市場開拓等のテーマもある。昨年は事務所の移転等もあって10月・11月とかなりバタバタしたが、今年は腰を据えて短中期のことに集中できそうだ。事務所の方は移転後約1年でかなり落ち着いて、仕事の拠点、発信基地としての機能を果たしている。立地も地下鉄銀座線の三越前駅や日比谷線の人形町駅から徒歩5分くらいで大変便利なところにある。昨年、思い切って東京に全面移転して本当に良かったと思う。


 5年後・10年後の「あるべき姿=ヴィジョン」のようなものは常に描いているし、その先の目標もある。目標のないところに実現なしだとも思う。でも、現実としてはまず「今日を懸命に生きること」が大事、それがあって明日の充実がある。今日があって明日がある。明日があるから今日を生きているということもいえるが、前者の方に真理がある。古い曲で「明日があるさ」というのがあるが、あれは今日を一生懸命に生きない者の「言い訳」に聞こえるし、もっと深読みすれば「現実逃避」ともいえるのかもしれない。今日を手抜きなく精一杯生きることで明日への展望が活力と共に生まれるのだろう。そういう意味で日々、「今日を懸命に生きていこう」と考えている。

 
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2010年10月10日 日曜日 20:18:13 「秋の何気ない一日」
 連休初日の昨日は、午後から家内と車で金沢区にある「コストコ」に出かけたが、雨にも拘わらず(雨だからか)店の前は大変な渋滞だったので、そのまま引き返してきた。夕食時にワインをのみ、さらに焼酎をのむといい気分になり、酔いがさめないままに就寝した。今朝は午前7時に起きてちょっと読書、朝から雨模様だったので終日自宅で過ごした。休日でもテレビは殆ど視ない。もっぱら音楽を聴きながら本を読んだり、パソコンに向かったりしている。そして、気が向けば好きな映画をDVDで観たりする。


 自宅の書斎に籠もって、300冊ほど本が詰まった書棚から読みたい本を数冊出して、時間を忘れて読書に耽溺する。頭の中にその内容をインプットしようとするときには、赤ペンで線を引きつつ、万年筆で書き込みをしながら読み進めることにしている。とにかく、心ゆくまで本が読めるという環境があるということが嬉しい。分厚い上下巻の小説などに触れる時、何ともいえない気持ちになる。休日は出来るだけ自宅まわりで心静かに過ごすようにしている。「読書と会話のある生活」秋の一日は珠玉のままに過ぎていく。


 
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2010年10月9日 土曜日 6:16:26 「哲学を持つことの意味」
 今週は月曜日は終日会議で夜は会食、火曜日からは京都・南丹市で3泊4日の研修事業があり、昨日夜に自宅に帰り着いたのが午後8時前、遅い夕食を摂った。今日から3連休になる。自宅で書類等の作成もするが、秋の風情を楽しむ時間を多くとりたいと思っている。鎌倉に移り住んでから、まだそれほど古都の佇まいを楽しむといったことをしていない。散策をしながら、自由な思索に浸るというのも悪くはない。ここ数年、そういった時間を楽しむことが殆どなかった。取り憑かれたように全力疾走で仕事に没頭してきたきらいがある。


 自分自身の言動における規範となる「哲学」をしっかりと持っておくことの重要性を、この歳になって痛感している。それはおそらく、がむしゃらに走ってきてちょっと立ち止まるゆとりのようなものが出てきたのと、日々の活動の中でそういうものがなければやっていけないという気持ちが強くなってきたのが主要因だと思う。そして、その哲学を確立するには、まだまだ圧倒的に勉強が足りないということもわかっている。多分、浅学非才のまま、ビジネス人生を終えることになるのだろう。だからこそ、少しでも理想像に近づくように努力をしていかなければならない。


 考えてみれば、いろいろな人との出会いがあり、薫陶を受け、また、自助努力による積み上げもあって、それなりの知見と洞察力を身につけることができたと思う。何ら知識もなく教養もない人間が社会に出て生きていく中で、そういった進化をしていく・・本当に有り難いことだし、数々の邂逅と受益に対して心から感謝をしたい気持ちでいっぱいだ。そこで強く感じるのが自分自身の未熟さだ。それもこの歳になってひしひしと感じるようになった。だから、もっとたくさんの本を読みたいし、それぞれのテーマについて掘り下げた研究をしたいという欲求が湧出してくる。


 おそらく、自分なりの「哲学」が確立され、それを規範にして全くブレなく行動していくという境地に達するには、なお莫大な時間を要するのだろう。もしかするとその時はもうビジネスタイムを終えているのかもしれない。時の移ろいは煩悩する人を待ってはくれない。何もしなくても我々は歳だけはとっていく。見てくれだけは自己を確立した紳士のようにみえても、その実、俗世間にまみれたただの「オッサン」だったりする。そうはなりたくないと思ったり、オレは違うと意気込んでも、「目くそ鼻くそを嗤う」の類だったりする。情けないことである。「愚者が愚か者たる所以は、自身の愚かさに気づかないこと」だとすれば、まだ、それを自覚して、そこから一歩でも前進しようとする愚者の方が救いがあろうというものである。


 透徹した視点で目の前の現象を見透すこと、そしてあるべき姿との離間にある問題なりを認識する。そこから解を生み出すアクションになる。あらゆる引き出しをあけて知見を駆使して仮説を構築していく、その根底には常に「ブレない哲学」が存在していなければならない。今日はそんなことをじっくりと考える一日にしたい。「愚者は愚者なりの哲学を持つ」そして、それは「哲学する」ことを始めることが端緒になる。祖父の「良き人は常に初心者」という遺訓がこのことと重なり合う。とにかく、何かを始めること、行動を起こすことだろう。


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2010年10月2日 土曜日 16:13:39 「個人的見解いろいろと」
 このところ、ニュースなどをみていて思うところが多いので、まとめて書くことにする。

<タバコの値上げ>
 森永卓郎という私と同年齢の軽薄な評論家が「買いだめ」をしたとかテレビの番組で言った頃から、あちこちで買いだめをするニュースがやたらと流れるようになった。無駄な抵抗だと思ったが、愛煙家(実はニコチン中毒者)の行動パターンかもしれない。テレビニュースのインタビューなんかで「小遣いを減らすしかない」と答える男性の「いじましさ」に半ば呆れる。タバコは元々、国が税収を確保するための「収奪の手段」、まんまとそれに嵌っている「愚かさ」をまずは知るべきだと思うが・・。


<尖閣列島問題>
 「ヤクザ国家には核武装で対峙するしかない」と石原慎太郎都知事が吠えている。確かに理不尽なことを正論のごとく言い募る民族ではある。個人的には付き合いたくない人達だ。でも、GDPが世界2位、もう10年もすれば世界一になるかもしれないという経済大国だけに「成熟国家」である日本は、「厄介な隣人」としながらも、それなりに付き合っていかなければならない。難しいところだが、彼らに対しては「性悪説」で対応していくしかないだろう。


<4%の高収入男に群がる婚活女性の愚>
 ある調査によると、年収1,000万円以上の高収入男性は全体の4%しかいず、この男達をめがけて婚活女性が殺到しているとのこと。50代男性には30代女性が、40代男性には20代女性が対象として向かっていくという。30代であれば同年代は年収が低く、「共働き前提」の結婚になるので「専業主婦志向」の強い女性からは敬遠されるという。まあ、何と身勝手なと呆れる。自分を何サマだと思っているのだろう。物事の表層しかみない低脳、世も末である。


<東国原=そのまんま東の勘違い 前からわかっていたことなのに>
 東国原宮崎県知事が、次期知事選には出ないと明言、東京都知事とか国会議員に転出とかいわれている。私は以前、彼が知事に当選したときに「宮崎県民はこいつを知事に選んだことをきっと後悔するときがくる」とこのページに書いたが、まさにそうなろうとしている。客寄せパンダならば田中康夫が先駆者である。単に宣伝広告費をそれほど使わずに名前を売っただけではないか。結局、宮崎などに愛着はなく、東京で遊びたいだけといわれても仕方がない。芸能人は政治の世界に出しゃばるべきではない。


<JAL 危機感と判断力の欠如>
 稲盛会長によると、JALの経営破綻の主要因は「危機感と判断力の欠如」だという。社員にも奢りと慢心があったとのこと、稲盛氏ほどの人物がそういう限りそうなのだろう。でも、そのこと自体、大企業においては普遍的な現象ではないか。「他はよく知らないけど、自分の会社は大丈夫」と思い込んでいる人が殆どと言っていいだろう。そういった「危機感の不在」が改善、ましてや創造的破壊を阻害する要因となる。「いいときほど危機感をもつべき」だといつも言っている。


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2010年10月1日 金曜日 19:45:46 「出張帰りのひとときに」
 愛媛県内の経営診断報告会を終えて帰る途中、松山から羽田に向かうANA内にいる。今週は出張が4日と慌ただしかったので、明日は少し休息の時間をとろうと思っている。読みたい本がたくさんある。このところ、じっくり本を読む時間がなかったので、明日あたりは終日読書という「贅沢な時間」を満喫できるかもしれない。


 今日あたりは温度も湿度もほどほどで実に気持ちのいい気候となった。少し厚手の夏物スーツを着てネクタイをきちんと締めると気持ちが引き締まり、そのまま、緊張感が漂う報告会に臨んだ。今日はこちら側も3人体制という「総力戦」で、経営課題に対する真剣なやりとりは、経営診断を受ける側の主体性、改善に対するやる気の高さを示すものだ。


 こういった仕事の節目には、いい酒をのみたくなる。バーボンだと、I・Wハーパーの12年物がいい。竹内まりあの「駅」や大橋純子の「シルエットロマンス」、もとまろ・リリの「サルビアの花」などを聴きながら、ロックグラスを傾ける。時間の経過は特に気にせずに思考をフリーにする。過去と現在、未来が交錯するが、特に気にはしない。


 うまい酒をのんで、現実と夢想の境がなくなり、やがて深い眠りに落ちる。昨夜は遅くまで今日の準備や他の案件のことに対応し、かなり寝不足気味なので、今夜はきっとよく眠ることができると思う。そして、明日の朝はすっきりと目覚めることができるのだろう。健康状態が良好なことにまずは感謝である。


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2010年9月26日 日曜日 13:12:45 「睡眠、深さと時間の関係性」
 6月中旬頃にやや不眠気味になったが、その後1ヶ月かけて持ち直し、先月末あたりからは、自宅での睡眠がいい感じになっている。自宅にいるときは出来るだけ日付変更線の前には就寝することにしていて、調子の悪いときは1時・2時まで寝付けなかったのだが、この頃は分厚い本を手にとって数ページ読み進める5分か10分の間に寝入ってしまうようになった。睡眠導入剤の世話になることもなく、自然な眠りが日常化してきたので、健康状態もすこぶる良くなっている。


 今日みたいな休日は、それほど早く起きる必要もないのだが、昨夜は午後11時前には就寝したので、今朝6時には起きて本を読んだりした。だいたい7時間くらいは寝ていることになる。それで午前8時過ぎくらいに朝食を摂る。その前にベランダに出て朝日を20分くらい浴びるのが習慣になっている。体内時計をより正常化するためのものだが、夜は早めに寝て、朝早く起きることで、体内時計はかなり正常になっていると思う。季節が秋に向かい、睡眠に深さが伴ってくると、併せて体調もよくなる。


 2003年くらいから数年間、睡眠時間が2時間とかそんな状態で仕事に没頭する日が多かった。私にとっての「プロコンサルタント黎明期」であり、寝る時間を惜しんででも、貪欲に仕事に取り組む期間だった。年齢的にもまだ40歳代半ばだったので何とか体力が続いたのだが、その無理が蓄積されてきたことは否定できない。それで、昨年の年末あたりは体が思うように動かなくなるというような現象が発生して、そんな生活をしていたらそのうちに倒れて寝込んでしまうという恐怖感に襲われたものだ。


 今年に入ってからは、家内から「短距離ランナーではなくて、長距離ランナーにならなければ」といわれたこともあって、ことさら健康管理を重視し、食べるものや睡眠については特に意識をして健康にいい方向を家内と一緒に模索してきた。途中、積年の疲れが顕在化してしんどい時期もあったが、先述のように現時点で、非常にいい形になりつつある。特定の薬やサプリに頼ることもなく、自己治癒力でもって健康状態が保たれていることは、ある意味画期的である。懸案の歯の方も通っている歯科医院の丁寧で的確な治療のおかげで快方に向かいつつある。


 「生きるか死ぬか」という切迫感のなかで、限界まで仕事に取り組むことはかけがえのない経験であり、また、独立した者であればそういう期間は絶対に必要である。私の場合はその期間が他人よりも長すぎた感があるが、それだけに確実なベースというものを築いて、それがいまの活動の拠り所となっている部分があって、その期間に体験した苦闘(苦労ではない)や不幸なことをことさらに後悔する気持ちはない。「長距離ランナーとして、いまをどう生きるか、そして明日を、将来をどう造っていくか」そのプロセスを大事にしながら、貴重なビジネスタイムを地に足をつけて生きていきたいと思っている。


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2010年9月25日 土曜日 10:40:31 「協働の形とコンサルティングノウハウ」
 シルバーウィークの終盤、私はカレンダー通りで、今週は火曜日・水曜日と島根県に出張、昨日は事務所で終日、経営診断報告書のブラッシュアップを担当者2名と一緒に行った。経営診断の基本コンセプトを共有した上で、1つ1つの項目が「合成の誤謬」にならないように、全体最適を念頭において骨格を組み上げていく。私が長年培ってきた手法である。経営診断案件については、最近になってパートナーコンサルタントや社員コンサルタントも単独で遂行できるようになってきたので、私は仕上げの段階で関わるだけでいいというケースも出てきている。もちろん、報告会を開催する場合は、私が行かないと始まらないということもあるので、そういう機会には出来る限り参加することにしている。


 経営コンサルティングを徒手空拳で始めて11年半、やっと連携や協働の形が出来てきたように思う。自分一人で処理できる量はおのずとしれているのだ。彼らがやってくれている仕事は、私がこの11年間あまり営々と積み上げてきたノウハウをベースにしている。コンサルティングノウハウというものは一朝一夕に構築できるものではない。何かのベースがあってやるのと何もないところからやるのとでは、その労力において大きな違いがある。


 報告書のブラッシュアップは、今日の午後までかかるという想定だったが、骨格の構築が早めに終わったので、その中のコンテンツを主担当の社員コンサルタントが作り込んでいくことにして、夕方からは別の打ち合わせを行い、その後会食となった。2次会に顔を出した銀座の一応クラブの「Yoshida」は、意外に満席近くなっていて、大手企業のサラリーマンと目される人達がいい調子でカラオケに興じていた。その元気さに「円高メリット系の会社の人かな?」とパートナーコンサルタントのY君と話し合った。


 銀座を午後11時過ぎに出て、帰宅したのが午前0時半頃、昨日は寒い日だった。長袖の秋物シャツに秋物のジャケットを羽織ってちょうどいいくらいである。駅のタクシー乗り場が混むだろうと家内が車で迎えに着てくれた。ミーティングを早めに終えることができたので、土曜日と日曜日は自宅で過ごすことができそうである。その僥倖に感謝しつつ、さらにいい仕事を積み重ねていくことに向かうことでの「気分の高揚」を感じながら、いよいよ秋に突入する前のひとときを楽しんでいる。


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2010年9月11日 土曜日 12:59:32 「久しぶりの神戸 街の香り懐かしく」
 今日は中小企業診断士の資格更新のための研修を受講するために神戸に来ている。診断協会としては東京支部(中央支会)に所属していて、本来であれば東京で受講するのが普通だが、兵庫県支部も準会員になっており、たまには昔の仲間とも会って旧交を温めるのも悪くないと思い、日帰りで神戸に来ることにした。


 久しぶりに降り立った新神戸駅からタクシーで研修会場に向かったが、その途中、車窓からみえる風景は、私がこの地を去った約2年前と殆ど変わっていない。神戸は大都市の中でも最も落ち着きのある佇まいをみせる街である。2003年から2008年まで5年半の間、生活拠点と活動拠点があったのだが、その当時のことがもっと昔のことのように、日々色褪せていっている。


 そもそも、「根無し草」の私はどこに住んでどこで活動するといった物理的また心理的な制約がまったくない。独立してから、京都→東京→大阪→和歌山・神戸→東京と活動拠点をめまぐるしく変えながら、何とか生き長らえてきた。そして、いま、私は当初からの目標であった東京に拠点を置き、鎌倉市内に住んでいる。一昨日も東京事務所で、家内と事務員さんと3人で話をしているとき、いずれも私が東京に行ってから知り合った人達と親しく話していることを客観視したとき、人間の不思議な縁というものを実感したのだ。


 2005年から昨年10月まで5年間活動拠点となった神戸事務所があったビルの前を通った時、その5年間の活動が一瞬脳裏をフラッシュバックしたのだが、詳細なところはモノクロームの世界で、やはりそのこと自体が過去の出来事なのだと思ったりする。あるいは、ここにはもう自分のいる場所はないのだということもある。でも、過去があって現在があるのだから、そこが空白になるということはない。


 研修会場に着くと、懐かしい顔ぶれに会い、「お久しぶりです 元気でしたか?」と声をかけあって旧交を温める。今日の目的はこれに尽きるのかもしれない。2004年に診断協会の支部を和歌山県支部から兵庫県支部に移籍したとき、私にはこの地で知己が殆どいなかった。中小企業診断士の先輩達の中でいろいろな人が私に声をかけてくれ、また、仕事の機会を提供してくれた。私の経営コンサルタントとしての知見と方向性はこの時期に培われたのだと思う。和歌山県の時代も含めて、当時、お世話になった先輩方には本当に感謝している。


 そんなことをつらつらと考えながら、今日は土曜日の半日を神戸で過ごす。日常の活動とは違うものがあって、ちょっとしたアクセントにはなるだろうと思う。こういう時間に自分自身を客観視し、いろいろな物事を整理できれば幸いだ。鎌倉に戻る頃には、また、いつものモードになっていることだろう。その視線を常に前にすえて、「ネアカ・前向き・元気」という経営コンサルタントの基本属性とそれに加えて「冷静・広視野・戦略的」という2次的属性を意識して、まずは50代の残り7年間を走り抜けたいと思っている。


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2010年9月7日 火曜日 13:34:24 「夏の終わりの気配がする」
 松山での研修事業を終えて、松山空港のラウンジにいる。羽田に着くのが午後4時前で、5時半くらいには帰宅することになる。今週は出張はこれで終わり、明日からは会議や打ち合わせが連日入っている。出張ラッシュもちょっと中休みというところで、いくぶんホッとしているところである。


 連日、記録的な猛暑となっているが、夜や早朝はかなり涼しくなってきている。今週末あたりからは、クーラーなしで寝ることができそうで、今年も何とか厳しい夏を乗り切ったなという思いがある。いわゆる「夏の終わりの気配」である。それは、束の間の秋を待つ瞬間であり、だからこそ貴重な秋という季節に向けて想いを募らせる瞬間でもある。


 しかし、こうしている間にも、私に残されたビジネス人生の時間は刻々と少なくなっていく。時間は常に有限である。そのことに焦りがないわけではない。だから、やるべきことは前倒しをしてでもやっておこうという気持ちが強い。ただ、その際に「過度な負担を自分自身に強いない」ということを是とするというところが、以前とは違っている。「オレも歳をとったのかな」と思う所以だ。


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2010年9月5日 日曜日 17:39:20 「調和のとれた生活」
 9月に入り、最初の日曜日である。最近は日曜日を自宅周りで過ごすのが日常的になってきた。暑いので外出は午前中にして、午後からは部屋で読書をしたり、書類を作成したりして過ごしている。石川遼が出ている時には、ゴルフ中継を視たりもする。でも、テレビはニュース番組以外は殆どみない。


 昔から活字に接していないと落ち着かないという性分で、読書はいろいろなジャンルのものを乱読するタイプである。携帯電話やIPadで本を読むという人もいるようだが、私には全くなじまないスタイルだ。ただ、コミック誌については、パソコンで「みる」というのはありかなと思ったりする。実際、あれは読むというものではなく、映像的に「観る」という感じになる。


 ギターで弾き語りをするのも1つの習慣になっているし、楽しみにもなっている。神戸にいたときは、自宅では一切演奏はせず、もっぱら事務所でやっていた。自分自身のテンションを測るバロメーターになるし、好きな曲を大声で歌うことによって、テンションを上げて、その流れで仕事に入っていくということもあった。


 昨日、久しぶりに「暗譜」の練習をしたのが、桑田佳祐の「tsunami」だった。ギターのコードがわからなかったので、有料の譜面をインターネットでダウンロードした。変調の多い曲でハイコードが多く、弾き語りをするには、難易度の高い曲である。これを暗譜して自在に弾けたら、それはそれで格好いいのだろう。弾き語りと読書、穏やかな生活、それが私生活における3種の神器である。もちろん、その前提には仕事の充実がある。


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2010年8月11日 水曜日 17:20:34 「生きているという実感」
 群馬県・渋川市から戻る「湘南新宿ライナー」の車内である。ほどよく冷房が効いていて快適である。高崎駅構内の書店で単行本を3冊買ってそれを読んだりしている。いま読んでいるのは、「祈るときはいつも独り」(白川道著 幻冬舎)の下巻である。この作家の作品が好きで、殆どのものを読んだ。今回の長編もなかなか骨太である。「人は何故生きるのか」という大命題を小説という形で示唆してくれる、非常に味わい深い内容だ。


 仕事の合間や移動の時間などを利用してよく本を読む。趣味らしきものが「ギターの弾き語り」以外に特にない私にとって、読書に耽溺する時間はとても貴重なものとなっている。そこそこおいしいものを食べて、自由に読書ができればそれで幸せなのである。学生時代からずっとそんなパターンできたものだから、それ以外の充実した時間を過ごすことがあると、さらに至福感をおぼえるのだ。


 「明日が今日よりもよくなる」という希望があって初めて人は前を向いて行動するのだろう。努力というものはそういうところに生まれる。希望のない人からは主体的な努力は生まれ得ない。その希望をベースに一日一日を精一杯生きること、それが日々我々に充実感をもたらす源泉となるのだ。「生きていることの実感」を確実な手応えとして自分自身が納得のいく生き方をしていくこと、それこそが理想であろう。


 その意味では、私の「理想の生き方」は、この2・3年でずいぶんと下方修正されたのかもしれない。それはこじんまり生きているということではなくて、日々、やりがいのある仕事をさせてもらいながら、ほんの小さな出来事に深い考察をしたり感動をしたりする自分がいて、そういう自分に対して、「結構いい感じだな」と思ったりする。とにかく、心身ともに健康なことに感謝である。


 昨日、宮崎駅から仕事先の会場まで1キロあまり歩いた。予定より少し早めに着いたからだが、猛暑の中、吹き出す汗をもろともせずに一定の速さで歩くということの爽快感を久しぶりに味わった。昨日は日帰りで東京に戻ったのだが、自宅に帰り着いて、シャワーを浴びてから味わう白ワインがとてもおいしかった。日々、精一杯やって、そして「生きている実感」を不連続ながらもおぼえることの大事さ、価値をいうものを、この歳(53歳)になって腑に落ちるようになった。明日もこんな気持ちで案件に臨みたいものだと思う。


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2010年7月30日 金曜日 18:08:36 「緊張がどこまで続くか」
 今週は丸々1週間、四国の愛媛と高知で活動している。研修事業がメインである。松山市内で3日間、高知市内で2日間滞在してやっているが、5日目となるとさすがにエネルギーが切れてくる。毎日、やる内容が違うので一定の緊張感を持って取り組む必要がある。1999年4月に経営コンサルティングを主たる事業として活動を始めた時から、経営コンサルティングの場面はもちろん、単発的な助言、研修、講演等の機会においても、一定の緊張感を持って対応をしてきた。事業が2005年くらいから本格稼働してからは、連日続く案件に対して緊張感を持続してきた。


 その2005年から丸5年、そういう緊張感のある日々が続いていることになる。40歳代の後半、まだまだ瞬発力や体力がある期間に案件に恵まれることになったので、大変ラッキーだったと思っている。これが50歳を遙かに過ぎた年齢だったら、今日の私はなかったかもしれない。平均睡眠時間が2時間ほどで、半年くらい憑かれたように中小企業の経営再生や経営改善、森林組合の経営診断等に邁進した。いま思えば無茶なことをしたと思うが、40歳代最後という「最後の若さ」が「もう後がない」という危機感と相まって頑張る源泉になったのだと思う。


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2010年7月22日 木曜日 16:35:42  「水害、そして猛暑、夏本番に」
 京都での研修を終えて関東に戻る途中、2時間ばかり新幹線の車内でゆっくりしている。非常に快適な時間、気持ちが落ち着く時間である。前回の更新から2週間、この2週間はあっという間だった。気がついたら7月も下旬、先週は大雨で各地での水害がひどかったが、今週になると今度は猛暑で、熱中症の犠牲者が出ている。自然の脅威は凄まじいものがある。自然の摂理に逆らうようなことをやっていくこと自体に持続性がない。21世紀はそのことを肝に銘じて生きていくべきなのだろうとつくづく思ったりする。


 7月中旬あたりから8月末にかけては、1年中で最も暑い時季であり、それは高校野球の地方予選から甲子園に連なる「熱っぽい」期間でもある。あんな猛暑の中でよく試合をするなあといつも思う。昔、放送記者をしていた頃、高校野球の取材で猛暑の甲子園に毎年行っていたというか行かされていた。その時にスコアカードの付け方も覚えた。あとから原稿を書くのと映像の編集作業を効率化するためである。それにしても真夏の甲子園のスタンドは暑かった。20代前半で体力もあったからこそ、連日、事件とか事故とかスポーツとか取材に走り回っていても平気だったのだろう。


 あれから30年近くなる。昭和は平成にかわり、世の中の景色もずいぶんと変わった。「馬齢を重ねたのかもしれない」と時々そう思う。人間的な成長をきちんとしてきたのだろうか、自分自身に恥じない生き方をしてこれたのかと自問すると心許ない部分が多い。「半端に生きてきた」そういう部分もある。「でも自分自身に正直だった」といえなくもない。とにかく複雑な生き方をしてきたのは事実だ。


 明日は2週間ぶりに事務所に出る。長期間、事務所を留守にしていたので決裁ないし処理しなければならない案件が山積していて今週は休み返上で書類づくりになるかもしれない。来週は5日間、四国で滞在することになっている。体調の方がかなり上向いてきたので、何とかこの猛暑の中の出張シリーズも乗り切れそうな気配になってきた。結構なことである。健康第一でとにかく頑張っていきたい。


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2010年7月7日 水曜日 20:55:23  「不思議な七夕の夜」
 京都・日吉町での研修を終えて、京都駅に移動、新幹線口にある「江戸川」で、「うな重」を食べて東京に戻る新幹線に乗り込んだ。そして東京駅から赤坂に移動し、いま、ニューオータニ東京の6階ラウンジにいる。家内が知人の結婚式に出席していて午後9時半頃に終わるので一緒に帰ろうということになった。ニューオータニのラウンジに来るのはおそらく3回目くらいだと思うが、庭園を観ながらバーボンをロックでのみつつ、しばし思索に耽るのも悪くない。仕事は切れ目なく入り、節目というものがなくなっているが、ちょっとしたこういう時間が貴重である。


 先々週あたりから体調が低下して、テンションがあまり上がらないまま、自身を鼓舞して、北海道や群馬、高知等に出張してきたが、今週に入って上向きに転じている。家内からは「くれぐれも無理をしないように」言われている。それもあって、以前のようにがむしゃらに仕事と格闘するスタイルからはかなり脱却できている。これも家内の助言の賜と感謝している。おかげで、メタボもかなり改善され、体型もかなりすっきりしてきた。


 物質的な豊かさを追求する成長期の時代はすでに終焉を告げて、少ない総付加価値(粗利益)をみんなで分け合って、お金がなくても心豊かに過ごすという「成熟時代」がこの日本にも定着しつつある。金儲けは決して悪いことではない。労働の対価である給料が減るのは由々しき問題だ。でも、この国の経済を俯瞰していると、成長するという希望を持てという方が無理である。生産人口はどんどん減り、生産しない老人ばかりが増える「老人国家」になりつつある。


 菅総理の消費税の増税提起は正しいと思う。それを原資にして老人が安心して暮らせる制度を作って欲しいとも思う。年金は1人あたり月額10万円は何とか保証するとか、10万だと東京では暮らせないが、田舎に行けば何とかなる。年をとって東京で暮らさなければならない理由はどこにもない。現役を引退した老人がするべきことは、いかにしてでしゃばらずに静かに暮らすかということだ。要するに「若い世代から尊敬されないまでもバカにされない生き方」をしなければならない。年金をもらうということはそういうことではないのか。


 京都の山間部で昼間仕事をして、夜は東京のニューオータニで夜景をみながら静かにバーボンをのんでいる。不思議な気分である。こういうシチュエーションは少なくともこれまでなかったと思う。でも、何となくいい感じではある。まあ、とにかく、これからも特に構えずに自然体で生きていければと思う。無理をしないこと、気負いすぎないこと、それらを自分自身に言い聞かせながら明日からも自分らしく生きていこうと思う。


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2010年6月25日 金曜日 18:20:30  「新たなる地平を認識しつつ」
 群馬県での人材育成事業から自宅に戻る「湘南新宿ライン」の中である。自宅に着くのは午後8時前くらいになる。林野庁の補正事業の実施主体となってそのメインの部分である「森林施業プランナー育成研修」の最終回が終わりホッと一息というところである。受講者の反応もまずまずで、結果的にやってよかったと思う。一緒にJVで一から取り組んできた(株)エスピーファームの近藤社長やスタッフの皆さんに感謝したい。


 東京に事実上の拠点を移した3年くらい前から案件やプロジェクトの高度化と相まって、協働するパートナーの存在が欠かせなくなった。(株)エスピーファームとはこの3年間ほど、林野庁の別の事業で一緒にやってきたのだが、その中で林業界における人材育成や組織改革等の喫緊の重要性を共通の問題意識として位置づけ、その延長線上で今回の事業に関して協働することになった。


 スタンドアローンでやれることにはおのずと限界がある。いわゆる「家業」の段階では事業と呼べるものは遂行できない。中小企業相手の殆どの経営コンサルタントはこの「家業」の域から脱することをせず、あるいはできずにいる。業容を拡大すれば当然経営リスクが生じる。さまざまな費用も嵩んでくる。最も出費が少ないのは獲ってきた仕事を自分自身で処理していくこと、そして、事務所とか事務員とかの固定費をかけないことである。


 私の場合はここ数年、ただがむしゃらに仕事をしているうちに、マーケットや利害関係者等に導かれて、事業規模をどんどん大きくすることになった。神戸にいてそこを拠点にしてやっていこうとしていた時期もあったが、結局、その期間も通過点に過ぎなかった。紆余曲折はあったが、最終的に昨年10月末、事務所を東京・日本橋に移転したことで、事業の拡大と充実に拍車がかかった。そして、その流れで鎌倉に住むという形にもなった。


 参加者が200人近く、現場研修も伴う専門的人材育成事業を一から起案してやり遂げるのは並大抵のことではなく、主催側のこれまで培った知恵やノウハウが威力を発揮する。そういう意味で、私と近藤さんのコラボが今回事業を円滑に運営する原動力となったのは事実、やはり、お互いの専門性を足し合わせた相互補完型、シナジー型の連携が威力を発揮する。関西にいるときは、こういった形態の仕事の仕方はしていなかったし、いいパートナーにも恵まれなかった。東京に進出したことで、マーケットに踏み込んだことで得られた成果だと思っている。


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2010年6月18日 金曜日 17:33:11  「週末に向かう緩やかな時間」
 岐阜での会議を終えて名古屋から小田原に向かう新幹線の中にいる。今日は終日雨模様になった。このまままっすぐに帰宅する身としては、雨が降ろうと晴れようと関心外のことである。今週は月曜日と火曜日が山口で、水曜日に東京・高尾で講義をして、その足で北海道の美唄へ、昨日、現地での案件を終えて、今日は岐阜に日帰りである。東京・日本橋の事務所に立ち寄ったのはわずかに1時間くらいなものである。


 5日間連続出張ということで、やはり疲労感は否めない。明日は自宅で静養しようと思っている。最近、天気がいいとマンションのベランダで朝食や昼食をとったりする。裏手が雑木林になっているのでロケーションも悪くない。そこで家内といろいろな話をしながら食事をする。そういう何気ない時間が私にとってはかけがえのないものになっている。「会話のある生活」このことの価値というものを実感しながら日々の生活を楽しんでいる。


 金曜日のこの時間は、週末から休日に緩やかに向かっていくある意味「心地よい」時間だ。以前であれば、出張帰りには必ず繁華街に行き、非日常性の空気をもった店で1週間の出張疲れを癒していたものだ。しかし、いまはひたすら「最終帰港地」に向かっている。金曜日の夜から土曜日にかけての時間は自由で将来の夢を思い描くには最適だ。味わいのある小説を読むという楽しみもある。


 いろいろな葛藤の中で1つの一貫性を持って仕事を遂行していくというのは実際大変なことなのだと思う。この歳になり、またそれなりのキャリアを積み、社会的にも責任の重い役割になってくるとますますその想いが強くなる。だからこそ、仕事以外で自分が素顔になれる空間と時間を創出していかなければならないのだと思うのだ。物事が悪い方に転び出すと収拾がつかなくなることがある。そういうときにこそ、平常心を保つようにする「術」を身につけておかなければならない。


 今週はテンションがそれほど上がらない中、自分を鼓舞しつつ、多様な案件に精一杯対応できたと思っている。それなりに全力を尽くしたという充実感を持ちながら、休日に向かっていくのは何ともいえず豊穣というか満ち足りた気持ちになる。30歳代は夢を追いかけてひたすら試行錯誤を続けた。40歳代は退路を断ってとにかくがむしゃらに前に突き進んだ。そして迎えた50歳代は、もちろんそういった積み上げがあってのことだが、束の間であっても自分のことを大事にしようとしながら、質の高い仕事を志向している。肩の力が抜けてきているのかもしれない。


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2010年6月14日 月曜日 9:46:59  「リスク社会に生きているということ」
 山口県に向かう新幹線の中にいる。今朝、品川駅で新幹線に乗り換える際、痴漢騒ぎで、電車からホームに連れ出されたらしい男性が別の男性に羽交い締めにされている現場にでくわした。横には被害者らしい女性がいる。つかまえられている男性は30歳前後、つかまえている男性は30歳過ぎぐらい、女性は新入社員くらいだ。最初は男性同士のトラブルかと思ったのだが、よく観察するとそうではなさそうだ。女性が痴漢だと叫んだので、近くにいた男性が「犯人らしい」男性をつかまえてホームに引き摺りだしたのだ。


 そのうち、捕まえられていた男性がスキをみて脱兎のごとく逃げ出したようだ。こちらは新幹線に乗り換えようと階段を上がっていたので「待て!」という怒声だけ聞こえた。捕まえていた方も非力な感じだったので、力づくで脱出を図ったのだろう。でも、もし彼がやっていないのであれば、その行為は正解である。痴漢リスクにおける「冤罪対策」は、まずその場からすぐに立ち去ることだという。駅員や鉄道公安に連れられて駅長室に行くということ自体、罪を認めたことになる。今朝みかけたくだんの男性が痴漢をしたかどうかはわからないが、とりあえず逃げた気持ちはそれなりに理解できる。痴漢で逮捕され起訴でもされたら一生が台無しになる。


 痴漢は論外だが、セクハラというのも厄介である。どういう行為にしろ、相手が不快に感じたらセクハラになる。だからビジネスシーンにおいて女性とは必要以外口をきいてはいけないということになってしまう。呑みに行ってプライベートな部分に踏み込んだりするのもタブーだ。「昔はそういう概念がなく職場でも言いたい放題でよかった」と懐古している場合ではない。派遣社員などは履歴書も何も開示せずに職場に来たりする。我々はそういう社会に生きて活動しているということを肝に銘じるべきだ。


 先日、横浜の会員制スパに行ったときのこと、ロッカーにうっかりサングラスを忘れて帰った。あとから気がついて店に電話したら忘れ物や預かり物として届けられていないとのこと、ダンヒルのブランド物だったので、私の次にロッカーを使用した人間が持って帰ったのだろうと指摘すると、「そうであっても特定できないので対応できない」とのことだった。まるで忘れる方が悪いという言い方である。明らかに持って帰る行為こそが犯罪であってそれ自体が責められる追及されるべきなのにである。


 ブランド物のサングラスであれば、インターネットのオークションあたりで「新品同様」として出品すれば結構な値段で売れるのかもしれない。しかし、他人が身につけていたものを持って帰ること自体、「気持ちの悪い」ことである。油断も隙も見せられないイヤな世の中になったとつくづく思う。できるだけ人を信じたいが、信じると騙されたり物を盗まれたりする。自分の身は自分で守るという基本原則を今一度肝に銘じて、このリスク社会を生き抜いていかなければならない。


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2010年6月7日 月曜日 14:38:03  「婚活まで行政頼み?の社会」
 昨夜、テレビの報道番組で、「行政機関が婚活を支援」という話をみて驚き呆れた。茨城県などはそんなのに年間2,000万円もつぎ込んでいるという。自分の結婚相手を見つけるのを役所頼みとは一体何なのか。ネット等で怪しい出会い系サイトが蔓延っているので、役所の主催なら大丈夫だというのか、そもそも、その前に自分の甲斐性で相手をみつける努力というか創意工夫をしないこと自体に問題があるのではないのか。


 昔は男女が年頃になると、親類や知人から縁談話が持ち込まれた。いわゆる「お見合い」である。それは常にボランタリーな行為で、誰から頼まれたというわけでもない、相互的、慣習的なものだった。ところが、いまはその習慣は過去の遺物となっている。男女の出会いの場は勤務する職場に限定され、あとは合コンとかごくわずかのオプションしかない。それもあって婚期を逃し、独身のままでいる男女のなんと多いことか。


 「出逢う機会がない」と彼らはいう。でも本当にそうだろうか。昨日の報道番組でいえば、地方で農家をやっている青年がいて、普段の行動範囲の中では異性と出逢うチャンスがないと言っていた。現象面では確かにそうかもしれないが、だったら、その行動範囲を変えてみるということをしなければならない。おしゃれをして街中に出ていい感じのバーに入ってみるだけでも世界が変わってくる。つまり、行動なきところに成果はないのだ。あるいは投資なきところにも回収はあり得ない。行動や投資をせずに結果だけを求める人間が多すぎるのではないのか。


 自分を高める「投資活動」を続ける人間は常に魅力的である。1つの目標に向かって懸命に努力を続ける人も美しい。そして、出会いの機会は誰にでもある。もう一歩踏み込めばみえる道もある。そこで踏み出すか踏み出さないかによって結果が確実に違ってくる。リスクの多い社会であるからこそ、それを恐れてはいけないのかもしれない。そこで自己責任原則という考え方が大事になる。目の前の現象を的確に分析して自分の行動を規定する判断基準を持つべきだし、そのための勉強・研究を惜しんではならない。


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2010年5月30日 日曜日 22:05:34  「曇天の日曜日、思索には最適日」
 1週間、このページを更新できずにいた。理由は特にないが、以前のように自分一人の時間が少なくなったということが大きい。事務所にいる時間も殆どなく、出張以外でも会議とかで時間を費やしている。そうこうしているうちに5月も終わりになった。今週から6月に入る。早いもので1年の折り返し点になろうとしている。今年に入って自宅の転居があったりして、活動形態が変わり、それに馴染もうとしているうちに6月を迎えることになってしまった。


 昨日は久しぶりに映画を観ようということになり、品川にあるプリンスシネマで「グリーン・ゾーン」という映画を観た。イラクの「破壊兵器」にまつわる疑惑を描いたマット・ディモン主演の問題作である。政権が変わると前政権の問題をえぐり出す映画が容認される、アメリカならではの内容だった。少なくとも日本ではあり得ないことだ。ネタはいくらでもあると思うのだが、正面切ってそれを映画化できるほど、日本は開かれた国ではない。


 今日は朝から雨模様で寒い一日になった。こういう日は外出せずに読書に勤しむのがいい。朝の番組で「Ipad」のことを紹介していたが、確かに魅力的なもので、その活用方法は無限であるとも思う。いよいよコンテンツ時代の本格到来か、これによってダメージを受ける業界も多いことだろう。例えば印刷業や製本業の業界だ。これで本が読めれば紙の装丁など必要なくなる。でも、私なんかはそれに関してはアンチ派であって、本を読むときに紙の手触りや匂いがなければそもそも内容を読み進めることができない。多分、私はこの先、デジタルデバイドになっていくだろう。パソコンさえ使えたらそれでいいと思う。


 社民党の福島瑞穂大臣の罷免問題は、この夏の参議院選挙に向けて、ますます政局の混迷の加速を示唆するものだった。「野党になる」などと福島党首はテレビで言ったとか、ここは民主党の明確な「決意表明」が欲しいところだ。その上での新しい連立の枠組みはあり得るだろう。その連立のありようは「一寸先は闇」としかいいようがない。ただ、いくつかの新党は一定の形に収れんするまでの「つなぎ」の存在でしかない。個人的にはより多くの国民の幸福を追求する政権であって欲しい。


 こういう時に一経済人として、また、ビジネスマンとしてどういう行動規範をもつべきかというと、断然、「自分の心のどん底が納得する部分で判断する」ということになる。つまり、常に自分が得心した部分で、やるべきことをやっていくしかない。政権が変わったらとか、そんなことは我々が関知する事柄ではない。行動規範の基本は「ブレないこと」そして「社会の最大幸福の追求」である。休日の午後、読書の合間につらつら考えるに、そんな結論になった。また、明日から気持ちを入れ替えて頑張ろうと思っている。


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2010年5月23日 日曜日 11:48:22  「六月の雨 シトシトと」
 今日は朝から雨である。リビングの部屋の窓から雨が樹木に降り注ぐのをみながらこれを書いている。雨の日曜日の昼間、何となく心が落ち着く時間である。昔からこの季節の雨の日が好きだった。小椋佳の曲に「六月の雨」というのがある。「いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい」というフレーズが耳に残る名曲である。中学生の頃からこの季節にいいことがあった。新しい出会いがあり、新鮮な感動があった。そういう心象風景が小椋佳の曲と同期するのかもしれない。


 そんなことを思い起こして、パソコンの音源に入れてある「六月の雨」をじっくりと聴いてみる。やはり名曲である。小椋佳は昭和19年生まれ、私よりも一世代余り年長である。第一勧業銀行の行員として勤務の傍ら、曲を作り続けた。シンガソングライターではあるが、その本質は詩人なのだろうと評価している。サラリーマンとの「二足のワラジ」に葛藤もあったのだろうか、地方の支店長だかを最後に退職し、それからはフリーランスのアーティストとして多彩な活動をしている。いわゆる自己実現であろう。


 一度だけ銀座の交差点で銀行員時代の本人とすれ違ったことがある。背が高い人で、いかにも銀行員という風情だった。その時、私は30歳を過ぎたばかり、地方放送局の東京支社に勤務していた。それから時が過ぎて、小椋佳は60代後半となり精力的にコンサートやミュージカルのプロデュースなどの活動をしている。おそらく自由でストレスのない日々を過ごしているのだろうと思ったりする。そして、この私はあれから20年余り経った今、曲がりなりにもやはり自己実現に向かって前に進んでいる。


 そうか、あれから20年以上経ったのか、そんなことを想うと、時の流れの速さを実感するところだ。放送局を辞めて16年が経った。自分の力で生きていくことに決めて徒手空拳で未知の世界に踏み込んだ。いつの間にか20年前にみた小椋佳と同年代になっていた。50歳代は自分の言動と顔に責任を持たなければならない。それと何があってもブレない生き方を貫くと同時に幅のある現象を包み込む許容力・寛容力も必要になる。そのためには物事を全体からみていくアプローチが重要になるだろう。


 「花咲く姿は変わるけれど 変わらぬ心を誓いながら・・」と小椋佳の「六月の雨」は私の心に迫るものがある。昨夜(ゆうべ)、7年位前の自分のホームページをざっと読み返したのだが、あの頃の私はまるで毎日「白刃」をかざして生きているという感じで、発言内容も過激そのもので、安易に妥協することがない。その気持ちで40歳代を走り抜けて現在に至っている。でも、昨年の夏あたりから物事を俯瞰すること、全体最適を目指すこと等、行動規範が変わりつつある。50歳代の生き方、佇まいというものがやはりあるのだということを、雨の日曜日に実感しているところだ。


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2010年5月19日 水曜日 16:23:17  「陽光の京都・日吉で考えたこと」
 月曜日から今日まで2泊3日の研修事業が終わった。東京に戻る新幹線の中にいる。これまでであれば、新幹線の中でウイスキーなどをのんで「独りお疲れさん会」をするところであるが、この春あたりからそれは自宅に帰ってからワインでやるようになっている。今月からコンサルティングや経営診断、研修事業、講演等で地方に出張することが激増する。それらが終わるたびに自宅でささやかな「お疲れさん会」をやることが定番になっていくのだろう。


 政治・経済の動向は依然不透明、世知辛い世情は延々と続く。自分のことしか考えない人間が多くなっていく中、そんな社会が続けば、国自体が滅びてしまうということを我々はもっと心の中に落とし込まなければならない。より多くの人の幸福を願って行動することや、長期的視点で物事を考える思考がものすごく大事なのだとつくづく思う。森林・林業関係の仕事に関わるようになって、その想いは一段と強くなっている。


 少子高齢化が進み、もはや経済成長が見込めない「成熟社会」において、我々はどういう行動規範をもって生きていけばいいのか、一人一人がよく考えて意思決定をしなければならない時代に入っている。その思考を放棄して「いまを普通に生きることができれば幸せ」だと断言する「草食系」なる若者群は、確実に価値を生まない「社会の無価値資産」となっていく。また、社会の第一線に立って経済行為を行い、多くの価値を生み出していく「生産層」を後ろで応援せず、自分勝手な理屈で年金を食い潰す高齢者群もこの社会のお荷物となる。


 若者は先人に学ぶ真摯さを持たなければならないし、将来に対するさまざまな投資を怠ってはならない。この国の最大の経営資源は人材である。ただでさえ少ない若年層が自らドロップアウトしていくような現象だけは何としても食い止めなければならない。いわゆる肉食系・狩猟系の人間がどんどん出てきて、彼らが社会の活性剤になっていかないと、そして、年配者が自分のことはさしおいても、そういう人達を応援して育てていくという形になっていかないとどうしようもない。


 私はできれば70歳でビジネス社会を引退するつもりにしているが、それ以降はどこかに引っ込んで「世捨て人」的に生きていこうと心に誓っている。年金がもらえるのであれば、そういう貴重なものをもらっていることに感謝して、応分の社会奉仕(街のゴミ拾いとか)をするつもりだ。間違っても後進の人達のやっていることに口を出したり、そういう場にしゃしゃり出たりする気持ちは一切ない。「老兵は消えゆくのみ」なのだ。どこかでひっそりと生きていく以上に老人がなすべきことがあるのだろうか、やるべきことはそれまでに終えておくのがあるべき形だと思っている。


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2010年5月16日 日曜日 14:10:01  「時の移ろいと生き方の変化」
 神戸に向かう新幹線の中である。今夜は神戸泊まり、明日から京都・日吉町での研修事業に臨む。何故、神戸で泊まるかというと、今日夕方、神戸で娘に面談するからである。娘に会うのは実に4ヶ月ぶりである。ということは神戸に立ち寄るのもかなり久しぶりということになる。関西での活動や生活と完全に関係がなくなってから半年になる。たまにテレビなどで神戸や大阪の街が映ると、とても懐かしい気持ちになるが、ただそれだけのことである。


 経営コンサルティングの活動を始めたのは、今から11年前のこと、当時、住んでいた大阪市阿倍野区の自宅の小さな一室がその拠点だった。その4年後、神戸市内に移り住み、そこが拠点になった。さらにその2年後からは神戸市内に開設した単独事務所を基地にして、全国的な活動が始まった。そしていま、私は東京・日本橋に事務所を移し、自宅は鎌倉市内にある。鎌倉での生活はこれまでとは打って変わって非常に穏やかなものになり、それが私がここ数年醸し出していたであろう「殺伐とした」緊張感を包み込む要因となっている。


 事実として、この8月で53歳になるのだ。一個のビジネスマンとしての「落ち着いた佇まい」があってしかるべきだと思う。安定感ありどっしり感なりがついてこないとこの職業に就いている者としてどうかと思ったりする。もちろん、理不尽なことに怒ったりする正義感、仕事に対するあくなき情熱というものは重要で、それは以前と全く変わっていないのだが、それがどんどん内面に入っていっているというのが現実である。


 泣いても笑ってもあと10数年しか元気で活動できないだろう。どう頑張っても70歳が限界になる。この期間は長いようで実はかなり短い。初期投資期間が終わって、明らかに回収のステージになり、責任の重い案件を遂行していく中で、時間の経つスピードが加速を増していく。それに対して拘束時間以外で自分の自由になる時間はおのずと限られていく。でも、二度と戻らない貴重な壮年期の時間、それもプライベートな時間を仕事だけで終始することへの懸念や反発も実際感じているのも正直なところだ。


 今月あたりから出張が多くなるが、数日間の出張を終えて、ヘロヘロに疲れて帰宅したとき、その疲れを癒してくれる「オアシス」のような空間、私は最終帰港地というように呼んでいるが、その存在こそがモチベーションの最大の源泉ということになる。そこにおいしい料理とワインがあって、楽しい会話がある、私の後半生はこれまでのような仕事オンリーの一色構造から何色かの彩りに満ちたものになっていくのだろう。そう思うと、これまでの苦闘も少しは報われるような気がする。


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2010年5月13日 木曜日 17:17:03  「健康を気にする日々」
 今年のゴールデンウィークは10数年ぶりに7連休をとり、自宅まわりで休養をとることができた。天気も良かったのも手伝って、快適な時間を過ごすことができ、その巡り合わせに感謝している。この間、好きな本をじっくり読むこともできたので、自分としては最高の連休だったと思っている。出来れば秋の連休もそうしたいし、年末年始も同様に過ごすことができれば幸いだ。


 といいながら、今週からは日常に戻り、業務が輻輳する中でだんだんと緊張感が高まっている。来週からは当社が主催する研修事業や助言事業も始まり、出張日数もかなりのものになる。この仕事は体力こそが経営資源の最上位に来る。体力が気力をカバーするのであり、気力があっても体力がなければそもそもこの職業は務まらない。だから、日々、健康管理に留意して体力をつけておかなければならない。


 健康維持・向上のポイントは、「適正な食生活」「適度な運動」「適当な睡眠」そして「適切なストレス管理の4つのR(ライツ)を日々実行していくことだ。この数年間、私にはそれが出来なかった。仕事に邁進する余り、健康管理という最重要なことをどこかに置き忘れていた。この3月あたりから生活環境も変わり、健康管理に目覚めてかなり意識するようになった。ジョギングもやっているし、腕立て伏せや腹筋運動、スクワットなども適宜やっている。


 やたらと呑みに行くこともそれほどしなくなった。事務所に泊まり込むなどの無理もしていない。但し、自宅で仕事をする時間はその分増えているかもしれない。それもあって、内臓脂肪が減少気味で、体重も徐々にではあるが減りつつある。この夏、出張も多いのだが、節制しながら活動をして、体調はベストな状態にしておきたい。ここ数年、かなり無理をしてきたのは事実で、まあ、それがあったからこそ得られた果実も多かったのだが、これからは度を過ぎた仕事の仕方はしないようにしようと思っている。


 先日の「4つのR」については、このところ自分なりに励行できていると思っている。昨年末あたりは出張+会食続きということもあって、胃腸の膨満感がひどくなり、どうにもならなくなる状態にもなったが、これからはそういうこともなくなるに違いない。要は心がけの問題で、健康を害して得をすることなど何もない。健康管理はあくまでも自己責任でやるもの、その意味で活動形態、生活環境が変わってきているのは歓迎すべきことだといえる。


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2010年5月5日 水曜日 11:01:23  「連休最終日に寄せて」
 今日で7連休が終わる。いま、自宅マンションのベランダに折りたたみ式のチェアを置き、それに身を預けてこれを書いている。非常に穏やかな天候で、屋外にいて長袖シャツ一枚で暑くも寒くもないという1年中で最も過ごしやすい時季である。昼食の後に好きな本をじっくり読むには最適の環境だと思う。これから梅雨までの季節、あるいは夏の早朝や夕暮れ時、秋にこうした時間を持てれば幸甚である。