裏高尾・蛇滝から南高尾山陵を巡る道
距離:約16km、所要時間:4時間
<通過エリア: 八王子>
[山シリーズ]
| 道幅 | 起伏 | 人通り | 交通量 | 緑 | 風景 | メモ |
| 狭い | 多い | 少い | 無し | 多い | 山と湖の風景 | 津久井湖・城山湖 |
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[南高尾山陵から津久井湖・相模川と南岸の山並みを望む]
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多摩の西部は標高数百mから二千mにも達する山々が幾重にも連なり、春は桜
や新緑、秋は紅葉や落ち葉が、深い渓谷や沢と溶け合って四季折々の豊かな表
情を見せてくれる。そんな中で都心にごく近くて手軽に楽しめる山が高尾山系
だ。一口に高尾山系と言ってもその範囲は広い。高尾山から城山、景信山を経
て陣馬山へ至る標高500〜900mの主脈を中心に、北は深沢山から杉沢ノ
頭、三本松山を経て堂所山へ至る北高尾山稜が、他方南は大洞山から三沢峠を
経て草戸山へ連なる南高尾山稜が取り囲んでいる。それらの尾根道からは山の
風景はもちろん、山裾に広がる武蔵野や相模野の景観を楽しむことが出来る。
とりわけ南高尾山陵の尾根道からは津久井湖や相模川、それにその南岸に広が
る広大な相模の山並みの景観を遠望することが出来る。今回はそんな風景を求
めて南高尾山稜を巡る山旅をしてみたいと思う。ただ南高尾山陵はアップダウ
ンが結構厳しいので、腰を痛めないよう十分注意することが肝要だ。
ここではJR高尾駅を出発し裏高尾へ向う。蛇滝から登山道に入り尾根筋の参
道に上がる。薬王院を経由して尾根道を西進した後、主脈を離れ大垂水峠へ向
う。大垂水峠で甲州街道を越え南高尾山稜に入る。大洞山、コンピラ山、西沢
峠、三沢峠、草戸山と順次、尾根道を反時計回りに辿り、帰路は高尾山口へ下
山することにする。
高尾駅を出て駅前のバスターミナル横から西へ向かう線路沿いの道に入る。甲
州街道は交通量が多く歩道も狭いので避けた方がよい。閑静な住宅街を抜け線
路脇の狭い路地を抜けると中央線のガード下を交叉する甲州街道に出る。ガー
ド下は橋になっていてその下を南浅川が流れている。ガード下をくぐり街道に
沿って70〜80mも進めば裏高尾へ向かう旧甲州街道への分岐点に来る。以
前は古い地名の「小名路」(コナジ)という道標が掛かっていたが、今は「西淺川」
とつまらない道標に変わってしまっている。
現在の甲州街道は小名路から高尾山南麓を経て大垂水峠(オオダルミ)を越え、相模
湖畔に向う道筋であるが、そもそもこのルートは明治時代になってから開かれ
たものだ。それ以前の江戸時代の甲州街道は、今では旧甲州街道と呼ばれてい
るが、この小名路から裏高尾の小仏川に沿う谷筋の道に入り、駒木野関の前を
通って標高548mの小仏峠を越え、相模湖畔へ抜けていた。
風雲急を告げる幕末、江戸城総攻撃のため進軍する東征軍を迎え撃つため、新
撰組の近藤勇、土方歳三は甲陽鎮撫隊を結成し、この旧甲州街道から小仏峠を
越えて勝沼へ向った。しかしながら近代装備の官軍に敗れ敗走、入れ替わる様
に東征軍は小仏峠を越えてこの裏高尾に入り、八王子宿へと侵攻して行った。
東征軍には土佐藩の板垣退助が参謀として加わっていたという。
旧街道に入ると車も少なくつい先ほどまでの甲州街道の喧燥がまるで嘘の様に
静かだ。ゆるやかな上り坂を登る。途中アルコール専門の駒木野病院横を通り、
坂を登りきると右手に木柵で囲まれた駒木野関跡がある。徳川幕府はここを西
方防衛の拠点と位置づけ不審者の出入国を厳しく監視したのであろう。
駒木野関は小仏関とも言う。元々この関所は武蔵と甲州の国境の小仏峠の頂上
にあった。天正の頃、峠では何かと不便ということで駒木野に移された。従っ
て小仏関と言うのが本来の呼び名である。小仏峠にあった当初の関所は小田原
北条氏の関東防衛の最前線の砦として60人の守備兵がその役割を担っていた
と言うが、北条氏滅亡後は江戸に入府した徳川家康の管理下に移った。
下り坂をうねうねと曲がりながら道なりに進むと辺りは次第に鄙びた雰囲気に
なる。ほどなく小さな分校の横に来る。八王子市立浅川小学校の上長房分校だ。
都心からそれほど離れているわけではないのに分校があるとはいかにも裏高尾
らしいと感じさせられる。再び緩やかな上り坂となる。南側から南浅川の支流
小仏川が接近しやがて街道と並走するようになる。対岸は樹林で覆われその中
に一条の散策路が走っている。梅の花が咲く頃には観梅客で賑わう小道だ。裏
高尾は高尾梅郷として知られる所で、季節には川沿いのあちこちに梅林が点在
する。丁度この辺りの対岸には天神梅林がある。ささやかな梅林だが紅梅が綺
麗でとりわけ鄙びた風情がとてもいい。民家の建ち並ぶバス停「蛇滝口」の界
隈には採れたての野菜を直売する農家もある。「圏央道反対」の標語がやたら
目につくが、この付近が建設予定地に入っているためだろう。自然豊かな山里
をやがてはコンクリートで固めた高速道が貫くのかと思うと暗澹たる思いがす
る。高尾梅林を代表する湯の花梅林と老人ホーム浅川清明園辺りに来ると山へ
向う分岐道がある。その分岐道の入口に「高尾山登山口」と刻まれた古い石の
道標が立っている。今は利用する人もほとんどない寂れた登山道だが昔はここ
がメインルートだった。
登山口から右に老人ホーム、左に湯の花梅林を見ながら進む。”湯の花”の名
は昔この裏高尾に温泉が湧き出たことに由来すると聞く。すぐ小仏川に架かる
蛇瀧橋という苔むした小橋の袂に来る。小橋を渡ると登り道に入り、辺りは静
寂に包まれるようになる。小道の左には行ノ沢という小沢が流れ、その傍らに
は自然の成り行きのままに雑木が無造作に重なり合っている。すぐ先に高尾山
蛇滝水行道場がある関係か、粗末ではあるがコンクリート舗装されている。程
なく右手に千代田稲荷大明神の神額の掛かった石の鳥居が現れる。鳥居の奥は
急な石段で見上げると更に小さな赤い鳥居が二つ見える。
千代田稲荷の鳥居の横に立つ由緒書によれば、当神社は太田道灌が千代田城
(現在の皇居)築城に際し守護神として城内に勧請し、後に徳川家康公が紅葉
山に厚く祭ったもので、明治維新の際、信仰厚き女官(滝山)によって城外に
移され、後年神縁に導かれ紅葉山と称せられる当地に奉還されるに至ったとい
う。
まもなく「高尾山蛇滝水行道場」と刻まれた錫杖の形をした石柱の前に来る。
石柱を通り過ごすと小道はS字状に蛇行し、それとともにいつしか沢は右手に
移っている。路傍に佇む小さな坐像姿の石仏二体をやり過ごすと、「南無青龍
大権現」と記された青い幟が林立する水行の神域に入る。道場建屋の下に至る
と建屋の横には石仏三体が並ぶ御堂がある。石仏は薬師如来と正観音、それに
馬頭観音だ。いくつもの蝋燭の火がそえられれいる。前方の岸壁に流れ落ちて
いる水の流れが蛇滝だ。神聖な場所なので一般人は近づくことは出来ない。蛇
滝は高尾にある四つの名滝の一つで、その名が示す通りこの滝には蛇にまつわ
る説話が残されている。
菊地正氏の高尾山説話集「むかしでござる」にこんな話がある。
昔、高尾山を中興した俊源大徳という偉い坊様がいた。ある日、水行に適した
滝がないかと裏高尾を散策していると数人の猟師がなにやら騒いでいる。近づ
いて見ると白蛇を踏みつけて山刀で殺そうとしているところでした。聞けば鹿
を射ようとしていたところ、この蛇が足に噛みついて取り逃がしてしまったと
言う。以前にも同じ様なことがあり、今度こそはこの蛇を殺さないと気がおさ
まらないというのである。坊様は殺生はよくないと幾ばくかの金を渡して蛇を
助けてやった。蛇は大変喜んでお礼に坊様が求めるよい滝に案内しましょうと、
沢伝いに這い進み大きな岸壁をするすると登り始めました。すると不思議なこ
とに蛇が岸壁の上に達するや否や一条の清らかな滝が流れ落ちました。坊様は
水行にとてもいい滝だと大変喜びました。蛇が滝になったことから以後この滝
を蛇滝と呼ぶようになったという。
⇒⇒⇒
昔々の多摩話−蛇滝の由来
神域を抜けると幅1mにも満たない細い山道に変貌する。周囲に広がる入り組
んだ深い谷を見下ろしながら急勾配の山腹を這うように上って行く。緩急繰り
返しながらじぐざぐと急斜面を登り、やがて上の方からカラカラとケーブルカ
ーの滑車音が聞こえて来ると山上はもう近い。峰に上がるとそこは賑やかな薬
王院の参道だ。土産屋が何軒も軒を並べる。有名な蛸杉の横を通り浄心門をく
ぐり赤い燈籠の林立する参道を進む。「南無飯縄大権現」と刻んだ巨大な石柱
の所で参道は男坂と女坂に分岐する。とりあえず走りやすい女坂を採ろう。分
岐道は再び合流しそのまま道なりに進むと薬王院の山門に至る。山門にはすご
い形相をした四天王の持国天と増長天が睨みつけている。境内は参拝客や行楽
客で賑わっている。高尾山頂を目指して境内の石段を上ってゆく。仁王門、飯
縄大権現堂、奥の院(不動堂)を経て、境内を抜けると再び尾根筋の道に入る。
ほどなく高尾山頂の東側直下に至る。ここから先高尾山頂を経由するのもよい
が、休日だと結構混雑するので峰のすぐ下に山頂の北側を取り巻く様に走る5
号路という散策路を採るのもよい。いずれのルートを採るにしても高尾山頂の
西側直下に出る。
高尾山は御岳山と並ぶ多摩の山岳信仰の拠点だ。古来関東の霊山として信仰を
集めてきた。薬王院は高尾山有喜寺といい真義真言宗智山派に属する。遠く奈
良朝の聖武天皇の天平16年(744年)に仏教の布教に努め全国行脚した行
基が開山したと言われている。その後一旦山は荒れてしまったが、永和元年(
1375年)京都醍醐山の高僧俊源大徳がこの山にやってきて、苦行の末再興
したと伝えられている。本尊は大日如来、大日如来に従う不動明王の化身が飯
縄大権現である。飯縄権現は戦国の武将間で大いに信仰された。
高尾山頂の西側直下に来るとそこは幾筋もの小道が交わる山の交差点だ。大垂
水峠(オオダルミトウゲ)へ向うには一丁平への尾根筋の道を採るのが普通だが迂回
路を経由してもよい。結局は再び尾根筋の道に合流する。やがて太垂水峠への
分岐点に来るので道標に従って峠を目指す。うねうねと細い山道を道なりに進
み、一旦道幅の広い大平林道に入った後、再び峠へ下る細い下り道に入る。や
がて下方から車の走行音が聞こえてくる様になる。ほどなく大垂水峠の切り通
しになった甲州街道が現れ、その上を跨ぐ様に人道橋が架かっている。橋の上
でしばし峠越えする直下の車両の様子を眺めるとよい。橋を渡るといよいよ南
高尾山稜に入る。
南高尾山稜に入ると心なしか穏やかな気分になる。「南高尾」という言葉の響
きのせいと思うが、言葉の響きとは裏腹に起伏は結構厳しい。かつてここを走
行していた時のこと、突然右手斜面の視線よりやや上の所に長さ1mばかりの
蛇が身をくねらせながら這うのを目撃して、思わず山道から足を踏み外しそう
になったことを思い出す。断続的に丸太の組まれた急坂を登りきると標高53
6mの大洞山(オオホラヤマ)の山頂に着く。山頂にはテーブルが2つ、ベンチが3
つ並び、一休みするには都合がよいが見晴らしはきかない。道標を見ると梅の
木平へ6.9kmとなっている。大洞山を後にして急登、急降下、林道を左に
やり過ごし、再び急坂を上り詰めると標高514.7mのコンピラ山だ。狭い
山頂には標識らしきものも金毘羅様の祠も何もない。ただ北側に広がる山並み
と谷の風景が美しい。山頂から綱をたぐりながら急坂を下る。鉄塔を左にやり
過ごし樹林の中を道なりに進むと、やがて標高494mの中沢山の頂上下の屈
曲点に来る。テーブルが一つ置かれているので小休止も可能だ。山頂に寄り道
してみると、樹林で囲まれた狭い空間に聖観音菩薩が一体ぽつんと立っている
だけ。残念ながら見晴らしはまるでよくない。引き続き中沢山から西山峠を目
指す。ところがこの途中に壮大な相模野の景観が眺望出来る絶好のポイントが
ある。樹林の中を走行していると突然南斜面の木々が払われて、忽然と眼下に
長々と東西に伸びる相模川と津久井湖が全貌を現す。悠然と蛇行する支流の道
志川もはっきり捉えることが出来る。そしてその南岸には果てしなく広大な相
模の山並みが展開し、まるで相模の地図を足元に広げて眺めているようなそん
な錯覚に陥る。まさに天下一品の眺望と言える。しばし足を止めてまたとない
絶景を心ゆくまで楽しむとよい。
間もなく西山峠に至る。樹木に囲まれた暗い峠だ。峠からは山下方面への分岐
道が出ているが無視してそのまま進めばよい。やがて標高475mの泰光寺山
に来る。ベンチが二つばかりあるが見晴らしはあまりよくない。手摺の綱を持
ちながら丸太組の急坂を下り、更に進むとやがて幾つもの道筋が交差する馬の
鞍部の様な広い空間に出る。ここは三沢峠、あるいは別名追分峠とも呼ばれる。
追分の名が示す通り、峠に立つ道標を見ると、梅の木平への道、草戸山・城山
湖へ向う道、それに峰の薬師から津久井湖へ抜ける道など様々だ。まさに山の
交差点と言える。峠は樹林で囲まれて見晴らしはきかないが、ほっとする広い
空間でテーブル付きのベンチもあるので一休みするには丁度いい所だ。
三沢峠を後にし草戸山への道に入る。猪が出没するせいか以前は確か「猪に注
意」の立て札があった。峠近くの標高420mの榎窪山を過ぎ、幅広の比較的
平坦な尾根道を進むと右手に「ふれあい休憩所」という吾妻屋がある。吾妻屋
から山裾を遠望すると真っ青な水をたたえた湖が姿を現す。城山湖だ。この湖
は津久井湖と協調しながら発電を行う本沢ダムのダム湖なのである。ここから
はしばらくアップダウンの激しい尾根道が続くが、樹の間に見え隠れする城山
湖が目を楽しませてくれる。ただ草木が邪魔して容易に湖の全貌を見せてくれ
ないのは残念だ。
城山湖本沢ダムは昭和40年11月完成した高さ73m、長さ234mのロッ
クフィル形式のダムだ。ダム湖の面積は0.21ku、水深28m、総貯水量
3,835千m3だ。津久井湖の水を湖面差185mもあるこの湖に揚水し、再び津
久井湖に落として発電している。そのために1日28mも水位が変化する。
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[草戸峠から望む高尾の山並み風景]
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やがて標高365mの草戸山に着く。山頂は明るく「松見平休憩所」と称する
櫓状の休憩所がある。櫓に上がれば城山湖もまずまず望めるので一休みするに
は適当な場所だ。山頂は三叉路になっていて、道標を見ると東へ下る道は大地
沢青少年センター、北へ向かう尾根筋の道は草戸峠・高尾駅となっている。そ
してその分岐点には山之神を祭る小さな祠が立っている。草戸山を後にして丸
太もどきの素材で組まれた急坂の階段を下り降り、再び急坂を登ると標高34
7mの草戸峠に着く。峠の西側は大きく開け高尾山系の山並みと谷々の眺望が
一望の下に見渡せる。峠は三叉路になっていて道標には大地沢青少年センター
への道、四辻・高尾駅への道、それに今来た草戸山方面となっている。草戸峠
はその昔甲州街道の裏道として旅人の往来のあった峠と伝えられている。
相原町大戸から大地沢青少年センターを経て草戸山を越え、上椚田案内、千木
良、小原を経て甲州街道に出る道筋は、その昔、武州と甲州を結ぶ間道として
旅人に大いに利用されたという。江戸時代、まっとうに表街道を歩けない輩共
が監視の厳しい旧甲州街道の小仏関を避けて、この草深い草戸峠越えの道筋を
通ったと思われる。もちろん見つかれば市中引き回しのうえ磔になるのは必定
だ。関所破りの刑場は今の甲州街道と旧甲州街道との分岐点「小名路」辺りに
あったと言う。
峠を後にし四辻・高尾駅方面を目指す。梅の木平への分岐道を左にやり過ごす
と、右側に粗い有刺鉄線を張ったフェンスが現れる。フェンスの中は拓殖大学
の構内だ。ほどなく新旧2基の鉄塔下に来る。旧鉄塔は尾根道を跨いでいるの
でまさに鉄塔の股の下をくぐり抜けることになる。この後、何度も何度もアッ
プダウンを繰り返しつつ尾根道を進む。終盤で疲れもたまってきているので少
々きついかもしれない。やがて「四辻」の分岐点に至る。名前の通り四辻にな
っていて、道標を見ると、左に折れる道は「甲州街道・高尾山口」、真っ直ぐ
進む上り坂は「高尾駅」右斜めへ向かう道筋は特に道案内はない。多分この先
の墓苑に出る道なのであろう。道標に従って左に折れ「甲州街道・高尾山口」
へ向かう。たちまち草生す細い下り道となり、下って行くとやがて鬱蒼とした
樹海から抜け出し、割烹「橋本屋」の裏手に出る。橋本屋を回り込むとようや
く賑やかな甲州街道に出る。街道の筋向いは鳥居があって高尾山の表参道にな
っている。
帰路は高尾山参道に立ち寄って家族の土産に名物「高尾饅頭」でも買って帰る
とよい。高尾山口駅から京王線に乗るのもよし、あるいは余力があればJR高尾
駅までぶらぶら歩いて帰ってもよい。
多摩のジョギング道 ( http://homepage3.nifty.com/k_harada/ )