仙川水辺の道
距離:約15km
<通過エリア:三鷹、調布、世田谷>
[川シリーズ]
| 道幅 | 起伏 | 人通り | 交通量 | 緑 | 風景 | メモ |
| 狭い〜普通 | 無し | 少ない | 無し〜普通 | 普通 | 住宅街の水辺の風景 | 丸池 |
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[仙川の水源の一つと言われる丸池の風景]
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北多摩の東部を三鷹、調布、世田谷と多摩の都市部の住宅街を南東方向へ流れ
る川がある。川の名を仙川と言う。仙川は野川の支流で、源流は意外にも遠く
小金井市貫井町北町の東京学芸大学辺りに端を発している。その後の仙川はう
ねうねと小金井を東流した後、武蔵境で中央線の南側にまわり三鷹市内へ入る。
三鷹からは調布を経て世田谷に入り、同鎌田で野川に合流した後、二子玉川の
兵庫島付近で多摩川に注いでいる。全長20.9kmの川だ。ただ開渠となっ
て水辺の道を辿れるのは、三鷹市内中央部を東西に貫く人見街道上の野川宿橋
からである。
仙川の名の由来はこの川床に釜の様な形をした湧水の噴出孔が多数あったこと
から千の釜、千釜と呼ばれ、それが訛って後に仙川と呼ばれるようになったと
言われる。現在も丸池と称する千釜の名残の湧水池が残されている。
ここでは中央線三鷹駅から野川宿橋に向かい、野川宿橋から仙川の川筋に沿っ
て水辺の道を野川との合流点まで下る。後は野川沿いに多摩川合流点の兵庫島
を目指す。帰路は最寄の東急田園都市線二子玉川駅とする。
JR中央線三鷹駅の南口に出る。賑やかな駅前通りを南へ100mも進めば桜
通りと交差する。かつて桜並木の綺麗な桜川が流れていた川筋を暗渠にして造
られた通りであることからこの名がある。左に折れて桜通りに入り道なりに進
むとガソリンスタンドENEOSの所で南北に走るむささき橋通りに合流する。
むささき橋というのは、この通りを北に辿れば玉川上水と交差する所があり、
そこに架かる橋の名をむらさき橋ということからきている。人気作家太宰治が
愛人の山崎富栄と入水自殺した付近としても知られている。むらさき橋通りを
南に向う。連雀通りを横切り更に南へ向うとやがて交差点「JA東京むさし三
鷹農協店」で車の行き交う人見街道に出る。人見街道の名は府中の人見ヶ原に
通じる道であることからこの名がある。左折して人見街道を東に向う。街道に
沿ってレストラン「ガスト」「華屋与兵衛」、三鷹消防署を順にやり過ごすと
「野川宿橋」というこじんまりした橋の袂に来る。橋の下には川が流れていて、
北側の川筋は細い堀の様、南側は川幅も広く両岸の道も整備された川筋になっ
ている。この流れが仙川で水辺の道はここから下流方向へ向けて始まる。野川
宿橋のすぐ下を覗き込むと護岸の傍らの川床から綺麗な湧水が噴出しているの
が認められる。
野川宿橋の袂に仙川の整備についてこんな風に記されている。
仙川は勝渕神社付近より下流に豊富な湧水源があります。この橋の下より湧き
出ている水は、水の少ない上流部の清流復活のため、水循環施設によって「仙
川樋口取水場」より、ここ野川宿橋まで約1.6kmをポンプにより送られて
いるものです。
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[紅葉が映える晩秋の仙川公園]
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水辺の道は左岸でも右岸でもよいが、とりあえず左岸の道を採ることにする。
古いコンクリート製の長久保一之橋、ニ之橋の袂を過ぎると品川大橋で広い東
八道路と交差する。東八道路は国立辺りから久我山辺りまで、ほぼJR中央線
に平行して走る道幅の広い車道だ。東八道路を渡ると川筋は南東方向へ転じる。
長久保三之橋を過ぎ長久保橋迄と来ると両岸には瀟洒な仙川公園が広がる。公
園は人道橋の長嶋橋を挟んで次の上仙川橋辺り迄約100〜150m程の範囲
で広がっている。晩秋の頃の左岸は紅葉が見事でことのほか美しい。右岸の園
内には北村西望作の平和の像が立っている。説明板によれば三鷹100周年記
念事業として設営されたものという。またそれとの関連か、アンネ・フランク
のバラも植えられている。仙川公園を後にすると川筋はゆったり右方向に曲が
り、やがて稲荷橋の袂にくる。橋自身は何の変哲も無い平凡な橋だが左岸は林
のある小さな丘になっていて、この付近の静かな雰囲気が心地よい。
この辺りを走行中のこと、大きな写真機を固定して腰をおろして川面を見つめ
る写真家と思しき男性とすれ違ったことがある。振り返って川面を見ると長さ
1mばかりの小枝が水面上に突き立っている。なるほど川魚を狙うカワセミ等
の野鳥の格好の狩猟場になっているのだとわかり、写真家が適格な撮影ポイン
トを選定していることにしきりに感心したものでした。
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[柴田勝家の兜を埋めたという勝渕神社]
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程なく勝渕橋に至る。この先水辺の道は両岸とも一時的に途切れてしまうので、
橋の袂で左に折れる。すぐ傍に鳥居が立っているのは勝渕神社だ。本来水神を
祀る神社というが、本殿右手奥にある柴田勝家にゆかりの兜塚でよく知られる。
境内の方隅には稲荷大明神の小祠もあり、先の稲荷橋の名はこの稲荷社に由来
するのであろう。道を挟んで勝渕神社の筋向いには真中に池のある小さいなが
らよく整備された公園になっている。新川丸池公園といって仙川の湧水地の一
つだ。かつては仙川の水源ではないかとも考えられた所だ。丸池は最深部でも
1.5mほどで、真中には猫の額ほどの広さの中島がある。勝渕神社と丸池公
園を含む一帯は明るいのびやかな丘を背景にしていて心の和む風景になってい
る。
勝渕神社がいつ創建されたかよくわからない。水神である水波能売命(ミズハノメ
ノミコト)を祀るという。境内には戦国武将柴田勝家の兜を埋めたという兜塚があ
る。勝家十世の子孫勝房が寛政8年(1796)に記したとされる古文書があ
り、それによれば、柴田勝家は織田信長亡き後、羽柴秀吉と天下を戦って破れ
越前北の庄で自刃したが、勝家の孫柴田三左衛門勝重は家康に仕え、関ヶ原や
大阪の陣での功績により、元和元年(1615)仙川郷を知行した。そしてそ
の勝重が自害した祖父勝家の兜を勝渕神社に祀ったという。兜はその後神社傍
らの樫の木の根元に鎮められ兜塚と呼ばれるるようになった。現在の兜塚は昭
和63年に建立整備されたものである。その後の仙川郷は勝重、勝興、勝門と
3代にわたってこの地に住まいした後、元禄11年(1698)三河の国へ移
って行き、仙川郷は幕府直轄の天領になったという。
丘を左に見て住宅街に入る。住宅街中程の左手には三鷹市遺跡調査会の展示室
がある。住宅街を抜けると島屋敷通りとなり、谷端三の橋(ヤバタ)で再び仙川
水辺の道に復帰する。島屋敷とは奇妙な地名だが、この島屋敷通りを200m
ばかり西へ行った新川団地一帯辺りは島屋敷と呼ばれ、中世の城館跡と言われ
ている。中世武蔵七党の村山党の金子氏の居館とも、あるいは先の勝渕神社に
兜を祀ったという柴田勝重の陣屋跡とも言われているようだがはっきりしない。
谷端三の橋の袂でたまたま散歩中のおばあさんに呼び止められたことがある。
私が仙川沿いを走っているのだと云うと仙川の上流部がどんな風になっている
のかしきりに尋ねてきた。78歳ということだが品のよさそうな婆様でとても
そんな歳には見えない。話し好きとみえてこの界隈のことをあれこれ話してく
れた。婆様によれば婆様が若い頃は勝渕神社の横の丸池付近は鬱蒼とした林で
若い娘などはとても近づくことなど出来なかったということだ。
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[戦国時代の城跡と伝える天神山]
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次いで谷端ニの橋を過ぎると左手には雑木林で囲まれた標高差10mばかりの
丘が現れる。その向こうには中央自動車道が仙川を跨いでいる。この雑木林の
丘は地図では天神山となっている。天神山城址とも言われ、かつてここに戦国
前期〜中期のものと思われる城か砦かがあったとされている。林立するコナラ
の中にベンチだけが置かれた静かな静かな公園だ。丘から仙川を見下ろすと、
高速道のすぐ手前で川面から大きなパイプがにょっきり顔を出している。上流
部の野川宿橋下の湧出孔へ導水する仙川樋口取水場というのは多分このことな
のだろう。高速道のガード下をくぐると天神山通りの東一之橋だ。この辺りは
市境で三鷹から調布へ入ることになる。
ここで一旦左岸の道は通行不可になるので右岸に回る。千羽橋辺りに来ると、
対岸左岸の住宅街の向こうに赤煉瓦の建屋が目に入る。白百合女子大の学舎だ。
中条橋を過ぎ緑橋迄来ると瀟洒な仙川遊歩道に変身する。弁天橋で白百合学園
通りを横切ると、水辺の道は林で包まれた静かな丘の裾を走る様になり、対岸
は大規模な都営住宅緑ヶ丘団地となる。宅添橋、柳川橋を後にすると仙川橋で
激しく車両の行き交う甲州街道に出る。
甲州街道を横切ると今度は調布から世田谷区に入る。右岸の道は塞がっている
ので左岸の細い小道に入る。次の大川橋で再び右岸に回る。京王線のガードを
くぐり小さな給田公園を右にやりすごすと宮前橋の袂に来る。橋の上にはシッ
クなデザインの灯篭風の柱が立ちなかなか趣のある橋だ。宮前という名から想
像される様に橋の通りを右に見ると100mばかりの先に神社がある。六所神
社と言う。
六所神社の創立年代はよくわからない。天文年間(1532〜1554)、府
中六所宮(現大国魂神社)の分魂を勧請して奉斎したという。
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[稲荷橋から見る仙川の風景。]
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黒橋(人道橋)、みどり橋、祖師谷中橋(人道橋)を過ぎると左岸は高いネッ
トの張られた駒大球場だ。やがて車道の通る宮下橋の袂に来る。右手坂道の横
の丘の上には上祖師谷神社が見える。江戸時代からの上祖師谷の鎮守という。
神社横の坂道の車道は滝坂道と呼ばれた街道だそうだ。やがて緑色をした瀟洒
な人道橋せきれい橋に来ると仙川の両岸にはきれいに整備された都立祖師谷公
園が広がる。鞍橋(クラハシ)で公園に別れを告げ、相変わらず右岸の道を進む。
大石橋(ダイジバシ)、青い稲荷橋を過ぎると川はゆったりと左へ蛇行し辺りは
鬱蒼とした木々で覆われる様になる。すぐに川筋は一転右へ蛇行し、そこにさ
くら橋という人道橋がある。この辺りに来ると水量も豊かでとても気持ちがい
い。右岸に沿って成城学園の大きなグランドとその向こうに学舎が広がる。学
園の一部は左岸にもあるのか両者をつなぐ学内陸橋の下をくぐる。次の東原橋
で学園敷地は終わりとなり小田急小田原線のガード下をくぐることになる。
竜沢寺橋(リュウタクジバシ)を過ぎ、打越橋まで来ると右岸は通行出来なくなるの
で左岸へ回る。橋の袂に仙川の説明版があり、仙川が学芸大学起点の全長20.
9kmの川であることが示されている。続いて日曜大工センター、東宝成城住
宅公園横に来ると、この付近からは見事な桜並木となっている。一の橋を過ぎ、
祖師谷通りの石井戸橋、大蔵水道橋という水道通りに架かる古い石橋に来る。
橋の袂には石橋供養塔が1基、鉄柵で頑丈に保護されて残されている。供養塔
の下部には三猿が刻まれており庚申塔を兼ねているのかもしれない。やがて自
動車が激しく往来する世田谷通りの大蔵橋に出る。橋上から下流方向を眺める
とすぐ右岸に高さ3〜4mの大きな仏様が背中を見せて立っている。ここは妙
法寺でおおくら大仏として知られているところだ。一方左岸には公社大蔵住宅
のアパート群が広がる。仙川は大きく右へ蛇行する。上谷戸橋、あたご橋、中
之橋、清水橋と過ぎると東名高速道路のガード下に来る。仙川もいよいよ下流
域となり野川との合流点も近い。
新打越橋を過ぎ氷川橋まで来ると左岸には自動車教習所が平行する。と同時に
仙川に沿ってぴったり並走する川が現れる。川は水神橋までくると仙川から離
れ東流してゆく。この川は丸子川といい、あたかも仙川が分岐した支流の様に
見えるが、実際はそうではなく仙川とは別の流れで水源は世田谷区大蔵三丁目
辺りの湧水という。引き続き鳥居橋、砧南中裏の田中之森橋を過ぎると、つい
に仙川は鎌田橋をくぐった所で野川にほぼ直角に注ぎ込んでいる。仙川水辺の
道はここで終わる。後は野川に沿って最寄の二子玉川を目指すだけだ。
野川の左岸に沿って走る。青い水道管の通る野川水道橋、次いで吉澤橋を過ぎ、
自動車教習所を右にやりすごすと、右手に広大な多摩川の河原風景が広がり、
前方に大きな新二子橋が目に入る。この辺りの左岸の道は車道と歩道との区分
がなく、しかも車両の数も多いので十分注意しょう。ゆったりと左にカーブし
新二子橋の下をくぐると、東急田園都市線の鉄橋が見えてくる。その直下には
兵庫島があり、ここで野川は多摩川に合流している。後は玉川通りに出れば二
子玉川駅はもうすぐそこだ。
多摩のジョギング道 ( http://homepage3.nifty.com/k_harada/ )