それもまた人生・・・
人生体験が主内容ですが、八王子市松が谷と京王線も紹介します。

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 Xデー・そして

2000年10月8日、その日私は1人で東京都内をぶらついていた。公務員試験に無事合格内定して間もないころである。なんとなく、頭の周りがフラフラしていた。そして、脂汗をかいた。

帰宅後風呂に入る。おかしい。
好物のカレーライスもままならない。
でも、両親の前では普通に接するように努めていた。

しかし、胸のバクバクが激しく襲ってきて、フラフラもひどくなった。ついに、耐えきれなくなり、救急車を呼んだ。

運ばれた病院で脳の検査を受けた。
「死ぬかもしれない」
そんななかの15分はとてつもなく長い孤独の時間だった。

「脳梗塞だろうか?脳腫瘍?」
「それともまさか急性白血病だろうか?」
「心筋梗塞?」

冗談抜きでそのようなことが頭をかけめぐった。
しかし、その日はなんでもないということで帰された。

翌10月9日、家で1人重力に押しつぶされたように寝ていた。暗くなるにつれ、またあの感触がやってきた。
そして、今度は脱力感を伴った。

「死んでしまう」
「こんなとこで死ぬのはやだ」
「俺の人生まだ20数年しか生きてない」

心配な表情を浮かべる両親を乗せた救急車のなかで、とにかく死なないよう、歯をくいしばった。

病院に到着して医者の登場。なぜか少し、いや、かなり落ち着いた。
ソラナックスという薬を飲んで、入院することとなった。

目の前に迫っていた楽しい北海道旅行が消えた。


 入院生活

気づいたら翌朝、朝飯が出た。
「病棟だ」

まさかこんな歳で入院するとは夢にも思わなかったことだ。

朝飯が終わると今度は点滴が始まった。
そして昼飯。
こうして入院生活は始まりを告げる。

それにしても入院していると、本当に暇である。6人部屋で1番窓側のベッドに通された。窓側とあって、空はよく見える。

看護婦が点滴を打ちにやってくる。
それが終わると、ひととおりの検査が始まった。
脳から心臓、血液、尿など数えればきりがない。
肺活量の検査もあった。

そんななか、毎日のように脱力感が必ず襲ってくる。
ある日、息が苦しくなった。「もう死にそうだ」真面目に思った。だけど、看護婦はほとんど相手にしてくれない。こっちは、気を失いそうなのに・・・。

入院生活はまだまだ続く。

入院生活も1週間が過ぎ、周囲の患者たちは、だんだん回復してなかには、退院の見えてきた人もいる。
そんななか、私は原因不明の病に苦しんでいた。

何もかも検査して、どうしようもなく、最後の検査、腰に注射と思われるものを打った。ついに・・・。とてつもない脱力感に襲われ、昼飯がまともに食えなかった。
その夜、ついに歩けなくなった。尿瓶生活の始まりである。

「いつ死ぬか」

ただそれだけだった。
明くる日、ついに暴れた。死にたくなかった・・・。

入院して10日ばかり、病院が変わった。

家から遠くなったが、環境が変わって少し落ち着いた。以前のような
「いつ死ぬか」
という思いが薄れていった。脱力感がなくなった。

それでも、常にフラフラしている状況に変わりはない。

4人部屋の一般病棟で正直、飯は前の病院よりも良かった。今までと違って、歩くこともできたし、毎朝売店で買うスポーツ新聞がいい時間つぶしになった。テラスなんかもあって、そこで新聞を読むこともあった。
ちょうど日本シリーズの時期で夜はテレビにみんなかじりついていた。

ところで、肝心の病気だがはっきりしない。
ただ1ついえることは、内科的に診て、異常はないということだった。

こうして11月1日、退院した。


 

【退院後就職まで】
退院したはいいものの、フラフラ状態に変わりなかった。風呂に入ると自分が自分でない感覚に襲われた。
やっぱり怖かった・・・。

そんななか、両親がある病院の医者の書いた本を見せる。「パニック障害」という病気である。早速電話して、11月14日に予約をとった。

その前日、最大の難関をむかえた。内定先の健康診断だ。当然1人で電車には乗れない。
したがって、タクシーを予約して両親同伴で会場まで行ったのである。
そして、1人になった。

久しぶりというか初めて同期と顔を合わす。
「なぜこんなときに・・・」

検査は病院で経験しまくっていたので、注射を周囲は嫌がっていたが、ほとんど手馴れたものだった。
その後、職員課長の話を目の前で長々と聞かされる。フラフラのなか・・・。そして、制服の採寸もあっていやになった。

3時間にわたる拘束になんとか耐えて、病気でないように見せて・・・。終わるとダッシュでトイレにかけこんだ。みんなが帰ったのを見計らって外に出た。

両親に付き添われ、家路についた。

翌日、待ちに待った初診である。そこでついに「パニック障害」という診断を受けた。メイラックスとデプロメールという薬が処方された。
もちろん、2003年6月現在でも服用している。

この病気は、簡単にいえば、神経の誤作動によって起こるものであり、いったん薬をやめると再発する可能性が高いからである。

両親による早期発見のおかげで1ヵ月後の12月17日には、1人で電車に乗って山梨県の甲府まで行って帰ってくることができた。
「これでまた鉄道で旅行ができる!」

入院していたときに何度も思い浮かべた夢が現実になり、本当に嬉しかった。
そして、翌2001年3月には1人で6泊7日の九州旅行ができるまで回復した。

両親に感謝である。そして4月1日、職に就いた。


<写真上>
撮影日:2006年10月8日(日)、13:25頃
秋晴れの素晴らしい天候でした。遠くに富士山が見えます。

<写真下>
撮影日:2004年11月27日(土)
大塚公園脇の紅葉です。1度掲載しましたが、松が谷の風景としてこちらに残そうと思います。


 

【職場/そして今・・・】
最初の2ヶ月はなんとか普通に働くことができた。
と書くとおわかりかもしれないが・・・。

6月の半ば、同じ担当で仕事をしていた同い年の先輩に夜9時まで残され、説教され続けた。悔しさに見えないところで八つ当たりしていると、ヤツがやってきて、
「悔しいならそれを仕事でぶつけてみろ」

一生懸命やってきた自分の気持ちが切れてしまった。その後休みを重ねるようになり、7月半ばついに1ヶ月の病欠を余儀なくされることとなった。

8月10日ころから復帰。お盆も過ぎたころ、再びヤツに呼び出され、上司の見えないところで午前中いっぱい説教され続けた。

「お前はいらねえ」
「お前はいったい何なんだ」
「ここで辞めて就職活動したとしても誰1人お前を認めるやつはいないだろうな」

そんな内容のことを言われ続け、さらに11時過ぎてからは30歳の先輩も加わり、2人に取り囲まれた。
「やる気あんのかよ」
「え、コラ!」
「人を怒らせるのがうめぇな、お前はよ!」

そして私はついに切れた。上司のいる前で暴れるしかなかった。八つ当たりの連続で指をケガした。

その後も2人から侮辱の言葉が続き、9月に入ってまた病欠を余儀なくされたのだった。

このころは本当に地獄だった。
自分に自信を持てなくなり、弱っていく心。
人事にも係内で起こった事実を全て話した。

10月復帰。その後は仕事の量も減らされたがなんとか3月まで耐えた。

そして2人の異動が決まり、地獄の日々は終わった。

それからの2年はまがりなりにも助けられながら自分で担当を持って仕事をやった。
甘いかもしれないけど・・・。
2004年4月、3年間お世話になった職場を異動することとなり、現在は第2の職場で働いている。

人は人に助けられて生きている。
本当に実感できる。
支えられて、そしてあるときは支えて。

1人では生きていけないのだ。
だからこそ、「感謝」の気持ちは忘れない。
そして、言葉で表さなければならないと思う。

ここまでの短い人生ではあるが、振り返ってみて思うことは以下の一文なのかもしれない。

そう、人はただこの大地に生きてるだけで幸せなんだ。

そう思いたい。

ただ、心からそう思えることは少ない。
それでも、限りある命だからこそ、思いがけないきっかけでそう思えるときがやってくる。生きていることへの感謝。そして、生かされていることへの感謝も。

追記
この病気は命に関わる病気ではないので安心してください。したがって、気を失うことはないのです。


2005.12.25追記
ここ最近、B型の自分にしてはいろいろな場所へ行った。いやでもそういう時期である。
以前からそうであったが、束縛されるのが嫌いな性質で休みの日は1人行動がほとんどである。趣味を思う存分楽しんだり。
しかし、最近ときに寂しいと思うことがよくある。
やはり人、いや、生き物は単独では生きていけないということなのだ。それはこのHPを立ち上げた時、上に書いてある。

このたび、HPがめでたく10万を達成できた。すごく嬉しいことであり、みんなに感謝している。しかし、それまでに犠牲にしてきたことが少なからず存在する。ときには精神的に滅入る出来事もあった。
これを契機に少しライフスタイルを変えてみようかと思っている。ただ、思っているだけでなかなかそれを実行に移すのが難しい。
実は今のHPに8月初めに宣告があり、近々重大発表を予定している。HPの運営もすばらしくいい状態だ。それを維持していくための準備も考えねばならない。
二兎を追う者一兎をも追えず・・・。

今でも充分幸せだ。幸せでないとしたらバチが当たる。ただ、欲望はぐるぐるまわるものであり、そんなところで、JR全線走破はしばらく見送るかもしれない。残り1路線にして。

今の自分には大きな目標など偉大なものはない。正直、日々を普通に生きる努力で精一杯だ。きれい事を言うのも社会人1年で嫌になり、バカらしくなった。
そんなヤツだ。

それでも何かしら変われる部分があるのなら・・・。ALIVE


<写真上>
撮影日:2006年10月8日(日)10:37、笹塚
都営新宿線直通急行に運用されている6000系10連です。6043F+6433F(8両+2両)の組成が本八幡へ向けて地下へ入るところです。

<写真下>
撮影日:2006年10月8日(日)16:03、京王多摩センター
同じく6043F+6433Fの10連です。6043Fはシングルアームパンタに・・・。

2006年9月1日のダイヤ改定で、昼間の急行も10連で運転されるようになりました。2006年10月現在は6000系と新鋭9000系(30番台)による運用です。今後は9000系化されていくと予想されるので、6000系の撮影は早めにしておこうという面持ちです。
急行停車駅を記しておきます。

橋本・南大沢・京王多摩センター・京王永山・京王稲田堤・調布・つつじヶ丘・千歳烏山・桜上水・明大前・笹塚・幡ヶ谷・初台・新宿・市ヶ谷・神保町・馬喰横山・森下・大島・船堀・本八幡


 

【風景/八王子市松が谷】
父親の実家があったところで、子どものころは正月3・4日とお盆の時期に両親に連れられていったものです。
行きは京王線の聖蹟桜ヶ丘、帰りは京王相模原線の多摩センターがパターンでした。
車両も6000系が304両フル稼働していたころで、それ以外の車両には乗ったことがないという時期でした。
今では8000系がメインとなり、9000系も製造され、6000系の廃車が始まっています。

鉄道の話にそれてしまいましたが、今では私が1番お墓参りに行っている状況です。何かあるとここへ来た。また、行きたい気分になると行く。そんなところです。

そこで、あえてこのページを使って風景を紹介していきたいと考えるようになりました。
1枚ずつですが、時折更新しますので、どうぞご覧ください。

※2005年8月から京王線の写真も1枚加えました。
※2006年10月9日、松が谷と京王線の写真を2枚ずつ増加しました。

<写真上>
撮影日:2005年8月14日(日)11:55頃、聖蹟桜ヶ丘
準特急に運用される6000系です。編成は6023F+6024Fの10両です。廃車も進む中、いつも下車する駅でこうして活躍の姿が見られるのは嬉しいことです。
聖蹟桜ヶ丘手前からカーブが続き、望遠で1度入線してくるところを撮ってみたいと思い、実行した1枚です。
2006年9月1日のダイヤ改定で土曜・休日の昼間は、「準特急北野」行きと表記され、北野〜高尾山口は各駅停車として走行するようになりました。(2006年10月8日現在)

<写真下>
撮影日:2001年8月13日(月)
この頃、このページの上に書いたとおり、心が病んでおりました。そんな折、ふと八王子市松が谷へなんとなく足が行き始めたのもこの時期からでした。
そして、oasisの名作に出会ったのもこの年でした。
今ではふと気が向いたときに、お墓参りも兼ねてこの風景を眺めつつ、音楽を50分間ゆっくり聴きます。先の見えなかった自分を支えた12の楽曲を・・・。


 リンク集

 †Sanctuary†
管理人様の強い意思により、2004年10月24日をもってサイト閉鎖となりました。違う形での新設は、もしかしたらあるとのことです。
 ちえぴょんの「ココロの止まり木」
私と同じ地方公務員の方のサイトです。パニック障害・鬱についての体験記、そして悩みぶっちゃけ掲示板が設置されており、悩みを抱えている方は必見です。家族の頁や管理人様のサイト運営に対する意気込みは私も頭が下がる思いです。
 レアルしぶしぶ
前HP「ウッハ!柏」からリニューアル!大のサッカーファンの友人によるサッカー談義&フットサルチームの活動について掲載されています。
 エピスの部屋
大阪界隈の紹介、旅の写真館、名曲ランキングの開催など「親しみ」を感じさせるサイトです。これからの発展が期待され、意外な発見があるかも。


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