2005年11月30日(水) もらったのはいいんだけど。
今日は給料日。といっても仕事があるし、手渡しで貰っている俺は会社に取りにいくわけにも行かず(給料を出するのは派遣会社。派遣先がくれるわけじゃない。俺の手元に来るまで2つも会社を経由してくるから上前をはねられ、他の社外工会社の工員に比べても給料は2、3割目減りしている)、仕方ないので持ってきてもらった。
噂に聞いていた“功労金”というやつ、貰ってしまった。
派遣社員数千人(今や俺の派遣会社は全国規模だから恐らくもっといるだろう。ひょっとすると登録者数は万を超えるかも知れない)の中で、貰えるのは2,500人。もちろんこれは全体の話ということで、感覚的にそんなに沢山の人間は貰えないようだ。一応、俺ってこれでも優良社員なんだね。というか、単に使いやすい奴ってだけなのかも知れないが。
それでもまあ、数万の功労金があったので嬉しくないわけがない。今月は意外と給料が多かったこともあって、当初予定していた額をかなりオーバーしている。嬉しい誤算。
もっとも、だからってあれもこれもと買うわけにもいかず、帰りに必要なもの、予約していた本なんかを買ってきたに過ぎない。
12月は1日は『モンスターハンターポータブル』、8日には『ローグ・ギャラクシー』と買うゲームソフトがある。まあ、ローグ・ギャラクシーのほうはやる時間はないと思うが(勿体ないなあ)。
他に買いたいものもないし(買おうとすれば全然足りないし)、どうせ引き落としで何時もきついから、少しでも余裕を持たせる為に大半を銀行に預けることにした。
今日はこんな思いがけないラッキーが幾つかあった。仕事も久々に上手くいった(個人的にまずいなあと思ったところがなかった、ということ)し、会社の連れと一緒に買っていたチョコエッグの日産シリーズで、全然気にもとめていなかったシークレットの脱兎号が当たるし(でも必要ないんだよな)、ああ、ついでに宝くじも買っときゃ良かった。宝くじは休みの日だな。それまで運が持ってればいいが。
さて、明日から12月なので、実際のところ、この一日一言を本格的にブログに移行する良いチャンスかも知れないと思っている。
ブログ版の一日一言〈ココローグ〉を本格的に日記用にして、一応過去ログはココログのほうとは別に今のようなページを設ける予定。二度手間になってしまうが、遊んでいるブログや軽サイトがあるのも勿体ないし、まあ、取り敢えずはそれでいいんじゃないかと思う。
明日から、は無理かも知れないが、少なくとも来週月曜くらいからは実験的にやっていきたいね。出来ればサイトのリニューアルもその頃にアップさせたかったが・・・これはちょっと無理そうだ。
気張らないと師走は何かと忙しいんだよな、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月29日(火) 作品の背景を読む必要
昨日の続き。
作品が描かれるには当然、作者が思想や社会的背景を糧として構想が練られているはずだ。実はSF、ファンタジーであっても現代社会の影響を全く受けていない作品はほとんどといって良いほどない。
現代社会の影響というのは、作者が生きている時代背景のことだ。実際のところ、これが盛り込まれているからこそ、どんな作品であろうとも同じ世代の人間に共感をうるのである。
もちろん、普遍的な要素もあって、過去のどの時代の作品だったとしても現代人に様々な影響を与えるものだって少なくない。いわゆるクラシック作品、名作と呼ばれるものたちだ。
しかし、それが描かれた時代背景を知ると知らないとでは、作品に対する理解度という点においては全然違う。昭和初期に書かれた作品が幾ら普遍的なテーマをはらんでいるとしても、現代と相いれない点が少なからず出てくるのは、致し方ないのである。
昨日の内容と同じく、俺はずっと、作品を理解する為には、それが描かれた時代背景や作者の思想、周辺の状況等も理解する必要があるのかどうか、ずっと考えていた。
確かに昭和、或いは10年前、5年前であっても今この瞬間とは時代が違う。その時に起こった事件、大きな出来事等、時事についての知識はある程度は必要かも知れない。
美術、イラストだけではなく、絵画、彫塑全般のことであるが、そういう分野では、この背景を理解するという努力は必要な作業である。少なくとも視覚的な理解しか得ることが出来ない美術にとって、作品を理解する為の前知識はどうしても必要だ。
しかし、それは小説にも当てはまるのだろうか。確かに作品にはそれが描かれた時代背景や作者の思想が盛り込まれていることは間違いないが、そういう知識がないと本当に作品を理解したことにはならないのだろうか。
実は前の俺は、やっぱりそういう背景についての知識がないと本当の深い理解は得られないだろうと思っていた。
だが、今は逆にその必要はないだろう、という考え方に傾きつつある。例えノンフィクションで何時の時代に起こった事実を元にしているからと行って、実際の事件そのものの知識がどれほど必要だろうか。
ノンフィクションといえども作者の思想が入っている、というのはいつぞやここで書いたことがある。俺はノンフィクションだからって特別視はせず、単にそれが歴史的事実に基づいているという点だけが違うと思っているに過ぎない(細かく言えばちょっと違うが)。
下で書いた通り、少なくとも小説は作品のみで完結するのが理想であり、普通はそうする。特別な資料を別に用意しない限り内容が理解出来ないような小説は、要するに単品で存在出来ないことになり、全くのナンセンスだ。
その延長で考えれば、作者が作品を創作した時代背景やその時の思想について、特に拘る必要があるだろうか。もちろん、上でも書いたように5年も立てば状況は全く変わって来るが、それでもやっぱり5年前にはどんなことがあったのか、それを調べないといけないようでは小説として成り立っていない。
5年前に2005年について書いた小説があるとすると、今読むと事実にそぐわない変なところが多いことだろう。じゃあ、だからといって5年前はどうだったのか、しかし、それは大した問題ではないように思う。
もちろん、ここで言っているのはあくまでセットとして考えた場合のことで、後で趣味としてそれを調べていくのは有意義な時間になることだろう。
ま、作者の立場としては、今出来るものを精一杯書くだけ、ということになるだろうか。必要なら読者側で補完してくれる。それを期待して書くのもやっぱり違うと思うが、少なくともちゃんとした小説として完成しているのなら、作品が執筆された時の背景等はそれほど重要ではないだろう。問題は中身なんだから。
ということをつらつら考えるのもそんなに悪くないか、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月28日(月) 作者は語る、か?
自分で執筆した作品に対する作者の解説。
俺はずっと、それが正しいかどうかを考えていた。小説を前提に話を進めていくが、要するに作者が自分の作った作品について何らかのコメントをした場合、読者にいらぬフィルターをかけてしまうのではないか、という懸念をずっと持っていたのである。
少なくとも完結してから語るのが本当だろうか、いや、読者なんて連載以後だって新しく増えるんだから、もうずっと語ってはならないんじゃないだろうか。
逆に読者は知りたいのかも知れない。作者がどうしてその作品を作ったのか、その作品に込めた想いや意図、テーマについて。
しかし、小説家が勝負出来るのは作品のみだ。普通、単行本で作者が自分の作品をベラベラ解説したりなんてほとんどない。だいたい、読者にテーマや思想が伝わらないのでは作品としては失敗だ。読者が作品から何も感じ取ろうとも、作者はそれを全肯定しなければならないんじゃないか? 作者に読者が感じ取ったものを否定する権利なんてない。
昔、ある小説を面白く読んでいたが、雑誌の対談か何かで作者が自分の作品に対し、
「自分では面白いと思わない」「別にキャラもストーリーも愛していない」「作品の内容は全くの架空のもので自分の思想や考え方はまるで違う」「読みたくない者は読まなくていい、別に人に進めたりしない」
等という不可解な発言を連発していた為、俺は一気に読む気をなくしてしまった。
一体、誰に対する発言だったんだろう。作者が自分の作品を愛していないはずはない。例えそれが不肖の息子だったとしても、やっぱり自分の作り上げたものは可愛いものである。
クールを決めたかったのか、本気で作品を愛していないのかは判らない。照れ隠しでそう言ったのかも知れないが、少なくとも小説を書いているんだから、本音のフォローはして欲しかった。それともちゃんとした発言はあったが、編集で切られたのか? もしそうなら編集も作家とその作品についての関係性に余りにも無知だ。
いや、ちゃんと初校なり再校なりで作者が確認する機会は幾らでもあったろうから、やっぱりそのまま通してしまった作者の責任だ。
設定資料集は必要だろうし、同じ小説を書く者からすれば、執筆意図や作品に対する思想、込めた想いなんかを作者が語ってくれれば参考にはなる。
その一方で、作者の不用意な発言(上の例ほど極端じゃなくても)が作品全体を貶める可能性だってある。
読み方の問題か、理解度の問題か、もし、作者の伝えたいことと読者の感じとったことに隔たりが合ったとすれば、それは何処に問題があるのだろうか。
少なくともその大きな原因は作者の力量不足、構成不足にあると俺は思うが、作者が作品の内容を語ることによって、責任を読者のほうに転化してしまうのではないか、そんなことを危惧してならない。
読み手は様々で当然、感想も人によって違うだろう。作者の発言はそれを限定し、延いては作品に対する見方を変えてしまうんじゃないか?(それが良い場合だってあることはあるんだが。精神分析学的解釈をする場合だ)
まあ、俺としては基本的にはサイトで公開している作品については別にページを用意して読者に読むかどうかの判断を委ねる形で色々と語ってもいいんじゃないか、とは思っている。
これが出版されたものだと(個人的に)全てのページ(俺は元々印刷出版屋だったから奥付にだってもちろん必ず目を通す)を読まなければ気が済まない。
これに近い(?)問題をもう一つ、明日語ってみたいが、やっぱり一度アンケートみたいなものをやってみたほうがいいんだろうか。
こういうこと、深く考えないほうが得策かな? とか思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月27日(日) またしてもこんな結果に
ぶち上げてみた第2回更新強化期間だったが、結局のところ、前回よりももっと酷い結果に終わってしまった。更新なんて『蒼き瞳の姫君』くらいしか出来ていない。しかもそれも隔日更新とかいいながら滞りがち。まあ、一時期のデタラメぶりからは少しは持ち直したが、それでもてんで駄目だ。
それもこれも仕事による異様な疲れと精神的に執筆意欲が減退しているのと、かつ『モンスターハンターG』が面白すぎる為だ(冗談ではなく)。
そんなこんなで小説のドキュメントも一部で記事を作成しているものもあるが、校正をするヒマもなく気力も続かないのでそのままになっている。名前だけ上がってもう1年以上経つタイトルだって少なくない。
本当はもっと更新しようと考えていたが、実際に出来上がっている作品もないではないが、やっぱり校正まで持って行けずに停まってしまっている現状。
うーん、こりゃダメだ。もっと根本から色々と見直して執筆をしていかなければ。サイト運営ですらこの有り様なのに、他にも投稿用作品を作ったりしなければならない。サイトのリニューアルだってそのままになっている。
取り敢えずまだ12月があるので、その間に出来ることをしたい。
最低限やっておきたいのはサイトのリニューアル。完全ではないが、一度大きく仕様を変えたいと思っている。その時、タイトルのみで停まっている作品は一端一覧から降ろしたい。
この一日一言も本格的にブログのほうで統一しようと思っているが、やっぱりダイヤル回線を考えると踏み込めないでいる。意外とブログって重いし、ログの保存を何処まで出来るか判らないから結局は文章を別に作って保存しておかなければならないという二度手間になる。まあ、テキストサイトを別に作ろうとしている時点で、二度手間は覚悟の上なんだけど。
当初と状況が全然違うからなあ。
掲示板はもっと創作活動について意見が出せるようなものをひとつ置いておきたい。書き込みがあるかどうかはともかく、俺のその時の作品の執筆意図や執筆の為のスタンスなんかを少しずつ書けるような場が欲しい。下手にコンテンツを作ってしまったらまた更新出来ない可能性だってある。
リンクの修正もしなければ。閉鎖されたサイトや閉鎖でなくても俺がアクセス出来ないようなサイトはリンクから外したり、もう少し細かく分けてもいいかも知れない。
一応、全ページを作り直す予定でいるから時間はかかるけど、この旧サイトはしばらくイキにしておいて、大枠から少しずつ新サイトにリニューアルする。その為にホームページ容量を100Mに増やしたんだ、もっと活用しなければ。
サイトのリニューアルは基本的には当面は仮々仕様になる予定ではあるが、それでも新サイトの基本仕様をここで示しておきたい。
他のコンテンツに関しても時間がとれれば・・・とは思っているんだが。
根本的な改善は、つまりは俺の生活全般、ということだな、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月26日(土) 流石に疲れているよ
週末仕事3連チャン。生産数を8万達成せよ、と厳命されていたが、結局は無理だった。
機械がやや不調だったのと、後工程がストップして、俺達はキャリア待機を余儀なくされたからだ。
そう言えばキャリア待機って何かって説明したことなかった気がする。意味がないと思ってたし。
キャリアはその名の通り、生産したワークを運ぶ為のもの。このキャリアがなければワークを後工程に送ることが出来ない。後工程とはストッカーを介してワークをやりとりするが、後工程がストップすると俺達が送ったワークはストッカーに溜まり続け、最後にはキャリア自体がなくなって機械が停まってしまう。これがキャリア待機だ。
生産数で言えばA勤だけで3万後半までは行ってたんだから惜しい。A勤で4万2、3千までいければ、B勤と合わせて8万セルは達成される。B勤は立ち上げ等で時間がやや少ないからだ。
日曜日は機種切り換えがあるので、実質、現行機種の生産は今日まで。だから是が非でも達成したかったが、後工程が停まってしまったのでは止むを得まい。
実際にキャリア待機無しで工程が動いていれば4万越えは間違いなく達成した。
この8万セル達成の為に仕事のやり方を変えた。根本的なところを変えるまでは出来なかったが、小手先で出来るところはどうすれば早くなるかを考えて、何かアイデアがあったら実行する。
お蔭で部材交換等も少しは早くなった。時間にしても1分ないぐらい、セル数にしても5、6個くらいの差だが、それが10回あると5、60個、機械4台で200個、部材は大きなものが3種類あるから600個、A勤だけでそれだけ変わって来る。600個は大きい。
それだけじゃなく、機械のエラー音が鳴る度に駆け込んだり、工程内を駆けずり回ったりして少しでも時間を縮める努力をした。
まあ、そのお蔭でこの2日間はとにかく何時も以上に疲れ果ててしまっているが。
こんなことをしていると本当に体がもたないぞ。特に週末は食堂も開いてないし、朝はギリギリまで寝ているので(これを書いているのも夜中の3時だ)、寄り道する時間もない。だから朝から何も食わずに昼休みには自販機のカロリーメイトにビタミン入りのフルーツドリンクで晩まで持たせ、夜は有り合わせのものでとにかく腹を満たす、なんて生活を繰り返している。
何時からだろう、朝飯を食わなくなったのは。用意出来る時は前の晩に作ったりもするが、起きる時間によっては箸をつけることすら出来ない。用意していない日も多くて、もう朝に飯を食う習慣は消えてしまった。
俺的には昔から朝飯だけはしっかりと食ってきたのに・・・。
睡眠不足(仕事の日は3時間眠れれば良いほう)に加え、朝からほとんど何も食わずに仕事(しかも体力をやたらと使う)なんてことを続けていると、本当に体にヤバいことになりそうな感じ。
最近の疲れはそれが原因だな。特に休日にぼうっとしていると直ぐに眠くなって、前回の休みの日は時間に関係なく、10時間以上寝て8時間くらい起きてまた10時間以上寝て、それで休みが潰れてまた仕事、なんてあんまりなことになってしまった。
1日のスケジュールは作っているけど、それをこなすことなんて出来やしない。
生きていく為に仕事するって大変だよね、と溜め息つきながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月25日(金) ありがとうの一言
人間、ありがとうの一言をもらえるだけで結構やっていける。何だか今日、妙にじんときてしまった。
同じ仕事仲間のAは、まあ、いわゆるちょっと軽い調子の良い奴で、バカ話をする時には盛り上がるが、マジな話は全然似合わないといった雰囲気の奴だった。
で、今日はお互いの工程を行き来する機会があったんだけど、そいつの工程は今日は人手不足。それに加えてエラーだの生産数だのでやたら忙しい。
夕方の飯休憩、俺が休憩に行こうとするとAは時差でまだ工程で仕事中。で、俺を捕まえて言った。
「ちょっとお願いがあるんやけんど、セパとって来てくれんで?」
なんてことはない、別に大した用事でもないし、俺は快く引き受けてさっさと取ってきた。
そして引き渡した時のAの一言が「ありがとう」。
実はちょっと意外だった。Aは少なくとも普段の態度からそういうしおらしいことを言うとは思っていなかったからだ。うーん、ちょっと見くびっていた、スマン。
でも、俺も最近、精神的肉体的な疲れや不調が内にあった(表に出るほどじゃない。これが表に出てくれば会社になんか行ってられない)から、ここしばらく妙に心が冷たくなっていた。
ホントに満面の笑みでありがとうなんて言われると、それだけで何だか熱くなってしまった。うん、確かに胸にじんときたよ。
その後で「何かおごろうか?」なんて言われたけど、流石にそこまでしてもらう理由はないからそれは丁重に断った。俺にとってはありがとうの一言で充分。それだけの価値はあった。いや、それ以上だ。
社会人になると、ありがとうの一言は意外と使うと思う。まあ、学生でも同じだろうけど、とにかく会社で使うありがとうは社交辞令的な感じがどうしても抜けない。仮に何かの感謝としてのありがとうだったとしても、何故か軽い。
いや、俺が受け取ったありがとうが重いかどうかも実際には関係なんだろうけど、俺にとっては凄く嬉しかった。
午後は心地よく仕事をすることが出来たし、なんか、まんざらでもないって気がした。本当だ。
なんかこう、ありがとうの本当の意味を忘れていたような気がするな。Aはそんなつもりではなかったんだろうけど、俺はふと心を洗われたような温かい気持ちになったのは事実。
だから人間、ありがとうの一言だけでもやってけるんだ、と思った次第だ。
というわけで、ここを訪れて来れている皆さん、そして周辺で色々と関わっている皆さんに。
『 あ り が と う 』
と、何時もとちょっと雰囲気を変えながら、チシャ猫にも「ありがとう」。
2005年11月24日(木) またしてもアイスクリーム
こういう寒い時期になっても、何故か食べたいアイスクリーム。
ちょっと前にあったビールのCMではないが、暖房で温かくなった部屋で食べるアイスは格別。今年の夏は余りアイスを食べなかったのと、前に買った時は暑い日で溶けたものが多くてちょっと凹んだりもしたので、沢山買って持って帰るには逆に寒いほうが俺にとってはちょうどいい。
近くのチューオースーパーでは木曜、日曜がアイスクリームの半額日。他のスーパーでは常に2割引とか3割引とかそんな感じなので、俺のように安いのを大量に一気に買う者にとっては好都合だ。
最近は濃いチョコがお気に入り。OHAYOの『生チョコがおいしいアイスバー』(最近のアイスの名前ってこういう直接的なのが多い)は、チョコが濃くて美味しい。
他にも今日は新しいものを幾つか買ってみた。
meitoの『とろけるガナッシュバニラバー』は中に入っているガナッシュソース(というらしい)が本当に糸を引くほどとろけている。これもなかなか。
俺の冷蔵庫の設定温度は実はかなり高めにしてある。高めといっても、説明書に載っている“平均設定温度”より1、2度高いくらいだ。
冷蔵庫は氷をやたらと放り込んでいる為に、それでなくても温度は低くなりがち、アイスクリームを1日入れていたら、例外なくガチガチに固まってしまう。幾ら口解けの良いアイスでもここまで温度が低いと完全に凍ってしまい、ガリガリ噛みながら食べることになるのが常だ。
もちろん、こんなになってしまうのは、一度に大量に買って、無造作に放り込んでいることに原因がある。でもまあ、こういう買い方をしないと何度も買いに足を運ぶのが面倒くさくて・・・。
最近買うものは大抵が一箱に沢山入っているもの、或いはアイスのバーひとつひとつが少し小さいものだ。そうすれば欲しいと思った時にちょちょっと食べることが出来るし、連続して食べる時でも色々と吟味することが出来る。
昔はモナカアイスも好きだったけど、如何せん少し大きくて全部食べるのが重い時がある。かといって残すとハンパに固まってしまって味や食感が変わる時だってある。シュガーコーンのシリーズは大好きだけど、そういう意味では少し買いにくい。他の箱入りじゃない普通のアイスに比べれば遥かに小さいほうだけど、今買っているのはほとんどがバーになっている小さいものばかり。
でもそういうのが一番合っているね、今のところ。
こういう時期のアイスって止められないよなあ、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月23日(水) PSPを使ってみた
バッテリーの充填が終わった後、初期設定を済ませて早速使ってみた。もちろんゲーム、『プリンセスクラウン』をやったのだが。
少しばかりPSPについて誤解していたことがあるので、ここで確認してみる。
インターネットブラウザとしてネットに接続出来る、という点について。
確かに出来ることは出来るが、無線LANの設備がいる。つまりPCを持っていて、それが無線LANを通してネットに繋がっていることが条件。それによってPSPの無線LAN機能でPSP上でも表示出来る、ということ。
俺はケーブルなので無理なのだ。もっともUSBケーブルがあればそのあたりは出来そうなんだけど・・・PCを持っているのにわざわざUSBケーブルを繋げてPSPでネットをする意味はほとんどない。
いや、正確にいうとかなり重要な点がひとつある。PSPのOSをバージョン・アップさせる時だ。一度PCに落としたデータをUSBを介してPSPにダウンロード出来る。これはわざわざ店に出向かなくて済むのでありがたい。
ただ個人的にiモードのようにいきなりネットに繋ぐことが出来ると思っていた俺にとっては少し残念だった。ひょっしてニンテンドーDSも同じような仕組みなのだろうか。あれも『どうぶつのもり』ではオンラインゲームとして遊べるようなんだが。
ムービーは当然UMDのものは直ぐに見ることが出来るが、音楽等はやっぱりPCを介してダウンロードしなければならない。個人的に音楽をわざわざPSPで聞きたいとは思わないので別にどうでも良いことだが、まあ、その辺は機能として付いているんだからいいか。
本体を自分の手にしてゆっくり眺めていると結構色々なことが判った。特にUMDの出し入れは往年の“ウォークマン”を思い出してちょっと懐かしくなった。ソニーもなかなかやるな。
とにかく前面はデカイ液晶とボタンだらけの印象が残る。俺としてはどうやって『モンスターハンターポータブル』を操作するんだろうと思っていたんだが(PS2ではパッドのボタン全てを使う。特に重要な武器の振りなんかをRスティックで行う)、PSPにもアナログスティックが付いてたんだ。ここに来て初めて知る事実。最初はマイクかスピーカーだと思っていた。
とにかくオシャレな外観で携帯ゲーム機というより多機能携帯AV端末、或いはターミナルPCといった感じが強い。
プリンセスクラウンも思ったより面白かった。特にキャラのアニメーションが豊かでやっぱり小さな画面では勿体ない。ちゃんと大きなTVで見たかった。うーん、セガサターンのを買いそびれたのが悔やまれる・・・。
ま、俺としてはMHPの為だけに存在しているPSPなので、比重は大きくならないだろうけど、使い込むとなかなか出来そうで良い感じ。もっともその外観故に持ち歩いて手荒に扱いたくないんだが。
折角買ったんだから、色々と使ってみたいな、と思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月22日(火) これだからワックス掛けってやつは
足が疲れていて力が入らない。というか体全体が疲れてしまっている。
睡眠不足がたたっているのか、それとも栄養不足なのか、他に全く違う原因があるのか、とにかくここ最近の俺は妙に体力が低下してしまっている。
極板のボックスを押して運んで来るのはA勤の仕事の内ではあるが、昔はそんなに重くなかったような気がするが、最近ではMax3000メートルオーバーの正極だと動かすのにも一苦労(ボックスには車輪があるので逆に動き出したら後は押すだけだが)。
なんでこんなに体力がなくなってしまったのか・・・。悪い病気にでもかかっているんじゃないか?
それに加えて、今日は筋肉痛が酷い。
昨日のことだが今回の機種、かなりの先行があるようで、俺達A勤は生産調整に入り、昼から8時間、工程のワックス掛けを行った。
床を磨いて前のワックスを落とすところから始めるんだが、これがまた落ちない。で、必死で専用洗剤を付けた金繊維で擦り落とす。それがえらく力がいる。
加えて久々に使ったポリッシャー。もう体が覚えているので操作は問題なかったが、やっぱりいざという時には力を使う。
その為に腕はパンパンになってしまった。うう、こりゃ、マズイ。元々低めの俺の握力は、今や強く握れないくらいにまで落ちてしまっている。今日の生産で極板の交換には難儀した。
足もこのところの通勤と工程での作業の影響(以外に考えられない)で萎えかけ。家の階段の上り下りですらガクガク膝が震えてヒーヒーいう始末。
本格的に体にガタが来ている。ヤバい。
取り敢えず前に買ってあったメンフラローションを痛いところに塗ってみたが・・・この寒い最中、なんでこんなに冷たいスースーするローションを塗らにゃならんのだ。しかも火照ってくる感じもなく、効いている雰囲気はゼロ。
こりゃ、睡眠をとったりするだけじゃ治まらないところに来ているのかも知れないな。今後の身の振り方、本格的に色々と考えたほうが良さそうだ。
とにかくバイトでもいいから2つ、3つハシゴして今の収入程度は確保出来れば・・・ハシゴなんてしなくても今の会社の収入なら普通に働けばもらえるか。条件悪過ぎるよな、この会社って。
何にせよターニングポイントに来ているのは間違いない、と実感しながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月21日(月) PSPが来た!
とうとう俺の家にPSPがやって来た。ソフマップでキガパックが29,800円だったので、買ってしまったのだ。うう、とうとう俺も携帯ゲーム機戦争に巻き込まれてしまったのか・・・。
PSPの本体は黒、箱は小さいが妙に重い。ギガパックは1GBのメモリースティックデュオ(ソニーのメモリースティックのガタイが小さいやつ)にリモコン付きイヤフォン、キャリーケース、(おまけ程度の)スタンドがセットになっている。
どうせ買うならと奮発したのだ。
ああ、やっぱりキレイな本体。実は本体を買って最初にしなければならないことはバッテリーの充電(!)なので、まだ起動していない。まあ、ゲーム屋で本体をいじったこともあるからどんなものかは知っているんだけど。
このPSPはもちろん、12月1日発売のモンスターハンターポータブル(以後MHP)をやりたいが為に買ったものだ。2月にはモンスターハンター2(ドス)が発売になるけど、それとUSBケーブルを通じて連携があるらしい(PSPで出現する新飛竜が2(ドス)にも登場するようになる)。
モンスターハンターGはもう500時間以上遊んでいる俺にとってはバケモノゲーム。もう、生涯で一番遊んだゲームの文句無くナンバーワンに躍り出てしまった。
しかもオンラインに繋げているし、他にもやっていない要素をやっているからまだまだ遊び尽くせていない。2(ドス)まで骨の髄までしゃぶりつくさねば。
個人的にPSPはMHPだけあればいいと思っているが、余りにも寂しいので一緒に買ったゲームがプリンセスクラウン。
これは1997年くらいにセガサターンで発売されたアクションRPG(?)だ。主人公は王女グラドリエルと他3人。サイドビューの2Dで、グラフィックは絵本のように可愛くてキレイ。
昔、セガサターンで発売された時、メチャクチャやりたかったにも関わらず、予約をしていなかった為何処に行っても売り切れ(というか入荷すらされず)、俺としては幻のソフトの一本だった(似た様なソフトにアリシア・ドラグーンがある)。
とにかく、バッテリーの充電が終わったら早速遊んでみようと思っている。
それにしてもPSP、その外観とか雰囲気とか重さとか、間違いなく高級家電だ。新品家電のあの独特の匂いこそしないものの、手にずっしりと来る重さといい、洗練された外観といい、直ぐに理解出来るだろうが、今はまだまだ判らない専門用語といい、本当に家電のような感じ。決して携帯ゲーム機だけで済まない。
さあ、12月1日のMSPに向けて、手に馴染むくらいに使い込んでみたい。
色々と楽しみを新たにしながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月20日(日) 俺のサンドリオン
このところ、カグヤ(Mac)を使っていなかったが、最近になって色々と使ってみて、やっぱりMacはいいなと実感。やっぱりWinに比べると安定性が違う。
というか、聞いた話では、俺の使っているMeは一番システム的に不安定なんだそうだ。そう?
でも、言われてみれば固まることは多いし、妙なエラーは起きるし、長く使っていると色々と不安定になってくる。
俺が今のWinマシンで学んだことは、違う作業をする時は必ず再起動をしろ、ということだ。じゃないとシステムリソースはなくなるし、直ぐにエラーが出るし、下手をすればハングしてしまって強制的に電源を落とし、再起動にやたらと時間がかかる。
もう、色々と立ち上げ、使い方のコツを覚えてしまったので当たり前のように使っているが、ひょっとすると俺のサンドリオン(Win)、異様に扱いにくいじゃじゃ馬なんじゃないか?
今となっては4万いくら出せば、パソコン工房でオリジナルで組んだPCでも俺のより数倍性能の良いものが買える。もう新しいの買っちゃおうかな? それとももっと根本的にOSをXPあたりに替えてしまおうか?
考えてみれば俺のPCはデフォルト設定のままのが多く、全く使ってない機能も色々とあるなあ。
基本的にワープロソフトのOASYSさえあれば良かったので、PCを買った後は早々にOASYSも買い、キーボードも親指シフトに替えたら、もうワードなんておまけ程度にしか使ってないからなあ。
ゲームも入ってるんだけど、ちょっとだけやってみただけで容量を空ける為に消してしまった。オールインワンだったので他にもタイピングソフトだのなんだの色々とソフトが入っていたけど、大抵は立ち上げることすらなく今でもそのまま残っているか、或いは何度かやってみていらないと思って消したものばかりだ。
新しいPCを買うならどうしようか。Pentiumが入っているのは俺的には必須。出来ればやっぱりFMVがいい。別に富士通製品に思い入れがあるわけじゃないけど。
どっちかと言えば俺はシャープ派だ。それはもちろんX68000というPCの影響が大きいけど、それが滅びてしまった今、会社で使っていた富士通が一番指に馴染んでいる。
それにOASYSに親指シフトキーボードは、どう考えても同じ富士通マシンのほうが相性が良いはずだ。
それだけの理由で(安心感が得られるので)次も富士通マシンを選ぶんだろうけど、今度はジャパネットたかたじゃなくて、もっと良いところで良いものを買いたいな。
最新マシンじゃなくてもいいからPentium4くらいで3ギガ以上のクロック数があって120GBくらいのハードディスク内蔵で。俺にとっては夢のマシンだが、今ではそんなのが一般的、な感じもしてならない。
基本的に俺は文字さえまともに打てればいいんだが、現状ではそうもいってられない。
本格的にPCの買い換え時に入っているのか、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月19日(土) やっぱり少ないなあ
と思う、今期の徳島のアニメ放映本数。なんかTVが不調なお蔭でHDDに録り溜めているのが全然消化されてないけど、それを忘れさせてしまうくらい今期は不作だ。
ほんの数カ月前のあの嘘の様な本数は一体何だったんだろう。あの四国放送でさえ、水曜日の深夜に連続2本もやってたんだから。今では・・・全体でも4本くらいしかない。
木曜日に至っては全チャンネルでアニメは全滅だ。もちろん、NHK教育の10分アニメを除けばだけど。
そんな中でもお気に入りがあるのが救い。
特に『地獄少女』は色々と???なところはあるけど、総じて面白い作品なんじゃないかと思う。ただ、やっぱり深夜枠だけあって過激。「昼下がりの午後、人妻は見た!」みたいな不倫の話もあって、その人妻もレイプされた挙げ句にその写真まで取られる始末。それを(主人公、閻魔あいの能力を使ってだが)高校生の娘が見てしまう。
この回だけ特別な感じもしないでもなかったが、全体的に同じようなトーンで展開されているので、その隠微な感じが何処かステキ。
これ、原作が『なかよし』に掲載されているらしい。なかよし? あの少女雑誌の? 花とゆめとかじゃなくて? もっとも原作というよりもいわゆるメディアミックス(もう死語だな)というか漫画とアニメの同時進行なので、恐らくかなり少女向けにアレンジされているんだろうけど。
同じく『灼眼のシャナ』は如何にもライトノベルが原作という感じの(実際にそうなんだけど)、どうにも美少女美少女したありがちな作品。
特に最近は流行りだよね、制服の女の子が日本刀もって暴れるのって。
『ブラック・キャット』は一部でパクリ疑惑が取り沙汰されているけど、確かに言われてみれば、ドリンク(こっちは牛乳)の使い方とか、「〜っス」という体育会系のしゃべり方とか、ネコとか『フリクリ』に影響されているのは感じられる。
まあ、パクっているかどうかは原作を読んでいないので判らないが、絵はキレイだとしても内容的には野心的にやってやろうと鳴り物入りで出たにも関わらず、人気が出ずに12週くらいで打ち切られる数多の作品の匂いがぷんぷんしている。
最近は絵だけはキレイというだけで売れちゃう漫画も多いから・・・。
『ガンパレード・オーケストラ』のほうは、あのカルト的人気を誇るガンパレード・マーチの続編、らしい。加えて全3部作のゲームも予定しているようで、製作はやっぱりアルファ・システムか?
時代錯誤的(再放送だから仕方ないが)なH2が終わったと思ったら、やっぱり来たかのSEED DESTINYの再放送。まさかこれが終わるころにはSEEDシリース第3弾、なんてありうるか? まあ、DESTINYのあの終わり方をみれば、これはもう続編を作るしかない、みたいな感じ。次はやっぱりZZなんだろうか。
何か燃え(萌え)るアニメが今回は不作過ぎるな、とか思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月18日(金) 今度は寝過ぎた?
金曜日は何かしら色々と忙しなく動いていたら、知らない間に時間が過ぎてしまっていた。折角の3連休なんだからゆっくりPC弄ってネットでもして小説書いて・・・なんて過ごしたいと思っていたのに。
まあ、それはともかく、夜に入ってからは異様な眠気が襲ってきて、どうしようもなくなった。当たり前だ。あんまり寝てないんだから。
ストーブも入れたし、部屋を少し温めたらさっさと寝よう、なんて横になったら・・・まさか20時間以上寝てしまうとは思わなかった。
いや、何度かは目を覚ましたが、その間、起きることなくまたしても寝てしまい、それを繰り返す内にどんどん時間が過ぎてしまっていた。
19日の土曜日はほとんど寝たまんま過ごしていた。ああ、存在しないのも同じ・・・休みが・・・。
そのお蔭でこのところの睡眠不足からはようやく解放されたような気がするが、何だか左目が異様に痛い。何かにぶつけたように全体がヒリヒリと痛む。腫れているわけじゃないが・・・何だ? 何かの呪いか?
そう言えばPCの駆動音もやたらと大きい。まるで洗濯機の濯ぎ状態のようなジージーという駆動音、それが長い間続いている。まさか、TVに続いてPCもいかれてしまうんじゃないだろうな? これがいかれたら俺には・・・まだMacがあるか。
画像の作成をしていて、今日初めてMacのFTPを設定した。といってもAdobe GoLiveのやつだけど。お蔭で、まあ、擬似的にではあるが、サイト用サーバーを通すことでデータのやりとりをサンドリオン、カグヤ間で行えるようになった。
もっとも、ダイソーのCD−RWが直ぐに使い物にならなくなるのに業を煮やしてのことなんだけど。
腹が減ったので久々にカレーを作る。休みが長い時はちょうどいい。3、4食分はこれで終わりなんだから。
今回も作っていて、やれにんじんがない、じゃがいもが小物ばかりだというのに気づき、仕方なく(買ってくるのもめんどくさいし)あるもので賄った。まさかカレーのルウ自体も3/4しか残っていないとは思わなかった。
タマネギだけはあったので大量に入れて後は・・鶏肉でいいよな? ああ、豚肉も中途半端に残っている。野菜炒め用の奴だけどちょうどいいや。あれ、これ、何時買った合い挽き肉だ? これも全部入れちまえ。あ、そう言えば業務用のつくねを買ってたんだ。山のようにあるから一緒に入れよう・・・。相変わらずの大雑把さ。しかも肉ばっか。これじゃあ味が・・・。
今回はちょっと濃くして、最初にカツオだしをほんの少し。これはいざ残った場合、カレー以外のものに応用する為の前準備。まあ、あんまり意味はないんだけど。
俺の家は伝統的に濃い(粘っこい)カレーが多いんだけど、個人的にはサラサラしたほうが好きだから、自分で作る時はかなり薄く(味が、ではない。味の薄いカレー、特に辛いだけのカレーなんて最低だ)している。
飯はマイ炊飯器で4合ほど炊いた。やっぱり多く炊くのが美味い。
忘れていたが、前の日に買っておいたおからがあったのでそれも添えた。もちろん調理済みの奴。スーパー『ママの店』で買うおからや切り干し大根、筑前煮なんかは妙に美味い。特におからは絶品。味が濃いのでおかずにはぴったり。おからなんて近くの豆腐屋でくださいといえばバケツでくれるけど、やっぱり家で作るとあそこまで味が出せない。
俺の家にはお袋の味なんて存在しないから、結局、美味いものを食いたいなら買ってくるしかないんだ。まあ、それはそれで不幸な生い立ちなんだろうが、別に当たり前のことなんで何とも思わない。
ふと思ったが、俺の食への無関心さと舌の貧しさはそういうところに原因があるのかもしれないな。
色々な意味で寒さに震えながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月17日(木) ほとんど極限
状態だった。この2日間、借りていた本を図書館に返す前に、読んでないものを無理やり読んでいたので睡眠時間が極端に低下、2日の合計睡眠時間が4時間に満たないというところまで来てしまった。
もちろん、仕事は当たり前のようにある。じゃなきゃ、ここまで寝ないで本を読んだりしない。
確かに頭の中にはずっと靄がかかっていて、目を覚ましているのに何だか目の前のことが現実味を帯びない。ふと目が覚めた時、全く別のところにいるんじゃないか、なんて思う時もある。
トイレで小便をしていた時にふと、全く別のところで目を覚ましたり何かしたら・・・最悪だ。そんなことを考えて頭が痛くなった。
いや、本当にやや頭の頭痛が痛かった。
実際のところ、現実味を帯びないだけじゃなく、起きたまんま夢を見ることだって何度もあった。
「本当にそんなことがあるの?」なんて思う人もいるかも知れないが、実際に仕事をしている最中にでも知らない間に夢の中に突入し、突然気がつく、そんなことを繰り返してしまう。
ハンパじゃなくヤバい。
特に意識が現実から夢に入る時に境界線が曖昧だから、目の前のことが夢か現実か判らなくなる時だってあり、かなり危険。目が覚めれば(意識がはっきりすれば)それが夢以外の何者でも無いのがよく判るのだが、流石に起きて動いている最中に見る夢の中で“これは夢だ”と気づくことはほとんどない(ちゃんと寝ている時に夢だと判ることはよくある。“覚醒夢”というやつだ)。
事実として、ある作業をしていて、それが失敗して大変なことになる、という夢をその作業中に見るんだから。こんなに危険なことはないだろう。
やっぱり睡眠時間は大事だと実感。体壊すよ、いや、本当に。
咳も鼻水も少しは治まってきたものの、それでもまだまだ直りそうにはない。インフルエンザなんか来たら一発でやられるだろうな。体力的にはともかく、抵抗力という点ではかり低下しているんじゃないかと思う。
いや、それだけじゃなく、どうにも以前のような寒さ暑さに対する抵抗力も無くなってきた。
暑さ寒さを凌ぐ為に色々と器具を使うようになったので、その分、自然に体を合わせることが出来なくなってしまったような気がする。
夏は今年はクーラー、冬は数年前からストーブを個人として入れている。こういうのが手元にあると、以前はどうやって暮らしていたのか不思議になるくらいだ。
人間、慣れというのは恐ろしいもんだ、もう上の器具がなければ過ごせないんだから。といって昔のようなプリミティブな生活に戻れといっても出来ない。体がついていかないだけじゃなく、色々とやることがある中で、気候によって左右されることがあるとかなりきつい。もう致し方ないことだ。
・・・歳のせいもあるかも知れないが・・・いや、まだ俺は30代! そのど真ん中だ! そうそう体にガタがきてたまるものか!
実際にはそうとうガタが来てるだろうな、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月16日(水) 劇中の戦いに意味はあるか
俺も一応戦闘モノ、戦争モノの小説を書いているので、常に作品の中で戦いにどんな意味があるのかというのを考える。
戦いは2つの要素に分けられる。戦場の兵士達の視点である戦術的要素、戦争を大局的に動かしている戦略的要素である。
ゲームなら、“大戦略シリーズ”は戦術的ゲーム、“三国志”や“信長の野望”等は戦略的ゲームだと言えるだろう。
通常、余程の英雄的行動が成されない限り、一兵士が戦争そのものを左右することはあり得ない。あの『機動戦士ガンダム』だって、主人公アムロ・レイがどれほど活躍しても戦争を終結に導く英雄等ではなく、戦争の中で必至に闘う一兵士に過ぎなかった。
富野由悠季はこの手の“純粋戦闘主義”を得意としている。それまでの大義名分を掲げて行う“指向性戦闘主義”と違って、あくまで戦いそのものに意味を求めるのだ。
では、戦いにはどのような意味があるのか。もちろん主人公達の生きざまを描く際に、戦争という極限状態にあったならば、人間の根源となるところを表現するのは容易になるだろう。
だが、物語として本当に戦争が必要なのかどうかは充分に考えなければならない。実はまず最初に“戦争ありき”でものを考えていると、戦いに意味を失うどころか、戦争そのものが必要なくなってしまうからだ。
『機動戦士ガンダムSEED』では、“戦争に勝つということは相手を滅ぼす事である”という極論で戦争を見ている為、主人公達が交わす会話はどれもこれも抽象的で禅問答のように具体性に欠け、なんら解決策が提示されない。戦争は本来ならば開戦と同時に大きな一撃を与え、その後は戦局を見ながら常に自分達に優位な状態での講和を試みるはずである。
SEEDは劇中でも何度も会話が繰り返されていたが、確かにこれでは戦いを終結させることも、戦いに意味を持たせることも出来ないだろう。自らアンビバレンツな問題を提起して、正しい答えはどれかを延々と考えているようなものである。これでは答えば出ない。
実はSEEDではキャラが戦争から学ぶことはほとんどない。SEEDでのキャラの成長は、あくまで人間関係の中で描かれている。戦争による生死の問題が大きなウエイトを占めているが、ガンダムSEEDは実際のところ、そこが戦場である必要性が希薄なのである。
描かれる戦いが純粋戦闘主義だろうと指向性戦闘主義だろうと、戦いそのものに意味は持たせられる。そこはキャラ達が生きていかなければならない場所だからだ。
何故そこに戦場があるのか、戦場である必要があるのか、何故キャラがそこにいるのか、キャラがそこでどんな体験をし、どんな成長をするのか、その為に戦いはどんな意味を持つのか。
戦争は極限であるが故に安易だ。その落とし穴ははまれば戦争はもはや設定上にしか存在しない意味のないものとなってしまう。
戦争を描くものとしては、戦いそのものにどんな意味があるのか、常に考えなければならない。
戦争は起こすのは簡単だが終結させるのは非常に難しい、と思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月15日(火) 何を持って個とするか
人間には個性がある。だが、何が個性を成さしめているか、人格、アイデンティティを作っているものは何か、は今でも永遠のテーマである。
もし科学が発達し、人間の全てが解析された時、個性はどう解釈されるのだろうか。やはり化学反応や神経伝達の違いによる誤差でしかないのだろうか。
人間を作り上げている細胞にそんなに大層な違いはない。だが、同じものは存在しない。細胞の大小、多い少ない、活動の違い、ニューロン、シナプス、グリア、シュワン、アセチルコリン、カテコールアミン、ノルアドレナリン、ドーパミン、そういう細かな違いが膨大に集まって個性というものを形成しているのだろう。
それら全てを把握することが出来れば、全く同じ個人を作り出すことが出来るだろうか。例えばコンピュータ上に人格エミュレータのようなものを作ってそれらの情報を全て入力出来れば、人間の人格、意識をそのままコンピュータ上に存在させることが出来るのだろうか。
これを可能という前提で物語を作ったのが『小説フルメタル・ギルティ』であり、不可能という前提で作ったのが『超攻兵機ガン・レーガー』である。
もっとも個人的な意見をいうのなら、例えどんなに人間が(DNAが)解析されたとしても、流石に個人そのものを作り出す、または移植することまでは不可能だと思う。
個人を成しているのは体内の化学反応や電気的刺激ばかりではないからだ。この場合、知識と経験は除外しているが、もちろん個人を成す要素としてそれらは大きい。
脳を別の人間に移植した時、人間はどちらになるのだろうか。体のほうの個人か、脳のほうの個人か、それともお互いが混ざり合った全く別の人間になるのか。
脳が人間の個人の大部分を作り上げているとすることに異論を挟む者は余りないだろう。となれば、脳が別の人間に納まった時、外観はそのままで中身は全く別の人間ということになるだろうか。
仮に脳が人間の全てではないとしても、法的にはともかく、やはり脳の人格の比重が大きい個性になるのだろうか。
魂と肉体を切り離す考え方もある。肉体は魂の入れ物という考え方だ。『新世紀エヴァンゲリオン』の元になる考え方だが、もちろんこれは仏教、キリスト教を始め、多くの宗教に共通することではある。特にキリスト教には精神は善であり、物質は悪であるという普遍的な考え方がある。
もし、人間の個性を成す精神、或いは魂が全く別に存在するのだとしたら、例え体がどうなろうと(それこそ大半をサイボーグ化しようと)、人格はそのまま生き続けるはずだ。
だが、現在では魂や精神を独立して考えることはオカルトの範疇に入る。魂に質量があるかという実験もされたようだが、実際のところ、科学的に魂の存在は立証されていない(否定的なだけであって、否定はされていない。あくまでも立証されていないだけだ)。
なんでこんな訳の判らないことを書いているのかというと、ちょっとネタとして人格入れ替えを考えていて、果たしてそれにリアリティのある説明が出来るか、と延々と考えていたからだ。
実際のところ、小説フルメタル・ギルティではかなり難しいものがあるし、どうにも俺個人として納得のいく答えを示せそうにない。
少なくとも、決して抱き合ったまま階段から転げ落ちたり、頭同士をを強くぶつけ合ったりするだけでは人格の入れ替わりは出来ない。
ネタとしては面白そうなのに、いざ作るとなるとリアリティが許してくれない。
厄介なもんだよなあ、と頭を抱えながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月14日(月) 食うことの加減が判らない
今日の夕食は刺身が食いたい気分、なんて思って買い物に。もちろんスーパーのパックになっているやつだ。
俺は刺身はどちらかというとハマチのようなちょっとシャキシャキというか歯ごたえのあるほうが好き。いわゆる“舌の上でとろけるようなトロ”はどこか“鑑賞するもの”のような気がして、俺の食事には何か合わない(当たり前だが、別に頻繁に食っているわけではない)。
まあ、そんなことはとにかく、近くのスーパーに行って物色。そこは他と比べても刺身が安いところだったが、それでも食べ物の中では総じて高い感じがある。
中には6、7切れしか入ってないようなものもあるが、とてもじゃないがそれでは足りないだろう、と、もっと多く入っているものを選んだ。もちろん値段もそれなりにした。それだけじゃなく、他に惣菜を幾つか買ってこれで夕食はばっちり、なんて思っていた。
目測を誤った。というか、俺は基本的に自分がどれだけ食事を取れば満腹になるか、全然理解していないのかも知れない。買ってきた刺身、大した量ないなあ、なんて思っていたけど、食べ終わる頃にはもう満腹になってしまって他の惣菜は一切手を付けられなかったからだ。刺身のツマが少なかったので、鳴門の乾燥ワカメを戻したもの、大根をけんにしたものを別に用意したが、それの量も少し多めだった。
うう、刺身ってあんなに腹が膨れるものだっけか? いや、飯の食い方に問題があるのか。俺は山葵をかなり強く利かせて、刺身醤油もたっぷりとつけるほうだから、その辛さを抑える為に余計に飯の量が増えている。
惣菜は日持ちするものなので次の日に残したが、下手をすると刺身のツマも食べられなかったかも。
なんかこの歳になって今までの食べ物に対する余りのずさんさが噴出しているような気がする。もちろん日によって、気分によっても食事量なんて変わってくるが、どうにもそのあんばいがイマイチ判らない。
食事回数は少ないのに、いざ食事をとるときはガバっと食うから変な腹の構造しているんだろう。
俺は食うことそのものを改善しないとダメなようだな、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月13日(日) ザクレロ製作・その2
あまり動かしてないので、少しずつでも作っていかないと。
といっても、今回も実際のところ進展はほとんどない。一応、どうやって後ハメ加工してパーツを分割するか、どうポリキャップを仕込むか、そんなところを確認したのみ。

左画像がポリを入れた時のクリアランスを確認してみたところ。あくまで仮にやっているだけなので、実際には本体のほうはプラ棒を固定する。
ザクレロには関節が6箇所しかない(可動箇所は7箇所)という極めてシンプルな構造。関節の追加等の改造はしないと決めたので、あくまで元々の可動のまま後ハメ、ポリへの移行を考える。
右画像の上は実際に組んだ時の予想図。黒の部分がプラ棒、それを固定しているのがポリキャップだ。肩なんて少し加工してやるだけでそのままポリキャップを入れることが出来る。
肘(?)の関節も同様、可動は回転だけだから非常に簡単に出来る。
問題は爪の部分。これをどうやって後ハメ加工するか。
右画像の下にあるのは、この手の加工では定番。中心にピンバイスで穴を空け、上を少し切欠きしておけば、軸に押し込むだけで固定出来る。
ただ、パーツが小さいこともあり、ヘタをするとパーツを折ってしまう可能性もある為、今回はこれは無し。
実際には爪、左右のパーツにそれぞれ穴を空け、そこを丁度の長さに切った真鍮線を通して固定することにした。
こうみると実に簡単だ。次回からは実際にパーツを加工していこうと思う。
やっぱりこういうのを考えるのは楽しいな、これがプラモ(ガンプラ)の魅力のひとつでもある。
もっと進行が早ければいいんだけどね、とか思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月12日(土) 世界の終わり
というのはSFの格好の材料であるが故、古今東西、様々なところで語られてきた。その分、傑作も多い。
何をして世界の終わりというのかは色々と意見があることだと思う。
完全に世界が崩壊して人類の生存すら危うい、というのが一般的な感じだろうが、例えばアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』なんてのも完全に終末的思想、世界を一変させるような出来事なら、それは今までの世界の終わり、と言えるかも知れない。
映画の世界でも世界の終焉、終末を描いたものはある。『渚にて』は核戦争後、滅びていく人類を切々と語る傑作だし、ジョージ・A・ロメロのゾンビ三部作もそうであった。『博士の異常な愛情』はブラックユーモアに満ちていた。
何でいきなりこんなことを語り出したかというと、実は会社の休憩室に、誰が置いたのかコミック『ドラゴンヘッド』全10巻があったからだ。未曽有の大災害による世界の終わりを描いたこの作品、雑誌連載中に話を聞いて読みたいと思っていたが、何故かその機会に恵まれずにすっかりと忘れてしまっていた。ここにきてようやく全部読む事が出来た。実に俺向きな内容だった。
2003年くらいにSAYAKA、妻夫木聡主演という見るからに絶望的なキャスティングで実写映画化されたが、案の定不評の嵐だったようだ。
漫画でも終末を描いたものは多いが、個人的に一番のデキは『デビルマン』だと思っている。ドラゴンヘッドは主人公達のある意味反則的なタフさ(というか余りにも死ななくて逆にウソっぽい)と、廃墟ばかりの画、物語性が希薄で思想心情ばかりで構成され(メロディがなくひたすらリズムを叩いている音楽みたい)、ただ逃げ続けるばかりの主人公(いや、逃げる事自体を描く物語なんだから)と、決して大傑作とは呼べないと思うが、確かに一度感情移入してしまうと画がリアルな分、色々と考えさせられる。
ドラゴンヘッドのタイトルの意味は後々におぼろげ出てくるが、決して謎解きをすることはなく(ほとんど無いに等しい。状況説明があるだけだ)、人間の心の中の闇、恐怖を描いて見せたという点では、ある意味デビルマンに匹敵する終末的漫画だと思う。
やや希望が持てるようなコマがラストにあるが、全体的に絶望感は大きい。
こんな作品を読むのもたまにはいいかも、と思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月11日(金) とうとう本当にやってきた
まずいな、と思ってたら、本格的に鼻水が出るようになった。
朝、怪しい雲行きで、気温はかなり低い。放射冷却うんぬんじゃなく、こりゃ単純に冬の気候だ。
流石に毛布一枚で寝ていたらヤバい鼻の状況になってしまった。喉もちょっとキテいる感じで、これで体の震えが止まらなければ微熱は間違いなし(本格的に熱が出たことは今までにないからどうなるか判らない)。
週末はずっと仕事だが、こんな鼻でやるのか? うーん、厄介だ。
しかも今日は昼過ぎから雨。ずっと降るとは聞いていたが、帰りには風も雨も強く、合羽を着てもかなり濡れてしまった。
寒い・・・。こうなると悪くなるばかりだ。今年はひくか? 本格的な風邪。熱が出て悪い夢なんか見るかも知れない。
悪くしたのは俺だけじゃない。
最近、TVの調子が悪い。32型のハイビジョン。店頭展示品で32万幾らが15万だった。買った時から中古っぽい感じがしていたが、とにかく画像がキレイでお気に入り。地上波しか映らない俺の家であって、もっとも高級な家電のひとつ。
それがTV映像が映らなくなり、2画面モードにすると片側だけは観られるが、数分すると今度は電源が落ちる始末。DVDモードだけがちゃんと動くので、それだけが救いだ。
それもかなり大きな救いになっている。
5年前、いや、6年前になるかな? これを買ったの。当時はキレイな画像に感動したものだ。多機能過ぎて、未だに使ったことのないメニューも存在するくらいだが、特にDVDのコンポーネント、PS2のゲームは非常にキレイで『モンスターハンターG』のネットワークモードの為だけに、もうしばらく持ってもらいたい。
でも、ここで壊れられても新しいのを買う金なんてないし、うう、頼むから頑張ってくれ。出来れば来年いっぱい、2月発売の『モンスターハンター2(ドス)』をやり尽くすまでは・・・。
俺の周りで(俺も含めて)色々とガタが来てるなあ、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月10日(木) やっぱり少ない・・・。
最近は弁当生活が続いている。というか、今まで何を食ってたんだ? というくらい、弁当ばかり食っているような気がする。
そうか、考えてみたら、俺は飯はあんまり食わない奴だったんだ。前は面倒くさいので(作るのがではなく、食うことそのものが面倒くさかった)、丸々1日何も口に入れない、なんて日も少なからず合った。
別にそんな日が続いても何とも思わなかったし、2日3日くらいなら食わなくても(水でもいいから飲みさえすれば)平気だった。そういう生活が凄く楽だったので、特に飯を自分で用意しなければならない俺にとっては、むしろ楽でいいとさえ思っていたんだから。
でも、食うことが習慣付いて来ると(普通は食事をすることは当たり前のはずなんだが)、食わないのが何処か不安になってくる。
まずいな、俺は食わないことで体重を維持していたのに、ようやく63kgまで落としたこの体、また増加に転じてしまうんじゃないか?
というか、どんな体してんだよ、俺の体は。
弁当を買ってきて思うんだが、何て言うか飯が少ない! 異様に少ない! 少な過ぎる!
まあ、女性にとっては少量のおかずを沢山食べるのが嬉しいようだから(お子さまランチとかを敢えて選ぶ女性も少なくないらしい。全体的な量が少なくて入っている種類が多いのでダイエット中でもちょうどいいんだそうだ)、そういう傾向にあるんだろうけど、俺は飯をしっかりと食いたいほうだから、大抵の弁当は飯が異様に少なく感じてしまう。
今日買ったのもそうだった。なるべく飯の多いものを買ったが、それでもおかずを3分の2も食わない内に飯が終わってしまった。うーん、これって貧乏性のひとつなのか? みんなこれで満足しているのか?
結局、酷い時は弁当にさらにおにぎりを一個付け足すとかしないとダメだ。おかずだけ食っても腹がおきた気がしない人間だからな、俺は(これも貧乏性のひとつかも)。
でも、飯だけをパックで売っているものはどうにも抵抗があるな。いや、レンジで温める専用のやつはいいんだけど、トレーに入れてラップをしただけの売っている飯を見ると、そこはかとなく惨めな感じがする。
まあ、俺は自分専用の炊飯ジャー(Kai専用炊飯ジャー、別に角もついてないし赤くもないし3倍の早さで飯が炊けるわけでもないが)を持っているんだから関係ないけど、売れ残ったりしない以上、売れているということなんだろうな。
ま、どうしようもなく飯が少ない弁当の時は、そういうのを付け足してみるのも良いかもしれないが。
食事を何時も自分で作るとか、作ってくれる人を探すとか、そういう根本的な問題には敢えて目をつぶる。
こういう生活を世間一般では“終わっている”というんじゃないか? なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月9日(水) これだけ寒いと鼻水が
出る。
俺は病気はしないが、それでも冬になると鼻水や咳には悩まされる。特に気温が急激に変わると、朝なんか喉がやられて、あ、きた! なんて思う。
今日が丁度そんな感じだ。このところ、気温が下がりがち。特に朝、夜の出退勤時、予想以上に冷え込む。 晴れた空がそのまま夜もずっと続くと、昼間、幾ら気温が上がっても熱が逃げて寒くなる。放射冷却というやつだ。
放射冷却というのはよく聞くだろうが、原理はこうだ。
物体は電磁波(赤外線)を放射することによって熱を失う。それが大地でも同じ。昼間、幾ら太陽熱で温められても、赤外線を放出することによって地表の温度は下がっていく。地表の温度が下がれば当然、大気の温度も下がる。これが放射冷却という奴だ。
この時、雲等が空を覆っていれば、赤外線の放出は遮られて熱は逃げにくい。放射冷却が晴れた日に起こるのはそういう為だ。逆に曇りの日は温かくなる。
まあ、大地よりも俺の体の放射冷却のほうが問題。風呂の入った後、体が温まって良い気持ちだからってそのままで横になろうものなら、朝にはまず間違いなく不快感、下手をすれば鼻水と咳で1日地獄をみることになる。
もっとも、だからって布団を何枚も着て寝たところであんまり効果はないんだけど? 暑くなって無意識に布団をとってしまう時もあれば、そのままでもやられる時はやられる。
俺の鼻はどうやら高山病と同じような状態でずっと悪いらしい。子供の頃、鼻炎の治療で一時期耳鼻科に通い、何とか直ったと思っていたが、そうではなかった。近年になって耳を少しだけ見てもらったら、そこを指摘されたからだ。
俺の耳は飴耳でずっと一度耳鼻科で中を掃除してもらえ、と言われていた(連れの誰がというのではなく、往診でちゃんとした医者にそう言われたのである)。で、意を決して耳鼻科に行って診てもらったら、耳が悪いのではなく、鼻が悪いのが影響している、ということだった。
そんな鼻だから、例え体を温かく保っていても、やっぱり気温の変化には敏感で、ちょっと寒くなると直ぐに利かん坊になってしまう。困ったもんだ。
で、まさかこの歳で青ッ洟をだらだら垂れ流しているわけにもいかず、その対処に色々と頭を悩ませることになる。家ではいいが会社は立ち仕事の工程で余計なものは持ち込めないので、鼻をかむのは工程の外にでなければならない。それが何とも心苦しい感じだ。だからってそのままにはしておけないんだけど。
もっとも家ではいいといいながら、あんまりティッシュの量が増えるとあらぬ誤解を受けるかも知れないな(まんざら誤解じゃないかも知れないが)。
夏にはクーラーを買ったが、冬は当然ストーブ。明け方冷えてしまうのは仕方がない。
またこの季節が来たか、と少々憂鬱になりながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月8日(火) 消費税が
10〜15%に上がるかも知れない。別に今に始まったことではないんだが。
俺なんて3%、5%と引き上げられた時をリアルタイムに過ごしているから、ちょっとでも上がるなんて聞くと敏感に反応してしまうが、それが15? 冗談じゃない。
100円のものを買ったら115円かかる。これだったらそんなに高いと感じないかも知れないが、1本5,800円のゲームソフトを買うと、5,800×1.15で6,670円にもなる。
ふざけるな!
いや、俺は実際の所、消費税の引き上げは止むなしと考えている。どう考えても今の状態では財政破綻は目に見えている。後々(それも遥か未来ではない)に大きな痛手を負うよりは、今のうちに少しの痛みで何とか持ち直してくれればそれに越したことはない。
もっとも、“今の状態では”というところに引っ掛かってくれれば幸いだ。
そう、どのTVチャンネルでもニュース、情報番組なら何度も繰り返されている官公庁のムダ遣い。あれをどうにかしてくれれば、増税なんてせずともお釣りさえくるんじゃないか、そんな気がしてくる。
増税ありき、消費税引き上げ止むなしを前提にした議論だけはしてもらいたくない。まずは無駄を省け。民間企業がどれだけの努力で無駄を省いているか、少しは考えて見ろ。
俺がここでどれだけ吠えようと、日本を動かしていると自負している公務員連中やお偉いさん達は屁とも思わないんだろうな。
自分達の取り分が少なくなる、こりゃ大変、もっと国民から搾り取らなければ。そうじゃないと自分達が豊かに暮らせないじゃないか。
まさか、そんな風に思っているんじゃないだろうな?
もし消費税を上げるならもっと色々な区分を設けて、生活必需品は低く設定するとか、方法はあるだろう。他の国と比べても日本の消費税は低いほうだ。それでも他の国がやっているのは、明確に消費税の徴収方法を決め、使い方を透明化しているからだ。
それとも日本のお偉いさんにはそんな気がないのか? 自分達が国を動かしているから国民は金だけ出してればいいのか? もしそうなら面と向かっていってみろ。“俺達の為に国民ども、負担しろ”って。
でも、ゲームなんかの嗜好品はどうしたって消費税アップ直撃だな。
というか目覚ましく発達しているオタク産業、萌え産業はあからさまに狙い撃ちにされるような気がする。酒、煙草と似た様な状況に追い込まれ兼ねない。
もう日本には暮らせないかも知れないな、なんて少し思って、チシャ猫によろしく。
2005年11月7日(月) あんまり良くない月曜日
だったと思う。約1カ月振りのA勤、しかも昨日は3時に起きて、もう一度寝たのは5時半。結局ギリギリまで寝て1時間くらいの睡眠時間。うーん、まあ、これは仕方ないよね(そうか?)。
A勤って朝何時に出てたろう? なんて考えてしまうくらい忘れていたので、かなり余裕がない状態で出勤。ま、これもありそうなことだよな(無くせよ)。
仕事は今日から社員がひとりリフレッシュ休暇。この休暇は社員が5年、10年勤務する毎に5日、10日の休暇を得る事が出来る、というもの。15年目はまた5日、20年目は10日、となる。
俺なんか有休1日とっただけで1日分の日当が4割くらいになってしまうのにこの差は・・・まあ、こっちは下請け会社にさらに派遣会社から入っている派遣社員。アルバイトと同じだ。
でも、1人少ないせいでとにかくやたらと忙しかった。今の機種は耐圧が多い。その為にピーピー機械がエラー音を鳴らして、その対応に駆けずり回った。全く、たまらん。
ぐだぐだに疲れ果てて、さあ、帰ろうかと思ったら、今度は自転車がパンク! おいおい、冗談じゃない。
携帯空気入れで継ぎ足し継ぎ足し帰宅。やっぱり1時間以上かかってしまった。
途中でスーパーによって夜の飯と帰りに飲む飲み物を購入。俺は基本的に何かを食べたり飲んだりしながら歩いたり、自転車に乗ったりなんかしない。どうにもみっともないからだ。
しかし、そんなこといってられないくらい喉が乾いたので買ったのか“カナダドライ・クラブソーダ”。炭酸の強い“カナダドライ・ジンジャーエール”は好きな飲み物だが、それの姉妹品は買ったことが無かった。ちょっと目新しかったので手に取ってみたんだ。
スパークリング・ウォーターだって。どんなもんだろう、と一口飲んでみたら・・・。
・・・こりゃ、ただの水に炭酸入れただけだ!
ああ、そういう意味だったんだ。判らなかった俺が悪い。ラベルにそのまま書いているんだから。
まあ、そんなこんなでなんとか帰宅して一息ついたところだ。クラブソーダのほうはカルピスと混ぜたら飲めるようになった。まあ、これって要するに単なる“ソーダ水”なんだよね。酒とかで割るといい奴だ。
仕事している最中から妙に頭がフラフラしていたけど、ここにきてやっぱり眠くなってきた。
これから一月は人並みの昼夜ちゃんとした生活が出来るかな、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月6日(日) やっぱり不自然
今は午前4時前。こんな時間に日記を更新しているんだから、俺のデタラメ生活ぶりが垣間見られることだろう。明日からA勤、6時起きなんだか・・・。
金曜日はまるで絵に描いたような青空が広がっていた。で、気持ちよく過ごしたのに、日曜日はずっと雨模様。特に気温が下がるようなこともなかったが、買い物にいくには少々厄介な雨だった。
買い物といっても遠出を避けると、結局は近場のスーパーに食料品を買いに行くくらいしかない。特に最近は食事を弁当で済ませてしまうことが多くなったので、コンビニばかり、ホカ弁ばかり、ひとつのスーパーばかりに偏ることなく、色々と目新しいところを回っているのである。
といっても、所詮は買ってくる弁当には違いないんだが・・・。
今日は休みだったにも関わらず、実働時間は妙に少なかった。昨日が遅かったせいもあり(やっぱり午前4時くらいに寝た)、起きたのは11時。しかも夜、寝たのは20時前だ。寝たといっても突然襲ってきた強烈な眠気に耐えることが出来ず、1階のタコ部屋で突っ伏したまま眠ってしまったのである。
で、午前3時くらいに目を覚まして、ヤパい、フロ入ってねえ! というか、色々としてねえ! ということになって、こうやって日記とか更新しているのだ。
上にも書いたが、明日から(日付的には充分に今日なんだが)A勤に変わる。1カ月ぶりだ。
最初はB勤のほうが楽で、今でもそう思っているし、AでもBでも基本的に昼夜が逆転するだけでそんなに違いはないと思っていた。
でも、最近になって、やっぱり昼と夜で働くのは全然違う、というような考えに変わってきた。B勤のほうが気楽なのは今でも同じだが、やっぱり人間、昼夜逆転生活を1カ月も続けると、なんか色々とすり減ってしまう気がする。
人間には“バイオタイド”というものがある。まあ、元ネタネタであるアーノルド・L・リーバーのバイオタイド理論は科学的根拠もない、いわゆる“トンデモ”なんであるが、これは要するに月の潮汐力が人間に影響を及ぼしている、という説だ。例えば満月の夜には犯罪が増加したり、とか。
トンデモではあるが、それはリーバーの唱える説に関して、という意味で、少なくとも25時間周期で体内時計を持っている人間ならば、バイオタイドに近い昼夜を感知するシステムを体内に有している、そんな気がしている。
人間は睡眠を取らなければ死んでしまう。そしてその為に選ばれたのが夜、というわけだ。夜目の効かない人間には夜に睡眠をとるのが一番良いと学習したのだろう。夜行性の肉食動物も多いが、生きる為の有利不利を考えれば、それも当然のような気がする。体内時計もそれで発達してきたんだろうな。
光を手に入れてから人間には夜の行動が可能になった。現代になると昼夜なんてものは活動する時間帯の区別でしかなくなってしまった。
でも、体内時計は相変わらず夜に睡眠をとることを要求している。俺のように2シフト24時間体制で仕事をしているのはやっぱり不自然なんだろう。
とか言っても仕事はしなきゃならないんだけどね、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月5日(土) なんでこんな時期に? だけど誕生石、花。
なんか唐突に調べたくなった俺の誕生石、誕生花。
いや、サイトを色々とめぐっていたらそういうのが一発で判るところがあったので、それで確認してみたというわけだ。
俺は4月14日生まれ。誕生石は“オパール”だ。オパールにも色々とあるが、まあ、とにかくオパールなんである。で、宝石言葉、というのがあって、それが“幸福を得る”。
幸福? 俺の幸福ってなんだ? しかもそれを得られるのか? 少なくとも人並みの幸せな生活なんて望めそうにないし、じゃあ、それ以外の幸福って・・・。でも得られるならそれに越したことはないか。
ちょっと期待してみようか。
誕生花は“ペルシャギク”。花言葉は“競争心”。
競争心か、常に持ち合わせたいなあ。どんな状態でも。ただし最大最凶の敵は自分だぞ。
一目惚れしやすくて(当たっているな)、性格は明るく何時も上機嫌(明るいかどうかはともかく、何時もテンションは高いかも知れない。機嫌がいい? うーん、“許す”ことは得意なんだけどね)。
楽観的でのんびりしている、というのは当たっているか。負けず嫌い、というのもそうかもしれない。
最後まで頑張る粘り強さを持っている、か。うんうん、そうでありたいよね。
ところで誕生花って3種類見つけたんだけど、どうなんだろう? 一つが『365日誕生花の本』というやつから、“あさがお(白)”、花言葉が“喜び溢れ”。
もう一つが『花屋さん系インターネット』より、“ウツギ”、花言葉が“古風”。
色々とあるなあ。喜び溢れってどういう意味だ? 古風・・・俺は自分のことを基本的に「デジタル化されたアナログ人間」と称しているが、古風というのは有りかも知れない。
もうひとつ○○の日というやつ。4月14日は“タイタニックの日”らしい。どうやらあのタイタニック号が、ニュージーランド沖で氷山に衝突して沈没したのが1912年(明治45)の4月14日ということらしい。
この時にタイタニック号から発せられたSOS信号が、世界で初めてのSOS信号だということだ。
色々とあるもんだなあ。いや、これを調べている最中は面白かったよ。他の誕生日なんかも無意味に調べてみたりして。もちろんブックマークつけたサイトも多い。今まで余り気にしなかった(ネタとしても登場しなかったので調べたこともないし)ことなので純粋に楽しい作業だった。
・・・そう言えば肝心の今日11月5日の誕生石や花は調べてなかったな。
こうやって少しずつ何かを知るのは実に楽しい、と思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月4日(金) 徳島県出身の有名人
この前、久々にジャンボ尾崎の話題をみたと思ったら、それがなんと破産、民事更生手続と入ったことを知らせるニュースだった。
ジャンボ尾崎は徳島県海部郡海部町の出身としてかなり有名。5年連続の賞金王になったこともあり、徳島県出身者としては破格の有名さである。
一時期はかなり羽振りも良かったようだが、こうなってくると寂しい。まあ、破産手続きじゃないからそれが救いと言えば救いか。
徳島県出身の有名人、ちゃんとネットで調べてみたらやっぱりそれなりに色々と俺が知っているような人も多い。
漫画家なら柴門ふみはことに有名ではあるが、他にも『ぴーかんゲリラ』なんかで今でも徳島が舞台の漫画に拘る少女漫画家の富永裕美、竹宮恵子や村生ミオも徳島出身だった。
写真家は立木義治はかなり有名かな? 小説家なら俺的にとにかくこの人! の海野十三だが、瀬戸内寂聴のほうが世間的には有名だろう。
歌手のディック・ミネはともかく、アイドルに田中陽子なんていて笑ってしまった。確かホリプロだったんだよな? 当時は話題になって(こっちでは放映されなかったが)田中陽子をフューチャーしたアニメ『ようこそようこ』はかなり人気作品になった(でも田中陽子のお蔭ではない)。俺の前会社の何年か下の女の子が高校生の田中陽子を知っていたが、性格は・・・だったらしい。
俳優は大杉蓮しかしらなかったが、哀川翔も徳島だったんだ。あとは大塚ちひろぐらいでよく知らないのが数名。まあ、地方出身ということを考えればそんなもんか。
落語家の桂七福、後はこっちのローカルCMでかなり認知度が高いだろう、笑福亭学光。
タレントは板東英二はどうでもいいが、中山美保(吉本新喜劇のほうね)も徳島。そう言えばあのおばさん、どことなく徳島県民っぽい雰囲気あるよね(そうか?)。ここらではよく見かけるタイプというか。
ちょっと注目した声優では、こやまきみこだけだった。確かセガサターンのYU−NOでデビューじゃなかったかな? 主役は『陸上防衛隊まおちゃん』しか知らないが、サブキャラとしてここ最近のアニメでも色々と出ている。
プロ野球選手としては川上憲伸は徳島出身だけど、鳴門市なのでどうも俺には“ちょっと違う”印象が強い。まあ今は徳島県であるかられっきとした出身者なんだけど。
元巨人の水野雄仁等、流石に人数はそれなりにいたな。他の県と比べて多いか少ないかは別として。
プロレスラー、新崎人生はけっこう有名。みちのくプロレスの社長。実は俺の高校の5年先輩でもあるんだ。
他にもアニメ『少女革命ウテナ』の監督(セーラームーンでは確か助監督だった)の幾原邦彦や、スクウェア(現スクウェア・エニックス)の創業者、宮本雅史なんている。知らなかったが、スクウェアって徳島の電友社という会社のいちソフト部門として誕生して独立した会社なんだそうだ。調べてみるもんだね。
後は・・・認めなたくないことだが、あの幸福の科学の大川隆法も徳島県出身だったんだ。そうか、だからあんなデッカイ幸福の科学の建物があったりするんだ。
上であげたのはほんの一部で、スポーツ選手はほとんど割愛したし、政治家は取り上げなかった。他にも歴史上に登場した人物もそれなりにいた。いや、色々と調べてみると面白いことが色々判ったよ。
同じ県民が活躍するのを見るとわくわくするね、とか思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月3日(木) 案外美味かった。
書店に行く度に手にとるようになったのが料理の本。流石にネットではベーシック料理は載っているけど、その他に関してはやっぱり甘い。
個性的かそうでないかがちょっと大きくて(俺が見たサイトが極端だったのかも知れないが)ちょうど中間というのが少ない。まあ、そういうのは書店で買うなりテレビで見るなりしろ、ということか。
徳島ローカルの番組では“100円のおかず”、“50円のおかす”なんていうのも紹介されているが、こういうのは手元の材料を確認して作るシロモノだ。少なくとも100円握りしめていきなり材料を買いにいっても、全部揃うなんてことはあり得ない。
こういうのは1週間分くらいのメニューを最初に決めておいて、それに併せた食材を考えながらあれこれと並べ替えて効率的に作るもんだ。実際に1週間単位でメニューを作成して食材を購入するのが一番の安上がりになるそうだ。
俺のように食材は使い切り、突然何か作ろうと思い立ってスーパーに行くような奴にとっては、“50円のおかず”を作る為に食材を集めると、それだけで500円以上は使ってしまうだろう。要するに普段、冷蔵庫にストックが全くないのだ。しかも必要分だけ使ったら、残りは使い道なく余ってしまう。
下手に何か買っておいても腐らせるだけだからなあ。料理なんてしない時は本当に何週間もしない。生鮮食料品なんて買ってしまった日には・・・その後に待っている悲劇を考えたくもない。
今回、何か料理に挑戦しようと思って作ったのはまたしても“ハンバーグ”。
何の事はない、買い出しに行った時に挽き肉が目について、そうだ! と思い立ったのだ。本当はとんかつ用の豚肉を買うつもりだったんだが・・・それはまた今度。
今回買ったのは鶏の挽き肉。まあ、何でもいいだろう。他の挽き肉との違いなんてよく判らない。
もう何度目かの挑戦だから勝手知ったる、というところはある。パテは直ぐに完成。ちょっとベチャっとしてしまったが、こんなもんだ。
ということで、さあ作ろうか、と思ったけど、仕事があるので泣く泣く冷蔵庫へ。焼いて食べるのは帰ってきてからのお楽しみだ。
で、まあ、バタバタと仕事を終えて帰宅、着替えると一目散にハンバーグ作り再開。
冷蔵庫から取り出すとちょうど良いくらいに固まっている。大きめのスプーンで掬い、熱したフライパンの上へ。平たくして少し焦げ目がつくくらいまで焼いて裏返し。見た目は悪いが・・・。
俺が作ると何故か量が多くなってしまう。ハンバーグ、焼いても焼いても材料が尽きるような気配が見えてこない。結局、直径5センチくらいのものを30枚近くも焼く羽目になってしまった。
見た目は・・・白い。つくねみたいだ。でも味は・・・おや? ちゃんとハンバーグの味がするぞ?(当たり前) しかもなかなか美味いじゃないか! よしよし、ここにきてようやくコンスタントにちゃんとしたものが出来るようになってきたじゃないか。今まで俺が作ったものは失敗する確率は決して低くなかったし、失敗したら決して口にするのは厳禁! みたいなモノになってたから、随分と上達したもんだ。
この調子で次はとんかつ、いくぞ!
というか、何でこんなに料理に燃えているのか、と少し疑問に思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月2日(水) こういうのもプラシーボ効果?
俺は基本的に薬の類は信用していない。薬って全然効かないような印象があるから、どんなに効くという薬を飲んでも逆プラシーボ効果(とういのがあるのなら)のせいで、効き目はさらに悪くなるだろう。
サプリ関係もあんまり信用していないし、2、3年前に眼科、耳鼻科で処方してもらった薬を少なくとも数カ月以上使い続けたが、全然効果がなかった。
俺はとにかく病気は気力で直せると堅く信じている人間だ。どんな病だって気合と根性以上に俺に効く薬なんてない。
もちろん、今まで生きてきた中で培った知識とか経験で得たものはちゃんと生かしている。
例えば風邪のひき始め、少し熱っぽい時など、風呂は控えろと言われてきたが、俺は逆にかなり熱めの風呂に少し長く入って汗を出すことを実践している。そうすると次の日には風邪は一発で直っている。
喉がやられそうな時はフルーツジュース、野菜ジュースを飲んで過ごしているとそんなに酷くならない。
そんな俺だから、今まで薬らしい薬に頼ったことはない。まあ、こんな俺でも子供の頃から飲んでいる薬があるので、それだけは効くと信じて(プラシーボ効果を引き出して)飲むようにしている。ただの風邪薬であるが、まあ、そんなものもあることはある。
ところが最近、効くと信じるに足る薬がひとつ出来た。『液体ムヒ』、痒み止めだ。
今の仕事に就いた時、何故か右足の脛がかぶれてやたらと痒くなった。仕事中に何気なく掻いていると、知らない間にそれは広がっていき、最終的には5センチ四方くらいの広さまでになってしまった。最初はほんの小さな部分だったけど、掻く⇒傷がつく⇒そこがまた痒くなる⇒掻くと傷が広がる、なんていう悪循環に陥ってしまったのだ。
しばらくは気にもならなかったけど、それが数カ月ずっとそのままだと流石に不安になってきた。まあ、痒い、くらいの害しかなかったが、放置もどうかと思い、ようやく買ったのがムヒだった。
正直なところ何でも良かった。たまたま立ち寄ったドラッグストアの店員のおネエちゃんがやたらとカワイかったのと、その手で最初に紹介されたのがムヒだったから、二つ返事で買ったに過ぎない。
で、そいつを付けてみたら・・・最初スースー、しばらくしてヒリヒリ熱くなり、ゆっくりと冷めていく。匂いも湿布っぽい。ああ、こんな感じだよな、なんて思いながら、少し多めに塗るようにしたら、ほんの4、5日で痒みは全く治まってしまった。今までの数カ月は何だったんだろう、ってくらいあっけなかった。
最近は同じ効果を期待して『メンフラローション』を肩こり用に買ってみたが、こっちは全く効果なし。やっぱりムヒは特別だったんだ。
ムヒの出番はこれっきり、残念ながらそれからは使ってないが、あれは本当に良かった。多分、何でも良かったんだろうけど、意外と体や症状にも合っていたのかも知れない。肩こりもそれだけ効いてくれればなあ、なんて思うんだが。
ま、俺には基本的に薬なんて必要ないんだけどね、なんて思いながら、チシャ猫によろしく。
2005年11月1日(火) もう11月なんだよなあ
あまり実感がないが、今年もあと2カ月。こんなに早く時間が過ぎてしまうと何も出来ないな。
俺は基本的に時間の使い方が下手で、無駄な時間が多過ぎることを何時も痛感している。あの時、あれだけ時間があったら何が出来た、とか、あれ? この時間何をしていったけ? とか悲しい程に無駄に時間を過ごしている。
なんか、仕事周りで少しバタバタしだしたので、これから益々時間をちゃんと管理して行かなければならない。こんな状態はイカんなあ。
で、そんな11月最初の日のニュースはこんなものがあった。
第3次小泉改造内閣発足。といっても新閣僚達にそんなに興味はないので何もコメント出来ない。まあ、片山さつきが超タカビーで米の大物政治家をドタキャンはするは他の政党代表をコイツ呼ばわりするわで早速嫌われている、というのだけは記憶に残っているなあ。
UFJ銀行ATMの盗撮事件。ここに来てUFJは盗撮の時間や人数を公表したが、そこまで判っているのなら、どうしてもっと早い段階で対処出来なかったんだろうと思う。
防犯カメラはついているんだ。その内容を把握していなかったのか? いや、多分普段はチェックなんてしていないんだろうな。あれはきっと、犯罪が起こった時に時間を遡って何があったのかを確認する為のものだ。普段からチェックしてるなんてプライバシー保護からみても危うい。
でも、ATMの前で金を卸すこともなく長時間いる人間なんて怪しいに決まっている。そういうのがもっと早く判っていたら何らかの対策は出来たかも知れないんだが・・・UFJには無理か? だって、あの銀行は・・・まあ、いいや。俺は使ってないし。
16歳少女による母親への毒物投与事件。なんかTVでは少女の心の闇だのなんだのとコメントしているが、どうにもそれを聞いていると「ちょっと違うぞ?」というものも多い。
俺としてはそんなに大したことじゃないような気がする。いや、事件そのものは大したことなんだけど、なんかこういう感覚ってそんなに特殊なものじゃない。
ただ、多数か少数かの違いだけで、少数だから奇抜に映る、それだけのことだ。世の中で奇人が目立つのは奇人が圧倒的に少ないからだ。もし奇人のほうが圧倒的に数がおおければ、その立場は逆転しているだろう。
化学に興味があって、毒殺事件の犯罪者に憧れ、かつもしそんな子が毒薬を手にいれたら? 確かに化学好きなんて珍しいけど、これだけ世の中が総オタク状態(いわゆるマスコミで、そして世間一般に流布している勘違いオタク論のこと、つまり“悪い意味でのオタク”のことだ)だと化学好きだっているだろうし、犯罪者にある種の憧れを持つのは不思議なことじゃない。細かなところを見ていけば、これは何ら不思議なところはない。ただそれが一本に繋がる時、どこでそうなってしまったか? というだけの話だ。
もちろん、理性とかそういうものが毒物を実際に使うことに歯止めをかけるはずだが、この10代後半(特に17歳前後はよく事件になる。一時期17歳の犯罪が多発したこともあった)は経験不足と情緒不安定、自意識過剰と自己嫌悪の狭間で時に正常な判断が出来ないこともある。
この少女にアイデンティティが確立していたかどうかは怪しいところだが、“普通の少女”という表向きの顔の奥に冷静な残酷さを覗かせるのは性格や環境のこともあるだろが、格別に普通から逸脱しているとは思えない。
中学の文集には既に化学についての目標を載せていたようだが、野球選手、サッカー選手に憧れるのとどう違うのか。
ただ、この年頃の共通の感覚として“自分が特別なのではないか”という勘違いが常についてまわるのはある意味仕方がない。やっぱり知識不足、経験不足、そして自意識過剰によって、自分がさも“人と違う”かのように勘違いしてしまうのである。この勘違いはある意味では正しいが、それが固体の差の問題でしかないことに気づくことはほとんどない。そして自分が何処にでも入るごく普通の存在であると、逆に認めたくないのだ。それが憐憫であろうがなんだろうが、良い意味でも悪い意味でも“自分はを特別であらなければならない”というものがあるのである。
そんな意識が少女を母親に毒薬を盛り、弱っていく様子をブログにアップするという“特殊”なことに導いてしまったように俺は思う。
なんか最後になって語ってしまったが、今日も今日とてあんまり良いニュースがないな。ま、世間様はどうあれ、俺は俺で細々とやっていくだけなんだけどね。
ラブ&ベリーのことは書けなかったな、とか思いながら、チシャ猫によろしく。
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