雑  記

〜徒然に独り言〜

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2009年10月28日(水)
転載文「NHKへの公開質問状」

 片山貴夫という人のブログに、「えひめ教科書裁判を支える会」と「『坂の上の雲記念館』の問題を考える会」によるNHKへの公開質問状が転載アップされていたので転載する。
「国民的作家」として、生前からその地位を不動のものとしていた司馬遼太郎が、どのような国家観、歴史観を持っていたかは、その「国民」を映し出す鏡としても重要な意味を持っている。

 NHKが、この質問状を真摯に受け止め、誠実に対応する期待は薄いと思うが、以後の状況と、実際の放送内容についても、機会があれば触れてみたい。



【転送・転載歓迎です】


11月29日から放送予定のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放送を前に、NHKは大キャンペーンを行っています。しかし、原作には史実に反する記述など重大な問題があり「えひめ教科書裁判を支える会」と「『坂の上の雲記念館』の問題を考える会」の2市民団体が10月14日、ドラマ化にあたっての対応を問う福地茂雄NHK会長あての「公開質問状」を松山市堀之内の松山放送局に提出しました。

 長文ですが、「公開質問状」ですので、インターネットを通じて、問題点を広く知っていただくために、みなさんに公開します。

 なお、「えひめ教科書裁判を支える会」では、『坂の上の雲』批判の詳しいブックレットを現在、製作中です。放送開始に合わせて、販売する計画です。その際には再度お知らせしますので、ぜひお買い求めいただき、『坂の上の雲』を反面教材にして真実の「歴史認識」を共有していただきたいと願っています。

********************************

日本放送協会 会長 福地茂雄 様

             公 開 質 問 状

 貴局は、司馬遼太郎の作品『坂の上の雲』をドラマ化して、この11月末より放映する予定としていますが、この作品は、歴史的事実に全く反する記述や朝鮮・中国への蔑視的記述をはじめ、非常に重大な問題点が数多くあります。

 この作品での、日清・日露戦争を含む「明治期日本」への認識・評価は、右翼・国家主義者らの「新しい歴史教科書をつくる会」等のそれと、ほとんど似通っています。また「つくる会教科書」には『坂の上の雲』の中の記述をベースにしたものと見てほぼ間違いのないような記述もあります。

 もし、貴局が、これら<歴史的事実>に反すること等の検証をすることなく、原作に忠実にこのドラマをつくっているとしたら、公共放送によって、多くの事実に反することや差別的見方が流されることとなり、多くの視聴者への影響を考えると、看過できるものではありません。

 これは歴史小説だからと言って逃れられることではありません。日清・日露戦争の定義・性格はじめ、司馬自身が、ときに歴史学の学説を批判しながら、到るところで自らの歴史認識を示している、そのようなところでの、歴史的事実に反する記述の問題なのです。登場人物の会話等、想像力を働かせたであろう細部の描写のことを、私たちは問題にしているのではありません。また、司馬自身、以下のように述べています。

 「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手――私の事だ――はどうにも小説にならない主題をえらんでしまっている。」(文春文庫新装版、第8巻、330頁)

 「『坂の上の雲』と言う作品は、ぼう大な事実関係の累積のなかで書かねばならないため、ずいぶん疲れた。本来からいえば、事実というのは、作家にとってその真実に到着するための刺戟剤であるにすぎないのだが、しかし『坂の上の雲』にかぎってはそうではなく、事実関係に誤りがあっ
てはどうにもならず、それだけに、ときに泥沼に足をとられてしまったような苦しみを覚えた。」(同第8巻、369頁)

 つまりこの小説は、書き手にとっても、読み手にとっても、そこに書かれていることを、日清戦争や日露戦争に関する歴史的事実と見なす構造になっているのです。

 ですから、貴局は、この作品をドラマ化して放映するにあたっては、そこに書かれていることがほんとうに事実なのかどうか、司馬の、日清戦争や日露戦争に対する認識は間違っていないのかどうか、それらを検証する義務があります。

 つきましては、以下に列挙する『坂の上の雲』の重大な問題点について、貴局はどのような認識をし、また、ドラマの制作上において、どのような対応をされて来ているのかお答えください。


一、 『坂の上の雲』において語られている、以下に列挙したことについての司馬の歴史認識が<事実>と全く違うことについて検証しましたか?
 また、このことに、「ドラマ」では、どのように対応していますか?

@ 日清戦争は、司馬のいうように、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」戦争であったか?

 司馬は、日清戦争は、「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった」としている。
 しかし、日清戦争は、朝鮮から清の勢力を逐い出し、日本が朝鮮を単独支配するとともに、清国領の一部を領有することをも目的として、日本から主体的・積極的に起こしたというのが、<歴史的事実>である。
 そして、実際に、日本は、朝鮮から清の勢力を逐い出すとともに、その後も、清国領に去った清国軍を追って清国領内で戦争を続行し、講和条約において、清国領の一部を領有したのである。
 つまり、司馬が日清戦争について述べていることは、全く<事実>に反しているのである。(『資料』一の(1)の @ を参照ください)

A 日露戦争は、司馬の言うように、「祖国防衛戦争」であったか?

 司馬は、日露戦争における「日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない。」(第3巻、182頁)

とし、また

「後世という、事が冷却してしまった時点でみてなお、ロシアの態度には、弁護すべきところがまったくない。ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしか手がなかったであろう。」(第3巻、178頁)

と述べている。
 しかし、『資料』で明らかにしたように、日本は、ロシアによって「死へ追いつめ」られていたり、「窮鼠」にされていたりしたという事実はなく、また当時、日本をロシアから「防衛」しなければならないような客観的状況も全くなかった。

 日露戦争は、朝鮮からロシアの勢力を逐いだし、日本が朝鮮を単独支配するために、日本の方から主体的、積極的にロシアに戦争を仕掛けて始まったというのが<歴史的事実>である。そして日露戦争を行いながら同時に、朝鮮の保護国化・植民地化を進める措置をとり、戦後には、この戦争の当初の目的どおり、ポーツマス講和条約において、ロシアに日本の朝鮮単独支配を認めさせたのである。

 つまり、日露戦争は「防衛戦」などでは全くなく、朝鮮を保護国・植民地化するための戦争であった、というのが<歴史的事実>である。

 また、司馬は、

「ロシアが、フランスの利益に関係のない極東での侵略道楽をはじめたがために日露戦争がおこった。」(第5巻、308頁)

「極東を征服するための戦争をおこした以上は、ロシア帝国は勝つための態勢をとるべきであった。」(第8巻、234頁)

と書いて、まるでロシアの方から戦争を起こしたように書いているが、これも『資料』で明らかにしたように、明白に、日本の方から仕掛け、起こした戦争であったというのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の A を参照ください)

B「北清事変」(義和団鎮圧戦争)で「日本軍は掠奪しなかった」というのはほんとうか?

 司馬は、日本と欧米列強が義和団の蜂起を鎮圧した、いわゆる「北清事変」において、欧米列強はすさまじい掠奪を行ったが、日本は一切しなかった、と以下のように言っている。

「キリスト教国の側からいえば、いわば正義の軍隊である。しかし入城後にかれらがやった無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上、類を絶している。
 かれらは民家という民家に押し込んで掠奪のかぎりをつくしたばかりでなく、大挙して宮殿にふみこみ、金目のものはことごとく奪った。
(略)
  ただし、日本軍のみは一兵といえども掠奪をしなかった。」(第2巻、385頁)

 しかし、『資料』で明らかにしたように、日本軍は、他の列強諸国の軍隊にさきがけて掠奪を行ったというのが<事実>である。
 日本軍の掠奪行為については、当時の議会でも問題になり、多くの新聞も、その、いくつもの証言を載せて報じたものである。(『資料』一の(1)の B を参照ください)


C 日本は、司馬の言うように、「戦時国際法の忠実な遵奉者」であったか?

司馬は次のように言う。

「日本はこの戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した。」
(第7巻、218頁)

 しかし<事実>は、『資料』で明らかにしているように、日本軍は、戦場とした中国で、種々の軍需品を徴発し、強制労働を課し、多くの人びとを殺害さえしたのである。
 また、ロシア兵捕虜に関しても、欧米列強諸国との条約改正をしたいという自らの利害から優遇した側面も確かにあったが、一方、『資料』でそのいくつかを例示したように、多くの捕虜虐殺事件を起こしているのである。
 「戦時国際法の遵守」に関しても、同じく条約改正等の自らの利害から欧米各国に対しては守ろうと努めたが、欧米列強の視線がないところでは守らないことが多かった。また朝鮮等のアジアの国に対しては、国際法などまるで存在しないかのごとく、それを全く無視し、さまざまな違法・残虐行為を行ったというのが<歴史的事実>である。(『資料』一の(1)の C を参照ください)


二、 日清・日露戦争を描きながら、その戦争における侵略によって被害を受けた朝鮮人・中国人のことは全く触れられてもいません。これほどまでの自国・自民族中心主義でいいのでしょうか?

 朝鮮・中国においては、この二つの戦争における日本軍の行為によって、実に多くの人びとが殺されます。(『資料』一の(1)の D を参照ください)
 そして、この二つの戦争をとおして、朝鮮は日本の保護国・植民地にされ、中国は、その一部を日本によって奪われ、支配されます。(『資料』一の(1)の@・A を参照ください)
 しかし、これらの非常に重要な<歴史的事実>については、触れられていません。あまりもの自国・自民族中心主義、他者・他国への想像力の欠如ではないでしょうか? その具体的な一例を以下に紹介します。

◆ 司馬は以下のように言います。

「旅順というのは、戦いというものの思想的善悪はともかく、二度にわたって日本人の血を大量に吸った。」(第二巻、107頁)
 
 しかし、「旅順というのは」「日本人の血」のみを「大量に吸った」のだろうか?

 旅順は、日清戦争時、日本軍による、中国人大虐殺が行われたところである。これは当時、諸外国のメディアでも報道され、日本政府もその対応に苦慮した、国際的には当時からの公然の事実である。また日露戦争時にも、日本はここで多くの中国人を殺害した。
 私たちはここで、この日本軍の虐殺行為を、司馬が書いていないこと自体を問題にしようとしているのではない。
 ここでとても問題だと思うのは、「旅順は日本人の血を大量に吸った」と書きながら、そこでその日本人によって虐殺され、流された中国人の「血」のことについては全く触れてもいないことである。しかも、それは、司馬の作品執筆当時はわかっていなかったというようなことではない。
 あまりにも他者・他国への想像力が欠如しているのではないだろうか。
(『資料』一の(1)の D を参照ください)


三、 この作品には、日露戦争を遂行した日本軍・日本国家に対する、根拠のない、誇大妄想的な域にまで達している、あられもない日本賛美の記述が多くあります。
 仮に、これらの文章をそのままナレーション等の形で放送するとしたら、それは、過剰な自己賛美の偏狭なナショナリズムを、日本社会に生じさせる契機ともなりかねません。
 貴局は、このような危惧・問題について検討しましたか?
 また以下のような記述を、どう扱う予定ですか?

「世界史のうえで、ときに民族というものが後世の想像を絶する奇蹟のようなものを演ずることがあるが、日清戦争から日露戦争にかけての十年間の日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」(第3巻、45頁)

「癸丑はペリーがきた嘉永六年のことであり、甲寅とはその翌年の安政元年のことである。この時期以来、日本は国際環境の苛烈ななかに入り、存亡の危機をさけんで志士たちがむらがって輩出し、一方、幕府も諸藩も江戸期科学の伝統に西洋科学を熔接し、ついに明治維新の成立とともにその急速な転換という点で世界史上の奇蹟といわれる近代国家を成立させた。」
(第8巻、94頁)

「古今東西の将帥で東郷ほどこの修羅場のなかでくそ落ちつきに落ちついていた男もなかったであろう。」(第8巻、131〜132頁)

「なにしろ人類が戦争というものを体験して以来、この闘いほど完璧な勝利を完璧なかたちで生みあげたものはなく、その後にもなかった。」(第8巻、191頁)

「日本海海戦が、人類がなしえたともおもえないほどの記録的勝利を日本があげたとき、ロシア側ははじめて戦争を継続する意志をうしなった。というより、戦うべき手段をうしなった。」(第8巻、282頁)

「世界史のうえで(略)日本ほどの奇蹟を演じた民族は、まず類がない。」とか「人類が〜以来、これほどの〜は後にも先にもない」とか、これらはまず調べようもないことであり、司馬自身、その根拠を何ら示していないし、また示しようもないものである。そのような形で、このように、過剰なまでの自己・自国賛美を行っているのである。しかも、そのほとんどは、日本の戦争面での「すばらしさ」を讃えているのである。(最初にあげた引用文の中の「奇蹟」も、日本の「驚嘆すべき」軍備拡張を指している。)


四、 司馬は、日本の行った朝鮮への侵略・植民地化を「時代」や「地理的位置」のせいにして正当化しています。 「ドラマ」でも、このような司馬の捉え方を、そのまま取り入れているのでしょうか?

 たとえば司馬は次のように言います。

「十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力をもち、帝国主義国の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。(略)日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。
 日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。」(第3巻、173頁)

「そろそろ、戦争の原因にふれねばならない。
 原因は、朝鮮にある。
 といっても、韓国や韓国人に罪があるのではなく、罪があるとすれば、
朝鮮半島という地理的存在にある。」(第2巻、48頁)

 しかし、いかにも客観性・普遍性があるような断定的な書き方をしている、これらの司馬の「時代認識」や「地理的位置」の問題の捉え方は、『資料』で明らかにしたように、事実とは異なります。そして、これらの司馬の論法は、当時の日本の行った行為――帝国主義国の一つとなって、朝鮮を侵略・植民地化する――を正当化するためのものに他なりません。

 放映によって、このような司馬の巧妙な論法までが市民・国民の中に流布・浸透するのではないかと、私たちは強い危惧を抱いています。


五、 司馬は、この作品において、日本を、西欧的価値や制度のいち早い達成者・体現者と見なして優等視し、それと比較する形で、朝鮮・中国・ロシアを、その遅れた国として劣等視する記述を多くしています。
 貴局は、このようなアジア及びロシア蔑視の文章に、ドラマの中で、どのように対応していますか?
 また、以下の ※ のところの質問にもお答えください。

 以下に、その一部を例示します。

「韓国自身、どうにもならない。
 李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。」(第2巻、50頁)

「もともと清国は近代的な国軍を持つような体質ではなかったと言えるであろう。」(第2巻、152頁)

「日本の平安期のころ、日本人はすでにそれなりの統一社会と文化をもっていたが、スラヴ人はなお未開にちかかった。」(第2巻、331頁)

「考えてみれば、ロシア帝国は負けるべくして負けようとしている。
 その最大の理由――原理というべきか――が、制度上の健康な批判機関をもたない独裁皇帝とその側近で構成されたおそるべき帝政にあるといっていい。
(略)
 日本の準備がロシアとかけはなれて計画的であったからである。立憲国家である日本は、練度は不十分ながら国会をもち、責任内閣をもつという点で、その国家運営の原理は当然理性が主要素になっている。ならざるをえない体制をもっていた。
 陸海軍も、その後のいわゆる軍閥のように「統帥権」をてこにした立憲性の空洞化をくわだてるような気配はすこしもなく、統帥上は天皇の軍隊ということでありながら、これはあくまでも形而上的精神の世界とし、その運営はあくまでも国会から付託されているという道理がすこしもくずれていなかった。この点、ロシアと比較してみごとに対蹠的であるといっていい。」(第6巻、121頁)


※ここでは略しますが、司馬がここでロシアと比較して「みごとに対蹠的」なほど優れているとしている、当時の日本の国家制度についての説明には、基礎的なことがらも含めて多くの間違い――<事実>に反することがあります。「立憲国家」や「責任内閣」、その国家運営のこと等、それらの間違いについて、『資料』一の(4)の C において指摘していますので、この明白な「間違い」に対して、ドラマの中ではどのように対応される予定かについてもお聞かせください。


 ごく一部をあげただけだが、このような、日本を西欧的価値・制度の先進国、文明国とし、他のアジア諸国をその後進国と見なすような思考方法・認識の枠組みは、日本型オリエンタリズムとでも呼ぶべきものであって、近代日本による他のアジア諸国への侵略・植民地化を支えた「思想」と同じものである。

 また、司馬の、こうした比較は、あくまでも国家・統治者の立場・視点からの比較であって、市民・民衆の立場からのものではない。『資料』一の(4)の D に書いているように、市民・民衆の権利・視点・立場から比較すれば、その頃、日本は、<民権>の獲得と確立をめざした自由民権運動がすでに明治国家によって圧殺され、潰滅させられて、民衆は、天皇制国家のもとに組織されていっていたのに比べて、朝鮮・中国・ロシアでは、国家や皇帝・国王の支配に対し、農民・労働者・民衆が起ち上がり、自らの権利・生活を獲得する闘い――それらを尊重する社会・国づくりへ向けた大きな社会変革のうねりが湧き起こっていたのである。(『資料』一の(4)を参照ください)


六、 この作品の中には、以下のような女性蔑視の表現があります。
 貴局は、ドラマ化において、このような表現に、どのような対応をするつもりですか?

 以下に例示するのは、作品中の会話部分ではなく、司馬自身の語りの部分である。会話の中ならば、女性蔑視の表現も、当時の実相を描いたということで、もちろん問題はないが、以下の表現は書き手――司馬自身の問題である。

「児玉は自分のほうの砲弾不足に悲鳴をあげながらも、
 ――旅順を優先的に。
 と、その点、戦局全般を見わたして判断していた。乃木軍の伊地知はそのような客観性のある視野や視点を持っていない性格であるようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格の持ちぬしであるようだった。」(第3巻、315頁)

「が、ロジェストウェンスキーは、その点にあまりやかましいために孤独であった。しかも孤独をおそれぬ強さがあった。ロジェストウェンスキーは幕僚のたれをも愛さなかった。側近を愛さずとも平気でいられる神経を持っていた。
 それにくらべてステッセルは、より女性的であったといっていい。戦前から旅順の社交界の中心人物であったかれは、社交の友を欲し、幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛し、その献言をつねに採用した。このためステッセルのまわりはそういうふんいきが充満し、愚者のサロンというほどでないにしても、智者や勇者の意見が率直に通るような空気ではなかった。」(第5巻、253〜254頁)

 「自分の失敗を他のせいにするような」性格や、「幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛」するような人物は、それぞれ男性であり、その男性の性格であるにもかかわらず、司馬はそれを「女性的」としているのである。
 これは、プラス価値的なものは男性の属性で、マイナス価値的なものは女性の属性であるとする、いわゆる<ジェンダー>の構図――からくり、そのままの表現である。そして、この「からくり」こそは、近代の男性優位社会や女性差別・蔑視を支え、維持してきたものなのである。(『資料』一の(5)を参照ください。)


 以上のことに、ひと月後の11月14日までに文書にてお答えいただければと思います。
 同時に、回答当日、担当の方に、その「回答文書」の意味・内容を、私たちの前で、口頭にて説明していただければと思います。

 なお、この<公開質問状>と貴局の「回答」は、マスメディアを含むさまざまなメディア及びインターネット上に発表、公開する予定です。

 それではよろしくお願い致します。

2009年10月14日

えひめ教科書裁判を支える会
『坂の上の雲記念館』の問題を考える会

2009年10月22日(木)
「核兵器廃絶」は村おこしか

 オリンピックを見る唯一の(もちろん個人的な)理由は、世界最高レベルのスポーツ選手が一堂に集まり、最高のパフォーマンスを披露する場面を一気に見られるからである。そういう視点から言えば、観光旅行に行くわけでもない自分にとっては、開催地がどこであろうがどうでもいい。
 
 オリンピックに付きまとう政治的側面は、その招致活動で見られるように、IOC委員や候補地同士の裏取引に始まり、国威発揚、国力誇示、外貨獲得、政治家の実績作りなどなど、とにかく欲望の権化でしかないのだから、そもそも、「あの国はけしからん」とか、「取引しやがった」とか、当事者たちが言うのはギャグでしかない。
 言い換えれば、そういう裏側があるからこそ、「南米初」だとかなんだとかいう表向きの理由付けは好都合なのだろう。
 
 そういう中にどっぷり浸かる前提にありながら、「核兵器廃絶」というスローガンさえ持ち込めば、すべてが浄化されるとでもいわんばかりの広島と長崎のオリンピック招致構想には腰が砕ける。
 プラハでちょいと演説しただけで、実際には「核廃絶」に具体的な実践を何一つしていないオバマ大統領が(ホワイトハウス自体が仰天するような)ノーベル平和賞を受賞したとたんに、その権威に乗じてオリンピック招致に「核兵器廃絶」を利用するのだから呆れてしまう(マザー・テレサのような聖人も受賞すれば、佐藤栄作のようなのでも受賞するのがノーベル平和賞)。
 核兵器を持つ国が参加しないオリンピックがありえない現代において、その招致をしながら、いったい誰(どこ)に向かって、「核廃絶」をアピールするというのだろうか。

 なんにしても、こういういかがわしい権威と一体となることを盲目的に「良」とする反核平和運動のあり方は、第二次大戦における広島と長崎の“日本人被爆者”だけが、“唯一の被害者”として特権的に「反核」をアピールする姿を増幅させていて、なんとも空虚としかいいようがない。

2009年9月8日(火)
民主圧勝という茶番な世相

 衆議院選挙の議席獲得結果を見て笑ってしまった。笑ったといっても、何も嬉しかったわけではない。あまりにも分かりやすい結果に、半ば脱力して、変な笑い顔になっていたと思う。
 民主党の308議席獲得っていうのは、解散前の自民党に近い数字で、自民党の119議席っていうのも、解散前の民主党に近い。
 共産党と社民党が解散前と同じ9議席と7議席で、これは固定票でしかなかったのは明らかだ。あるいは社民党は、民主の選挙協力がなかったら、さらに議席を減らしていた可能性も高い。
 投票率だって、前回の衆院選で自民が圧勝したときと似たようなもので、つまり、民主党のプラス200議席の票は、小泉劇場に踊らされた前回の自民投票者の中で、強固な自民支持といえない浮動票を中心に、勝ち馬に乗ろうと大量に横滑りしたものだといえる。国民新党(3議席)、みんなの党(5議席)なんてのも、同じ自民離反組からのものだろうし、自民党票の振り分けをもらえず(それどころではなかったから)、組織票頼みになった公明党は大幅に議席を減らしたが、そういった分が、他の保守系や民主に流れたことも読み取れる。

 一議席も増やすことが出来なかった社民党が、単独過半数をはるかに上回る民主党と連立を組んだところで、元来の主張を押し通すことが出来ないことくらいは誰だって分かる。政権内に留まるためには、妥協に妥協を重ねるしかないわけで、それは、かつての社会党がそうであったように、いくらトラウマから逃れようとあがいてみても、結局は民主党へ回収されていくこと(少なくとも政策レベルでは)を意味し、そうなることは、与党たることの自己弁護として正当化されていくだろう。
 逆に連立を組まなければ、「保守」対「リベラル・中道」という二大政党制か、あるいは「大連立」という構図が確立されていく過程で、弾き飛ばされて無力化し、政治の表舞台から消えるか、党ごと吸収されて解体の道をたどる可能性が高いわけで、どのみち、左派政党としての社民党には展望がなくなったのだということを明示する選挙だったと思う。
 社民支持者の中には、連立において、その意見が多少なりとも反映されることが大事じゃないかと浮かれるアホもいるが、大切なのは、そういう短期的・表面的なことではない。民主と自民(大連立とか政界再編も含めて)が政権をキャッチボールするような保守二大政党制を欲する(または容認する)というような日本全体のあり方は、それは例えば、ときおり謝ってその場をやり過ごしながらDVを繰り返す男と似たようなもので、結局は同じことを繰り返すか、事態を悪化させることでしかない。
 日本における排外主義や差別思考をものの見事に露呈させた近年の「北朝鮮バッシング」に染まりきった世論のなかで、社民党もまた、そのポピュリズムに同調する中でしか存在しえていないのだから、そういう政党のひとつが、政権与党という権力の末端にしがみつこうとしているに過ぎないのだ。
 
 自民・公明の凋落や「政権交代」は、それを単独で見たって意味はない。それどころか、雑多な寄せ集めでも「民主党」として成立しているサマは、違いがあるようで似たり寄ったりの昨今の新聞などの論調と同様に、ベースとして保守化・右傾化した世論形成と「大枠」では一体であって、そういう「大枠」の中での動きでしかないことを、今回の衆院選の票の動きが如実に表している。
 そして、連立政権が、国民的支持を維持しようとするならば、反自民的な政策や理念をアピールする一方で、より強硬な形で、保守層、右派層を納得させる政策をも同時に履行していくであろうことは、容易に想像できるのである。

2009年8月27日(木)
酒井法子を吊るし上げる気持ち悪さ

 酒井法子というタレントが、アイドル歌手としてデビューし、俳優業や、その他のタレント活動においても、所謂「清純派」として活動を続けたことは、タレントを続ける上で、本人や、そのマネージメントを行う周辺が選択した戦略であって、それは文字通り「アイドル=偶像」でしかない。
 そして、そんなことは、同業者である俳優やタレントと呼ばれる芸能人や、その関係者のほうが、「偶像」部分だけを見せられている側よりは、遥かに分かりきっているはずの事柄だろう。
 
 執拗なまでに酒井の行状を伝える異様なテレビ放送の中で、その同業者達がキャスターやコメンテーターとして発言し、「イメージが壊れた」「裏切られた」などと酒井を責め立て、中には、「一般よりも罪を重くすべきだ」とか、「一般なら会社もクビになって職を失うが、芸能人は簡単に復帰できると思われているから、二度と復帰させないで欲しい」と、まるで彼女を社会的に抹殺すべきのごとき発言まで飛び出していた。
 こういったコメントをする連中が、怪しげなライバル心から、ここぞとばかりに酒井を更に追い落とさんという悪意を持って発言しているわけではないだろう。それだけに、彼女を糾弾すればするほど、それは、彼女と自分との差を必死に強調しているようで、みんなが一斉に、突如として正義感溢れる潔癖なイイ子ちゃんを演じている感が否めない。酒井法子に対して持っていたイメージとの乖離に怒りを発しながら、「彼と我」の差をイメージさせるべく、懸命に視聴者にアピールする姿は滑稽にさえ見える。
 彼ら、彼女らの周りには、「復帰」してきた同業者は幾人もいるし、当然、付き合いもあるだろう。そういう人たちの前でも、同じように言えるのだろうか。あるいは、表向きの笑顔とは裏腹に、本当は嫌悪しながら、仕方なく付き合っているということなのだろうか。

 犯罪に手を染めてしまった人間が、刑罰を経て社会復帰しようとしたとき、それを真っ向から拒絶するのなら、それは社会のあり方が歪んでいるのだし、そんな社会が、再犯云々を論じる資格などない。
 「子供がかわいそうだ」と言いながら、プライベートの行動や不必要な映像をほじくり出す覗き趣味は相変わらずで、その「子供」がいじめられるのを助長している意識は微塵もない。

 「あぶり」という言葉を知っていたからといって、あるいは、一週間すれば尿検査に引っかからないことを知っていて隠れていたからといって、「素人では決して知りえない専門的テクニック」と驚愕したりするが、いやいや、そうではないだろう。薬物犯罪に限らず、そういう犯罪テクニックや「専門用語」を、わざわざ知らない人たちに微細に披露するのはテレビの方であり、実際にやっていた酒井が知っているは何の不思議もないではないか。

 夫の方の覚せい剤入手ルートを捜査する上で、「イラン人密売人」の存在が報道されたが、重要なのは、警察が「密売人」としている「イラン人」が、どこから(誰から)覚醒剤やヘロイン、合成麻薬といった違法薬物を入手し、どうやって販売ルートを確保し、そして、運転資金や売り上げた金はどう動いているのかということであり、そこの解明に手をつけないのであれば、この手の犯罪を減らすことなど出来ないし、常のごとく、警察とメディアによる「外国人犯罪」をイメージさせるだけのものになってしまう。

 覚せい剤犯罪が他の国に比べて刑が甘いのは酒井のせいではない。事件そのものを冷静に判断しても、ショック症状で意識を失った女性を放置して死なせた押尾学のほうが遥かに悪質だ。
 数年に一度か二度は必ずといっていいほど薬物事件が摘発される芸能界に於いて、「中国なら死刑もある」などと、みせしめ的厳罰志向が同業者から酒井に浴びせられる理由が、彼女の芸能界での「力」の低さや、今回の事件に政治的圧力が作動する「何か」が無かったことや、女性である彼女が「清純派」だったからということなのであれば、それはあまりにも理不尽な話である。

2009年7月4日(土)
「国策捜査」のパラドックス

 元外務省主任分析官の佐藤優が、国際機関である「支援委員会」に対する背任などの罪に問われた裁判で、1日、佐藤側の上告が棄却され、有罪が確定した。この起訴、裁判について、佐藤は一貫して無罪を主張し、「国策捜査」だとして著書まで出していた。
 この主張は多くのジャーナリズムや言論人にも支持され、「外務省のラスプーチン」などといわれた佐藤は、近年、論客として八面六臂の活躍をし、部数の低下に悩む業界の売れっ子として出版・言論界の寵児としてもてはやされる存在になっている。
 
 国権主義者であり、イスラエル絶対支持者であり、明らかな排外主義者の極右でありながら、左派メディアでも二枚舌を駆使して活動し、それを容認、便乗している現状は、北朝鮮への対応で画一的に右傾化した日本社会と、利権主義化した左派メディア・言論界を批判した金光翔氏によって「<佐藤優現象>批判」として論文にされている。

 インチキ捏造記事を掲載され、問いただしに対しても一切応答を拒否していることから、その佐藤優と新潮社(及び「週間新潮」前編集長)を名誉毀損で民事提訴している金氏は、今回の佐藤有罪に関し、そのブログ(7月2日付)で
、「左派ジャーナリズムの人々(編集者や書き手)は今回の佐藤の上告棄却についても、この決定が「国策」だ、といったキャンペーンを張るだろう。これまでの自分たちを正当化するためにも、それは必要であろう」と、書いている。
 
 そして、それはすぐに起った。
 西松建設の違法献金問題で、どういうわけか作家の宮崎学が、西松の元社長、国沢幹雄被告に対して、国家公安委員長に就任した林幹雄への迂回献金を、政治資金規正法違反だとして東京地裁に告発したのだ。小沢前民主党代表と同じ手法なのであるから、こっちも誰かを逮捕して取調べしなきゃおかしいだろという理屈である。
 “どういうわけか”と書いたが、どういうわけかは分かっている。宮崎は、佐藤と共に「フォーラム神保町」というグループの世話人だ。つまり「仲間」であり、金氏の言う、「キャンペーンを張る書き手」そのものである。
 
 宮崎は、西松建設--林幹雄ルートが摘発されないことで小沢スキャンダルの「国策捜査」を強調し、それゆえ、自分達が主張しているように、佐藤優の起訴、裁判も「国策」であると言いたいのだろう。
 しかし、これはアホらしいとしかいいようがない。佐藤は、鈴木宗男とともに、「背任」を含んだやりたい放題という、外務省にとって、まさに「国益」にそぐわない横暴の数々によって追い出しにあっただけのことで、「国策」もへったくれもない。
 仮に、地裁が林幹雄の取調べを決定すれば、宮崎は赤っ恥をかく構図になるし、民主党が自民党の西松疑惑議員を告発しないのも、もし自民党議員に手が伸びれば、小沢の進退問題が再燃しかねないからでもあるからだ。そして同様に、民主党政権成立後、自民党議員関係者が西松献金に絡んで逮捕されるようなことにでもなれば、それこそ国策捜査云々の批判は根底から瓦解してしまう。
 告発・裁判での主張が通れば、自分達のもともとの主張が間違っていることを証明するハメになるという前提なんて、まるでブラック・ギャグではないか。
 自分の「仲間」へだけ「国策捜査」を主張するのは、もそもがお門違いだろう。
 
 金氏のいう意味とは違うかもしれないが、どうにも「ますます何なのかよく分からないものになっていく」ようで、とにかく「利権」闘争とは、かくも浅ましい。
 

2009年5月15日(金)
小沢さんちの民主主義とポピュリズム

 西松建設の違法献金に絡んで、小沢一郎の公設秘書が逮捕されたことは、検察側が、どんなにその正当性を主張しようが、衆議院選挙をにらんだ自民党(関係の誰か)主導による(あるいは検察が自民に“貸し”を作るためかもしれないが)仕掛けであることが透けて見える。
 支持率一桁を目前にし、沈没寸前の麻生政権という泥舟は、もはや自力で浮上するなんて不可能になった。政権交代が確実視されるなかで残された方法は、相手のトップ、すなわち、小沢一郎のスキャンダルによる失脚に賭けるしかないのだろう。

 自民党にしてみれば、公設秘書逮捕という事実によって小沢の金権体質(岩手のドンで、自民党出身の実力者なんだから当たり前)を浮き彫りにさせ、そのイメージダウンよる党首辞任という混乱が果たせればそれで良かった。
 寄り合い所帯の民主党は牽引車を失い、世論の批判を浴びる。マスコミを動員してそれに拍車をかけ、支持率の急低下を機に解散総選挙に出る。そういう筋書きを期待したのかもしれない。東京地検にしてみても、小沢がすぐに辞任していたら、その時点で秘書を釈放していた可能性もある。
 当初、この検察の動きに小沢民主党は激怒したかに見えた。当然だろう。選挙目前の、あまりにもあからさまなタイミングだったのだから。
 しかし、そう分かっていながらも、民主党の姿勢は腰砕けになった。同じ政治資金規正法の中で、小沢と同様の手法で政治献金を受けている国会議員にしてみれば、声高になれない後ろめたさや検察に対する恐怖もある。
 同じように西松から献金を受けていた自民党議員に捜査が及ばないというのは、政・官癒着を如実に物語っているが、それ自体が野党議員に対する脅しになっている。また、西松と無関係の議員にしても、身内ある実情を知っているだけに検察批判を続けるわけにもいかず、そうかといって、マスコミによる徹底した小沢批判や、それに誘導された世論を真っ向相手にする気概など持ち合わせているはずもなく、「小沢辞めるべし」に便乗する言動が生まれだした。
 「官僚支配からの脱却」などと言いながら、結局、検察庁ひとつと闘うことさえ出来ず、党内分裂するのが民主党の「民主主義」なのである。

 一方、続投を決め込んだ小沢に、あてが外れてうろたえたのは検察だろう。もとより小沢逮捕を目論んでいたわけではないのだから慌てたに違いない。捜査員を増やし、「虚偽記載」という微罪容疑の秘書を拘束し続け、起訴し、小沢逮捕に向けて必死の捜査に乗り出したものの上手くはいかない。それはそうだろう。あの田中角栄の側近として手腕を振るい、その栄光も挫折も見尽くし、長年にわたって明に暗に一線で居続けた男である。政治の金の動かし方を知り尽くしていて当然だ。10年で3億が1年で3億であろうとも、検察に尻尾を捕まれるようなバカではないと思う。

 国権の陰謀を批判するどころか、それに加担し、誘導的でくだらない小沢降ろしの「世論調査」と、真実味のない調査結果報道を繰り返すマスコミの大合唱で、ズルズル民主支持は低下していく。こんなことで政権交代のチャンスを潰すのも本末転倒と、小沢は辞任を決めただけのことだ。理由はそこにあるのだから、そんな小沢に「献金の説明責任」を求めるなどナンセンスでしかない。検察の捜査が選挙のためなら、小沢辞任も選挙目的でしかない。「誰がやっても同じ」などと言いながら、清廉潔白さだけをトップ政治家に求めることのなんとバカバカしいことか。そんなものは、少なくとも、今の保守系政治家にあろうはずがない。むしろ、「俺は何も違法なことはしていないから続投した。だけど、くだらないメディアがいつまでも騒ぎ立てて自民党を助け続けている。その影響で選挙に勝てなかったらアホらしいから辞めてやったんだ」と開き直っている小沢のほうが、よほど分かりやすいずうずうしさを持っている。
 民主党の一部政治家は、メディアの小沢バッシングと、それに同調する世論に煽られて右往左往する自らの行動規範が、単なる「衆愚政治」としてのポピュリズムでしかないことをも証明している。

 土壇場においても政治的に上手なのは小沢のほうで、制限時間いっぱいまで引き伸ばした辞任劇で民主党に目を向けさせ、一気に解散総選挙にインパクトを与えるという戦術によって、自民・検察の計略を無力化させたといえる。
 いくら脆弱な民主党といえども、麻生政権程度の自民党のなりふり構わぬスキャンダル戦法では沈没させられないということなのだろう。

2009年4月10日(金)
ミサイルとロケット

 「スプートニクに乗って宇宙に飛ばされたライカ犬のことを思えば、僕の不幸なんてちっぽけなものだ」
 1985年のスウェーデン映画「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(ラッセ・ハルストレム監督)で、主人公のイングマル少年が星空を仰ぎながら自分の不幸を慰める台詞だ。

 1957年10月、世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げを当時のソ連が成功させたことは、ただちに世界中に配信され大ニュースになった。1ヶ月後には、前述のライカ犬を乗せたスプートニク2号を打ち上げている。
 とりわけ、先を越されて、“スプートニク・ショック”の激震が走ったアメリカは、1958年からマーキュリー計画を実行、米・ソの宇宙開発競争が開始される。
 先行したソ連はソユーズ(サユース)計画に移行し、1961年に、これまた世界初の有人宇宙飛行を成功させた。ボストーク1号でガガーリン少佐の言った「地球は青かった」は、人類史に残る言葉になった(詳細な言葉のやり取りは不明)。今風に言えば、「20世紀の流行語・世界大賞」といったところか。
 
 ジェミニ計画を経て、アポロ計画に至ったアメリカは、ケネディ大統領が「1960年代のうちに月面着陸する」と発表し、冷戦下における宇宙開発に大逆転をもたらす決意を固め、莫大な国家予算をつぎ込むことになる。
 いうまでもなく、スプートニク・ショックにアメリカが揺れた理由は、「宇宙開発」というこの計画が、爆撃機を敵地まで飛ばし、上空から爆弾を投下して街ごと相手を殲滅するという、第二次世界大戦で勝利をもたらした最大要因のあり方を一変させる軍事力そのものの技術であるからで、そのことが国力や体制の優位性を最も誇示すると考えていたからだ。
 現実に、冷戦終結までの長きに渡り、何万発という核搭載の大陸弾道ミサイルは、両国の主要都市に矛先を向けて威圧しあうという恐るべき状態に晒されていた。
 
 さて、この凄まじい宇宙開発競争の最中、スプートニクはもちろん、ボストークにも、マーキュリーにも、アポロにも、使用されていた言葉は「人工衛星」であり「宇宙船」であり「ロケット」である。それは今も変わらない。ボストークミサイルとか、ジェミニミサイルといった形容は聞いたことが無い。
 マーキュリー計画の搭乗者を扱った「ライト・スタッフ」(1983年)や、制御不能の危機に瀕する乗組員の奮闘を描いた「アポロ13」(1995年)などで、アメリカは得意の国威発揚英雄映画を配信するし、それは概ね好意的に世界でヒットする。「アポロ11号は本当に月面着陸したか?」という陰謀説が世間を賑わすことはあっても、ミサイルだの、軍事的脅威だとかで国際社会から公的に非難されたことは無いだろう。明らかに軍事基地に配備された爆弾付きの弾道ミサイルが敵国に向けて発射できる状態にあるときにだけ、「彼ら」、そして「日本」はミサイルという言葉を使ってきたはずである。そして、その「ミサイル」という言葉が使われたまさに本物の“核”の時代でさえ、その世界の有り様に異議を唱えること(西側はアメリカに組するものに、東側はソ連に組するものに)は異端者であり、白眼視されていたではないか。
 
 ところがどうだろう。北朝鮮のロケットに関しては、最初から「ミサイル」である。核弾頭や弾薬を積んでいないのは分かりきっているし、「人工衛星」を打ち上げる日付や落下地点を国際規約に則って報告していても、問答無用で「テポドン・ミサイル」なのである。
 もちろん、技術的にはミサイルと同じものだ。それは、アメリカやロシアやフランスや、あるいはイギリスやインドやイスラエルや中国や韓国や、そして日本が打ち上げているものと同様にミサイル技術でもあり、ロケット発射技術なのである。すでに打ち上げられている国々の「衛星」の場合は「ロケット」であり、それに異議を唱えることは許されず、北朝鮮が飛ばすと「ミサイル」に使用語を早変わりさせるというのは、危機感を煽ることに無頓着になったマスメディアの堕落でしかなく、国連安保理がどうのこうのという以前の意識の問題だろう。
 日本のマスメディアは、新聞も、テレビも、様々な雑誌やその他の媒体も、何のためらいもなく「ミサイル」を使い、国民の危機意識と北朝鮮への嫌悪感を煽り立てる。日本の上空を、しかも稚拙な技術力で飛ばすなどけしからんと吹聴すれば、否が応でも国民感情は誘導できる。いや、むしろそうではなくて、既に日本社会の中では、北朝鮮非難や攻撃については、問答無用のマジョリティとして浸透しきっていることの象徴が、「テポドン・ミサイル」という言葉を使う無頓着さの中にあるのだろう。
 今回の事態を内心シメシメと喜んでいるのは、イランやシリアや、或いは国内向け、アメリカ向けのデモンストレーションをやらざるを得ないほど疲弊した北朝鮮の軍や政府そのものではなく、軍備を拡大して、核武装したいと思っている日本国内の改憲派、軍拡派連中ではないだろうか。
 事実、煽るだけ煽った日本政府は、人工衛星だと知っていながら、莫大な予算を使ってまんまと迎撃システムを配備した。そういうなし崩しの軍備拡張の拠り所にするため、北朝鮮バッシングは利用されている。

 
 まあ、そもそも人工衛星なんていらない。いや、どうしても必要だというなら、気象用に数機があり、通信用に数機があればいいではないか。人の立ちションまで宇宙から覗き見できるような軍事衛星なんて気持ち悪いし、テレビの垂れ流し放送に常時利用するのも馬鹿げている。地球の周りで無数に飛散している衛星ゴミの数々は、いったいどこの誰が責任を持って処理するのだろうか。
 
 気持ち悪い垂れ流しといえば、事情通をひけらかして、懸命に北朝鮮ミサイル恐怖論をテレビで垂れ流しているコメンテーターら。そういう民族差別思想が、何百、何千万人もの人々を殺し続けてきた史上最悪の武器ではないか。

 何人もの命を失ったスペースシャトル計画は、2010年に一旦終了するという。そのシャトルに乗って宇宙に出たJAXAの宇宙飛行士は極秘のミッションを行っている。
 そこには、「ミサイル」はおろか、「軍事利用」の一言も無く、人々は笑顔と拍手で無条件に功績を称えている。

2009年1月16日(金)〜3月1日(日)
トコヤ談義の哲学 B

4.インチキとデマカセのメンタリティ(マジョリティという拠りどころ)

ヨンちゃん そやけど、こういうときって、同じような非正規労働者の中からも、『あいつらは甘えてる』とか、『選り好みせんと仕事しろ』みたいな声が必ず出るね。

羅腕 『おれは何年も、もっと頑張って苦労しながら生活してるのに』っちゅうやつやね。確かにそのこと自体はそうやろ。頑張ったてるんやと思う。そういう人らが勘違いしてるのは、振り向ける怒りの方向がそもそも違うやろってことや。自分かて、そういう苦労をすき好んでしてるわけと違うはずやん。

ヨンちゃん 甘えてるとか、選り好みとかの問題やないわね。俺は何年間やったのにとか。

羅腕 何年間やった言うんやったら、何年間もそういう苦役を強いられてること、そのものに怒りをぶつけなあかんやんか。
 自分はもっと苦労しても耐えてるのに何の恩恵も無い。そやのに挫折した連中は支援受けて飯くってるのは納得いかんっていうのは、同じシステムの中で抑圧されてる者が、その中で更に差別される者を作ってしもてるんやってことを自問せなあかん。それこそが、正にそういう搾取システムを作った体制を補強してるんやから。

ヨンちゃん 連合とかの組合が、労使協調路線とかいうて、ずっと非正規に対する差別的扱いを放置してたっていうのも、本質はそういう差別構造の容認っていうことになるね。

羅腕 そのとおりや。新自由主義っていうのは経済的システムとして使われる言葉かも知れんけど、リベラルとかの表向きの経済政策の批判とは裏腹に、妥協の中で本音っていうか、嫌らしいもんがちゃんと露呈してくる。
 大手の労組の構造が形骸化してることにも関係するけど、リベラル・左派が、そういう非正規とかニートとかフリーターとか外国人労働者とかの問題に目を向けて、そういう社会構造の本質的問題について共闘していく役割と信頼を持ちえていないっちゅうのは、さっきの差別の中に差別を生む構造と同質のもんやと思うで。


ヨンちゃん 資本主義の、しかも新自由主義に傾斜していったのに、協調路線なんかいうてるような労組っていうのは、結局のところ、自分の仲間っていうのを規定していて、そこへ分け前をどんだけ回してくれるかっていう相談を経営側としてるだけのことで、実際のところ、末端の派遣労働者とか、ワーキングプアとか、そこでの失職者なんかのことは除外してるんよね。

羅腕 前の3Kの時と同じで、外国人労働者もね。

ヨンちゃん アメリカ型をグローバル・スタンダードとか言うようになってから、日本も総保守化していったやろ。そのあたりからなんか言論とかメディアにおいても対立軸が見られんようになったっていうか、いろんな意味でダブルスタンダードを平然としてるっていうか、そんなん感じるんやけどね。

羅腕 それそれ、そこ大事やね。ブッシュとか小泉とか安陪とかの好戦的勢力を非難する一方で、リベラル・左派勢力が急速に二大政党制志向になっていってるね。
 何の影響力も持たん民主(党)の左派に肩入れするっていうんやなくて、保守化したポピュリズムにはどうやっても勝てんから、この際、本来的目的とか、理念とかをほっぽり投げて、体制容認の上で保守とか右派と結びつきを作っていくっていう、利権型っていうか、特権型っていうか、リベラル・左派系の多くが、個人的にも組織的にも、そういうふうに変化してるように思うね。

ヨンちゃん そやけど、そういうかかわりあいの持ち方っていうのは、左派的社会運動としては本来的でないというか、権威的でいかがわしいよね。

羅腕 上だけ見てやってるっていうか、右派や保守権力の持っている権威とか人脈とか情報とかにコミットして、そこから自分達の影響力を持とうする方法論になってる。それは擦り寄りやし、得るものと捨てるものを天秤にかけて、度を越えた妥協をすることになるし、その矛盾はハッキリと見えてくる。

ヨンちゃん しかも、そういう方法は、結局、相手方に利用される度合いが圧倒的に大きいよね。擦り寄ってる側が求めてるわけやから。

羅腕 そのとおりや。テレビでも雑誌でも新聞でも、言いたい放題を提供するっちゅう形になってる。そやから歴史修正主義とか、あんなんでも平然とまかり通ってるわけやろ。いわゆるリベラル知識人とか、マスメディアが、ああいうのを「言論の自由」とかいうのには唖然とするしかないで。ああいうのも「言論の自由」と思ってるのが日本のメディアの根本的な誤り。

ヨンちゃん 去年(2008年)で言うたら、田母神論文の件とか・・・

羅腕 田母神なんかは、改憲狂いの安陪政権のときに、期待しまくって活気付いた右派とか歴史修正主義者なんかの一派で“ミリタリー部長”みたいなもんやろうけど、そういう類をテレビとかがバンバン出しとるやろ。テキトーな質問して言いたいことだけ言わせて、まともな批判もせんと小遣い稼ぎさせとる。そんなもん、逆に大衆レベルでの知名度を上げて、ひとつの見解としてあるがごとくに加担するだけやないか。

ヨンちゃん マスメディアとしての社会的責任を疑うところはあるね。

羅腕 疑うどころやない。一時の数字(視聴率)稼ぎにしても節操が無さ過ぎる。というか、もともと自覚を持っとらんやろな。
 そもそも、なんで日本ではああいう否認主義の歴史修正主義がのさばるのかっていうのが一番考えなあかんことやし、正さなあかん。どっかの怪文書みたいなもんなんかも一緒くたに掻き集めて、それこそ小遣い稼ぎに書かれたような文書をもとに、歴史そのものを捻じ曲げて、自分らに都合よく作り上げることの醜悪さぐらいは指摘できんかったら話しにならんけど、テレビでいうたら、それすらしたところって多分ないやろ。民放の酷さは、もう手が付けられんくらいになってる気がするで。

ヨンちゃん 取り上げ方が加担しとる形になっとるわけやからねえ。
 なまじっか、トーク番組とか、ワイドショーみたいなんがあって、一発芸みたいに出てきて喋らせるから、余計にタチが悪い。さすがにNHKは出してないと思うけど。

羅腕 NHKが、あんなん出して一発芸で撒き散らしさせるようになったら、もう終わりやね。さすがにそこまで恥ずかしいことは出来んし、国際的な提携とかネットワークも切られてしまいかねんやろしね。

ヨンちゃん 「紅白」とか「大河」みたいなんは別として、NHKは一発芸で視聴率取らなあかんっていうこともないやろしね。
 とにかく、派遣切りに代表されるような、クルマ・電機大手なんかの企業スポンサーに首根っこを押さえられてるようになってる民放のあり方の酷さは別としても、こういう否認主義とか歴史改竄主義が、それなりの知識人とかインテリ連中にもゴロゴロ居てて、それなりの場で発言も出来て影響力を持ってるっていうのも、公的には最低の絶対条件として拒絶される欧米なんかに比べても異常なまでに受容されてて、なんていうか日本らしい奇妙さやね。

羅腕 この種の発言したら一発でアウトやわな。こういう一派はネオナチとか、KKKみたいなレイシズムのカルトと何ら変わりないわけで、少なくとも、マトモな言論人、政治家、ジャーナリズムとして認知されへんのにね。

ヨンちゃん 認知されんでも突出した組織を持ってるのが欧米で、ごちゃ混ぜになってるのが日本。これ、なんでやと思う?

羅腕 その辺は、難しい話やけど、やっぱり戦後の米・ソ冷戦構造に絡むアメリカの占領政策の中で、東アジアがどういう役割を持たされて、その事情の中での一つとしての日本の立場、位置づけっていう捉え方なしに、一国平和主義みたいなもんを、それこそ一国だけが享受していてボケたというか、一国の中だけで完結してたというか、戦前・戦中を置き去りにして経済成長していった過程で、何か優越性みたいなもんだけが増幅されてしもて、日本型民族差別主義とか排外主義みたいなもんが、ずっと継続、浸透して行ったっていう結果やと思うけどね。その部分では、欧米の排外主義とは違うやろね。

ヨンちゃん ザックリで分かりやすいんやけど、もうちょっと具体的にいこか(笑

羅腕 ・・・どっから?明治から?

ヨンちゃん いや、戦後からでいい(笑

羅腕 そうか、助かった(笑
 例えば、戦後の東西体制によって分断されたいうたら、ドイツと朝鮮半島。で、ドイツの場合、国そのものが真っ二つに分断されて、東独は旧ソ連の支配下で一党独裁の社会主義に移行するし、西独は自由主義陣営になるわけやけど、どっちも反ファシズム、ナチ完全否定という公的な姿勢では同じやったわけやん。

ヨンちゃん 国家体制は違うけど、確かにそうやわね。

羅腕 ヨーロッパは地続きやし、ホロコーストは勿論、とにかくナチス・ドイツが周辺国に惨禍をもたらしたという意味でも徹底した脱皮を証明して見せる必要がある。

ヨンちゃん ナチスとの決別というか、あれは歴史上最悪のドイツやったことを皆が共通認識として持つことが再生への唯一の道やし、大前提やろね。

羅腕 ところが日本の場合は事情が違ごた。日・米政府の思惑で、占領体制が続いて犠牲になったのは米軍基地にされた沖縄で、北方四島はソ連に近いっちゅうことで向こう(ソ連)に取らしたけど、太平洋戦争を戦ったアメリカとしては、当然、地理的にソ連に近い日本は独占支配しとかなマズイ。ほなら、ソ連や共産党中国との最前線は日本になるかというたら、そうやなかった。

ヨンちゃん そうか、大陸と地続きの朝鮮半島があったわけや。

羅腕 そういうことやわな。朝鮮内の共産勢力と亡命勢力が戦後の国家建設で対立する中で、結局、アメリカの支援を受けた大韓民国と、ソ連、中国後押しの朝鮮民主主義人民共和国とに分裂させられたわけや。つまり、戦後ブロックの対立の前線は朝鮮半島が受け持たされ、日本は沖縄の米軍基地提供っていう役割分担になった。これは個別のことやのうて、戦後の米・ソ対立の東アジアにおける「セット」としての構造やんか。

ヨンちゃん 確かにそうやね。日本は朝鮮半島っていうクッションがあったから、直接戦火を免れてることになるし、それだけやのうて、その朝鮮戦争の特需で経済復興に弾みをつけてる。

羅腕 そうや。結局、日本の場合、昭和の大日本帝国っていう皇国神話の軍制支配は敗戦で無くなったわけやけど、分断は朝鮮半島が肩代わりさせられたからドイツみたいにはならんかった。
 天皇制は残ったし、靖国神社もある。メンタリティとしては、そういうもんの権威とか神性を残したまま、200万人以上の一般人が犠牲になった朝鮮戦争の特需以降、国内は経済復興に邁進してた。
 そういう流れやから、本当の意味での侵略戦争とか植民地支配の中でやってきたことの清算っていうのが、国家としても、国民レベルでもちゃんと出来てないまま、どんどん時代が進んだんやと思う。

ヨンちゃん 要するに、その清算されてないメンタリティには、明治以降の脱亜入欧で生まれたアジア蔑視も居残ったまま・・・

羅腕 とりわけ日清戦争以降、中国と朝鮮には滅茶苦茶したわけやし、優越意識、差別意識は特段に強かったわけやから、そういうのは根本的には何も変わらんかった。っていうか、戦後も主体的に変えようとせんかったんやな。そやから、ドイツみたいに差別主義の言動を罰するあたりまえの法律もないし、差別が憲法違反やという認識を持ってない。「言論の自由」が排外主義に利用されても、「言論の自由」があるから仕方ないんとちゃうかっていうふうに日本人は思ってる。「言論の自由」は何のために必要か、何からの「自由」かっていう内実がなくて、ただ場当たりで言葉を唱えてるだけやん。

ヨンちゃん 民主主義に転換させられて、アメリカには勝てん、アメリカの文化は凄いっていう意識だけは国全体に凄いカルチャーショックを与えて、なんちゅうか、独りよがりでアメリカナイズして行ったっていう感じやけど、いうてみれば、アメリカも人種差別が公然と行われてたわけやし、考えてみたら、アメリカの思想が、日本のそういう差別構造を否定するような形で影響を及ぼすっていうふうにはならんわな、そら。

羅腕 加えて、共産主義的雰囲気や姿勢をカタッパシから弾圧するマッカーシズムがアメリカを席巻して、日本でもGHQ主導でレッド・パージがあったりしてる。
 結局、対ソ、対中っていう反共確立のために、日本の国家権力としては戦前の勢力が引き継いだ形になったわけやし、その国家権力が、やっぱり戦前同様に差別を助長する政策を取り続けてきたこともあって、日本人全般の意識の中にも引き継がれてきたっていうことなんやと思うけどね。
 そういう下敷きがあるもんやから、歴史改竄とか出てきやすいし、優越思考っていうか、歴史的、民族的な劣等感を払拭してくれるような話には乗っかりやすいっていうのがあるんやと思うで。

ヨンちゃん そうなると、やっぱり政治的意味合いも強いやろね。そういう共通意識っていうものを出来るだけ前提として広く持っとかさんと、政策作るのにも色々やりにくいってことはあるやろし。

羅腕 例えば改憲とかの準備としてもね。軍隊持ちたかったら、旧日本軍は悪ない、戦争のときの政治判断は間違ってない、植民地なんてどこでも持ってた、アジアの解放戦争やった・・・そういう思考を、やっぱりなるべく浸透させたいわな。
 そやから、元軍人とか、学者とか、評論家とか、コメンテーターとか、そういう中から右寄りのを動員して、慰安婦は単なる民間の商行為やとか、南京虐殺なんか無かったとか、沖縄の集団自決に軍は無関係とか、懸命に、ディティールにちょっとでも矛盾があったり、ガセネタが出たりしたら、それこそ揚げ足取りのように突いてきて、ほら間違ってるやないか、嘘やないかとキャンペーン張る。刑事裁判みたいな無茶な証拠を要求したりして、それが無いから全部を無かったことにしてしまうとか。
 そういう本来的な問題とは違うところで否定論に結びつけて、一方で、戦争っていう極限状態では、いろんな酷いこともあるんやから今の感覚でモノ言うなみたいな一般論で補完する役割を持たしとる。

ヨンちゃん 自分らの後ろめたいものを払拭できるメンタリティを利用してるわけやから強いわけやね。
 そういうのがドッと広まったのでいうたら、やっぱりネットの影響は大きいね。

羅腕 ああ、それは大きいやろね。広まったともいえるし、“希望的メンタルの解放”って言うたらええんかもしれんけど。歴史改竄とか、嫌韓とか、学校では習わんこと色々書いてあって、そんな本とかネットのキャンペーン読んで、「ああ、そうやったんか!」って感動して、掲示板なんかやったら参加して乗っかって、どんどん強固な思い込みになっていく・・・
 まあ、レイシズムとか、歴史修正主義とかは、そういう深層心理をちゃんと読みとって大衆を動かしとるよ。

ヨンちゃん それからいえば、リベラル・左派っていうのは、大衆の心理を読むのがヘタっていうか、「国民が、国民が」って言うわりには、国民のどこの層を指しているのかわからんとこあるね。「自分が」を「国民が」にすり替えてるだけで実態が見えんようになってる。

羅腕 ほんま、マズイね。護憲とかいうても、憲法9条をとにかく堅持するっていうことを唱えるだけで、それさえあれば大事なとこの理念がないがしろにされて、どんな法律が出来ても、どんな解釈をされても、改憲よりはマシみたいな方向に向かってしもてる。
 そういうレヴェルのもんばっかりが、なんぼ息巻いても、いざとなったら説得力は出てこん。深層のメンタリティに訴えかけられて、強固なレイシズムとか修正主義に希望を見出したような連中は「改憲」に引きずられてるし、単純に「護憲」とか言うだけでは響かんのよ。
 そんなんやから、段々、どうせ分からん大衆なんかほっといて、自分らの生き残りっていうか、この先どんな社会になっても、大きい活動の場を作っとこうみたいな感じで、けったいな権力に擦り寄ってるっていう感じがするんよね。  ホンマ胡散臭くなってる感じがするんよ。

ヨンちゃん しかし、どうなんやろ。とうとう日本でも政権交代とかなんとか出始めて、まあ、民主党とかの本質とかあり方は別として、その所謂リベラル・左派とかの運動とかも、ちょっと変わってくるんやろか?

羅腕 そのリベラル・左派が民主党化したことが問題なんよ。これからも不明朗で生き残りが難しい時代やから、見方によっては、より一層、生き残り主義っていうか、国益主義っていうか、そういうのに向かうって形になるかもしれんよ。「普通の国」的発想も、自民党より強まるかもしれん。
 もともとの保守とか右派の個別の面々が、個別にどう志向するかとか、旧来からの右派メディアとかの有り方とか、そんなんは知ったことや無いけど、そういうのに、リベラル・左派の知識人とかジャーナリズムがいつまでも乗っかって結びつきを持ったままで、結果的に加担するようなことになったら責任は大きいで。
 嫌なのは、集団心理が働いて、ドーと、同じ志向へ向かっていってしまうことやね。嫌な時代の集団心理は禍根を残すようにしか働けへんのは歴史的にハッキリしてる。
 今の民主党でいうたら、北朝鮮に対する制裁なんかでは、自民党より強硬な政策持ってるし、政権とったら何やらかすかわからんとこもあるで。

ヨンちゃん あかんかったことは、あかんかったと、ちゃんとけじめをつけて変わっていかんと、また、おかしなモンが突然出てきて、ヘンな方向に国を引っ張りかねんというのはあるかもね。

羅腕 今年になって、より感じたんやけど、イスラエル(のシオニズムに由来するパレスチナへの蛮行)に対する、日本のメディアとか知識人の対応が、どうしょうもなく甘いうえに、リベラル・左派知識人とか、そっち系のメディアも結果的にというか、生き残りの手段というか、そういうことのために、イスラエル擁護派とかに席巻されてる現象なんかは、今のリベラル・左派が決定的にダメな部分の代表みたいな感じやね。

ヨンちゃん やっぱり言わんとあかんことは妥協せんと言い続けて、出来るだけ言論でも行動でも、本筋でやっていくべきやと思う。

羅腕 政治理念が根本的に違う政党が拮抗した勢力として存在する複数政党ってのとは、今の日本のは違うやろ。結局、似たものどうしっちゅうか、もともとの同じ権力者集団の一派が弾き出されて、その一派があれこれかき集めて力を盛り返して、その二つに分かれた集団の利権闘争っていうのが自民と民主やと思う。
 利権主義の胡散臭さは必ず露呈するし、マイノリティーとか社会的弱者に目を向けてるわけでもない。政権交代ゆうても、そのことだけが目的やったら意味無い。小さいところは連帯は勿論大事やけど、それは同時に孤立を恐れずってことがあってのもんやと思う。それが根底にないと、本当の意味での連帯も生まれんし、変化にも繋がらんし、変化したってろくなもんや無いとワシなんかは思うんよ。

(この回、了)

2009年1月7日(水)〜
トコヤ談義の哲学 A

3.そして新自由主義の闊歩(詐欺ケーザイの世界席巻とネタバレ)

ヨンちゃん まあ、ええか(笑)。で、スケープゴートで淘汰されたように見せかけて、本物の方はどんどん進行していった。

羅腕 アメリカべったりでね。

ヨンちゃん 以前から、それはそうなんやけど、やっぱり小泉あたりからは違う。

羅腕 違うやろね。図らずもとか、ちょっと困ったとか、あたふたとか、そういう感じがなんも無かった。あそこまで無条件にコミットできるっていうか、いれ込みようっていうのも異常っていうか不思議でもあるね。イラク派兵とか平然とやったやろ。待ってましたといわんばかりで。

ヨンちゃん その質的違いっていうのは個人的なパーソナリティーの部分が強いと思うんやけど。

羅腕 プレスリーの「看板」の横で踊るほどやから、個性は強い(笑)。文句言う奴は同じ党でも刺客でバッサリっていう、ほとんどやりたい放題の粛清が通用する自信っていうか、誰も何もいえんようになってしもた。ただ、パーソナリティーだけっていうか、特異な存在やからってことで収めたらアカンと思う。大衆がそれを支えとったということは、望んだっていうことでもあるんやからね。
 とにかく、そういう感情的いれ込みを、経済政策のブレーンとしては竹中(平蔵)が後押ししてた。あの二人の相互依存は凄かったね、気持ち悪いくらい。
 中国寄りの田中真紀子なんて、総裁選には見事に利用されて、外務大臣になったとたんに叩き出された(笑)

ヨンちゃん 『民間で出来ることは民間で』って言葉で眼くらましをかけただけで、競争市場経済を放置することによるモラルハザードに関する議論なんかなかった。実態はアメリカ資本、外国の投資とかに門戸を広げただけのことやろ。あとは経済界の意向で法律つくったのと。

羅腕 大衆に説く合理性なんか、その程度で通用するやろっちゅうことやろね。『感動した!』とか、『構造改革』とか、中身はさておきフレーズだけのキャッチ・コピー政治。橋本(大阪府知事)なんか、選挙パフォーマンスの部分では輪をかけてオーバーアクションをパクっとったけど、タレントやから恥ずかしないし、批判あっても、どっちのほうが票取れるかは計算しとった。要はハナから大衆なんかなめとんのよ。
 だいたい派遣法なんかは、80年代に外国人を使った低賃金労働の肩代わり法みたいなもんやで。不法就労がどうとか景気減退とかで使い捨てで追い出したのを、90年代に入って外国に工場つくるだけで収まらんと、次は国内の就労者にも合法的に使い捨ての無権利低賃金労働力作ったれっていう企みや。そやから、この派遣の法律は、外国人労働者を、より貧しい、厳しい状況へ追い込むもんでもあるわけよ。

ヨンちゃん まさにモラルハザード崩壊の典型やね。労働者派遣法の改定で、具体的にあの時期に実感として何かあった?

羅腕 とにかくハローワーク行くやろ、パソコン検索したら軒並み(派)のマークがついてるんよ。

ヨンちゃん 正社員じゃなくて派遣社員の募集ということやね。

羅腕 (請)とかね。請負会社の。
 こっちは仕事の内容とか、年齢とか、勤務地で検索するわけやんか。そやけど出てくるのは派遣会社やから、実際の勤務地や企業名かて分からん場合があるわけよ。業務内容も直接仕事する会社が書いてるわけや無いから、相当いいかげんやったりする。でも、そういうことって最初のうちはこっちも分からへん。実際に行って、面接したり、勤務先に行ったりっていうのを経験していかんとね。交通費のテンが決まってるのに、その範囲内の会社を紹介するわけでもないから、不足分は持ち出しになるし。

ヨンちゃん ハローワークは、そういうのを平気で紹介するわけやね。

羅腕 まあ、してたね。っていうか、登録されてる会社の(派)の比率がハネ上がってるからそうなるわね。中には、『この会社はちょっと怪しいところもあるみたいで・・・』とか言う担当者もおったけど、それやったら登録外せやって。けど、そうしたら、登録が激減するわけやから、紹介できんようになる。ワシらは2002年の失業者がドカッと増えてた時期から行ってたけど、(派)マークは、年々増えてたね。

ヨンちゃん 2004年に改定されて、原則自由化されたからね。

羅腕 知り合いに同じようにハローワーク通ってた人がおってね。『時々、噛み付いたるねん』て、いうとったなあ。

ヨンちゃん どんなふうに?

羅腕 『あんたら失業者がおるから仕事あるんやろ、失業者はお客さんやで、もっとちゃんと仕事 して仕事探せ!』

ヨンちゃん それは確かに理屈や(笑)

羅腕 あの時期、失業率も5%越えて、ハローワークは表の道路まで人が溢れかえっとって結構騒がれたけど、一時的に景気が良くなったらすぐ忘れ去られたなあ。また悪なった今はどんな感じなんやろ・・・

ヨンちゃん 一時期、輸出産業が良くて、空前の利益とかいうてね。けど、いうてみたら、そのとき派遣とかで働き出した人らが下支えしてたってことになるわけやんか。

羅腕 派遣使って人件費削ってた分が利益になっとるわけやからね。(人を)切ったり入れたり、そういうことを小口(中小零細)では頻繁に続けとった。個人とか小口のうちは問題視されへんけど、派遣法できてからはずーとやってる。

ヨンちゃん そういえば、新聞の就職情報欄にも、[ナニナニ県で何十名募集、トヨタのドコドコ工場、説明会いついつ]なんてのがよく載っとったね。

羅腕 いま問題化してるのは、そういう大口(大手企業)の分が出てきたからやね。

ヨンちゃん ああいうのへは行かんかってんね。

羅腕 さすがにね。キツイの分かっとったし、年齢的に体力もたんと思った。普通の会社の転勤とかで遠方に行くのと意味合いが違うし、もちろん人間関係も築きにくい。気は使うし、ストレス溜まって心身ともにガタガタになりかねん。ワシらみたいなのが年取るとそうは行けん。そやけど、それはタマタマの選択やで。(工場)ラインとか他でも経験あるけど、あれはやっぱり「モダン・タイムス」の世界やで、今も昔も関係ない。
 そういうたら短期派遣で一緒になったワシより年上のおっちゃん、アパート引き払って、クルマの地方工場に行ったの一人いてたなあ。どうなったか全く知らんけど。

ヨンちゃん それ、いつの話?

羅腕 えーと、2004年の秋、11月やったかな。

ヨンちゃん 結局、相当数の人らが、今問題になってる派遣労働のシステムに組み込まれていってたわけやけど、やっぱり直接そういう経験してた人たちにしか実情は分からんかったということやね。

羅腕 景気が悪かったときは選択の余地無しで派遣でも何でも黙々と耐えてきて、景気がいいって言われだした頃は、そういう低賃金労働システムが確立されてしまっとって、転職イコール派遣、フリーター就労イコール派遣ちゅう感じで身動きが取れんという・・・

ヨンちゃん で、東京の派遣村やけど、新聞とか見たら、さっそく坂本政務次官とかが失言しとったやろ。

羅腕 失言いうても、まあホンマのことやけどね。

ヨンちゃん ホンマって?

羅腕 坂本とかの性根は別としてやで。そらそうやん、いろんなひと来るわいな、当然やん。『派遣切られて真剣に求職中』だけが集まる方が変やで。ボランティアもおれば労組員もおる。ネットカフェ難民はずっといてたんやし、支援者も集まるし、ホームレスも雨風防げるんやもん。運動の一環として集まった者もおるやろし、テント村体験希望者かていたかも知れん。なんか限定してた?

ヨンちゃん ああ、それはそうやね。

羅腕 別の言い方したら、『真剣に求職中』やなかったら人間アカンわけ?仕事したくない時期があっても別におかしくないやんか。

ヨンちゃん 俺なんかしょっちゅうや(笑)

羅腕 それが1年か5年かもしれんし、ひょっとしたら10年、30年かも知れんけど、そいつらが派遣村に寝床みつけて飯食いにいって何が悪い。全然えーやん。今日切られた者と、ずっと切られ続けて踏み倒されたり、抵抗し続けてる者が集まったってことやんか。

ヨンちゃん むしろ条件つけたら問題。

羅腕 大問題。そやから坂本とかの発言は、内容の間違いではなくて、問題を理解していないことやろな。

ヨンちゃん 国会で、民主党とかが『失業者に対して(坂本発言は)失礼』とか言うとったのは的外れいうことやね。

羅腕 勿論あんなんは論外やし、場当たり的にウケ狙いしてるだけで、議論したいわけでもないんやから意味ない。

ヨンちゃん テレビのコメンテーターで、正社員への申し入れを断ったモンもいてるし、そういう人はちょっと考えなアカンみたいなこと言うてるのんも聞いたけど、あれもちょっと違うと思う。

羅腕 的外れっていうんやったら、そういうコメントやね。正社員にならんかった人にも責任て、何いうとるっちゅうねん。働き方は色々とかいうといて、『いや、今は』って正社員にならんかったら、今度はならんかったから悪いってどういう理屈や。そういうこというんやったら、3年過ぎても正社員になるよういわんかった違法会社の方を先に全部摘発せえよ。オマエの勝手な損得勘定で、人の物事の正否をあれこれ判断すんなっちゅうねん。そんなもん、体制のシステムの中に組み込まれてるそいつの眼から見てミスしたと見えるだけのことやないか。そういう制度のあり方がアカンという問題やのに、そのシステムのなかで失敗者と成功者を規定してどうすんの。自己責任て、そら選択はみんな自己責任やで、自由なんやから。選択で失職したからって、そのこと自体が悪いことか?

ヨンちゃん システムの中で都度ある成功と失敗を、善・悪の問題と混同させてる・・・

羅腕 そういうイメージをつくるのが一番悪いし、そういう前提でモノ言うてる意識を持ちあわせとらん。失敗しようが何であろうが、悪くない限り悪者扱いされたり、社会の中で不利益を受けるいわれは無い。
 システムの中に組み込まれて洗脳されてる人間は、そこでの個人の“成否”を“正否”に当てはめる思考にすぐ陥る。問われるべきは、そのシステム自体の正否やんか。

ヨンちゃん ちょっと違うやのうて、まったく違ってた(笑)

羅腕 3年ルールがセーフティーネットのひとつみたいな捉え方をしてるのがまずおかしい。下請けに部署とか部分業務を丸投げしてる大手企業なんていうのは山ほどあるわけで、その下請けが派遣会社と契約してる場合は、3年経って受け入れるにしても下請けの会社ということになる。下請けは自社の体力なかったら当然嫌がるし、もともと派遣を正社員にするつもりなんかない。正社員にする会社は、もともと「特定派遣」でやってる。
 仮に正社員で受け入れるいうても、働いてるもんからしたら、親会社と条件の違う下請けの会社に入社せなあかんことになる。
 派遣会社側にしても、頭数おいとかな儲けにならんわけで、3ヶ月とか1年とかで更新するようにスタッフと契約したりして、就業先の顔色うかがいながら、更新したり、一旦、更新切れ状態にして再登録で継続勤務するとか、そういうのがまかり通るのが派遣のシステムや。仮に直接雇用したとしても、期間工とかの条件にして、結局すぐ解雇するっちゅう手法もあるし。

ヨンちゃん いつまでたっても親会社の正社員になれるように出来てない、というか、いくらでもさせんように出来るわけやね。

羅腕 それが派遣の実態やし、竹中とか経済界が引っ張って作らせたインチキな労働力搾取法っちゅうわけや。

ヨンちゃん そういうふうに中身が見えてくると、2009年問題の本質っていうか、スパスパ派遣を切り出したワケが見えてきた感じがするね。きっかけになる口実は、タイミングを合わせたみたいに噴出したアメリカ経済の崩壊やけど、3年たって社員にするのは嫌やし、最低時給上げる法律出来たら上げなアカンから、それも嫌。使用者側のそういう手口が分かった上での織り込み済みの法律やったわけやね。

羅腕 まさにそう。

ヨンちゃん でもなんかソックリやね。バブルのときも大手不動産とか大銀行とかは、地上げとかそういう汚い仕事はヤクザにさせといて、自分らは国の資本注入まで受けて貸し渋りとか融資引き上げまでやってる。今回も、派遣会社っていう手配師の法人化を作って、下請けとか派遣元っていうクッションいれて、派遣先と派遣社員との関係を作らんようにして、どんな残酷なことやってても、派遣元は直接法的には裁かれんようにしてる。

羅腕 だいたい、大衆レベルでいうたら、労務とか組合とかの経験も知識もないところへ、いきなり解雇で寮追い出しとか食らって明日をも知れんようになるわけやから、そら不安は極限になって自暴自棄とかパニックにもなるで。結局、資本主義っていうのは、突き詰めたら法制度を含めて、常にそういうことを許容するシステムってことなんよ。障害者者自立支援法とか後期高齢者医療制度にしても、ここ数年連発してる労働福祉政策なんか、えげつないの一語に尽きるわ。

ヨンちゃん ブルジョアのための社会制度やからねえ・・・

羅腕 アメリカの金融工学とかなんとかで権威付けた商法、あそこまで非生産性なインチキ金を作って、世界中が右往左往のボロボロって、ホンマやりきれん。行き着くとこまで行ってると思うけどね。

ヨンちゃん それでも当事者らは、莫大な資産あるって我慢ならんね。とりあえず全部没収して終身禁固刑がスジやで。

羅腕 一堂に集めて、子供銀行券、山ほどやるから、一生、人生ゲームでもやっとけ、ホンマ。
 そやけどあれやね、オレオレ詐欺にひっかからんようにとか散々言うてても、年間、何百億って振込みしてるわけやんか。そらそうやわな、ああいうインチキ金融経済っていう詐欺に世界中が騙されるんやもんな。
(つづく)

2009年1月5日(月)〜
トコヤ談義の哲学 @

1.笑えない笑える話から(バブルのときあれこれ)

ヨンちゃん 何か、昨年(2008年)は、色々ひどい年やったねぇ。

羅腕 個人的にも最悪やったけどね。

ヨンちゃん ん、まあ、個人的っていうのは一応、置いといて・・・

羅腕 なんや、置いとくんか。

ヨンちゃん まあ、それも含めてってことでいいんやけど・・・

羅腕 ていうか、繋がってるって感じではあるんやけどね。

ヨンちゃん 例えば、どういうふうに。

羅腕 「派遣切り」なんかね。ああいうの、ワシらは90年代のリストラ組でクビ切られているし、そのあとの就職とか職業形態の状況なんかも渦中にいて、やっぱりこらおかしいって感じはあったよ。

ヨンちゃん ちょっと具体的にそのへんから話してよ。

羅腕 だからなんていうか、日本の80年代のバブルって、まあ不動産がベースやったやない。価格が異常に上がっても許容しちゃって、机上でブクブク生まれたニセ金に乗っかって投資して・・・

ヨンちゃん 膨れているうちは、成金が増えたよね。所謂、経済ヤクザも地上げとかでつるんで闊歩した。

羅腕 インチキな金でも、経済全体は、全体としては膨らんでるわけやし、政・官にも金が入る。中小にもおこぼれは来るし、成金も生まれるから、結局、常軌を逸したバブルを放置したし謳歌したわけよ。

ヨンちゃん 謳歌してたね。仕事の出張で高速道路通ってても、フェラーリとかポルシェとかオープンカーのベンツとかバンバン走っとって、ドライバー見たら若いネーチャン。どっからそんな金入るのって感じで(笑)

羅腕 ワシの知り合いの零細企業の社長も、社員の女性を愛人にして、カルチャースクールの学費払ってたよ。

ヨンちゃん カルチャースクールってのがセコくていいね(笑)

羅腕 あと、愛知だったかの工場へ出張したとき、そこの専務、社長の弟なんやけど遊び好き丸出しの男でね、夜に飲みに誘われたんやけど、ワシも、一緒に行った上司もそんなに酒は強ないわけよ。専務が酒豪っていうか酒乱系なの知ってたから、ちょっと嫌やったけど、無碍にも断れんし。で、その専務は案の定、一人で酔っぱらうんやけど、そのうちおもろなくなってきたのか、電話しだしてね、「俺の女、呼んだから」って言うわけよ。

ヨンちゃん アハハハハ。

羅腕 で、唖然としてるワシらの前に現れた子が可愛いのよ。十九とかハタチくらいっていうとったかなあ。

ヨンちゃん 学生?

羅腕 そうやったと思う。普通にさわやかで利口そうな感じなんよ。オッサン二人が客先の専務の若い愛人に「あ、どうも」とか挨拶してね。

ヨンちゃん その図は凄い(笑)

羅腕 それから専務は、その子の方を向いて喋りっぱなしで、ワシらなんて、もう無視よ(笑)。さすがに上司と顔を見合わせてね、もう用はないやろって早々に退散したって話。

ヨンちゃん 結局、専務はその娘とデートしたかっただけで、キミらはダシやろ?(笑)

羅腕 ズバリ正解!おもろかったなぁ・・・

ヨンちゃん なんや、おもろいんかい。

羅腕 まあ、そのときは呆れたけどね。今思い出すとね、やっぱり笑える・・・ことにしとこ。悔しいから。

ヨンちゃん (笑)話を戻そう。

羅腕 ふったのはそっちやで。

ヨンちゃん そうやったか、まあええけど。それで、まあ、バブルがはじけたわけやわね。

羅腕 うん、そやから、そういうトンチンカンな物語もいっぱい身近にあったわけよ、あの一時期は。金があったから、多少インフレでもモノが売れた。売れるから薄利の零細でも商売も成り立っていたわけやわな。町工場のオヤジたちまで、株やらゴルフ会員権に夢中になって、さっきの話みたいに女もつくって。そやけど、ベースになってた不動産で生まれた金は幻想やったわけで、幻想の化けの皮が剥がれたら軒並みやられた。

ヨンちゃん 本業そっちのけで、インチキ金に浮かれてたせいで、ズルズル引っ張り込まれて倒れまくった。不良債権抱えた銀行は一転して貸し渋りになったから、零細の倒産は加速したね。

羅腕 酷かったね。バカ高い家のローンだけ残ったっていう連中の話もよう聞いたけど、どうなったんやろ。
あの時期浮かれ騒いだ世代が親になって、その子供世代が今の若者なんやけど、反面教師なのか何なのか、金銭感覚なんて全く違うとこあるなあ。

ヨンちゃん その子らの金銭感覚が自力と節約志向って意味ではそうかもしれんけど、自力だけに、大金を手に入れようとする場合の無謀さっていうのも、一面では広まったようにも思えるけどね。

羅腕 ああ、それは全くそうかもしれん。


2.モラルハザードとか言うけど(言葉の中に最初からある嘘)

ヨンちゃん で、失われた10年とか言われて、次にITバブルとかが来たわけやけど。

羅腕 あれがまたいただけない。

ヨンちゃん ITそのものを否定することは出けへんやろ。

羅腕 インフラとかの概念としてはね。産業として必要な部分もあるやろし。ただ、どうしても功罪出る。高度成長の最たる“罪”は公害やったけど、ようするに社会資本は、社会資本でなきゃならんのよ。もっとパブリックなものやないと。マトモな感覚でいえば。

ヨンちゃん ITはパブリックでしょ。

羅腕 いや、“罪”の話。高度成長の公害もそうやけど、バブルのときも失敗してるわけよ。失敗というか、功罪の“罪”を知ってるわけよ。

ヨンちゃん 必然的に生まれる失敗?

羅腕 ちゃう、ちゃう。必然やないやろ。学習不足っちゅうか、少なくともITバブルは、前回のバブル崩壊の経験が生かされてないやん。

ヨンちゃん どういう面でよ?

羅腕 そやから、パブリックなもので莫大な富を手に入れようとする根性がまずアカン。賃金ていうか、お金って、所詮、労働とか商品の対価やろ。バブルのお金って、どう考えてもその金額に対価するものがあって生まれたもんやないわけよ。幻想のお金。霊感商法みたいなもんやな。
 夢よをもう一度的感覚がやっぱり残っていて、ホリエモンとかああいうのが、そういう霊感商法みたいなんを「お金を儲けるのが何が悪い」とやって、ワーと持ち上げた。投機とか金融なんかも絡んで村上ファンドみたいのとか。
 さっきいうた若いもんの金の儲け方っていうのにも関係してるやろ。節操が無くなり、失われた10年世代連中の中で無批判に神格化されていったわけやんか。

ヨンちゃん うーん、バブル期の子供世代が、ある意味堅実な金銭感覚を持っている反面、凄いマネーゲーマーみたいなのが出てきて、憧れの存在になったというか・・・

羅腕 やりすぎというか、社会性をハナから持ち合わせていなくていいというか、とにかくブレーキの無いクルマになる。その反社会性が世間の空気というか流れをリードして暴走して、結局、根本的には前と同じとこへ行き着いたわけやんか。
 堀江とかにしてみたら、出る杭が打たれたって感覚かもしれんけど、そら打たれるよ。出すぎやもん。出すぎて引っ込みが付かなくなるからインチキしてでも繕うことに無節操やった。だから狙い撃ちされるターゲットになった。
 持ち上げんかったら、それなりの人で済んだかも知れんな。やっぱり周りも含めて人が成ってなかったんとちゃうやろか。

ヨンちゃん 悪気なんかないやろね。

羅腕 無いよそら。もともと社会性を意識していないわけやから。身の丈わきまえず、自分より先へ行ってる連中しか頭に無かったやろね。何で先に行けてるかを考えたり分析したりする力は無いんよ。無思想やから。
 そやけど、まあ、さんざん食い散らかして、食い逃げして、まだ、たんまり腹に残ってるんやから、お前なんか文句言うなって言いたいけどね。

ヨンちゃん 度を越えても、度を越えているという感覚がなくなってしまう。そやけど、つきつめたら自由主義って言うのは、とどのつまりがモラルハザードに依存するしかないっていう宿命があるわけやんか。

羅腕 そやね。それはめちゃくちゃ高い授業料の学習をどう生かすかっていう一番大事な問題なんやけど、現実はもっとそういうのを推し進める酷い方へ行ってしもたわけよ。その“罪”の結果の現象が去年に象徴されるような形で出てきたわけよ。

ヨンちゃん ITの普及って物凄い急速やったし、モラル云々って考える間もなかったっていうのはあるやんか。だからああいうのが出てきたっていうか。許容されたっていうか。

羅腕 そやから、生かされなかったわけやろ、学習として。パブリックというか、公共性に対する意識が無いわけやんか。それはもう、グッドウィルの介護事業と同じ感覚やと思うけどね。

ヨンちゃん ただ、擁護するわけやないけど、あえていうなら、ああいう既成概念に囚われないって発想はあっていいんやない?マユツバで見られても我が道を行くっていう。しかも彼なんかはいわゆる巨悪とは程遠いし、孤立してたからスケープゴートにされたっていう側面もあるわけやんか。

羅腕 いやいや逆やろ。捨て駒にされたって部分はあるやろうけど、彼自身も既成概念そのものに蹂躙されてたんよ。つまり、どんどん新自由主義経済が蔓延する中で、そこの寵児みたいに飛び出してきたのがホリエモンやろ。体制が推し進めた経済体系の先端を走ったわけやん。既成概念を打破しようと闘っていたわけやない。もっと上の、ソフトバンクとか、楽天とか、そういうメジャーと同列に扱われたい。そこがコンプレックスというか泣き所やったと思う。既成概念の中にいるから、そういうコンプレックスに支配されたんと違うか。

ヨンちゃん スケープゴートにされたのも、一種のガス抜きっていうか、他への忠告っていうか・・・

羅腕 新参者やったし、やりやすかったやろね。もっと老舗とかいろんなデカイところへ行っちゃうと影響大きたり、政治が絡んでくるみたいな感じで。

ヨンちゃん 選挙の落選も影響してるやろね。

羅腕 まあ、そらそうやろね。だから、なんていうか、踊らされて選挙出馬とか、結局、株と金融へ行ってイカサマやってるし、自分の欲だけでしょ、売名と。社会性はゼロ。

ヨンちゃん 広告塔的利用価値が無くなったから切られた。

羅腕 鉄砲玉としての利用価値もね。まあ、なんていうか、そんな体制の冷酷さみたいなのは少しくらい身にしみて分かったとは思うけどね。彼を支持してたはずの世間が、そういうときどう反応するかっていうのも。

ヨンちゃん そやけど、どうも納得いかんのは、それやったら、どういう人がやればいいのかってことになって、そんなん分からんやろ。暴走したらみんないっしょやんか。予測なんかでけへん。

羅腕 あっ!、ピンポーン。そやからワシとかヨンちゃんとかがやればいい。

ヨンちゃん (笑)なんやそれ。

羅腕 つまり、ワシみたいに根っから良い人って前提がいるんやけど(笑)、良くない人、ずるい人、悪い人の場合はすぐ暴走が露呈する。良い人でも悪く変貌する。だから本当は悪い人でも、そうでないように見せかけるテクニックというか資質というか、インフラとかパブリックなものなんかは、表に出やすい性質を持ってるんやから、特にそういうゴマカシがずーときかんとアカンちゅうこと。それがギリギリのリミッターみたいなもんになるって話。

ヨンちゃん つまり資本主義の技術論ってことやんか。

羅腕 そう、これが最低にして最大のアドバイス。

ヨンちゃん 無理がある(笑)

羅腕 いかに無理があるかっていう話なんよ(笑)
だから、結局は、パブリックなものに金儲けを絡ませすぎなんよ、今の経済は。それが一番アカンのやと思う。社会資本って、完全に構築されるまでは原則はき出しのはずやろ。そやから国がやったりする。構築している最中から大金持ちって、まず、インチキ臭いやんか。

ヨンちゃん
 なるほどね。
 ひとついい?ストライキになった、近鉄(バファローズ)が無くなる問題が出たとき、欲しがってるライヴドアに売ったらいいっていうとったよね。

羅腕 ああ、いうたね(笑)。もちろん最善という意味とはちゃうで。ロジックとしてはね、それもアリやったと思う。最善なんかワシには分からん。無くすのは酷いやないかっちゅうだけのこと。
 あれはね、球団や球界運営組織が、近鉄バファローズを消滅させるという前提に立っていて、当事者としての責任感もなければ、プロ野球に対する愛情のカケラも無かったやろ。腐ってる、どういうことやねんっていう、そのことを言いたかった訳で、受け入れ会社がライヴドアやないとアカンというんやないで。どこでもいいのよ、欲しいって本気で思っているとこなら。他に手あげてなかったってのが悲しいけど。

ヨンちゃん でも、あれ、本音のところでいうたら、堀江は楽天とつるもうとしてたところがちょっと見えるね。会社の規模とか資質がどうとか取りざたされるようになって。

羅腕 自分ら(球団経営者)の資質を棚上げして、よう言うわって思ったけどね。ただ、当の楽天からは、うっとおしいのが何いうてんねんちゅう感じで相手にされんかった。

ヨンちゃん いままでの話でいえば、ライヴドアは本気やなかったということになるよね。

羅腕 そうやね(笑)。いや、分からんけどね。個別のことの内心まで知る由もないし。

ヨンちゃん 少なくとも愛は無い。

羅腕 愛は無いっていうか、社会性は無い。

ヨンちゃん そのあたり苦しいね(笑)

羅腕 まあ、ええやん(笑)

(つづく)

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