[SSC LogoMark] [Radio] TopPage > Radio > 軌跡
■軌跡

■アマチュア無線との出会い

 再開してからはネットオークションを定期的にチェックする程になった趣味としての無線だが、小学生の頃は学研のトランシーバーやラジコンなど無線技術を使用したものと触れる機会はあったものの、「無線」という認識ではなく単純に遊ぶだけだった。
その私が最初に「無線」という趣味を意識したのは中学生の時に友人が誘いをかけてきたCB無線だった。既にマイコン(パソコン)に興味を示していたので、初歩のラジオやラジオの製作などエレクトロニクス系の雑誌を読んではいたがアマチュア無線などのページは完全に読み飛ばし、暇つぶしに読んでも内容を理解することができなかった。
数ヶ月後、私の手元にはNational RJ-380という8ch/500mWのCB無線機があり、夜の決まった時間になるとベランダに出てはアンテナを延ばし、同級生3人だけのローカルコール(?)を楽しんでいた。しばらく友人と3人だけの交信を楽しんでいたところ、同じ学年の友人もCB無線機を持っていることが判明し、たまに4人の会話になることもあった。(その友人はRJ-580を持っていて羨ましかった)
 そんな状態で数ヶ月は仲間内だけの会話を楽しんでいたが、ラジオの製作を見ると「CB無線」なる文字が見えるのでページを読み返してみると何やらアマチュア無線みたいなことをやっていると理解できた。日曜日に見晴らしの良い場所で無線機の電源を入れてみると「CQCQこちらはイバラキAB…」と声が聞こえてきた。これが噂の「CQ」というものかと不可思議なものに出会った気持ちで聞いていたが、コールサインを聞くと埼玉や神奈川、茨城に栃木とかなりの範囲とつながっているようだった。真似るように私も自分のコールサインを送信してみたが完全に無視されるような結果だった。(単にロケーションが悪くて相手に電波が届いていないだけだったのだが)
 若干の疎外感を感じていつもの仲間に話すと、場所はどこ?と聞かれその場所を伝えると一言「場所が悪い」。理由が理解できずに更に質問すると色々と教えてくれ、相手は高い山(首都圏の中学生が考える高い山は標高700級の筑波山でも高い山だった)にいるので自分も同じような環境にしないとダメと説明してくれた。
とある日曜日に筑波山の山頂へ無線機を持って出かけたが(確か西側の男体山山頂だったと思う)、アンテナを伸ばして電源を入れた瞬間にスピーカーから聞こえてきたのは沢山のCB'erが出すCQだった。ファーストQSOは強烈に入感していたトチギAA局で、茂木町移動だったと記憶している。その日は30局ほどの実績だったが、沢山の人が聞いているかもしれない電波を通してQSLカードの送り先をお互いに送り合う行為は今から思えば大胆というか、怖い状況でもあった。それでも少ない小遣いから切手代を捻出して送り、受け取ったQSLカードは今でも大切な経験と思い出になっている。(QSLカードだけは捨て忘れたのか、現在も残っている)
それからは土曜日の深夜になると自転車で筑波山を目指し、薄暗い早朝の筑波山神社を横目に登山道を歩いて午前8時の運用開始というパターンで筑波山通いがはじまったが、この頃からアマチュア無線に興味を持ち始めていた。

 決定的だったのは夏休みに高尾山まで足をのばした時、丁度フィールドデイか何かのコンテストの日だったらしくRJX-610を持った高校生の人と出会った事だった。初めて見るアマチュア無線の運用と、CB無線では考えられない相手局との距離、そして法律的にも認められている大型の外部アンテナ、全てが輝いて見えた。何よりもみすぼらしいハンディタイプのCB無線機だけを持った中学生にその高校生はコンテスト中にもかかわらず一つ一つ丁寧に教えてくれたことだった。初対面の中学生に優しく、丁寧に接してくれたJO1コールの方のQSLカードは今でも大事に保管している。(残念ながら2005年現在では局面を失効されて閉局してしまったようだ)
 無線機と呼べる物はCB無線しか持っていない当時の私の環境では、アマチュア無線帯を傍受しようにも親から貰った短波帯も聞ける真空管ラジオにロングワイヤーを接続してワッチするのが精一杯の状況だった。しかも、聞こえてくるのは7MHzや3.5MHzのSSB(LSB)の復調されていないモガモガ音で、そこにアンテナへ巻き付けるタイプのBFOキットを組み合わせて復調させたが一度に複数の交信が聞こえるギリギリの状態だった。その後は144MHz帯FMのみを受信できる弁当箱サイズの受令機や、初歩のラジオに掲載されていた3石か4石のダイレクトコンバージョン受信機などを作るなどして多少は改善された状況となったが、狭い窓からアマチュア無線の世界を覗いていることに変わりはなかった。
 しかも、当時はアマチュア無線をはじめたいと思っても従事者免許を取得するには半年に1回の試験しかチャンスが無く、小遣いから試験費用を捻出しようとしてもなかなか実行に至らなかった。そんなことを数回経て高校生になる頃にはCB無線にもアマチュア無線にも興味が薄らいでしまった。

 中学生の時に一度は興味を持った無線だったが高校生以降はオートバイや車に没頭してしまい、すっかり忘れきっていた。社会人になって車に乗るようになると(アマチュア無線本来の主旨から外れているのだが)仲間が連絡用に430MHz帯の無線を持つようになり、自分もと従事者免許の取得を考え始めた。
時代はバブル、そして映画「私をスキーに連れてって」の影響で無線免許取得のブームがあり、アマチュア無線局の粗製乱造が始まった時期でもあった。


< トップへ移動 >

■開局そして閉局

 以前は半年に1回の試験しかチャンスがなかった従事者免許試験だが、社会人になる頃には毎月の試験開催日となっており晴海の試験会場へ仕事が休みの日に出かけて無事に一発合格した。
従免が届くとすぐに局面申請を行い、割り当てられたコールサインはJ*1コールを使い切った後の7K1コール。学生の頃とは財力が違っていたので、自宅にはTS-680V+6バンドGP、車にはTH-45+RH77、そして遊び感覚でミズホ通信のMX-7S/21S/6S(+リニアアンプなどのオプション)を一気に揃えた。
しかし、学生時代と大きく違うのが時間的な余裕の無さで、週末の予定もままならない状況に時間だけが流れていき、結局はまともな運用実績を残せないままとなっていた。
開局下はいいが、2年ほどアンテナを屋根に上げたままの開店休業状態を続けた最後に、転職時の資金として固定機とピコトラなどを売却、転職用の資金にしてしまった。
転職後は不安定な状況がしばらく続き、局面も気が付いたら失効していたという状態になってしまい。局面の再申請も既に興味を失っていたことや設備一式を処分してしまっていたことから行わず2002年のMX-6S衝動買いまで「無線」そのものから離れる形となった。


< トップへ移動 >

■再開

 2002年のはじめに秋葉原へ出かける用事があり、気が付くと富士無線が視界に入る。
「中学生の頃はよく店内を見たな」と感慨深い思いが甦り、少しだけ覗いていこうと店内に足を運んだ。壁を埋め尽くす無線機の雰囲気もそのままだった富士無線だが、中央カウンター付近のガラスケースにはミズホ通信のピコトランシーバーが売り物として姿を見せていた。
「まだ売っていたのか!」
すっかりデジタル化され、大きさも縮小された最新型ハンディトランシーバーが販売されている店内で10年前と同じ無骨な姿の無線機が当時そのままの姿で(ボディカラーはシルバーになっていたが)目の前に存在している現実に嬉しくもあり、懐かしくもあった。
「もう手に入らないかもしれないよ、少ない在庫の品だから」
店員がいつも行っているセールストークだと思うが、その一声に即決、数分後には路上でMX-6Sが入った紙袋を持つ自分が居た。
自宅に戻り、MX-6Sに電源を入れると懐かしいSSBノイズ音が聞こえてきた。天気がよい週末にMX-6Sを持って筑波山の林道まで出かけたが、見晴らしの良い場所でMX-6Sに電源入れると付属のヘリカルホイップアンテナでも幾つかの交信が飛び込んでくるものの、好天気の日曜日にしては妙に活気が無い。10年以上も耳にすることはなかったアマチュア無線の音だからかと思い、その時はあまり気にせず初春の暖かさを交信音で堪能した。
最初のコールサインである7K1コールを復活させようとしたが、当時の記録や証拠となるものが何も残っておらず、運用実績もほとんど無いことから新規に7N4コールを取得。
その後、検索エンジン等でWEBから情報を集めると、初歩のラジオやラジオの製作などなじみ深い雑誌の休刊、九十九電気などがアマチュア無線機器販売から撤退、JARL会員数の激減とアマチュア無線業界全体の落ち込みというマイナス要素だけの情報が集まり、2ちゃんねるなどの掲示板ではJARLの変わらない体質や、問題とされる運用方法、資格保有者の青少年比減など、子供の頃に夢見たアマチュア無線の世界とは遠く離れた現実が目の前にあった。

 自分はDX'erでなくてもいい、ただ無線に興味を持った人に「やさしく・丁寧に」説明してあげられるような、高尾山で出会ったJO1コールの人のようなアマチュア無線家になりたいと思う。
その頃には「アマチュア無線」という制度が日本から無くなっているのではないか?という不安もあるが、まずは自分が楽しめる趣味として、細くてもいいから長く、今度は途切れさせないように愉しんで行きたいと思う。


TopPage > Radio > 軌跡
SSC HomePage