「新選組!」のおと
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八王子/あきる野/日の出町探訪 05/16/2005, 05/05/2006 Hachiouji/Akiruno/Hinode


先日日野宿本陣文書検討会の多摩史跡探訪ツアーに参加させていただき、新選組をはじめ、天然理心流/八王子千人同心/そのルーツである武田家/北条氏などの関連スポットなどを巡りました。その中で新選組関連のものを少しだけUPさせていただきます…

▼▼▼

■1 桂福寺(八王子市戸吹町)

天然理心流の創始者近藤内蔵之助長裕/宗家二代目近藤三助方昌のお墓があるお寺
向かって右隅の小さい墓石が内蔵之助、右の大きいほうが三助のもの(写真▼) どちらも新政府軍の追及をかわすために一時埋められたのだけど、三助さんの墓石は大きかったために、粉々にして隠したそうな…(現在は掘り起こされてご覧のように修復済み) 墓石の継ぎ目からその異常さと当時の恐怖、焦りのすさまじさが伝わって来るような
三助さんの実家、戸吹村名主の坂本家のお墓もすぐ裏に

桂福寺
写真にポインタを乗せてみてください

内蔵之助さんのお墓はここを入れて3箇所にあるそうな。ここにあるものは側面に「天然理心流元祖 近藤長裕先生 文化四年十月十六日」と刻まれています

前庭には近藤處士碑(近藤三助についての記述)と松崎則榮翁碑(松崎和多五郎/後述)が建っていて(ポインタを置いた写真▲右)、天然理心流と縁の深いお寺です
(お寺のパンフレットと共に、天然理心流についての小冊子もいただけました)

桂福寺2

二度目に訪ねたときには奥の墓地にある上記松崎家の墓地(写真▲中央)もお参り。「戸吹の小天狗」と言われた松崎正作さんとその息子・松崎則榮こと松崎和多五郎さんは千人同心の家柄で、ここ戸吹で60年も天然理心流道場を開いていたとか
後述のように多くの門弟を育てたそうな

駐車場脇には(たぶん)日露戦争戦死者の慰霊碑?(同▲右)が建っているのですが、これはどうやら本田覚庵さんの息子・本田定年さんの筆によるもののよう

[ 戸吹/秋川周辺地図↓ ]

戸吹/秋川周辺地図

■2 秋川神明社(日吉山王大権現/あきる野市牛沼)

滝山街道を北上、秋川を越えたところにある秋川神明社(旧・日吉山王大権現)には上記、戸吹で道場を開いていた松崎和多五郎さんらを願主とした天然理心流扁額(写真▼)が奉納されています。師範の名前として和多五郎さんをはじめ、この地域では三代目と目される増田蔵六、その直弟子の山本満次郎(後述)の名前も。奉納されたのは安政7年(1860年)3月ということで、「桜田門外の変」とほぼ同じころ。屋内にあるため保存状態が良く、大部分が判読可能(一部直射日光が当たる部分などは脱色) ←ふだんは非公開

秋川神明社奉納額
写真にポインタを乗せてみてください

このおよそ半年後の9月30日に近藤周助/勇父子が府中の六所宮(現・大國魂神社)に奉納した扁額(行方知れず)もおそらくこれと似たものだったのでは…とよく引き合いに出されています。ただこの地域では周助先生は宗家三代目とは認められていなかったようで、この額には試衛館関係の名前は無いもよう

比較的なじみのあるものとしては?、浪士組に参加し(清河八郎とともに東帰)、後に甲陽鎮撫隊にも参加した千人同心・佐藤房次郎延和や、同じく千人同心で井上松五郎さんらとともに将軍御供で上京した日野信蔵義光(義順?)、小仏関所守で後に一橋家に仕えた川村恵十郎光豁、同じく小仏関所守で後に相楽総三と行動をともにした落合源一郎直亮などの名前が見られます
(この額について小島政孝さんの研究詳細が「幕末史研究 No.41」に掲載されています)

秋川神明社

ここには他にも沢山の武術/流派の扁額が奉納されているのだけど、屋外にあるものはごらんのように文字がきれいさっぱり消え去っています…中には雹に当たってぼこぼこになっているものも(同▲)

■3 大久野

西へ進み、日の出町へ少し入った大久野には慶応4年(1868年)甲州戦争後、新政府軍に追われた佐藤彦五郎/のぶさん夫妻がかくまわれた羽生家があります

まず一家は多摩川沿いに平町(当時小宮村北平)の大蔵院へ。ここにも追手が迫ったため裏山伝いに逃亡、そのとき遠目から白足袋がちらちら見えた、という「聞きがき新選組」の記述は有名。その後二宮村(下記)を経て、一家はようやく夜中にこちらへ逃げ延びたとのこと(写真▼)
車でもかなり大変な距離なのに、よくこんなところまで…

大久野

■4 下原刀(八王子市下恩方町)

山間部を南へ下り、八王子の西寄り・下恩方。このあたりは室町時代から北条氏と縁の深かった武州下原刀(したはらとう)を作る「下原鍛冶」と呼ばれた山本一族(十家)が住んでいた場所だそうです(現在でもご子孫が)
そして北条氏が滅び江戸時代に入ると徳川家の庇護下に…(下原刀については平野勝さん著「多摩・新選組紀聞」にも詳しい記述が)
近藤の「虎徹」も、実は下原刀だったのでは、という話もあり?

下恩方1

北浅川沿いに山本家がずらっと並び、庭先にはそれぞれの家の由来の碑が建っています(写真下) 昔は庭先に道場を備えた家もあったもよう。少し離れた辺名にある下原刀鍛冶発祥の地の碑(写真▲左)付近は現在圏央道の延長工事真っ只中で、別名「ダンプ街道」と呼ばれているそうな…

■5 中島登出生地/観栖寺・中島家墓所(八王子市西寺方町)

「中島登覚書」や「戦友姿絵」を描いたことで有名な新選組隊士・中島登の生家跡(写真▼右から2枚目/今は古着のリサイクルショップ)と先祖の墓所・観栖寺(同▼左)もそのすぐ近くに。 中島家も千人同心の家柄だったそうな
ご存知のとうり中島登は箱館まで土方らと共に戦い、弁天台場で降伏、その後静岡へ。自身のお墓は浜松にあるとのこと

下恩方2

■6 心源院・山本一族墓所(八王子市下恩方)

下原鍛冶・山本一族の墓所。天然理心流3代目宗家の最有力候補だった増田蔵六(結果的に3代目は近藤周助に落着いたわけですが…)の直弟子である山本満次郎のお墓もここに(同▲右) 満次郎さんは中島登の師匠にあたるそうな

[ 下恩方周辺地図↓ ]

下恩方地図


■7 井上才市碑/心武館跡(あきる野市二宮)

あきる野市の東のはずれ二宮には上記、松崎和多五郎の門弟・井上才市則清の道場・心武館がありました。現在は井上才市翁表徳碑(写真▼左)が建ち、跡地脇にはいまだに御子孫が…流派が分裂していた天然理心流ですが、井上才市は近藤勇の婿/5代宗家・近藤勇五郎とも交わりがあったとのこと。現在心武館と9代目宗家は協力して技の存続を図っているとか

[ 二宮周辺地図↓ ]

二宮周辺地図


また聞き書き新選組によると、佐藤彦五郎さんのぶさん夫妻は慶応4年(1868年)3月、新政府軍に追われ上記・大久野の羽生家へ向かう前、ここ二宮の茂平氏宅に立ち寄って案内してもらったそうな

二宮/拝島

■8 拝島大師(本覚院/昭島市拝島町)

二宮の南東、拝島大師には上記・井上才市が願主となり大正2年?に奉納した天然理心流扁額(写真▲中央/右)が。こちらは屋外の軒下にあるためか、多少墨の色はあせてきているようですが、交流があったという近藤勇五郎さんの名前も見えます
広い境内は正月のだるま市で有名だそうな

[ 拝島周辺地図↓ ]
拝島周辺地図


■9 阿伎留神社/ 開光院(あきる野市五日市)

前述の羽生家がある大久野の南、五日市の阿伎留神社には明治41年(1908年)5月5日に酒井直治やその門人によって奉納された神道無念流の扁額(写真▼)があります。ここも屋内にあるため保存状態は良好。揮毫は自由民権運動を通じて親交があったという本田退庵(定年)さん。やはりこちらも交流があったのか、「客人」の欄には近藤勇五郎さんの名前が

阿伎留神社
写真にポインタを乗せてみてください

そこから北に少し離れた斜面を登るとナツツバキが名物の開光院。ここの山門右脇にある長屋門(ポインタを置いた写真▲右)に酒井直治の道場があったそうな。その長屋門前広場には直治の碑(同▲左)が建てられています

[ 五日市周辺地図↓ ]
五日市周辺地図




八王子(南部)探訪 03/19/2006 Hachiouji, Tokyo


ふたたび日野宿本陣文書検討会のツアーで、今回は八王子南部へ。その中で新選組に関わりの深いスポットをUPさせていただきます

■10 保井寺(八王子市堀之内)

野猿街道近くの堀之内にある斎藤一諾斎墓所・保井寺(ほうせいじ)(写真▼) 一諾斎さんは司馬遼太郎さんに「斎藤一」と混同されたことで有名な?人です(笑)

旗本の息子に生まれながら子供のころに寺に養子に出され、あちこちのお寺の住職を務めた後、甲州の全幅寺へ

そして新選組(甲陽鎮撫隊)の甲州攻めの折に道案内したことがきっかけで勧誘され、入隊したという説(それで「一諾」斎という名になったとも)と、それより前の慶応3年(1867年)入隊説(島田魁の名簿に名がある)があるらしいのだけど、詳細はいまだ不明

保井寺

その後綾瀬、流山などを経て会津など東北で戦い、仙台で離隊。謹慎後はこの近辺で教育者として生き、たいそう慕われたそうな(ここから少し西の大塚・清鏡寺には教え子たちが建てた顕彰碑が)

墓所は最近整備されたようで、ちょっと情緒には欠けるかも…?

[ 堀之内周辺地図↓ ]
堀之内周辺地図


■11 大法寺(八王子市鑓水)

さらに南西、八王子市鑓水にある横倉甚五郎墓所・大法寺(写真▼) こちらも開けた区画整理の行き届いた墓地で、ちょうどお彼岸ということもあり賑わっていました

大法寺

横倉甚五郎は八王子堀之内(斎藤一諾斎の墓所がある付近)出身で、横倉家は八王子千人同心の流れをくむ家柄、剣は天然理心流だったとか

慶応3年(1867年)11月18日に油小路で伊東甲子太郎を殺害したメンバーのひとりと言われ、その後箱館まで転戦、弁天台場で降伏。後に東京へ移され、坂本龍馬や伊東の殺害容疑で取調べを受けるうち獄中で死亡したという、あまり目立たないけれども劇的な人生を送った人だったそうな

[ 鑓水/小山周辺地図↓ ]
鑓水/小山周辺地図


■12 清水寺(八王子市小山)

少し南には宗家二代目・近藤三助さんの碑がある清水寺(写真▼)が。碑は石段を一番上まで登った観音堂の脇にあります。台座には建立に関わった人たちの名前でしょうか、三代目宗家・周助先生(当時嶋崎周平)の名前も(ポインタを置いた写真▼左)

清水寺
写真にポインタを乗せてみてください

背面には三助さんについての碑文が刻まれているのですが、磨り減っていて判読不能な部分多し…(ポインタを置いた写真▲中央/右)

天然理心流目録

そしてこのご近所の某家所有・天然理心流の目録/中極意などの巻物も見せていただきました(写真▲) 周助先生発行の免状はちまたによく出まわって?いるようですが、こちらは珍しい宗家二代目・三助先生発行のものなども

うーんふだんはガラスケース越しにしか見られないようなものが生でごろごろと目の前に…絶句(笑) 書体や使われている紙なども時代によりそれぞれ違ったようで、形式はけっこうアバウト?



八王子(中心部)探訪 05/16/2005 Hinodemachi/Hachiouji, Tokyo


■13 多賀神社(八王子市元本郷町)

甲陽鎮撫隊が甲州から敗走ののち、集合した場所(写真▼) 社殿は明治期のものとのこと。大木に囲まれた境内はかなり広く、集合場所になったのも納得…八王子の西の総社と呼ばれ、ここのお神輿は八王子市内でいちばん大きく派手らしい?

八王子1

■14 八王子千人同心屋敷跡の碑(八王子市追分町)

武田氏の遺臣である八王子千人同心が江戸の西の護りのため最初に移り住み、幹部クラスの屋敷がこの千人町あたりに集中していたとのこと。当時の道は今の陣馬街道より1本南の細い道あたりで、今碑がある場所は原家のお屋敷の敷地跡だそう…(写真▼左) このあたりのお屋敷は1軒約7000坪!!!もあったそうな>

八王子2

■15 興岳寺(八王子市千人町)

千人同心頭の石坂家菩提寺。戊辰戦争のおり、日光東照宮を警備中、北上してきた官軍と戦わずに帰って来たことを責められ切腹した千人隊隊長・石坂義禮のお墓もここに
東照宮を救った恩人、ということで水盤には日光市の文字が…(写真▲中央) 墓所と道一本挟んだ境内には顕彰碑も(写真上右)

[ 八王子周辺地図↓ ]

八王子地図



この他にも千人同心関係/武田家関連/八王子城など北条氏関係のスポットなどを数多く回り、濃密な1日でした。貴重な資料や地元ならではの解説、ありがとうございました!!
さらに詳細は検討会ブログのほうをご確認ください…→日野宿本陣文書検討会




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