日野宿本陣文書検討会主催・ 土方歳三の歩いた道ツアー第一弾ということで、 小島家/橋本家などのある 小野路へ抜ける途中の 百草(もぐさ)地区を歩いてきました。 近藤/沖田/山南さんなども、日野からの往復にはこのコースを辿っていたかも?
今回の自分の目的は、幕末当時の風景を想像しながら楽しむということでしたし、それぞれのスポットも直には新選組に関係ないと思われるので、あまり突っ込んだ説明書きは無しで…(笑)
まずは高幡不動そばの 若宮八幡に立ち寄り、ちょうどお祭りで立てられていた、土方の書のお師匠さんと言われる 本田覚庵さん筆の幟(の複製/写真▼左)を拝見
そして東へ移動、聖跡桜ヶ丘駅近くの 一ノ宮渡し跡碑(写真▲中央)、 小野神社(一ノ宮)(同▲右)へ。昔は武蔵の国筆頭の宮だったことで「武蔵一宮」の名前が残っているそうな。当然二宮、三宮…もあり、六宮全部の総社が「くらやみ祭り」でおなじみ、府中の 大國魂神社(六所宮)とのこと。ここの神輿は一ノ宮の渡しを越えて六所宮の祭りに参加していたそうな(六所宮のものもこちらに来ていたのかはちょっと不明)
そこから川崎街道沿いに少し西へ行くと 百草地区。周囲は開発が進み、昔の道筋を辿るのは難しいのですが、このあたりはまだ当時の風景の片鱗が感じられるような。尾根の間の道の脇には馬頭観音や庚申塚、そして何の案内板も無く唐突に百草園の前身・ 松蓮寺ゆかりの方々の墓所などが…(写真▲)
ここでは地図にも載っていないような道も通ったので、いまいち下の作図は自信なしです(笑)
六地蔵付近(同▲)は特に昔の面影が残っているような気がするのだけど、すぐ近くまで道路拡張工事が進み、この風景が見られるのもあと少しかも…残念。この六地蔵前の道は百草園にかつてあったとされる真慈悲寺(後述)の参道だったとも
[ 百草周辺地図↓ ]
江戸時代初期に当時の領主で旗本の 小林氏が建立した 枡井山松蓮寺が、そしてその後小田原藩主・ 大久保氏の未亡人であった 寿昌院慈岳元長尼が再建した 松蓮寺があったところ。明治6年に廃寺、現在は庭園となっていて、花の季節にはさぞ美しいのだろうなあ…と思われますが、今回はちょうど季節の谷間だったようで
聞き書き新選組には、慶応元年(1865年)、毎夜怪しい声に悩まされていたここ松蓮寺のご住職のため、 佐藤彦五郎さんが「魔除けの俳句」を詠み日野の剣士4人を送り込んだところぱったり治まったとというエピソードが…
最近の発掘では板碑や大量の瓦などが発見され、 吾妻鏡(鎌倉時代)に登場する源氏ゆかりの 真慈悲寺はここにあったという説が有力になっているそうな。「吾妻鏡」によると「真慈悲寺」は鎌倉から小野路を経て上野/信濃方面へ抜ける 上ノ道近辺にあったらしい? (写真▼左)は百草園から六地蔵方面(参道)を望む
百草園のすぐ南には 百草八幡宮(同▲中央/右)が。今回はここもちょうどお祭りで、近所の方々でにぎわっていました。そして秘仏の 阿弥陀如来坐像も御開帳(背面に真慈悲寺に関する情報が刻まれている)
さらに南へ向かうと右手に 百草観音堂が。観音堂自体は新しいもので情緒無しですが、内部には観音像のほか、松蓮寺から移された大日如来/阿弥陀如来像などがあり、敷地内には地蔵(ふたつ下の写真▼左)や宝永5年(1708年)と刻まれた、上記 小林氏寄進の 手洗鉢(写真▼左)なども (正徳4年(1714年)に小林氏は所領替えになり、以後百草は天領に、その後上記のように大久保氏・元長尼が松蓮寺を再建したそうな)
そして敷地の南側には樹齢500〜600年と言われる スダジイ(写真▲中央/右)がこんもりと。小野路との分水嶺にある 平久保(びりくぼ)のスダジイも見事ですが、こちらもなんとも貫禄。ここを通る人たちはこのあたりで休憩などしたのかも?
さらに南、脇の農道からさらに横へ入り、道ともわからないようなルートを行くと、上記の旗本・ 小林正利が宝永7年(1710年)に建立した 庚申塔(写真▼右から2枚目)が。脇には村人たちが建立したものも。小林氏の庚申塔はいい石材を使っているためか、保存状態がかなり良いとのこと
小林氏の陣屋はこの庚申塔がある倉沢緑地付近にあったとか。あたりには古墳の跡(同▲左から2枚目)も散見されます。ここではまた地図にも載っていないようなルートを辿ったので上図の位置はいまいち自信なし…
そこから農道に戻り少し南へ行くと由木農場が。ここ由木家はかつてこのあたりにあった万蔵院の住職を代々務めたお家だとか(このあたりは「万蔵院台」と呼ばれているそうな) 現在は卵やシャーベットなどの直売もされていて、ブルーベリーシャーベット(315円)は濃厚で美味でありました
農場の南には由木家代々の方々の墓所もあります
このあたりでもともと怪しかった天気が一気に悪化、土砂降りに。個人的に今回の第一目的だった? 青鏡寺に着いたころにはさらに薄暗くなり、条件は最悪(笑) というわけで?写真も大失敗。まあ予想はしていたのだけど、また来いってことですねこれは
ここ青鏡寺には元新選組隊士・ 斎藤一諾斎の顕彰碑(写真▲左)があります(何がなにやらわかりませんが) 戊辰戦争中、仙台で離脱したと言われる一諾斎は現在の八王子市東中野や八王子市大塚などで教師をして暮らし、没後明治14年に教え子たちによって碑が建てられたとか。この碑によると「一諾斎藤氏」となっているので、もしかして実は通説の名前は「斎」がひとつ余計だったりして? お墓は少し南西へ行った 保井寺に
さらに南、小野路への道は次回に続く?
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