「新選組!」のおと
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高幡不動/石田探訪 05/29/2005, 08/06/2006 Hino, Tokyo


■1 高幡不動尊金剛寺

高幡不動駅前から始まる参道を抜けるとすぐ正面に土方隼人家の菩提寺高幡不動尊金剛寺が。総門からすぐのところに土方歳三像殉節両雄之碑があります(写真▼)
思っていたよりも小ぶりな印象?

ご存知のようにこの碑は佐藤彦五郎(俊正)さんや小島鹿之助(為政)さんら多摩の関係者、それに松平容保、松本良順らが関わり、長い間の努力の末ようやく許可が出て明治21年に建立されたもの。以前は不動堂の裏側にあったものが、平成7年(1995年)にこの土方歳三像が建立されたときこちらに移されたそうです

高幡不動
写真にポインタを乗せてみてください

少し奥へ行った奥殿には土方の書簡や「中島登覚書」の写し、松本良順/勝海舟/榎本武揚/大鳥圭介/山岡鉄舟らの書、土方の隊旗といわれる「東照大権現」の幟や源さんのものといわれる脇差など、新選組関連の品々の展示が…(入場300円)

所蔵品や両雄之碑、土方像や新選組との関わりなどの解説冊子(200円)も境内で売られています(そのほかにも各種関連グッズあり) 駅までの参道沿いにも関連商品を扱う店がいっぱい。土方そばやまんじゅうをはじめ、隊士なりきり写真撮影用の(例の顔の部分にだけ穴があいている)パネルまでありました(笑)

その後浅川(ポインタを置いた写真▼左)を渡り、モノレール沿いに石田方面へ
(昔洪水で流される前の土方生家があったといわれるのは写真左手側奥)

石田1
写真にポインタを乗せてみてください

■2 石田寺

橋を渡ってすぐ右手に行くと土方家の墓所・石田寺(せきでんじ/写真▲)があります。
門の奥にそびえる樹齢400年ともいわれるカヤの木が目印

門を入って右手に位置する墓地には見渡す限り「土方家」の墓石がぎっしり…お寺の周辺を囲むお屋敷もよく見ると表札はほとんどが土方。軒下には家紋である左三つ巴が…さすが名門旧家の貫禄?

そんな中でも目指す"お大尽"土方家の墓所(写真▲中央)は案内板が立っているので迷うことなし。歳三さんのお墓はいちばん右側(同▲右/▼左)に…おなじみの長兄・為次郎(石翠)さんも同じ墓石に名前が刻まれています

石田4
写真にポインタを乗せてみてください

墓石が現在の新しいものになったのはわりと最近のことらしいのですが、古い墓石ももう少し奥まった場所に移されていて、お参りできます(←Sさんに教えていただきました/写真▲右2枚) 角が削れたりしてだいぶ傷みが激しいですが、歳三さん、そして為次郎さんと伯父の丈八郎さんの名前がまだ確認できます

カヤの木の近くには歳三さんの記念碑(ポインタを置いた写真▲左)も。そしておまけ、(同▲いちばん右)は門の近くにある稲荷のお狐さん。子連れでめずらしかったので…

石田2

■3 とうかん森

お寺の少し北には昔からその土方一族が奉ってきたという稲荷のあるとうかん森(写真▲)が残っています。樹齢250年ともいうムクノキやカヤの大木に囲まれ、遠くからでもこんもりと、場所が一目瞭然。土方さんが生まれ育ったころはあたり一帯がこんな雰囲気だったのでしょうか

■4 土方歳三資料館

そして万願寺のモノレール駅がある交差点を越えたところには最近リニューアルされた土方歳三生家・現土方歳三資料館(写真▼左)が ←最近は講演会などを聞きに何度も伺うようになりましたが、初めて訪ねたときは閉館日でありました…

石田3

その向かって右隣のりっぱな長屋門(写真▲右)は旧石田村名主・土方伊三郎邸。歳三兄・喜六さんに嫁いだナカさんのご実家で、長屋門と母屋は当時の面影をそのまま残しているそうな…

[ 高幡不動/石田周辺地図↓ ]

石田地図





石田再訪 09/04/2005 Hino, Tokyo


さてさていままでなぜかご縁がなかった土方歳三資料館へ、ようやく行って来ることができました(やっと門が開かれた!?↓) もうおなじみすぎていまさら何も書くようなことはなさそうなのですが(笑) やはりかねがね関連本等の図録で見ていた遺品の数々をナマで見ることが出来て感慨もひとしお…

豊玉発句集や書簡、鉢鉄のキズや帷子、和泉守兼定(外身)、官軍の目を欺くため?名前が「義昌」と改ざんされた天然理心流中極意目録などなど…それに土方の死を知らせる安富才輔書簡の文字のゆがみも胸に来ました

石田4

資料館出口脇にはこれもおなじみ土方歳三手植えの矢竹が(写真▲右)

[ 土方歳三資料館 ]
開館: 毎月第1/第3日曜 入館料: 500円/小中学生300円 (2005年9月時点)


■5 石明神社

そしてすぐ近くの土方家の氏神さま石明神社(写真▲左)にも立ち寄り…古写真ではこんもりした鎮守さまだったようですが、最近建て変わってしまったようで、緑もほとんどなくなりかなり殺風景…(失礼!) 片隅には石造りのお社がひっそりと

浅川
写真にポインタを乗せてみてください

■6 万願寺歩道橋

そしてこちら(写真▲)はわかる人にはわかる!?「おまけ」、浅川河原です(笑)
ドラマエンジンにてキムタクさんがトレーニング場にしていたところ…そして訪ねて来た「元にい」ことさんがキムタクさんに後ろからハグされたところでございます
ついでに?ふたりがダッシュした万願寺歩道橋(ふれあいばし)も…

たぶんリアル土方さんも、ここの地層上のどこかで遊んでいたことでありましょう…?

この土手を南側に降りたところにある小川沿いの公園では、なんと日野市のシンボル・カワセミを目撃!! 一瞬のことでしたが、青く光って声も出ないくらいの感動でした
(ちなみに上の遊歩道橋の欄干や市内のマンホールの蓋にも、カワセミがデザインされていたりします)

※周辺詳細地図は上記をご覧ください



百草探訪 09/17/2006 Hino, Tokyo


日野宿本陣文書検討会主催・土方歳三の歩いた道ツアー第一弾ということで、小島家/橋本家などのある小野路へ抜ける途中の百草(もぐさ)地区を歩いてきました。近藤/沖田/山南さんなども、日野からの往復にはこのコースを辿っていたかも?

今回の自分の目的は、幕末当時の風景を想像しながら楽しむということでしたし、それぞれのスポットも直には新選組に関係ないと思われるので、あまり突っ込んだ説明書きは無しで…(笑)

■7 若宮神社

まずは高幡不動そばの若宮八幡に立ち寄り、ちょうどお祭りで立てられていた、土方の書のお師匠さんと言われる本田覚庵さん筆の幟(の複製/写真▼左)を拝見

百草1

■8 一ノ宮渡し跡/小野神社(一ノ宮)

そして東へ移動、聖跡桜ヶ丘駅近くの一ノ宮渡し跡碑(写真▲中央)、小野神社(一ノ宮)(同▲右)へ。昔は武蔵の国筆頭の宮だったことで「武蔵一宮」の名前が残っているそうな。当然二宮、三宮…もあり、六宮全部の総社が「くらやみ祭り」でおなじみ、府中の大國魂神社(六所宮)とのこと。ここの神輿は一ノ宮の渡しを越えて六所宮の祭りに参加していたそうな(六所宮のものもこちらに来ていたのかはちょっと不明)

百草2

■9 百草/六地蔵など

そこから川崎街道沿いに少し西へ行くと百草地区。周囲は開発が進み、昔の道筋を辿るのは難しいのですが、このあたりはまだ当時の風景の片鱗が感じられるような。尾根の間の道の脇には馬頭観音や庚申塚、そして何の案内板も無く唐突に百草園の前身・松蓮寺ゆかりの方々の墓所などが…(写真▲)

ここでは地図にも載っていないような道も通ったので、いまいち下の作図は自信なしです(笑)

百草3

六地蔵付近(同▲)は特に昔の面影が残っているような気がするのだけど、すぐ近くまで道路拡張工事が進み、この風景が見られるのもあと少しかも…残念。この六地蔵前の道は百草園にかつてあったとされる真慈悲寺(後述)の参道だったとも

[ 百草周辺地図↓ ]


百草周辺地図



■10 百草園/百草八幡宮

江戸時代初期に当時の領主で旗本の小林氏が建立した枡井山松蓮寺が、そしてその後小田原藩主・大久保氏の未亡人であった寿昌院慈岳元長尼が再建した松蓮寺があったところ。明治6年に廃寺、現在は庭園となっていて、花の季節にはさぞ美しいのだろうなあ…と思われますが、今回はちょうど季節の谷間だったようで

聞き書き新選組には、慶応元年(1865年)、毎夜怪しい声に悩まされていたここ松蓮寺のご住職のため、佐藤彦五郎さんが「魔除けの俳句」を詠み日野の剣士4人を送り込んだところぱったり治まったとというエピソードが…

最近の発掘では板碑や大量の瓦などが発見され、吾妻鏡(鎌倉時代)に登場する源氏ゆかりの真慈悲寺はここにあったという説が有力になっているそうな。「吾妻鏡」によると「真慈悲寺」は鎌倉から小野路を経て上野/信濃方面へ抜ける上ノ道近辺にあったらしい? (写真▼左)は百草園から六地蔵方面(参道)を望む

百草4

百草園のすぐ南には百草八幡宮(同▲中央/右)が。今回はここもちょうどお祭りで、近所の方々でにぎわっていました。そして秘仏の阿弥陀如来坐像も御開帳(背面に真慈悲寺に関する情報が刻まれている)

■11 百草観音堂/倉沢緑地

さらに南へ向かうと右手に百草観音堂が。観音堂自体は新しいもので情緒無しですが、内部には観音像のほか、松蓮寺から移された大日如来/阿弥陀如来像などがあり、敷地内には地蔵(ふたつ下の写真▼左)や宝永5年(1708年)と刻まれた、上記小林氏寄進の手洗鉢(写真▼左)なども (正徳4年(1714年)に小林氏は所領替えになり、以後百草は天領に、その後上記のように大久保氏・元長尼が松蓮寺を再建したそうな)

百草5

そして敷地の南側には樹齢500〜600年と言われるスダジイ(写真▲中央/右)がこんもりと。小野路との分水嶺にある平久保(びりくぼ)のスダジイも見事ですが、こちらもなんとも貫禄。ここを通る人たちはこのあたりで休憩などしたのかも?

さらに南、脇の農道からさらに横へ入り、道ともわからないようなルートを行くと、上記の旗本・小林正利が宝永7年(1710年)に建立した庚申塔(写真▼右から2枚目)が。脇には村人たちが建立したものも。小林氏の庚申塔はいい石材を使っているためか、保存状態がかなり良いとのこと

百草6

小林氏の陣屋はこの庚申塔がある倉沢緑地付近にあったとか。あたりには古墳の跡(同▲左から2枚目)も散見されます。ここではまた地図にも載っていないようなルートを辿ったので上図の位置はいまいち自信なし…

そこから農道に戻り少し南へ行くと由木農場が。ここ由木家はかつてこのあたりにあった万蔵院の住職を代々務めたお家だとか(このあたりは「万蔵院台」と呼ばれているそうな) 現在は卵やシャーベットなどの直売もされていて、ブルーベリーシャーベット(315円)は濃厚で美味でありました
農場の南には由木家代々の方々の墓所もあります

大塚1

■12 青(清)鏡寺

このあたりでもともと怪しかった天気が一気に悪化、土砂降りに。個人的に今回の第一目的だった?青鏡寺に着いたころにはさらに薄暗くなり、条件は最悪(笑) というわけで?写真も大失敗。まあ予想はしていたのだけど、また来いってことですねこれは

ここ青鏡寺には元新選組隊士・斎藤一諾斎の顕彰碑(写真▲左)があります(何がなにやらわかりませんが) 戊辰戦争中、仙台で離脱したと言われる一諾斎は現在の八王子市東中野や八王子市大塚などで教師をして暮らし、没後明治14年に教え子たちによって碑が建てられたとか。この碑によると「一諾斎藤氏」となっているので、もしかして実は通説の名前は「斎」がひとつ余計だったりして? お墓は少し南西へ行った保井寺

さらに南、小野路への道は次回に続く?



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