「新選組!」のおと
水戸[ 玉造 ][ 石岡 ][ 御前山 ]
玉造探訪 01/04/2006 Tamatsukuri, Ibaraki


正月早々、またまたあさくらゆうさん主催のツアーに参加させていただき、念願の芹澤鴨/伊東甲子太郎らの故郷、玉造/石岡方面を廻って来ました。まずは常磐線で石岡へ。そして石岡からは鹿島鉄道で、なんと当日特別仕立の「」電車で巴川へ…う〜んかわいいぞ(写真▼) 途中の駅の駅員さんはなんと浅黄のダンダラ羽織でお出迎え、とサービスも満点

鹿島鉄道

さらに巴川駅からは貸し切りバスで移動という豪華ツアー!!
以下、巡った順番とは微妙に違いますが説明しやすい順で…まずは玉造から。最近までこのあたりは茨城県行方(なめかた)郡玉造町芹沢だったのだけど、市町村統合により現在は行方市芹沢…「玉造党」にからむ玉造の名前と直接のつながりがなくなったのはなんとなく残念


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■1 芹澤城址

新選組初代筆頭局長・芹澤鴨さんのご先祖が室町時代中期に築いたという平城跡(写真▼中央・竹薮の奥) 芹澤家はここ行方郡宗主の家柄だったとのこと。天正19年(1591年)3月、佐竹氏により廃城となったそうな

玉造1

芹澤家は江戸時代初期には幕臣だったものの、その後水戸藩上席郷士に。芹澤邸はこの城址の脇(竹薮が切れたところを右折したあたり)にあったそうな。文久元年(1861年)2月(3月?)に天狗党・玉造組として活動していた下村継次こと鴨さんが捕らえられたのは「芹澤外記(=外記貞幹・鴨さんの父上?)宅」とのことなので、おそらくここで?
貞幹さんの跡を継いだ兵部成幹さん(鴨さんの兄)も天狗党に加担していたりした結果、残念ながら元治元年(1864年/鴨さん死亡の翌年)に水戸藩内の対抗勢力だった諸生党によって焼かれてしまったとのこと

その脇には鴨さんが昔追手と切り結びながら逃げたという道の跡もかすかに…(写真▲右)まっすぐ行くと城址のほうへ抜けられるそうな

■2 芹澤家

焼かれた本宅があったという場所をさらに進んだところに残る芹澤家(写真▼) こちらはもともと隠居所として使われていた場所だそうで、現在は無人。ふだん中へは入れないのだけど、今回は特別に拝見することができました

玉造2

芹澤家は医術もよくする家柄だったそうで、家の裏手には(河童の手を治療してあげたことにちなむ?)手継(接)神社と呼ばれる小さなお社が(ポインタを置いた写真▼中央)そして庭には天保5年(1834年)3月17日、芹澤家に立ち寄った藩主斉昭公から拝領したという扇と歌の記念碑も(ポインタを置いた写真▼左) やはり扇に縁があるのか…?

玄関にはまだご子孫の芹澤外記氏(もちろん鴨さん父上・貞幹さんとは別人)の表札が掛けられたままになっていました

玉造3
写真にポインタを乗せてみてください

そしてこちらは芹澤家外観(写真▲)、やはり周囲とは一段離れた風格が。右手の坂の左側が旧本宅/城址

■3 平間重助実家/隠れ家

道を挟んだ向かい側(写真▼)が平間重助の実家跡。もともと平間家は芹澤家に長く(400年以上?)仕えてきた家筋で、重助も鴨さんのお目付けとして京都へ同行した、と言われていますが

玉造4

八木邸で芹澤派が討たれた後、ひとり逃げ延びた平間の行方には過去諸説あったようですが、実はここ芹澤に戻り明治7年(1874年)に51歳で亡くなるまでここに隠れ住んでいたとのこと…そして(写真▲中央/右)は平間が晩年住んでいた家があったという、少し離れた某民家の裏手。崖と母屋に挟まれ、表からは見えない位置だったそうな
(ご主人自らが説明してくださって生々しかった…)

[ 芹沢周辺地図↓ ]
芹沢周辺地図

■4 法眼寺

城址裏手にある芹澤家の菩提寺。門を入ってすぐ左手に芹澤/平間の顕彰碑が建っています(ポインタを置いた写真▼左) いちばん奥まった小高い場所に芹澤家の墓所が(写真▼)…中央の黒い塔柱に鴨の兄上と言われている兵部成幹さんの名前も
芹澤家墓所に向かい合うように芹澤家の由来について書かれたかなり大きな碑があり、鴨さんについての記述もあるらしいのですが、ものすごく読み難くて確認できず…
ここから裏道を通って芹澤城址碑へ抜けられます

玉造5
写真にポインタを乗せてみてください

ここはもともと芹澤家のためだけのお寺だったそうなのだけど、徐々にあたり一帯の家の菩提寺となったそうで、平間家の墓所もここに(ポインタを置いた写真▲右)
このあたりはころあいが来るまで?墓石を建てず、木の墓標を立てておく風習だそうで、あちこちに土饅頭が…踏みそうでとってもコワイ(汗)

■5 平間家墓所

こちらは芹澤から少し北へ行った青柳にある平間家分家の墓所(写真▼) ここの隅に「平間重助神道無念流免許皆伝」と書かれた碑が(写真▼中央)…墓所は畑に囲まれた木立の中にあり、外からはまったくわからず(写真▼右)

玉造6

このあたりはどんどん新しい道ができているようで、持参した10年以上前の地図ではまったく歯が立たず、あっと言う間にバスが走っている場所を見失い…というわけで、下の地図はいまいち自信なし(汗) だいたいこのあたり、ということで…

[ 青柳周辺地図↓ ]
青柳周辺地図


ちなみにこのすぐ北東にあたる鉾田市鳥栖富田は、永倉や島田が居たことで知られる心形刀流・坪内道場の坪内家の知行地だったとのこと




石岡探訪 01/04/2006 Ishioka, Ibaraki


■6 俊塾跡

だいぶ西に戻った石岡市東大橋、伊東甲子太郎(鈴木大蔵)/三木三郎兄弟の父上・鈴木専右衛門(三四郎)忠明さんがわけあって志筑藩(現かすみがうら市)を追われた後、寺子屋を開いた廃寺跡(写真▼左) 墓地の奥から跡地を垣間見ることができます。甲子太郎(当時大蔵)も少し東の小井戸(石岡市)の支塾で教えていたそうな

忠明氏死後は次男の三木三郎(多聞/荒次郎/鈴木三樹三郎/忠良)が俊塾を継いだものの次第に廃れ、閉塾に。このすぐ脇の墓地には「鈴木家」の墓石がたくさん並んでいるのだけど、兄弟実家とは何の関係も無いとのこと…でも忠明さんのお墓は元々はここにあったそうな(現在は下記・東耀寺に)

[ 東大橋周辺地図↓ ]
東大橋周辺地図

たぶんこのあたり▲

このあたりも開発が盛んで新しい道がたくさんできているうえに、周り一帯似たような風景なので行き着くのはかなり難しいかも?(今回もここで道を見失い、1時間余りあたりをさまようというハプニングが(笑)…そばにある香取神社の名前を見て一同なんとなくなごんでいましたが)

石岡1

■7 東耀寺

石岡市中心近くにある伊東甲子太郎/三木三郎兄弟実家の鈴木家墓所(写真▲右)。左奥には上記・俊塾脇の墓所から移されたという忠明さんの墓石(写真▼左から2枚目)、すぐ隣には妻で兄弟の母上・こよ(川俣氏)との連名の墓石も(写真▼中央)

油小路事件などから生還した三木三郎こと鈴木忠良(新選組九番隊長→御陵衛士→赤報隊軍裁→軍務官)の墓石も右奥に(写真▼左) 大正8年(1919年)、83歳で歿

石岡2

いちばん右手前の墓石(写真▲右)は兄弟の妹・須磨子さんと夫君のものとのこと

[ 石岡周辺地図↓ ]
石岡周辺地図


ちなみにここ東耀寺は文久3年(1863年)以降、天狗党が府中(現石岡市)に滞在していたころ、紀州屋などとともに藤田小四郎ら幹部が寝所として使っていた場所のひとつでもあるそうな




御前山探訪 01/04/2006 Gozenyama, Ibaraki


■8 鯉沼家墓所

その後山の中をかなり長時間移動し、あたりはとっぷりと暮れ…こちらは御前山のすぐ近く、常陸大宮市下伊勢畑にある香川敬三(鯉沼伊織)の養家で神官だったという鯉沼家墓所(写真▼左から2枚目) 奥にちんまりと鯉沼伊織埋髪塔(写真▼左)が。討幕の決意をした時に剃った毛髪を埋めたものだそうな。香川は攘夷活動などの後水戸脱藩、岩倉具視の下で働き東山道軍大軍監として宇都宮へ進軍途中に流山駐屯中の新選組を攻め、近藤捕縛のきっかけを作ったことで有名

ここも一般民家の奥にある場所なので、個人で辿り着くのはかなり難しいかも…

御前山

■9 糟谷家墓所

そしてまたバスで少し移動し糟谷新五郎さん墓所へ。ご存知のように京都で初期壬生浪士組に参加した後帰郷、元治元年の天狗党筑波挙兵に加わり、後に自害したという方。ここには墓石(写真▲右から2枚目)のみ。脇には若いころ共に攘夷活動をしていた香川敬三の筆という顕彰碑(写真▲右)も

こちらも御前山近くに今も残る糟谷家ご子孫宅の裏山にあり、今回特別にお参りさせていただけたものなので、個人で立ち寄るのはちょっと難しいかもです
しかし暗闇の中、ケータイの明かりを頼りに落ち葉が堆積した滑りやすい斜面を上り下りする集団はかなり怪しかったのでは? なかなかスリリングで貴重な体験でした(笑)…しかも気温はマイナス2度だったそうな…

[ 御前山周辺地図↓ ]

御前山周辺地図


▲暗い中でのバス移動だったので、正確には場所を把握できず…でもたぶんこのあたり?
このあたりも以前は東茨城郡御前山村下伊勢畑だったのだけど、統廃合で現在は常陸大宮市下伊勢畑になり「御前山」の名前は住所から消えてしまっているのが寂しい


すぐ近くには天狗党別働隊隊長・田中愿蔵が館長を務めていた野口郷校・時雍館跡の野口小学校や碑もあるそうなのだけど、残念ながら今回は寄れず)


この他、相馬主計の実家・船橋家跡のある笠間市内も通ったのですが、時間の関係でただ通過したのみなので、そちらはまた今度の機会に…
おかげさまで天気も良く、内容も詰まった充実したツアーで大満足でした




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