正月早々、またまたあさくらゆうさん主催のツアーに参加させていただき、念願の芹澤鴨/伊東甲子太郎らの故郷、玉造/石岡方面を廻って来ました。まずは常磐線で石岡へ。そして石岡からは鹿島鉄道で、なんと当日特別仕立の「誠」電車で巴川へ…う〜んかわいいぞ(写真▼) 途中の駅の駅員さんはなんと浅黄のダンダラ羽織でお出迎え、とサービスも満点
さらに巴川駅からは貸し切りバスで移動という豪華ツアー!!
以下、巡った順番とは微妙に違いますが説明しやすい順で…まずは玉造から。最近までこのあたりは茨城県行方(なめかた)郡玉造町芹沢だったのだけど、市町村統合により現在は行方市芹沢…「玉造党」にからむ玉造の名前と直接のつながりがなくなったのはなんとなく残念
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新選組初代筆頭局長・ 芹澤鴨さんのご先祖が室町時代中期に築いたという平城跡(写真▼中央・竹薮の奥)
芹澤家はここ行方郡宗主の家柄だったとのこと。天正19年(1591年)3月、佐竹氏により廃城となったそうな
芹澤家は江戸時代初期には幕臣だったものの、その後水戸藩上席郷士に。芹澤邸はこの城址の脇(竹薮が切れたところを右折したあたり)にあったそうな。文久元年(1861年)2月(3月?)に天狗党・玉造組として活動していた 下村継次こと鴨さんが捕らえられたのは「芹澤外記(= 外記貞幹・鴨さんの父上?)宅」とのことなので、おそらくここで?
貞幹さんの跡を継いだ 兵部成幹さん(鴨さんの兄)も天狗党に加担していたりした結果、残念ながら元治元年(1864年/鴨さん死亡の翌年)に水戸藩内の対抗勢力だった諸生党によって焼かれてしまったとのこと
その脇には鴨さんが昔追手と切り結びながら逃げたという道の跡もかすかに…(写真▲右)まっすぐ行くと城址のほうへ抜けられるそうな
焼かれた本宅があったという場所をさらに進んだところに残る芹澤家(写真▼) こちらはもともと隠居所として使われていた場所だそうで、現在は無人。ふだん中へは入れないのだけど、今回は特別に拝見することができました
芹澤家は医術もよくする家柄だったそうで、家の裏手には(河童の手を治療してあげたことにちなむ?)手継(接)神社と呼ばれる小さなお社が(ポインタを置いた写真▼中央)そして庭には天保5年(1834年)3月17日、芹澤家に立ち寄った藩主斉昭公から拝領したという扇と歌の記念碑も(ポインタを置いた写真▼左) やはり扇に縁があるのか…?
玄関にはまだご子孫の芹澤外記氏(もちろん鴨さん父上・貞幹さんとは別人)の表札が掛けられたままになっていました
▲写真にポインタを乗せてみてください
そしてこちらは芹澤家外観(写真▲)、やはり周囲とは一段離れた風格が。右手の坂の左側が旧本宅/城址
道を挟んだ向かい側(写真▼)が 平間重助の実家跡。もともと平間家は芹澤家に長く(400年以上?)仕えてきた家筋で、重助も鴨さんのお目付けとして京都へ同行した、と言われていますが
八木邸で芹澤派が討たれた後、ひとり逃げ延びた平間の行方には過去諸説あったようですが、実はここ芹澤に戻り明治7年(1874年)に51歳で亡くなるまでここに隠れ住んでいたとのこと…そして(写真▲中央/右)は平間が晩年住んでいた家があったという、少し離れた某民家の裏手。崖と母屋に挟まれ、表からは見えない位置だったそうな
(ご主人自らが説明してくださって生々しかった…)
[ 芹沢周辺地図↓ ]
城址裏手にある芹澤家の菩提寺。門を入ってすぐ左手に芹澤/平間の顕彰碑が建っています(ポインタを置いた写真▼左) いちばん奥まった小高い場所に芹澤家の墓所が(写真▼)…中央の黒い塔柱に鴨の兄上と言われている 兵部成幹さんの名前も
芹澤家墓所に向かい合うように芹澤家の由来について書かれたかなり大きな碑があり、鴨さんについての記述もあるらしいのですが、ものすごく読み難くて確認できず…
ここから裏道を通って芹澤城址碑へ抜けられます
▲写真にポインタを乗せてみてください
ここはもともと芹澤家のためだけのお寺だったそうなのだけど、徐々にあたり一帯の家の菩提寺となったそうで、平間家の墓所もここに(ポインタを置いた写真▲右)
このあたりはころあいが来るまで?墓石を建てず、木の墓標を立てておく風習だそうで、あちこちに土饅頭が…踏みそうでとってもコワイ(汗)
こちらは芹澤から少し北へ行った 青柳にある平間家分家の墓所(写真▼) ここの隅に「平間重助神道無念流免許皆伝」と書かれた碑が(写真▼中央)…墓所は畑に囲まれた木立の中にあり、外からはまったくわからず(写真▼右)
このあたりはどんどん新しい道ができているようで、持参した10年以上前の地図ではまったく歯が立たず、あっと言う間にバスが走っている場所を見失い…というわけで、下の地図はいまいち自信なし(汗)
だいたいこのあたり、ということで…
[ 青柳周辺地図↓ ]
ちなみにこのすぐ北東にあたる鉾田市 鳥栖や 富田は、永倉や島田が居たことで知られる心形刀流・坪内道場の 坪内家の知行地だったとのこと
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