2月に訪ねたときには改装中、4月3日にリニューアルオープンした日野宿本陣へようやく行って来ました。ご存知土方の義兄&従兄であり、新選組のスポンサーでもあった佐藤彦五郎さんのお宅だったところ。参勤交替の際、ここへ立ち寄るお殿様の宿泊所にあたります。先日はシートが掛けられていた冠木門(写真▼左)も新しいたたずまいに…古い扉は屋内に展示されています
(甲州街道を挟んで、門の正面には問屋場跡の碑が(2枚下の写真▼右))
現在残っているこの建物は文久3年(1863年)の上棟、完成は翌元治元年(1864年)とのことなので、もう試衛館メンバーが新選組となり、京都で活動していたころのこと(たしか完成を祝う内容の近藤からの書簡があったはず?)
門をくぐると右に道場跡の碑(写真▲中央)が。この建物の完成前は敷地東側、建築後は長屋門の脇に道場があったようです。そして向かって正面に式台(同▲右) お殿様だけが通ることのできる玄関で、ふだん使われることのないその奥の間(10畳)ではよく土方が昼寝をしていたとのことですが…何度か京都から東帰してきたときのことでしょうか。式台の軒下には佐藤家の紋である源氏車の彫り物があります
脇の入口から入ると土間には棟札や瓦、日用品や佐藤彦五郎日記など色々な史料の展示が。その奥には大画面で日野の歴史のVTRなどを見られるコーナーも。これは今回から新設されたようです
土間から高い広間(執務室)に上がるとガイドの方が一緒に邸内を廻りながら丁寧に説明してくれました。ちょうど他に人がいないタイミングで、ガイドさんひとりじめ(笑)
一辺45センチもある大黒柱や1枚板の杉を使った襖(土方が昼寝していたという玄関の間にある)などを見ながらその奥の市村鉄之助(函館から土方の遺品となった辞世の詩、手紙、写真などを持ち帰ったというお小姓)を2年間かくまっていたという小部屋へ…
この部屋の欄間や釘隠しは当時のままだそうです(写真▼左) 欄間は麻の花の模様、目釘隠しは逆さこうもりで、縁起がいいものとのこと。なかなかかわいい…このあたりの襖面は全てカラーコピー?のようになってしまっていて残念なのですが…
その奥には彦五郎さんの居室。さらに南側には以前上段の間(お殿様が泊まった部屋)、御前の間などがあったそうですが、明治のころ四男・彦吉さんの養子先である有山家へ曳屋して移築されたそうです(ご…豪勢な…)←非公開
その後作られた南側の縁には、ふし穴隠しのためか?以前その窓の外にあったというひょうたん池の形を模した継ぎ板が…その他にも柱の根元に鯉の浮彫りがあったり、一枚板の欄間に四季の植物と鳥が透かし彫りにされていたり(わかりにくいけれど写真上右)と細部がほのぼのしています
しかし市村をかくまっていた部屋も端っことはいえ表側に面しているし、彦五郎さんの部屋とも廊下1本と襖で隔てただけだし、いまの感覚からすると、こんな大邸宅でもまったくプライバシーがないことにあらためてびっくりですが(笑)
今回から新たに南側の3間も公開されるようになったとのことですが、ここには大石鍬次郎が立ち寄ったときに直して行ったという天井が…(ただし現在の天井板自体はかなり後、大正か昭和初めころのものでは、とのこと)
甲州攻めの途中で立ち寄ったときに、土方が土産の母衣をのぶさんに渡した八畳の部屋というのもこの部屋?
ここは都内に残る唯一の本陣建築とのことなので、新選組のみならず日本建築に興味のある方にもオススメです
[ 日野宿本陣 ]
開館: 09:30〜17:00(月曜休館) 入館料: 300円/小人100円 (2005年4月)
先日はあまりうまく撮影できなかったので、後日また撮り直しに行って来ました。麻の花の欄間と釘隠しの逆さ蝙蝠、そして彦五郎さんの部屋から見た鉄之助の部屋など…
鉄之助が匿われた部屋(写真▲左)、土方が昼寝した式台内側の10畳(写真▲中央)、そして式台(写真上右) この式台は病をおして甲陽鎮撫隊に同行して来た沖田が、四股を踏んで見せたと言われているところ。端にはフシ隠しの?瓢箪型窪みが…
佐藤家では蝙蝠/瓢箪/兎が縁起の良いものとして大切にされたとのこと
大石が手掛けたと言われる天井のある8畳(写真▲左) ここは彦五郎さん夫妻の寝室だったのでは、とのこと(右側の板襖の向うは土方が昼寝したという式台裏の10畳)
兎の釘隠し(写真▲右)は「子沢山」を願ったものらしい?
この本陣では菊菱型の釘隠しがある部屋は公の部屋、そのほか蝙蝠や兎などはプライベートのエリアということになっていたそうな…
8畳の隣には仏間(写真▲中央) 向かって右側は台所
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