農漁家民宿かくれ里



かくれ里の留守番猫 にゃんすけ

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管理人・鈴木の日記     かくれ里でcaranke!!

波伝谷の四季折々


■波伝谷(はでんや)集落


「かくれ里」がある波伝谷集落は、リアス式海岸で知られる三陸海岸の南部、志津川湾南岸の戸倉半島に位置します。典型的な半農半漁の集落で、目の前は波静かな志津川湾、背後には戸倉半島の山並みに連なるなだらかな丘陵地が続いています。


■沼川(ぬまか)漁港より


波伝谷集落には、志津川湾に突き出た岬(松崎)を挟んでふたつの漁港がありますが、「かくれ里」からほど近く小さな船着場になっているのがこの沼川漁港です。沖に浮かぶ島影は、天女伝説の残る竹島(右)と、戸倉神社の奥の院でスサノオ伝説を伝える椿島(左)です。


■波伝谷の春祈祷


「波伝谷の春祈祷」は毎年3月に行われる民俗行事です。獅子舞が集落全戸を練り歩き、各家では豆腐を獅子に差し出します。真っ白な豆腐に封じた悪気を獅子に喰べて貰うことで、家内の災厄を流し去るという意味があります。東の境から西の境まで、丸々一日を要する行事です。


■空の色、雲の色


風光を観て愉しむことが「観光」であるならば、こんな写真こそがなによりの観光写真かもしれません。海辺の空の色は内陸のそれとは全然違うと云って憚らない内陸の友人がいましたが、梅雨入り前の南三陸の空は、それはそれは美しいです。梅雨に入ると沖合いからヤマセが吹いて戸倉半島は霧に包まれるのですが、それもまたこの地域ならではと考えれば、ひとつの愛すべき風情ではあります。



■なに見つけたの?


まったくもって子供はあそびの天才です。ゲームやテレビはあればあったで楽しいのでしょうが、なければないで他にいくらでも面白いことを見つけ出しては楽しんでいます。野外にはもちろん危険もありますが、危険を危険と見分ける力も、実際に危ない目に遭わないことには身に付かないのかもしれません。


■天女伝説の島・竹島


波伝谷の東隣、津の宮集落の沖に浮かぶ竹島には、こんな伝説が伝えられています。
ある夜、津の宮の若者が、沖から聞こえる管弦の音にひかれて舟を漕ぎ出すと、数人の天女たちが舞っていました。若者の姿に驚いて空へ舞い上がる天女たちのなか、ひとり弱って動けない天女がいます。若者はその天女を連れ帰って懸命に介抱しますが、甲斐なく死んでしまったので、塚を築いて丁重に葬りました。
津の宮にはいまもその天女を葬ったと伝える「天女塚」がひっそりと残されています。


■民具整理作業


「かくれ里」の母屋は明治43年に建てられた養蚕農家で、屋号を「高屋敷」と云います。建物内にはこの地域で使われてきたさまざまな生活用具、生産道具を収蔵しており、東北歴史博物館および東北学院大学民俗学ゼミの皆さんのご協力のもと、資料整理やバックデータの収集を進めています。



■戸倉神社と法印神楽


戸倉神社は旧戸倉村の村社です。御祭神を載せた船が寄港の折、天変地異(津波?)によって船が転ばされ海に戻せなくなったので、神意と感じてこの地に留まったのだと伝えています。毎年秋祭りには、旧修験系の法印(ほういん)と呼ばれる神職の家々に伝えられてきた「本吉法印神楽」が奉納されます。


■鳥棚林道


「かくれ里」から海へは歩いて3分ですが、反対方向は山への道になっています。戸倉半島の山並みは標高おおよそ300メートル台と決して高くありませんが、四季折々にさまざまな花が咲き鳥が訪れる恵みの山です。かつては炭焼きや林業などもさかんに行われ、半島の人々の暮らしを支えていました。


■大盤峠からの眺め


現在の国道398号は、戸倉半島をぐるりと半周して北上川河口(追波川)へと至りますが、自分の足で歩くことが当たり前だった時代には、人々はまっすぐ山を越えていました。その名残のひとつが大盤峠です。大盤平とも呼ばれる一帯は放牧場となっており、北の志津川湾、南の追波川と、南三陸屈指の眺めです。



■真冬の使者


志津川湾は野鳥の宝庫。特に冬場には多くの鳥たちの姿を見ることができます。なかでも人気なのが、波伝谷沖に集まるコクガンと、真冬の使者・オオワシです。オオワシが志津川湾に滞在するのは厳寒期の二ヶ月ほど。以前はもっと長く見られたのですが、温暖化の影響かなの、年々短くなっているように思われます。次の冬にもどうかその姿を見せておくれ!と願わずにはいられません。