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  郭林新気功協会の概要
 代表  萬田 靖武
 所在地  東京都大田区北千束2−42−10 (〒 145−0062)
 連絡先  TEL/FAX 03−3727−0216
 


 主な講師陣
 萬田靖武  萬田紀子  金丸君子  歌川和夫  石川忠男      鈴木伸行  杉原せつ  中山雅子  ほか
 
 このほかに、自らのがんを克服するために教室に通いながら郭林新気功を学び、5年、10年の練功を経てがんを乗り越え、その経験を踏まえて講師の資格を取り、親身になって後進のがん経験者の指導に当たっている講師陣が多数います。
・郭林新気功協会設立の経緯
・郭林新気功協会 運営の理念
・中国の郭林新気功
  郭林新気功協会設立の経緯

 1974年郭林女史が新気功をがん専門の気功として普及活動を始め、中国国内は勿論海外にもその名声が知られるようになった。 日本でも70年代後半にその評判が伝わってきた。 1982年には郭林女史の著書「新気功療法によるがんの予防と治療」(澤村正訳、緑書房)が刊行され、さらに1984年「図説気功法」(星野稔・津村喬著 柏樹社)のなかで津村氏が郭林新気功を紹介した。

 1985年に(株)学研が郭林新気功の日本における事業化を企画し、中国気功科学研究会から具本芸先生と董伯進先生を招聘して教室を開いた。 しかし、事業化の目途が立たず、翌年閉鎖されることになった。 これに参加していた人達や病気の仲間は途方にくれたが、当時これに加わっていた萬田靖武氏(現在の代表)が中心になって日本郭林新気功同好会(現協会)を発足させ、中国気功科学研究会に状況を訴え、大変な苦労があったが、改めて董伯進先生を派遣してもらうこととなった。 以後毎年中国気功科学研究会から幹部講師を招聘し、その指導の下に講師陣を養成し、日本における郭林新気功の普及が進められた。 当時一介のサラーリーマンにすぎなかった萬田靖武氏(現在の代表)はどんどん給料をつぎ込んで何とか教室運営を支え、家族には大変な迷惑を掛けてしまったと当時を振り返っておられる。

 このような経緯を経て、萬田靖武氏(現在の代表)の必死の努力の下抗がん教室出身の講師陣も育ち、郭林新気功協会も徐々にがんに勝てる実績をつけ、今では立派な成果を上げられるようになった。 以来、生きがい療法を提唱しがん患者によるアルプスのモンブラン登頂や富士登山で有名な、すばるクリニック(倉敷市)の伊丹仁朗氏や、がん医療に対するホリスティック医学の提唱者であり、テレビ出演などその分野で有名な帯津三敬病院(川越市)院長の帯津良一氏などと連携しながら、郭林新気功を通してがん患者・がん経験者を支援している。 

 郭林新気功は「がんを癒す」ことを第一の目的とする唯一の気功である

                             (萬田代表 →)
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  郭林新気功協会 運営の理念

 人がこの世に一度しかない生を受け人生を生きるからには、その可能性を最善に発揮し、健康で充実した人生を送ることを誰しも希望する。
 
 郭林新気功を学び、それを中心とした健康増進と病気の克服、その道の指導普及と自己実現を志すものとしての理念の原点もこの希望にある。

 郭林新気功協会は理念の原点として、郭林新気功を中心とした健康増進と治病の道を進め、創始者郭林女史が目指した以下のような人類愛と人類福祉の実現を図ることを目的とする。
 * この世の苦・痛・悩を出来るだけ和らげ解消することに努め、
 * 現代科学の成果と東洋文明の成果を融合止揚して、健康治病を通し
   て社会に貢献し、
 * 生命と”気”の秘密解明、善用を目指す。


この原点を踏まえ、以下の具体的な理念に基づいて活動する。
1)  郭林女史の創始した総合戦略としての郭林新気功を中心とした、がんを始め難病の克服治癒と健康増進の道をより深く学習研究し発展させ、指導・普及活動、教室展開など組織的展開を通して社会に貢献する。
2)  指導する者、指導を受ける者互いに心のわけ隔てなく、共に同じ志を持つ仲間として密接に協力し合い、教え合い、力を合わせ、情報を共有し、知を力とし無知を恥じとして共に向上を目指す。
3)  同じ志向を持つ、国内の他の団体、気功の母国中国始め各国の団体とも協力し、より広く理念の実現を図る。
4)  この道に関わる者はこの事業に必要なもの以上の利益追求や営利を目的とすることはしない。 またこの場を営利目的に利用することは認めない。
5)  あくまでも真実を基盤とし、自然の摂理に基づく理路を尊重する。
    
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  中国の郭林新気功

 中国には、がんの猛威に果敢に立ち向かっている150万人の人達がいる。郭林新気功に励む人達だ。 彼らはがん患者とはとても思えないほど明るく、はつらつとして郭林新気功によるがん克服を目指している。 その中心的存在が『北京抗癌健身楽園』だ。 
 『北京抗癌健身楽園』は、郭林新気功の創始者郭林女史が新気功をがん患者に指導普及し発展させる活動拠点としてスタートさせた「北京郭林新気功研究会」の精神を引き継ぎ発展させた活動団体だ。
 
 ** 新気功生みの親・郭林女史の生涯 **
 
 郭林女史は1909年広州に生まれ、中国伝統の気功と国画(中国画)を学び大をなし、中国美術家協会会員、中国画研究会会員として活躍した。(郭林は雅号、本名は林冠明)
 ところが、1948年40歳の時子宮ガンにかかり、その後6回の手術を経たが回復せず、1959年にはがん転移のため西洋医学から見放されてしまった。 
 
 何とかがんを克服したいと願った彼女は、小さいときに祖父から手ほどきを受けた気功に救いを見出し、漢方医学と西洋医学を熱心に研究してその知識を気功に加え、十年にわたる努力と苦心の末に郭林新気功を編み出した。

 新気功を編み出すにあたって工夫を凝らしたポイントは、
  @ 呼吸法に先人があまり使わなかった”風呼吸法”を採用したこと
  A ”静功”を”動静相兼”の功法に変えたこと、
  B 室内から戸外へ歩み出し、空気の新鮮なところ、
             水の傍ら、樹木の多いところで練功すること
 にあった。 
 これらの改革は、如何にして治療効果の高いがん功法を生み出すかにあった。 苦心の研究と自らの実践を通して、新気功ががんを予防し、がんを治癒することが出来ることを証明した。

 郭林女史は1971年から北京の公園で気功を教え始めた。 半年ほどの間に驚くほどの効果を見せた新気功は、評判を聞き付けて多くの人が集まり、彼女一人では教えることが困難になってきた。 そこで、彼女から指導を受けた患者の中から抜擢して助手を育て多くの人を導いた。 

 がん患者たちは、新気功の練功に励みながら、化学療法や放射線治療を進めることで病状は順調に回復し、その結果、飲食、体力、睡眠が正常になり、患者自身の免疫力も高まって行くことが分かった。 

 1974年郭林女史は新気功をがん専門の気功として定義づけ、指導に当たることにした。 と言うのは病人が”自分ががんである”ことを自覚して治療を実践したほうが効果があることが分かったからであった。
 
 その結果、治がんの効果が現れてきた。 郭林女史は根本原理を突き止めた治がん功法を創設したのであった。 その原理は次のようにまとめることが出来る。
1.  がん細胞は酸素に弱い。 がん細胞の発生と増殖を引き起こす原因を究明した結果、新気功の風呼吸法自然行功、快歩功および一、二、三歩点功は、がん患者の体内に大量の酸素を供給することによりがん細胞を消滅させる。
2.  がん細胞の発生、増殖と感情には密接な関係がある。 感情の抑圧させた人、度量の狭い人は往々にして病状が悪化し、死さえ招きかねない。 反対にいつも明るく朗らかな人は、病状を好転させて行く。 そして三心(信心、決心、恒心)を心にかたく決め、新気功を続け、心を安静にして練功に励めば、がんに打ち勝つことが出来る。
3.  練功は生物電気を発生させ、、それによって生じた磁場はがんを消滅させることが出来る。 また、生物電気は体内で栄養を取り込むことを促進する。
    
   ** 北京抗癌健身楽園の活動 **

 『北京抗癌健身楽園』の主な活動には”相談会””新気功の学習””誕生会”がある。 
 相談会では新たにがんに罹った人やその家族の悩みを聞き、問題解決に助言をしている。それには長年のがん闘病を経てそれを克服した人が当たっている。
 新気功の学習はあらかじめ決められた教習コースに基づいて行われており、ベテランが指導に当たっている。
 誕生会は闘病歴5年から5年ごとに何10年と練功を続けている闘病者を表彰するために毎年開かれている
。 中国各地は勿論のこと、台湾はじめ東南アジア各国、さらには欧米からの参加者もある。 勿論日本の郭林新気功協会・各教室からも参加している。  毎年1,300人ほどの人が集まる。 
 このほかに、月1回ほどのペースで専門家を招いて講演会を開き、がん治療や闘病の情報を学習したり、会報誌を発行したりしている。

 
気功の本場中国でも、「郭林新気功」は特にがんに良いと認められ、広く普及している。
       


    (打ち合わせ中の幹部講師)              (練功風景)
以上 
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