鎌倉紀行−鎌倉ハイキングと観光ガイド−


鎌倉紀行旅行記6 小江戸川越 城下町紀行


2005年2月27日。埼玉県のほぼ中央に位置する川越の街を散策してきましたので今回はそのときの様子をレポートします。川越は鎌倉同様、歴史のある街で、今回久しぶりの訪問なので、とても楽しみです。

川越は、江戸時代、松平信綱や柳沢吉保など譜代の重臣が城主となり、また新河岸川の水運を利用しての物流で江戸との繋がりが密接で、「小江戸(こえど)」と呼ばれる繁栄をみせました。
また、古くは鎌倉時代、河越氏は鎌倉幕府の御家人で、河越太郎重頼の娘は源義経の正妻となったことでも知られます。

交通は、新宿からJR埼京線で川越まで行っても良いですし、東武線、西武線を使うこともできます。今回は、池袋から東武東上線の急行を利用しました(所要時間約30分)。

本日のコースは、川越駅を起点に、喜多院・東照宮、成田山別院、三芳野神社、川越城本丸御殿、蔵造りの町並み、時の鐘、菓子屋横丁の順に周ります。


1.喜多院・東照宮へ


川越の駅を降りたら左手のデパートを抜け、「クレアモール」という商店街を進みます。昔は「サンロード」という名前でしたが、しばらく来ないうちに随分きれいになりました。しばらく行くと右に丸広百貨店、左に西武線の本川越駅が見えてきます。

クレアモール
クレアモール

川越の街の面白いところは、江戸、明治、大正、昭和、平成の各時代の街並みが隣り合わせで共存しているところ。散策しているとまるでタイムトンネルを抜けているようだ。そういう意味では、このクレアモールは川越の新しい時代平成の顔。

その一寸先で右折して、「通町」の交差点から東照宮中院通りに入り、まずは喜多院の境内にある仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)を目指します。東照宮と言いますと「陽明門」や「見猿、言わ猿、聞か猿」がすぐに思い浮かぶ日光東照宮が有名ですが、何故川越にも東照宮があるのでしょうか?

東照宮というのは、ご存知の通り、徳川家康公を祭る神社ですが、元和2年(1616)駿府(静岡県)で徳川家康が没し、その遺骸を久能山から日光山へ移す途中、家康の側近天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれました。その後、日光山へと遺骸は運ばれ、日光東照宮に祭られたのです。そういうわけで日光、久能山、川越の東照宮を三大東照宮と言うのだそうです。

川越の仙波東照宮
川越の仙波東照宮

ほとんどの建物は、寛永10年(1633)に創建されたが、寛永15年(1638)の大火で焼失し、寛永17年(1640)に再建されたもの。日光東照宮と比べるとだいぶ小ぶりではある。所蔵の文化財として、国の重要文化財に指定されている「三十六歌仙絵額」等がある。

さて、東照宮から左手に下りて行くと、お隣には喜多院の境内が広がっています。

川越大師喜多院と呼ばれるこのお寺の歴史は相当古いようです。

このあたり一帯の「仙波」という地名から想像がつきますが、奈良時代、仙芳仙人という方が、漫々たる海であったこの土地の海水を法力で取り除き、そこに尊像を安置したのが喜多院の始まりという伝説が残っています。実際には、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所が始まりのようですが、いずれにしても相当古い歴史があります。

近世においては、黒衣の宰相として家康に仕えた天海大僧上(慈眼大師)が、第27世住職を務め、寺勢を大いに振るいました。この天海大僧上という人は、本当に興味深い人ですね。

天海大僧上
天海大僧上

黒衣の宰相として家康から家光まで三代の将軍仕え、江戸の都市計画から日光東照宮の造営まで行った。その出生や、いつ、どこで家康に見出されたのかなどは、謎に包まれている。また、108歳(一説には134歳)まで生きたとも言われ、「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くしてこころ広かれ」という養生訓は有名。
http://www.kosei-shuppan.co.jp/buddhaworld/05/11.html

喜多院
喜多院

関東天台宗の総本山。江戸城から移築された徳川家光誕生の間や、家光の乳母として有名な春日局化粧の間など興味深い文化財が数多く残されており、拝観できる。正月3日のダルマ市(初大師)も有名。

喜多院の建物の中で、特に面白いと思ったのは、客殿にある厠(トイレ)と湯殿(風呂)です。厠を除いてみると、床に四角い穴があいているだけ。どうやって使うのかと言うと、下で汲み取り役が桶を構えており、将軍はそれに向かって用を足すのだそうです(それを医者が診て、将軍の体調を確認するのだとか)。う〜ん。これでは落ち着いて用を足せないような気もしますが・・・。

湯殿の方はどうかというと、どうも湯船らしきものは見当たりません。説明によると、白い襦袢(じゅばん)を着たままお湯をかぶるだけだとか。すっきりしないですよね。

さて、次は外に出て、喜多院の人気者五百羅漢を拝観しましょう。羅漢とは、阿羅漢のことで、「悟りを開いた人」「涅槃に達した人」を示し、仏教の究極の心理に達し得た方々のことを言い、五百羅漢とは、亡くなったお釈迦様の教えを世に広めようと会した五百人の弟子の事を指すようです。

五百羅漢
五百羅漢

非常に表情豊かで魂が宿り、すぐにも動き出しそうな感じがする。全部で540体あるそうだが、見ていて飽きない。

下の喜多院のホームページで紹介されている七不思議の話はとても面白いので、読んでみてください。

喜多院の七不思議

喜多院のすぐ北側には、成田山新勝寺の別院があります。地元では「お不動様」として親しまれています。
さて、午前中はこれでお終い。お昼をとって、午後は川越市の北の方へ進み、三芳野神社、川越城周辺と蔵造りの町並みを訪ねたいと思います。



2.三芳野神社


鎌倉もそうなのですが、歴史の古い街はたいがい道がせまいですね。ただ、川越市は観光客に配慮して、道標がよく整備されておりますので、迷うことはないかと思います。

成田山別院から、県道を渡り、道標に沿ってしばらくは住宅地の中を進みます。

三芳野神社参道
三芳野神社参道

15分ほどで三芳野神社の入口に到着。入口から社殿まで結構長い参道が続く。

実は、この三芳野神社、童謡「とおりゃんせ」発祥の地と言われています。
とおりゃんせ」の歌詞を思い出してみてください。

どうです? よくよく見るとなんだか怖い歌詞じゃないですか。以前「本当は恐ろしいグリム童話」なんて本が話題になりましたが、童謡や童話は怖いもの、残酷なものが多いのですよね(「山寺の和尚さん」の唄も相当残酷です)。

歌詞の中の「天神様」が三芳野神社で、「7つのお祝い」(現在でも七五三というお祝いがあります)に天神さまにお札を納めに行くというのは分かります。では何故、「いきはよいよい 帰りはこわい」のでしょう?

これには、いろいろな説があるようですが、有力な説は、

「昔、三芳野神社がある辺りは川越城の敷地だったため、庶民がお参りを許されるのは、年一度の大祭の時や七五三のお祝いなど、特別な用事がある場合だけだった。しかも城中ということで警護の侍が眼を光らせていて、特に帰りは荷物チェックなどが厳しかったから」

というものです。この説明を聞くとちょっと安心ですね(あの暗いメロディーからだと別な意味の「怖い」を想像しますから)。


三芳野神社
三芳野神社

三芳野神社は平安時代初期に成立したと伝わり、在原業平の伊勢物語にでてくる、三芳野の歌

”我が方によると鳴くなる三芳野の田面の雁をいつかわすれむ”

は当社の初雁を詠んだものといわれる。

先程、喜多院の七不思議を紹介しましたが、川越城にも七不思議が伝わっています。その一つ、川越城の別名「初雁城」の由来となった「初雁の杉」は三芳野神社境内にあり、現在は三代目が植えられています。

川越城の七不思議


3.川越城本丸御殿へ


三芳野神社の社殿裏手の方に抜けると、駐車場が広がっていますが、ここは初雁公園といって(川越城の別名、初雁城から)、野球場などがあります。

この初雁公園に隣接して、川越城の本丸御殿があります。

川越城の歴史は室町時代に遡ります。川越城は、長禄元(1457)年、当時古河公方足利成氏(しげうじ)と北武蔵の覇権を争っていた扇谷上杉家の上杉持朝(もちとも)が家臣の大田道真・道灌父子に命じて築城させました(時代背景については、「エッセイ鎌倉紀行 幕府滅亡後の鎌倉の歴史」を参照してください)。

戦国時代は、川越夜戦で上杉氏を滅ぼした小田原北条氏(後北条氏)が支配し、江戸時代になると川越は、江戸の北を守る重要な拠点として幕府の要職にある大名が歴代封じられ、「老中の城」の異名をとりました。


川越城本丸御殿
川越城本丸御殿

川越城は明治維新後、次第に解体され、現在は嘉永元(1848)年建造の本丸御殿玄関、大広間と移築復元された家老詰所のみが残る。

川越城本丸御殿の裏手には、川越高校があり、文化祭の折には、映画「ウォーター・ボーイズ」のモデルとなった、水泳部による男のシンクロをやっていますので、こちらも見に行ってみてください。


4.蔵造りの町並み、時の鐘


本丸御殿を後にして、市街地へ戻ります。市立博物館の信号を左折して、市役所の方へ向かいます。市役所前の交差点を通過して、次の大きな交差点が「札の辻」の交差点ですが、ここを左に曲ると・・・。蔵造りの家々が立ち並んでいます!


蔵造りの家並み
蔵造りの家並み

明治26年の大火の際、旧市街の4割が焼失するも土蔵だけが焼け残ったのを教訓に、地元商人が耐火性に優れる蔵造りの店舗をこぞって建築。時の鐘とともに川越のシンボルとなっている。旧小山家住宅は、蔵造り資料館として一般に開放され、建物内を見学できる。

大沢家住宅
大沢家住宅

呉服太物(ごふくふともの)を商っていた豪商近江屋半右衛門が、寛政4(1792)年に建てた。明治26年の川越の大火での焼失からも免れ、川越最古の蔵造りとして昭和46年国指定重要文化財に指定されている。

時の鐘
時の鐘

400年にわたり、城下町に時を知らせてきた川越のシンボル。今も朝6時、正午、午後3時、午後6時の一日4回時を告げる。平成8年「残したい日本の音風景百選」(環境省主催)に選ばれた。

時計を見ると2時50分、どんな音がするのだろうと楽しみに待っていると、次第に人が集まり始めます。

そして午後3時。誰かが上に登って鐘を突くのかと思いきや、突き棒が自動で後ろに動き、鐘を突きます。

「ゴーン」

夕暮れが近づきつつある冬の空に、間を置きつつ数回、鐘の音が響き渡ります。



5.菓子屋横丁


最後は、菓子屋横丁へ。テレビでも時々放映される有名な横丁ですが、実際行ってみるとほんの数件しか店がなく、すぐに通り過ぎてしまいます。むかし懐かしい駄菓子が店先に並びノスタルジックな気分になります。

菓子屋横丁
菓子屋横丁

昭和初期には70件の店が軒を連ねたと言う。平成13年「かおり風景百選」(環境省主催)に選ばれた。

ここから駅まで歩いて帰っても良いのですが、疲れたのでバスに乗って帰ることにしました。菓子屋横丁には、レトロバス(小江戸巡回バス)が停まるので、これを利用しました。

レトロバス
レトロバス

イーグルバス株式会社が運営する市内巡回バス(喜多院、蔵の街、菓子屋横丁などに立ち寄る)。約30分毎の運行。一回乗車180円。

川越には、今回立ち寄ることの出来なかった見所がまだまだ沢山あります。また、近々訪問したいと思っています。

2005年5月 掲載

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