はじめに
猫町通りというのは私(本保弘人)が住んでいる通りの名前です。勿論、正式な通りの名称ではありません。私が勝手に名付けました。烏丸通や北大路通なんかとはわけが違います。数百メートルしかない小さな通りですが、私はこの通りを愛しています。作者は日記をつける習慣がないので、更新は不定期の予定、でしたが毎日、しかも数度更新します。

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7月3日(金)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏で、マーラーの交響詩「葬礼」、交響曲第10番“アダージョ”、「花の章」、ベンジャミン・ブリテン編曲の「野原の花々が私に語ること」を聴く。ヴァージン・クラシックス。

交響詩「葬礼」は交響曲第2番「復活」の第1楽章の原型となったもの。交響曲第10番はアダージョのみ完成された作品。「花の章」は交響曲第1番「巨人」の初稿に含まれていたものである。

パーヴォの指揮するフランクフルト放送響は美しくメリハリの利いた音楽を奏でている。特に緩徐部分は絶美で、このコンビの相性の良さを物語っている。

 

更にマーラーが聴きたくなったので、京都造形大の図書館に行き、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、クリスタ・ルートヴィヒのアルト、ルネ・コロのテノールによる交響曲「大地の歌」のDVDを視聴する。ドイツ・グラモフォンとユニテルの共同制作。1972年、テルアビブでの収録。国内盤だが、字幕はついておらず、ライナーノーツの歌詞対訳を見ながら見聞きする。

バーンスタインのマーラーはやはり感動的であり、「大地の歌」という曲も素晴らしい作品だ。1972年当時のバーンスタインはまだ痩身であり、汗をかきながら嬉々として指揮している様は見ていて気持ちが良い。

 

甲子園での阪神対ヤクルト戦のテレビ中継があるので久しぶりにスワローズの試合が見られる。ただ甲子園は雨。試合が続けられるのか不安である。

阪神の先発は安藤。ヤクルトの先発は館山である。


2回裏、フォアボールで出た金本を1塁に置いて、ブラゼルが左中間に一発を放つ。阪神先制、2-0。

更に続く葛城、鳥谷の連続ツーベースが飛び出して1点追加、3-0。

ニュースのため30分の中継中断の間に更に2点が加わって、5-0。

中継再開後も、葛城のツーベースに鳥谷のタイムリーで、6-0と阪神のリードは拡がるばかりである。


6回表にガイエルのタイムリーツーベースが出て、ようやくスワローズは1点を返す。

阪神はその後1点を加え、ヤクルトも福地のホームランで1点を返して、7-2。試合の面白さは、阪神の先発、安藤がどこまで投げられるかにかかってきた。

その安藤、完投はならず、8回2失点で降板。9回の表、マウンドには今期初登板となる杉山が上がってヤクルト打線を迎える、というところでテレビ中継は終了となった。

試合はそのまま、7-2で阪神が勝つ。(了)

 

    

2004年4月                                                                              5月

 4月16日(金)

猫町通り通信のページを作る。リンク先のページとなかなか繋がらず苦労する。ようやく繋がったのだが何故繋がったのかはよくわからない。演劇関係の掲示板にある求人募集に応募してみる。奈良の人だと言うが求めに応じてくれるだろうか。

午後、日本劇作家協会に申し込みに行く。劇作家としての本格的出発。

メンバー募集のためのチラシを貼りに行く。一太郎で作ったかなり稚拙なもの。
まずは 京都産業大学。叡山電車二軒茶屋駅で降り、シャトルバスへ。京産大に行くのは初めて。バスを降りるといきなり目の前にエスカレーターが。京産大は山キャンパスなのだ。学生課に行ってチラシを貼っていいかどうか訊くが、難しいとのこと。とりあえず1枚だけ職員の方に手渡す。
ついで京都精華大学へ。この大学は京産大と違って学生が実に華やかだ。キャンパスの至る所に張り紙がしてある。学生課に聞くと「責任を持って剥がしに来てくれるなら掲示OK」とのこと。キャンパスはそこそこ広く、張り紙が至るところにしてあるので、負けじと9枚貼る。少し貼りすぎの気もするが。

自宅に戻って、チラシを刷り、 京都芸術デザイン専門学校へ。受付に相談すると、「問題がなければこちらで貼ります」とのこと。問題は僕が作ったチラシが非常にちゃちな点だ。その足で京大へ。午後5時に到着。残念ながら受付は閉まっていた。

耳鼻科に行った。川村公演の時は目眩がひどく我ながらよく舞台に立てたなと思う。今は大分快復した。耳の痛みもとれている。いつもは満員の耳鼻科だが今日はやけに空いている。花粉症の季節が終わったからだろうか。私もアレルギー体質なので花粉症の苦しみはよくわかるし、実際軽い花粉症でもある。私が中学くらいの時は花粉症をはじめとする、アレルギーに対する社会認識は比較的低く、頻繁にまばたきをする私はよくからかわれた。今はアレルギー専用の目薬があるので、頻繁にまばたきをすることはない。花粉症が広まったことは皮肉にも私にとってはいいこととなった。ところで中学の頃、私を馬鹿にした同級生は今は花粉症にかかっているのだろうか?(了)
 

4月17日(土)

不眠症気味である。といっても夕べは午後9時頃から11時頃までうたた寝をしていたので特に眠いという感覚はない。

夜中の3時過ぎに奈良の方からメールが届いた。公演参加は難しいかも知れない。

夜、京都コンサートホールで クルト・マズア 指揮 フランス国立管弦楽団 のコンサートを聴く。演目はブラームスのピアノ協奏曲第2番と同じく交響曲第2番。フランス国立管弦楽団は私が生まれて最初に生で聴いた外国オーケストラである。96年のゴールデンウィークのことだからもう8年前になるのか。自分ではついこの間のことのように憶えていたのに。記憶は時に物質的時間を超える。以前聴いたときは当時の音楽監督シャルル・デュトワの指揮だった。デュトワはフランス音楽のスペシャリストといったイメージがあるが、この時はマーラーの交響曲第1番「巨人」がメインプログラムだった。テクニック的にはNHK交響楽団と大差なかったが、音の輝きが違った。日本のオケもまだまだだな。と思ったものである。さて、クルト・マズアであるが日本では「振ると不味いわ」とあだ名され、過去に車の運転ミスで人をはね殺したこともあって(東ドイツ政府になってもみ消されていたがベルリンの壁崩壊後明らかになった)ダーティーなイメージで語られることが多い。また演奏もぱっとしないとされている。実際、私は彼の指揮したブラームスの「ハンガリー舞曲集」(PHILIPS。ライプチヒ・ゲヴァントハウス管)を聴いたことがあるが、速すぎるテンポと地味な音色にうんざりして1度聴いたきりであとはCDラックの隅に放り込んでしまった。
しかし今回のブラームスは面白かった。フランス国立管のきらびやかな音色とマズアの正統派の解釈が上手い具合にミスマッチで、青リンゴガムのような爽やかで甘酸っぱい味わいのブラームスを堪能することが出来た。重厚であればあるほど良いとされるブラームスだが、たまにはこのような演奏も悪くない。演奏を聴いていてマズアという人物が清らかな心の持ち主だということもはっきりわかった。ただ何度も聴いていて私の好きな曲であるブラームスの交響曲第2番がいつもより長く感じられたのは何故だろう。マズアは聴衆を惹きつける力とそれを演奏の間中持続させる根気に欠けるのかも知れない。ともあれマズアとフランス国立管は思った以上の名コンビであった。(了)

 

 4月18日(日)

相変わらず眠れない。仕方がないのでこうやって文章を書く。「ああ、神様お許し下さい。私は弱いので文章にすることしか出来ないのです」
(中原中也)

アトリエ劇研に18時開演のALBUMSのショートコント集を見に行く。ALBUMSは京都を拠点とするコントグループだがメンバー4人のうち3人が関東人、それも北関東人という異色のグループである。今回は京都の舞台女優と言えばこの人「真野絵里」さん(ニットキャップシアター所属)も参加されていて華やかさを演出する。
関西のコントというのはどうも下品に感じられて嫌いなのだが、このグループは関東人が多いせいかなかなかスマートで面白いコントをやる。
特に山口吉右衛門さんと真野絵里さんがいい。
ただ難点がないわけではなくて「これコントなの?」というシークエンスや意味不明のシーン、ベタベタの展開が結構あって、観客はたまに引いていた。
ちなみに観客のほとんどが演劇関係者。山口さんの所属する劇団「飛び道具」の伊沢はるひさん、古雅夏樹さん。山口茜さんをはじめとする「トリコ・A」のメンバーが数人。舞台上より観客のほうが豪華メンバーだったりする。一般の客は私ぐらいだろうか。もっとも私も一応は演劇人なので観客は全て演劇関係者であるといっても過言ではない。一般の方へのアピールが足りないのかそもそも演劇人のためだけの祭典なのか。とにかくこんな面白いものを演劇人だけしか観ないというのは惜しくもあり、残念にも思う。

山口吉右衛門さんは劇団「飛び道具」のワークショップで私の演技指導をしてくれた方であり、おしゃべり好きの面白い人である。また劇作、演出、俳優、照明を担当する多才な人物でもある。歳が近いこともあって(山口さんの方が私より1つ年上)京都演劇界ではとりあえず最も親しくさせていただいている役者さんの一人である。

真野絵里さんはおっとりした感じの日本美人。才色兼備のいい女優さんだ。(了)

 

4月22日(木)

HMVからマルティヌーの交響曲全集が届く。指揮は ネーメ・ヤルヴィ。HMVでは国内のレコード店では滅多にお目にかかれない輸入盤を、それも廉価で簡単に買うことができるのでついつい購入ボタンを押してしまう。自民党は輸入盤の全面的排除を考えているそうだが本気だろうか?

京都コンピューター学院洛北校へ向かう。受付の方は最初私が何を言っているのかわからない様子だったが(確かにコンピューターの学校に俳優募集に来る人はまずいない)。最終的にはわかってくれたようで掲示を約束してくれる。

京都ノートルダム女子大学へ。女子大学は敷居が高いので心配していたが、守衛さんが学生課に電話をかけると担当の人がわざわざ出向いてくれる。もっとも女子大のキャンパスにいい年をした男が入り込むのを防ぐという意図もあるはずでそれは当然だと思う。女子大に変な思い入れを持つ人間が少なくないからだ。
担当の方に話をすると、「掲示するかどうか検討します」ということだった。

北山通りを東に進み、 京都工芸繊維大学へ。学生センターで話をすると、「大学としては掲示を公認できないが、学内に貼るのは自由です」。ううん、何か違う気もするが。元国立大学の方が話が通りやすい。食堂のそばに掲示板があることを教えてもらい、掲示する。HANAFUBUKIの宣伝用チラシが貼ってあったのでここなら掲示OKだと思い、画鋲で募集の公告をとめる。私の作ったチラシは稚拙だが、文字量が多く、紙の質もいいので返って目立つ。問題は情報量が多いので字が小さく読みにくい点だ。それはそれで仕方ない。ちゃんとした広告を作るお金が私にはないし、正直、広告を作るソフトや企業は金を取りすぎだと思う。(了)

 

 エッセイ
「イラク人質事件について」

イラクで人質になっていた3人の自宅に大量の中傷文書が送られてきているという。なんでもネットに住所が書き込まれたらしい。正直なんで被害にあって中傷されなければならないのかよくわからない。朝日新聞大阪版(4月19日号朝刊)は被害者の3人に同情的だが、「自覚と注意が足りない」、「世界中の人に迷惑をかけた。治安が良くなってから行くなど今後の行動を慎重にした方がいい」といった市民の声も載せられている。自覚していようが注意していようが被害に遭うことはあるし、「世界中の人」というのがどの世界の人なのかわからない。ちなみに私は迷惑をかけられた憶えはない。また治安が良くなってからでは3人が行く意味はなくなる。彼らの仕事は誰かがやらなければならない仕事だったのだ。

写真を撮りに行ったKさんについて「金儲けだ」などという意見もあるが、仕事とは金儲けのことであり、むしろ危険を冒してイラクに乗り込んだ勇気を評価すべきではないか。

「週刊新潮」はTさんの生い立ちを暴露したが、被害に遭った上にプライバシーまで侵されたのではたまったものではない。生い立ちと今度の事件とは何の関係もないのだ。「週刊文春」ゴールデンウィーク特大号には社会部記者の怒りの声(被害者家族はマスコミの前で頭を下げ続け、協力を求めていた。なのに、帰国の段になったら、途端にマスコミを遠ざける。一体何なんだと思う)が載せられているが、何なんだと思うのはこちらの方である。彼らがマスコミ不信になるのは当然でそれを推し量る能力がこの記者には無いらしい。

「PTSDではなく急性ストレス障害。PTSDと判断するには四週間かかる」という斎藤学医師の意見を取り上げ、会見に出席しなかった3人を嘘つき呼ばわりする声もあるが、急性ストレス障害とPTSDの症状はほぼ同じであり、症状が持続した場合のみPTSDと名付けられる。

「血税30億云々」という話にもあきれてしまう。こういう時のために市民は税金を使って議員を雇っているのだ。どうやら政府は税金を自分たちへの無償の奉仕だと思っているらしい。

ロシア人フォトジャーナリスト、イゴール・ヴィシニャコフ氏の意見が「週間文春」に載っている。そもそも彼が誰なのかよくわからないが、「戦場へ取材に行く場合、われわれはあらゆる可能性を想定して計画を立てます。リスクを細かく計算し、それに合わせて行動するのです」という意見はしごく真っ当だ。だがどんなに緻密に想定を考えても不測の事態は起こるので説得力はない。おまけにどうやらイゴール氏はイラクへは行っていないようだ。これを元に3人を非難しても意味はない。

テログループは説得に応じて3人を開放した。話もろくに聞かずにイラクを爆撃したブッシュ米国大統領や何の考えもなく米国のイラク攻撃を支持した小泉首相よりよっぽど話せる人達のようだ。そもそもアメリカのやっていることはテロではないのか?

アメリカの行為は明らかに内政干渉である。だが自分たちの考えは絶対正しくそれを理解しない人々を啓蒙したいなどと本気で考えているのでたちが悪い。アメリカ型民主主義を戦前の××陛下のように「神聖不可侵」と掲げるブッシュらネオコンがイラク侵略を謝罪し反省することは絶対にないだろう。また日本もそれを求めないだろう。それでいながら誘拐された3人に謝罪と反省を求める日本社会は歪んでいると言わざるを得ない。非難されるのはいつも弱い立場の人間なのか? 強い者が弱い者を叩く弱肉強食が自然の理念でないことを知っている人はどれぐらいいるのだろうか?(了)

 

前衛詩 
比喩でなく

わたし、は、だれか、を、愛し、た、かった。比喩でなく。だれか、に、微笑、み、かけた、か、った。だ、が、「それ」、は、わたし、を、裏切る。わたし、の、「それ」、が、わたし、を裏切る。本質として。

わたし、は、だれか、に、愛さ、れ、たかった。比喩でなく。だれか、に、手、を、握ら、れ、たかった。しか、し、「それ」、は、わたし、を、切り裂く。わたし、の、「それ」、が、わたし、を、砕く。鋭い斧で。

わたし、の、すがた、は、鏡、の、欠片。わたし、の、言葉、は、風に、は、溶けない。

わたし、の、こころ、は、鏡、の、破片。例え、る、なら、ば、見しら、ぬ、泉。

比喩、で、な、く。わたし、は、わたし、の、忘れが、たみ。こころ、の、「それ」、は、空を、刺、す棘。

あなた、は、わたし、の、アニマ、で、ある。比喩で、いうな、ら、穢れ、ぬ、聖女。

わたし、は、あなた、に、愛さ、れ、たかった。比喩でなく。だけど、も、あなた、は、狭霧の、彼方。わたし、の、右手、は、肺腑、を、抉る。

                2004年4月23日

 4月23日(金)

「あやしうこそものぐるおしけれ」(吉田兼好)

「もしもし神様? 天国があるならどうしてこの世にないの? どうしてアフターなの?」(野田秀樹『オイル』より)

サイトのあちこちを手直しする。連日の大学通いでさすがに疲れたので、昼間はゆっくりと過ごす。何だか自分が酷く馬鹿げたことをやっているように思える。

山口吉右衛門さんからメールの返事が来る。山口さんは売れっ子でお忙しいはずなのにわざわざ僕の戯曲を読んで下さったそうで感激する。

夜、京都芸術センターに烏丸ストロークロックの『福音書~六川篇~』を見に行く。『福音書』はKyoto演劇祭で初演されたものを見ているがこれが惨憺たる出来。会場は白けまくっていた。審査員の松田正隆がキリスト教好きであり、烏丸代表の柳沼君とも仲がいいので一応大賞を受賞したが、照明担当の造形大のTさんも受賞に納得していないようだった。
ちなみに松田さんは同じく演劇祭に参加した劇団飛び道具の『恐竜狩り』の感想を「退屈しました」と述べて会場を凍り付かせている。飛び道具の皆さんはどう思ったんだろう。あとで山口吉右衛門さん(演出・出演)に初めてお会いした時、松田さんについて話す機会があったのだが、吉右衛門さんも大人なので表面上は気にしていないようでありながら内心は結構怒っていたようだ。

さて、今回の『福音書~六川篇~』であるが、初演の時より数倍は面白くなっていた。少なくとも10倍は面白い。台本は全く別のものといってもいいが、会場が演出のスタイルにあっていたのだろう。セリフも詩的ではないが美しく、抒情感溢れる作品に仕上がっている。ただ問題がないわけではなく、冒頭から中盤までは淡々とした演技と特に脈略のない小エピソードが続き、静かな演劇の末路を見るようであった。客席後方からは鼾が聞こえ、途中で退出するお客さんまでいる始末。ただ僕はこうした演劇も嫌いではない。唐突にダンスが始まる。スタイルに一貫性がないし、役者の踊りも下手だが映像が巧く使われていて独特の不思議な雰囲気を醸し出す。途中舞台は西表島に移り、舞台奥に白いメッセージが次々と浮かび上がる。あるいはこれは岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』のオマージュなのかも知れない。僕は脚本でしか読んだことがないが田辺剛の「letters」もこうした作品だったのだろうか。終幕近く、役者達がユニゾンで語り出すシーンがあるが、これではまるで太田省吾である。しかも太田省吾と違って面白くない。こうしてみると太田省吾は劇作家としては一流ではないかも知れないが演出家としては超一流であることがわかる。太田省吾の場合、声を音の塊と捉え、役者のそれを客席にぶつけることでプリミティブな迫力を生み出していた。

大音響の舞台が闇に飲み込まれるラストは妥当なもの。

演出と照明が特にいい。多分賛否両論あるだろうが私は気に入った。

ちなみにパンフレットを見ると造形大の学生の名前がちらほら見受けられる。会場にはTARZAN GROPEのTさんがいらっしゃっていた。

夜、女優のTさん(TARZANとは別の方です)からメールあり。僕はことメールとなると筆まめ(キーまめ?)なのでずらずらと長文の返事を送ってしまう。我ながら非常識だと思う。ただ文章を書くのは大好きなのでやめられない。困ったものだ。

ちなみに右上の文章は佯狂(陽狂)のスタイルで書かれた前衛詩(のようなもの)です。頭がおかしくなったわけではないのでご安心を。まあ、大学ばかり回っている時点で頭がおかしくなってるのかも知れないが。(了)

 

 4月24日(土)

不定期更新を謳いながら、毎日日記をつけてしまっている。おまけにエッセイやら前衛詩やら自分でも何が何だかわからない。何を書き、何を書かざるべきかの選択は難しい。企業や公人、リンクフリーのホームページを持っている方にはリンクを張らせてもらっている。リンクフリーは本来「リンク自由連絡不要」を指す和製英語であるが、なかには「リンクフリーだけどお知らせ下さい」というサイトも在って難しい。『鴨川左岸』のサイトも将来的には全ページリンクフリーでいきたいが未完成のページがあったりするので今のところはトップページのみリンクフリーである。

一応当サイトは公式サイトを持つ演劇関係の方の名前は実名で出す。という方針でやって来ている。まだ半非公開サイトなのでクレームが来たことはない。

"To be or not to be. That is the question."

不必要になったメールの処分する。前にも処分したのだが、知らないうちにかなりの量のメールが貯まっていた。いくら削除しても減らない。単調な作業に気が滅入る。

17時開演のNHK交響楽団のコンサートを聴きに行く。指揮は名匠スクロヴァチェフスキ。前から2列目の席で奏者が目の前である。オール・ベートーヴェンプログラムで最初は「エグモント序曲」。京都コンサートホールは響きが悪いと言われているが、なるほど、前の席では残響はほとんど感じられない。だが実は3階正面の席はかなり響くのである。京都コンサートホールをぼろくそに言う人は値段の高い席でしか聴いたことがないのだと思われる。
エグモントを聴くのは久しぶりだが、主旋律を全て憶えていることに我ながら驚く。言語的、視覚的記憶力は衰えたが、音楽的記憶力はまだ相当なものであることがわかった。N響は音色が地味である。

2曲目はヴァイオリン協奏曲。奏者はパトリシア・コパチンスカヤ。名前からわかるようにスラヴ系の女性奏者である。77年生まれだから妹と同い年だ。楽譜を見ながらの演奏。かなり情熱的な弾き方をする人で音楽に勢いがあるが、たまに音程が危うくなる。カデンツァは初めて耳にするものだ。終演後の掲示によると2000年に作曲された新しいものであるという。
アンコールは現代作曲家のバイオリンソロ曲。かなり難度の高いテクニックを要求される曲だと思うが、途中、足踏みが入ったり、スキャットを用いたりと楽しい。最後はターンで決めた。アイススケートのようだ。

メインは交響曲第5番。スクロヴァチェフスキの第5は以前、N響の定期公演で耳にしたことがあり、オーソドックスな名演だった。その時のライヴ録音が Altus から出ている。
冒頭の主題から明快な演奏で特に目新しいことはない。N響の音は渋く、砂利の上の足音のようにざらついた感じがある。
第2楽章も安定した演奏。
ところが第3楽章になるとスクロヴァチェフスキは突如大見得を切り始める。いきなり第1バイオリンが大きなスウィングをはじめて驚いた。旋律の処理も非常に細かい。第4楽章も個性的な表現。特に第1バイオリンの生かし方が巧い。どちらかといえば弦主体の解釈で、旋律の掛け合いが面白い。普通、3連譜で演奏するところを2連譜で演奏したため、使用している楽譜がベーレンライター版であることがわかる。N響の音もいつの間にか艶やかで輝かしいものに変わっていた。砂金が純金になったような感じだ。
文句なしの名演。こうした演奏を聴くと、ブリュッヘンの演奏がいかに時代遅れのものであったかがわかる。

終演後、帰ろうとすると、楽屋口から首席チェロ奏者の 藤森亮一 さん(愛称:藤森大統領)が出てこられたのに気づく。せっかくなので自己紹介をし、握手して貰う。手は大きく分厚く温かい。第5の使用楽譜について訊くとやはりベーレンライターを基にスクロヴァチェフスキが手を加えたものであるという。別れ際に、「よっ! 大統領!」と声を掛ける(嘘)。

しかし「猫町通り通信」のページは重い。FTPに失敗することもある。こんなに文章を書くとは自分でも思っていなかったのでレイアウトも見難い。来月には何とかせねば。

ネットサーフィン(今でもこの言葉使うのかな?)をしているうちに明大時代お世話になった 立教大学 のT教授(明大では中級中国語を担当)のページを発見する。懐かしくてついメールを書いてしまう。中国語を勉強しなくなってからもう4年が経つ。(了)

 

 4月25日(日)

ネット上の知り合いにメールを出すが、宛先該当なしで戻ってくる。メールを使った悪質ないたずらが絶えないこともあって、みな頻繁にアドレスを変える。私も携帯電話を買い換えた途端に迷惑メールが山と押し寄せてきたので携帯アドレスを変えた。携帯会社からは明らかにアドレスが流出している。

夕方、久しぶりに散歩する。造形大の前で大学の後輩であるMさんに出会う。Mさんはシンガーとして抜群の資質を持つ。宮沢章夫のお気に入りで東京でもライヴをやっている。今度大学で ライヴがある。お薦め。

清少納言は「春はあけぼの」と言っているけど。私の場合は「春は夕暮れ」である。紫水晶の中を歩いているような別世界の住人になるのが好きだ。いつの間にか日が延びているのも嬉しい。明日こそは何かありそうな、そんな気持ちにさせられる。ふと姫路に行きたいなと思う。姫路城には毎年、春に行っている。今年もその季節だ。アンドリュー・ワイエス素描画展もやっていることだし、小旅行にはちょうどいい。

「かにかくに姫路は恋し白鷺の羽ばたく様が目に木霊する」

15年ぶりに短歌を詠んだ。(了)

 

俺には何もない(一無所有)

そうだろ何度も訊いただろ
いつになったら付いてくる?
だが、おまえはいつも笑うだけ。「何にもないでしょ? あなたには」

夢をあげると言っただろ、自由だって欲しいだろ? だけどおまえは笑うだけ。「何にもないのよ。あなたには」

ああ、いつになったら付いてくる?
どれだけ待たせりゃいいんだよ?

大地は回り続けるし、川の流れはとまらない
でも、おまえは笑いをとめはしない。「一文無しでしょ。あなたって」

なんでそんなに笑うんだ?
こんなに必死である俺を

おまえの前じゃ永遠に
俺は無能のままなのか?

ああ、とっとと俺に付いてこい
今すぐ俺のものになれ

もう充分に待ったはず。これが最後の通告だ
俺はおまえの両手を取る。さっさと俺に付いてこい

そしたらおまえは震えてた。涙もこぼれ落ちていた

まさかそんなじゃないだろな。無力な俺が好きなのか?

ああ、今からおまえは俺のもの
今すぐ俺に付いてこい

詞:崔健 日本語訳:本保弘人

 

 4月26日(月)

怖ろしい夢を見る。私が人を殺めてしまう夢だ。人を殺す夢はそんなに珍しい夢ではないそうだが、私は見るのは生まれて初めてである。

私は相当鮮明な夢を見る方で、目覚めてからもそれが夢であったことにしばらく気づかないことがある。現実よりもくっきりとした夢をみることもある。モノクロの夢は見たことがない。

「現世は夢。夜の夢こそまこと」(江戸川乱歩)

あまりにも衝撃が強かったためか、起きてからも手がぶるぶる震えている。強烈な喉の渇きがある。それでいながら内容はほとんど憶えていない。いわゆるブラックアウトだ。

大抵の夢は起きるとすぐに忘れてしまう。夢とはそういうものらしい。ただいつまで経っても忘れられない夢もある。何故忘れないのか。その理由は自分でもはっきりしない。

自分が死んでしまう夢を見たことはくっきりと憶えている。激しい心理的格闘と痛みがあったことを憶えている。よく夢かどうか確かめるためには頬をつねろと言われるが、わたしは夢の中でも痛みや匂いといった五感の全てを感じてしまうのでそれは無効である。

残念ながら成功する夢は見たことがない。正夢も見たことがない。思い描くという意味の夢ならば、私はいつも夢見ている。

人の夢は儚きものと知りながら。

子供の頃から夢見がちの性格だった。今でも時折、夢の世界にワープしてしばらく戻らぬことがある。

今でも自分が「誰かの夢」の住人なのではないかと思うことがある。実際私は夢見る存在であると同時に夢見られる存在でもある。事実や現実そのものを生きられる人間は実は存在しない。わたしはいわゆる「現実そのもの」は見たことがない。

『誰かの夢』という小説を書いたことがある。いつか戯曲化してみたいものだ。

ひょんなことから2000円札に出くわす。おだやかな航海を続けていたら突然目の前に潜水艦が現れたような衝撃。そんなものがこの世に存在するという記憶は今まで眠ったままだった。せっかくなので使わずにとっておくことにする。 

北白川の丸山書店に行く。京都に来てからめっきり読書量が減った。造形大には生協がなく、書籍もほとんど置いていないのが一因だが、テレビも見なくなったことも考えると知的好奇心そのものが衰えているようにも思える。二冊購入。沢木耕太郎の『テロルの決算』と伝・北畠親房の『神皇正統記』という物凄い組み合わせ。(了)

 

 マクガフィン

イギリスのコンパートメント式の列車の車内でのことである。2人の紳士が向かい合って座っている。天気の話しなどをしていたのだが、一人がふと、荷物網の上に置かれた不思議な物体に気づく。

紳士はもう一人の紳士に尋ねた。

「あれは一体なんだい?」

相手は上を見て答える。

「ああ、あれはマクガフィンといってスコットランドでライオンを捕るための道具だよ」

「でもスコットランドにライオンはいないじゃないか?」

「ああ、そうか。じゃあれはマクガフィンじゃないんだ」

会話は別の方へと向かう。(イギリスの小話)

4月27日(火)

何故か早く目が覚めてしまう。京都は雨。大学のライブラリーカードを作るため、写真を撮りに大学に行く。ふと気になってスタジオ21に言ってみると、ちょうど宮沢章夫が入り口のところで休憩しているのが見えた。懐かしい。私:「今年は何やるんですか?」、宮沢:「いや、まだ決めてない。今年は人数が多くてね」という話しから入ったのだが、私が、「今、『テロルの決算』を読んでるんですよ」と話し始めたところから犯罪についての会話になり、山口二矢、都井睦雄、宮崎勤を経て佐川一政に至り、最後は、「何故、人はネクロフィリアになるのか」、という無茶苦茶ディープな話しになる。「 桐野夏生 の『顔に降りかかる雨』は読みましたか?」、と訊いたが読んでいないという。読書家の宮沢章夫にしては珍しい。宮沢章夫も私が読んだものと同じ犯罪関連のホームページを読んでいるという。

午後5時、耳鼻科に行く。今日は混んでいる。スギ花粉の季節は終わったが、別の花粉症が始まったらしい。「世に苦しみの種は尽きまじ」

ホームページ大改造。大苦戦。(了)
 

 4月28日(水)

4時間ぐらいしか寝てない。なじかは知らねどひどく寒い。心の状態は天気の鏡というべきか、どんよりとしたものが立ちこめている。フロム・エーやWebAnを当たってみるが仕事は少ない。いいと思う仕事は倍率も高く、なかなか就けない。関東にいる頃は正社員、アルバイトを含めて30連敗した。夜間の文学部で既卒、英語が全く駄目では通用しない。

夜間大学出身の人には岡崎祥久(早稲田大学第二文学部卒)の『首鳴り姫』(講談社)という小説がお薦めだ。

夜間出身の有名な文学者に 中原中也 がいる。彼は生涯就職をせず、フランス語の翻訳をたまにする程度であとは親の仕送りと友人からの借金によって生活していた。住所も転々としている。小林秀雄の家に上がり込んでは朝まで文学論を闘わすこともあり、しょっちゅう殴り合いになったりしたが、朝になるとまた仲良くなっていた。その他にも一人の女性をめぐって揉めるも、互いに良き理解者であり続けたり、という奇妙な関係だったらしい。彼は東京外国語学校(現: 東京外国語大学 )専修科(2年制。夜間)修了後、売れない詩人や翻訳家などをしていたが、長男文也が誕生したため生活の安定を求めたのか、 NHK の面接を受けている。「受付でもやらせて」、とやる気のない返事をして当然不合格。詩壇でも生涯彼の作品が認められることはなかった。息子文也の死にショックを受け、神経衰弱となり、千葉市の中村古峡記念病院に入院。退院後、鎌倉に住み、古郷の山口に帰ろうとした矢先に鎌倉にて客死。享年30歳。生涯駄目な男であり続けた彼は今、日本近代を代表する詩人として不動の位置に屹立している。

昼頃、高野のカナート洛北にあるUNIQLOで買い物。雨が続いたのと大学回りとで洗濯が追いつかなくなったこともあるし、くたびれた感じの服が多くなったので新調しようとも思ったのだ。しかし行ってみると夏物しか置いてない。仕方がないので半袖を買う。今日は比較的気温が高いのでこれで充分だろう。高野は、カナート洛北やイズミヤといったスーパー、左京郵便局、左京図書館などがあって左京区では最も開けた街の一つである。京都造形の1年後輩で、照明音響担当のKさんが住んでいるが、Kさんに言わせると高野は「治安が悪い」そうである。最寄り駅からも遠いが、バスが頻繁に走るので、交通の便が悪いという感じでもない。バスが嫌いな僕から見れば不便な街かも知れないけれど。

@niftyのホームページ検索に「鴨川左岸」と打ち込むとちゃんとヒットした。新着情報を見ると4月23日づけである。以前はniftyの検索はタイトルとページに書かれた文章がそのまま出てくるというだけのものだったが、今回は誰が書いたのかはわからないがちゃんと紹介文が書いてある。「猫町通り通信」のことも載っているので、サイトを一通り見ていることがわかる。仕事が丁寧だ。かの人(と取りあえず呼ばせてもらう)によると、「猫町通り通信」は日記に分類されるらしい。確かに日記が多いのでそうなる。納得。でも正確には「日記だけ」でもないので、私は「通信」という言葉を使っている。検索サイトで登録制なのは大手ではYahooとgooだけになってしまった。gooには一応、登録願いは出している。Yahooは無理だろうから出していない。「東金御成街道」はYahooに載っているが、地味なサイトなのでアクセス数は多くない。Yahooは紹介文を自分で書いてそれをスタッフが確認し、書き直すという形をとっている。しかし、「東金御成街道」の紹介文は日本語的におかしい。「船橋市から東金を結ぶ徳川家康ゆかりの街道を紹介」というのがそれだが、本当なら、「船橋市と東金を結ぶ」もしくは「船橋市から東金までを結ぶ」でないといけないはずだ。並立、もしくは起点と結点である。「船橋市から東金を結ぶ」では、船橋から紐のようなものを投げて東金というものを結わえるという意味になってしまう。起点と対象になってしまっているのだ。登録してもらっておいて何だが、Yahooのスタッフのレベルは余り高くないようだ。

午後4時、東山区総合庁舎にてDOSプロデュースの掛川氏と会談。アドバイスを頂く。氏に言わせると、「大学巡りは効率が悪い」という。京都には役者志望の学生は少ないのだそうだ。私は東京の大学を出ているので、大学と言えば早稲田や明治のようなイメージを抱いてしまうが、京都にはそんな大学はないようだ。考えれば納得のいくことで本当に役者をやりたい高校生は東京の大学を目指す。例えば白井晃は関西の国立を目指していたが、たまたま目にした早稲田大学の劇団の京都公演に圧倒されて早稲田に進み、俳優・演出家になった。演劇界には早稲田閥と日芸閥がある。関西でも最近は立命館大学や近畿大学のOBの活躍が目立つが、閥といえるほどのものはない。観劇人口も京阪神合わせて東京の3割程度と聞いたことがある。ベトナムからの笑い声の丸井氏も「役者やりたかったら東京に行くように」と言っていたのを思い出す。京大は東大ではなく、同立は早慶ではない。文化首都を標榜する京都もこと演劇となると東京の敵ではないのだ。掛川氏は 佛教大学 の劇団紫出身。この劇団は学生劇団としては京都屈指の名門で、ごまのはえ、ナツメクニオを始め、OBの活躍も目立つ。トリコ・Aなども主宰の山口茜氏は龍谷大学出身だが、役者は佛教大学出身が多かったりする。
しかし掛川氏は京都の演劇に詳しいので話していて楽しい。実は京都造形大の学生でも京都の演劇に詳しいものは少ない。他の芝居は観ないというものもいるし、よく劇を観る学生もメジャー指向が強く、地元の小劇団は最初から相手にしないことがある。例えば山口茜という固有名詞は大学内では通じない。山口茜の話しをするのは私と松田正隆だけだったりする。山岡徳貴子も同様だ。アトリエ劇研やアートコンプレックス1928などに芝居を観に行くと、必ず一人は知り合いに出会う。でもそれは松田正隆だったり、土田英生だったり、小劇場の劇団員だったりで、京造の学生にはあまり会わない。私の記憶ではヨーロッパ企画の公演の時、KさんとK君に会った程度だ。有名な劇団や俳優も観ておく必要があるが、地元の劇団の活躍に目を向けないのはもったいない。音楽も美術も映画もそうだが、様々なものを見聞きしないと本当の一流というのはわからない。小さな劇団が東京の大手劇団より遙かに面白いものを演じることもまれではない。

実は私は宮沢クラスの日曜稽古を午前中で切り上げて、大阪までクセノスを観にいったことがある。本来稽古のない日に、急遽稽古が入ったわけだが、私は観劇を優先させた。その日観た芝居、田辺剛作、葛西健一演出の『巡礼』は驚くほどの傑作だった。見逃していたら絶対後悔するほどの出来だった。京都に移ってから観た劇の中で、東京の劇団の公演を含めてもトップ5には入ると思う。

掛川氏との対談は結局演劇好き同士の会話となり、野田秀樹礼賛や三谷がいかに凄い劇作家か、といったものに終始してしまい、明確な答えを見つけることは出来なかった。そもそもそんなものはないのかも知れない。とにかく今のままでは、「Not to be」であることがわかっただけでも収穫はあった。私と彼の考えには共通点がいくつかある。一つはこれからはプロデューサーの時代だということ。一つはなるべくゆるやかな組織を指向していること。実は私は当初、造形大の編入同期のM君を「鴨川左岸」のプロデューサーとして据えることを考えていた。彼は役者としても実力があるが、それよりも何よりもリーダーとしての資質に長けている。頭もいいし、現実的な処理能力もある。また私と違ってリアリストでもある。脚本の読みがたまに弱いときがあるのが欠点だが、それは私がフォローすればいい。経験もあるし、人望も厚い。話せる人物だし、人に信頼されやすい。私とは考え方が正反対なので特に仲がいいというわけではないが、私もM君なら信頼できる。彼のような人材は少なくとも造形大学内では他に見当たらない。ちなみに私が自宅のマンションに招いたことがあるのは今のところM君だけである。M君は2005年の宮沢章夫公演までは役者としてのスケジュールが埋まっているので参加できないというのが残念だ。
私は演劇のコンツェルンを目指してもいる。インターネットはハイパーテキストといわれるが、私が目指すのはいわばハイパー劇団だ。テレビ業界のシステムを逆輸入したものと考えてもいいかも知れない。劇団が劇団というかっちりとした構成を持つのではなく、緩やかな連携を持った集団をとしてより大きなものを目指す。これについてはもっと熟考してから書いた方がいいだろう。今は上手く説明が出来ない。

帰りに河原町のブックファーストで文庫本を1冊買い、三条のJEUGIAでNAXOSのCDを2枚買う。2枚ともオーケストラ曲で指揮者は知名度は高くない。だが私は彼らの演奏を聴いたことがあり、信頼出来る指揮者なので買った。知名度が全てではないのだ。(了)

 

 4月29日(木)

「転石苔を生ぜず」という言葉がある。もともとは、「一カ所に落ち着かぬ者は大成しない」という意味だが、別に「活発に活動を続けている者は、いつまでも古くならない」という意味もある。ここでは「動き続けている限り頭は錆び付かない」という意味で使いたい。

さて、「転石苔を生ぜず」。造形大同期の、I君、Iさん、後輩のN君に電話。新たな可能性を模索する。

ライブラリーカードを作りに造形大の図書館に行く。途中で、昨日も登場した、照明音響担当のKさんに出会う。やたらと忙しいらしい。「本保さん、痩せませたね」と言われる。体重計にしばらく乗っていないので自分ではわからない。高野のカナート洛北の話が出たので、「これUNIQLO」と自分の服を指す。

造形大の図書館には目当ての本がなかったので、左京図書館に行く。事前にインターネットで検索しており、貸し出し中であることがわかっていたが、ひょっとしたら戻ってきているかも知れない。図書館内の検索機で調べると、何と今は醍醐の図書館にあるという。予約をするため、メモをしたところで、去年、岩倉図書館で作った図書館カードがなくなっていることに気づく。しかたないので再発行してもらう。カードが出来るまで1週間かかるそうだ。

色々と考えを巡らすため、白川通りや今出川通りを延々と歩き続ける。

夜、アートコンプレックス1928に電視游戯科学舘の『惑星組曲』を見に行く。京都で小演劇を見に行くと必ず一人は知り合いに出会うのだが、今回も出会ってしまう。劇団衛星や魚灯のワークショップでご一緒したM君だ(しかし頭文字M多すぎ)。落ち着いて見えるので社会人だと思っていたら、まだ立命館の学生だという。実は造形大同期のKさんと知り合いなのだそうだ。色々と話しをする。彼も京都演劇に詳しい。

6時半開場。制作は劇団飛び道具の大嶋さん。また知り合いに会ってしまった。

役者がいい。奥田ワレタは今までで一番いいのではないか。実は京都造形大学には電視游戯科学舘(以下、デンユウ)の演技力を評価しない人が結構いる。しかしそれはデンユウの演技スタイルが京都の劇団では一番新劇に近いというだけのことだ。京造は新劇嫌いが多いのだ。確かに滑舌があれほどいい人達は普通はいないし、あんなに背筋をピンの伸ばしている人もそうはいない。でもここで繰り広げられているのは、現実社会のリアルではなく、舞台のリアルなのだ。演技を日常生活の延長線上で捉えてはならない。
ダンスもいい。役者の歌がまた驚くほど上手い。「オケピ!」の俳優より上かも知れない。中島みゆきの「糸」を歌った奥田ワレタの歌唱力だけは素朴、悪く言うと稚拙だが、シーンがシーンだけにあれくらいでちょうどいい。逆に抜群の歌唱力を発揮されたら引いてしまうかも知れない。
役者に力があり、しかも熱演なのにセリフが心に響いてこないのは何故だろう。一つにはストーリーが平板なこと。ドラマらしいドラマに欠けている。また伏線が弱いので登場人物が何故突然そんなことを言うのかが掴めない。セリフに頼りすぎの感じもする。しかもそのセリフがこちらの想像力を掻き立てるものではない。作者が本当に切実にこれを表現したかったのかどうかも疑問が残る。

俳優の演技と歌声だけで充分楽しめるが、逆にそれらに寄りかかりすぎの感じも否めない。エンターテイメントとして徹底されているわけでもないので不満な人は不満だろう。悪い芝居ではないのだけれど。

選曲のセンスは抜群で趣味がいい。特筆大書ものだ。

終演後、M君を誘い、寺町のラーメン屋で食事。彼も見た目通り教養があり、こちらの話しにも敏感に反応してくれる。日記を書いている影響だと思うが、私の話は次々と変奏を重ねた。それでも彼はついてきてくれた。京造にも彼のような学生が欲しい。
法科大学院に進むつもりだと言っていたが、是非とも合格してもらいたいものだ。演劇界は法律に詳しい人材を求めている。

立命館大学と明治大学は実は深い繋がりがある。ともに西園寺公望が創設に関与しているのだ。立命館大学の創始者は西園寺の秘書であった中川小十郎であり、「立命館」の名は西園寺が開いた私塾に由来している。
一方これはあまり知られていないが、西園寺は明治大学の創設者の一人である。彼は自分の名が他の三人より大きすぎることに遠慮し、面だって名前を出すことはなかったが、明治大学の前身である明治法律学校の「設立の主旨」は彼の筆によるものであり、筆頭に彼の名前がきちんと記されている。(了)

4月30日(金)

朝、散歩する。ついでに大学のキャリアデザインセンターに寄り、お世話になったYさんに元気でやってることを伝えに行く。今後の人生計画についても話し合う。Yさんは非常に熱心な方だ。よく京造の学生は「キャリアデザインセンターの人はやる気がない」と言うがそんなことはないと思う。またそういう学生に限って動いていなかったりする。帰り際、地下一階の出口の所で、同じく「キャリアデザインセンター」のKさんに声を掛けられる。この人も熱心な人だ。僕の考えを伝え、励まされる。

Nさんに電話。制作について打診するが難しいという。彼女も演劇を続けるかどうか模索中らしい。

Kさんに電話。僕の考えを伝えるが、やはり自分は乗れないという。挫折が続く。彼女に、「本保さん、今、どこにいるの?」と訊かれる。村上春樹の『ノルウェイの森』のラストみたいだ。「僕は今どこにいるのだ?」

ある姓名判断によると、僕の本質は「策士」、宿命は「孤独」だという。

昼頃、神田さんを訪ねに研究室に行くが閉まっていた。

午後4時、大学の後輩のN君と待ち合わせ。「鴨川左岸」のページを見ながら説明をする。『海のソナタ』は多様な解釈が出来るように書かれているが、松下のキャラクターに関してだけは解釈を誤っては駄目だ。

松下というのは、純粋でおっとりとして、時に無邪気な人物である。一言で言うとどことなく育ちの良さが感じられる人物である。彼は母子家庭の育ちだがそれを不幸だと思ったこともなく、言動とはうらはらに実は父親をかなり愛している。彼は非常に頭のいい人間だが、少々それに無自覚なところがある。

正直言ってN君ほど松下役にあった俳優はいないと思う。N君は「演劇が好きではなく、演じるのが好き」だそうだが、実はこれも松下のメンタリティーに一致する。

しばらく色々なサイトを巡る。時間だけが過ぎてゆく。

夜、次の一手を巡り、答えのない質問の答えを出すため、京都市内を3時間以上に渡り歩き続ける。

午後11時、丸山書店に行き、大阪と兵庫の地図を手に取るが、急に気分が変わり、何も買わずに帰ってしまう。何だか自分が成瀬和音になってしまったような気分だ。もっとも成瀬和音には私がある部分投影されたところはあるのだが。

耳の奥がまた疼き始める。

Bonjour Tristesse(了)

 

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