北の大地を駆ける
2006年 第10回 TRANS
YEZOに参加して
プロローグ
2006年6月私は35年勤務した会社を退職した。7月長男の結婚式を終えた。人生の節目を感じた。
この節目になにかやっておきたいなぁと思った。
2006年3月NSVA伴走講習会の打ち上げで、
宮本さん貝畑さん私の3人でトランス蝦夷に参加する話が持ち上がった。
以前からの憧れのジャーニランではあるが私には走り切る自信がなかった。
2006年7月貝畑さんが、そんな優柔不断な私の背中を押した。私は当たって砕けろでしかなかった。
トランス蝦夷はTO襟裳、TO宗谷、そしてその両方を走るアルティメイトの3パターンがある。
私はTO宗谷を選んだ。理由は景色がとってもいいという前評判だけで選んだ。
実際行ってみてこの北海道の雄大な大地・海・川・山・草原・道路・草花・動物たち
そこに暮らす人々の営みに関して深く感動を覚えることになる。
TO宗谷は北海道最南端の地、襟裳岬をスタートし最北端の地、宗谷岬までの全長555キロを走る。
全日程7日間で走り抜けるステージレースである。
自分ひとりの力で走り抜くというのがこのトランス蝦夷の大会コンセプトである。
よって必要と思うものはすべて自分が背負って走る。私設エイド以外はエイドステーションはない。
水食料は通りがかりのコンビニで自らが調達する。
20キロから30キロぐらい水場もなければコンビニもない民家もないようなコースもある。
一歩間違えれば生命の危険さえある。いわばサバイバルレースの要素もある。
主催者の御園生さんは1日10ケ所程度のチェックポイントを設けておられる。
そのチェックポイントは石碑だったり道標だったりする。
その碑にきざまれた一文字をみつけてメモしながら走る。
そしてこのチェックポイント表を全ルート走りきった証拠として主催者に提出するのである。
またその日ゴールしてもすぐに休めるわけではない。
その日の結果を提出。翌日のコース説明を聞く。アイシング。夕食そして翌朝の朝食の買出し。洗濯。
お風呂そしてやっと就寝できるのである。
毎日最低3時間は眠れるが、寝不足は必至である。
ステージ毎のコースは次のとおり
第1ステージ 8月13日 襟裳岬〜虫類 82.1K
5:00〜20:00
第2ステージ 8月14日 虫類〜新得 87.3K
4:00〜20:00
第3ステージ 8月15日 新得〜富良野 75.6K
5:00〜19:00
第4ステージ 8月16日 富良野〜旭川 68.1K
5:00〜17:30
第5ステージ 8月17日 旭川〜美深 100.0K 3:00〜22:00
第6ステージ 8月18日 美深〜浜頓別 80.5K
5:00〜20:00
第7ステージ 8月19日 浜頓別〜宗谷岬60.7K
5:00〜16:30
えりも岬は寒い。前日えりも岬に入り、TO襟裳のランナーを出迎えたがその日は風も吹き寒かった。
Tシャツ1枚では我慢できないくらい寒かった。思わずウインドブレイカを着込んだほどだった。
海面に光の帯ができていた。水平線に幻想的な光の帯は長く長くつらなっていた。
襟裳岬は風が吹くことで有名なところ。岬の突端に1軒の民家があった。
四方を防風のための囲いがとりまいている。
冬の襟裳岬を想像してします。海は荒れ、白波を立て、丘でも強風が吹き荒れる。
海からの風、日高山脈からの風、ふたつの風の通り道であるようだ。


第1ステージ
8月13日 襟裳岬〜虫類 82.1K 走行時間14時間0分 節度時間内完走
いよいよスタート
えりも岬は深い霧がたちこめ見通しが悪い。朝5時スタートである。
スタート前のサインを忘れず行ったがなんと一番最後のサインであった。朝の準備にもたもたしてしまった。
貝畑さんに早速心配をかけてしまった。
記念撮影のあと、皆のカウントダウンでスタートである。5・4・3・2・1いえ〜〜い
遥か555キロ先の宗谷岬を目指してスタートである。
がなんと勇ましい掛け声のあとは、みんなぞろぞろと歩き出すのである。
好き勝手おしゃべりしてわいわいがやがやと、まさに大人の遠足である。
5キロぐらい進むと巨大な風車がブルンブルンと回り始めている。さすがに風の襟裳に相応しい光景。
MAJOPAJOちえちゃん達とゆっくりと走る。まだ先は長いのである、あくまでゆっくりと走る。



百人浜
6キロ先から海岸を走る。百人浜と名づけられた美しい浜辺がすぐそこに見える。
ただこの百人浜の名前の由来を聞くと少々暗くなる。
昔、南部藩の御用船が遭難し100人もの犠牲者が出たところから名付けられたそうである。
果てしなく続く草原と海の間の道を進む。鉛色の空がこれまた延々と続く。
遠くに潮騒の音が聞こえてくる。道のすぐそばに真っ赤なハマナスの花が咲いている。
風にゆれているまさにハマナスの花だ。
真っ赤な真っ赤なハマナスだがどこか物悲しく感じるのは何故?
この太平洋岸でハマナスを見かけたが、次にハマナスを見るのは遥か先のオホーツクの海辺である。
しばらく進むと貝畑さんは道路を横断するキタキツネをみかけたそうである。
道路の真ん中で一瞬走っている人間を見た後、草原の中へ消えていったようである。
またエゾ鹿をみかけた方もいらっしゃたようだ。
こんな大草原が続く環境は動物達にとって格好のフィールドなんであろう。


高本さん
99年NHKTVがこのトランス蝦夷を放映した。
その時高本さんはランナーとして参加されたくさん登場されていた。
最後には足が痛くてシューズを切り裂いてでも走られていたお姿が印象的な方であった。
その高本さんに話しかけた。もちろんTVの話からである。
99年は気温36度にもなってリタイヤ者が続出したそうである。
そのためトップランナーを追いかけるのではなく急遽、苦労しながら走り続けるランナーを取材することになり
高本さんを追いかけていたそうである。その高本さんも7年の歳月が流れ今年はアルティメイト
(往復)で参加されているのである。アルティメイトにはもう驚くだけである。
黄金道路
本日の20キロを過ぎると黄金道路に入る。別に黄金が引きつめられた道路ではない。
この道路をつくるにあたって莫大なお金が必要だったことより名付けられたようである。
太平洋に平行して永遠に続くこの道路はやたらとトンネルが多い。
それはそれは莫大な投資が必要だったんでしょう。
黄金道路には海側からの波を遮るための波消しブロックが多い。
太平洋の海が荒れた場合、ここを通行する車両を守るために不可欠な手段なんでしょうね。
海が荒れた場合、波が道路に打ち寄せている証拠を発見した。
なんと道路に無数の昆布が打ち上げられているのである。しかし今日の太平洋は穏やかな海である。
ウミネコであろうか、岩に群がり羽を休めている。


フンベの滝から広尾の町へ
45キロ近く走ると、フンベの滝に到着した。
海のすぐそばにある小さな滝で、地元の方のお話だと冬は凍りついてとっても綺麗だそうである。
貝畑さんからアイシングがわりに水浴びを勧められる。
水がとっても冷たい。氷水の中へ入っているようで、長居はできない。冷たすぎて痺れがくる。
でもいいアイシングになった。足が軽くなり、ピリッと引き締まったようである。
広尾の町に入った。整然とした町並み・小ざっぱりした家々・樹木も多くまるで西部劇のセットを
見ているようだ。貝畑さんは、34年前お世話になったお寺に挨拶に行かれた。
私はひとりでチェックポイント8を見つけるべく先を急ぐ。
道順はさっきあんころさんから詳しく聞いた。小学校の裏手の草むらにチェックポイントはあった。
仙台藩十勝陣屋跡の石碑が立っている。蝦夷地開拓の歴史を感じた。


京都トライアスロンクラブの前田さん
京都トライアスロンクラブの前田さんがキャンピングカーで応援してくださる。
ご自身も過去このトランス蝦夷は選手として参加されている。
今回はお子さんのみっちゃん、愛犬ピレを伴ってキャンピングカーで先回りしながら応援してくださる
キャンピングカーはイルカの絵が大きく描かれておりチェックポイントでは目印として大いに役立つ。
お子さんのみっちゃんは、TO襟裳の最終日50キロを走ったそうである。
かえるの子はかえるってことかぁ
気温の変化・清流歴船川にて
このジャーニーラン朝早くスタートするので太陽が昇りきる前は比較的気温も低く走りやすい。
がしかし太陽がギラギラと輝き始めたころより気温は急上昇する。
連日30度を超えていたのではないでしょうか。
午前11時ごろから午後4時ごろまではもう暑くて暑くて走れない。
ひたすら太陽が沈むのを願うしかない。
太陽に逆らって、暑いさなか一生懸命にもがいてみても所詮走れる距離はしれている。
体力をできるだけ消耗しなよう心がける。
しかしこの暑い時間帯をさぼっていると制限時間に間に合わない。微妙なコントロールが要求される
私はできるだけ止まらない。出来るだけ歩かない。ゆっくりゆっくり走るを心がけた。
そうすることで暑い時間帯でも1時間4〜5キロは進めたと思っている。
本日の75キロ地点歴船川を17時29分に通過した。残り7キロほどを2時間半で行けばいい。
今日は余裕でゴールできそうだ。川幅の広い大きな川である。
大きな石がごろごろと川の中に横たわっている。この頃になると日も西に沈み涼しい風も吹いてくる
今日は時間的にも余裕があり、早くゴールすることもないのでゆっくりと歩いていた。
後ろから貝畑さんが追いついてくる。
ふたりでぺちゃくちゃとおしゃべりしながらゆっくりゴールを目指す。
畑にひまわりが植えられている。行儀よく並んでこちらを見ている。
夕闇のなかでこのひまわりだけが浮き上がって見える。
ゴールはナウマン温泉アルコ。ナウマン象の化石が発掘されたところである。
第2ステージ
8月14日 虫類〜新得 87.3K 走行時間15時間30分 節度時間内完走
難コース
全ステージのなかで一番の難コースと聞く。道を間違えやすいのだそうだ。
北海道の道は直線で何キロも続く道が多い。
しかしいずれ曲がらなければならないが、その屈折すべきポイントが分かりづらい。
つまり曲がるべきポイントのところに目標物がなにもないケースが多い。
碁盤の目にくぎられた道を進む時、道路数を数え、何番目の道を右折とか考えて走らなければならない。
今日は朝4時スタートで87キロ、また長いジャーニランの始まりである。
北海道の朝は4時でもすでに明るい。ライトは特に必要ない。
スタートの後またもや、ぞろぞろと歩きからスタートする。
いきなり北海道の広大な畑の中を進む。朝靄にけむる雄大な畑が美しい。
しっかりと整理された畑それを覆いかくそうとするような霧。
ところどころに点在する家々にはサイロもあってこれぞ北海道の風景である。
またその霧を振り払うかのようにまた今日も大きな太陽が出てきた。
あたりをオレンジ色に染めながら、今日も我我ジャーニランナーのいく手を阻むつもりなのである。



砂利道
このトランス蝦夷では、舗装された一般道ばかり走るのではない。区画整理された農地の中も走る。
そこは当然舗装された道とは限らない。砂利道もある。ごろごろとした石の上を走るわけである。
走りにくい。石につまずいて足首を痛めそうでもある。しかし貝畑さんは違った。
舗装されたコンクリートの道より砂利道の方が好きだそうである。
シベリア大陸を横断された時も舗装道路は少なく圧倒的にこの砂利道が多かったそうである。
なんとも世界の貝畑さんは、スケールが違いすぎる。
畑
今日のコースは、畑の中をよく走る。
じゃがいも・とうもろこし・ピート(砂糖大根)・麦などがよく目に付く。
どれもこれも広大な土地に整然に植えられている姿がとても綺麗である。
農家の方のご苦労が垣間見える。とうもろこしも2種類あると聞く。
人間さまがいただくとうもろこしと家畜に食べさせる飼料用のとうもろこしがあるようだ。
背がとっても高くなるのが飼料用だと聞いた。その畑を縫うように流れる川も美しい。
もう自然のままで護岸工事などされていない。原風景そのままを見ることができる。
またとうもろこし畑が続くと、映画「フィールドオブドリームス」を思い起こさせる。
広大なとうもろこし畑を野球のグランドに変えてしまう物語を思い出していた。




幸福の駅
幸福駅の手前の民家で水浴びをさせていただく。
井戸水を汲み上げていらっしゃるとかでとっても冷たい水であった。ホースで頭から水をかける。
後頭部にもかけると冷たい水は背中にもまわり、オーバヒトぎみの体を冷ましてくれる。
ペットボトルにも水を補給させていただき、お礼を言って早々に出発する。
本日の28キロ地点で幸福の駅についた。廃線の跡展示されている電車と駅舎だけが残っている。
何故かもの悲しさを覚える。昔は人々が電車を利用し日々の暮らしの重要な足だったろうと想像する。
今は愛の国から幸福へというキャッチフレーズだけが残っている。
たくさんの観光客に混じって一通り見学するが先を急ぐのでまたあたふたと出発する。


らむ苑
本日の33.5キロ地点にあるらむ苑に到着する。
このらむ苑は我我ランナーのために毎年、ジンギスカン・とうもろこし・牛乳などを
無償で提供してくださる、ありがたいエイドだと知る。早速ジンギスカンをいただく。
肉がやわらかく臭みなど全然ない。新鮮なお肉なんでしょう。とうもろこしもたくさんいただいた。
湯がきたてのようでやわらかく甘みがとっても強い。ついつい長居をしてしまう。
貝畑さんのお話ではこの私設エイドに40分いたらしい。
早々にお礼のメッセージを書いて出発することにする。冷たい水もいただいた。
ここから先20キロぐらいはお店がないとのこと、水は大変貴重なのである。
大きな川である札内川を渡る。35キロを通過したころまたもや灼熱地獄の様相を呈してきた。

暑い暑い暑い灼熱地獄
しばらくお店がないと思うと貴重な水である。太陽は容赦なく暑く暑く熱線を降り注ぐ。
水を少しずつほんの少しずつ口に含む。体も熱くなるので頭に少しずつかけて冷やす。
そうしながらも、ゆっくりと走り続ける。相変わらず広大な畑を見ながら走り続ける。
暑い暑い暑い!広い畑はどこまでも続く。暑い暑い暑い!
上芽室(60キロ)まで来た時たまらず一軒の農家に駆け込む。水をくださいと頼む。
そして頭から水をかけさせてくださいと頼む。
応対してくださったおばあさんが快く洗面器に水を汲んできてくださり、頭からかけてくださった。
気持ちいい!もう灼熱地獄から天国に向かうようである。
飲み水も沢山いただいて、お礼をいって立ち去る。
こんな怪しげな風貌のおっさんを快く対応していただいたことに感謝なのである。
そこからは清水町に入り御影駅あたりまで来るとコンビニ自販機も点在するようになってきた。
水は大切であることを痛感する25キロの区間であった。


織姫さんを偲ぶ
織姫さんはこの第2ステージの80キロ付近で車に跳ねられなくなった。
その車はライトをつけていなかったそうである。
織姫さん達は背中に赤い点滅ライトを点しながら走っていたにもかかわらず
車に跳ねられたなくなったそうである。織姫さんは道を間違えられた。1本違う道を進まれていた。
その時事故に会われてしまったそうである。なんとも痛ましい事故です。
織姫さんのご冥福をお祈りします。合掌
17時42分77.6キロ地点成田山不動尊前に来た。
ここで織姫さん達は道を間違えられたのである。貝畑さんと私は慎重に地図を見て道を選んだ。
相変わらず地図上で目標になるものはなにもない。道路の曲がり具合が唯一の判断材料なのである。
周りがうす暗くなってきた。点滅ライトを点しながらまだまだ果てしなく続く畑の中を走る。
あたりがすっかり夕闇に包まれるころ、織姫さんの眠られるであろう1本向こうの道が分かる。
心の中で織姫さんに合掌しながら先を急ぐ。あたりはすっかり夜のとばりに包まれる。
貝畑さんの底力
すっかりあたりが暗くなった時、地図を見ながら進むが突然砂利道になる。
地図上はまっすぐ砂利道を進むようである。しばらく行くと川があるように地図では示されている。
あたりも暗くなって川など見えない。がしかし貝畑さんが突然あそこに川が見えるとおっしゃる。
え〜〜私には暗闇しか見えない。目のいい貝畑さんのおっしゃるとおりしばらく進むと川があった。
地図どおり迷うことなくゴールできそうである。
貝畑さんは大陸横断・砂漠でのレースなど世界を舞台に駆け回りまさに世界の貝畑さんである。
砂漠のレースでは20キロ先まで見えることがあるそうである。ひえ〜〜人間のスケールが違う。


第3ステージ
8月15日 新得〜富良野 75.6K 走行時間13時間38分 節度時間内完走
新得そば
今日は朝5時スタートで75キロ、また長いジャーニランの始まりである。
新得の町を抜けるときコンビニの前のポストに郵便物を投函する。朝の日課である。
毎日毎日膨大な地図を主催者がくださる。
全部で100ページ以上になる2万5千分の一の地図でかなり詳しいが、
日々背負って行くにはかさ張る。このため前日の分は郵便封筒に入れて自宅に送る。
新得の町を抜けるとこれまた一直線の道路をひたすら北へ向かう直線の長さは約8キロ。
ランナー達が蟻の兵隊のように整然と並んで走っている。
最後尾を走っている私は遠く先行くランナーまですべて見渡せることができる。
道路の両側には蕎麦の白い花が咲いている。延々と続くそば畑である。
そば好きの私にとってはなんとも嬉しくなる光景が続く。一度新得そばを食してみたいものである。
そばの白い可憐な花がこれまた延々と続く。


狩勝峠(かりかつとうげ)
本日の10キロ先から狩勝峠が始まる。約10キロの登りが始まる。
できるだけ歩くことなく登りはじめる。標高644メートルの山である。
大阪の生駒山と同じぐらいの山である。
そうたいして高度はないが、ゆるやかな登りが続くため飽きてしまう。車も頻繁に行きかう。
歩きを交えながらゆっくりと進む。貝畑さんと世間話をしながら気を紛らす。
1時間48分もかかってしまったがやっと頂上に到着する。頂上は霧に包まれていてなにも見えない
頂上ではメロンを食べた。貝畑さんがとうもろこしを買って半分くださる。
大阪の加来さんが干し林檎をくださる。それらを食べながら歩いてまた狩勝峠を下るのである。
また貝畑さんが頂上で珍しいものを買った。熊よけの鈴である。
これから向かう西瓜峠は熊がでるので熊よけの鈴は必需品なのである。
狩勝峠を下ったところに小出百貨店というお店がある。27.5キロ地点である。
ランナーは皆この店で休息する。私はトマトを買った。
5ケ300円真っ赤なトマトをおすそ分けした後かぶりつく。旨い。
これぞ北海道!と思わず唸ってしまうほどであった。
ポッポ屋(幾寅の町で)
本日の37.5キロ地点幌舞駅に着く。映画ぽっぽ屋の舞台となったところ。
高倉健広末涼子を思い浮かべるがどうもしっくりこない。
やっぱ冬の厳しい寒さの中でのぽっぽ屋なんでしょうね。
ここで北海道URCの檜山さんをご紹介いただく。
聞けば宮本さん貝畑さんが日本列島縦断されたとき、北海道でお世話になった方と聞く。
この北海道の方の優しさがとっても嬉しい。檜山さんからトマトを戴く。とっても甘い。


ゴミを考える
北海道のコンビニには、表にゴミ箱がないところがある。ゴミは自分で持ち帰るということだ。
だから、飲料食料を購入するときお店の方に出たゴミは引き取ってもらえるか交渉する必要がある。
また自販機でもおなじく空き缶入れがないところが多い。空き缶は自分で持ち帰るということのようだ。
どちらにしてもゴミは自分で処理するというルールがある。一旅行者としても同じことが適用される。
そして北海道の道路には空き缶などのポイ捨てが少ない。素晴らしいことだと思う。
関西の道路だと、車中からポイ捨てされたゴミが道路わきに散乱する光景を見慣れている私には、
北海道の道路がとても綺麗に見える。ゴミは自分で処理するのがルールなのである。
このトランス蝦夷の主催者御園生さんもゴミのポイ捨てには大変厳しい方だ。
「ゴミ捨てすれば遠足は即刻中止」とあちらこちらで呼びかけておられる。
しかしこのトランス蝦夷では私達はゴミを出す。特に自販機で購入した空き缶はゴミ箱に捨てたい。
でもゴミ箱がなければ、自分の責任において自分で持って走るしか対処方法はないのである。
エゾラーになれない
エゾラーと呼ばれるベテランランナーがいらっしゃる。
彼らの特技は手にコンビニの袋を提げて片手だけ振って走るということだ。
とても私には真似ができない。
彼らの手にする袋の中身は、コンビニで買った朝食または氷の袋の場合が多い。
朝スタート地点では朝食が食べられないのでしばらく走って食べる。
このため朝食を持って走るのである。また氷は灼熱地獄をいくランナーにとって大変な貴重品、
氷の塊を口に含んでしばしの涼を取る。解けた氷水を体にかけてアイシングなどなど用途は無限にある
その貴重な氷の世界を楽しむには持って走るのがベストなのである。
熊がでる西瓜峠
本日の50キロを過ぎたあたりから西瓜峠に入る。このあたりの畑では作物を積み上げて干してある
綺麗に円柱状に積み上げ、そのてっぺんには雨よけのブルーシートが敷かれている。
聞けばどうも豆類を干しておられるとのこと。
この円柱状の柱が刈り取られた畑の後に無数に点在するのである。
まるでお地蔵さんが行儀よく並んでいるようだ。そのお地蔵さんに見送られて熊がでる西瓜峠に入る


怖い。もちろん事前に熊除けのカウベルを取り出しガラガラと大きな音を立てながら進む。
この恐怖の場所を生憎ひとりで進むことになってしまった。前後にランナーの影はない。
もうひとりで進むしか方法はないのである。
熊に襲われて倒れていたら後続のランナーに発見されることになる。
お〜〜こわ!森深く山道を登る。道幅は広い。四方に目をやり熊がでないか心配しながら登る。
自然と走るスピードが上がる。早くこの恐怖の場所から抜け出したい。ガラガラガラ熊除けは鳴る。
やけに時間の経過が遅い。
がらがらがらがら。がらがらがらがら。がらがらがらがら。怖い!
富良野へ
熊の恐怖体験をした後は富良野の町が近くなった。農家も点在する。大きなひまわり畑があった。
ひまわり全部がこちらを向いて歓迎レセプションを開いてくれているようだ。
CP9の智美橋67.5キロ地点までは涼しげな川のせせらぎを聞きながら走ることとなる。
なんの変哲もない智美橋だがそこまでの道のりはやけに長い。
貝畑さん木下さんに引っ張ってもらいながら、このやけに長い道中をあえぎながら進む。
今日は3日目のラン。私は2日以上こんなロングランを走ったことはない。
もうそろそろ足にきてもおかしくないのである。いままでが順調すぎた。足が硬直してくる。
走る速度を落とし歩きをいれながらでも先行するふたりに離されないようについていく。
しぶとくしぶとくついていく。富良野の町が見える。もうゴールは近い。線路が平行して走っている
一両編成の電車が通り過ぎる。とってもかわいい電車で思わず手を振ってしまった。
足が悲鳴をあげだした。もう走りすぎである。当然の結果として受け止めるしかない。
富良野の町の中を歩きを入れながら、泣きをいれながらとことこと進む。


第4ステージ
8月16日 富良野〜旭川大学 68.1K 走行時間12時間17分 節度時間内完走
足が動く
昨日は足が硬直して重かった。正直これまでかとあきらめかけた。
昨日のアイシングの結果、今日は足が軽い。どうなってしまったのか今日も走れそうだ心底嬉しい。
スタートして富良野の畑のなかをしっかりと走る。走れる喜びをかみしめながら、ゆっくりと走る。
15キロほど進むと畑の中の直線道路が登り坂になっている。途中アップダウンの厳しい道だ。
いわゆるジェットコースターのように登り下りを繰り返しながら、最終的には登っていく。
先行するランナーが米粒のように見える。あそこまで登るのかと気が遠くなる。
止まらず歩かずしぶとくゆっくりと走って登る。
丘の頂上に着くと、富良野名物パッチワークの丘の大パノラマが待ってくれていた。
360度パッチーワークのような畑があたり一面展望できる。
よく手入れされた畑小高い丘からこの大パノラマを堪能するまで眺めた。
ふと目にするとすすきが穂をだしている。早くも秋が訪れている。




ファーム富田よりも
本日の26キロ地点には有名なファーム富田があった。車と人でごったがえしている。
ラベンダを中心にした花畑とカフェ・ショップなどがある広大な農園。
ここのラベンダ畑がJRのカレンダに使われたことより観光客が訪れ始め富良野=ラベンダ
のイメージを定着させたそうである。それにしても大変な車の数と人の数である。
ひとごみを避けながら早々にファーム富田を後にする。美馬牛の標識を目にする。
JRの駅にも美馬牛(みばうし)があるようだ。なんとも北海道らしい地名ではないだろうか。
30キロ地点では新田牧場に寄る。この牧場も無償の私設エイドを出してくださっている。
ほんとありがたいことだ。スイカ・トマトをたくさんいただく。
どれもこれも水水しくて給水がわりにたくさんいただいた。新田農園を過ぎると急に小道に入る。
急坂の農道をあえぎながら登る。丘陵地の頂上には主催者の御園生さんが待ってくださっている。
丘に立つと、これまた360度の大パノラマである。パッチワークの丘が360度展望できる。
なんとも広大な雄大な壮大な景色なんだろう。遠くにファーム富田が見える。人と車が群がっている
そんなちっぽけな所より、この名もない丘の方がもっと素敵だよと叫びたくなる。
有名な観光地より名もない丘の方が心が和むのである。




美瑛(びえい)
美瑛の町を過ぎたあたりから、またまた観光客の車が多くなった。
有名なケンとメリーの木とかセブンスターの木とかを見物される方々だろう。
丘のうえに立つ木をわざわざ見物にこられるのである。ケンメリの木のところでトマトを売っていた
3ケ100円早速かぶりつく。冷たくてみずみずしくておいしい。北海道にきてよくトマトを食べた
どれもこれもおいしい。太陽をいっぱいあびて育った北海道のトマトは甘みが強いような気がする。
ケンメリの木を過ぎるとまたわき道に入る。主催者の御園生さんご自慢のコース設定のようだ。
またまた小高い丘を登らされる。振り向くとまたまたパッチワークのような広大な畑が広がっている
こせこせとした日常の生活などすっかり忘れて、雄大な景色を堪能する。
いままで抱えていた日常の問題が問題でないように感じるほど心を大きくしてくれる。


旭川へ
本日の45キロ辺別川を渡ると旭川市に入る。久しぶりの大都会だ。
もう水食料の心配はいらないコンビニ自販機もたくさんある。精神的にほっとする。
50キロを過ぎて東神楽の町を悠然と歩いていると後ろから頼さんあんころちゃんに声をかけられる
「急がないと間に合わないよ」あわてて残り時間と距離を計算する。
そうかこんなにのんびりしていてはいけないのに気がつく。
忠別川の自転車専用道路をピッチを上げて走る。55キロ地点を15時に通過できた。
残り20キロを2時間半、そう余裕などない、止まらず歩かずゆっくりと走り続けることを心がける。
山崎さん
山崎さんはアルティメイト(往復)に参加されている。よくコース上で行き違う。
つまり走るペースがほぼ同じなのである。しかし山崎さんの走りと私の走りは全然違う。
山崎さんこそ止まらず歩かずゆっくり走り続けるを実践されている。
わたしもそうありたいと思い止らず歩かずゆっくり走り続けるを実践しているつもりである。
がしかし山崎さんはそれを徹底されている。コンビニで費やす時間も最低限である。
常に走っておられる。休憩時間が極端に少ないような気がする。
旭川に入って先行して走られる山崎さんを発見できた。
追いつきそうになるが、すぐにおいて行かれる。
私がコンビニや自販機でもたもたしている間も山崎さんは着々と歩を進めておられる。
結局山崎さんとの距離は短縮できないのである。


旭川大学にて
今夜の宿舎は旭川大学の体育館である。柔道用の畳を敷いてくださっている。
今日の結果提出・明日のコース説明が終わったときは午後8時すぎだ。
明日はいよいよ100キロのランである。
午前3時のスタートであるため午前2時には起床しなければならない。
まだこれからお風呂アイシング洗濯食事とたくさんの家事をこなして就寝となる。
全部の家事をやっていたら眠る時間がなくなってします。ここで貝畑さんのアドバイスを思い出す。
お風呂入らなくても死にはしないよ。洗濯しなくても死にはしないよ。そこで手抜きをする。
体育館の洗面場で体を拭いて、衣服を水洗いしておしまい。
その後近所のラーメンよしのに旭川ラーメンを食べにでかけてその後は早速就寝するのである。
この判断により充分なカロリー補給と睡眠を得ることができ、明日の活力になった。
第5ステージ
8月17日 旭川大学〜美深 100.0K 走行時間18時間50分 節度時間内完走
夜明け前に
2時に起床。まだ乾ききっていないシャツを着てスパッツを穿く。
ひんやりとしているが気持ちは悪い。
寝袋をコンビニで送り返した後はいよいよ100キロのスタートである。
リュックの後ろには赤い点滅灯をつけて手にはライトを持ってスタートに備える。
まだ夜明け前である。いつものとおりカウントダウンのあと、みんなぞろぞろと歩きはじめる。
旭川の町をリュックを背負った異様な集団が歩き続けている。
赤い点滅灯をみていると萩往還を思い出していた。
萩往還は夜中も走るがトランスエゾは毎晩ふとんで寝られる。この違いは大きい。
お風呂に入って布団で寝られることで体力は回復する。私は昨夜、入念なアイシングをした。
また寝る前はサロンパスを張って寝た。今日も不思議と足が動く。足のどこにも痛みはない。
よく走り続けられるものだ。足が動くことに感謝するのである。
比布(ひっぷ)の町で
石狩川を渡ると比布の町に入る。今日の10キロ地点である。
地図を読み間違えてコースアウトしそうな時、後ろから来られた頼さんに助けていただく。
しばらく比布の町を通過するまでベテランの頼さんに付いていったほうが安心できる。
比布の駅まで来た。ここからはしばらく宗谷本線の線路ぎわを走ることになる。
このあたりではすっかり明るくなっており、朝靄が立ち込めている。今日も暑くなるのか。
天気予報では曇りとあるが残念ながら今日もお日様カンカン照りのようである。
またもや我我ランナーを苦しめてくれそうな気配がする。
5キロほど宗谷本線と平行して走っているとき前田さんのキャンピングカーで出くわす。
前田さん、トマトの枝を一振り持っておられプチトマトをくださる。
国道に戻った後はまたまた直線が何キロも続く単調な道を走る。
しかし塩狩峠では旧道を走るためしばしの間、静寂な道を登る。
直線道路では
さすが北海道である。何キロも続く直線道路が延々と続く。
この広い道路の端をとことこと走り続ける。歩道のある道路は安全であるが、
歩道のない道路は車が怖い。真っ直ぐな直線道路を猛スピードで駆ける車が多い。
当然車どうしの追い越しも多い。
我我は右端を走っているが、そのすぐ脇を追い越しのための車が猛スピードで駆け抜けていく。
車の風圧でヒヤリとさせられることが多い。少しでも車と接触するとひとたまりもないであろう。
我我ランナーが気をつけなければならないが、
後ろから猛スピードで突っ込んでこられると防ぎようがない。織姫さんの事故を思い出していた。
調子にのって
本日の30キロ過ぎ和寒(わっさむ)の町についた。やけに足がよく動く。
調子にのって貝畑さんより前に出てスタコラ走る。
こんなに長い距離を走れる自分が嬉しくてさらに調子にのる。
どんどんいくらでも走れる気持ちになる。実際にキロ5分30秒ぐらいの速度で走っているようだ。
そんな中、貝畑さんから注意を受ける。スピードを上げすぎだとの指摘を受ける。
その結果は必ずしっぺ返しがくると注意を受ける。
案の定40キロの剣淵に入ると足が重くなってきた。おお早速しっぺ返しがきたようだ。
もうこんな馬鹿げた走りはやめようと思ったが後の祭りである。

魔法のみつあみロープ(士別にて思う)
士別の町に入るころには、またもやジリジリと太陽が容赦なく照りつける。
調子にのって走りすぎた。今日もまた灼熱地獄になってきた。
士別の町は南北に細長く5キロぐらい町並みが続く。
自販機コンビニなどの誘惑も多く、ちっとも前に進めなくなってきた。
少し歩いては休み、少し歩いては自販機へ、少し歩いてはコンビニへ、
暑さを避けるためあれこれと理由をつけては休みを入れる。軟弱な私の心が揺らぐ。
この士別の町を過ぎてやっと50キロやっと今日の半分を走ったことになる。先は長い。
暑い体力が続かない。止めたくなった。リタイヤすれば楽になれる。
士別の駅から宗谷本線で美深までいけるはずである。もう止めるか。
これ以上進んで何がある。何も得るものはないであろう。だいたい何のために走っているのか。
これだけ走れば充分ではないか。止めたら楽になれる。だいたい、もう走れないではないか。
どんどんとマイナス思考を展開していく。
そんな中、左手首に巻いた魔法のみつあみロープを見つめる。
このトランスエゾに参加する前に、恵ちゃんがみつあみロープを編んでくださる。
私は京都で視覚障害者の方とランニングウォーキングを楽しむ
賀茂川パートナーズに参加させてもらっている。
略称かもぱと称するこの会には、魔法のみつあみロープが存在する。
この魔法のみつあみロープは元来、
ブラインドランナーと伴走者がこのロープを持ち合い一緒に走るための道具である。
今回のトランスエゾでは魔法のみつあみロープを私はお守りがわりに携帯した。
恵ちゃんが編んでくださった魔法のみつあみロープは少々太めにできている。
ウルトラランの時、気持ちが切れないようにと太めに編んでくださった。なんともその心使いが嬉しい
それに応えるためにも決して気持ちを切らせてはいけないのである。
スタートのえりも岬からずっと私の左手首に巻きつけている。私の心のよりどころなのである、
なにしろ魔法のロープなのだから。
士別橋の手前の中古車センターで洗車しているのに出くわす。
すいません頭から水かけてくださいとお願いするが、頭から水かけると風邪ひいちゃいますよとの答え
いや体がオーバヒートしてるんですからかけてくださいと再度お願いする。
頭から背中からジャージャー水をかけてもらう。背中に背負ったリュックもびしょ濡れであろう。
左手首に巻いた魔法のみつあみロープもびしょびしょだ。
がしかししっかりと水浴びしたお陰で、とっても体が軽くなった。足もアイシングできた。
なんだかやる気もでてきた。魔法のロープのお陰で貴重な水浴びができ、心身ともに生き返った。
士別橋の上で魔法のみつあみロープに向かいありがとうとお礼を言う。あと50キロやる気が蘇った。
時間がない
60キロ過ぎの風連の町をできるだけ止まらずできるだけ歩かずゆっくりと走る。
容赦なく照りつける太陽には逆らえないので、できるだけゆっくりと走る。
名寄の郊外を北に向かって走り続ける。
70キロを過ぎたCP9のところでスタッフの浅香さんの車にでくわす。
時間が気になり浅香さんにこのペースで制限時間までにゴールできるかどうか尋ねてみる。
「う〜微妙」との返事。ここまできて70キロ過ぎまで走って時間オーバになるのはいやだ。
意地でも時間内完走を果たしたい。俄然やる気がでてきた。ゆるやかな山道をひとりで登る。
士別の町からひとり旅が続く。キロ5分半ぐらいにペースは上がっている。
今日時間内ゴールを果たせなかったら明日はないのだ。走るしかない。時間がない。
幸い夕暮れどきになった。これからは涼しくなって走りやすくなるはずだ。
またもや熊の恐怖が
夕暮れどきになり走りやすくなったが、またもやとんでもない恐怖が襲う。
夕暮れ時にひとりで熊の出没するところを走ることになる。ひえ〜助けてくれと叫びたくなる。
がしかし時間もない、熊除け鈴をがらがら言わせながら先に進む。
気持ちが焦っているので、相当なスピードで走っている。
75キロを過ぎたあたりで遠く先を見渡すと、かすかに先行するふたりのランナーの姿が見える。
ひとりで熊の出没するところへ突入するのはまっぴらごめんである。
かすかに見えるふたりのランナーを猛スピードで追っかける。
やっとふたりのランナーに追いついたところは、智恵文のひまわり畑の近くであった。
熊の恐怖が消えたわけではないが、3人で行けば恐怖も和らぐというもの。
追いついた頼さん大西さんに感謝しながら、一緒に走らせてくださいとお願いする。
薄暗い夕闇の中で目を凝らすと、ひまわりがいっぱい。
なんと道の両側ともに智恵文の広大なひまわり畑が続く。夕暮れのひまわり畑にしばし見とれる。
ひまわり畑を抜けるころには、あたりは暗くなっていた。
ラストスパート
智恵文のひまわり畑からずっと3人で走る。なんとも心強い。
あと20キロ時間に余裕がないので休むことはできない。
また道を間違えコースアウトすればそれで終わりである。慎重に地図読みしながら進む。
相変わらず直線の長い長い道を進む。道路の数を数えながら道を間違えないように細心の注意を払う
90キロ地点で今日最後のコンビニを見つける。
ここで今晩の食事と明日の朝食を仕入れるように言われている。がしかしそんな余裕なない。
今晩は食事抜きを覚悟して残り10キロを走り続けることになる。
ふと気が付くとランナーが増えている5名ぐらいの集団になった。みんなでギリギリのゴールを目指す。
気が焦っているので走るスピードは相当速い。
暗闇のなか背中につけた赤い点滅ライトがなんとも頼もしく見える。
あと10キロここまでくればやるっきゃないのである。魔法のみつあみロープにお願いする。
走れますように。足が動きますようにとお願いするのである。
感動の100キロゴール
美深大橋を過ぎるとあと5キロ。ゴールの美深温泉までは気を抜かず全力で走る。
暗闇の中美深温泉の明るいネオンサインが見えてきた。やっとたどり着いた。
もう足はぼろぼろである。
ゴール前一緒に走っていただいた先輩諸氏に先にゴールしていただき、後からゴールした。
21時50分激闘の末やっとの思いで掴んだゴールである。
とてもゴールできるとは思わなかっただけに実際ゴールしてみると深い感動を覚える。
そして涙が出てきて止まらない。早くゴールしたランナーが祝福してくださる。
一緒に走ってくださったランナーが祝福してくださる。もうなんと嬉しいことか。
終わった後は温泉の自販機で買ったカップラーメンとビールで乾杯するのである。
一緒に走ってくれた皆さんありがとう。そして魔法のみつあみロープありがとう。
第6ステージ
8月18日 美深〜浜頓別 80.5K 走行時間14時間45分 節度時間内完走
つらいスタート
今日も5時スタートで4時40分から今日のコース説明である。スタート前から足が重い。
当たり前である。昨日は100キロの長丁場を全力で走った。
昨夜も充分アイシングしたのでので足は動くが重い。鉛の塊を動かしているようだ。
どうにも辛い一日になりそうだ。
スタートして直ぐ最後尾をとぼとぼと歩く、とても走る気にはなれない。ゆっくりと歩く。
昨日は頑張った。そのしっぺ返しが出て当然である。ただひたすら歩き続けて足の回復を待つ。
今日は幸い厚い雲が太陽を覆っている。曇り空で気温も低いように感じる。このまま曇り空でいてくれ
太陽を隠しておいてくれ。このあたりの風景の記憶がない。ひたすら歩きに集中していたように思う。
奥代さんを思う
奥代さんを思い出していた。苦しい時天国から応援してくださっている。
奥代さんが他界された、暑い中お見舞いに行ったが間に合わなかった。
奥代さんにはいろいろとお世話になった。阿蘇の100キロマラソンに連れて行っていただき、
大会の前後はキャンプなどを行い楽しかった。
伴走にもご理解ある方で、大阪ミントの方々をたくさん伴走者として連れてきてくださった。
喪章を奥代さんと思ってずっと付けて走った。奥代さんとともに北の大地を走った。
奥代さんに守られているように思えてならない。
チク!
ふくらはぎに痛みを覚える。足がつったような痛みを感じる。
あわててふくらはぎをさすると、なんと虫が2匹ふくらはぎを刺しているではないか!アブである。
人間の汗のにおいに誘われたか、アブがたくさんよって来ている。体のまわりをブンブン飛び交う。
飛び交うだけならいいが刺さないで。常に動かしている足を刺すとは、
余程ゆっくり走っていたからだろうか。刺された後がかゆくてしかたない。
過疎に思う
20キロの音威子府(おといねっぷ)の町を過ぎると、急に車の数も減った。
音威子府からはJR宗谷本線とは離れ山越えをくりかえしながら、
オホーツクの港町浜頓別まで走るのである。まずは天北峠ごえである。
相変わらず足は重いが、走れる自分がいること自体嬉しくてたまらない。
ゆっくりと長い坂道を駆け上がる。天北川に沿っているので涼しげな清流の音を聞くこともできる。
天北峠の頂上ではスタッフが給水してくださる。また水のボトルもいただける。
ほんとに地獄に仏である。天北峠を降りきると小頓別のちいさな町があった。
山間に点在するちいさなちいさな町である。この小頓別のトイレで水浴びをしてスッキリする。
CP6の上頓別三叉交差点では長田牧場まで15キロの看板があった。
あの私設エイドをしてくださる牧場である。相変わらず民家は少ない。
兵安の町でもわずかな農家しかない。美しい山々に囲まれた自然がいっぱいのこの地域。
確かに交通手段は車しかなさそうだ。路線バスはあるんだろうか。バス停を見た記憶がない。
今は夏、緑の木々が風に揺れて作物も豊かに実りそうだ。
が厳しい冬を想像すると人々が暮らしていくには辛すぎるだろう。頼りはこの道路だけだろう。
この道路が雪で使えなければ、どこにも行けない。
この50キロ過ぎの兵安の町の人々は冬場どんな暮らしをなさっているのだろう。
求道者たち(アルティメイト)
アルティメイトの方々は、宗谷岬から襟裳岬を往復するのである。私の倍の距離を走るのである。
なんとも凄い!
足は腫れ上がりロングスパッツの裾を切り刻んで、足のむくみに対処されている。
また靴下もゴムの部分を切り刻んでおられる。
もうなんとも見ているだけでこちらのが足まで痛んでくるようである。それでも走り続ける。
太陽に焼かれた肌はすでに赤銅色を通り越して今にも火を噴きそうな色である。
それでもなお、先に進まれる。ゴールの宗谷岬を目指されている。
まるでなにかを追い求める求道者の風貌である。
しかしお顔は穏やかな柔和なお顔である。まるで仏様のような。
長田牧場から中頓別の町へ
58キロぐらいの長田牧場についた。
干しわらロールを重ねたキャンパスにトランスエゾ歓迎の文字が見える。
なんともありがたい歓迎である。この私設エイドで自家製のアイスクリームをいただいた。
まったりと濃厚なお味に北海道を感じた。干上がった体に冷たいアイスクリームが染み渡っていく。
お土産にチーズまでいただいて早速出発である。
もっとゆっくりしたかったが、またまた時間が気になりだした。
止まらす歩かずゆっくり走るをモットーに進むしかないのである。中頓別は大きな町である。
街中のケーキ屋さんのソフトクリームの看板につられてふらふらと入ってします。
コーラを1本飲み干しスフトクリームを舐めながらいざ出発。カンカン照りの日中は食欲がない。
このコーラとソフトクリームの組み合わせでよくエネルギ補給した。
日常生活ではカロリの取りすぎで考えられない取り合わせだが高エネルギを必要とする今は
いい組み合わせのように感じる。そしてなにより食べやすいのである。

夕日に照らされて
中頓別の町を過ぎたあたりで貝畑さんと合流できた。
今日の貝畑さんは、速いランナー達と一緒に走って交流を深めたそうである。
だから今日は初めてコース上でお会いするような気がする。
浜頓別の長い長いトンネルを抜けると、急に風が変わった。涼しい浜風を感じた。
海が近いことを暗示するかのような風である。1台のマイクロバスが通りかかる。
水産加工場からの帰りのバスのようであるオホーツクの海が近いと思うとなんだかワクワクしてくる
地平線のかなた防風林の間から真っ赤な真っ赤な大きな太陽が沈んでいく。
あたりをオレンジの世界に染めながら大きな太陽が沈んでいく。
一緒に走っていた頼さん中島さんあんころちゃん貝畑さんの服もリュックもオレンジ色に染まっている
綺麗な夕日を照らされてしばし幸せな気分に浸る。
がしばし頼さんからそんなに時間的な余裕がないことを知らされる。感傷に慕っている場合ではない。
ゴールの浜頓別
あたりはどっぷりと日が暮れた。漆黒の闇があたりを包む。
ランナーの灯すわずかな明かりとリュックに灯る点滅ライトの明かりが漆黒の闇に浮かび上がる。
あんころちゃんは足が痛いのかシューズを脱いで裸足で歩き出した。ゴールは近いのである。
浜頓別は町の街灯が整然と並ぶ綺麗な町である。「海だ」と思わず叫んだ。
左手に水面が見える、オホーツクの海だと思った。
がしかしそこは白鳥の飛来するクッチャロ湖だとの説明を受ける。
大きな湖に舞い降りるオオハクチョウを想像する。
ゴールの後は洗濯・お風呂を割愛して浜頓別の寿司屋で三色丼を食べた。プレ打ち上げである。


第7ステージ
8月19日 浜頓別〜宗谷岬 60.7K 走行時間11時間27分
いよいよ最後のステージ
今日も5時スタート。昨日も大坪さんの氷をもらってアイシングした。足は疲れもとれてよく動く。
今日は大丈夫なようだ。なんか名残惜しい。
今日はクッチャロ橋まで歩いてそこで御園生さんにハイタッチして走り出すのだそうだ。
これが例年の儀式だそうだ。空には低く低く分厚い雲がかかっている。
今日こそ晴れないでいてくれと願う。


原生花園から直線道路
松の林のところもあるが小さな植物がその鮮やかさを競っているような原生花園を走る。
今日も最終ランナーのようであるが気にせず走る。
原生花園を抜けると大草原の中に1本の直線道路が9キロも続く。
両側の大草原が浮き上がって見える。まるで巨大な宇宙船にのっているような錯覚に陥る。
雲が低く垂れ込め1本の道路上に蟻のようなランナーが連なって走っている。
この直線道路は行けども行けども終わりがない。大草原と1本の道路は果てしなく続く。
最初は感動してもしばらく進むとその単調さに飽きてしまうのである。




LOVE TRANS YEZO
一直線が終わるとオホーツクの海にでる。
思えば7日まえ襟裳岬でみた海は太平洋、この海はオホーツクの海である。
遠い遠いところまで来たものだ。砂浜を走るのだが正直走りにくい。しかし世界の貝畑さんは違った
サハラとかゴビとか砂漠のレースでも活躍されている方である。
この走りにくい砂浜を楽しんでおられるようだ。
主催者の御園生さんが砂にLOVE TRANS
YEZO文字を書いて待ってくださっている。