「海自給油転用疑惑 新たな火種」。このリードは去る9月28日の産経紙が使用し、同29日読売紙が「海自給油転用疑惑 野党が追及」と追随した。今ではテレビでも「給油転用疑惑」の合唱を聞かぬ日はない。言うまでもないが、今臨時国会の重要課題である海上自衛隊の補給継続問題で、米艦船などが補給を受けた燃料をイラク作戦など、目的外に使用したのではないかと言う問題が生じていることを報じたものである。だが、メディアが「疑惑」と騒げば、世間は、海上自衛隊の給油活動も見た目には格好よいが裏では何事か、よからぬ不正や悪事を行っているのでないかと色めき立つ。明らかに、野党と世論が騒ぐのを心待ちするかのように問題の重大化を滲ませている。ここで紛らわしいのは、転用疑惑と言うのは転用「容認」又は「黙認」らしいのである。目的外使用の「疑惑」を言うなら補給を受けた米艦船の方であろうに、明らかに追求の矛先はわが国の政府ということになっている。
だが、その矛先の適否は一先ず措くとして、軍艦が軍用に貰った燃料を市場に横流しでもしたと言うなられっきとした転用疑惑とも言えようが、貰った燃料で自己の活動海域内を駆け回るのに海域を区分しその燃料の使い分けに注文をつけられても困るだろうし、実際に燃料を呉れる方の都合で貰う方に注文を付けたとしてその注文どおりでないのではと疑惑をかけること自体も滑稽である。なぜなら軍事の「いろは」に通じておれば、自国の海自補給艦ならともかく、作戦下の外国の艦船が日本の常識に従って行動するわけがなく、その行動の詳細を正直に公開することもないだろうからである。
同盟、友好国、約束、信じたい気持ちは分かる。だが「兵は詐を以って立つ」。淡い期待に国家の大事を託すほど愚かな国は古今東西、某国を除いてないだろう。仮に公開されたとしてもそれで全てだとか真実だとか思わない方がよい。戦闘に参加しないことになっている海自の補給艦が進んで情報公開の要求に応じるのとは違うのだ。とは言え外交上の問題でもある。米国からのリップサービスは得られよう。だが米艦船の「疑惑」は解明される筈はがないのだ。政府叩きに「疑惑」は魅力的である。政府が狼狽すれば「騒ぎ」になる。この転用疑惑騒ぎがもっと大きな「海自給油は憲法違反」の騒ぎを引き起こすための格好な起爆剤だったにしても粗雑の感は免れない。 結論から言えば、この騒ぎ、「まことに日本らしい騒ぎ」の一語に尽きる。日本らしいというのは揶揄を込めてである。すべては特殊の国の普通の出来事なのである。
いわゆる「転用疑惑」この給油転用疑惑の騒ぎは、アフガンテロ特措法の期限切れを前にして、海自給油活動の継続をめぐる政府与党と野党勢力の衝突から始まった。給油活動は今やわが国の国際公約みたいなものでその継続は政府にとって政争の具にしてはならないものであったが、その望みを断たれたことを理由に安倍政権が自壊したことで先の参院選で大勝した野党勢力を勢いづかせる結果になった。新内閣は、人心一新、辞を低くして野党と協力し新法制定で苦境を脱しようとしているものの、野党はインド洋に於ける海自給油活動自体を憲法違反と断じているため、論ずべきはわが国の国益を踏まえた国家戦略や外交のあり方だろうに、大事な議論は何時ものように憲法の呪縛で自由を失い騒ぎの中に埋没した観を呈している。
イラク、アフガンともに、わが国は非戦を条件に自衛隊をもって関わりを持っている。そのことは国益を考えてのことだろう。そのための活動がしづらいなら、その根拠なった法律が可笑しいと考えるのがまともではないか。法律を責めるべきだ。法律で活動を縛るから国益が曖昧になる。国際常識と軍事常識を欠いた法律では国際活動は律しきれない。 その震源は民主党党首の「アフガンのテロとの戦いは米国が勝手に始めたことで、それに加担する行為は国連の決議に基づくものではなく海上自衛隊によるインド洋での給油活動はわが国の憲法違反」という趣旨の発言にあった。国会で定めた国連決議1368号に基づくテロ特措法への挑戦である。しかしこの挑戦の壁は厚い。そのため、この法律に基づかないイラク戦争加担の疑惑(「転用疑惑」)を引っ張り出して騒ぎの起爆剤にしたということだろう。
憲法違反となると政府も弱い。粗雑な「転用疑惑」の起爆剤にも怯え、当たらずさわらずの心もとない対応がテレビに映し出される。防衛通の理論家とされる再登板の防衛大臣は「状況はまだ承知してないが、そういう事実があれば大変だ。事実関係を調べねばならない。」と事実があったらどうするのか傍が心配なほど驚いて見せ、これまた元外務大臣の経験豊富な官房長官は「米国に問い合わせているところだ」と受け流した。
その後、政府防衛省は断片的に、「平成15年5月25日海自補給艦が米海軍給油艦に補給した給油量を20万ガロンとしていたのは実際には80万ガロンだった」と訂正し、「平成13年12月から同19年8月末までに米英の補給艦に渡った給油量は26万7000キロリットルで全補給料の55%に当たる」と説明、また「105回の給油中88回はイラク戦争の平成15年3月以前である」と発表をしたが、野党は矛を収める気配にない。
この転用疑惑については、無所属の江田憲司議員から政府に対し、NPO法人「ピースデポ」が入手したとされる米国海軍公文書に基づき「米空母キティホーク」への自衛隊補給艦「ときわ」からの間接給油に関するA4一枚四項目、7つに亘る詳細な質問趣意書なるものが出され、政府からは10月2日、本人宛に簡単な答弁書が送られている。 一連の趣意書の質問事項に対し、政府の答弁書は、米側に確認したところとして「テロ特措法(注)の趣旨と目的に外れて使用されたことなく、今後とも使用することはありえない旨の回答」があったとしているものの、趣意書の末項に掲げられた質問「仮に米国海軍公文書の記述が正しいとすれば、テロ特措法違反、日米交換公文違反の疑いを惹起すると考えられるが政府の対応如何」には答えていない。
政府としては、文書の記述は誤りあれば救われるが、正しければ質問の罠に嵌まる、いずれにしても、その正誤を判断する自前の手立てはないのが幸いして答えられないのが実情だろう。 因みに趣意書では海自補給艦「ときわ」から米海軍補給艦「ペコス」を通じて間接給油された米空母「キティホーク」は「インド洋上の海上阻止行動(OEF-―MIO)ではなく「イラクの自由作戦」あるいは「Operation Southern Watch」に従事していたことが濃厚ではないかとしている。
特措法・交換文書違反疑惑なら政府は窮地に立つ。しかしそれを言うなら「転用疑惑」は「転用事実」でなくてはならない。「転用疑惑」で特措法・交換文書違反疑惑の解明は出来ない。「疑惑」で「疑惑」の解明を騒いでもそれは所詮空騒ぎに過ぎない。
(注): 「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対してわが国が実施する措置及び関連する国際連合決議に基づく人道的措置に関する特別措置法」
見飽きた光景いつものことだが、この種の自衛隊がらみの問題となると、外を向いて議論しなければならないものを、ただ内向きに大騒ぎし、騒いだ後に何の実りも産み出さず、しばらくするとまた同じような騒ぎを繰り返す。外より内が大事ということだろう。だが、外の世界は止まることなく動いている。騒ぎは好きな人に任せておればよい。国を挙げての騒ぎは国家の壮大なる無駄である。それでも目先の平和で失うものが無ければそれでよいではないかというのは刹那主義者の独り善がりに過ぎない。国の将来を案ずるほどの者なら、この国が気付いてみたらどこかの国の保護国に転落していいたなどならぬよう「まことに日本らしい騒ぎ」は程ほどにしておくべきだ。
だが不幸なことに、自衛隊となると憲法とくる。自衛隊と日本国憲法、この古くて新しい取り合わせは、手を変え品を変えて騒ぐには格好のネタとなる。昭和26年自衛隊の前身である警察予備隊の発足以来、自衛隊をめぐる違憲合憲論争は野党と政権与党の最大の争点、合憲論が既成事実の後付論的な色彩を帯びることもあり憲法論は百家争鳴、最高裁も合憲違憲の判断には踏み込まなかった。その間、自民党の長期政権と旧社会党の万年野党が常態化すると、論争は論争のための論争と化し、変転進化する現実とは乖離し、野党は政権の揚げ足取りに狂奔、政権与党は言い逃れに汲々といった具合で、何の解決も見いだすことなく次元の低い政争の具に堕して来たという経緯がある。
善良な国の民は、声高な憲法の番人たちの審問を恐れて声を潜め、メディアは番人たちと通じた如く歩調をあわせ時に臆面も無くエールを送る。政府の閣僚、要人は出来ればその論争から逃れたいし、逃れられなければ、慎重の上にも慎重、発言はその役職地位に相応しかろうがなかろうが言質だけは取られぬことに腐心し、野党は野党で国家国民は口にするが、大局や常識はそっちのけ、ただひたすらに、使い古しの憲法と自衛隊の悩ましいネタを持ち出して政府の逃げ腰と矛盾点を攻め立てる。この見飽きた光景は安倍政権で終焉するかの期待を抱かせたものの、今日の政治状況には本家帰りの失望感が漂う。
特殊な国から普通の国へ自衛隊の給油活動は憲法違反と息巻く野党の党首は小沢一郎氏である。氏は、嘗て「普通の国」の論者であり、ペルシャ湾海自掃海艇派遣の推進者であった人である。その矛盾を突かれてか、10月5日付党機関紙でアフガンへの ISAF(國際治安支援部隊)参加という勇ましい提案を唱え出し政府与党のみならず野党内にも衝撃と疑念を生じさせている。それこそ武器を手にした地上部隊の海外派遣で憲法違反ではないかというわけである。野党内に物議を醸さないでは済まされない。その物議に足並みの乱れを怖れたか、ISAF参加は武力行使でない分野があると歯切れの悪い参加論に後退してしまった。
確かに、氏の民主党党首としての言動には、嘗て政界に新風を吹き込んだ勇気ある政治家としての面影なく、今では国家の大事も政争の具となると思えば節操もなく弊履の如く投げ捨て恥じるところがないのは哀れを誘う。が、氏の人物論はさて措くとして、彼の洋上給油憲法違反論やISAF参加論の背景にある「自衛隊の国際活動参加の是非は国連決議の有無に拠る」という主張は無碍に排斥すべきではないと思える。
これは、従来、政府が採って来た自衛隊活動に関する憲法の解釈論に背馳するとはいえ、いつも不毛な議論を引き起こす自衛隊の国際活動にすっきりした根拠を与えようとする狙いは一考に値すまいか。「転用疑惑」の騒ぎなどよりよっぽど真面目だ。
これもまた憲法に触らず自衛隊と憲法の悩ましい論争を避ける点では解釈論の範疇を出ないが、その当否賛否は別にして出口のない自衛隊と憲法の論議に一石を投ずるのは確かだろう。国家の在り様を論ずる好機である。 勿論、政権奪取を目指す野党のリーダーが政府を窮地に追い込むに自衛隊と憲法の問題ほどエキサイティングなものもないだろう。自衛隊の国際活動は、世界と軍事の常識から遠くはなれた、何時転落するとも知れない憲法解釈ぎりぎりの綱の上を歩いているのだから。ただ、その故にこそ國際注視の中でわが国の鼎の軽重が問われようかという場面で政争の具にしてはならないのだ。
憲法違反のなすりつけあいからは展望は開けない。ISAF参加の提唱者が嘗ての勇気ある筋を通す政治家に立ち返り、騒ぎが欲しいマスメディアも国家あっての騒ぎと節度を心得れば、この国も遠からず「特殊な国」から「普通の国」になる日がくるだろう。そうなれば、「特殊な国の普通の出来事」も「普通の国の特殊な出来事」になっているに違いない。このためには、政権与党もただ綱の上から落ちることを恐れて野党の十八番(おはこ)を奪うような「ISAFこそ憲法違反」などと叫ばず、大地を堂々と闊歩できるよう退路断って野党と向き合い自衛隊と憲法の悩ましい坩堝から脱すべきは言うを俟たない。
(平成19年10月9日)