目が覚めたら、身体のあちらこちらが痛かった。
(何故・・・昨日何が・・・)
ロイは起床時間よりも早い時間に目が覚めたら二度寝するのが常だ。
だが、今日はそんな気にならなかった。
寝てすっきりしたというより、漂っていた意識が浮上してあるべき場所に戻ったという
睡眠とは程遠い感覚だったからだ。
「っ!!」
現在の自分が置かれた状況の原因が瞬く間に頭に蘇えると、ロイは両手で顔を覆った。
(そうだ・・・昨日ハボックと・・・)
昨日ハボックと寝た事実を否定したくとも、身体に付けられた痕跡がそうはさせてくれない。
事実を振り返ると、寝たというより襲われた現実に、ロイは男として屈辱で憤死しそうになった。
(何でこんな・・・)
こんなことになるなんて思っていなかった。
自分がハボックという男をかなり甘く見ていた証拠だ。
強気なんだか弱気なんだか分からない性格で。押しが強いかと思えば、一転して弱くなる。
こいつにはそんな度胸はない、と心のどこかで思い込み、安心していたのだ。
それがこの結果だ。ロイは己の読みの甘さを自嘲した。
司令部に行けばハボックと会う。それは避け様のない事実だ。
昨日の今日でハボックと顔を会わせるのは気まずいなんてものではない。
ハボックとのことも頭が痛いが、それ以上に悩ましい問題がある。それは中央の愛妻家の親友兼恋人だ。
2、3日前にヒューズからの電話があり、1週間後にヒューズが東方司令部を訪れる予定だ。
体の関係がないとはいえ、恋人のヒューズに会って、このことがばれたらと思うと、ヒューズはどう反応するのだろうか。
怒るだろうか。自分のために怒ってくれるだろうか。
ヒューズにハボックを殴って欲しいとか、そういうつもりではない。
そうではなく、ヒューズの反応を知るのが怖いのだ。
一番怖いのは、ヒューズが何の関心も見せなかったら・・・だ。
ヒューズの気持ちを疑っているわけではない。だが、本当は、自分が思っているほどヒューズが
好きでいてくれないのではないか不安なのだ。
この一件を機にヒューズの心が自分から離れてしまったらと思うと、とてもではないが言い出せない。
そんな男ではないことを誰よりも自分が一番知っているのに、それでも一抹の不安がその考えを侵食する。
こんなことになるなら、ヒューズと関係を結んでおけばよかったと今更ながら思う。
ロイはハボックのことを嫌いではない。だが、体の関係を結びたい相手とは思っていなかった。
こうなった今となってはもう取り返しがつかないが・・・。
ロイはどうしたらよいものか途方に暮れた。
幸いなことに、ヒューズと顔を会わせるまで1週間の時間がある。
素知らぬ顔で、いつものように振舞っていればいいだけの話だ。
そうすれば、今まで通りの関係でいられる。それくらい分かっている。
だが、実際会ったときのことを考え、果たして自分にそれが貫き通せるかどうか不安だった。
上官の前で白を切り通したり、何事もなかったかのように済ませることは簡単にできる。
仕官学校時代から得意だった。
(できるはずだ・・・。)
ヒューズの前では絶対に悟らせぬようにしなくてはいけない。
ロイは心に固く誓った。
(そういえばハボックはどこにいるんだ?)
司令部で会ったらどうするか、と考えていたので、ハボックがまだ家の中にいるという可能性を失念していた。
辺りの様子を探る。誰かがいる気配は感じられない。
物音は外から聞こえてくるだけで、家の中からは何の音も聞こえてこない。
(帰ったのか?)
ハボックがいつ去ったかは分からないが、とりあえずこの家に自分以外の人間がいないことに胸を撫で下ろした。
正直、朝起きてハボックが居なかったのは助かった。
そう思うのと同時に後始末が綺麗になされていた自分の身体を見下ろし、目の前に怒りをぶつける
相手がいない、発散できない怒りがこみあげた。
そのまま放置されるよりは全然いい。
だが、あの後また自分に触れたのかと思うと、果てない憤りがこみ上げてくるのだ。
そして、下半身を襲う鈍痛。
少しみじろぎするだけで、痛みが響き、ベッドから下りようとするだけで、冷や汗が出た。
原因を作った張本人がここにいないというのはどういうことだ。
矛盾する苛立ちを覚え、それでも出勤しなくてはいけない義務感で身体を無理矢理動かす。
下半身に痛みが一気に走り、そのままベッドに突っ伏しそうになった。
やっとのことでベッドから這い出し、壁や周囲の棚、机に手を置きながら、苦労の末に洗面台まで辿り着くが、
鏡を見たことで、昨日の自分の醜態を思い知らされた。
鏡に映った己の顔は、瞼が腫れ、泣いたことを一目瞭然で、痛みで押さえ込まれていた怒りがまたこみ上げる。
(身体の後始末をするなら、瞼の腫れも冷やしてから帰れ!!)
目敏いホークアイではなくとも、この異変に気付くだろう。
部下達から指摘されることが簡単に予想できるので、言い訳を考えるが、上手い説明など何も思いつかない。
大人の男が瞼を腫らして出勤など、いい噂の的だ。
少しでも腫れを引かそうと、水で顔を洗った。
水のあまりの冷たさに、毎朝お湯で洗う温かさとのギャップに惨めにさえ思えてくる。
(あの駄犬、調教し直しだっ!!)
蛇口から流れる水の音と、念入りに顔を洗う水の音がパシャパシャとしばらくの間響いていた。
遅刻をするとホークアイに睨まれ、その度に遅刻の原因を追究される。
今日ばかりは下半身の痛みで、説教を聞くのが面倒で、いつになく辛いので、ロイはいつにもまして時間を気にして支度した。
時間通りに迎えの車に乗るが、その際には運転手に顔を見られぬよう角度を気にして乗り込み、痛みに泣く身体に気付かれぬよう
注意して振舞う。一番辛かったのは、車の振動が腰に響き、絶えず襲い掛かる痛みに何食わぬ様子で堪えなければ
いけなかったことだった。
司令部に到着し、ドアが開けられるが、すぐに立てなかった。
下を向いて痛さと格闘していると、運転手は勝手に居眠りをしていると思い込んで、
「起きてください、sir」と起こそうと声を掛けてきた。いい時間稼ぎだった。
痛みの山が過ぎると、運転手を体よくあしらい、落ち着く場所を求めて真っ先に執務室に向かった。
何しろ腰が痛みを訴えるので、休憩と称してサボりたかったが、この身体だと機敏な動きができない。
移動中にホークアイに発見されて連れ戻されるのは目に見えている。
真っ先に執務室に向かったのも、落ち着いて体を休められる場所を求めたのと同時に、
下手に仮眠室や中庭に行っても、逃げられず簡単に捕まるからだ。そして、ホークアイのありがたい説教が始まる。
体に負担をかけたくない今日は、大人しくしていた方が懸命にちがいない。
ロイは集中して仕事をするのは無理だったが、ホークアイの小言をもらわない程度には
仕事をすることにした。
痛みに耐えながら書類に目を通していると、控えめなノックする音に顔を上げる。
「ハボックです。」
ロイの機嫌は只でさえ悪いのに、その一声で急降下した。
朝から苛む痛みをこしらえた張本人がやって来れば当たり前だ。
いつもはノックもせず、声を掛けると同時に入室してくるハボックが、それをしないということは、
やはり昨日の一件を気にしているせいだと察することができる。
無視するか、扉とその向こうごと燃やすか迷う。
「・・・・・・何だ」
「書類にサインを頂きたくて・・・入っていいっすか?」
内心の回答はノーだが、これは仕事だ。
公私混同するわけにいかない。
燃やすのは仕事が終わった後でも出来るのだ。
「入れ」
静かにドアが開き、目線を下にずらして入室してきたのは、まぎれもなく昨日自分を犯した男だった。
ハボックは長身で筋肉もよく鍛えられているので、軍人らしく逞しい。だが、その男が今日は殊更小さく見えた。
今にも死刑宣告を受ける囚人のようで、顔も青褪めて、精悍な顔が今では青白い。
(何だこれは)
ハボックはロイと目を合わせようとせず、ゆっくりと近づいてくる。
近づいてくる内にハボックの様子がより詳細に分かり、薄ら滲んだ汗に書類を持つ手が細かく震えている。
(まるで私が苛めてるみたいじゃないか。被害者は私なんだぞ!!)
手を伸ばせばロイの執務机にギリギリ届く位置で、ハボックは止まった。
「お願いします・・」
声も弱く、少しの物音で掻き消されてしまいそうに儚い。
(何だ!何なんだ!何だというのだーーーっ!!)
自分こそが被害者なのに、加害者の当人のこの弱々しさに、まるで自分が苛めているかのように思えてくる。
これではどちらが被害者なのか分からない。
理不尽な思いに駆られ、問答無用で手加減なしに責め立てるつもりが、気が引けてしまい、
しょぼくれる目の前の男に浴びせるはずの言葉が出てこなかった。
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