眼前にマグカップを持ったロイの手が曝された。

「冷えただろ?」
「ああ!!はいっ!!」

ハボックは熱い珈琲が入ったカップを渡されると、手で挟み温めた。 というのはあまり正しくない。本当のところ大して冷えていない。
その体勢をとることで自分を落ち着かせているのだ。

(初めて入れてもらえた・・・)

ハボックにとってそれは感激も一塩で、ロイに家に上がってもいいと言われたとき、 とてつもない感動が沸き起こった。
本当にいいのか、と聞く自分に、ロイが「今更何を言ってるんだお前は」と返され、 これがロイのからかいじゃないことが分かると、顔が思いっきり喜面になるのがハボック自身も分かった。

「そんなに嬉しいか?」
「当然です!!」

ロイがハボックを入れてやろうと思ったのは、これまでの従順さをねぎらう気持ちと、 ハボックがかなり家にあげてもらえないことについて気にしている様子だったからだ。
ロイとしては自分の最もプライベートな空間に、恋人とは思っていないがキスする関係とはいえ、仮にも部下を あげるのはどうかと思っていた。
しかし、ヒューズしか入ったことがない場所であるという気持ちもあるのは否定できない。
むしろ、そっちの方が頭にあった。

ほだされているのかもしれない。
従順に尽くす犬に、家くらいに入れてやってもいいくらいには思うようになってきた。
それに、もしこの犬が盛っても、女ではないのだから自分で防衛できるとふんだ。
加えて、自分は炎の錬金術師なのだ。 非常事態に対応できる能力は十分ある。
間違っても何か粗相をしたら燃やすことができる。
珈琲カップに口付け、にやけている部下を一瞥し、雪で湿った上着を脱ぎ、 ロイもハボックを座らせているソファに身体を沈めた。




心臓の鼓動がよく響く。
こんなに大きいのに、ロイに伝わっていないのが不思議なくらいだ。
口元に寄せた熱い珈琲を含みつつも、その熱さなど全く意識にすら上らない。
これはここのところの欲求不満が見せた夢だろうか。
仕事に追われる毎日、夢で悶々する数日間、そして一番は数日間ロイに会えなかった寂しさに我慢していた 自分へのご褒美にちがいない。
珈琲に口付けるロイの横顔をそっと見遣る。
仕事場とは異なる、プライベートなロイを見ていることに、一歩また距離を縮められた実感が湧いた。




ヘビースモーカーなハボックは、落ち着こうとすると煙草を吸う癖がある。
今回も例に漏れず、珈琲を受け取って間も無くして吸いたくなったが、ここが上官の家だと思い我慢していた。 だが、欲求には勝てず、ハボックは胸ポケットに常備している煙草とジッポを取り出した。

「大佐、申し訳ないんですが、煙草吸っていいっすか?」
「構わん。ああ、ちょっと待ってろ」

ロイは立ち上がると、一旦奥の部屋に行き、探し物をしているようだった。
物をどかす音と引き出しを開ける音が聞こえる。
言われた通り、そのまま大人しく待っていると、すぐロイが灰皿を持って戻ってきた。

「使うだろ?」
「大佐は自宅では吸われるんですか?」

机の上に置かれた灰皿に、ハボックは素直な疑問をぶつける。
その後すぐ後悔した。

「私は吸わん。ヒューズが娘が生まれる前まで吸っていたんだよ」

だから置いてある。
昔を思い出したのか、口元に微笑みを浮かべたロイを見て、念願のロイの家に招かれ最高潮だった気分は 一気に冷水を浴びせられたかのように、すっと引いていく。

「もう使わないなら捨てればよかったじゃないですか」

知らず、口調がきつくなる。 ロイを責められる権利などないのに、つい嫉妬が前面に出てしまう。
たかが灰皿一つで、何でこんなにムカムカするのだろう。

「煙草を吸う来客が来た時、あったら便利だろう。一々また買い足すのも面倒だ。 それに、今既に役に立っているのだからな」

それもあるかもしれない。
だが、そんな可能性など相当低いのはロイ本人は分かっている筈だ。
なにしろ、軍大佐という地位にいて、常に身辺の安全に気を配らねばならない立場 であるのと、ロイの性格上、自宅に多くの人間を呼び込む真似などしなかったのは 警護しているハボック自身よく知っている。
将軍クラスの接待では、ロイ宅を接待場に使うなど絶対しない。
今のところ、ロイ宅に入り込める人間はヒューズ以外にハボックは知らなかった。

(ヒューズ中佐がまた吸うかもしれないからじゃないか?)

ハボックは考えなくてもよいことまで邪推してしまう。

「せっかく用意して頂いて申し訳ありませんが、それ使いたくないっす」

人の好意を拒絶する行為に誰だって憤りを示すだろう。 しかも人に世話を滅多にやかないロイの好意を拒絶したのだ。
案の定、ロイはみるみる内に怒りに顔を染めている。
人様の家にお邪魔してする態度ではないことくらいの自覚はあった。
何が気に食わなかったのか。
それは何食わぬ顔でヒューズの話をするロイが、幸せそうに笑っていたからだった。 ロイと今一緒にいるのは自分なのに、ロイを幸せに笑わせているのはヒューズだという事実だった。

「上官が部下のために用意してやったのに、いらんだと?」
「はい」
「では、お前は何に灰を落とす気だ?まさか床とかふざけたことを抜かすんじゃないだろうな?」
「吸いません。それに携帯灰皿を持ってるんで、どうしても吸いたかったらそっち使います。」

胸ポケットから出したタバコとジッポを再び元の場所に戻した。
その動作がまたロイの癇に障った。

「灰皿ごときで何を意固地になるんだ。・・・・ああ。なるほど。 お前、ヒューズのお古だということが気に食わんのか?馬鹿馬鹿しい。 物は物だ。誰の物だろうと有効活用できれば関係ないだろうが」
「馬鹿で結構です。何すか、その言い草は? 大佐にはオレの気持ちを伝えている筈なのに、他の男の話なんか聞かされたら 面白くないのは当たり前じゃないっすか。」
「話?灰皿のことを訊いたのはお前だろう?私はそれに答えたまでだ。責められる筋合いなど 毛頭ない。それに、お前は私の恋人ではない。お前が不愉快になるのは勝手だが、恋人でもない 私に八つ当たりをされてもお門違いというものだ」

ロイの言う事は正論だ。
それが、ハボックに火を点けた。


初めて家に入れてくれた事実は、少しは受け入れてもらえた証拠かと思った。

(でもそれは大きな勘違いだったんだ)

ロイはこのままでは自分の物にはならない。
それは動かしようのない事実だとハボックは確信した。

(オレを甘くみてるんじゃないか?)

怒りを隠そうともしない鋭い眼光で睨み付けてくるロイに真っ向から向き合う。
両者とも視線を逸らそうとせず、一歩も引かない。

(犬に噛み付かれるってことも知っておいた方がいいっすよ)

沈黙の中、ソファから立ち上がり、ハボックはロイの腕を掴んだ。




(up.05.03.02)

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