昼下がりの午後。
窓から差し込む陽光が直接当たり、暖かいどころか少し熱いくらいだ。
カーテンを閉めようと思いつつも、現在電話中。
電話から一旦離れて、わざわざカーテンを閉めに行くのも面倒なので、ロイはそのままで電話を続けた。
「で、どうだ?お前さんの犬は?」
「どうとは?」
相手の言いたいことは分かっていたが、わざと知らぬふりをする。
「とぼけるなよ、ちょっかいかけられてるんだろ?」
「別に。いつもと変わらん」
「毎日かけられてるってことか?」
「何だ?嫉妬してるのか?」
「当然だろ?オレはお前のことを愛してるんだぜ。」
「ふん。よく言うな。」
電話の先に繋がる男、マース・ヒューズはロイの士官学校時代の同期で親友、さらにそれ以上の関係にある。
だが、世間一般に云う恋人とは云えないのかもしれない。
それは、ヒューズの「愛してる」を聞く度に、空虚さと共に感じることだった。
「その言い草はねーんじゃねーの」
「そんなに気になるんだったら、お前があいつを牽制しておけばいいだろ」
「したさ。だから、誰か来るかも分からないドキドキの執務室で、お前にキスしただろう?」
「やっぱり狙ってたんだな。今後はあんな所でするなよ」
「お前だって、その後、少尉にキスしたじゃねーか。あれの方が、廊下だったわけだし、
誰かに見られるぜ。」
傍からでは、ヒューズと何でも通じ合っているように見えるロイでも、ヒューズが何を考えているのか分からない時がある。
わざとハボックに見つかるようキスをしてきた行動を、ヒューズの言動通りに受け止めてよいのだろうか捉えあぐねる。
戯れのキスなど過去から数えてみればキリがなく、ヒューズは暇さえあれば柔らかく抱きしめてキスをする。
深い濃厚なキスも数知れず。その時は必ず、「愛してる」「好きだ」と併せて、眼鏡から覗く翠が、ロイの心を震わせた。
だが、その先の行為はなかった。
それがロイがヒューズの愛に疑心を抱く原因だった。
女性人口が少ない軍隊という環境にいるのと、その外見のため、ロイは男に言い寄られることが過去何度もあり、
波が立たないように上手に全て処理してきたつもりだ。
男に言い寄られて喜ぶ趣味はなく、女性以外そういう関係を持つなんて考えられない。
ただ一人を除いては。
ヒューズとなら肉体関係を持ってもよかった。
性欲旺盛な青年時代からずっと今に至るまで、ヒューズはロイを抱こうとはしなかった。
同性に抱かれる自分を想像することができず、また、口付けと共に愛を告げられても、抱かれたいなど思わなかった。
できれば避けるにこしたことがないと思っていたので、ロイもわざわざ言い出さずに、そのままにしていた。
それなのに、繰り返し愛の言葉を紡ぐヒューズはロイの精神の奥深くまで潜り込み、いつの間にか親友としての
ヒューズの存在は己という存在の一部のように感じられ、最早切り離せない状態にまでなっていた。
つまり、ロイも気付けば、ヒューズを愛していたのだ。
だから、恋人同士ならば、自然に結ばれる筈の身体と身体の関係が一向にないことに不安になった。
愛を囁かれる毎に素直に受け入れられなくなった。
愛を囁かれる毎に胸の内に影を落とすようになった。
しかし、プライドが邪魔して、何故自分を抱かないのか、など訊けなかった。
「あれはあいつが、あまりにも情けない顔をしていたからだ。」
「同情か?」
「飼い主の愛情だ」
「オレというモノがありながら他の男にキスするなんて、飼い主の愛情でも酷いと思わねーの?」
「ペットへのキスだ、気にするな」
電話の向こうで、気にする、と言っているが、怒っていないのは無条件にロイが自分から
離れる筈がないと思っているからで、余裕が見れる。
ロイもそう思っている。
ヒューズが結婚して以降もこの関係が続いているのは、そのためだ。
ヒューズの愛に疑心を抱きつつも、それでも無条件にヒューズが自分から離れていかないと分かっている。
「お前だってオレのことを愛してるだろ?」
「別に」
「本当に素直じゃねーの」
軍用回線でこの男はよくこんなことを抜け抜けと言えるものだ。
ロイはいつものこととはいえ半ばあきれた。
それでもそんなところをひっくるめて自分はヒューズのことを愛しているのだ。
今では、ヒューズの愛は肉欲を含んだ愛と異なるもの、つまり家族に向ける類の愛だろうと思うようにしている。
そう考えなければ、やっていられなかった。
恋人としての愛ではないならばと考えたとき、己の心を静ませることができるのは、その選択肢以外なかったのだ。
電話口の向こうからヒューズを呼ぶ声が聞こえた。
「悪いロイ、急な仕事が入った。また後で電話かけるからな。」
通話が切れ、ロイも受話器を置く。
部屋の主以外誰もいない執務室は静かだ。
ふっと息をつき、眩しさに目を細め、ぼんやり窓の外を眺める。
(いい天気だ。)
ロイは外に広がる青に、ヒューズの前でハボックにキスした日を重ねた。
あれから時間は経過しているが、その時の天気を記憶しているのは、その先週から2週間程天気が悪く、
湿気が天敵なロイは不機嫌な日々が続き、その日は、たまたま快晴だったためだ。
ハボックに告白されたことは、ロイの中で大きな位置を占めていなかったが、
こうヒューズに指摘され、改めて考える。
ハボックは若くて素直で、自分とは全く違う感情の表現をする男だ。
その気持ちの素直な表現に、子供っぽさと同時に新鮮味を感じる。
たとえハボックと同年齢であった時でさえも、自分には到底できないことだった。
キスしてやったのは、気まぐれの産物で、ヒューズへのあてつけの気持ちも隅にあった。
ロイにとって結婚は裏切りではなかったが、愛妻と愛娘自慢を機関銃の如く
語るくせに、語るだけ語った直後に、妻娘以外の人間に平然と愛の言葉を紡ぐ男に、少なからずの
苛立ちを覚えていたのは事実だった。
はっきり言えば、ハボックを利用したのだ。
ハボックの好意は以前から気付いていたが、従順な犬だ、多少からかったくらいでは
厄介事にならないだろうと、高をくくっていた。
気持ちを弄んでいる、と他人は評するかもしれないが、ロイはロイなりにハボックを可愛がっていたので
弄ぶ謂れ等何一つなかった。
(私はあいつのことをどう思っているのだろう)
先日、ハボックに正面から挑まれた。
勢いに圧され、ハボックの流れに乗ってしまったが、それでも適当にあしらってやるつもりだったのだが、
このままではそうも行かない気がする。
(嫌いではない。この私が直属の部下として置いているんだ。むしろ気に入っている)
キスくらいでは、ハボックをそういう意味での好きなのか図りあぐねる。
生娘ではあるまいし、いい年した大の男であるロイにとっては、
キスはスキンシップの一つにすぎない。
男となど昇進に関係するのだったらするが、昇進に関係なかったら願い下げだ。
ヒューズは例外だが―。
そんな自分がハボックと何故キスをしたかというと、ヒューズにも宣言した通りで、
(犬だからだ)
ハボックが懸念していた通り、ロイにとってハボックとのキスは、
まさしく犬を可愛がっているのと同等で、それ以上でもそれ以下でもない。
だから全く嫌な事ではない。
ハボックもそれに気付いていることは、ロイも察している。
それでもなお、ハボックはあきらめずにロイの後を追ってくることに、ロイは感心するのだ。
(忠犬とはこういうのを言うのだな)
忠誠を誓う部下としてでなく、自分を求める真剣さを透き通った明るい青に見て、思わずハボックの求めに応じた。
正直言えば、ヒューズに求めていた愛をあきらめていた心が、その目を見た瞬間ハボックの直接的告白にときめいたのだ。
「大佐、入りますよ」
ノックもしないで、遠慮なくやって来たのは、丁度今考えていた男だった。
「ノックくらいしろ」
上官の部屋に入室するというのに、銜えタバコのハボックをちらりと見やる。
大型。金髪。青目。垂れ目。煙草。
一つずつ目を引く特徴を挙げてみる。
どれをとってもヒューズと異なるタイプの男だ。
「人をじろじろ見て何を考えてるんすか?」
ハボックは出張しているホークアイの代わりに、ロイのサイン済み書類をまとめている。
上官の視線が気になり、顔をそちらに向けると、大好きな黒い瞳と目が合い頬を緩ませた。
ロイは「あなたに恋してます」と顔に書いてあるようなハボックに、呆れながらも、ついほだされてしまいそうになる。
「ああ、お前のことを考えてた」
「嬉しいことを言ってくれるんですね。その内容を教えてくれません?」
「お前という人間について改めて考える機会が、今までなかったと思った」
「もっと知ってみたいとか?」
「別に。今まで通りでいい」
「あの〜・・・ここは嘘でも『知りたい』って言うところでしょうが」
返ってくる答えもヒューズとは全く異なるものだ。
ハボックを今まで言い寄ってきた男共のように扱わないのは、犬という意味ではなく、もしかしたらヒューズと
どこか重なる点があるからかもしれないと思ったのだが、どこもかすりもしない。
突き詰めていく内に、ハボックへの興味が少し湧いたのは揺ぎ無い事実だった。
(今日はこいつを食事に誘ってやるか)
食事は大抵女性とデートで済ましているが、試してほしいとハボックは言っている。
少しは自分を慕う年下の男の気持ちでも汲んでやるか、とロイは未だかつてない気持ちになった。
「ハボック少尉」
ロイはおいで、おいでと手招きする。
上官の手招きする動作が妙に可愛らしく思えて、益々表情が緩む。
恋する相手の招きに応じないわけがなく、ハボックは戸惑うことなく吸い寄せられた。
「はい?何すか?」
「晩飯でもどうだ?」
数秒きょとんとしていたが、みるみるうちに目を輝かせ、ハボックがロイの想像した通りの表情を浮かべたのを見ると、
ロイは満足そうに笑った。
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