執務室内をちょこちょこ歩く黒い生き物。
それはホークアイが動く度に、彼女の後ろを追いかけていた。 ホークアイの愛犬ブラックハヤテ号だ。
軍施設内に軍用犬ではない犬がいるのも珍妙な話で、それもこれも副司令官であるロイが 気にも留めていないのと、一人暮らしで、一日中軍施設に留まることの多いホークアイが 世話をするために連れて来るからだ。
誰もブラックハヤテ号を邪険にしないし、業務に差し支えもない。犬嫌いのブレダ以外は、 皆可愛がっていて、ちょっとしたマスコット的存在になりつつある。

今の時間、ブラックハヤテ号は玩具で遊んでいた。
骨の玩具に噛み付き、夢中になっている。

「楽しそうだな」
「大佐にも後で差し上げましょうか?」
「・・・遠慮しておくよ」

ホークアイの冗談はよく分からない。 そんな真面目くさった表情で言われても、どう答えていいやら言葉につまる。

ホークアイが書類を置きに行っている間、ただでさえ飽きっぽいロイは監視がいないと すぐにサボり癖を発揮する。
今もまた仕事に飽き始めていたところだった。
気を紛らわそうとブラックハヤテ号を見ると、玩具に飽きたのか疲れたのか部屋の隅で寝ていた。 その隣には、愛用と思われる骨の玩具が転がっている。
何気なく近付いて、玩具を拾い上げてみると、ブラックハヤテ号が目を覚ました。 ロイに握られている玩具を見て、遊んでくれると勘違いしたのか、ロイの足に前足をかけてきた。

「むっ?何だ、遊んでほしいのか?」

サボろうとしていた自分を棚上げして、ロイは仕方ないとばかりにブラックハヤテ号の頭を撫でる。
尻尾を振ってロイを見上げる姿は、自称犬好きのロイを満足させるもので、 ロイは完全に仕事を放棄して、ブラックハヤテ号と遊び始めた。

「こらっ、そんなに舐めるな」

撫でていた手をクンクン嗅がれ、ペロペロ舐められる。
ベタベタになった手を引っ込めるが、膝をついて腰を下ろしていたロイに、ブラックハヤテ号は 小型な体を思いっきり伸ばして膝に乗り上げた。

「お前は元気な犬だな」

ベタベタな手に構わず、両脇に手を差し入れ、顔近くまで持ち上げると、 今度は鼻の頭を舐められた。

「舐めすぎだぞ」

窘めようとすると、動きが気になったのか、唇まで舐められた。

その感触に、ロイはふと、あの時のハボックを思い出した。

それはそれは嬉しそうで、始めはこれから行われることへの歓喜でいっぱいにしていたのに、いざ キスをしようと顔を近づけてきたら、緊張のため顔の筋肉がガチガチに固まっていて、 何とも表現し難い表情を作り上げていた。
キスも満足にしていない童貞でもあるまいに、まるで期待と緊張、不安で胸を膨らませ、 これから初体験するかのような青少年だった。
なかなか触れてこないハボックに、閉じていた目を薄ら開け、見たものはそれで、 吹き出しそうになるのを必死に我慢したのは記憶に新しい。

「大佐、遊んでるんすかー?」

声をかけられて初めて、同じ視線にハボックの顔があるのに気付く。
透き通ったブルーが間近でこちらを見つめているのに、 先程まで思い出していたハボックの顔と重なり、つい吹きだしてしまった。

「何でオレの顔見て笑うんすか?」
「気にするな。思い出し笑いだ」
「余計気になるじゃないですか。何を思い出したんです?」
「だから気にするなって」
「気になりますって。オレに言えないことなんですか?」
「そんなに聞きたいか?」
「ええ」
「お前とのキスだ」

意地悪く口の端だけ吊り上げて笑うロイに、ハボックは完全に意表をつかれ、顔を赤く染める。
本当に純粋な男だ。 女の前でもこうなのか。
もう一定の年齢を迎えたいい大人なのに、ロイには信じられない反応だ。
ハボックと同年齢の頃の自分は、もっと冷めていて、恋愛をゲームと捉えていた節もあり、 少なくとも感情の起伏を素直に出していなかったのを覚えている。ただ一人を除いては・・・。
だから、少しの自分の言動で一喜一憂するこの男をもっとからかってみたくなって、 苛めてしまうのだ。

「大佐、それって・・・」
「ん?」
「誘ってるんすか?」

何とも見当違いな反応に、ロイは脱力した。

「全然違う」
「そうですか・・・」

淡い期待を胸にしていたが、無残にも霧散したので、ハボックは声のトーンを落とした。

「犬は色んな所を舐めるんだな。さっき唇まで舐められた」
「犬のくせに生意気ですね」
「お前もな」

ハボックはガクッと肩を落とした。
またちょっとした自分の言動に、あからさまにがっかりする、その姿をおもしろいと思うと、もっとからかってみたくなる。 特にロイは率先してそうしたくなるタイプの人間で、ハボックはそういう人間のいい鴨に なるタイプの人間だったのは不幸と云ってもいいのかもしれない。

「でかい図体して情けないぞ、少尉。お前もそう思うだろう?」

話しかけられたブラックハヤテ号は、クゥンと鼻を鳴らしている。
よしよし、と持ち上げていた体を床に置き、頭を撫でてやった。
それをじっと見ていたハボックは、ブラックハヤテ号に恨めしげな視線を送っている。

「同じ犬でも、オレの扱いとブラハの扱いに差があるような・・・」
「とうとう自分でも犬と認めたのか?」
「いえ、そうじゃなくて!!大佐は犬が好きなんですよね? だったら、オレのこともっと優しく扱ってくれたっていいんじゃないすか?ってことっす!!」
「お前、犬に嫉妬して虚しくないか?」
「だったらオレのこと人間扱いしてくださいよ!!」
「分かってないな、ハボック」
「へ?」
「お前はブラハと同じ扱いで満足するのか?しないだろ? これが私なりの愛情表現なのだよ。少しは察しろ」

適当に言ってみると、ハボックは真に受けたのかジーンと胸をときめかせていた。 紅潮し、頬はりんご色に染まっていて、目はキラキラ輝いている。
ここまで純朴な反応をされるとは思っていなかったので、ロイはまずいことを 言ったかな、と身体を引く。

「大佐ーーっ!!」

むぎゅっ。
横から抱きしめてくるハボックの力といったら、ロイを息苦しくさせるのに十分で、 背中をバンバン叩くものの、一向に力が弱まる気配はない。 それどころか益々力が込められて、背骨がギシギシ軋む音さえ聞こえる気がする。
背骨が折られるか、窒息死の可能性がロイの頭を過ぎった。

「あれ?大佐?」

背中を叩く手が下ろされ、ぐったりしな垂れかかってきたのに気分をよくしたハボックは、 愛しい人に顔を寄せると、彼の人、ロイは青白くなっていて、 それでハボックはようやく気付いた。

「え?うそ!?マジ!?大佐!!大佐ー!!しっかりしてくださいよーーっ!!」

所謂『落ちる』の経験をしたのはロイにとってこれが初めてで、ハボックを興奮させると 大変だと身をもって知ることになったのだった。







「貴様〜〜〜私を殺す気か〜〜〜!?」
「すいませんーーっ!!」

その後すぐ医務室に運ばれたロイは、目を覚ますなり、ベッドの横でハラハラしながらこちらを 覗き込むハボックに怒りの鉄槌を下した。
米つきばった如く、土下座して平謝りしているハボックの顔色は未だかつてないほど 青褪めている。 オウムのように謝罪の言葉を繰り返し口にしている様子は哀れを誘うもので、 外まで聞こえる2人の会話が聞こえる間は、誰も医務室に近づこうとはしなかった。

数日後、出勤したばかりのハボックの机を占める大きな箱が置かれていた。

「何だこれ?」
「知らねー。オレが来たらもうあったぞ」

隣机のブレダも、その他周囲のファルマン、フュリーに訊いても誰も知らないと言う。
何だろうと開けてみて、ハボックは血相を変えて激しい音と共に元に戻した。

「だ、だ、だ、だ、だ、だ、だ、誰がこれ置いてったんだよーーーっ!!」
「うるせーな。何が入ってたんだよ?」

中身を覗こうとするブレダを、ハボックは慌てて阻止する。

「どわっー!!な、何でもねーよ!!これ邪魔だから、どっかに置いてくるからな、だから、 中尉に適当に理由言っておいてくれよな!!」

そう言い残すと、箱を担いで、風のように部屋を出て行った。
箱の中身は所謂『ダッチワイフ』で、ご丁寧に使用書まで入っていた。
捨て場所を探しに、ハボックが司令部内を駆け回っている頃、ロイは、

「馬鹿犬に玩具をくれてやった」

とブラックハヤテ号に話し掛けていた。




(up.05.01.22)

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