加納幸和さんに聞く『泉鏡花の婦系図』

公演終了後、加納さんに『泉鏡花の婦系図』についてのお話をお聞きしました。加納さんにお許し頂いて、このインタビューをアップさせて頂きます。
今回もとても興味深く、また『婦系図』の世界に思いを馳せることのできるお話を聞かせていただきました。加納さんに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

なお、以下の文章の文責はすべて大原にあります。

また、もしよろしかったらお読みになった感想をお書き頂けるとたいへん嬉しく思います。ご記帳所が設けてありますので、感想などを一言書き残していって下さいませ。よろしくお願いいたします。


まず、開幕して一番最初に目に入って驚かされるのがメリー・ゴーラウンドの形をした舞台装置なのですが、あれを思いつかれたのはどうしてでしょうか? 『泉鏡花の日本橋』という場面が多い芝居を上演したときには構成舞台で、空間を少し変える感じで転換するように、(スライド式に)動く舞台にしたんです。そのときは平面的な舞台だったんですね。
今回の『婦系図』は(話の)裏側にもう一つ話があるもので、立体的な空間にしたいなと思ったものですから、「回る舞台」というのは最初から案として出てたんですよ。回る舞台といっても最初は組んだ装置がぐるぐる回るというのを考えたんですが、いろいろあって仮設の盆の上に装置を載せるということになって。載せる装置を考え始めた段階では、「『雪之丞変化』の回り舞台を使ったときの演出の感じに似てしまうのはどうだろう」と思って一旦保留にしてたんです。
それで、他の演出面で、シャンソンを使おうというふうに段々なったときに、回り舞台とシャンソンをドッキングするときに、メリーゴーラウンドという発想が出てきたんですね。

メリーゴーラウンドというのに何か意味はあったんでしょうか?

いや、特に意味はないですけど、シャンソンを使うということで、エッフェル塔のすぐ近くにも大きいメリーゴーラウンドがありますし、ヨーロッパでは多いですから、メリーゴーラウンドがいいんじゃないかな、と思って。あれはダミアだったかピアフだったか、『回転木馬』という曲を聞いたのもあって、面白いんじゃないかなということで、メリーゴーラウンドになったんです。

私は大きい運命のメリーゴーラウンドに乗って回転している人たち、というのがあるのかなと思ったんですが……。

メリーゴーラウンドって、キッチュでまがいもので、ある小宇宙が回っているというイメージを基本的に持ってるものだから、それもちょっと都合がいいんじゃないかなというのもありましたね。

今回は役者さんそれぞれも見どころがあって大変な役だったんじゃないかなと思いますが、特に大変な役だったのは早瀬主税ですよね。

そうですね。あの役だけは極端ですからね。

主税を各務さんに配役したのはどうしてでしょうか?

配役にはかなり悩んだんですが、台詞の量がすごく多いですから、聞いていて心地よい声でないとまずいだろうというのがまず単純にあったんですね。
主税は元はスリといっても12歳までで、その後はドイツ語学者として育ったという環境もあって、文化人的なイメージがある。もちろん、師匠が師匠ですから、単純に学者学者した人物にはならないだろうと思うんですけど。そのイメージが、各務自身が持っているノーブルな感じから出せるんじゃないかなというのが一つ。
それと、読み合わせで何人かの人間にあの役を読んでもらったんですけども、一番最後の見顕わしのところの台詞を案外上手く読んでたものですから、じゃあ大丈夫かなと思って、彼につけたんです。

『海神別荘』に続いて2度目の主役ですが、各務さんという存在が花組にとって大きいものになったような気がします。

花組芝居は同じ養成所だったり同じ演劇学校の同期だったりというような、同じ環境で育ってないような連中ばっかりで、それがなんとなく共通な何か身体言語みたいなものをつかんでいく、それでも一人一人はまったく別の世界を持ってるという感じなんです。その中では彼は異色な人ですね。新劇の養成所卒業という連中は何人かいるんですけど、9年間も同じ劇団(俳優座)にいたというのは彼だけですからね。彼の持っているものとこっちで僕らが持っている世界とが、なんとなく混ざっていく過程にあるという感じがしています。

森川さん等も含めて、新しい世代の方の活躍も目立ってきていますね。

そうですね。一時は桂とか(植本)潤たちの代ばっかりで、下が出て来てない感じだったんですけどね。『かぶき座の怪人』をやったことも大きかったと思います。福島(三郎)くんが一人一人を書き込んでくれたんで、だんだん彼らも自由になってきてるということもあるかなと。

全体的にとても予想外なような、でも予想通りのような(?)配役だったですね。

僕もこんなふうな顔ぶれになるとは最初は思ってなかったです。最初に読み合わせをメンバーを変えて何度かやって、イメージに合うかどうかというのを考えたのと、これは座内のことなんで、「この時期にはこの役をやらせたほうがいいかもしれない」とか、一人一人の役者に対する展望みたいなものも含めて配役したんですが、僕は上手くいったんじゃないかなと思ってますけどね。

チラシでは、加納さんの主税とお蔦で写ってましたが?

(笑)あれはもう宣伝用なんで、演出のプランも何も考えてないときにとにかく撮らなきゃいけないっていうんで、「じゃあ、もう分かりやすいのにしちゃおう!」って。他の役者が写ると「この役はこいつがやるのか」というふうに思われるので、一応責任者が写真に写りましたってことで(笑)。

加納さんの主税は2部頭の劇中無声映画で見られましたものね。

あの映画も本当は一人二役でいこうかなと思ったんですけど、やっぱり(撮影するのが)大変なんですって。でも、一人二役じゃなくて一人一人わけて正解でした。もうあの撮影だけで大変でしたから、一人二役でやってたら、あの映画作るのに何日かかったかわからない。予算がない中をスタッフの皆さんは知恵をしぼって「ああでもない、こうでもない」と本当によくやって下さいました。

山下さんの映画のお蔦もお似合いでしたね。

ああいうのは山下は手馴れたものですから(笑)。

『湯島の境内』の場面を映画の形で取り入れようと思ったのは何故でしょうか?

『湯島の境内』というのは後から書き加えられたものなんで、原文尊重の立場からするとこれは入れないほうがいいだろうということだったんですね。お蔦を主人公にしたからこそ(主税がお蔦に別れを告げる)『湯島の境内』という発想が生まれたんで、あくまでも早瀬主税が主人公で、その回りで動いている人間という構造を大事にしたいという点から考えると『湯島の境内』は余分な話になるのでどうしようかなと思ってたんです。でも、『湯島の境内』イコール『婦系図』というイメージを大半の方は持っていらっしゃるから、これは無視できないだろうと。同一の劇構造の中にいれたくなくてどうしようかと考えたときに、大正昭和に流行った、映画と実演が一緒になるという方式を思いついたんです。その発想で弁士を入れてやれば、演劇的な見世物としては成立するんじゃないかなと思って、無声映画にしようというふうになったんです。

劇中では守宮(やもり)が出て来る場面など、歌舞伎的な演出にしてらっしゃるところもありましたが?

歌舞伎的にしようという部分は何箇所かありましたが、本がそういうふうに要求してますね。鏡花自身が意識的か無意識かわからないですけど、歌舞伎の芝居の息で書いてるなというのがあるんです。守宮のところなんて「これはだんまりだろう」って。「ここはチョンが入るだろう」「ここは幕切れだね、巻くが閉まってるね」みたいな書き方をしてるところがあるんですよ。
『婦系図』の中にも夜景を表現するのに「長谷川が飾ったような」という表現を使ってるんですね(注1参照)。この長谷川は長谷川大道具のことなんです。
存命中に鏡花の作品が映画化されて、鏡花は喜んでみてたんだそうですが、最後のほうになって「ああ、だめだだめだ」って言い出して「どうしたんですか、先生」と聞いたら「雪は紙じゃなきゃだめだ」と言ったんだそうです。映画だからリアルにやってたんだろうけど、「雪は紙じゃないとだめだ」と言ったのが、彼のこだわりというか美意識なんでしょうね。

鏡花の作品って、すごく飛躍した表現の部分もありますよね。

いわゆる映画的な手法で書かれているのが特に鏡花の小説には多いようです。それを現実の限定された空間の中で見せるというと、妙にハイテクを使うよりは、能や歌舞伎のように手動で持ってあの世でもこの世でも化け物でもなんでも出してしまうという手法を使えばトントンと出来ちゃうんじゃないかなというのは初めからありましたね。僕らはそういうのは一応心得てるつもりなんで。

そのへんの表現は加納さんならではですね。

そうですね、他ではやらないでしょうね(笑)。

そういう歌舞伎的なところもあり、レビュー的な表現をしているところもあるのが面白いですが。

二幕の馬の踊りのところも、あれはどなたかに「転換の時間の埋め合わせでしょうか」といわれたんですけど(笑)、あれは原文では親族やら何やらが集まって50人くらいで母屋で大宴会をやってるという設定なんですね。その裏腹で病院では道子と早瀬主税が密会してるというので、それをどうにかできないかなということであの踊りになったんです。50人は出せませんし(笑)。本当は皆を出すだけ出して皆で『リラの花咲く頃』を大合唱するというシーンにしようかなと思ったんですけど、そんなことやってたら上演時間が足りないというので、あれになったんですよ(笑)。

終幕近くで、河野家の女性達がドレスや着物姿で日傘を手に持って連なって歩くシーンも、なぜか非常に印象的だったんですが。

あの場面も重要だと思いました。舞台ではなかなか出しにくいんですけど、原文では、皆が日蝕だというので家の中に閉じこもっている中をきれいに着飾った貴婦人達がうわーっと人力車8台か9台で久能山の石段を通るってシーンがなんです。さすがに日本のありとあらゆる小道具屋全部探しても人力車8台は揃いませんし(笑)、揃ったとしても舞台に載るはずがない。それじゃ人力車なしにしてもぞろぞろ歩くところはやりたいねって。『婦系図』後半の部分は荒唐無稽な設定になってますから、「これは大時代にしちゃえ、ドレスを着てる人がいるんだったら着物着てる連中も裾を引いて歌舞伎風にしちゃえ」ということでああいう形にしたんですよね。
でも、僕はあそこがやりたかったというところがありますね。ここが「婦系図」なんです。『婦系図』という題名の大元があそこにあるんですね。

加納さんの島山菅子もぴったりでしたね。

自分としてはやりやすい感じだったし、あんなにはじけた女性というのは女優さんだとやりにくいでしょうしね。
不倫を公然としてて大混乱する、一家のために主税に近寄ったんだけど本気で惚れてしまって自分が葛藤してぶっこわれちゃうという人ですからね。変な話、ぶっこわれてるんですけど、あの(バザーの日の)後も足繁く(主税が入院している)病院に顔を出してるようなんですよね。妙子が対面しに来るときの台詞でちゃんと(看護婦)「お客様ですよ」(主税)「ああ、島山さんのですか」と言うんですよね、とすると島山さんはちょくちょくあの病院に来てるんです(笑)。菅子はどこか無邪気というか能天気な人物なんでしょうね、鏡花はそういうつもりで書いてますね。
そして、それの対比で道子が描かれている。道子が影の部分を担っているというか、菅子と道子は、太陽と月みたいなところありますね。

山下さんの道子も素晴らしかったですね。

あれも不倫しちゃう役でね。少ない台詞でぐっとこらえてて、中でなにか燃えてるというのがぴったりじゃないかなと思って。彼にはちょうどよかったんじゃないかなと思いますね。

加納さんも山下さんもどうしてあんなに女性心理が分かるのでしょう? というのが不思議なんですが(笑)。

(笑)

でも、今思い返しても『婦系図』は本当にすごい舞台でしたね。

『かぶき座の怪人』もすごかったですけどね。でも、『婦系図』は『かぶき座の怪人』と違って歌や踊りがないから、わりと呑気に構えてたんだけど、うちの常連の舞台監督が台本の第一稿を読んで「これは『かぶき座の怪人』より大変です!」と言って(笑)。同じくのんびり構えてた制作も舞台監督に「大変だから、覚悟して下さい」と言われてから慌て始めて、案の定大変でした。(『婦系図』と比べると)『かぶき座の怪人』ももしかしたら楽に作ったような気がしました、今考えたら(笑)。

上演時間の問題もありましたしね。

そういういのもありましたし、悩みました。『かぶき座の怪人』は脚本から要求される何かにどんどん刺激されながら作ったんですが、『婦系図』はすごく悩みましたね。テクニック的に大変だったというのがあるんでしょうね。演技もそうですけれども、舞台装置をああいう形にしたら、それを実現させるのが相当大変なことだというのが後でわかって、それで演出部が大慌てになって、みたいなところがあったんで。でも、大変でしたけど最初考えた意図とおりの作品に仕上がったと思います。

それだけご苦労なさった甲斐のあった公演でしたし、ぜひ再演して頂きたいですね。

次やるとしたら、日替わりで前編後編にして上演したいですね。一幕二幕を続けて上演すると、一幕と二幕の対比とか、お客さんも二幕になるころは疲れてくるからどうしようかなんていうことも考えますからね。前編後編で分けて上演すれば、前編は前編でちゃんと成り立てばいいというふうに作れますし、思い切ったことができるんじゃないかと思いますね。

『婦系図』の前後編日替わり上演! ぜひ、見たいです。期待しています。


注1
『婦系図』 電車の章より引用
「錦帯橋(きんたいきょう)の月の景色を、長谷川が大道具で見せたように、ずらりと繋(つなが)って停留していた。
幾つとない電車は、大通りを廻り舞台。事の起った車内では、風説(うわさ)とりどり」


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