加納幸和さんに聞く『泉鏡花の日本橋』

「泉鏡花の日本橋」公演中の5月27日、マチネとソワレの間の休憩時間にシアタートラムの楽屋で加納さんにお話を伺いました。
今回は各役のお話を多くお聞きしたのですが、メイクした役者さんが行き来する楽屋でお話するのは(加納さんもお孝の顔のままでしたし)私にとっては夢と現実が交錯しているような不思議な感覚でした。
加納さんには既にこのホームページ用に3回お話を伺ったことになります。いつもありがとうございます。心より感謝しております。
(文中「 」でくくった太字の部分は、加納さんがおっしゃった内容の大意です。文責は大原にあります)



まず、なぜ「日本橋」を取り上げようと思ったのでしょうか。

「僕が大学で最初に勉強したのが新劇で、その後すぐに今の(加納幸和事務所→花組芝居)活動に入ったんで、そういうのをやりたいという意識がどこかであるんですよ。花組芝居も11年目に入って『台詞だけですませる、ちゃんとしたのをやりたいね』という話をしていて、かといってチェーホフやるのも変な話だしうちに近いところで何かないかなというんで、『鏡花でお化けが出てこないものをやろう』『女形がうちの特徴だから女形が活躍するもので何かないか』ということで、結局『日本橋』に落ち着きました。」


加納さんが演じているお孝という役は…


「『日本橋』をやろうと決めてから原作を読んでみて、新派でやらないシーンで面白いシーンがあるというのを知って、それでますますお孝がいいなと思い出して。お孝って新派でやっても儲け役だし、(坂東)玉三郎さんや(水谷)八重子さん、昔は花柳章太郎さん、喜多村緑郎さんが演じていて、おいしい役なんだけど、実際読んでみるとおいしいだけの役じゃなくて、もっと激しい、情熱的なものがあるんです。

新派だと葛木と清葉が別れるシーンはそのまま演じてしまうんだけど、原作ですと葛木がお孝に(別れの様子を)話すという設定になってるんですね。お孝がその話に刺激されてどんどん葛木に入っていっちゃうというシーンが原作に書いてあって、だからあのシーンの僕と葛木の後半のやりとりは原作そのままなんですね。新派ではやらないんでもったいないなと思って。」


演じ甲斐のある役ですよね。


「そうですね。演じ甲斐があってすごく楽しい。他の役も語りが多くて、僕が一番少ないかもしれないくらい、伝吾も葛木も清葉もぺらぺら喋る。これは鏡花独特なんですけどね。」


今までも鏡花作品(夜叉が池・草迷宮・天守物語)をやってらっしゃいますが、今回が一番役者さんの技量が問われる作品ですよね


「上演すると決めたんだけど、『日本橋』は大きい役が少ないんですね。役によってすごい差があるから、皆にも『今度のは選ばれちゃうけど勘弁ね』ということで配役はちょっと悩みましたね。お稽古の最初の段階で、例によって『読みたい人〜』と言ってその役の台詞を読ませて、それもただ試しに読ませるのでなく、本当の稽古みたいに一人一人にその場で一つ一つダメ出しをしていきました。まあ、審査してるようなものですよね。言って直るかどうか、できるのかできないのかを見るのと、それから、役のイメージに合っているかどうか。でも、イメージばっかり追うのも変なんで、やりようにやっては全然イメージに合わない役者をあてはめてやるっていうのもあったんだけど、それはよっぽど上手くないと難しいし、そのへんは折衷案でイメージに合ってるのと全然違ってるのととで配役したんです。」


初めに配役を聞いたときは、割と予想的な配役かな、と思ったんですが


「そうですね。雰囲気が大事なんで、雰囲気が出せないといけないなって。でも、それは見た目じゃなくて、役の感じが出せないといけないということなんですが。」


お孝が思いを寄せる葛木(桂憲一)という役は


「うちの葛木は台詞が多いから。新派の葛木はそんなに長い台詞入れてないですからね、見た目で勝負だから(笑)。うちの葛木は全部話して泣いたりわめいたりとかカッコつけたりとかいろんなことするし。それで、きちっとやるとひどい男だと思われてしまうのは、葛木は女に捨てられたその日に他の女と寝ちゃうんですね。それで女に惚れられて、自分で気が変わったからと言って女を捨てて旅に出る。なんだこりゃ、という役なんだけど、それがいやらしく見えたらいけない。感じが『ああ、あいつだったらしょうがないな』という人じゃないといけないし、そういうのが出せるのが桂かな、と。

葛木が坊主になって出て来るところは新派でやるとちっとも面白くないんですよ。あれは忠臣蔵というご趣向で子供達が遊んでるのを見せるだけのシーンなんで、どうしようかなって、立ち稽古で大分たってからああいうふうにしたんですけど。

基本的に言うと、リアルな芝居ではあるんですけど、その人からどう見えるかっていうのを大切に作っているんです。子供達にとっては得体の知らない坊主が、『忠臣蔵のご連中』と言って突然出てきて、子供達を煙にまいてすーっと消えるという。原作だと路面電車がチンチンチンと来たところで坊主が飛び乗ってさーっと行ってしまってるんですが、ああ、これでいこう、子供達にはお化けみたいにあっという間に消えたみたいに見えればいいんだ、というのでああいう演出にしました。

また、たとえば、生理学教室の千場彦七(八代進一)をお化けみたいにしたのも、千場彦七がお化けだったわけじゃなくて伝吾から見るとそう見えた、と。リアルというより人物一人一人の気持ちにリアルというのを大切にしました。」


笠原巡査(佐藤誓)は


「難しい役で、また、儲け役ですしね。新派ですと、ただ『ご馳走』の役みたいな、いい役者がやるんだけれど、まあぱっとしないんだけれどもかっこよく引っ込んだりするというような、わりと脇っぽい役なんですよね。でも、この笠原っていうのは、悲劇の中枢にいてそれを見聞きしてしまうという人物でしっかりしてないとダメなんで。」


誓さんの台詞が明確で、鏡花の台詞を体現してるようですよね


「役者の中でも人気だったんですよ。『やりたい役〜』っていうと笠原あげてる人がすごく多くてね(笑)。」


それでは、お孝に捨てられる伝吾(水下きよし)という役は


「伝吾はね、イメージ変えたんですよ。新派の舞台を見て伝吾が変だなと思っていて、(辻村)ジュサブローさんにその話をしたら『伝吾は色っぽくないとダメなのよ』と言われて。『新派であんなに汚くしちゃうからねー、それがダメなのよ』という話をしたんです。それで原作を読んで、やっぱり伝吾も純愛を貫いた人間だし、成り上がりで北海道の人間が習った粋でも、一応花柳界に出入りして若旦那だったわけで。怪物は怪物なんだけれども粋な感じで、縞の着流しを着せたりというプランにしました。伝吾というと毛むくじゃらにしたりするんですけど、いや、これは色男でもいいんじゃないかって、白塗り系にして。ただ(お孝・清葉・葛木の)三角関係に悪役で出すのでなく、ちゃんとした(お孝・清葉・葛木・伝吾の)四角関係にならないと面白くないので、カッコ良くね。」


芸者の清葉さんは


「ああ、清葉ね。あれも大変で。山下も久しぶり(の女形)なんで細かく細かく稽古させて頂きました。ダメダメダメって(笑)。清葉ももう一人の主役だから空間を持たさないといけないしそれができないとダメだから。新派の台本だと割り切っちゃってて、お孝の脇役みたいになってて、でも、本当は清葉はあれだけ長い語りもあるし大変な役なんですよね。本当に細かくつけました。」


加納さん、女形さんには厳しいのでは(笑)?


「(笑)いや、でも男の役にも細かいですよ、実は。男の役も全部細かくつけてますから、台詞の呼吸から音が違うとかね。桂もかなり細かく稽古しましたし。」


話は変わりますが、栄螺(さざえ)と蛤(はまぐり)のSMシーンというのがありましたが


「雛人形と京人形と栄螺と蛤っていうのはキーワードだな、と思って。それを強調した形にしようとしたら、じゃあ人間にして出しちゃえ、というんでああいうふうになっちゃったんですけど。蛤と栄螺をお雛様が縛り付けてて、それを川へ放生会で放す、その蛤と栄螺が復讐でお姉さんを苛むというね(笑)。」


栄螺と蛤は何か意味が…? 


「栄螺と蛤っていうのは、鏡花が意識なさってたかどうかはわからないんですけど、女性性器に例えられてるんですよ。雛祭りに栄螺と蛤を供えるという風習と、栄螺と蛤が女性性器に例えられているということとがどの程度結びついていたかはわかりませんが。だから、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、最初、葛木が『あれは栄螺と蛤ですよ』と言うと巡査が『ええーっ』と言ってにやにやするのは、『ええーっ、栄螺と蛤〜? なんかいやらしいな、きみぃー』みたいなのなんですね。たまたま稽古のための資料で本を見てたら、春画の一種の中に栄螺と蛤が書いてあって貝つくしって言って何かいやらしいんですよ。マテ貝を男性性器みたいに描いているのもあって。だからもしかしたら鏡花の中にそのイメージがあったのかもしれない。「四谷怪談」に出てくる「お梅」という名前も、梅は女性性器のイメージなんですよ。そういうのは昔からのものなんでそういうのを拡大解釈してもいいかなって。」


「日本橋」の初日に見たときはすごく悲しいお話だなと思ったんですが…


「そうですね。初め、新派で見たときはそうとも思わなかったんだけど、原作を読んだら四人とも全部自分の思いを遂げられないままどうにかなっちゃうんですよね。これは悲しい話だなと。原作だとお千世(横道毅)は刺されても助かっちゃうんですよ。それで葛木は病院に戻るんですが、それは清葉がお金出してる。清葉は清葉でそのまま暮らす。もちろんお孝は死んじゃいますけど。そのまま苦い思い出を残し持ったまま人知れず淡々と生きていくという、そういう悲しい感じなんですよね。」


舞台のラストもすごくスパーンと終わってますよね


「そうしたかったんですよ。小説が発表された翌年に戯曲が発表されていて、今の新派の幕切れもそれと同じなんですが、『小唄に乗っていこう』とかカッコいいこと言ってるんですよ、二人が。それはお芝居お芝居してるからそうなんであって、鏡花も芝居好きだったんでお芝居だったら役者にいい台詞言わせちゃえ、ということだったんだと思うんですが。自分は小説から起こしたので、後のシーンはもうどうでもいい。ただ、死んじゃう。くだくだ説明するのもいやだったし、おいしい台詞、歌い上げるような台詞もなんだかただの旦那芸みたいでいやなんで。そのへんはヨーロッパ的なんですけどね。すぱーっと終わらせてしまう。」


芝居が終わったあとのアンコールのシーンも大変印象深いのですが


「あれは僕の案じゃないんですよ。今回のお衣装をやっていただいた竹内将さんが提案して下さって。最初はカーテンコールしてあのままお辞儀して引っ込んで終わりだったんだけど、竹内さんが『上に行ったらどう? 月も出てるし、日本橋らしくていい』って。それでやったら評判がいい(笑)。」


まさしく女形芸、という感じですよね。


「そうですね。」


この『日本橋』、今まで加納さんが書いた台本の中で一番台詞が多いということでしたが


「はい。これはカットしなきゃいけないなと覚悟してたんですが、でも殆どカットしなかった。
前々からうちの台本を『これで2時間20分のホンです』と言って見せると(台詞が少なくて)『ええーっ』と言われてたんですよ。同じ世代の劇作家には『うちなんかこれよりもっと長くて1時間半で終わるよ』とか言われて、今度は僕が『ええーっ』みたいな(笑)。踊ったり語りが入ったり台詞ためたりするから、長くなっちゃってたみたいです。

将来的には現代劇というのもぼくらの範疇に入れたいんですよ。ちょっとずつ『踊らんでもええぞ』みたいなものをやっていきたい。それがどこまで行くか、どこまで行けばいいかというのは今回も悩んだんですけど、まあちょっと踊りも入れた。単純にお客さんを楽しませるために入れたんじゃなくて、『ここは踊りを入れた方がいいぞ』っていうところを、メリハリをつけるために入れた感じなんです。」


次回は、『花組まつり』のときの再演希望投票で一位だったという『怪誕身毒丸』ですが


「はい。そういえばしばらくやってないなと。この台本は僕の処女作ですし。おそらく前回と同じように(日替わり配役で)組が何組か出来ると思います。」


久しぶりの義太夫物ですし、楽しみです


「はい、この二年間、変わったもの(演目)を並べるのがモットーなんですよ」



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