泉鏡花の天守物語(2000年)



97年の「泉鏡花の天守物語」初演のときのレビューはこちらをご参照下さい。
以下のレビューは詳しい内容・及びラストシーンに触れていますことをあらかじめご注意下さい。

(観劇日)2000年1月8日(初日)・9日…シアターアプル

恋物語としての「天守物語」

「富姫と図書之助の恋」。

今回の花組芝居の「天守物語」は、ひとえにそれに向かって突き進んでいるような、舞台となった。

「天守物語」の舞台造形の常?として、お天守=妖怪の世界を「聖なるもの」、人間の世界を「卑なるもの」と対比させて描くことが多い。お天守のバックはすがすがしい青空で蝶々が飛んでいたり、あるいは、人間の中で(劇中では)唯一、清い爽やかな目を持った人間である図書之助はラストシーンで富姫と共に飛翔し、妖怪の世界に取り込まれていく(図書之助みたいな人は人間の世界では生きられない、とでもいうような)のを暗示しているような感じであったり。妖怪の世界から見た人間の愚かしさへの批判を描く上で、その対立を明確に描こうとしているのだろう。

だが、花組芝居の「天守物語」はそういう二律背反的な考え方からは遠くにあるようだ。現代の工事現場の闇をお天守になぞらえるという設定で、芝居の前半、富姫(加納幸和)と侍女たちが語らうシーンは富姫はまるで工事現場監督のように砂袋の上に座ってたり、皆でやかんの水を回し飲んだりしている。しかし、それも聖なるものを引きずり降ろすという意味で、お天守を「卑」にしているのではない。(工事現場で働くことが卑しい、と言っているのではありません。念のため。いわゆる、聖なる、清らかな世界との対極、ということでこの表現を使わせてもらってます)それが明らかになるのは、公演後半、図書之助(桂憲一)を追ってくる討手の武士たちのコスチュームもやはり工事作業員をデフォルメしたような形であるということである。お天守も人間も、どちらも同じ工事作業員のような形態を取り得る、ということは、天守の妖怪たちと討手の人間たちも(もちろんそこには人間と妖怪という差異があるにせよ)あるいは、ちょっとした違いでそれぞれでどちらでもあり得るのではないか、ということを示唆しているようにも感じられる。

そして、やはり多くの「天守物語」で重要なモチーフとして扱われる、富姫の由来の話(人間の美女が悪い君主に手込めにされそうになって自害した、それが富姫の魂である、という話)も、かなり(意図的に?)聞き取りにくいような形で、演じられている。
つまり、「人間・男に対して恨み(トラウマ?)のある女性(富姫)が、今までの(心根の汚い)男性とは違う、目線のまっすぐな男性(図書之助)に初めて出会い、恋をする」という、図式的理解の枠組みをはねのけているようにも思えるのだ。

これは初演のときに加納さんに伺って教えて頂いたのだけれど、富姫の最初の出が男っぽいのは、「このときの富姫は、まだ恋をしていなくて、(性的に)未分化の状態だから、女でも男でもありうる、という描き方でもいいんじゃないか、と思って、男っぽくした」ということである。恨みがある「女性」という過去生はさておき、そこにあるのは、恋をしらない、まだ女性になっていない一妖怪(?)であるということなのだ。

目にもきらびやかな亀姫、朱の盤坊、舌長姥たちの妖怪たちの世界をたっぷりと描く前半部分が終わったあと、侍女たちは暗闇の中でその場を掃き清める。
燭台(舞台上では、工事現場によくおいてあるランプ)を並べて座る富姫が、殿の命によりお天守に上がってきた図書之助と出会うとき。
富姫はその一目で恋に陥る。
そのとき、富姫は初めて女になったのだろう。その刹那の視線の交わし方にはすごいものがある。

そして、その後の富姫は(随所に妖怪らしさ?はあるものの)、まさしく恋をした女性、それもまっしぐらに恋に向かっていく女性そのものだ。初演のレビューでも書いたけれど、一回目に図書之助を帰すときも、富姫の手で城内の灯りを消している様子を見せることによって、「富姫の、図書之助を帰したくない」という思いが明確に打ち出されている。そして、図書之助と一緒にいるにつれて、富姫がどんどんどんどん可愛くなっていくのが手に取るように分かる。二度目に図書之助を帰したあと、獅子頭に向かって「貴方、あの方を−−私に下さいまし」という、まさに恋に狂ったような様子。(今、台詞を引用しようとして鏡花の原作を繰ったのだが、そこのト書きは「ひとりもの思い、机に頬杖つき、獅子にもの言う」とあった。そのト書きとは違った形の恋の激しさが、加納さんの演技からは読みとれる)突然自分の話になって恐縮だけれど、「私に下さいまし」と言う富姫を見て、「こんな身も世も捨てられるような恋、激しい思いがしたい」と(富姫と同じ女性として)とすごく感じさせられてしまった。

こんな恋をする富姫だからこそ、今回のラストシーンは前回と違うものなのだろう。
前回は、「人間世界ではっきりと区別される愛と死を、殆ど同じものとして、この二人の愛を演出した」、つまり富姫と図書之助の愛の成就は「人間の目からは食われたことに見える」(カッコ内「せりふの時代」VOL.3の加納さんの文章から引用)として、富姫が一瞬般若の面をかぶるラストシーンだった。
もちろん、これはそのときとして非常に正しいと思う(し、私も大好きな終わり方だった)。ただ、富姫と図書之助の恋を中心に描く今回のラストシーンとしては、「共に母衣(ほろ)を被ぎて姿を蔽う」というト書きのラストシーンとも違い、いかにも幸せな、二人の長いキスシーンで終わるのが相応しいのだな、というふうにも思える。

と、長く富姫のことを書いてきたのだが、対する図書之助。
前回とはかなり違った感じで、ある種匂い立つような(無意識の)エロスがあるような、一目で富姫が恋に陥るのが納得できる図書之助だった。図書之助が本来持っている愚かしさや弱さも持ちつつ、そういう表現で見せてくれるのは、初演から3年たった今の桂さんにとても相応しく思える。

ちょっと、書いていいものかどうか迷いながらも書きますが(^^;。実は、8日の初日を見たときは、富姫が図書之助に惹かれていっている過程というのはすごくよく読みとれたのだけれど(それは私が、富姫と同じ女性だから??)、図書之助がすごく魅力的だというのは肌で感じられても、図書之助の心の動きを私がよく掴み切れなかった、というのがありまして……。もちろん図書之助は心が揺らいでいるところがある役だから、それでいいのかもしれないけれど。(いろいろな要素があり、思いをまっしぐらに表現する役ではない分、図書之助って「天守」の中では難しいお役なんじゃないかと思う)
それが、今日(9日)見たときは、本当に衝撃的にガツン!ときたものがあった。それは、富姫が「貴方、お帰りなさいますな」と言い、図書之助が「迷いました、姫君」と言う、その間合い。そこに、図書之助の富姫への愛情がばーっと噴出しているのを感じられて。
もちろん、これは富姫が図書之助を恋する物語ではあるけれど、図書之助が富姫を恋する物語でもあって、その両方の思いの高まりあいがぶつかったような、大変な高揚感があって………、私が見たかった恋物語はここにあったのだ、というふうに感じて、幸せな一時だった。

と、つらつらと書いてきましたが、まだ初日明けて2日目。まだまだ書きたいことはありますが、今日はこれにて。

(2000.1.9)


(観劇日)2000年1月22日ソワレ・23日…新神戸オリエンタル劇場
(しかし、上記初日のあと、東京でたくさん(爆)見ているのであった……)
劇中、妖怪達大騒ぎ? の華やかな世界が終わった後、一転。舞台上は無人。暗い舞台に工事現場のランプの灯りと遠くのビルの夜景のみが浮かび上がり、工事の槌音のみが響く。誰もいない空間だけれど、真実の闇が存在して(そして、それは心の闇でもあるように感じられる)、その闇の中に自分が吸い込まれていくような気持ちになる。前半の賑やかさに昂揚させられた血が本当に逆流してるみたいな、不思議な感覚。まさに落とし穴にはまっていくような。
そして、気が付いたら、私は富姫と図書之助の恋の世界に真っ逆さま(笑)。

(こういう要の部分がきちんと出ているからこそ、前半の賑やかさと後半の恋物語が上手くブリッジしていくんでしょうね)

そんな、舞台全体の劇的構造としての「魔」がより深まったような印象の新神戸オリエンタル劇場の公演でした。

新オリはシアターアプルより大分間口が狭く、客席との距離も近く感じられるので、全般的にかなり親密であり、緊密になったという印象のある公演でした。舞台のタッパが高いので見た目のバランスからすれば工事現場のイントレがもうちょっと高かったらなぁ、とも思う(でもこれは仕方ないよねぇ(^^;ゞ)けれど、逆に照明は、亀姫登場のシーンのライトが本当に宇宙船のように見えるところなどはより印象的なものとなっていた。特に効果的だったのは、「迷いました、姫君」の前のところ、また光を失った富姫を図書之助が手に掛けようとするところで、上からの光がすーっと降りてくて二人の姿を浮かび上がらせる様子は、本当にこの世のものとは思えないような美しさだった。

もちろんそこが印象的だったのは、照明効果のためだけでなくて。そこに漲る図書之助の「気」というものに、舞台も客席も恋をしてしまったのだと思う。

それくらい、素晴らしかったのです。富姫に上回るような図書之助の恋情を感じたから、なんだか心底嬉しかった。(自分が富姫になったつもりでいるのか(^^;>わし)
本当に匂い立つような男らしさがあって。ラスト近く、光を取り戻した後、富姫がひざまづいて立っている図書之助に寄り添うところがあるのですが、そういう立ち方をするのが全然不自然じゃない。(そういう清々しい男らしさがあるから、富姫が図書之助に魅かれたのだとも言えるかも)続いて、獅子のところに歩いていく富姫を目で追って、ふっと笑っている図書之助の様子が本当に幸せそうで、変かもしれないけど、私はすごく「男」を感じました(様式を突き抜けたような、ね)。

桂さん、大きくなりましたね。

で、そうやって、図書之助主導?で終わったように見えても、ラストシーン、(上記東京初日の後に変更になったみたいですが)、長いキスシーンの最後の方で、キスしながらも図書之助の力が抜けてだらんとしていってしまう。「え? それって……? 『人間の目からは生きたものではなくなる』ということ? やっぱり富姫は魔だから、富姫の愛は精を吸い取ってるの??」と不思議に思いながら、でもアンコールになった二人の姿はとっても幸せそうで。こういう一筋縄でいかないところが、本当に面白いな〜と思わされます。

ということで、突然。以下、書きたいことを箇条書き。

・初日のレビューで前半のことを全然書けないでいたのが、非常に気になっていたのですが(^^;、あのへんの楽しそう〜〜な様子があってこそ、の後半部分であり、「天守物語」であると思うのです。そして、新神戸では、大分はじけていらした。

・舌長姥の山下さん。なんてらぶりー(笑)。登場シーンの怖いお顔から一転して、とっても楽しそうに笑いながら踊ってる様子が大好きでした。首をなめるところの、髪をくしけずるポーズの上手さとかも印象に残ってます。

・図書之助が二度目に帰った後に、富姫と薄のシーンでフリートーク(笑)みたいな感じになってるんですが、普通はこういうところでフリートークを入れないですよね。でも、ここまで恋愛シフトしたものを作っていて、普通につなげていたら、多分、お客さんは(心理的に重すぎて)見ていられなかったと思う。そのあたりのバランス感覚ってホントに絶妙で、脱帽してしまいます。

・薄の八代さんの踊っているときの手の表情の美しさにも、よくうっとりしてました。(初演のレビューでも書いたけれど)図書之助の様子を描写する長台詞も本当にお上手なんだけれど、そういう技術面以上に、富姫との関係性が会話の中で非常によく分かるのね。その長台詞の後、図書之助が天守に逃げ込んできて、薄は「お腰元衆〜」と呼びながら引っ込むというシーンがあるのですが、図書之助と薄が同じ舞台上にいるのは本当に一瞬なのに、薄はきちんと図書之助を受け止めている。その一瞬の表現にこの人はすごいなぁ〜、と思わされてしまいました。

(2000.1.25)



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