泉鏡花の婦系図



(観劇日)2001年7月7日(ソワレ)・9日……世田谷パブリックシアター

配役、内容等に大幅に触れてますので、その点をご留意の上、お読み下さい。

モダンな婦系図

甘やかでシックなシャンソンが聞こえる中、舞台上に設えられた「メリーゴーラウンド」はゆっくり回る。
メリーゴーラウンド……に見えるものは装置であって、その回転によって様々な舞台転換がなされるのだが、くるくる回る様は、遊園地のそれのように華麗だけれど、どこか儚くてちょっと切ない。なぜなら、メリーゴーラウンドはいつか必ず回転が止まるときがくるから……。

花組芝居「泉鏡花の婦系図」は、そのメリーゴーラウンドのように様々な角度から登場人物たちの生き方に光を浴びせ(あるいは闇を浮き立たせ)、浮かび上がらせることに成功した佳作である。

初めに通し稽古で拝見したときは、このメリーゴーラウンドの主軸となり馬を回しているのは主役=早瀬主税で、回っているのは女性たち、ということを象徴しているのかしらと思ったけれど、初日の舞台に拝見してからよく考えると、メリーゴーラウンドの主軸になっているのは、早瀬主税の恩師の娘、妙子なのだな、ということに気が付いた。ある意味では主税も大きい回転木馬の運命の波に回されているのだが、主税は、それに対して苛烈に戦っている。回転木馬の止まった先は悲劇が待っていたとしても、その生き方は非常に痛快だ。
主税のみならず、お蔦、菅子、道子、妙子、小芳、酒井先生、めの惣、河野……とさまざまな回転木馬に乗る人たちの運命の変転を余すところなく描き出されていて、一人一人の生き方が心に迫るようだ。人間はどう生きるのか、どう生きたいのか……、大きな運命の流れの中でも、そして決してその運命の流れから逃れられないとしても、それぞれに強く生きていく人たちが見られるのが、今回の「婦系図」だ。

また、「婦系図」の世界を描くのにシャンソンを選んでいるように、今までの「婦系図」の通例的な表現を選ばずに、様々な表現方法を使っているのが花組芝居らしく「モダン」なところ。たとえば、菅子の家に主税が泊まるシーンでも、原作ではかなり濃密にエロスの雰囲気が漂う場面で、さてどう表現するのか? と思っていたのだが、意外にも、レビュー(?)ふうな表現で、そこに女役者とも見まがわれる菅子の魅力をも引き立たせるのが実に効果的だ。また、主税の入院先で、盛られた毒を発見するシーンでは一転して歌舞伎ふうに。実際には一緒に並ぶことのない菅子と(幻想の)お蔦の対立(?)も出てくるなど、いろいろな要素を入れつつ、バラバラになることなく融合させて見せるところが花組芝居の面目躍如だ。

(個人的に印象に残るのは、後半の白いパラソルを持った婦人たちの一団が通り過ぎる場面。この絵の美しさが、最後の崩壊の予感とつながっているところが、ふっと胸に迫る)

早瀬主税を演じるのは各務さん。『泉鏡花の海神別荘』以来2度目の主役だが、ほぼ全編出ずっぱり、大量の台詞、また、各役者さんの渾身の芝居と全て対峙する……という大変な役。一言で言えば、力の漲っている主税であった。耐える場面がやや多い前半の中でも、特に印象に残るのは妙子を抱きとめながら「鬼となって」というところ。照明もあいまって、そのカッコ良さと力強さに圧倒される。また、後半の復讐に走る主税は、菅子さんとの最初の場面のどことない愛嬌と、道子さんに対する迫力と様々な魅力を見せる。ラストの対決シーンで見せるカタルシスは本当に見事だった。

こういうキュートなお蔦を誰が想像しただろうか?(笑)という、植本さん。でも、ハイテンションの演技とじっくり感情を見せるところの緩急が見事で、特に主税がいなくなった後、病床にいるときに妙子に尋ねられて「お嬢さん、そのあなた、面白いこと(=主税)がないんですもの」と言うところの哀しさは無類だ(実はこれを聞くと、いつも泣きそ うになります)。

登場の瞬間から艶やかな空気を漂わせる、菅子(加納幸和)。2部前半の意外(?)なゴージャスさと華やかさの表現は際立っているが、その分、後半の弱さをさらけ出すところと対照的だ。彼女(彼女ほどの人)もまた、人生のメリーゴーラウンドに乗っている一人なのだと思わざるを得ないところが、また切ない。

とりわけ印象に残るのが、道子(山下禎啓)だ。登場シーンからたおやかな佇まいの美しさと、それに反した、物憂い幸薄い雰囲気が印象的(花組芝居の人って、登場の瞬間から人物像を印象づけるのがお上手ですよね)だ。河野家の妹で、自ら望んだわけでない結婚をし、ご主人に囲い込まれるように生きてきた、そして自らそれを何も疑問に思っていなかった彼女が、ある計略を持って近づく主税によって、一気に堕ちていってしまう。その「どうしようもない(女性の)感情」の流れを、男性である山下さんが見事に体現している(「どうしてこの気持ちが男性にわかるの??」というのがとっても不思議なのだが)。最後に道子も悲劇的な結末を迎えるのだけれど、でも、自らも気づいていない不幸のまま一生を生きるより、一瞬激しく燃え上がることができた道子は、女性としては幸せだったのでは……とそんなことまで感じさせてくれた。
また、ある意味で、こういう女性を女優さんが演じたら、もしかして女性である自分はちょっといたたまれなかったかもしれない。男性の肉体が演じているからこそ、受け入れられるのかなあ、という気もしたりして、これも女形演技の一つの究極の形であるようふうにも感じる。

そして、物語の全てのかぎを握っている妙子の森川さん。天真爛漫なお嬢さんだけれども、この役には内面に生命力のパワーが必要なのだと思う。それを感じることができるのは、やはり男の人が演じる女形だから、なのかもしれない。

この登場人物たちとは、また別のメリーゴーラウンドに乗ってる人(?)なのが魚屋、めの惣の桂さん。江戸っ子の意気の良さで他の人との違いを的確に表現し、侠気やお蔦に見せる優しさを見せる。1部終わりの「戦だねぇ〜」という響きが印象的だ。

と書いてきて、まだまだ書ききれていないのですが、夜も更けて参りましたんで(^^;、本日はこれまで。また書きます〜〜。(2001.7.10)




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