| 「竹内敏晴の赤い鼻」 by K.Ogiya | ||
竹内レッスンにはいろんな人が来る。他人とのコミュニケーションで悩んでいる人、安らぎを求めている人、自分の直面している問題の出口を求めている人、不自由なからだをなんとかしたいという人、自分の何かを表現したい人、・・・。1回だけ来て来なくなる人もいるし、しばらく見ないと思っていたら突然ひょっこり現れる人もいるし、何年も何年も通い続ける人もいる。 動きの鋭い人、ぼんやりした人、声の大きい人、小さい人、よくしゃべる人、沈黙する人、緊張している人、はしゃいでいる人、困っている人、笑っている人。職業もさまざまだ。教員、看護婦、保育士、会社員、学生、主婦、役者、無職の人もいる。 そういう海のものとも山のものともつかない参加者とともに竹内さんがすることは、いつも同じだ。ひとりひとりのからだを目覚めさせ、はずませ、声を引き出す。からだが語ることばに聞き入り、その人の今その瞬間の命に触れようとする。6年前わたしが竹内敏晴という人を知ったときには、すでに何十年もそのことだけを繰り返していたが、今も変わらず同じことを繰り返している。誰に対しても。 竹内さんは、メダカを一匹育てるために、大きな海を用意する。メダカが金魚よりも大きくならないなんて多分知らないのだろう。みんなが金魚鉢で十分だと言っても、竹内さんはそれこそ命がけで海を用意する。なぜなら、竹内さんは海しか持っていないからだ。 そのことに気づいたときから、わたしには竹内さんの鼻が真っ赤に見える。それはそれは大きなクラウンの赤鼻である。 クラウンとは、道化のことだ。真っ赤な団子鼻が、彼・彼女の象徴である。わたしたちの舞台に登場するクラウンは、自分の愛して止まない「たった一つのこと」でからだじゅうがでいっぱいになって生きる存在だ。しかも、決してへこまない。挫折しても挫折しても、あきらめない。それは常軌を逸した行動となり、ときに破滅への道のようでもある。本人以外の人にとっては、ただただ滑稽なだけで、見ている人は笑いもするし、あざけりもする。しかしクラウンにはその笑いの理由はわからない。いや、目に入らない。なぜなら、「たった一つのこと」=「生きること」だからだ。普通の人が自分の人生をあちらかこちらかと悩んだ末にあちらを選ぶ、というようなこととクラウンは無縁だ。彼・彼女にとっては、その「たった一つのこと」以外はあり得ない。比べようがないのだから、その価値はゼロとも無限大ともつかないのだ。 その人のからだが開かれ、自身のからだと響きあう喜びだけで竹内さんは生きている。古びたビルの階段を降りていくと、ほの暗いスタジオの床の上に、そんな突き抜けたからだが立っているのだ。 (2001.07.02 扇谷孝太郎) |
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