「身」と「からだ」


  哲学者の市川浩さんが亡くなられた。1975年にかれは『精神としての身体』を刊行され、わたしは『ことばが劈かれるとき』を出して「主体としてのからだ」の発見について語った。二つの書は日本の身体論の草分けと呼ばれたりして、いくつかの学会で二人並んで質問の矢を浴びていると、どこか「戦友」といった感があったりした。

 市川さんは有名になった「身(み)」というキーワードを提出された。身は、刺身と言えば肉(物体)であり、身構えは全身の姿勢、身分とか身内なら社会的な自分を意味する。近代ヨーロッパの、意識(自我)と肉体の二元論を超える視点である。

 わたしはかれに多くを学びながらやはり「身」は使わなかった。「あなた」に呼びかける時、意識が「身」=自分に向いていては、声は「あなた」に届かない。カラッポになってはじめて他者へとわたしは劈かれる。わたしにとっては、存在より行動、まさに「カラだ!」こそ根元なのだった。

(竹内敏晴 春風倶楽部NO.6 2002 Autumn, Winter(春風社)より)


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