呼びかけること

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呼びかけ・話しかけのレッスン
 普段の生活では、自分が誰かを呼べば、喧嘩でもしてないかぎりその人は振り返って、返事をするものだと思う。それは、「呼ばれたら返事をするものだ」という社会生活を営む上で必要不可欠な約束を前提にしているからだ。

 ところが、このレッスンでは、そういう約束ごとを取り払って、誰かに呼びかけたり、話しかけたりする。そうすると、とたんに、この世はどんなに大きな声で呼んでも、叫んでも、地団駄踏んでも、振り向いてくれないイケズな人たちばっかりだということになる。

 でも、本当は、相手がイジワルなのではなくて、自分の声が相手にまっすぐ触れていないから振り向いてもらえない。それは、自分が呼ばれる側になれば、すぐにわかる。「あ、いま、自分が呼ばれた」とわかるのは、滅多にない。声を相手に届けるということは意識して吟味してみると、想像以上に難しいことだ。

 まず、場に呼びかけ役の人が1人と,聞き役の人5〜6人が出る。聞き役の人は適当な間隔を開けてばらけて座り,うつむいたり,後ろを向いたり,目を閉じたりして呼びかけ役の人と目を合わさないようにする。

 呼びかけ役の人は,数メートル離れたところから,誰か一人に短い言葉で呼びかける。「こっち来て」とか,「遊ぼう」とか。

 聞き役の人は,自分が呼ばれたのだと思ったら,黙って手を挙げる。まわりでは,他の人たちがその様子を集中して見つめる。そして,呼びかけ役は誰に呼びかけたのかを当てる。すると,まわりで見ていた人たちには,呼びかけ役の人の向いた方角や視線,姿勢で目当ての人が誰だったのかがわかっても,呼ばれた側の本人は全然気がつかないということがよく起こる。

 何度か見ていると,呼びかけた人の声が,目当ての人とは全然別の方へ飛んでいったり,辿り着く前に地面に落ちてしまったり,空中で散らばってしまったりするのがわかってくる。声がボールか何かのように,飛んだり弾んだりしていく軌跡が感じられてきて、不思議だ。呼びかけ役の人も,自分の声が届いていないことがわかってくると,声の大きさを変えたり、気合いを込めたり、試行錯誤するのだけど、なかなかうまくいかないことが多い。

 そのうち,声をかけるときの姿勢や息の出し方が問題らしいとわかってきて、あれこれ吟味が始まる。

呼ばれた気がしない
 ところで、声が届いても,呼ばれた人が「声は来ているけれど,自分が呼ばれたという気がしない」などと言い出すときがある。わたしは、これをよく言われる。「本当は、来て欲しくないと思ってるでしょ!」なんて、核心を突くコメントが飛び出したこともある。

 これはいったいどういうことなのか。最初は、本当にそんなことがあるのか,聞き役の人の勘違いじゃないのかと思った。けれども今は、声を届けるということと,わたしの中の何かが相手に働きかけるということとは,どうも別の次元の問題らしいと思う。

 以前、二人組になって相手の背中に呼びかけるレッスンをやったことがある。そのとき一度だけ、「あ、今は呼ばれたって感じたよ」と言われた。後でどんな風に呼んだのか思い出してみると、一音一音息をしっかり出すようにしてことばを発した瞬間、「(自分は)どこにも隠れられない」と感じたのだった。なぜそんな風に感じたのかは、はっきりわからないけれど、それは、わたしが人に接するときのクセというか、身構えというか、そういうものと関係があるのだと思う。

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