バイオリンの音程と音律の疑問を解くために


まえがき

 バッハの組曲第二番の「ブーレー」では、フルートとバイオリンがユニゾンでアウフタクトのf♯を弾きますが、普通に弾くと音が濁る、モーツアルトの「アイネクライネ」の最初のレ・シ・ソの三重音は、シをいつもより低くおさえないと音が濁る、ピアノ協奏曲K.238の第一バイオリンの第一楽章最初の6度の重音が濁るといった経験、それらは私がバイオリンの音律に疑問を持ったきっかけでした。
 自分の音程に今ひとつ納得がいかないのは、弦の押さえかたの精度が悪いのだろうと諦めている人が多いようですが、私は、精度の問題とは別に、物理的制約からくる音律そのものに起因する問題があることに気がつきましたので、数年前から、その現象を物理的観点から解明し、演奏に役立つ方法を考えてみました。
 バイオリンの音律については、ヘマンの「弦楽器のイントネーション」に詳しく書かれていますが、大変わかりにくいようで、何人かの人に聞いてみましがよく理解できなかったようです。
 私は、平均律と純正律の構造を説明することからはじめ、音律そのものに潜む物理的な制約を、誰でも理解できるように説明することを試みました。音を数量的に扱うために、振動数とか分数や対数の計算がでてきますが、高校程度の知識で十分理解できます。

「音程」と「音律」

 バイオリンから実際に出ている音の高さは「音程」ですが、心の中でこうあるべきだと感じている高さのドレミフアの音列が「音律」です。音程が悪いといわれる原因は、不注意などによってその人の音律からずれた音になっていることが多いのですが、ここでは、音律そのものに潜む問題のみをとりあげます。

音律の表し方

 心の中の音律は、子供の頃からいろいろな人が歌ったり、弾いたりした音を聴いているうちに自然に身についたドレミファです。バイオリニストの場合は、先生の「一寸高い」とか「低いよ」の指摘の繰り返しによって、できあがったものでしょう。いずれにしても、そのままでは掴み所がないのですが、幸い、音の高さは、単位をヘルツとする一秒間の振動数で表すことができます。しかし、心の中の音律は、一つの音ともう一つの音の高さの比でできているので、ドからレ、レからミの高さの変化が重要です。したがって、音律は、ある音を1.0としたときの振動数比で表します。
 たとえば、ドを1.0とするとレは1.12、オクターブ上のドは2.0というように。
 さて、バイオリンの一番低い音は、G線の開放弦のソです。以下の説明では、必要に応じ、これをgとし、順次、a,b,cとし、gのオクターブ上はg'、2オクターブ上はg"という風に表すことにします。

分散音の音律の必要条件

 純正五度で調弦された開放弦やそのハーモニックスはバイオリンの魅力ですし、演奏技術上必要なものでしょう。そのため、純正五度の開放弦の音を使った音律であることが条件になります。また、アンサンブルでは、曖昧な心の中の音律ではなく、誰でも理解でき、皆が同じ方法で音をとることができることも条件になります。
 離れた分散音の音同志も、和音同様、なるべく純正な関係にあることが望ましいですが、八度、六度、五度、四度、三度の全てが純正な音律は原理的に不可能ですから必要条件にはできません。

平均律

 平均律は、1オクターブが12個の同じ半音で作られています。半音の振動数比Xは、Xの12乗=2.0から求めます。両辺の対数をとると、12LogX=Log2となり、
LogX=0.3010/12=0.025085 より、X=1.05946 となります。 全音は、半音二つですから、1.05946×1.05946=1.122455 です。平均律の音律は、1.05946の半音と1.122455の全音から構成されています。各音の振動数比は次のようにして計算します。
 gを1.0とすると、aは、1.0×1.122455=1.122455
 全音上のbは、1.122455×1.122455=1.259905
 半音上のcは、1.259905×1.05946=1.26739です。

純正な関係

 二つの音の振動数比は、次の時に純正な関係です。
2.0(8度), 3/2(5度), 4/3(狭4度), 25/18(広4度), 
6/5(狭3度), 5/4(広3度), 8/5(狭6度), 5/3(広6度)
 
  gより純正5度高いdの音は、gを1.0とすると、1.0×(3/2)=1.5です。また、この音より純正狭4度低いaの音は、(3/2)/(4/3)=9/8というふうに計算します。 
 この整数比から少しはずれると唸りや濁りがでるので誰でもすぐ分ります。

平均律ではオクターブ以外純正和音はとれない

 ドより純正5度高いソは、ドの振動数比を1.0とすると、1.0×3/2=1.5000ですが、平均律では、1.122455×1.122455×1.05948×1.122455=1.498302となり、5度の純正和音から少しずれます。
 また、ドより純正広3度高いミの振動数比は、1.0×5/4=1.25000ですが、平均律では、1.0×1.122455×1.122455=1.259905となり3度の純正和音からかなりずれてしまいます。
 4度、6度も同様に、平均律の音律では、純正な和音がとれません。 
 

二つの純正律

 開放弦と純正な関係をもつA線のb'は、E線の開放弦から純正狭4度下にとった音と、D線の開放弦から純正広6度上にとった音の二つが存在します。
 前者は、gを1.0とすると1.0×(3/2)×(3/2)×(3/2)×(3/4)=81/32=2.53125ですが、後者は、(3/2)×(5/3)=5/2=2.5000となり、二つの音は、耳ではっきり違いがわかります。
 前者は、a'の振動数比(3/2)×(3/2)=9/4との間隔は、(81/32)/(9/4)=9/8となります。一方、後者のa'との間隔は、(5/2)/(9/4)=10/9となります。これらは、いずれも全音の幅に相当しますが、前者のほうが広くなっています。
 前者の全音の幅でd'から下にc'をとると、d'は、(3/2)×2=3ですから、
c'は、3×(8/9)=8/3となり、b'との間隔は、(8/3)/(81/32)=256/243となります。これが、半音です。
 後者の全音の幅で、d'から下にc'をとると、c'は、3/(10/9)=27/10となり、b'との間隔は、(27/10)/(5/2)=54/50となります。これも半音です。
 さて、前者と後者は、それぞれの全音と半音から構成される音律を作れます。
つまり、純正律には二つの音律があることになります。
 しかし、後者の、幅の広い半音54/50=1.08は、前者の狭い半音256/243=1.053に比べて音楽的にどうしても見劣りするようです。平均律の半音1.05948よりもかなり広いのです。導音のときに特に違和感があります。私は、前者の音律が分散音の音律としてふさわしいと考えます。ヘマンは、その著書の中で、その音律を「線的イントネーション」と名づけています。
 

純正律とピュタゴラス音律

 純正律という用語は、音律の専門家の間では、9/8の大全音と10/9の小全音からなる音律を指しているようです。純正律とは、純正和音だけを使って作る音律だとすると、そのような音律も定義に合致しますが、二つの異なる全音からなる音律は、どうみても音楽的ではなく、バイオリニストの頭に混乱をもたらすだけで、全く有害無益なものです。これを音律と呼ぶことには抵抗を感じます。
 私が、使っている、広い全音と狭い半音からなる「純正律」は、音律の専門家がいう「ピュタゴラス音律」そのものです。五度と四度の和音を使い、9/8の全音だけで構成される音律ですから、これを純正律と呼ぶことが自然と考えます。また、普通のバイオリニストにとってなじみのない、ピュタゴラス音律という言葉を使うことは不適当と考えました。
 バイオリンは、平均律で弾くのか、純正律で弾くのかということがよく話題になりますが、専門家が言う大全音と小全音からなる純正律で弾いている演奏家はどこにもいないと思います。純正律でバイオリンを弾くというのは、実はピュタゴラス音律だったのです。ですから、この文章では、ピュタゴラス音律を純正律と呼ぶことにしました。
 ほとんどの音楽、とくにアンサンブルでは、旋律と和声の組み合わせでできています。和音の純粋性が気になるときでも旋律の音律を変更する必要はなく、それに合わせる側の音程を臨機応変に調整することで十分です。そのための特別な音律は必要ないのです。一流の弦楽四重奏団では、主旋律の音程が少々はずれていても、他のパートが、はずれた音に調和するように弾いているようです。

和音を使う純正律の音のとりかた

 幅の広い全音と狭い半音で作る純正律は、開放弦と純正8度、5度、4度の和音を直接あるいは間接的に使って全ての音をとることができます。
 
ハ長調の場合を示します。
 g(G線)-8度-g'(D線)-5度-c(G線)-狭4度-f(D線)
  d(D線)-狭4度-a(G線)  
  a'(A線)-狭4度-e(D線)−狭4度-b(G線)
  g(G線)-8度-g'(D線)-狭4度-c'(A線)-狭4度-f'(E線)
  e'(E線)-狭4度-b'(A線)
  d'(A線)-狭4度-g"(E線) 

次は、ニ長調の♯のついた音のとりかたを示します。
 b(G線)-5度-f♯(D線)-狭4度-c♯(G線)
  f♯(D線)-5度-c'♯(A線)
  b'(A線)-5度-f'♯(E線)

ハ短調の♭のついた音のとりかたは次のとおり
  5度でf'(E線)-b'♭(A線)-e♭(D線)-a♭(G線)
  5度でf(D線)-b♭(G線)
  a♭(G線)-8度-a'♭(D線)
  e♭(D線)-8度-e'♭(A線)-狭4度-a"♭(E線)
 
 E線から、広3度低いc'は、g=1.0とすると(3/2)×(3/2)×(3/2)×(4/5)=27/10=2.7です。純正律のc'は、g'から狭4度上ですから、2×(4/3)=8/3=2.666となり、純正律のc'より少し高くなります。
 D線から広6度高いb'は、純正律のb'より低くなることは、既に述べたとおりです。 

和音でとった純正律の振動数比と音の間隔

 和音でとった純正律の音が、全て、9/8の全音と、256/243の半音でできていることを、計算で確かめると次のようになります。以下、gの振動数比は1.0とします。
 
 ハ長調の場合、aを開放弦dから狭4度でとると、dは3/2ですから、aは、(3/2)×(3/4)=9/8となりg-aの間隔は9/8です。d-e,a'-b'も同様です。
 bは、D線のeから下に狭4度でとると、eは、(3/2)×(9/8)=27/16ですから、bは(27/16)×(3/4)=81/64となり、a-bの間隔は、(81/64)/(9/8)=9/8です。
 cは、D線のg'から5度下にとると、g'は2.0ですから、2×(2/3)=4/3となり、b-cの間隔は、(4/3)/(81/64)=256/243となります。c-dの間隔は、dは3/2ですから、(3/2)/(4/3)=9/8です。
 fは、G線のcから、狭4度上にとると、cは4/3ですから、fは(4/3)×(4/3)=16/9
となり、e-fの間隔は、(16/9)/(27/16)=256/243となります。b'-c'も同様です。 f-g'の間隔は、2/(16/9)=9/8となります。
 a'は、(3/2)×(3/2)=9/4ですから、g'-a'の間隔は、(9/4)/2=9/8です。
  c'-d'の間隔は、c'はg'から狭4度上にとると2×4/3=8/3、d'は(3/2)×2=3ですから、c'-d'の間隔は、3/(8/3)=9/8です。
 f'は、c'から狭4度上にとりますから、(8/3)×(4/3)=32/9です。e'-f'の間隔は、e'が(3/2)×(3/2)×(3/2)=27/8ですから、(32/9)/(27/8)=256/243となります。
 f'-g"の間隔は、g"が、1.0×2×2=4ですから、4/(32/9)=9/8です。
 g"-a"の間隔は、a"は、(3/2)×(3/2)×2=9/2ですから、(9/2)/4=9/8です。 

 次に、ニ長調の♯のついた音と前後の音との間隔を確認します。 
 G線のbから5度上にとったf♯は、(9/8)×(9/8)×(3/2)=243/128ですから、
e-f♯の間隔は、(243/128)/(27/16)=9/8です。f♯-g'の間隔は、gは2.0ですから2/(243/128)=256/243となります。f♯から狭4度下にとったG線のc♯は、
(243/128)×(3/4)=729/512ですから、b-c♯の間隔は、(729/512)/(81/64)=9/8となります。また、c♯-dの間隔は、(3/2)/(729/512)=256/243です。
 D線のf♯から上に5度とったA線のc'♯、A線のb'から上に5度とったE線のf'♯は、計算しなくてもいいでしょう。

  ハ短調のフラットのついた音の前後の音との間隔を計算します。
 E線のf'から5度下にとったA線のb'♭は、(32/9)×(2/3)=64/27です。a'-b'♭の間隔は、(64/27)/(9/4)=256/243です。b'♭-c'の間隔は、(8/3)/(64/27)=9/8です。D線のe♭、G線のa♭も同様です。
 G線のa♭から8度上にとったD線のa'♭は、a'♭が(256/243)×2=512/243ですから、g'-a'♭の間隔は、(512/243)/2=256/243です。また、a'♭-b'♭の間隔は、(64/27)/(512/243)=9/8です。

 このとおり、計算したものは、全ての音が、9/8の全音と256/243の半音でできていることが確かめられました。

純正律の振動数比一覧

 今までの計算ででてきた振動数比をまとめました。
 g=1.0  a=9/8  b=81/64  c=4/3  d=3/2 
  e=27/16  f=16/9  g'=2  a'=9/4 
  b'=81/32  c'=8/3  d'=3  e'=27/8
  f'=32/9  g"=4  a"=9/2
  c♯=729/512  f♯=243/128  c'♯=729/256  
  f'♯=243/64
  a♭=256/243  b♭=32/27  a'♭=512/243 
  b'♭=64/27  e♭=128/81  e'♭=256/81

3度、6度の和音をとるときの音律の調整

 「アイネクライネ」の冒頭のd,b',g"の三重音は、純正律のb'を使うと、音が濁ります。dと純正な広6度のb'は、gを1.0とすると、(3/2)×(5/3)=2.5000ですが、純正律のb'は、(3/2)×(3/2)×(3/2)×(3/4)=2.53125ですから、b'は、それより約5.5ヘルツ低めに押さえる必要があります。
 
 a'(A線の開放弦)と純正狭4度のe(D線)の和音に対し、広6度の純正和音gは、開放弦より少し高くなります。eは、(3/2)×(3/2)×(3/4)=27/16ですから、これより純正広6度低いgは、(27/16)×(3/5)=81/80=1.0125となります。G線の開放弦1.0より1.25%(約2.7ヘルツ)高くおさえる必要があります。G線の開放弦をそのまま弾くとgが低く聞こえてしまいます。
  
 このようなケースは、無数にありますのでここに網羅することはできませんが、主音はそのままにして、相手方の音を調整するのが原則でしょう。

純正律と異名同音

 平均律の半音は、全音の半分ですから、e♭とd♯は同じですが、純正律の半音は、半分より狭いので注意が必要です。
 
 ト長調のf♯とeの間隔は全音ですから、g=1.0とすると、f♯は3/2×3/2×3/4×9/8=243/128、g'は2.0ですからg'とf♯の間隔は、2/(243/128)=256/243、つまり狭い半音です。したがって、f♯は、g'から狭い半音を下にとることになります。
 
 ヘ長調のb'♭とc'の間隔は全音9/8です。c'は、2×4/3ですから、b'♭は、2×4/3×8/9=64/27、a'は9/8×2=9/4ですから、その間隔は、(64/27)/(9/4)=256/243、つまり、狭い半音になります。したがって、b'♭は、a'から狭い半音を上にとることになります。
 
 このように、純正律では、♯は、「半音上げる」ではなく、一つ上の音から、「狭い半音だけ下げる」が正しいのです。また、♭は、「半音下げる」ではなく、一つ下の音から、狭い半音だけ上げる」が正しい音のとりかたです。
 このため、d♯は、e♭より高くなり、異名同音にはなりません。

より簡便な純正律の音のとりかた

 先に、和音でとる方法を説明しましたが、♯や♭がつくと手間か゜かかったり、誤差が増えるし、ハイポジションでは使えないので、もっと簡便な方法が必要になります。
 純正律は、全ての調が、狭い半音256/243と広い全音9/8の組み合わせでできています。それの幅を憶えれば、どんな音も容易にとることができます。そのためには、その幅をしっかり憶える必要がありますが、それには、たとえば、g-a-b-cといった音列を正確に繰り返し弾いて体に憶えこませるのも一つの方法でしょう。

ニ長調の例を指板上で示します。
--は9/8の全音、-は256/243の半音です。
   e'--f'♯-g"--a"
   a'--b'--c'♯-d'--e'
   d--e--f♯-g'--a'
   g--a--b--c♯-d
   c♯は、dから下に半音、f♯は、g'から下に半音というふうに。

ハ短調は、次のとおりです。
   e'-f'--g"-a"♭--b"♭
   a'-b'♭--c'--d'-e'♭
   d-e♭--f--g'
   g-a♭--b♭--c
  a♭は、gから上に半音、e♭は、dから上に半音というふうに。

アンサンブルで主音がずれる問題

 よくやるように、ピアノのa'440ヘルツにバイオリンのa'をあわせて、b'♭が主音となる曲を弾くと、バイオリンのb'♭は、ピアノのb'♭より、約2.6ヘルツ低くなります。
 平均律のb'♭は、a'より半音の1.05946高いのにたいし、純正律のバイオリンでは、a'より狭い半音256/243=1.053497高い位置です。両者の差は、
1.05946/1.053497=1.00566です。 ヘルツになおすとb'♭は約460ヘルツですから
460×0.00566=2.6036ヘルツです。
 バイオリンをあらかじめ、442.6ヘルツでチューニングすれば、ずれはなくなりますが、曲の途中で転調されると困ります。
 また、442とか443ヘルツで調律されたピアノだと、バイオリンに負担がかかる心配もあるので、難しい問題です。ヘ長調でも同様の問題があります。
 イ長調では、全くずれはありませんが、ニ長調では約0.5ヘルツのずれがあるので、チューニングはa'ではなく、dにすれば、より響きがよくなると思われます。
 
 モーツアルトのピアノ協奏曲K.238の第一楽章の第一バイオリンは、d-b'♭の二重音で始まります。dの振動数比を1.0とすると、純正律のb'♭は、3/2×256/243=128/81=1.58025ですが、これと狭6度低いdは、(128/81)×(5/8)=80/81=0.98754となり、dの開放弦を使うと音が濁ります。もし、開放弦と純正狭6度高いb'♭をおさえると、1.0×8/5=1.6000となり、純正律のb'♭より1.6/1.58025=1.01106だけ高くなってしまいます。約4.9ヘルツ高くなります。主音のb'♭が、平均律より高くなるという難問に逢着します。純正律にこだわるなら、dの開放弦を使わず、面倒ですが、G線で低めのdとD線のハイポジションのb'♭で、純正な6度の二重音をとるしかありません。e♭とgの6度では、純正律にこだわると、gの開放弦より低い音がないので解決策はありません。

 このような問題は、和音の調整で述べたように、どのような場合でも、主音はそのままにして相手方の音を調整するというのが原則でしょう。アンサンブルの各パートは、このことを常に念頭において、音を調整する必要があります。
 
 

平均律と純正律の比較

 cを1.0としたときのハ長調の振動数比の一覧です。
    平均律  純正律  純正律/平均律 
c      1.0           1.0            1.0
d      1.12245      1.125         1.00227
e      1.25991      1.26563      1.00454  
f      1.33482      1.33333      0.99888
g'      1.49828      1.5            1.00115  
a'      1.68174      1.68750      1.00342
b'      1.88769      1.89844      1.00569
c'      2.0            2.0            1.0
次に、a'を440ヘルツとしたときの振動数の比較を示します。単位はヘルツ。
    平均律   純正律     差 
c      261.633      260.741       -0.892
d      293.671      293.333       -0.338
e      329.634      330.0            0.366
f      349.234      347.654       -1.58
g'     391.999      391.111       -0.888
a'     440.0         440.0            0.0    
b'     493.882      495.001         1.119
c'     523.267      521.481        -1.786  

振動数比のセント表示

 振動数比は、1オクターブを1200等分した、セント値で表すと便利な場合があります。1オクターブの振動数比は2.0ですから、1セントの振動数比xは、xの1200乗=2.0から求めます。両辺の対数をとると、1200Logx=Log2.0から
Logx=0.30103/1200=0.00025086    ∴x=10の0.00025086乗=1.000577789
となります。
 2セントは、1.000577789の二乗=1.001155921
 100セントは、1.000577789の100乗=1.059463041です。これは、平均律の半音に相当します。200セントは、平均律の全音です。1200セントは、1オクターブの振動数比2.0 に相当します。
 純正律の全音、9/8=1.125のセント値は、1.000577789のX乗=1,125から求めます。両辺の対数をとると、xLog1.000577789=Log1.125より
x=Log1.125/Log1.000577789=203.91セントとなり、平均律の全音200セントよりも3.91セント広くなっていることがわかります。
 セント表示の小さな数字は、われわれの感覚で確かめることはできません。ただ、平均律の半音が100セントですから、それと比較すれば漠然と理解することはできます。また、a'の440ヘルツの音に対して、10セント高い音は、
440×(1.000577789の10乗)=442.5489ですから、この辺りの10セントは、二つの音の振動数差2.55ヘルツに相当します。これは、唸りの数を耳で確かめることができるので感覚的に理解できます。a"880ヘルツでは、同じ10セントが、5.1ヘルツになります。

バイオリニストと音律

 有名なカール・フレッシュの「バイオリン奏法」には、「音律」にふれた記述はありません。しかし、#や♭のとりかたの説明から、彼は、おそらく純正律(ピュタゴラス音律)で弾いていたと推定されます。
 ジュリアード音楽院のガラミアンの「バイオリン奏法と指導の原理」には、平均律か純正律かという言葉がありますが、中味には全く触れていません。「バイオリニストは数学的公式に従って演奏するわけではない。自分の耳の判断に従うばかりである」、また「演奏者は、その音程を合奏する楽器にマッチするよう絶えず調節しなければならない」ともいっています。
 この二人の言っていることは、おそらく大部分のバイオリニストが音律に関して抱いている認識を代弁しているように思います。
 研究熱心な二人が、音律の勉強をしなかったとは想像できません。それでは何故音律について言及しようとしなかったのか、その理由は、バイオリニストが、音律を専門とする人達の世界に何か近寄りがたい要因があるためではないかと推測します。音を数量的に扱う必要は、主に、ピアノの調律だったので、そこで発達した理論や手法がバイオリンの演奏には役に立たない世界というふうに感じたことも一つの要因でしょう。
 ヘマンは、音律の世界から目をそらすことなく、音律に正面から取り組んだ数少ないバイオリニストの一人といえます。その著書「弦楽器のイントネーション」にある「線的イントネーション」は、私が長年抱いていた音程のとりかたの迷いを吹き飛ばしてくれました。しかし、和声的音律や平均律については、多分、ヘマンが十分に考察し実地に検証しないまま、付け加えたものと思われます。それらは知識として知ることは必要でしょうが、バイオリンの演奏には必要がないか、実際に音律として使えない代物なのです。ヘマンの線的イントネーションで、三度や六度の和音が濁るときは、その都度、調整をすればすみます。また、わざわざ、苦労して平均律の練習をする必要はないのです。平均律の楽器に合わせて弾けば、結果として、平均律の音になります。ヘマンはそのことに気がついていないのです。ピアノの世界では、他の楽器に合わせるという習慣がないのは当然ですが、弦楽器の世界では、ガラミアンの言うとおり、耳を頼りに楽器に合わせることで十分なのです。

あとがき

 以上の説明で、5度の純正和音で調弦されたバイオリンでは、平均律で弾くことは原理的に不可能であり、純正律がバイオリンには相応しい音律であること。また、純正律には、二つの音律があるが、幅の広い全音と幅の狭い半音で構成される純正律が明らかに音楽的に優れていること。和音、主音のずれ、異名同音には注意が必要なことが納得していただけたと思います。
 純正律の音をとるときに、開放弦と3度や6度の和音でとるのが何故よくないのか、♯は、何故上の音からとるのかがはっきりしたと思います。和音の音の調整のしかた、主音のずれの程度については、全ての調や和音について述べることはしませんでしたが、示された計算方法を使って、必要に応じ計算してください。
 
 バイオリンは、ピアノと違って、細かい数字どおりに弦をおさえることはできないし、チューニングも狂ってきます。これらの数字を忙しい演奏中には考える余裕もなく、また、和音の純正さがどうしても必要なケースはそれほど多くないと思われますが、和音の唸りや濁りが気になったり、アンサンブルのメンバー同士でお互いに相手の音程に疑問が残るようなときには、きっとこの文章が役に立つと思います。 
 バイオリニストはもちろん、ピアノや管楽器奏者にとってもバイオリンの音律の物理的な構造と制約を理解することは、特にアンサンブルで遭遇する疑問の解消に必ず役立つものと信じています。
 
 純正律が、バイオリンにふさわしいことは明らかですが、それが唯一無二の理想的な音律かどうかについては、断言できません。天才的バイオリニストが弾くカデンツァの音を精緻に分析すれば、別の答えがあるかもしれませんから。
 
 なお、この文章についてご指摘・ご感想をメールでいただければ幸いです。
   
 最後に、この小論の一部または全部を引用したり転載されるときは、著者の許可と出所を明記することが必要であることを付記します。
  初版発表年月日  2007年11月20日 
  著者氏名       坂元 毅              

参考文献

クリスティーネ・ヘマン著 竹内ふみ子訳 「弦楽器のイントネーション」
東川清一編 「古楽の音律」 

改訂記録

07/11/23  変更
    音名表示方法を全面的に変更
07/11/26  追加
    「和音でとった純正律の音の振動数比と間隔」
    「純正律の振動数比一覧」
08/8/17 追加
    「振動数比のセント値表示」
        「純正律とピュタゴラス音律」
08/08/23 追加
    「バイオリニストと音律」
    




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