春日の里にまします春日神社は、当時の皇太子、後の天智天皇が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、この地春日に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたこと始まります。
神護景雲二年(768年)太宰大弐 藤原田磨が、春日の地に藤原家の祖神 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が祀られていることを知り参拝されその後、故郷の大和の国、奈良の春日大社から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎へ神社を創建されました。
しかし戦国時代末期の天正十四年(1586年)七月、戦乱の兵火にかかり社殿、宝物、文書などの一切を焼失してしまいました。
その後、慶長五年(1600年)に黒田長政公が筑前国主に任ぜられ、その家老黒田一成公が春日村知行領主となられました。この一成公の祖先も藤原氏であることから社殿の復興を命ぜられ寛永四年(1627年)に再興されました。
その後、元禄九年(1696年)には三代知行領主黒田一貫公によって社殿を境内上段に引き上げられ、遷宮の大礼がなされました。
以後三百年の年月が流れ社殿も老朽化が進み、平成八年(1996年)社殿の総改修、境内地整備を行い現在に至っております。
境内には福岡四代藩主綱政公や六代藩主継高公奉献の石灯籠、高麗拘、鰐口秋月四代藩主黒田長貞公奉献の庚申面などがあり歴代藩主の崇敬の深い神社でもありました。
境内後方より(春日市南部を眺める 572k)
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