8月30日。
 
部室長屋。夏休みとはいえ、部活動は細々と続けられている。今週ーーーと言ってももう今日と明日しか無いが、当直は浅羽だった。
そいつらは突然やって来た。
「よう、元気してたか」
榎本は顔を見るなりそう言ってにやりと笑った。
「少し背が伸びたわね」
椎名ーーー今では本名ではないとわかってはいるが、他に呼びようもないのでーーー真由美が言った。
「...何の用ですか」
一歩下がって警戒に身を固くしつつ、浅羽直之はその言葉を口にした。
「おーおー。そんな警戒すんなって。別に何もしやしねーよ」
そう言いつつ榎本は一歩踏み出す。その右足がぎこちないことに気が付いた。
右。右足。右半身。あの時、サブマシンガンで撃ち抜いたのも右半身だった。
浅羽のその視線に気が付いた榎本は、
「ん?これか?...おめーの所為じゃねーよ。おめーに撃たれたのは右半身とはいえ上半身。これはあの後の後始末でヘマした烙印さ」
だが、浅羽に受けた傷が治りきらずにミッションに参加せざるを得なかった所為で負傷したことは言わないのがこの榎本という男だ。
「...それで、何の用ですか」
警戒を解かずに再度浅羽が尋ねる。
「お前に頼みがある。...多分、お前にしか出来ない頼みだ。お前に出来なかったら、この世の誰にもできんだろう」
「...また僕に何をやらせようって言うんですか」
更に警戒を強めて浅羽が尋ねる。榎本が不用意な言葉を漏らせば、即座に立ち去らんばかりの拒絶感を全身に漲らせて。
「榎本、あんたは黙って。...浅羽君、とりあえずわたしの話を最後まで黙って聞いてくれないかな」
椎名が前に出て来て言った。
浅羽は無言で頷く。椎名は話し出したーーーーー
 
「高度80km。中間圏。空力特性なんて意味を持たないくらい希薄な大気しかない。大気圏のうちでありながら、人間にとっては宇宙と同じ」
何を話そうとしているのかまるきり見当が付かなかった。
「被弾98。動作不良率79%。撃破率ーーーーー100%」
どきん。心臓が跳ねた。
「ブラックマンタの動力系が4度も悲鳴を上げた。わたしもーーーわたしだけじゃない、誰も見たことがなかったし、これからも見ることはないであろう動き。
あのブラックマンタを持ってしてもそんな動きが出来るとは思えない動きが4度。その動きを持って、圧倒的に不利だった形勢が逆転した」
間違いない。これは。あの。・・・の。最後の。最期の。さいごの。
「一緒に出撃した子機は全て破壊されたけれど、母機は生き残った。最後まで生き残った。無事とは言えないけれど、まだ飛んでいた。
ディーン機関はもう動かなかったけれど、サブシステムのジェットエンジンだけで、帰還出来るーーーーーー筈だった」
はず?筈だった?はず...ってどういう意味だったろう。
「『ミッションコンプリート。これより帰投しま』
それが最後の通信。その通信を最後に、ブラックマンタは空中分解した」
空中分解。それが何を意味するか。中間圏。成層圏。気圧。気温。浅羽の心臓の鼓動はさらに早くなった。
ーーーーーこの人達は、伊里野の、最期を、僕に、わざわざ、し、ら、せ、て、ど、う、し、よ、う、と、い、う、の、だ、ろ、う。
塞がったかに見えたあの夏の傷跡。
知らないという事実に裏打ちされた、知らないが故に抱いていられた、そしてこれからも抱いていられるはずだった、僅かな希望。
それをわざわざ打ち砕きに来たのか。この人達は。こいつらは。
浅羽の目に燃える怒りに気づいた椎名が先を続ける。
「ブラックマンタは貴重。でもパイロットはもっと貴重」
その言葉にほんの少し、気が取られた。
「だから、脱出システムは3重に構成されている。...わたしはメカ屋じゃないから詳細はわからないけれど、とにかく脱出システムは機能した」
機能した。機能した。きのうした。キノウシタ。昨日した。
それって、それって...
「脱出ポッドは南太平洋に着水。現場付近にいた巡洋艦が急行、回収」
椎名は台詞を読むように、淡々と続ける。まるで感情を込めずに。いや、込めたくないかのように。
「ポッドは被弾していた。気密は保たれていなかった。それの意味する所は」
嫌な予感がした。
 
 
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