「低圧、低温、G、それまでの過負荷、ありとあらゆる負の要因が彼女を襲っていた」
浅羽は耳を塞ぎたかった。けれども塞げなかった。
「それでも」
椎名が一呼吸置いた。おや、と浅羽は顔を上げて椎名を見た。
相変わらず感情を出さないように努めていた椎名だったが、僅かにーーーーー歪むのがわかった。
「加奈ちゃんは生きていた」
 
耳元でファンファーレが鳴ったような気がした。
生きていた。いきていた。生きて。いきて。イキテイタ。
浅羽は先を促すように椎名の顔を見た。そしてーーーーー
相変わらず椎名真由美が苦渋に満ちた表情をしていることに気づいた。
「右上腕骨、右橈骨、右中手根骨粉砕。右尺骨、右鎖骨複雑骨折。第2、第3肋骨単純骨折。
左上腕骨、左橈骨、左尺骨複雑骨折。左1、2、3、指欠落。
右肺、脾臓、両腎臓破裂。肝臓出血、卵巣、子宮破裂、小腸、大腸焼損。左右大腿骨粉砕、両下肢欠落」
なんだか難しい言葉が流れていく。今の浅羽の頭では半分も理解出来ていない。それでも伊里野が重傷を負っていたことは理解出来た。
「常人なら、いえ、鍛え抜かれた軍人ですら生きていられるとは思えない、そんな状態だったけれど、彼女はーーー生きていた」
そこで椎名は一息ついた。榎本が引き継ぐ。
「椎名、そっから先はおれが説明する」
そして浅羽に向き直る。浅羽の敵意と警戒心は既に消えている。そのことを確認すると、
「クローンって知ってるか?」
いきなり尋ねた。
「クローン?」
鸚鵡返しに浅羽が答える。
クローンって、もとの生物とおなじ生き物を作る技術じゃなかったっけ。クローン牛だか羊だかがいたような気がする。
そう榎本に言うと、
「そんなのはクローンのうちに入らない。歴戦のパイロット、優秀な指揮官、そういった連中を脳みそがやられない限り戦いに引きずり出すための技術、それがクローンだ」
「ちょっと、あんた」
「うるせえ。いくら言い繕ったってそれが真実じゃねえか。...で、ディーン機関と共に、研究開発が続けられていてだな、機関の方は知ってのとおり実用化されたんだが、
クローンの方はまだまだってわけだ。...それが、去年の秋、実用化の目途が付いたと言う理由で実施された」
まだ頭が混乱している浅羽は椎名の話と榎本の話の関連性がよくわからない。だが、突然ひらめいた。
あいつらは、あいつらは、伊里野を、もう一度、戦わせようと、して、いるのだ。その、クローンと、いう、技術を、以て。
握りしめられて血の気の無くなった拳を見て榎本は、
「ちょっと待て。お前、勘違いしてるような顔してるぞ?...先に言っとく。ブラックマンタを操るには幼い時から始める神経系への『操作』と『処置』が必要なんだ。
...だが、半分は当たってるかも知れん。いいか、伊里野は、ブラックマンタのパイロットとして再び戦うためにクローン治療を受けたんじゃない。
クローン治療の実験台にされたんだ」
「ちょっと!そんな言い方しなくたっていいでしょ!!」
椎名が激昂した。
「本当のことだろうが。...いいか、浅羽、実験台にしたのは事実だ、だが、あの時の伊里野は、既に人間としての余生を送れる身体じゃなかったんだ。
 最後の戦いにだけ行ければいい、そんな治療だった。ドーピングに次ぐドーピング。薬によっては通常の3倍から10倍も投与された。
 伊里野の内臓はもうぼろぼろだった。お前だってわかっているはずだ。
 それが更にひどい状態になって帰還した。もう生きているのは脳だけだと言っても過言ではない状態さ。
 その伊里野を、たとえ実験台にせよ、助ける道があるとしたら、...俺たちは賭けたんだ」
一度俯いたが、もう一度顔を上げると浅羽に真っ直ぐ向き直り、
「伊里野の脳をーーーーー伊里野のクローンに載せ替えたんだ」
 
そんなことが出来るのか。つまり、伊里野と同じ外見の...中身も同じ少女の、無垢な...肉体に、伊里野の脳を移植した、と。
「クローンで再生出来るのは肉体だけだ。本来は腕とか脚とか、内臓の一部を移植するのが目的で開発された技術なんだが、
途中から、ブラックマンタのパイロットを増やす目的に切り替えられた。
つまり伊里野なら伊里野を何人も作り出す、そういう目的だった。
しかしそれは幸か不幸かーーー俺は幸いだったと思うがねーーー上手くいかなかった。
記憶と経験はコピーすることが出来なかったんだ。それで、兵士量産の悪夢は見ずに済んだ。
だが、今度は間違いなく幸いだったことにーーーーー伊里野のクローン体が残っていた。そして移植はーーーーー行われたんだ」
 
 
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