「手術は成功した。もともと生物学的に同じ肉体だ、拒絶反応の起こる筈がない。2次感染も起こさず、順調に回復したーーーーー筈だった」
まただ。また。いつもそうだ。伊里野が、幸せになろうとすると、必ず、邪魔が、入るんだ。
「伊里野は元気になった。もう鼻血なんか出さない。髪だって元の色だ。手首に金属球なんて無い。
 もうブラックマンタを操ることは出来ない。もう戦わなくていいーーーーー」
それじゃあ、何がまずいのだろう。
「じゃ、じゃあ、何がいけないんです?」
浅羽のその問いに榎本は、
「伊里野のーーーーー、」
言い淀んで、
「魂がどっかいっちまった」
 
え?
魂?なんだそれ?
わけのわからないという顔をしていたのだろう、椎名が引き継いで、
「つまりね、加奈ちゃんは自分の意思という物が無くなっちゃったのよ」
浅羽の肩が落ちる。
「記憶はほぼ正常。こちらの問いには正確に答える。命令にも従う。
 ...長い命令は駄目だけどね、座れ、とか階段を登って3階まで行け、くらいなら平気。
 でも、自分からいっさい喋ろうとしない。
 食事だって、寝るのだって、はてはトイレだって、命令しなきゃ行かないのよ。...おかしいでしょ!?
 脳の記憶というのは、内側の「古い」皮質から外側の「新しい」皮質に向かうに従って、
 本能的なものから理性的・論理的なものへと変化するの。
 自分の名前は忘れても、言葉は忘れない。言葉は忘れても、食べることは忘れない。
 ...なのに、加奈ちゃんは、生きることを忘れちゃったみたいに...」
椎名が俯く。泣いているのかとも思ったが、そうではなかったようだ。
「そう、加奈ちゃんは生きる目的を見失っちゃったんだとおもう。
 ...あの最後の出撃、浅羽君、あなたのために、あなたのためだけに、加奈ちゃんは飛んだわ。
 あなたのために戦って、あなたのために死ぬ。それが加奈ちゃんの思い。強い思い。
 そのおかげで、わたしたちは助かった。でも思いがけず、加奈ちゃんは生き残った。
 生き残って何をする、そんな夢を抱くことも叶わなかった状況で生き延びた。
 だから、加奈ちゃんは、生きる目的を無くしたんじゃないの。
 一時的に見失っただけなの。...それを取り戻してあげられるのはあなただけなのよ、浅羽君」
 
ようやく長い長い説明が終わった、そんな感じがした。
「何でですか」
浅羽がぽつりと言った。
「何で今度は話してくれるんですか...前は、何も知らせずに、僕を、」
「何だお前、説明しなかったらとうにどっかへ逃げ出してたろうがよ」
「それにね、今度のことは細かい技術的なことを除けば軍事機密じゃないし、...曲がりなりにもシルバースター貰った英雄なのよ、あなたは」
シルバースター。そんなもの貰うと同時にどっかやってしまった。
運が良ければまだ家のどこかにあるかも知れない。そうでなければとっくに焼却炉行きだ。
だが有難かった。十分な情報というのは人を安堵させる。情報の共有はもっと安堵させる。
今回の浅羽は、伊里野について十分とは言えないまでも、何を成すべきか、間違った判断を下さずに済む程度の知識を持つことが出来た。
「でだ、伊里野の目的ってのはお前だ。だからお前が伊里野をなんとかしてやってくれ。頼む。俺も椎名も出来るだけ協力するから」
「それで、伊里野は今どこに?」
「外だ」
学校の敷地外、例の白いバンの中らしい。
「成増小とか獅子ヶ森とか連れ回してみたんだがな。駄目だった」
ずきん。浅羽の胸の古傷が痛んだ。...不甲斐なかった自分。伊里野を壊してしまった自分が、かつて其処にいた。
浅羽は榎本、椎名と共に校門へ歩いていく。バンが見えた。
榎本がまずバンに歩み寄り、ドアを開ける。中に向かって何かを言っている。
そして榎本はこちらを向きーーーーー
少女が、姿を現した。
長い髪。一緒に逃避行をした髪の色ではない。
プールで初めてあった時の色でもない。
僅かに紫がかった黒髪。
それが伊里野の本当の髪の色だった。
髪の長さも、浅羽が刈った髪の長さではない。初めて逢った、あの日の長さ。腰にまで届く黒髪。
それを除けば、あの日、別れたままの、伊里野が、そこにいた。
こんな瞬間を、期待していた、筈なのに、言葉が、何も、出て、来なかった。
そのまましばらく浅羽はそこに立ちすくんでいた。
伊里野も立ったままでいた。
しかしそれは、自分の意思ではなく、命令がないから、最後にとった姿勢のままでいる、それだけのことだった。
 
 
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