地元の高校を卒業後、予備校を経て、首都圏の大学に入学。
卒業と同時に日本のとある離島に赴任。(全く希望してないのに)
赴任後半年足らずで自律神経失調症を発病。(神経(心)が弱る(疲れる)?もしくは心のバランスを崩すとでもいうのかな?診断書には心因反応とかいてありました。) その後、統合失調症であることが発覚。(オレの精神はかくもはかない)
仕事の傍ら、調査研究に没頭、
1年目は島の地下水量の変動と雨量の関係について調査、ある一定以上の降雨があると翌日の地下水湧水量にすぐに跳ね返ることをつきとめた。
2002年は島民に課せられていた重税・人頭税が廃止されてちょうど100周年にあたり、子供たちの視点からみた劇「希望〜子供たちの人頭税物語〜」を市が企画、一般市民を募集して作られた。私は、スタッフとして小道具、また、人頭税廃止運動のリーダー「中村十作」を追う士族として、舞台にたった。
2001年11月、字大浦にある産廃処理場で大規模な火災が発生、産廃業者のずさんな管理と、監督者である県の責任が問われる。大浦住民は立ち上がり、刑事訴訟を起こす。市が調査委員会を発足、委員長に信州大学の講師が選ばれた。2002年5月調査委員会の講師を招いての講演会「大浦の産廃処理場で何が起きているのかを考える集い」が開かれた。私はその実行委員会の事務局長に選ばれた。考える集いは成功裏に終わり、その実行委員会を受ける形で、「大浦の生命とくらしを守る会」が結成された。 しかし、脱落者が続出、うまくいかず、島の市民運動の弱体さが露呈された。
アメリカのイラク攻撃反対運動は島にも波及し、2003年3月8日、島でイラク攻撃反対集会の開催が決定した。僕は、呼びかけ人の一人として、周囲に少しずつ呼びかける。
4月、○○に転勤が決定。(全く希望してないのに)
新しい職場で、懸命に仕事を覚える。
4月17日、一人立ち。
2003年4月、米軍基地のある市で前市長の汚職による失職を受けて市長選が行われた。 結果は、米軍基地の国外全面撤去を公約に掲げた、前県議の革新系の候補が当選した。それを受ける形で県議補選が行われる。革新系から25歳女性(独身)が立候補し、基地の全面撤去、若者の就職難の打開、老人福祉の充実を公約に掲げる。僕は一活動家として、彼女の当選をめざし、選挙運動に参加する。 彼女は以前住んでいた島の市長選のウグイス嬢をしており、僕とは面識があった。
6月1日、投票。
基地返還に向けた、大きな一歩を踏み出せるか。
2004年4月○○○に転勤。(全く希望してないのに)
2004年8月15日(終戦の日)、隣の市で'04 Peace Note Festival 開催。 僕は、ピアノと三味線で参加。音楽にのせて平和を訴える。 弾いた曲、スカ「call from rio」、ミスチル「タガタメ」、「I'll be」島唄、童神、涙そうそう、島の民謡「とうがにあやぐ、豆が花、酒田川」
2005年3月、気象予報士に祝合格。今後の業務に活かせるか?
2004年6月、憲法9条を守るべく、著名人9人によって「九条の会」が設立された。その動きは全国に広がり、全国いたるところで○○○9条の会が結成された。その余波は僕が住んでいる市にも広がり憲法9条の会○○○準備会が動き出す。僕はその実行委員として会設立に向けて参画した。2005年10月1日「憲法9条の会設立のつどい」が市で斉藤貴男氏と小室等氏を招いて開かれ900人が参加し集いは成功を収めた。 果たして憲法9条守り抜くことができるだろうか?
2006年12月、私の住む市の9条の会2周年の集いが開催された。その会のパネルトークで、僕はパネラーとして品川正治氏らと壇上に立った。ネットでのウヨクとの戦いについて語った。
小泉、安倍政権の進める新自由主義政策(日本版構造改革路線)によって、日本は格差社会に突入した。その余波は青年層に顕著に広がり、青年層の雇用情勢の悪化が深刻となった。その打開として僕の住む地域で、青年革新懇を立ち上げようという動きが始まり、2008年2月23日、○○県南青年革新懇が結成された。僕は初代事務局長に選ばれ、会の立ち上げに参画した。
2008年4月、○○に転勤。防災の仕事に携わることとなる。