第2章 ふたつの事例研究

はじめに


 前章でみたように、現代日本の地方自治体はほとんど例外なく中央政府からの補助金をその財源のかなりの部分として依存している。それでは、そのことがどのようなかたちで地方行政の「現場」でみることができるのか。それをあきらかにするためには、具体的な事例によって現地調査する以外に方法はない。
 このような問題意識から、平成8年から12年にかけて、全国合計12の自治体についてそれぞれ現場にでかけて予備調査をおこなった。そのなかには小規模な「むら」としては、たとえば石川県白峰村、宮崎県椎原村などがふくまれ、またやや大規模なものとしては愛知県弥富町、滋賀県長浜町などがふくまれる。そして、一連の予備調査ののち、代表的な自治体として岩手県大迫町、岡山県美星町のふたつの自治体について詳細な調査研究をおこなうことにした。そしてこのふたつの自治体のうち大迫町では平成13年10月、美星町では同年11月に最終調査をおこなった。

 これらふたつの自治体を選定した理由はつぎのとおりである。

(1)両自治体ともかっての山村で、農林業をその主たる生業としてきた伝統的村落を基盤にしていること。

(2)ともに人口規模7000人、財政規模50億円ほどの小規模自治体で、いっぽうでは町村合併による広域化をすすめながら、他方では日本の「むら」の原型を維持しつづけていること。

(3)ともに過疎指定をうけ人口減に直面しており、その解決策として都市と農村の「交流事業」による活性化を策定して、そのための補助金を有効に利用していること。

(4)ともに伝統民俗文化として神楽を保存継承し、そのための「伝承館」を補助金によって建設し、都市化のなかでの伝統保存への意欲がたかいこと。

(5)大迫町は農業経済学者のいう「東北日本型」農村、美星町は「西南日本型」農村を代表するものとして比較検討が可能であること。

(6)過去にさかのぼって行政資料の保存状態がよく、また首長以下、行政担当者がこの調査の趣旨を理解し、協力を惜しまれなかったこと。

 このような経緯からふたつの自治体、すなわち「むら」をえらび、そこでさまざまな資料を閲覧すると同時に関係者からはなしをきき、またそれぞれの「むら」のなかでの参与観察をおこなうことができた。
 両自治体の比較研究のため、資料などはできるだけおなじ書式、おなじ年代で統一することにつとめたが、それぞれの統計の手法などにちがいがあり、かならずしも整合性をとることはできなかった。
 なお、以下の考察について、解釈はもとより、事実関係や数字などに誤記があったとすれば、それはすべて研究者のがわの責任であることを付記する。



事例研究1(岩手県大迫町)


2−1−1 大迫町の概略


 岩手県稗貫郡大迫(おおはざま)町は東経141゜17´、北緯39゜27´、県庁所在地の盛岡から東南に約20キロ。県のほぼ中央に位置する自治体である。東西の最長部は25キロ、南北は19キロである。年間平均気温は9.3度、最低は2月に−12.2度、最高は8月の22.1度であって、年間降雨量は850ミリ。高原性の風土といってよい。
 いまの大迫の地域は考古学的には縄文遺跡のおおいところで、立石遺跡、亀ガ丘遺跡などの住居址も発掘調査されている。青森県の山内丸山遺跡発見以前には大迫の観音堂遺跡は東北地方最大の村落だったとされている。
 この「町」は昭和30年1月1日に旧大迫町と内川目村、外川目村、亀ケ森村の1町3村が合併して成立した。西には石鳥谷町、南には東和町、北は紫波町、東は遠野市とそれぞれ境を接している。
(大迫町位置概念図)
 この町を流れる岳川と中居川はその水源を早池峰に発して稗貫川となり、北上川に合流する。その地目は、あとでみるように山林が大部分で、かなり高峻な山地もおおい。ここは「農村」というよりは、あきらかに「山村」であり、交通も不便である。いま大迫にいたる道は鉄道であれば東北新幹線の新花巻駅から約10キロだが、定期バス路線などの交通はなく、現在では町を東西に横断する国道396号線を幹線とする自動車交通にたよっている。隣接する遠野市は柳田国男の『遠野物語』によって知られている山間の僻地とされていたが、大迫もまたおなじ山村文化をわかちあってきた。じじつ、早池峰山を信仰の対象とする早池峰神社は遠野と大迫の両方にあって、競争的共存関係にある。しかし、このような山岳信仰のゆえに、古くから修験道の聖地とされ、いま「早池峰神楽」として知られる神楽の歴史は中世に発し、「岳神楽」と「大償(おおつぐない)神楽」をあわせた「早池峰神楽」は昭和51年5月4日に国の「重要無形民俗文化財」第1号に指定された。あとでみるように、戦後、大迫ではブドウの栽培がさかんになり、それを原料としてワインの生産がおこなわれるようになったので、大迫町は「神楽とワインの里」をキャッチフレーズにするようになった。
この「むら」は北上山地のなかの北上川流域であり、あとでみる地目別面積からもあきらかなように、大部分が山地である。町役場のある中心部からわずか数キロで山地にはいり、水田はわずかな盆地に散在しているにすぎない。人口も激減しており、大迫は(旧)国土庁によって過疎指定をうけ、過疎債も発行してきた。
 具体的な数字でみると大迫の人口は平成7年度で総数7,464人。昭和30年には11,204人だったから過去半世紀のあいだに35%の人口減ということになる。また昭和30年には15歳以下の「年少人口」がぜんたいの34%だったのに平成7年には15%となり、逆に昭和30年には人口のわずか6%だった65歳以上の「老年人口」は平成7年には24%に増加した。「少子高齢化」は歴然としている。
また、大迫町に居住している就業者、通学者計4,789人のうちその25%弱にあたる1,179人は近隣の他の自治体、たとえば花巻、盛岡、などへの通勤者、通学者であって、居住と就業のあいだには乖離減少がある。この「むら」では「空洞化」が進行しているのだ。


2−1−2 産業と生活

 大迫は歴史的にみると南部藩領にぞくし、大迫氏という豪族が支配していたとされる。北上山地の中央にあって、風土的条件は農業に適さず、作物としては雑穀が主体で米作は近世になっても主要農産物にはならなかった。釜石街道(ほぼ現在の国道396号線)の宿場という役割はあり、それはおそらく柳田国男が「花巻より十余里の路上には町場三ケ所あり」とのべた「町場」のひとつであったと推定されるが、「繁華の地」の位置は遠野が独占して、大迫はそれほど殷賑をきわめたというわけではなかったらしい。いや、むしろ過去の大迫は貧困に苦しんだ時期が長かった。天保の飢饉では百姓一揆がおこり、首謀者が処刑されたという伝説に色どられた「天保義民碑」も遺跡としてのこっている。
 そんななかで、近世以後の大迫を潤したのは馬であった。ここは「南部馬」として知られる優秀な馬の馬産地であり、このあたりでは馬と飼い主とが同居する「南部の曲がり家」が民家の形式としてはふつうであった。現在もそのような古い民家はこの「むら」のあちこちの集落でみることができる。
 しかし、馬を飼うことは生業としては成立しなくなった。まず敗戦によって軍馬の安定的需要が皆無になった。伝説的には源平時代にまでさかのぼる「南部駒」という名馬はその使命を果たして歴史から消えてしまったのである。農耕馬の需要も急速な機械化によって消滅した。周囲をけわしい山地でかこまれた山間の「むら」であってみれば、ここで基盤となるべき、そしてなりうる「産業」はまず第一次産業である。大迫にとってのそうした産業は農林業だ。いったい、なにをどのように生産するのがこの「むら」にとって可能かつ有益なのであろうか。その問題をかんがえるにあたって、この地方自治体のおかれた自然環境をみておかなければならない。大迫町の面積は合計250平方キロメートルにちかく、1平方キロメートルあたりの人口はわずか30人。人口密度はきわめて低いが、利用できる土地面積はそれほどおおきくはない。つぎにしめすのがこの「むら」の地目別面積の一覧である。


大迫町地目別面積

区分総面積宅地山林牧場原野その他
KF246.8407.8116.7721.965186.7924.3746.89232.243
比率(100)(3.2)(2.7)(0.8)(75.6)(1.8)(2.8)(13.1)

 このうち農業生産についてみると、稲作はぜんたいの32%で、畑作が優位である。畑作でもっとも多いのはタバコであって、農業生産物の19%をしめる。このあたりの葉タバコは「南部葉」とよばれ、藩政時代から有名だったが明治維新以後、ドイツ商人から葉巻のラッパー用の高品質のものとして認定され、はやくから輸出品目となっていた。江戸末期から現代にいたる大迫のタバコ生産の歴史は町内にある「南部たばこ会館」(設立昭和47年)で展示されている。また昭和49年から54年にかけてタバコ育苗施設が建設されている。現在もタバコ栽培は大迫の農業の基幹のひとつである。現在の栽培種はバーレーが主力である。
 タバコにつぐ農産物はブドウを主とする果実である。その生産量は農業生産の12%である。山村だから、むかしから自生するヤマブドウなどはあったが、ここでブドウを栽培することにしたのは昭和26年、当時の県知事国分謙吉が大迫に傾斜地がおおく、また年間降雨量がすくないこと、また地質的に石灰質であることに着目して大迫を「日本のボルドー」に、と奨励したことからはじまった。その前年、カサリン台風によってこの地域が壊滅的打撃をうけたあとの復興策でもあった。そして昭和30年にブドウ増殖3カ年計画が策定され、同37年には「岩手県ぶどう酒醸造合資会社」を設立。そしてその翌年には大迫ぶどう酒「エーデル・ワイン」がはじめて市場に出荷された。この名称は早池峰山に自生する「ハヤチネウスユキソウ」がヨーロッパ・アルプスの「エーデルワイス」と同一の種であることが植物学者によって発見され、それにちなんで大迫町が昭和40年にオーストリアのベルンドルフ市(人口8、000人)と姉妹都市条約をむすび、またワイン醸造のための留学生を大迫からオーストリアに長期派遣したことによる。ワイン生産は安定軌道にのり、県内消費が主だが生産量はことごとく完売できるところまで成長した。
 酪農もおこなわれている。ホルスタインを中心にした乳牛飼育だが、乳価は安値で過去10年ほどのあいだ、牛の頭数は減少してきた。付加価値を模索してチーズ、バターなども製造されているが、その生産量は利益創出にはいたっていない。
 こうした不安定要因をもふくめながらも、大迫の農業は健在である。つぎの表は過去50年間にわたる大迫の農業人口の変遷である。この表からあきらかなことは、農家戸数が漸減傾向にあるのに、その内訳をみると兼業農家が激増していることである。すなわち農家戸数は昭和30年の1、240戸にたいして平成7年は1,013戸だから数字のうえでみるかぎりは1割減ということになる。
 しかし、そのなかで専業農家の戸数は過去10年あまりのあいだに激減した。かって全農家戸数の25%をしめていた専業農家は現在では5%にすぎず、それにかわって第二種兼業農家、すなわち「自家農業を従とする」農家がおなじ期間のあいだに20%から80%に増加しているのである。農業を「主」とし、それ以外の収入源を「従」とする第一種兼業農家は専業農家とおなじく減少の一途をたどっているのだ。1960年ころまでの大迫は農林業を中心とした「むら」だったが、いまはそうではない。かって山林と耕地によって形成されていたこのコミュニテイは、いまでは第一次産業を基盤とするものではなくなったのであった。

年度農業戸数専業農家第一種兼業農家第二種兼業農家
昭和30(55)1,240347623270
35(60)1,253249755249
40(65)1,245159731355
45(70)1,21190661460
50(75)1,15766536555
55(80)1,14974394681
57(82)1,13896384658
60(85)1,10066365670
平成 2(90)1,06765171831
7(95)1,01354165794


 それでは、この「むら」のひとびとは、いま、そのようにして生計をたてているのであろうか。平成7年度の就業者統計をみると、就業者およそ4、500人のうち第一次産業ではたらくひとびとの総数は合計1,400人ほどにすぎず、おおくの村人たちは第二次産業、第三次産業ではたらくようになった。
 大迫での製造業は1950年代にはじまる工場誘致からである。地価が安く、労働力に余裕があり、しかも大都市圏にくらべて賃金水準が低いという条件を、他のおおくの「むら」とおなじように大迫もみたしていた。だから、まず衣料品の縫製工場などができた。それは農家の主婦たちを吸収するにじゅうぶんだった。工業用水にめぐまれていないから、この「むら」に本格的な製造業は根づかなかったが、たとえば電気製品の梱包作業所などもできた。1955年には大迫の事業所数は合計17。工業出荷額はおよそ6千500万円。それが40年後の1995年には24の事業所で3億7千万円にまで増加した。従業者ひとりあたりの出荷額もこの40年間で417万円から1、300万円にまで向上した。
 第三次産業としては、この規模のコミュニテイであってみれば、それほどの増加はなかったが、それでも小売業、飲食業などのサービス業に若干の増加があった。そしてなによりも、まえにふれたように大迫に住民票をもちながら他の場所に勤務先をもつ通勤者がふえた。自動車が日常的に普及したことで、大迫から花巻はもとよりのこと、盛岡までの通勤もけっして不可能ではない。大迫を盛岡のベッド・タウンというのは適切ではないが、この「むら」のひとびとにとって盛岡をはじめとする都市圏への心理的距離はいちじるしく短縮された。


2−1−3 財政と経営

 このような生活環境の変化のなかで、大迫町の財政状態もおおきく変化した。農業収入は減少し、さまざまな努力にもかかわらず減少している。ほんらい町の自主財源の根幹となるべき町税は、ただでさえ伸び悩んでいるところへ、平成6年には町民税の特別減税もあったから、町の歳入のなかでの「自主財源」は相対的にきわめてすくなくなってきた。また、町に誘致した第二次産業も景気の低迷でなかなか業績はあがらない。「むら」の自主自立という地方自治の原則からすると、大迫はすでに自力でその財政基盤をつくることはできなくなってしまっているのである。
 そして、町を経営するにあたってはかなりの経費が必要だ。教育や福祉など自治体経営に不可欠の予算項目もある。いったい、この町はどのくらいの財政規模で運営されているのであろうか。つぎにみるのは平成4(1992)年から同8(1996)年にいたる5年間の歳入決算額である。


  大迫町歳入決算額(単位千円)

年度歳入決算額町税等自主財源(百分比)
平成4(1992)年4,973,558952,067(19.1%)
平成5(1993)年5,675,0611,201,611(21.2%)
平成6(1994)年5,013,973921,817(18.4%)
平成7(1995)年4,716,693900,678(19.1%)
平成8(1996)年5,371,171969,565(18.1%)

 平成9年以後についてみても、大幅な増減はなく、おおむね50億前後で推移している。そして、この表からもあきらかなように歳入、つまり町の収入のなかで町税などの「自主財源」は9億円ていど。百分比からみると20%以下である。まえにのべたように、現代日本の地方行政では地方自治体は「自治」とはいうものの「3割自治」だといわれているが、この町のばあいはせいぜい「2割自治」なのである。
 不足した財源はどこにもとめたらいいのか。それは外部依存、すなわち国や県からの補助と、町がみずからの責任において発行する町債以外にはない。つぎにみるのはこの同時期の歳入決算額をその構成要素別に分析したものである。

 これでみてもわかるように、歳入のほぼ半分は地方交付税である。いちばんすくない平成5年度でもその割合は43.1%、逆にいちばんおおかった平成7年度には51.3%が交付税への依存である。地方交付税を「補助金」とよぶことが適切であるかは議論のわかれるところだが、自主財源がなくて、中央政府から交付される性質のものであってみれば、これも広義の「補助金」として位置づけてもまちがいではあるまい。「県支出金」というのも岩手県からの「補助」である。そしてここに「国庫支出金」とあるのが狭義の「補助金」であってこれが歳入のなかで占める割合は平成4年度で7.9%、5年度が7.2%、6年度7.8%、7年度9.0%、そして8年度が8.0%である。地方交付税、県支出金、国庫支出金をこうして合計してみると、それは大迫町の財政の7割以上になることがわかる。
 さらに不足した財源は町債にもとめなければならない。国家が赤字財政で毎年「赤字国債」を発行していることはここであらためていうまでもないが、地方自治体もまた地方債を発行して赤字を補填する。大迫もその例外ではなく、おおい年(平成8年)には歳入の15.7%、すくない年(平成4年)でも11.5%が町債である。絶対金額でいうと平成4年が5億7千万円、平成8年が8億4千万円である。町債の引き受けは地方金融機関だが、長期にわたる「債務」は増加するいっぽうだ。
 町債についてさらにくわしくみると、いっぽうで債券を発行しながら他方では元金、利子をすこしづつ償還してゆかなければならない。たとえば平成6年をとってみると、この年度に発行された町債は合計7億5百万円。それにたいして元金償還分が2億7千万円、利子償還分が1億8千万円、計4億5千万円にのぼり、それまでに累積された町債残高は計39億9千万円に達している。平成12年度にはその残高は59億円にふくれあがった。ちょうどその金額は大迫町の年間予算に匹敵する。そして、この残高はふえるいっぽうだ。じっさい平成2年の残高2億6千万円にくらべると平成12年までの10年間で22.7の増加である。それだけ「借金」がふえたのだ。
 ひとことでいうならば、他の地方自治体がそうであるのとおなじように大迫もたいへんな財政難であり、したがって町債のように償還義務のない政府からの「補助金」はこの「むら」を維持してゆくために必要不可欠なものとなっている。


大迫町歳出決算額(単位千円)

 それでは、このような歳入にたいして、大迫町はどのような歳出をおこなっているのであろうか。つぎにみるのはおなじ期間の歳出決算である。歳入とくらべて貸借対照表をつくってみると毎年、歳出が歳入をやや下回っているがこれでみても、この「むら」の財政規模がほぼ50億であることがわかる。これは、この地方自治体にとっての最低の「生活費」であって、けっして余裕はない。

年度義務的経費(%)投資的経費(%)その他経費(%)合計
平成4(1992)1,626,491(33.3)1,948,970(40.0)1,302,701(26.7)4,878,162
平成5(1993)1,810,108(32.5)2,364,245(42.5)1,391,885(25.0)5,556,238
平成6(1994)1,839,164(37.7)1,717,412(34.9)1,365,561(27.7)4,922,137
平成7(1995)1,902,389(41.3)1,211,540(26.3)1,490,874(32.4)4,604,803
平成8(1996)1,980,596(37.7)1,779,334(33.9)1,490,636(28.4)5,250,566

 そのことは歳出を費目別に百分比でくわしく分析したつぎのグラフでみることができるだろう。すべての費目は絶対額において経年的にそれほど増加していないし、相対的な数字でみると民生費や教育費などがかなり犠牲になっていることもわかる。

  この財政難を乗り切るためのくふうもいくつかある。地方自治体には各種「基金」という「貯金」がある。大迫のばあいには「福祉対策基金」「まちづくり基金」「公共施設整備基金」などがあり、その残高は平成2年以降、およそ12億円ほどである。この「むら」ではこれらの基金の一部取り崩しをおこなって補填がおこなわれている。
 くわしい数字は省略するが、大迫では平成2年から、地方自治体の財政力をしめす「財政指数」は構造的に悪化の一途をたどっている。その意味からも歳入のなかでの補助金はきわめて重要な役割をはたしている。すでにみたように、地方交付税はいわば固定的な交付金。それにくらべると「国庫支出金」という名の特定補助金はいわばボーナスのごときものであり、それは町財政の10%前後に達している。過去にさかのぼって大迫が中央政府から給付をうけた事業と、それにたいする補助金を一覧表にして56ページ以下に添付しておく。
これをみると大迫町の主要事業は決算ベースで過去10年ほどのあいだおおむね2億ないし10億であり、そのほぼ10%は国庫支出金によって充当されてきたことがわかる。しかし、補助率は二分の一、あるいは三分の一であることがおおく、不足分は他の財源に依存せざるをえない。たとえば平成10年の事例では総事業費は25億円強。そのなかには山村振興、農業基盤確立、畜産基盤確立、林道建設などの事業がふくまれているが、そのなかで国から直接、あるいは県を通じての補助は13億ほどであり、不足分は一般財源からの地方債の発行などによって補填されている。


2−1−4 町幹部の談話

(1)ワインハウスができるまで

 大迫は岳神楽、大償神楽、それをあわせて早池峰神楽という伝統的な神楽で知られているところだが、たんに舞踊としての神楽だけではなく、それに付随した 振り付けから笛、音、はやし、衣装、染め、染色技術、などをふくめた総合的な文化財である。それに「語り」があるから、その「語り」の言葉の文化も貴重な遺産である。そういうものを総合的に研究し伝承していく事が大切である。いま失われたらもうもとには戻らない。そういう遺産をだいじにして保存してゆくことが必要だし、またこのような遺産を継承してゆく人材も確保しておきたい。
 そのような事情から国にはたらきかけて昭和50年前後に、その「いれもの」として「山村芸能神楽伝承館」という事業を構想した。これは類似施設のなかで全国さいしょのものであった。
 これが前例となって、その後、全国的に注目されやがて山形県櫛引町に伝わっている黒川の能楽とか、全国的にその施設がつくられるようになった。これには農水省も注目してくれた。能面、染めや楽器など有形の遺産についてはこの伝承館で保存が可能になったが無形のものについての補助はまったくない。施設だけである。無形についてはビデオだとか映像的なものは設備している。
 櫛引町の当時の町長さんが大迫に見に来られて、これはおもしろいと、いうことになった。そこで町長が自治省に出向いて、ある官僚に打診してみた。この人物はのちに国会議員になられたが、ある日、一晩新橋で酒飲んで、実は「早池峰市」というあたらしい市をつくりたいといった。大迫は町村合併で、昭和30年昭和の大合併をしたが、さらに広域化して「早池峰市」をつくったら、というのがその趣旨だった。そして大迫がワインをつくりはじめた、というはなしをした。今昭和50年代でそういう発想はめずらしかった。具体的にいうと相手は隣の紫波町と組もうとおもっていた。大迫は、ワインを作っていて水がきれいだ。しかし隣町の紫波では水が不足していて、徳川時代から水喧嘩ばかりしている所で、佐比内、赤沢、彦部、といった地域だが、そこの人達は何とか水が貰いたいといっている。稗貫川にはさいきんダムができたが、その計画になるずっと前から水問題があった。そもそも稗貫川流域には矢木沢金山というのがあって、慶長年間から掘り続けている金山の跡がある、その坑道をあと500メートル掘り抜けば、貫通する。 その村人達はぜひトンネルを通して水をくれないかというはなしがあった。そんなふうに紫波町からの打診があった。先方もそれはおもしろい、大迫とであれば手を握る用意があるという。双方が合意していた。水を共有してワインをつくる。それが共通項であった。たばこも南部ハムもしっかりやってる。これにワインをくわえようという構想である。その合併論が出た。
 ひとことでいえば、岩手の田園の4つの町村の合併である。大迫が提唱していたのは、宮森村と、大迫と、紫波町と、東和町と4つの町村がまとまることによって共通項を持った、いわゆる運命共同体としての田園都市ができるのではないかと、自治省に提案した。もちろん県庁にはあらかじめいっておいた。自治省の幹部もそれは面白いねと、いってくれたが、それを実現するための制度がないからどうにもしかたがない、という。しかししばらく考えさせてくれということになった。
 そしてひと月くらいしたら、あたらしい省令ができて、広域のブドウの産地をカバーして村人たちが利用するレストランをつくっていいということになった。そこで食材を試す。ワインを試す。そしてそこから第二次加工製品もつくる。そういう産物をつくる拠点にしようというわけだ。そして、そういう条件付きで1億円の起債を許してもらった。しかもそのうちの85%は交付税でみてあげようといってくれた。いまだに借金の支払いはしているが、払い終わったらいずれそういう条件でレストランの建増をしてもいい。これがいまある「早池峰ワインハウス」である。これは自治省の事業として岩手県が仲をとりもってくれたおかげであった。しかし、町がレストランのような水商売をするのはちょっと如何なものかと、霞ヶ関のほうでもなかなか納得してもらえそうにない。だから初期にはギクシャクしたところがあった。しかしついに賛同してくれて、じゃあ試しにやってみなさいよとなった。
 そこでこれが実現した。それから継続してワインハウスを経営している。施設は大迫町のもの。それから第三セクターの「早池峰観光株式会社」というのをつくって、その会社に委託して経営している。そうしたら視察に全国各地からいろんなひとがくるようになった。そういう制度があったのか、ふつう国からの補助金で建てた箱物でそういうレストランだとかなんかやったという前例は無いので、ぜひ方法を教えてくれませんかとみなさんがおっしゃっていた。
 レストランの運営を株式会社で管理している。そしてその株式会社には町も出資している、だいたい半分ぐらい。40%ぐらいか。そういう仕掛けをしまして経営しているが、あくまでも食材を地元から発信して加工していくということと、レストランのメニューをそれに合わせて提供するというのがその目的である。エーデルワインもまだ発足したばかりで渋い、酸っぱいと評判が良くなかった頃だったから、ワインの開発をしてもっと磨きをかけましょうよという課題があった。ワインそのものを町民じしんが試して、舌を慣らしてもらって一緒に勉強していきましょうよと、そういう施設である。よくぞ自治省が許可してくれたものだと思っている。これは全国的にはその第一号である。どうも大迫のためにこの省令ができたのではないかとおもう。その省令はその年で大迫が始まりで最後だったときいている。「地域経済活性化特別対策事業」という名称だったと記憶している。

(2)ワイン複合施設 

 これは広域行政としての位置付けで自治省が考えてくれたと思っていた。そのあとになってからこんどは農林省のほうでもこの種の事業に着目して、農林省の箱物がそれから後にできるようになった。農林省のなんとかセンター、なんとか地域活性化事業とかいうのがそれだ。構造改善のその時代時代のいろんな名前がついているがそういう施設がしきりにできるようになった。 そういう施設で農産物の集荷販売をやったり、色々とその展開されるようになってきた。また、農林省の農業改善局だけではなしに、山村振興の方だとかそれから林野構造改革だとか、そういうふうに制度的にひろがってきた。しかし、この制度のもとで地域の農産物を活用し、集荷し、観光資源として位置付けていくというねらいの中でやったにかかわらず、その後の日本経済のいろんな動きの中で結局のところ武士の商法だったのか、なんだかわからない地方自治体もあるかにきいている。結局能力が無かったのか、安易な投資をしたということになるのだろうが非常に赤字の要因になった事例がそのなかにはかなりふくまれていたようだ。だから、大迫はとくに先駆的な冒険であったと思うが、よくぞあの当時やらせてくれたなという感じがしている。
 しかし、そもそもエーデル・ワインはかなり先行していた。これはね県の補助が何もない昭和35年前後のことだった。当時の国分知事が大迫を日本のボルドーにしよう、といってくれた。もっとも知事はそういったが、県からの補助は無かった。しかし、幸運にも県営のぶどう試験所がここにあったのでそれを拠点とすることができた。ぶどう産業を育成するために、町単独で バラ線の補助をしたり、苗木は無料で町が買って農家に植えさせたりという保護をすることができた。しかし国の補助の裏付は全然なかったし制度融資も無かった。あくまでも貧乏な大迫をはじめとする4つの町村だけの力でこの事業を推進した。合併前だったが町村の共同作業はこんなふうにしてはじまった。そういうとこの上に立って国分知事は部分執行が良いんじゃないかなということになった。ぶどうの共同選果は昭和32年にはじまり、34年には北海道向けに出荷している。
 その後昭和39年村田町長になってからいよいよ本格化した。これはおもしろい、ぜひぶどう酒をつくろうではないかということになった。しかし技術はまったくない。あるのは原料のぶどうだけなのでまずワイン醸造の技術が必要だった。そこでとりあえずサントリーの工場を誘致しようということにして打診してみたが、結局それはダメということになって、とにかく自前ですすめることにしてサントリーの技術指導を受けながらぼちぼちワイン生産を開始した。その時点では制度融資もなく、昭和37年に農協の持寄りで115万円の資本金で会社(岩手ぶどう酒醸造合資会社)をつくったが、やり方が非常にまずかったうえ、地元でさえだれも飲んでくれない。その結果この会社は、赤字だけが連続していた。そこで、この赤字を解消し、ワイン生産を本格化するために、本場の技術を学ぶことにした。姉妹都市提携の相手方としてオーストリアのベルンドルフをえらんだ。昭和40年のことである。大迫から長期研修をうけるため、若者を現地に派遣することもはじめた。そしてこの機会にじっくり時間をかけて新しい会社に切り替えることにした。株式会社エーデルワインである。設立は昭和49年のことだ。
 だが会社設立にあたっては、もちろん補助金などはない。そこで、制度融資としては農林漁業金融公庫の資金を日本全国ではじめてて第三セクターに融資してもらうことに成功した。融資金額は1億円であった。さらに町長が奔走して1億2千万の出資を県や経済連などに依頼した。このようにして新会社ができあがった。その時点ではこうした事業にはいっさい補助はなかった。当時は金利が10%という時代だったから借金したら話にならない。だから、自前の資本で半分は充足させるというのが当初からの構想であった。おかげさまでそれがベースになって現在にいたっている。
 それが基礎になってワインハウスができた。会社ができたからワインハウス建設の理屈が通った。製品を試飲して品質を向上させるのがワインハウスである。したがってこのふたつは連動している。さいしょのワイン作りの自助努力があったから事業展開ができた。自助努力なしにはなにもうまれてこない。会社は設立当時はかなり苦しかったが、だんだん軌道にのってきた。黒字展開になってからは、中小企業庁で金を貸しますとか、県の方でも資金を出しましょうとかいろいろ手を差し伸べてくれるようになったが、それまではたいへんだった。
 会社が黒字転換にかなり時間がかかった。昭和49年に新会社を設立してから10年くらいは毎年赤字だった。59年頃まで繰越の赤字が累積していたのを完全に解消して昭和60年から黒字転換になった。その当時にくらべると現在はけっして無借金ではないが、非常にバランスのとれている会社になっている。毎年だいたい5千万位ずつ売上が伸びている。年間売上はおよそ4億円である。会社設立のころの売り上げは1億にもなっていなかった。およそ7、8千万位だった。そのときは前身の合資会社を吸収合併したばかりだった。なによりも町民にワインを飲んでもらうことが第一歩だった。
 自助努力があってワインハウスができたあと、こんどは宿泊施設としてホテル・ステイヒルを建設した。ワインハウスとの複合である。これはワインハウスのすぐ前にあってひとつのエリアを形成している。オーストリアを思わせるワインロードという位置付けをしている。ワインハウスの裏手にワイン会社、ワイン工場があり、シャトーというイメージである。はじめにのべたように、ワインハウスは自治省の起債でできた。ワイン工場は自前の株式会社にした。そしてこの宿泊施設は、農林省の補助をうけて建設した。山村振興の一環である。農村体験型の交流施設である。予算は全体事業費として1億5千万ほどであった。補助をうけたのは平成6年から2年計画で1億5千万であった。
 経営は町営ではなく、株式会社早池峰観光に委託している。これは利用料金制でまさにその収入をもって委託料に当てるということにしてある。(株)早池峰観光はおおきな利益もあげていないが赤字にもなっていない。ホテル・ステイヒルについていえば収支はとんとんである。

(3)モデル・コミュニテイ

 さきほどのべた神楽伝承館は、昭和55年7月に目的は農業体験者の勉強する所ということでつくられた。農業体験実習館と郷土文化保存伝承館が合体している。ワインと神楽は別なものだが、神楽は農水省が着目してくれて、自治省もおもしろいといってくれた。まったく異質にみえるが、その組み合わせから大迫は「神楽とワインの里」というキャッチフレーズで町づくりを設計してきた。ちょうど昭和50年頃に「モデルコミュニティー」という構想がでていた。たしか昭和44、5年その頃に自治省がモデルコミュニティーという制度をつくって、その第1号に指定されたのが大迫であった。そこでこのコミュニテイをどのような名称でよんだらよいか、ということになり、結局、いまいったように「ワインと神楽の里」とした。このモデルコミュニティーは全国各地で指定されるようになったが、これには補助金がついた。あれは一連の確か10年位の計画だろうと記憶しているが、ここのあとも、農村公園を建設したりした。自転車ロードだとかアスレチックだとかいろんな事業も展開した。現在でもなかなかの盛況である。役場の前にあるコミュニティーセンター、体育館などもその関連施設で、これがまた町民の拠り場所になっている。できてからもう30年なる。これは役に立った事業だった。
 キャッチフレーズの「神楽とワインの里」というのはみんなでかんがえた。発表する前に担当の職員が「ワインと神楽の里」というのはどうだろうと発案してくれた。いいとおもったが、神楽人の連中が押しかけて来て、それは困るといいはじめた。神様がワインの後ろじゃ不満だという。なるほど、ということで順序を逆にして「神楽とワインの里」に落ち着いた。これが神楽の伝承館の問題とワインを結び付けている一つの契機になった。ひとことでいえば、町民の心の問題と産業の問題を一体化していくということであった。神楽の御神酒をワインにするという習慣もできた。それはずっと前、ワインの評判の悪かった初期のころから、早池峰神社のお祭りにはお神酒と称して紅白のワインをつかうことにした。もともとこの神社ではどぶろくを「くろき」、清酒を「しろき」といっていたが、「くろき」「しろき」のお神酒のかわりにに赤のお神酒もいいんじゃないかということで、町長はかならず、神社のお祭りにはワインの瓶を担いで行くようになった。ところが、いつ行ってもワインの瓶は埃をかぶってる。抜かれた様子はなかった。今は評判がよくなったので神楽人もがばがば飲んでくれる。神楽人からの抵抗はなかった。
 ただ、神楽伝承館の舞台にかなりの出費がともなった。せっかく舞台ができたのに神楽をやるひとたちから「とても踊りにくい」という苦情がでた。調査してみると、新設の舞台はコンクリートの土台のうえにつくられている。あれだと踊っているうちに振動が頭に響いてくる。神楽というのは、飛んだり跳ねたりするはげしい神事だからコンクリート直接の舞台ではよくなかった。伝統的な神楽の舞台はしなわなければいけない。しかもむかしの舞台は下に壺を置いて音が響くように作ってある。それがわからなかった。設計者もそんなことは知らなかった。だから、せっかくつくったのに、現在はあまり使ってない。舞台はすぐそばにあるむかしからの神楽殿で舞っている。設計は盛岡の設計事務所がしたが、これは失敗だった。
 最初に山村振興連盟をつうじて農水省から補助金ができた時の建物についてはべつだん条件はなかった。しかし、建設後の維持費は補助事業ではない。町費でまかなっている。とはいうものの、人件費は地元の神楽の部落から人を雇って、嘱託でたのんで、鍵を預けてやっているし、あとは定期的に毎月一度掃除するといった経費である。神楽の担い手たちが自発性をもって協力してくれているから、たいして経費はかからない。
 伝承館は、7月にお山開きなってから閉山する10月の末までは毎日開館している。冬場は閉館している。早池峰への登山客がよく見学してくれるのでありがたい。伝承館は若い人に神楽を伝承するために使わせたいと思っていたが、実際踊る稽古は社務所でやってる。主としてあそこは観光客に、保存されている文化財を見てもらうのが目的だ。いまはそれを映像で見てもらうような装置も導入した。ああいう建物は建てる時にはありがたいと大歓迎だったが、いったんできたら神楽というのはもともと縹渺とした性質のものだから、かえって暗い不便な社務所の方が肌に馴染む。コンクリートの建造物は観光客向けの展示館のようなものになってしまっているから、その点では、町としてはちょっと残念である。
 
(4)生業の変化と動態

 大迫の人口動態をみると、自然増が落ちている。出生がすくなく、死ぬ人がおおい。つまり自然減が目立ってきた。大迫は長寿の町で岩手県屈指の寿命を誇っているが、少子高齢化は顕著である。
 労働人口の雇用についてみると、ここには大きな企業が3つあって600人ほどの雇用が確保されている。これらの企業は不況下においても足腰丈夫で頑張っているから助かっているが、地場産業が停滞している。建設業も発注がすくないし、商店の方も老齢化が目だってきた。農家の方もあまりよくない。たいへんきびしい。米作も伸びないし、減反がつづいている。転作にヒエを植えたりしているが収入にむすびつかない。ただワイン産業関連においては非常に足腰が強くなってきている。所得比もぶどう農家は安定に向かっている。林檎果汁は若干衰退ぎみ。畑作も自然減反。隣の石鳥谷は大変立派な林檎地帯になったが大迫はぶどうで勝負しようとしている。
 この町がぶどう栽培をはじめた時期はちょうど大迫が馬産地から酪農に変わった時期とほぼ一致している。このへんは有数な馬産地だった。馬産地が牛に変貌しはじめたのは昭和40年のはじめあたりだった。がらがらと変わってしまった。そして、こいういう山村の状況に対応して、まず第一に昭和40年初頭は、県政としての北上山系の畜産基地構想というのができた。ここに大規模畜産基地を作ろうという構想である。その結果、大迫は酪農地域の指定を先ず受けた。そして10年程経ってから、こんどは昭和50年初頭になって、肉牛の主産地指定を受けて、和牛も導入した。昭和47、8年から5年ほどかけて昭和55年頃までに、北上山系の大規模開発の一翼をになって開発をすすめた。大迫の町の共有林のなかで、宮森村に隣接している地域。ちょうど、早池峰山麓の一部にあたる部分の利用計画である。海抜800メートルから900メートルの地帯で、非常に良い軍馬を供給していた。放牧地としてやっておった所だが、それを450ヘクタールを民有から県が借り上げて、これを造成した。牧道1万2千メートル、12キロ牧道をずっと通して、そこへ450ヘクタールの牧草地をつくった。当時23億巨費を投じた。畜産をその当時牛馬あわせて2千頭を目指していた。和牛とホルスタインである。ところが、いまでは和牛が200頭、乳牛100頭に満たない。合計して300くらいになってしまった。大変落ち込んでいる。これは岩手県全体の畜産の衰退に比例しているのではないかという感じがしている。
 県ぜんたいでも大変落ち込んでいますね。産地が限られてきた。ただ非常に病害が少なくて足腰が丈夫であるということで、牛の体質そのものは大変健全に育っている。これはかっての知事、国分さんが目を付けていた。ここの馬は非常に強く育つ。これはやっぱりカルシウム系統の花崗岩土壌にめぐまれているからだろう。
 従ってたばこも良く、南部葉というのは独特の葉っぱが出来る。その延長線にきちっと将来ぶどうの産地になるにちがいないと、国分さんはいっていた。ボルドーに似ていると。だからぶどうをやってみろよと、国分さんは力説していた。これは非常に的確な見通しだった。ボルドーっていうのは非常にブドウが良いそうだが、それは谷間があって、夜霧朝霧の温度差があって、カルシウム分が強くて、硬水がある所だそうだから、結局ワインを飲むようになってるそうだという意見だった。大迫も硬水だ。だから水は良いし、カルシウムが強い。だからワインにはここにむいている。こんなふうに国分さんは連鎖反応みたいに考えたのだろう。これは卓見であった。
 さきほどの450ヘクタールの放牧地をつくった予算の23億円は国庫からでている。単年度事業ではない。これは岩手県の大きなプロジェクトだった。たしか阿蘇、福島阿武隅、北上山地とこの三大プロジェクトで、その当時畜産の基地構想が農水省でつくられていた。しかもこの23億円は大迫町だけについた予算だから、全体では相当なものだった。それは農家にあたらしい借金をつくる結果にもなってしまった。県ではこの計画で開発した牧草地に農家の参加をよびかけた。その一部を農家に貸してそこへ大規模の繁殖と飼育農家を育成しようとした。そこへ飛び付いた酪農家あるいは和牛の農家は巨大な投資をしている。それも約束は金利は安いぞといっていたが、6分7分の金利だから借金はなかなか返済できない。当時は景気の先行き予測はよかったし、肉その他の畜産の自由化以前の投資である。そして結局、安い乳製品あるいは肉がどんどん入って来るようになって、価格が、全体の相場が落ちて来た、そこで勘定があわなくなってしまった。今まで10万円で和牛を買って来て、牧場に放して、最後の3ヶ月を飼育して、餌をうんと食わしてから売るという計算だが、アメリカから餌を買って来て食わせるわけで、餌は時によって高い餌になってる。ところが肉はどんどん下がっていくから10万円が20万で売れるはずの計算で事業計画をたてていたのに、逆鞘になって来た。それでもう牛をどんどん放しても採算がとれないという状況になって来て、結局土地だけが残った。これは県政でも大問題になっている。この後始末で県の何十億と利子補給やら買い支えとかやっているからかなりの負の部分だけが残っている。
 投資した農家は、投資した分、丸損になったのが大部分だ。負債を抱えたままどうしようもなくなってしまった。ある程度は県などが援助できるが、借金を丸々救済機関が払えるかというとそういうわけにはゆかない。自己責任の問題だからしかたない。しかし後押しした町としては後味が悪い。ただ、当町の場合は被害は少なかったといえると思う。農家個々の赤字でなく、共同出資だったから。倒産したのは一人も無かった。なかには売り逃げした家もあった。経営が怪しくなると、どんどん牛を手放して縮小した。100頭を10頭にしたり、繁殖はやめて飼育だけにするというふうに切替えたひともいた。
 同時に付加価値をつけるために酪農農家のなかにはチーズなどを製造するひともあらわれた。チーズ生産はますまさかんである。粘り強くやっている。カマンベールなどはじょうずになった。本気になった人達は残った。面白いことに彼等は限られた数少ないホルスタインの牛乳を搾っていた、その当時は、大部分は搾った乳を毎朝缶に入れて雪印乳業に売っていた。販売価格は安い。なぜ畜産をやっている本人たちが加工製品を高く買わなければならないか、なぜ雪印のバターを買わなければならないのかという当然の疑問をもつようになった。そこから彼等はチーズ作りをやった。それから20年がたった。製品には「醍醐」という名前をつけて、色々なおもしろい味のチーズの開発をはじめた。大迫ではワインの利き酒のさまざまな機会があるから、そういうときにはかならず皆で食べるようになってきた。ナチュラルチーズがようやくわかってきたような気がする。チーズもどうやらちいさいながらひとつのあたらしい産業として成り立つと思っていた。
 そのようなうごきをみていて、こんどは農協の第三セクターが早池峰フーズという名前で設立された。これは農協100%出資の会社である。もともと大迫の農協は農家が生産するミルクを雪印に販売して手数料だけ稼いでいたが、酪農グループのチーズ作りに触発されて、今度はヨーグルトをつくってみようじゃないかとなった。その結果飲むヨーグルトというのをつくることにした。ただ、そのためには牛乳の質が重要である。オーストリアのチロルからスイスにかけての標高1000メートル3000メートルの地域で飼育されているブランスイスという牛の品種がある。カウベルを首にぶらさげているあの牛である。その牛をまず3頭輸入して良質のミルクの搾乳をやってみた。そして様子をみてさらに2頭を輸入して、本格的に搾りはじめた。そのミルクを在来のホルスタインの乳とブレンドして、それでヨーグルト醗酵させるのである。これがたいへんな評判になった。全国展開しようというところまで成功した。さいきん工場も新築したところである。場所は東和町だが、こういう事業は広域的にやらなければならない。そこでヨーグルトをかなり大量につくることができるようになった。大迫にもそれに先行して小規模の工場はある。この地域でのヨーグルト加工は大迫からはじまり、それが広域化したわけだ。いまでは、ヨーグルトだけではなく、東和町のジュースとかその他のいろいろな加工品をつくるようになったのである。ヨーグルト生産ももう少し近代化してみようということで、東和町のあたらしい工場がこれを手がけることになった。落成は平成13年11月であった。
 これらの製品も早池峰フーズが取り扱っている。もともとチーズは篤農家が小規模にはじめたもので、それが成功してくるとちいさな施設でどうにもならないのでなんとかしてくれと言われている。このグループは早池峰フーズの工場ではない。別会社である。それに触発されて、農協でこれまでただ手数料を稼ぐだけだった酪農感覚が変化してきたのである。地味なチーズ作りのグループにおおくの酪農家が触発されたのだった。篤農家がいないとなかなか変化はむずかしい。
 さきほどのべた450ヘクタールの北上山系の開発計画についていうと宮森村に隣接して共有林があった。共有牧野という名前でよばれていた。かっての入会地である。それは大迫にもまたがったかなり広大なもので、1000ヘクタールくらいあった。そのうちの一部を借り上げてこの共有牧野といった。宮守村にもそういう共有地があるし、遠野にもある。岩手県全体ではおそらく2万ヘクタールくらいの面積になるのではないか。そのなかで江戸時代からずっと村がもっていた入会地を戦後、林野整備という事業で国がいったん管理したうえで民間に払い下げをした。全国的にそういう政策だったのだろうが、それを自分達のものにした。そしてそこへ馬を放牧したりしていた。あとはワラビをとったりなんかしていた。しかし、それでは採算がとれないし、いい時代はおわったというので山は荒らされていた。馬もほとんどいなくなった。この地域の特産だった馬が消滅したのである。
 そういう事情があるので国分知事、内田知事などが尽力した。とくに内田知事になってから北上山系開発大構想というのが発表された。そこでは畜産と林業を連携させてかんがえたのが特徴である。大規模林業県構想というのと、大規模畜産県構想というのとふたつの計画を立ててそれを北上山系にはりつけた。それと同時に林野のほうでは大規模林道構想というのが開始された。進行は遅々としていたが、森林開発公団、つまり現在の特別法人みどり資源公団の手によって森林公団が継続して道路建設をしている。これは早池峰山の山麓にかかっているが、あの地帯はアカゲラ、クマゲラの営巣地、そしてイヌワシの営巣地。自然保護団体が反対しはじめて、さてどうしようという、いささかギクシャクしている。だから北上山系の大規模開発はいろいろな意味で頓挫しているという解釈もできる。
 この大規模構想によって馬のかわりに導入されたホルスタイン、和牛、ショートホーンなどもけっして成功はしていない。どこにいってもたいへん苦しい状況に置かれている。また国有林から活用で借りた部分、あるいは払い下げを受けた部分をまた営林署に買い戻してもらえないものかというひともいるが、それは早計ではないか。たった30年、40年の短期間のことなのだから、もっと長い視野でみたほうがよい。国際情勢もよくないし、構造不況の問題もあるが、市町村の立場でまずくなったから国に返すというのは、あまり自主性のある見解ではないだろう。もちろん、それではじぶんたちの手で復元して林の世話をしよう、だからすこし国のほうで融資をしてくれないか、とかいうのならわかるが、全面的に返すなどというのは定見がなさすぎるのではないか。林野庁だって買い戻しの資金はまったくない。
 
(5)財政の現況

 大迫町の財政規模は年間予算およそ45億から50億くらいである。平成12年度でみると自主財源たる町税の割合8.8%くらいしかない。そして歳入のうち地方交付税が57.1%。だから約6割を地方交付税に依存している。よく「三割自治」といわれるが大迫のばあいはそれどころではない。2割弱である。補助金、つまり国庫支出金は、国からのものと一部県を通して来るものがあり、合計するとおよそ10%くらいになっている。つまり大迫は半分が交付税残りは補助金その他でやりくりしている。歳出についていうと義務的経費が4割、そのうち人件費が4分の1、ということになっている。財政規模のちいさい自治体であるから、経年的にみると事業が多い年と少ない年とではかなりでこぼこがはげしくなっている。
 財政は全体的にいって完全な赤字である。借金がおおい。町債の依存度は収入の11.5%だからだいたい1割程度借金に依存していることになる。町債は毎年出している。町債はほとんど金融機関が引き受けている。あとは財政投融資。年金、簡保、郵貯などから7、8割を調達しあとは金融機関が引き受けている。金額にして3割くらいか。町債はあくまで建設にしか充当できない。その分建てたものは残ってるという前提で融資をうけている。たとえば道路とか橋は現在の町民に負担させるのではなく、それは20年30年という将来にわたるものだ。世代間の均等なる負担を前提にして、耐用年数で償還年数を決められている。もちろん、公共材は基本的に担保にならない。だが、いずれにせよ償還金より借金の方が多い。もう60億くらいになってしまった。地方財政は国の縮図である。
 国は平成4年度から、とにかく景気対策ということでいろんな経済対策をだしてきた。国も地方も一体になって協力を要請されているから、将来の償還金は交付税で面倒をみようということで地方で経済対策をすすめている。その結果、いま財政は大幅に伸びて来ている。財政指標はけっして良い方には向かってはいないが、それにしてもまずまずである。全体的にいえば状況は悪いが、横這いといっていいのかもしれない。たとえば経常収支比率が80を越えれば危ないといわれているが、他方、公債費比率が15%を越えると国から制限がかかる
 全体をふりかえってみると、これまで10年ほど国庫補助事業は漸減の傾向にある。主な事業ををひろいあげるとほとんどが農林水産省関係の補助だった。その他のものとしては小学校の統合があった。その前の中学校の統合があって小中学校の数が減少した。学校が統合されてあたらしい建物ができるのはいいが、学校に寄せる住民の精神的な感情がある。むかしからあった学校がなくなると淋しい、何か建ててくれという要望がよせられる。だから集会施設などを住民の要請によって建てようとして、その結果、施設の再編成に属するものだから文部省に相談したが、どうにもならないということで、農水省にお願いして建てた。結局、そういうことになってしまった。体育館、コミュニティセンター、文化会館、いろんな名前で再編成した。どう見ても農水省が圧倒的である。
 こういう補助金をつけてもらうためには、やはり町長なり助役なりが足を運ばなければならない時代もあった。手続きはまず県からはじまり、県の紹介によって各省の出先である東北地方局にゆく。その地方局からこんどは本省のほうへ書類が送達され、その段階でこんどは本省に説明にゆく。だからずいぶん足をはこんだ。それを当然の事としていた時代があった。
 陳情というのは町長や助役、収入役の三役の腕の見せどころともいえる。分捕り合戦で特別の手腕ということないと思う。だが、特別交付税ではかなり苦労した。この一般財源の問題はずいぶん神経を使う。国会議員にたいしては岩手県全体の一般財源にできるだけおおくの予算をつけてもらうように陳情する。その陳情は県下の町村長が歩調をあわせてゆく。交付税は県全体の問題だから。そしていったん予算がきまれば、こんどはその分配する段階になる。そこで個別の町村長のあいだでの争奪戦がはじまる。だが、いずれにせよ県のレベルがだいじだ。なにごとも県にお願いしなければならない。県では大迫はオーストリアと姉妹都市で相当金も掛かったようだから100万円足しておこうかといった判断をしてくれる。そういったことは、むかしは大きかった。100万円でも予定より増えてくれるから、有効に使えた。
 地方交付税については町議会と町長にいささかの裁量権がある。地方交付税の使いみちは一般財源だから自由に使える部分がある。選択の自由はある。しかし補助金のほうは使途が特定されているから転用はできない。
 補助金はむかしは全額しかも実費だったからありがたかったが、現在ではたとえば2分の1補助というふうに部分補助になっている。さらに予算上、金額は名目上のことで実費以下であることがおおい。国の補助単価で算定した2分の1だから、実際は超過負担でまったく2分の1ではすまない。本当にこの単価で作れるのなら作ってみてくれといいたくなることもないではなかった。だから補助金が付いたからといって単純によろこんではいられない。
 ただひとつの事業に補助金がつくということがきまれば、それが大前提となって町の予算がたてられる。補助金残というので追加ができる。たとえば事業費が概算で1億かかるとなる。それに対して補助金4000万が見込まれているとする。ところが町の予算では3000万しかない。あと3000万は不足する。しかし、こうしたばあい、決まった限りは政府が認めた必要事業ということになるから、あとの不足金について借金は可能になる。融資をうけてもいいということになる。あとの借金を返す時は交付税でいくらかめんどうをみるとか、あるいは過疎債とか特例債だとかいった方法をとることもできる。そんなふうに全体計画が齟齬をきたさないようにやってきた。補助金というのは一種の保証書のような側面をもっている。
 さらに大迫は過疎指定をうけているから過疎債を発行することができる。この町の起債はほとんどが過疎債である。かなり大きい役割をはたしている。だから各種指標はあまり悪くならない。
 この20年間の変化もおおきかった。過疎指定をうける直前までは準過疎だった。昭和55年に準過疎から過疎になった。それまではボーダーライン町村だった。過疎にもならず、まばらではあるけど過疎の町村になる直前の状態であった。いわゆる人口減少率が鈍かった地帯である。だから非常に事態は複雑で、なかなか思うような制度をつくることができなかったということも背景にある。いうまでもなく過疎債を発行してもいい、というのは国土庁である。国土庁ができる前はもちろん自治省である。かっては困ったときには自治省に相談にいっていた。冒頭に紹介した神楽伝承館なども自治省のおかげだった。補助金という財源を意識的にかんがえはじめたのは昭和35年頃からだった。いまでは補助金がなければやってゆけないが、そうかといってそればかりをあてにしているわけにはゆかない。



岩手県大迫町主要事業一覧(昭和56年度〜平成12年度)(単位千円)

年度事業名所管省庁国庫補助率決算額国庫支出金県支出金地方債その他
特定財源
一般財源
56農構(農業体験実習館・野営場)農林水産省1/271,607 42,19224,600 4,815
農村定住(ふるさとセンター建設)事業農林水産省1/264,153 41,32312,200 10,630
農村総合整備モデル(営農飲雑用水施設)農林水産省1/283,077 58,14915,000 9,928
小規模排水対策特別事業岩神地区農林水産省1/248,059 33,614 13,545900
林構・久出内線、謡水線開設林野庁1/248,785 33,3778,8002,9183,690
ワインハウス建設事業 単独83,812  62,800 21,012
上の台第1住宅新築事業(10戸)建設省1/291,44144,604 28,200 18,637
総合外川目小学校建築(校舎、屋体、給食施設)文部省5/10〜5.5/10381,825210,0547,249100,900 63,622
総合外川目小学校建築(グラウンド整備、備品) 単独21,284  13,700 7,584
 小計  894,043254,658215,904266,20016,463140,818
57内川目保育所新築事業厚生省1/279,93121,2307,96149,400 1,340
農村定住促進(下請共同作業所)事業農林水産省1/245,330 23,32016,000 6,010
農村総合整備モデル(農村環境改善センター新築)農林水産省1/236,260 22,4009,700 4,160
新林構(林業社定住促進集会施設)林野庁1/230,148 20,3788,700101,060
外川目小学校プール建設文部省1/231,6208,263 16,800 6,557
 小計  223,28929,49374,059100,6001019,127
58農村総合整備モデル(農村環境改善センター新築)農林水産省1/287,56043,78017,51224,300 1,968
農村定住促進(農道熊の上線、樋ヶ谷線改良)事業農林水産省1/240,70020,3508,14011,400 810
新林構(林道向山線、作業道鍋屋敷線、大沢線開設)林野庁1/263,06431,53212,6137,4008,8952,624
大迫町運動公園建設省1/221,1763,000 16,300 1,876
 小計   212,50098,66238,26559,4008,8957,278
59山振事業(大償地区、山和野地区小規模土地改良)農林水産省1/218,6829,3403,736 5,274332
農村総合整備モデル(農道堅沢大谷地線、岩脇線、黒森線、上沢線、雲南線)農林水産省1/270,96235,46514,18619,100 2,211
新林構事業(トレーニングセンター)林野庁1/286,38142,183 41,100 3,098
大迫町運動公園建設省1/237,3005,000 25,800 6,500
 小計   213,32591,98817,92286,0005,27412,141
60山振事業(外川目基幹集落センター)農林水産省1/251,43025,715 25,600 115
新林構事業(特用林産物集出荷販売施設整備)林野庁1/222,81316,2953,259  3,259
大迫町運動公園建設省1/219,2275,000 10,600 3,627
 小計   93,47047,0103,25936,20007,001
61老人福祉センター建設厚生省1/2104,69819,09019,09060,700 5,818
山振事業(外川目基幹集落センター)農林水産省1/216,0768,037 5,000 3,039
新農村地域定住促進(農畜産物処理・加工・貯蔵施設)農林水産省1/275,43337,1447,30027,000 3,989
山村林構(林道拝峠線舗装)林野庁1/234,42917,0706,80010,400 159
大迫町運動公園建設省1/229,5778,000 15,500 6,077
 小計   260,21389,34133,190118,600019,082
62特別養護老人ホーム桐の里建設補助 単独42,879    42,879
山振事業(岩脇地区ほ場整備)農林水産省1/223,31011,6554,662 6,450543
新農村地域定住促進(農畜産物処理・加工・貯蔵施設)農林水産省1/2110,97055,48511,09740,500 3,888
大迫町運動公園建設省1/216,7236,000 9,100 1,623
水槽付消防ポンプ自動車消防庁5.5/1010,6005,570 3,700 1,330
 小計  204,48278,71015,75953,3006,45050,263
63ディサービスセンター整備事業厚生省1/255,224 31,64718,500 5,077
新農村地域定住促進(農畜産物処理・加工・貯蔵施設)農林水産省1/2162,70654,98910,99782,300 14,420
町産業開発公社出資金 単独9,000    9,000
農村総合整備モデル(農道野田線、天神線、岩脇農村公園)農林水産省1/268,80034,40012,16020,800 1,440
大迫町運動公園建設省1/244,57010,000 28,500 6,070
落合ダム移転地・分譲地関連事業 単独120,200   114,7965,404
 小計  460,50099,38954,804150,100114,79641,411
1新農構(野菜集出荷施設設置補助)農林水産省1/252,633 37,595  15,038
農村地域企業導入特別推進(カントリープラザ)農林水産省4/10104,554 28,00070,500 6,054
大迫町運動公園建設省1/260,68012,000 43,800 4,880
 小計   217,86712,00065,595114,300025,972
2農村総合整備モデル(農道岩神線、島長根中央線、鶴尾線、小田線、大沢山線、沢崎農村公園)農林水産省1/2101,00050,50018,40029,000 3,100
林業集落定住基盤整備(林道七折線、神楽線)林野庁1/277,56538,78211,63522,500 4,648
大迫町運動公園建設省1/290,72115,000 71,900 3,821
 小計   269,286104,28230,035123,400011,569
3林業集落定住基盤整備(林道七折線、神楽線)林野庁1/289,996 58,49726,800 4,699
大迫町運動公園建設省1/2151,60520,000 123,800 7,805
下中居住宅建設事業(3戸)建設省1/255,88914,730 12,500 28,659
大迫小学校改築(用地) 単独151,900  118,000 33,900
 小計   449,39034,73058,497281,100075,063
4農村地域ふるさと生活圏整備(リゾート滞在施設)農林水産省1/276,570 45,88521,300 9,385
産業開発公社出資金 単独30,000    30,000
林業集落定住基盤整備(林道神楽線、岳地区健康増進広場)林野庁1/292,248 59,94225,500 6,806
大迫町運動公園建設省1/2155,58927,000 121,600 6,989
水と緑のふれあいセンター整備事業 単独50,000  37,500 12,500
下中居住宅建設事業(4戸)建設省1/252,24525,298 12,900 14,047
大迫小学校改築(校舎、学校給食)文部省5/10〜5.5/10670,143310,451 179,5003,120177,072
 小計   1,126,795362,749105,827398,3003,120256,799
5小又地区テレビ難視聴解消事業 県単28,160 11,00017,100 60
農業農村活性化農構(体験工房/食文化供給施設)農林水産省4/10〜5/1064,936 9,00043,300 12,636
農村地域ふるさと生活圏整備(リゾート滞在施設)農林水産省1/296,362 48,67527,000 20,687
農地環境整備事業(八木巻ほ場整備、農道八木巻線)農林水産省1/289,976 66,7202,2006,23414,822
林業集落定住基盤整備(林道神楽線、天王線、岳地区健康増進広場)林野庁5.5/1085,781 52,52622,100 11,155
林構(林産物加工施設整備)林野庁1/2311,917 233,93877,900 79
大迫町運動公園建設省1/261,15525,000 24,300 11,855
水と緑のふれあいセンター整備事業 単独94,033  56,9002,86934,264
大迫小学校改築(体育館、プール)文部省1/2514,711150,171 217,1001,000146,440
神楽の館整備事業国土庁1/352,51410,3005,150 37,0640
町民野球場照明設備整備事業文部省1/373,23315,333 57,900 0
勤労者体育センター整備事業 単独(まちづくり基金繰入)164,805   157,8146,991
 小計   1,637,583200,804427,009545,800204,981258,989
6亀ヶ森地区テレビ難視聴解消事業 県単28,211 13,00015,200 11
火葬場整備事業 単独193,202 1,010149,800 42,392
農業農村活性化農構(体験工房・食文化供給施設)農林水産省4/10〜5/10400,571 191,648182,500 26,423
農地環境整備事業(八木巻ほ場整備、農道八木巻線)農林水産省1/2128,741 96,14913,10011,5037,989
林業集落定住基盤整備(林道神楽線、天王線)林野庁5.5/1063,833 44,67718,900 256
鶏頭山荘整備事業 県単11,140 5,0006,000 140
テニスコート整備事業 1/240,69020,000 17,000 3,690
水と緑のふれあいセンタートイレ・休憩所建築事業 単独30,000  22,000 8,000
小空蔵橋橋梁整備事業建設省1/2110,58455,00038,000 17,584810
中学校銃剣道場整備事業文部省1/3105,39419,844 62,700 22,850
 小計   1,112,36694,844351,484525,20011,503129.335
7中山間集落機能強化活性化モデル(花卉育苗施設整備)国土庁1/260,25029,73628,700  1,814
農地環境整備事業(沢崎地区ほ場整備、農道整備)農林水産省1/2107,786 82,3275,9002,20317,356
ふるさと農道緊急整備(農道向村線、野沢線、鍋屋敷線) 単独69,023  51,000 18,023
山村振興等農林漁業特別対策(農道古舘金沢線、田中線、升沢線)農林水産省1/285,272 58,98225,200 1,090
林講(林道向山2号線、山村広場、林道尻高沢線、えびす川線)林野庁4/10〜5/1087,682 51,71435,200 768
運動公園整備(クラブハウス、多目的広場)建設省1/260,00030,000 25,000 5,000
眺望デッキ、管理放送施設整備 単独63,079  44,400 18,679
特定公共賃貸住宅整備事業(用地)建設省1/251,9781,066 38,400 12,512
 小計  585,07060,802221,723225,1002,20375,242
8新いわて農業再編総合対策(花卉パイプハウス、ぶどう雨よけトンネル) 県単90,695 45,023  45,672
ぶどうの丘公衆トイレ新築事業 単独39,964  39,900 64
ふるさと農道緊急整備(農道大沢線、野沢線、鍋屋敷線) 単独116,151  101,600 14,551
山村振興等農林漁業特別対策(農道古舘金沢線、田中線、升沢線)農林水産省1/242,605 30,05511,400 1,150
林講(林道向山2号線、林道高沢線)林野庁1/2229,656 156,38067,400 5,876
森とのふれあい事業(森のくに遊歩道整備)   県単 55,999   9,000 46,900   99
内水面活性化総合対策(休養施設整備) 水産庁 1/3 17,641   7,500 8,800   1,341
狼久保休憩施設整備事業   単独 30,048     27,000   3,048
旭町町営住宅建設事業 建設庁 1/2 188,459 32,139   127,600   28,720
亀ヶ森小学校改築事業(用地) 単独 42,126     21,100   21,026
テニスコート照明施設整備事業 文部省 1/3 20,478 6,485   13,900   93
 小計  873,82238,624247,958465,6000121,640
9労働安全衛生推進施設(内川目体育館)林野庁4/10198,844 74,000119,300 3,544
亀ヶ森小学校改築事業(校舎)文部省5/10〜5.5/10216,66897,418 93,200 26,050
山振(新規就農者技術習得施設新築)事業農林水産省1/2150,000 90,00060,000 0
農業生産体制強化総合推進対策(合石農地、農道整備)農林水産省1/260,927 40,5937,8007,5105,024
旭町町営住宅建設事業建設省1/293,82846,914 46,900 14
ベルンドルフプラッツ建築事業国土庁1/392,489 42,42645,400 4,663
旭町町営住宅用地取得事業 単独42,010  42,000 10
新いわて農業再編総合対策(花卉パイプハウス、ぶどう雨よけトンネル) 県単85,446 42,300 18,56624,580
 小計  938,212144,332289,319414,60026,07663,885
10地域農業基盤確立農構(穀類生産共同施設整備)農林水産省1/2326,553 305,79118,300 2,462
山振(新規就農者技術習得施設新築)事業農林水産省1/2155,646 90,00054,500 11,146
山振(入浴施設整備)事業農林水産省1/2129,697 36,00092,600 1,097
高齢者生きがい発揮施設建築農林水産省1/250,020 23,79222,000 4,228
美しいむらモデル(農道樋ヶ谷線)農林水産省1/271,521 48,45820,600 2,463
新いわて農業再編総合対策(花卉パイプハウス、ぶどう雨よけトンネル) 県単79,266 38,166  41,100
畜産基盤再編総合整備(堆肥製造施設、肥育牛舎)農林水産省1/2508,512 343,233158,800 6,479
林構(林道宮沢線、小倉掛線)林野庁1/2129,293 87,50040,900 893
向山森林公園整備(モニュメント設置) 単独62,799  62,700 99
内水面活性化総合対策(休養直米施設整備)水産庁1/331,649 12,23019,200 219
旭町町営住宅建設事業建設省1/2191,00279,886 91,200 19,916
向陽台団地整備事業 単独35,821    35,821
亀ヶ森小学校改築事業(校舎、運動場、プール) 5/10〜5.5/10、1/3746,665311,150 331,600 103,915
 小計  2,518,444391,036985,170912,4000229,838
11保険福祉センター整備事業 単独13,608  5,800 7,808
県営中山間地域総合整備(河東地区) 負担金56,396 1,10034,50017,5003,296
旭町町営住宅建設事業建設省1/2212,59759,679 99,900 53,018
亀ヶ森小学校改築事業(屋外運動場)文部省1/3101,65616,732 60,100 24,824
 小計  384,25776,4111,100200,30017,50088,946
12保険福祉センター整備事業 単独62,471 4,86252,100 1,968
県営中山間地域総合整備(河東地区) 負担金40,717 5,067 19,900 14,199 1,551
旭町町営住宅建設事業建設省1/2231,85759,141 118,300 54,416
 小計  335,04559,1419,929190,30014,19961,476
      (注)1 普通建設事業のうち主な事業のみを抽出したものであること。
      (注)2 事業費には、補助事業と単独事業が合算されている事業もあること。

   なおこの表は役場から提供をうけた数値をそのまま転載したものであった、空白欄等はそのままとした。







事例研究2(岡山県美星町)


2−2−1 美星町の概略


 岡山県美星町は吉備高原の西南部、東経133°33′、北緯34°41′に位置する中山間地帯に位置し、南北に12キロ、東西に12キロ、周囲の総延長は54キロで、その総面積は72.2平方キロメートルである。つぎの表にみられるように、地目別にみると山林がその過半をしめている。山地のなかには標高505メートルの龍王山がふくまれ、町内は丘陵と谷がつらなっている。
 行政地域としての美星町は昭和29年に美山村、堺村、宇戸村、日里村の4カ村が合併してつくられたもので、町役場は旧美山村役場を転用することにした。したがって旧美山がこの「むら」の中心だが、日常の生活文化のうえでは合併以前の各集落の伝統的結合がつよく機能している。
(美星町位置概念図)

宅地原野雑種地山林・他
6.325.731.392.110.3256.8372.7

(単位平方キロメートル)



  気候的には美星町は瀬戸内内陸型で、晴天の日がおおい。年間降雨量は1、000ミリ前後。平均気温は13度前後である。その気象条件が、あとでみるように天体観測のための好条件となり、そこから美星町という現在の町名もうまれた。
 美星町への交通条件は公共輸送機関に関するかぎり、けっして便利とはいえない。町の南端をかすめて県道「倉敷・井原線」が東西につうじ、矢板は旧山陽道の宿場町であったが、その平野部から美星町への道は坂道の上下がつづく。自動車を利用すれば岡山や倉敷から美星町までは20ないし30キロていどだから時間距離に換算すれば1時間たらずで到達することができる。新幹線新倉敷駅からは約30分の距離であるにすぎない。しかし、岡山・倉敷方面に通じる鉄道はなく、また路線バスも皆無にひとしい。その意味では美星町は「陸の孤島」のごとき面がないわけではない。ここから東へわずか数キロのところを高梁川に沿って伯備線が岡山から新見を経由して伯耆大山をむすんでいるし、また井原鉄道が平野部を東西に横断しているが、美星町の位置はそれらの路線からはずれている。したがってこの町民、とりわけ運転免許をもっていない高齢者にとって、じぶんの生活圏内からそとにでることは日常的経験ではなかった。じじつ、丘陵地とはいえ、稜線をこえて移動することはけっして簡単ではなかったから、現在の美星町の行政範囲には128もの旧集落(字)があった。現在の町はつぎの地図にあきらかなように、それを4地域、すなわち宇戸、美山、堺、日里、の4地区にわけ、それぞれの地区はさらに合計12の集落(旧大字)にわけられている。さらに集落をしめす指標として地区公民館でみれば町内には合計23の公民館があり、それがこの地域での伝統的な旧村落の分布だったとみてもよい。


 これらの集落間の距離は2キロ、ときには1キロという近距離だが、そのあいだには冒頭に紹介した吉備高原がつらなっている。各集落はその山ひだにつつまれた小盆地であったり、あるいはゆるやかな斜面にひろがったりしている。現在では道路が整備されているから交通におおきな支障はなくなった。それでも、各集落にはそれぞれの地域文化があり、ひとつの地方自治体としての「町」のまとまりは旧字の連合としてとらえなければならない。あとでみる備中神楽なども本質的には旧集落単位の行事である。
 人口は平成7年度の調査によると6千人あまりで、歴史統計をみるとあきらかに人口は減少している。つぎの表は明治35年からこんにちにいたる世帯数、人口数の変化で、かって1万前後だった人口が昭和40年代から漸減していることがわかる。

年度世帯数人口総数
明治35(1902)年1,89010,199
大正 元(1912)年1,91710,442
昭和 5(1930)年1,8789,265
昭和22(1947)年1,90210,485
昭和30(1955)年1,90210,031
昭和40(1965)年1,8738,750
昭和50(1975)年1,8007,105
昭和60(1985)年1,7616,635
平成 7(1995)年1,7406,077


人口減少の最大の理由は労働人口の都市部への流出である。戦後の経済復興にともなって農村部から都市部へ、という大規模な移動があったことはいうまでもないが、美星町のばあいは岡山・倉敷から水島にいたる工業地帯が劇的な吸引力をもった。ここは戦時中に三菱重工が工場を建設していたが、その跡地を核に拡大して岡山県が大規模工業団地をつくったのは昭和33(1958)年以後のことで、10万トン級のタンカーが接岸できることから重化学工場がつぎつぎに建設された。この水島工業地帯はやがて岡山県の工業製品出荷額の半分以上をしめるようになった。この工業団地は当然のことながら新規労働力を必要とする。そして美星町は水島への通勤範囲内にはいることから、この「むら」の住民の「出稼ぎ」がはじまった。初期の段階では交通手段がなかったので、若者たちはもとよりのこと世帯主も臨海工業地帯に寄宿し、休日などに「むら」に帰る、という二重生活をしていたが、道路網が整備され、自動車による通勤が片道1時間以内になると、「むら」からの「通勤」も可能になった。現在も朝夕のラッシュ・アワーには「むら」のなかのあちこちから通勤者の車が出現し、農道、町道をへて平野部の職場にむかっている。いっぽう、この新興工業地帯からみれば、美星町などはベッドタウンになりうる距離にあるが、岡山県ぜんたいの住宅事情は大都市圏にくらべればめぐまれているから、美星町をあらたに住宅地にするといった新規需要はなかった。しかし、あとでみるように、ここでひらかれる「青空市場」には日常的に県南からの「来客」がある。そのような観点からみると、美星町は岡山・倉敷の「近郊」であるといってもさしつかえあるまい。


2−2−2 産業と生活


 すでにみたように美星町は吉備高原の西南端にあり、地理的にはそのすべてがなだらかな丘陵地である。そしてこの土地はおおむね農地と山林であった。当然のことながら、住民の大半は農民であった。しかし、水利がわるく、また平坦地はきわめてすくないから、水田稲作には向いていない。歴史的にみても、いま行政的に美星町となっているこの地域では稲作よりも畑作のほうが優位をしめてきた。そのことはつぎにあげる農産物の生産額の推移からもわかる。すなわち昭和40年から平成9年にいたるまで、農産物のなかで米が占める割合はおおむね総生産額の25%ていどであって、大半は野菜などの畑作である。そしてこのような野菜類を県南の都市部の消費者に直接に販売するために、昭和56年、農民有志15名が「美星町青空市場」を発足させた。このこころみは大成功であった。町もこの市場に着目し、平成元年の「ふるさと創生事業」費の一部を投資して「星の郷産直プラザ事業」として整備した。現在は株式会社組織となり毎日100−300人の来客をもっている。畑作の歴史と経験がふかく、多様な野菜・花卉類を柔軟に栽培する能力をもっていたからこの「むら」はあたらしい活路を発見できたのであろう。
 しかし、まえにみたように人口が都市部に移動し、美星町は過疎指定をうけるようになった。農業を生業とするひとびとの高齢化がすすみ、生産性はピーク時にくらべると低下した。さらに昭和33年、35年、38年、とほぼ連続的に大雨、洪水、雹害などの災害に見舞われたことも美星町の農業を停頓させる原因になった。ひとことでいえば、美星町は農業中心の田園社会であることをやめ、県南都市圏との連携のなかで生きるようになってきたのである。
 しかし、青空市場の成功は農村性と都市性との矛盾や対立を意味するものではなく、むしろ逆に都市性と農村性との共存、あるいは共生を象徴するものであった。適正規模の農業生産に見合った適正規模の直接市場で都市の消費者とこまやかな対面販売をおこなうことで、美星町はあたらしい近郊農村としての再生をとげることができたのだ。そうした変貌を数字と図でしめすと次ページのとおりである。


年度野菜等畜産
昭和4023422590
昭和45285361142
昭和5062103170335
昭和606592151308
平成 25187117255
平成 75071102223




 生産の総額は昭和50年にピークをむかえ33億に達したが、その後は漸減し、現在では22億。そのうち米は5億、野菜等71億、畜産102億となっている。
 また、同時に就労人口にもおおきな変化があった。いまみたように、近郊農村としての美星町は「農山村」から水島工業地帯の準「衛星都市」に変貌せざるをえなかった。昭和50年代の後半、すなわちいわゆる「高度成長期」の岡山県は県ぜんたいの総合開発事業として「吉備高原都市構想」を発表した。そのなかでは県の中央部を形成する高原地帯をあらたな産業都市に再生させることが強調され、県内を東西南北にむすぶ道路計画も視野にいれられていた。そして県を南北に縦断する吉井川、旭川、高梁川に沿って平野部から丘陵地へと産業の誘致がはじまった。これら三つの河川にはそれぞれ既存の鉄道が開通、あるいは半開通しているのでこのこころみはある程度まで成功した。いくつかの工場も建設されたし、大学などの移転もあった。しかしはじめにのべたように美星町は伯備線の西
に位置し、地形的に閉ざされている。南方には岡山平野がひらけ、矢掛町をへて倉敷につながるが、北にむかっては川上、成羽などの山村がつらなりその先は標高1000メートル級の中国山地につきあたる。途中、かってベンガラ(硫化鉄)の産地として知られ繁栄をきわめた吹屋の集落があるが、美星町はその完全な袋小路の入り口にあたる。美山から約4キロ南の矢掛は県南を東西に横切る幹線道路に沿っているが、美星町のなかには通過路はない。その意味ではここは県南とつながる以外に孤立的な「むら」である。
 すでにみたように、美星町では農産物の産地直販の原型ともいうべき青空市場が成功した。道路事情がよくなったので、人口6000のこの「むら」に一日300人の来訪者がある。ということは美星町がすでに孤立した「むら」ではなく、外部世界、すなわち県南の都市圏と日常的に接触しつづけなければならないということを意味する。それを都市と農村の「交流」ということばでよぶのが適切であるかはともかくとして、美星町は外来の「お客」を歓迎するように運命づけられたのである。日本の村落社会は、しばしばその閉鎖的性格を指摘されてきた。だが、この「むら」は閉鎖から全面開放へという道をえらんだのである。青空市場にくる「お客」にはさらなる付加価値を提供し、さらにあらたな「集客」方法を美星町は探求しはじめた。その結果、構想されたのが「中世夢カ原」の建設であった。
 この施設は簡単にいえば野外博物館であり、また現代ふうにいえばテーマ・パークである。その特色は「むら」のなかの起伏にとんだ広大な敷地を利用して日本の「中世」を忠実に復元することにある。これは昭和50年代から美星町が、みずからの愛称を「星の郷」とし、それにしたがって「道しるべ設置事業」「ふれあいリハビリ公園」などをつくってきた延長線上の新事業で正確には「美星町総合振興計画”星トピア21”」と呼ばれる。これに着手したのは昭和61年8月で、当時自治省が「リーデイング・プロジェクト」として支援を約束した地方自治体への公募に応じたものであった。このプロジェクトは大型の国庫補助事業であり、全国で採択された件数は150であった。そのひとつに「中世夢カ原」があった。正式に決定したのは昭和62年である。
 歴史的にいうと、現在美星町が位置している地域は中世にさかのぼることのできる遺跡や文化財をゆたかにもっている。とりわけここには遠藤周作の小説『反逆』にえがかれた小笹丸城という中世の山城があった。この城は竹井氏という土豪がつくった砦で、竹井は秀吉が高松城の水攻めをしたときに冠山城で戦ったといわれている。その遺跡の状態を研究し、それを参考にしながら美星町のほぼ中央、美山地区に中世の山城を復元し、同時に15−6世紀の日本の村や市、さらに旅人のための辻堂までをも正確に再現してみよう、というのがこの「中世夢カ原」の計画なのであった。
 だが、この計画について美星町の関係者たちは安易な方法はとらなかった。集客はその最終目標だったが、おおくの来館者に満足してもらうために学術的な正確さを基本においた。遺跡の厳密な測量、建築材料から工法、そしてそこに配置されるさまざまな民具にいたるまで歴史学、民俗学、建築学などの専門家が参加した研究会がひらかれ、あくまでも中世の村落社会がどのようなものであったかを忠実に再構築することを主眼とした計画が立案された。その経緯は中世夢カ原管理協会編の「われら”中世夢カ原”をつくる」という出版物にくわしいが、昭和62年に自治省の「リーデイング・プロジェクト」として正式に選定され、それにともなう財政措置もとられることになった。その予算などは別添の資料のとおりである。
 計画策定からじっさいの建設作業にとりかかるまでには数年を必要とした。認定から2年後の平成元年におおむねの敷地整備がおこなわれ、園内の施設として「屋敷」と「農家」が完成、そして翌年に「山城」「館」「砦」ができあがった。さきほど紹介したように、これら建物群は専門家による厳密な時代考証によって忠実に復元されたから、材料や工法にはかなりの手間がかかった。また、建造物群は野外で風雪にさらされ、それにともなう維持管理にもすくなからぬ労力と経費がかかるが、おおくの類似施設とちがってここには日本の中世の都市と村落の「現物」が再現されているので、岡山県下はもとより隣接の自治体からも学生、生徒の見学者があとをたたない。また、この歴史公園のなかでの手工芸の体験実習なども集客力をもちつづけている。
 「中世夢カ原」と前後して美星町ではいくつかの活発なうごきがあった。さきほどのべた「新美星町総合振興計画」をうけて翌昭和62年に美星町は環境庁から「星空の街」に選定された。これは全国でおこなわれた「スターウオッチングコンテスト」の結果によるもので、翌年には音楽とスターウオッチングをたのしむ行事「星の降る夜88’」が開催され天文学者と町民の交流が実施された。また宿泊施設「星の郷ふれあいセンター」や「就実学園セミナーハウス」などが開設された。なによりも美星町を全国的に有名にしたのは平成元年11月に制定された「美しい星空を守る美星町光害防止条例」である。これは美星町という町名にちなみ、またあとでのべる天文観測ともかかわる条例だが、これは不必要な照明を排除し、とりわけ天体観測施設を中心とする半径500メートル以内での観測時の照明の抑制を規定している。条例には前例がなく、町では広島天文協会や岡山県大気保全課、国立天文台岡山天体物理観測所などに意見をもとめたうえでこの条例を制定した。そしてこの条例によって美星町は文字どおり「星のきれいな町」として知られるようになり、また「光害」ということばが市民権をえた。
 じじつ、吉備高原のこの町の周辺は年間の晴天率が高いうえに大気の透明度にすぐれ、また標高も400メートル以上で天体観測には適している。したがってここにはアマチュア天文学者の私設天文台もつくられている。新星発見のアマチュア天文学者が岡山県におおいこともこのさい付記されてよいだろう。
 そのような背景があるので、「中世夢カ原」の敷地のなかに「美星天文台」が平成7年7月7日に開設された。この天文台は世界の最先端技術を結集して設計されたもので101ミリ反射望遠鏡をそなえ、学生・生徒、一般市民だけではなくアマチュア天文学者、さらに専門の天文学者にも利用されている。これは公開天文台としては日本だけではなく世界でもめずらしい大規模なものである。さらに平成8年からはこの天文台の隣接地に財団法人日本宇宙フォーラムの国際天体観測施設「美星スペースガードセンター」も併設されて、日本の天文研究の拠点のひとつになっている。利用者のための宿泊施設もできた。
 「星」を主題にすることにおいて美星町は徹底していた。まえにのべたようにこれら一連の施設や行事は「ふるさと創生」の特別補助を基金にしてうまれたものだったが、その「創生」をもじって町役場に「創星課」を設置した。通常の職掌からいえば「地域振興課」や「企画課」にあたる部署だが、「星」にちなむすべての行政を「創星課」がおこなうのである。というよりも、この町でのさまざまな企画のすべてを「星」に密着させようというのがその狙いであった。こんにちも「創星課」は美星町の企画・広報にかかわるすべての業務をとりあつかっている。
 「中世夢カ原」はその理念においても現実においても、歴史博物館である。しかもその主題になっているのは現代生活と隔絶した中世の日本社会である。また、この地域はもともと備中神楽のさかんな土地として知られ、その伝統的地域芸能を保存・育成するための「吉備高原神楽民俗伝承館」が「夢カ原」と併設されている。じじつ、備中神楽については民俗学者による研究も蓄積されているし、シャーマニズム系の民俗芸能として韓国との国際文化交流もおこなわれている。こうした歴史・民俗にかかわる施設と天文台という現代科学の先端とが併存していることに第三者は奇異の感をもつかもしれないが、町民はもとよりのこと来訪者たちもそのことに矛盾や不自然さを感じたりはしていないようである。「夢カ原」や「伝承館」で日本の伝統にふれ、天文台で観測し、帰途「青空市場」で新鮮な野菜を購入する。そのことはごくあたりまえの経験としてこの地域のひとびとのあいだで定着しているらしいのだ。


2−2−3 財政と経営


 これまでみたさまざまな事実や歴史的・地理的条件からみて、美星町の財政がかなりの困難をともなっているであろうことは容易に想像がつく。人口が減少し、高齢化がすすみ、しかも根幹になる農業生産が「青空市場」のような卓抜な発明心にもかかわらず全体的に低迷状態にあることはこの「むら」の経済を暗くしている。「中世夢カ原」などの文化施設は外部からの「来客」をむかえているが、その来客数は当然の理由から採算のとれるものにはなっていない。さらに、高齢化がすすめば福祉・医療のための支出の増加を招くことになる。
 したがって、この「むら」では歳入が減少し、歳出が増加するという赤字財政に追い込まれているということを意味する。いったい、美星町の財政はどのようなものになっているのであろうか。それを過去にさかのぼって数字によって整理するとつぎのようになる。


  美星町歳入決算額(単位千円)

年度歳入決算額町税等自主財源(百分比)
昭和55(1980)年1,631,000179,333(10.9%)
  60(1985)年2,150,000267,309(12.4%)
平成 2(1990)年2,651,000300,232(11.3%)
平成 7(1995)年3,564,000395,182(11.0%)
平成11(1999)年3,690,000391,631(10.6%)

 この表からわかるように1980年から現在まで20年のあいだに予算規模は倍増したが、その歳入のうち自主財源がしめる割合は辛うじて10%台を維持しているにすぎない。「自治」の本義からすると完全に破綻している。わかりやすくいえば「一割自治」なのである。しかし「むら」は生存してゆかなければならない。いったい、どのようにしたらいいのであろうか。それは外部依存である。その実態を百分比でとって図表にするとつぎのようになる。


 地方交付税は過去20年にわたって歳入の50%前後をしめ、それが歳入のなかで時間の経過とともに増大していることがあきらかである。また起債によって赤字補填がおこなわれていることが一見してわかる。町税比率はすでにみたとおりだが、これを絶対額でみると世帯あたり平均の町民税はおよそ7万円、固定資産税は10万円であり、これにたばこ消費税や軽自動車税などを上乗せしても世帯あたり20万円にみたない。
 まえにみたように美星町はさまざまな国庫補助をうけてきたが百分比でみるとそれはおおむね10%前後である。地方財政としては、きわめて困難な状況におちいってしまった、とみるべきであろう。いっぽう、歳出面で美星町の財政をみると次ページのようになる。


 美星町歳出決算額(単位千円)

 昭和55年昭和60年平成2年平成7年平成11年
議会費42,83350,34656,91569,98075,158
総務費188,975279,997816,142622,574502,993
民生費85,81657,857123,560331,972447,075
衛生費42,83350,34656,91569,98075,158
農林水産業費42,83350,34656,91569,98075,158
商工費42,83350,34656,91569,98075,158
土木費42,83350,34656,91569,98075,158
消防費42,83350,34656,91569,98075,158
教育費42,83350,34656,91569,98075,158
災害復旧費42,83350,34656,91569,98075,158
公債費42,83350,34656,91569,98075,158
予備費42,83350,34656,91569,98075,158
諸支出金42,83350,34656,91569,98075,158
総額1,631,0002,150,0002,651,0003,546,0003,690,000

 ここにしめしたのは当初予算であって決算ではないが、予算総額は過去20年ほどのあいだに16億円から36億円に、ほぼ2.25倍の伸びをしめした。社会ぜんたいの経済成長、インフレ率などを勘案すれば当然の伸びである。そして、それに連動して支出の各項目も増加しつづけてきた。だが、たとえば農林水産業費や土木費などの項目が比較的に抑制されているのにたいして、民生費の増大は劇的である。すなわち昭和55年度の支出は8千5百万円だったのが平成2年度から1億台になり11年度には4億5千万円にちかい支出になってしまった。率でいうと5.2倍の増加である。日本のおおくの山村がそうであるように、この「むら」では高齢化がいちじるしい。65歳以上の人口は全人口の3割をこえてしまった。まえに紹介した「青空市場」などにあらたな生き甲斐を発見した健康な老人もおおいが、高齢者がふえれば当然老人医療や福祉のための必要経費は増加する。その結果、このグラフのような歳出の急伸はやむをえなかった。そして、このような傾向が継続するかぎり、美星町の財政はさらなる赤字の累積を覚悟しなければなるまい。


歳入・歳出の実態はここにみたとおりだが、これらの数字からもわかるように美星町にとって地方交付税はもとよりのこと、国庫支出金、県支出金などの補助金がなければ「自治」だけではなく「自活」さえもがむずかしい。補助金依存はこの「むら」にとって、いまやその体質になっているのである。


2−2−4 補助金の概要


 それでは美星町はこれまでどのような補助金を給付されてきているのであろうか。昭和56年度までさかのぼってその内訳をみると87ページ以下の表のとおりである。これをみると、昭和50年代から60年代にかけて道路建設が最重要事業であり、建設省の町道計画への補助だけではなく農水省の農道整備、県の農道計画など、「道路優先」が町政の基本となってきた。これは、まえにみたように美星町には国道はおろか県道もなく、交通事情がきわめて劣悪であったことの反映である。とくに昭和56ー58年ころの実績をみるなら町道、農道への補助金が農地整備事業などを上回っていることに気がつく。
 この傾向はその後もつづくが昭和62年以降は「中世吉備の荘」(「夢カ原」他)事業への自治省からの補助など文化施設や交流事業にかなり力点が移行してきている。とりわけ平成5年からは道路事業が全補助金事業のなかでしめる割合は10%ていどにまで下がった。道路というインフラ整備はこの時点でほぼ充足されたとみるべきであろう。


2−2−5 町幹部の談話


このような町政と補助金との関係をこれまで町の行政にかかわってきた複数の幹部から直接にきいた「聞き書き」は以下のとおりである。なお文責は面接者にある。

 
(1)まず道路から

 昭和29年6月の町村合併で川上郷の一部と小田郡とがつながってこの町ができた。そのころから美星町は補助事業に依存するところが大きかった。まず町内の東西南北どこにも移動できるように道路の改良を重点的におこなってきた。ここは岡山や水島に近く、通勤者がおおいので、職場へ行けるようにという配慮が必要だった。美星町は山間部で、水資源もすくないから企業誘致はなかなかむずかしい。交通の便が最優先課題だった。したがって東西南北どこへでも自由に移動でき通勤にも便利なようにというので道路がだいじだった。道路建設については建設省ばかりでなく農水省も力をいれてくれた。農道である。
 いろんな道路をつくった。町道、農道、県道などがいりまじっている。美星町には国道がない。唯一の国道は町の端をちょっとかすっているだけだ。町が力をいれたから、町道はだいぶよくなってきたが、県道が立ち遅れている。広域農道もいいのができた。美星町から高速道路のインターまでも広域農道でつながっている。そういうふうに継続して道路の方には力を入れてやってる。
 これは県の吉備高原開発計画ともかかわっていた。吉備高原全体をつなげて開発する構想で、昭和50年代にはじまった。しかし熱心にやってくれたのは国だった。農水省の振興局が昔から手つだってくれた。振興局へまずお願いに行ったり、国の方へも陳情にでかけた。美星町のように小さい町村が直接、農水省に行くにしても、やっぱり県を通してじゃないと受け入れてくれない。国会議員の先生の所へも行っているが、そういう所に行くにしても、ある程度県の方と話ををした上ででかけてゆく。いきなり中央にでかけたら県が怒る。だからそういう手順、つまり振興局と県と農政局を通して、大きな事業はあそこでヒアリングを受けなければならない。そこでメドがたつようなら国会議員の先生の所にお願いに行くとかいうような順序でやっていた。
 是非お願いしなければならないという案件はまず県の中でちゃんと根回しをしてから各省へ行く。いきなり町が国に単独で進めて、それから事後的に県に戻って話をするというのは抵抗がある。県のご機嫌はよくなくなる。
 こういう進め方はこれまでの慣習である。こうした整備事業は昭和50年過ぎくらいからはじまった。いまの美星町長は3代目である。初代の町長は合併当時から8期連続で活躍された。その次の町長が4期である。いずれも長期政権で、現町長はいま1期を終わろうとしているところだ。道路関係、農業基盤の関係、これは初代の町長のときからの継続である。ただ、むかしは「美しい星の町」というイメージはあまり無かった。当時はそんなことはあまりなかった。2代目になって美しい星の町、字の通りのこれをあえて空を見て感じたということで星をテーマに取り組んだ。
 美星町は企業が少なくて、こういう不便な場所だから、財政的には交付税頼りである。80%が交付税や補助金だから「3割自治」どころではない。だから広域的に取り組むべきゴミ関係でも、もともと広域でやるとかえって金がかかりすぎる。美星町ではまだそういう体制がなかなかできない。これは昭和29年の4ヶ村で合併以後がんばっているがむずかしい。合併問題と中央からの補助事業の関係は微妙だが、広域行政にすることにはおおくの利点があった。なんべんもいうようだがこの町は昔から、補助金無くしては何の事業も出来ていないが、美星町はそういう手腕については有名だった。補助事業のおかげで、農業構造改造事業をスタートさせて、土地改良事業、農村整備モデル事業というものを取り込んで、ここまでやってきた。
 美星町でもうひとつ重要な補助事業は農業の整備である。そのかわり簡易水道事業が遅れてしまった。水問題が遅れたが、平成10年から70%起債で対応している。県の補助金が全くない。岡山県にも財源がない。しかし、これにも秘策があった。美星町は山の上で水がまったくないから、ダムを作って簡易水道をつくろうということになった。ダム建設のための用地買収の調印までこぎつけていたが、岡山県公益水道企業団のほうからがダム事業のめんどうをみようという話があった。その結果美星町の簡易水道事業は県のダム事業で賄った。そこで起債の何割かが助かる。だから実質はそう持ち出しをしないでも2割くらい節約できた。
 これは過疎債である。しかしなかなか水道のほうにばかり資金をまわすわけにもゆかない。他の事業のもたくさんあるから制限はあるが、過疎の起債をしなかったら他の事業もできない。必要不可欠な大きな事業はどうしてもやっておかなければならない。
 福祉でも将来、国のお世話になる可能性はおおきい。こちらも行き詰まっている。負担がふえてゆくだけだ。年金の掛金、介護保健の掛金は上がる。若いひとたちはじぶんたちが老人になったときに世話してもらえるのか、という疑問をもっている。かれらの将来の年金だって保証されているわけではない。そういうことを知りたいという。だからなんらかの年金制度はなくなっては困る。大なり小なり変動はあるにしても維持はしてもらわないといけない。年寄りだけではなく、若い人もたいへんなのだ。

 
(2)町名のことなど

 美星町という町名だが、ここには星にまつわるものがたくさんある、星神社とか。お宮さんとかあるし、地名で星田というのがある。これも4ヶ村が合併した結果だが、美山、阪井というところに星田という地区がある。これは阪井の中で一番大きい集落である。美山村の「美」をとって、坂井村の中の星田地区の「星」をとって美星町というのをつけたのが二代目の町長だった。それにちなんで「星の道路」の基盤整備もはじまった。それにこの山のなかでは、夜空をながめたら星がじつにきれいだからいい町名になった。そこで星をテーマにした町づくりが本格化してきた。人口が減っていくから、よそと活発に交流して知名度を高め、人口を減らさないようにしなければいけない。
 そんなわけで町としては本格的にそれに取り組むために自治省のリーディングプロジェクト事業に手をつけることにした。新事業というのを策定して提出したらリーディングプロジェクト事業に採用された。さきほどいったように、美星町には国道もないし県道も少ない。河川にもめぐまれていない。だから補助金は農水省関係のものが多い。それでも交流事業の中でこの町は「中世夢カ原」というのをつくった。しかしこれができてからほうぼうに類似施設もできてきた。おもしろいものもたくさんあるので、そっちにお客さんが流れていく。「夢カ原」は学者の人なんかには非常に素晴らしいといわれているが、お客さんがくれば設備にも維持費がかかる。なにしろ中世の建物だから雨風にさらされたら修理費がたいへんだ。いまは民間の人がやってくれている。でもやっぱり赤字が多い。民間企業に委託しても人件費や維持費で赤字になる。
 お客さんに滞在してもらうために宿泊施設もつくった。美星高等学校跡地である。そこをそういう施設にして触れ合いセンターという役割にした。建設当時は非常に活気があった。いまも評判はいい。あれは非常に外部からたくさんの宿泊客がきてくれる。都会で仕事をおえてからここまできて宿泊してくれる。しかし「夢カ原」は中世を主題にした施設だから、これの維持の方が非常に大きい。問題は今後これを何年間継続できるかいうこと。天文台もあるがこれもふくめて維持がたいへんだ。町としてはいま年間5千万円を「夢カ原」に支出している。
 農業についていうと、ここではたばこと野菜はずっと続いている。それから水稲、セロリがちょっと増えてきている。ぶどうなどもつくりはじめた。米作は減反がつづいている。転作もいろいろあったが、永年転作というのもある。松の木を植えたりしてしまうのである。ああいう意味のないことするものだから水田は荒れるいっぽうだ。田んぼの中に植樹するのだから、大きくなって何にもならない。結局水田を荒らしてしまった。
 転作としては大豆を奨励している。黒大豆、白大豆。大豆はこのへんは栽培に適しているが、時期が梅雨時だし販売ルートの開拓も必要だ。だからいまは青空市場と農協の両ルートで売ることをはじめている。青空市場では野菜の加工や味噌なども販売している。美星町の農協は牛乳を利用した加工製品もつくっている。
 酪農、養豚はずいぶんむかしからやってきた。柵をして放し飼いしていたが。県も町も農協もこのごろはあんまり熱心ではなくなってきた。
 転作の影響もおおきい。転作割り当てが4割位になっている。その一部は永年転作で、これはかなりものすごい。今の転作制度は農地を荒らす制度ではないかとおもうこともある。
 ほかの農作物をつくるのだったら水田にもどすことができるが、永年転作だとせっかくの水田が山林になってしまうのだから、とりかえしがつかない。何十年も何年もかかって耕地はできる。将来、米不足になったり、世代交代がすすんだり、労力配分の方法がかわったりすることもあろう。そういうことを念頭においてかんがえたほうがいい。いまは広い面積の圃場が荒れ放題になってしまっている。田んぼは荒らさないようにというのが優先的に配慮されなければならない。田んぼとして使わなければ他に使えない。田んぼに戻らない。畑にした部分でも、もうかなり荒れた。いずれにせよ、そうしたことによって農地が大幅に減ってしまった。ここにはむかしは棚田もあったが、保存は年寄りがいなければできない。
 ここは備中神楽でも有名だし、秋になると神楽はほうぼうでおこなわれている。国際化もはじまった。韓国に行ったり韓国から招待したりして文化交流をはかったから、ここの神楽もあたらしい時代にはいった。これらは自主的なもので、伝統芸能は保存しなけらばならないとおもっている。ありがたいことに、ここでは専門の民俗学者が指導してくれている。
 人口についていうと、美星町の人口は6千人前後でずっと横ばいである。前回の国勢調査でもそのくらいだった。むかしは1万以上だったが、昭和40年から50年代にかけて人口は激減した。あのころは町役場で職員を募集しても志望者がいなかった。職員不足という時代もあった。若いひとびとはどんどん町のそとに転出していった。岡山、倉敷方面に転出した者もいるし、ここから通勤している者もいるが、そのほか、美星町からは阪神への転出がおおい。大阪、神戸に転出するともう帰ってきてくれない。東京方面に転出した人口もある。いまは歯止めがかかったが、過疎化は避けることができなかった。

 
(3)補助金問題

 人口が減少すれば、町の財政規模も縮小せざるをえないし、事業そのものも減ってくる。やりたい事業はたくさんあるが、なにしろ自主財源がない。それにどんな事業でも金額はかなりのものになる。そんななかで、不可欠な事業もすくなくない。「ぬくもりのある行政」をスローガンにして行政をおこなっている。基盤になる事業としてはほんとうに町民の役にたつ医療関係の事業などを優先させているが、補助金の率はきわめてすくない。不可欠なものはやらないというわけにはいかない。しかし、率直にいって、もう限界にきているのではないか、とおもうこともある。
 こうした窮状を理解してもらうために、地元選出の国会議員のところに陳情にいったこともあるが、有力議員のおおくは引退したり高齢化がすすんだりしているし、むかしのような地元優先ということもできなくなっている。東京にでかけて議員会館にいったり、ときには大臣室にまで足をはこんだりしたが、代議士本人に会えるということはめったにない。それに、政府からの補助事業はべつだん政治家のところにゆかなくても、各省庁がめんどうをみてくれるから役所のほうがいい。われわれがいちばんこまっているのは国庫補助が事業費の5割しかないということだ。あとの5割を自力で調達することがじつにむずかしい。東京まで陳情にでかけることの意味もかなりかわってきた。補助金をもらうことはそれほどむずかしくはないが、それに見合った自主財源の確保は持ち出しになるから、そこがたいへんな作業になる。財政的にきびしいから県にもいろいろおねがいしているが、県にも規則や規定があって、なかなか自由にはならない。
 これからの農業は共同化・事業化をしなければならない、という意識はかなりむかしからもっていた。だからこの町ほど農林事業、畜産事業の領域でさまざまな助成を得た自治体は県内でもすくないだろう。先代の町長からの継続事業もかなりたくさんある。そのおかげで今日こんなによくなっているのではないかとおもう。
 倉敷方面からくればすぐにわかるように、美星町は瀬戸内海岸の平野地帯から急に上がったところに位置している。地勢的には高原地帯と準高原地帯である。山村だから一山越えて一集落というように、点在集落が多いのでどうしても交通が不便だ。だから道路をよくすることがわれわれの悲願だった。道路整備を美星町は優先事業にしてきた。経済にしても産業にしても文化にしても、それらを運ぶのは道だから、道路をまず一番に整備しようということで、道路行政に相当つぎ込んできた。しかも単独事業ではできないから、あらゆる補助事業費を投入して、農林関係の予算も転用してやってきた。総額でも250億円ほどの助成事業でここまでやってきた。道路というのはきわめて重要である。しかも、この町には国道も県道もすくない。町内のすべて町道あるいは農道である。したがって町道の整備を積極的にやってきた。とにかく町という事業主体がやらなければならない。じっさい国道は町の端を1キロばかりかすっているだけだ。鉄道もない。だから町民は「無い無いづくしの美星町」といってきた。鉄道はない、国道はない、それから銀行もない。山のなかだから、通過交通もない。県道は9路線程あるが、これもみな小さい県道ばかりである。そしてこういう立地だからどうしても県の対応も遅れる。
 だから他地域との交流がだいじになってくる。都市と農村の交流の受け皿をつくらなければならない。それで広域的な幹線道路は農林省の広域農道などの事業をとりいれてやってきた。
 むかしは国の財政が行け進めで高度経済成長だったから、どんどんやれというような補助事業ばかりだったから、そういう事業はいくらでも導入することができた。広域農道というのが美星町の玄関口になってきた。福山や倉敷とかからも30分くらいで来られるようになった。交流客が非常におおくなった。すべて道路整備ができたからだとおもっている。
 道路建設にはいろいろな知恵が必要だった。県の土木関係だけでどうにもならないから、農道をつくった。補助金をもらって農道改良をおこなうというような便法もとりいれた。そのために国からもらった土地改良の予算の一部を道路につかったりもした。農林漁業金融資金からも融資をうけた。基盤整理をするから道路がいる。道路がなければ基盤整備はできない、という両面作戦でやった。それから産業振興基盤整備であるとか、あるいは整備モデル事業という事業もおこなった。昭和50年ころのことである。そうした申請が採択されて、合計12年ほどかけて集約的な事業ができた。
 農道改良、あるいは集会施設、コミュニティハウス建設、あらゆる事業に取り組んできた。前町長がそういう意欲をしめしてくれた。ちょうど高度経済成長前だったから、つぎつぎに新事業に取り組んできたのである。大型の灌漑施設、モデル事業、さまざまな整備事業もまだ継続していた。時代がよかったので、諸事業は順調に進んで今日の美星町が完備したとおもっている。
 時代もさることながら、先代町長が先見があったのだろう。なによりも重要なのは県とのコミュニケーション関係をよくすることだ。まず県である。国の方もだいじだが、なんといってもたよりになるのは県が一番である。国との関係もまず県が窓口なのだから。飛び越えて国と相談しても県はよろこんでくれない。県で採択されたものをあらためて国におねがいする、という順序である。そこではじめて予算化できる。だからつねに県が窓口である。この町については県知事もよくめんどうをみてくれた。知事の悪口はいえない。ずいべん可愛がってもらった。知事と直接話す機会はそんなになかったが副知事や担当の部長、課長にはしばしば相談することができた。われわれもいろんなアイデア事業を提案したので、知事も美星をやれ、美星はどうしているかと、非常に激励してくれた。あの当時は色々と県庁もあたらしい事業展開を構想していた。このあたりを広域的にとらえた吉備高原都市の計画もあった。県にはすばらしい先見性があった。県下にはいくつもの市町村があるが、県ではよくめんどうをみてくれる。先代町長はしばしば県庁と相談していた。いまも町と県はよく協調している。とにかく、町長はその町の盛衰の全責任を負っているわけだからよそに負けてはいけんという気概が町長にも職員にもある。いい意味での市町村のあいだの競争はいいことだとおもう。

 
(4)青空市場の成功

 条件にめぐまれた県の南部とちがって、美星独特の構想を伸ばしてゆかなければならない。時代もそういう変化を活発にうけとってくれた時代だったし、県からも物心ともに援助をうけた。その後農業だけでは、交流化時代にやってゆけないという判断のもとに流通を再検討しはじめた。以前の農業はじぶんたちの生産物を大市場相手に出荷していたから、中間でかなり手数料をとられていた。農家への手取りはきわめてすくなかった。そういう一種の依託販売以外の販路はなかった。しかし道路整備ができたので事情はかなりかわった。そこでかんがえたのが「青空市場」である。これは昭和58年からはじまったもので、観光施設として町と村の交流を促進する役割をはたすことにもなるだろう、という発想からはじまったものだ。農産物をこれまでの流通経路で消費者にとどけるのでなく、じぶんで買いにきてもらうという発想でこれからの時代をつくってゆかなければいけないということで、青空市場ができた。
 これがおおいに成功した。これをはじめたのは正解だった。いまでは県下第一の規模の青空市場になっている。だいたい平日平均の来客数が300人位で、休日になったら倍くらいにふえる。たいへんな繁盛である。よそには朝市とか日曜市というのはたくさんあるが美星町のように年中やっているところはすくない。この町には休日になると交通整理が必要になるほどお客がふえた。じっさいこれは、さいしょは無人市場のようなものからはじまったのだが、事業をはじめてから5,6年で定着した。
 竹下内閣のときの「ふるさと創生事業」で1億円の補助があったので、その一部を投入して市場を拡張した。そのときから町が主導してしっかりした施設をつくった。それがいまの「青空市場」である。農家の立場に立ってみると、売れるものをつくろうというたのしみができた。買う立場からすれば新鮮な野菜が安く手にはいる。だからこんなに大繁盛になった。
 さいしょは年間売上が3千万円ていどだったのが今は4億円を越すようになった。これは大成功であった。また、農家が出荷するのを会員制にしている。参加している農家は240人ほどである。全員が作物を市場にだすのだから、公平を期するためには、農家ひとりあたりの出荷量を制限しなけらばならない。具体的には50点に制限している。だからたくさんの農家が市場に参加できる。公正に恩恵を受けるようにということで、うまく経営している。施設は町がつくって、経営は農業の後継者グループがやっている。しっかりした若手の後継者が12、3人いて、中心的な役割をはたしている。その結果、意欲も向上して売上も伸びてきた。そうするとこんどは税務署が追いかけてくるようになった。役場としてはこの税金問題は予期しないことで税務署と数回にわたって交渉したが、所得のあるところから税金取るのは当然のことだから、この市場を株式会社にした。そして経費でどんどん落とせるようにして、経営も収支も明確にした。税務署もこの貸借対照表を信用してくれるようになった。それまではドンブリ勘定だったからあいまいなところもあったし、損した部分もあった。しかしいまは株式にしているからべつだんトラブルもなく利益をあげている。これは大成功だったといってよい。
 道路整備を早くやったということが成功の重要な理由だった。気象条件も有利だった。晴天がおおいし、ちょうどドライブコースに乗ってるような風景がひらけているから、集客にもいい。お客さんは、だいたい福山、倉敷、総社からくるひとが一番おおい。もちろん岡山からもだいぶきている。しかし、きてみたが市場になにもない、というのではぐあいがわるい。どのようにして在庫を確保しておくかがだいじだった。お客は日曜日に来るし、それも午後になってから来る。平日は客数はすくない。日曜日も午後になってからゆっくりくる。せっかくきてもらっても売り切れだったら申し訳ないからこまやかに品物のうごきを管理している。
 ここに出荷する生鮮野菜などは市価の7割ぐらいの価格である。だいたい平均して2、3割安い。経験的にいうと市況が下がるときには売れ行きがわるい。逆に上がる時にはいい。消費者は市況をよくみているし、買い手の声が入ってくるから総体的に好評である。中間業者がないからほんとうの生産者と消費者の対話ができるのである。新鮮なのが好評の基本的理由だが、いまの消費者は賢明だから、味や舌ざわりにも敏感になっているようである。この市場については付帯施設などいろいろ補助したが中央からの補助金はついていない。さきほどのべたように例の「ふるさと創生」の1億円を投じたのがはじまりだ。好評なので農産物だけでなく加工食品、つまり味噌とか菓子類の工場などもつくった。ここには県の地域振興事業という援助もうけることができた。県が5割補助をしてくれたのである。

 
(5)リーデイング・プロジェクト

 それにつづいて昭和62年に、国が地域起こしのモデルを作れということでリーディングプロジェクトという構想を自治省が出した。その内容というのはいろいろ地域性のある先駆的な事業を、国が主導するのではなく地方がみずからの主体性において発案するというのがこのリ−デイングプロジェクトだった。そのときに、これからは交流化時代になってゆかなければならない。そして美星町はもっと外部からお客さんを呼ぶくふうをすべきである、という話がでた。また自然志向であるとかあるいは田舎志向といったことばも耳にするようになっていた。だから町民の生活をかんがえながら、美星がひとを惹きつける方法はないかと議論をはじめた。ちょうどそのとき町出身の学者が、専門家をあつめて町の歴史のなかから郷土復興ができないか、ということになった。
 そこで思いついたのが城の復元である。美星町には小笹丸城址という古跡がある。その歴史はある程度正確ではないが、おぼろげに把握できる。それをひとつの典型的な基本施設にして、中世のかなり古い時代から美星町は開けていたという歴史もあるから、よそにない、緻密な中世の村を再現しようではないかということで、野外博物館的な施設をつくることにした。こういう構想を実現しようではないかと、再三、専門家にも見てもらって、村づくりを計画しておいたら、自治省がそれはいいと認めてくれた。たいへん高い評価をうけた。この計画は昭和60年に決定し、平成2年に着工して、完工が平成4年だった。これを建設することで都市と農村の交流化時代の受け皿にしようというのが趣旨である。この施設にお客にきてもらい、帰りがけには青空市場で美星の特産の野菜を買って帰ってもらおうとかんがえた。
 この野外博物館「中世夢カ原」計画はおどろくほど厳密にやった。そこまでやらなくてもいいのではないか、とおもわれるほどくわしい研究がつづけられた。しかし、よそにはないしっかりしたものをつくるということで、歴史考証の意見を徹底的に尊重して事業展開をおこなった。その結果、日本のなかで他に類例をみないほんとうに珍しい歴史公園ができあがった。いいことだとおもうしこれをわれわれは誇りにしている。
 ただ、管理者の立場からいうと維持管理費がかかるのが泣き所である。すべて木造だから早く朽ちる。修理もたいへんだ。素材はほんもので人工的な素材はつかっていないから修理費がかかる。見る人がみればわかるのだし、やはり本物でやってゆくというのはいいことだとおもうが、それなりの悩みはある。それにこの建造物群は実体験に即したものを中心にしているから学習の場として教育的意義もおおきい。
 資金の不足分はだいたい起債事業でやっている。そして交付税措置を5割にしてあげようということだから、5割補助というべきだろう。事業によって50%があり55%があってややこしいが、おしなべていえば半分補助ということになる。市町村によって財政規模が違うから一律に論じることはできないし、財政力に応じて考慮しなければならない。この町のばあい事業自体が平均的には50億位だし補助率はいろいろだから、一律の補助よりは多少の変動があったほうがいいのかもしれない。
 補助金というのは国が連帯保証人になって地方自治体が地方債を発行して借金するというような面をもっている。なまじ補助が出たからお荷物になっているという事例もあるようだ。むかし補助金ではじめた仕事のなかには、いま裏目に出ているものもないではない。むかしの起債のツケがまわってきた。補助というのは保証であることがおおい。現状では、本当に切羽詰まった必要なのは手を出すが、少々補助事業や補助金やるといわれても簡単に手をだすわけにはゆかない。
 むかしはそこもかしこも手をあげて補助を希望する所ばかりだったから、補助をうけるのはなかなかむずかしかったが、いまは基盤整備ができた。べつなことばでいえば社会資本の充実ができたから、これからの時代は、これまでのような考えかたではやってゆけない。たとえば目先の問題として少子高齢化時代がすすんでくるから、そういう問題を視野にいれて住民福祉などは力をいれなけらばならない。あまり贅沢の上塗りになってはいけないがある程度は、福祉に資金を投入して、これからは本当に価値のある、必要なものを選択して事業計画をたてなければならないとおもう。

 
(6)事業の選別

 だからこれからの新規事業は投資効率をよく選択的におこなわなければならない。事業の進行によってはいくら頑張っても、ある程度のリストラも必要だとおもう。しかし「中世夢カ原」についてはこれからも力をいれてゆく。あの施設の強みは、よそに似たものがないということだ。学術的な価値も高い。あれを基本財産にして、いかにおおくの人を寄せるかという問題に取り組みたい。そのためには色々と内容も充実していかないといけないとおもう。あまり膨大な金をかけないでも理解者はきてくれる。課外授業としてバスで生徒をつれてくる学校もふえてきた。だが、一般の観光客というのは、同じところには二度とゆかない。ゆくたびにかわった趣向ができていればなんべんも足をはこんでくれる。観光遊園地のなかには新しい施設をいつもつくっているところがある。儲けを新しい施設に投資して回転させてゆく。だからお客さんがなんべんもやってくる。そういう発想も必要かもしれない。「中世夢カ原」でもある程度、内容の変化、充実をしたほうがいいのかもしれない。だが、なによりもだいじなのは清潔である。観光地はきれいにしておかなければならない。お客さんは汚いところは二度ときてくれない。いかに素朴なものでも、小さなものでも、きれいに清潔にしておくのがいちばんの客をひく秘訣。汚れてさびれてくるともうきてくれない。いつも清潔にしてきれいにしてると活気があるようにみえるし、またお客さんも好意をもってくれるから、できるだけ清潔に整備しておきたいとおもっている。
 ありがたいことに天文台も併設できた、宇宙フォーラムの施設もできた。これらもおおきな吸引力になるとおもう。ここ数年、不景気という風が影響しはじめてきているが、美星の場合、ここまで足をはこぶのはたいした負担にはならないし、山里のそれぞれの季節をたのしみたいという時期的な感覚のお客さんもいるから、そういうお客も積極的に呼び寄せるようなくふうもしたい。これから自然志向、健康志向だけは衰退しないだろうから、そういう面での受け皿としての美星町を構想する必要があるのではないかとかんがえている。
 いま問題なのは住民がこういう施設に無関心であるということだ。町民のなかにはまだ「中世夢カ原」に行ったことのないひとがかなりいる。無料で開放してもきてくれない。もっと周知して美星町の誇りを感じてほしいとおもうが、町民が無関心なのは恵まれているからかもしれない。しかしもうちょっと町民も本気にならないといけない。議会は真剣に取り組んできたのだから。じっさいこの施設についてはスタートした時から議員は全員賛成だった。全員賛成。あの当時はやっぱり地域おこしの全盛時代だったから、どんどん新しいことやれば、いろいろ報道してくれる。町民も当然、それを誇りに思う。ところが何年かすると自然にあせてくるものだ。その危険はある。
 ところで、美星町を全国的に有名にしてくれたのは「光害防止条例」だった。NHKでも特集番組で紹介してくれた。いまでは全国どこにいっても、それで美星町のことを知っていてくれる。あの星のきれいな町か、といってくれる。光害防止条例は効果があった。あれが一番よろしい。だいいち金がいらない。それでいて抜群の宣伝効果があった。ほうぼうの自治体から見学者がきた。光害防止条例は全国的に反響があった。全国には星空のきれいな町はたくさんあるはずだが美星町だけがこんな条例をつくった。あまりたくさんあっては選考に困る。先見性があったからこんなことができたのだろう。この光害防止条例のおかげで星空を守っているのは美星町だけだから、美星町にいってみようというひともふえてきた。光害防止条例はたいへんな知恵だった。
 これはかなり徹底的にやった。役場には以前から地域振興課というのがあったしこれが全国的に流行したが、地域振興というのは堅苦しいようなお役所言葉である。これをもっとリラックスしてなじみの良いものを考えようじゃないかということにした。たまたま「ふるさと創生」の1億円ができたので、語呂あわせで「創星課」と名付けることにした。よそでも「創生課」というのをつくったところがあるが、「星」という文字をあてはめたのは美星町の知恵であった。ちょうど地域起こし、村作り全盛時代だったから話題になった。そのころ東京ドームで地方自治体のフェアがあって、各県から2つづつ町村が出展していたが竹下総理がみえて一まわりして帰られたが、美星町のところで足をとめてなかにはいってくれた。非常にいい印象をもたれたようだった。当時の運輸大臣も、担当課長もみてくれた。総理の目に止まったのは間ちがいない。「ふるさと創生」は自由発想だったから、いろんなことをする地方自治体があった。たしか徳島県には1億円で金の延べ棒を展示しているところもあった。美星町は青空市場に投資したが、これは生きてきたという自信がある。
 青空市場は産地直販の先鞭をつけたようなものだった。その当時は無人市場とか小さいのはあったが美星のように大きく振興した例はほとんどない。その後も「道の駅」とか小さいのはできているけれど、それは大規模なものではない。最初は100人くらいがきてくれただけだった。それがここまで成長した。ありがたいことに、ここはこれといった特産品はないが、準高原地帯だから秋野菜は非常に良い物ができる。しかもまた何でもできるところだから、最近ではピオーネがだいぶ普及しいる。青空市場は少量多品目だから、農家ではいろいろなものをつくるようになった。消費者も直接消費者が買うのだから、少量多品目がいい。また消費者から、これをつくってくれ、といわれれば注文によって農作物をあらたにつくることもできる。たとえば、むかしは白菜の時期になると白菜ばかりつくって、その結果、こんどは出荷過剰になったりもした。残ってしまうこともあった。しかし、50品目ほどつくって調整してあるから生産過剰にもならない。会員制で出荷して勉強しているから、何が売れるかもおたがいにわかってくる。高く売れるようなものを積極的に栽培する意欲もわいてくる。

 
(7)これからの課題

 ただ、こまっているのは花である。花つくりがいいというので、みんなが花をつくるようになったが、それが生産過剰になってしまった。花の値段がいまは非常に安い。花はお彼岸とかお盆とか、こういう時期には3倍位になる。ところがそれを狙ってたくさんの農家がつくるので、自然と出荷過剰になり、価格は下落してしまう。だから、青空市場の花の値段は岡山や倉敷の花屋で売っている価格の半分くらいにしかならない。しかし消費者はよく知っているから、ここの切り花を買ってくれる。切ったのをすぐに市場に出すから日持ちがいい。都市部の店にあるのは切ってから3日位たっているので、花の命が1週間ぐらいちがう。それで相場が安いということで、どんどん買ってくださる。とはいうものの、やはりちょっと生産過剰になってしまった。胡瓜もカボチャもあるというほうがいい。農協方式だと市場出荷だから少量多品目ではやってゆけない。特産品の大量出荷なら農協方式のほうがいいけれど、ここの市場はその逆で少量多品目を趣旨にしている。お年寄りでも50点までの出品だから毎日でも出荷出来る量で、販売にはたいして手間もかからない。それにいろんな日用品まで売るようになった。ちゃんとお客さんはついてくれる。
 市場が繁盛しだしてから、つくづく考えていることだが、美星町はお年寄りが元気である。市場に作物を持っていって売るというのはお年寄りのたのしみになってきた。いわば楽しみの農業である。だから元気がついてきた。お年寄りでも忙しい仕事を持っていると活気がでてくるものだ。それとたぶん関係しているのだろうが、市場ができてから老人医療費がすくなくなってきた。県下でも低い方から2番目位である。したがって国民健康保険料が一人当たり2万円ぐらいちがう。お年寄りが元気だというのはいいことだ。お年寄りむけの行事をやっても、しごとがいそがしいので出席率が非常に低い。仕事をもってるから、遊びに行く人もいない。他の町村でみていると、老人ホームは朝から将棋を打ったり、碁を打ったり閑人だらけである。これもいいが、年寄りの楽しみに農作物をつくって売るというのは一挙両得である。これからはもっとたくさんのお客さんにきていただく努力がだいじになる。
 だが、これがここまで成功したのはいままでの総合開発事業だった。500町歩の灌漑施設もやってきた。こういう社会資本がいちばんおおきな財産になっている。これのおかげで青空市場の出荷も順調にゆくようになった。ここは山のなかで、河川もない。ダムもない。いままでは湧水を利用して細々とやってきた。そういうところで用水を調達していたが、昔のように手酌で水を救うような時代じゃない。消費量がものすごく多いから。どうしても水源がなければというので苦労している。
 とはいえ、全体的にふりかえってみると美星町は補助事業のおかげで充実したとおもっている。国からの投資をこれから生かしていくことをかんがえなければならない。一時的には観光ブームが過ぎたようだが、「中世夢カ原」も町の貴重な財産だから、2千万そこらの赤字になってもそれを広告料だとおもって頑張ろうとおもっている。



岡山県美星町主要事業一覧(昭和56年度〜平成12年度)(単位千円)

年度事業名所管省庁国庫補助率決算額国庫支出金県支出金地方債その他
特定財源
一般財源
56町道整備事業建設省 280,50058,000 183,90033,0005,600
橋梁整備事業建設省 16,9008,000 8,500 400
農道整備事業農林水産省 41,879 9,780 28,6743,425
夕一建築農林水産省 90,900 54,45021,800 14,650
コミュニティハウス6棟農林水産省 52,25026,125 12,80012,595730
町民体育館・町民プール建設事業B&G財団 40,033  22,500 17,533
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 17,300    17,300
飼料畑改良事業3.8ha農林水産省12,8275,7782,5404,100 409
溜め池改修5箇所農林水産省 17,5428,7713,508 5,2630
地籍調査自治省 16,55910,2482,562  3,749
 小計  586,690116,92272,840253,60079,53263,796
57町道整備事業建設省 189,40026,000 16,100 3,300
農道整備事業農林水産省 21,7123,9503,440 12,1222,200
交通安全施設整備  18,168 6,5856,000 5,583
小学校雨漏り修繕・中学校校舎窓枠修繕  30,560  20,000 10,560
夕一建築農林水産省 68,17434,0876,75020,500 6,837
コミュニティハウス6棟農林水産省 22,81011,405951 10,4540
消防機庫4棟  11,940  11,800 140
ほ場整備事業農林水産省 11,3057,6013,041  663
溜め池改修4箇所農林水産省 10,4207,4432,977  0
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 136,570    136,570
園芸パイプハウス施設83棟(美星町農協)  17,63817,263375  0
地籍調査自治省 18,89911,8362,959  4,104
 小計  557,596119,58527,078218,40022,579169,957
58町道整備事業建設省 276,09844,0092,379166,30049,06914,341
農道整備事業農林水産省 25,6333,1203,918 15,8062,789
宇戸谷簡易水道建設事業  103,31840,3523,00055,9002,6641,402
町営住宅10戸建設建設省 113,96230,124 41,684 42,154
ふれあいリハビリ公園整備  32,800 15,0009,500 7,300
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 758,000609,356(国・県費)  148,644
ほ場整備事業農林水産省 30,33120,4128,200  1,719
格納庫付農機具修理工場(美星町農協)農林水産省 38,74919,374  19,3750
雨除け栽培鉄骨パイプハウス(美星町農協)農林水産省 19,7906,343    11,6711,776
地籍調査自治省 20,65412,9203,230  4,504
 小計  1,418,335786,01035,727273,38498,585224,629
59町道整備事業建設省255,84338,0009,195186,6002,09819,950
農道整備事業農林水産省 15,939 6,503 3,0006,436
宇土谷簡易水道建設事業 34,4588,2401,00014,1008,4362,382
町営住宅10戸建設建設省 55,43436,956 17,700 778
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 135,151    135,151
ほ場整備宇戸地区(第3期山振事業)農林水産省 16,8008,4003,360 5,0400
多目的温泉保養館関連施設整備 25,000  5,35018,500 1,150
地籍調査自治省 22,75113,6163,404  5,731
 小計  561,376105,21228,812237,20018,574171,578
60町道整備事業建設省 318,37463,40051,080169,00011,69723,197
農道整備事業農林水産省 16,6672,8007,0303,0002,3271,510
歯科診療室改装工事  21,426  15,400 6,026
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 110,307    110,307
工業団地用地買収  40,711   32,600 8,111
多目的温泉保養館(鉄筋コンクリート2階)  63,600 21,20040,000 2,400
地籍調査自治省 19,17210,7703,590  4,812
 小計  590,25776,97082,900260,00014,024156,363
61町道整備事業建設省 292,71243,10052,738165,50011,25320,121
農道整備事業農林水産省 31,6081,45010,2413,0003,58713,330
林道整備事業農林水産省 18,200 10,9204,000 3,280
多目的集会施設整備(宇土谷公民館)  15,8507,9257923,9003,17063
し尿処理場建設事業  17,315    17,315
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 498,200403,603(国・県費)  94,597
宮ノ谷工業団地造成事業  58,726 17553,0005,100451
多目的温泉保養館(鉄筋コンクリート2階)  42,652  36,000 6,652
多目的温泉保養館関連施設等整備  15,784 1,0008,400 6.384
地籍調査自治省 19,89610,9444,476  4,476
 小計  1,010,943467,02280,342273,80023,110166,669
62町道整備事業建設省 216,56331,00025,980146,7005,1907,693
備中西部広域営農団地農道二期計画(県営)農林水産省 31,80028,620(国・県費)  3,180
農道整備事業農林水産省 25,040 12,2298,4002,3392,072
美星小学校大規模改修文部省 47,64713,989 24,700 8,958
営農飲雑用水施設整備(水名地区)農林水産省 90,254 58,53015,20015,868656
防災安全施設(防火水槽14基)農林水産省 28,779 18,6978,3001,436346
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 457,920372,220(国・県費)  85,700
水田ほ場整備農林水産省 35,450 23,360 10,2401,850
企業誘致促進(水道ボーリング・貯水槽新設・敷地造成)  114,424  28,00086,4240
星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト計画策定自治省 12,335 2,000  10,335
星の郷ふれあいセンター整備(宿泊研修棟整備・風呂便所新設・看板設置)  49,620  20,00020,0004,120
地籍調査自治省 29,296 22,704  6,592
 小計  1,139,128445,829163,500256,800141,497131,502
63町道整備事業建設省 191,40355,7006,999119,900 8,804
農業集落道整備(農村総合整備モデル事業)農林水産省 19,493012,6423,5002,895456
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 31,79628,617(国・県費)  3,179
農道整備事業農林水産省 114,882 68,9465,50036,1654,271
美星中学校大規模改造文部省 42,83514,421 20,000 8,414
テニスコート2面・敷地造成  21,8563,132 18,700 24
美星病院増築厚生省 29,2206,907   22,313
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 233,200174,900(国・県費)  58,300
水田ほ場整備農林水産省 79,405 4,200 73,2601,945
星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(駐車場・広場・中世の道・辻堂・五輪塔・設計委託)自治省 82,211 2,50071,700 8,011
星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(付替え道路)自治省 58,742  58,600 142
地籍調査自治省 23,712 18,377  5,335
 小計  928,755283,677113,664297,900112,320121,194
1町道整備事業建設省 207,96350,04511,666130,50016515,587
農業集落道整備(農村総合モデル事業)農林水産省 64,87232,4359,63314,5006,3012,003
農道整備事業農林水産省 114,06033,64027,13511,00017,27525,010
美星小学校大規模改造工事文部省 40,95111,109 25,000 4,842
特別養護老人ホーム設置事業(法人営)厚生省 606,112 263,948 299,21842,946
公営住宅建設事業(用地造成・木造平家8戸)建設省 76,287  58,761 17,526
畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 93,00069,750(国・県費)  23,250
水田ほ場整備(山村振興事業)越出地区農林水産省 46,10023,0509,220 13,8300
農業生産体質強化総合推進対策事業(茶加工処理施設新設)農林水産省 58,03318,4586,460 8,19724,918
養豚基盤拡充対策事業(子豚舎1棟・種豚59)農林水産省 23,709 7,506 16,203 
工業団地造成  60,000    60,000
星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(山城・屋敷・農家3棟)自治省 220,050  197,900 22,150
神楽民俗伝承館(木造平屋建)  60,000 30,00028,500 1,500
 小計  1,671,137238,487365,568466,161361,189239,732
2畑地帯総合土地改良事業(畑地灌漑施設)県営農林水産省 163,982122,987(国・県営)  40,995
産直プラザ整備事業(観光案内所・レストラン・駐車場)  84,988    84,988
星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(山城・城主の館・砦・便所・修景施設)自治省 221,466  199,300 22,166
町道整備事業建設省 233,59851,77532,991139,1002,5067,226
農業集落道整備(農村総合整備モデル事業)農林水産省 32,522 21,0917,9002,5061,025
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 95,40085,860(国・県費)  9,540
農道整備事業農林水産省 94,41614,56036,76216,1009,17417,820
林道黒木線(改良・舗装・防災)農林水産省 25,867 13,8705,500 6,497
公共占用水道施設整備(取水ポンプ場・送水ポンプ場・浄水施設拡張)  27,913    27,913
 小計  980,152275,182104,714367,90014,186218,170
3星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(天文研修館設計・三斎市・水道・修景施設・お祭り広場・中世の門)自治省 327,191  292,000 35,191
宿泊施設(星の郷アクティブビラ整備)  68,843 30,00023,000 15,843
町道整備事業建設省 200,41930,25012,833140,200 17,136
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 90,00081,000(県・国費)  9,000
農道整備事業農林水産省 80,88016,38025,77418,8807,65912,267
防災安全施設(田輪熊石田線)  35,00017,500   17,500
美星中学校食堂新築(鉄骨平屋)文部省 46,80014,485 20,000 12,315
地籍調査国土庁 25,33613,9355,700  5,701
 小計  874,469173,55074,307494,0007,659124,953
4星の郷『中世吉備の荘』生き生きプロジェクト(天文研修館・渾天儀・フィールドアスレチック・ふれあい公園・峠の茶屋自治省 675,831 40,000540,000 95,831
水環境(滝山渓谷)整備事業(エントランス広場)県営農林水産省 70,00052,500(国・県費)  17,500
町道整備事業建設省 397,09796,40034,533222,900 43,264
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 233,496210,147(国・県費)  23,349
県道整備事業農林水産省 96,0954,96042,5844,70010,05233,799
小規模林道整備事業(高良池線)農林水産省 20,820 9,000  11,820
屋内ゲートボール場建設事業(社会福祉協議会)船舶振興会 243,100  18,500154,50070,100
美星病院診療用機器整備(全身CTスキャナー)厚生省 31,4034,000   27,403
美星中学校パソコン教室整備文部省 24,7204,177   20,543
地籍調査国土庁 31,16417,1407,011  7,013
 小計  1,823,726389,324133,128786,100164,552350,622
5養豚振興(肥育豚写・種豚導入)農林水産省 27,044 8,844 18,2000
水環境(滝山渓谷)整備事業(案内休憩施設・エントランス広場・早生水路)県営農林水産省 195,000146,250(国・県費)  48,750
天文研修館周辺整備(星っ子広場整備)自治省 44,004 30,000  14,004
町道整備事業建設省 266,79036,00016,800158,700 55,290
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 137,800124,020(国・県費)  13,780
農道整備事業農林水産省 110,8211,57558,220 8,59242,434
小規模林道整備事業(高良池線)農林水産省 23,683 13,800  9,883
美星小学校パソコン教室整備(パソコン一式)文部省 19,1584,879   14,279
美星町舎建築(鉄筋コンクリート3階建)  980,808   814,000166,808
 小計  1,805,108312,724127,664158,700840,792365,228
6水環境(滝山渓谷)整備事業(親水遊歩道舗装・案内休憩施設)県営農林水産省 101,00075,750(国・県費)  25,250
星空農園整備(農園・農機具庫・管理棟)  48,524 30,0008,800 9,724
町道整備事業建設省 253,08338,000 155,500 59,583
備中西部広域営農団地農道(県営)農林水産省 31,83028,647(国・県費)  3,183
農道整備事業農林水産省 81,366 38,711 8,11034,545
消防本部詰め所(鉄骨2階建)自治省 33,9776,309 24,100 810
公営住宅(敷地造成・木造平屋10戸)建設省 173,75353,140 95,900 24,713
美星中学校浄化槽改修  22,145    22,145
美星町舎(車庫・書庫棟)建築  112,764  26,43086,334
 小計  858,442201,84668,711284,30034,540269,045
7担い手育成畜産基盤整備事業(草地造成・畜舎整備)農林水産省 348,555174,27452,894 119,9281,459
ふるさと水と土保全事業(滝山渓谷整備)農林水産省県営45,00037,365(国・県費)  7,635
町道整備事業建設省 229,66022,000 148,900 58,760
農道整備事業農林水産省 69,512 33,887 7,13528,490
防災行政通信システム整備自治省 29,8708,502 19,900 1,468
美星病院屋根改修・外壁整備  30,975   30,975
中央公民館改修  49,846   49,846
 小計  803,418242,14186,781168,800127,063178,633
8畜産基盤再編統合整備事業(草地造成・糞尿処理施設測量設計・農業機械導入)農林水産省 47,07323,4808,653 13,1101,830
町道整備事業建設省 245,36225,000 192,400 27,962
道路防災事業  45,000  40,500 4,500
農道整備事業農林水産省 80,67413,65027,36913,6004,51721,538
公共占用水道施設整備  85,850 7,50030,000 48,350
美星病院屋根大規模修繕厚生省 78,525   78,525
医療用器具整備(超音波診断装置)厚生省 35,9576,695   29,262
総合幼稚園用地買収・敷地造成  71,821   71,821
 小計  690,26268,82543,522276,50017,627283,788
9水田ほ場整備(県営)農林水産省 46,83839,811(国・県費) 3,8143,213
畜産基盤再編統合整備事業(草地造成・糞尿処理施設・農業機械導入)農林水産省 396,033198,01259,80527,90080,20730,109
畜産基盤再編統合整備事業(農産物加工施設1棟・加工施設1式)農林水産省 60,44650,223    10,223
町道整備事業建設省 235,44325,000 177,600 32,843
農道整備事業農林水産省 139,29822,44822,55557,2006,87130,224
小型合併浄化槽設置事業厚生省 20,6006,8666,866  6,868
公営住宅整備事業(敷地造成)  77,7781,620 38,000 38,158
総合幼稚園舎建築文部省 389,86429,908 206,000 153,956
 小計  1,366,300373,88889,226506,70090,892305,594
10水田ほ場整備事業(県営)農林水産省 274,023237,702(国・県費) 26,31010,011
畜産基盤再編統合整備事業・草地造成・農機具倉庫・農業機械導入農林水産省 72,19436,09513,526 18,0104,563
畜産基盤再編統合整備事業(食肉加工場1棟新築)農林水産省 229,750114,87534,463 80,4120
町道整備事業建設省 245,92425,000 208,900 12,024
農道整備事業農林水産省 306,65183,47339,133128,9008,06147,084
簡易水道施設整備事業建設省 396,119150,000 219,300 26,819
小型合併浄化槽設置事業厚生省 18,2826,0946,094  6,094
公営住宅整備事業(新築10戸)建設省 182,45456,148 80,900 45,406
中学校特別教室(理科室改修等)文部省 48,731   48,731
 小計   212,50098,66238,26559,4008,8957,278
11水田ほ場整備事業(県営)農林水産省 188,711103,79156,613 20,0898,218
町道整備事業建設省 218,500  199,300 19,200
農道整備事業農林水産省 173,53577,54322,38936,0001,67735,926
簡易水道施設整備事業建設省 788,588220,000490,000  78,588
学校給食センター整備(新築)文部省 334,95039,020 40,900 255,030
小学校低学年ランチルーム整備文部省 50,4002,24817,300  30,852
 小計  1,754,684442,602586,302276,20021,766427,814
12畑地かんがい施設整備農林水産省 27,300 20,475  6,825
水田ほ場整備事業農林水産省 24,658   22,8701,788
保安林改良事業林野庁0.530,24015,12015,120  0
町道整備事業建設省 230,226  207,700 22,526
農道整備事業農林水産省 62,105 1,95031,5002,77725,878
地域インターネット導入促進事業郵政相 46,99819,086 18,500 9,412
簡易水道施設整備事業建設省 432,85568,000  274,9001,41488,541
医師住宅整備事業厚生省 23,3233,771 12,800 6,752
小学校高学年ランチルーム整備文部省 46,987  38,400 16,587
中学校管理棟屋上防水外壁塗装文部省 23,401    23,401
 小計  948,093105,97737,545575,80027,061201,710