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略歴・KAWASEの考え方 |
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(写真:撮影当時三段跳び世界記録保持者だったアナ・ヴィリャノヴァと)
健康運動指導士
柔整体伝承者
瞬離法 提唱者
日本抗加齢医学会 会員
伯国東洋医学振興協会 会員
NPO法人東京賢治の学校 特別理事 講師
ポラン交換リング 理事
日本エスペラント学会 会員
日本赤十字社 救急法指導員
宮ヶ瀬地区振興協議会 会長
ひかり根っ人きよかわ 代表
【略歴】
■生まれ
1955年 神奈川県 宮ヶ瀬で生まれる。
■教員時代
1979年から10年間、神奈川県内の公立小学校で教員。学生時代に専攻していた声楽を深める中で、心も体も含めたトータルな”からだ”の重要性に気づき、自身のからだに取組む。
竹内敏晴氏の演劇研究所で”心と体”のトレーニングを受ける。ここで野口体操や野口整体を体験する。教育の現場では、からだからの教育をこころみた。
■地球一周一人旅
1989年に教職を辞し、一人リコーダーを携えてアジア・ヨーロッパ・中南米を廻る旅に出る。当時は正確なガイドブックが無かった中南米に時間を使った。
安宿に泊まり、食事は市場や現地の人が利用する食堂で食べる。交通手段もほとんどが現地の人が利用するバスで移動した。たくさんの苦しんでいる人・貧しい人と触れ合う中で、手技による治療技術の必要性を感じて修得を決意。
■治療法の修行時代
帰国後横浜カイロプラクティックカレッジに入学。学校内外で色々な治療技術を学ぶ。横浜カイロプラクティックカレッジ卒業後にブラジルに渡る。
移民の国ブラジルでは日本で途絶えてしまった柔整体や、世界各国の治療技術と出会う。多様な人種の人々から腰痛・肩こりだけでなく、病院から見放された人から美容まで、様々な症状をかかえる人々に乞われ、緊迫した場面で治す経験を日常的に体験。この間にブラジルの治療学校ソーハクインを卒業する。
小児喘息の改善効果が認められている柔整体の活動に参加し、テレビや新聞にも取り上げられる。
何処に行っても治らなかったという役員の肘を治した縁で、男子バレーボールクラブのへポルトスザノに乞われて入団。選手のコンディションを良くするために活動する。在籍していた1996年にはプロバレーボール世界大会でチャンピョンとなった。Vリーグを5連覇し、5年連続MVPとなったサントリーの主砲ジルソンや、ジョバンニ・マックス・オリッキベル等、スザノには世界中から最高の選手が集まっていた。
また、男子槍投げ世界記録保持者のヤン・ゼレズニ-や、女子三段跳び世界記録保持者であったアナ ビリャノバ等、陸上のトップアスリートや、野球・水泳・相撲・柔道の選手等の手入れも行った。
■現在
1996年末に帰国。神奈川県の宮ヶ瀬湖に居を構える。教員時代から培ってきた、”心と体”にこだわった方法で、からだ手入れの仕事を行っている。
また、一人一人が自分に気づき、他の人ともつながっていけるトレーニングであると同時に、回りの人を健康にしてしまう瞬離法を、多くの人に活用してもらう活動を行っている。
教員時代から親交のあった鳥山敏子さんが代表を務める東京賢治の学校で、からだの講師、リコーダーの授業も担当する。

(写真:選手の中から世界オリンピック委員会の 委員に選ばれた槍投げの世界記録保持者ヤン・ゼレズニ−)
【KAWASEの考え方】
■自立を目指したサポート
「自分の健康は自分で守る」という気構えが大切です。でも、自分だけで解決出来ないことはたくさんあります。KAWASEは、そのように自分だけでは出来ないことからサポートさせて頂きます。
■運動能力を高める(動きやすい体に)
ここでいう運動能力はスポーツの競技力ではありません。 例えば
・寝たきりの人が起きあがれる。 ・
痛みが取れて動きやすくなる。 ・
動いても疲れにくい。 等など、より身軽に動ける体を目指します。
■痛みや痺れを和らげて
人間は動物ですから、身軽に動けることが大切です。でも、体が痛いのに無理して運動をするのは、苦痛ですし長続きしません。KAWASEでは適切な技術を使って、苦痛を取り除くところから始めます。
■自分に合った運動を知り実践する
足が痛い人に歩く事を勧めるのは無理があります。有酸素運動・筋力トレーニング・柔軟体操・調整運動など、寝たポジションや座ったポジションでも出来る運動はたくさんあります。
また、バランスの取れた歩行フォームを修得して歩きますと、歩く事自体が整体になります。良いフォームで歩くだけで、健康で美しい体を手に入れることが出来るのです。個々人に合った運動で体を整えながら、より動きやすいからだにして行きます。
健康は目的ではありません。健康など気にしないで「自分がやりたい事をやる。」この事が自分を元気にしてくれます。やりたいことが見つからない方はお話しましょう。きっと何かが見つかるはずです。

(写真:Vリーグで活躍しているジルソン選手はスザノでいっしょでした。
1995年チームの更衣室で、ブラジル代表チームユニフォームを貰う。)
 
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