若宮八幡社 最終更新日 2005.06.16
●若宮八幡社
小さな神社ですが、たたずまいの美しい、私の好きな場所です。(2001.09.07)
石段の左にある手水所、水は蚕の口から、鉢は繭の形になっています。
以下は、2001年に見た、境内に掲示されていた由緒です。(原文は縦書き)
若宮八幡社
八尾町城ケ谷四四五五番地
元禄六年(一六九三)富山藩主二代
前田正甫公若宮八幡社へ祭神誉田
別尊の御神体を供奉され御神霊を御
勧請。天明元年(一七八一)奥州(青森県
西津軽郡)から神霊を勧請(少名彦
名命)城ケ谷に養蚕宮を建立。
明治十一年(一八七八)養蚕宮社殿及
び拝殿の改築成り、若宮八幡社に合
祀、若宮八幡社御神体を奉遷鎮座
昭和二年(一九二七)現在の社殿落成
今日に至る
以下は、2002年に加えて掲示されていた由緒です。(原文は縦書き)
八尾町指定民俗文化財
養 蚕 宮
平成十三年四月二十五日 指定
養蚕宮の建立は一七八一年で、陸奥の国から御神霊を勧請し
て蚕・養蚕業をまつった。明治十一年に社殿を修理した際に、
下新町八幡社から御神体を分けていただき、若宮八幡社を合祀
した。そして昭和二年に社殿を改築して現在の形になった。
八尾町は養蚕業、特に蚕種(蚕の卵)を生産し出荷すること
が発展し、それが戦前に至るまで町の基礎産業として隆盛して
いた歴史がある。江戸時代には日本全国の四分の一にあたる十
七のくにへ出荷し、莫大な利益を上げている。また、この利潤
を元に曳山を中心とする町民文化が育まれ、今日に継承されて
いる。更に幕末から明治にかけては販路を海外にも広げた。明
治に入ってからは富山県養蚕試験場、富山県立養蚕学校など数
多くの施設が造られ、富山県の養蚕業の中心地として隆盛した。
しかし戦後になると次第に衰退し、現在では生産農家も存在し
ない。
このように養蚕業は八尾町民のなりわいとして深く日常生活
に関わり、経済的な面だけに留まらない風俗習慣として伝承さ
れ、生活文化を形作ってきた。養蚕宮はその象徴であり、養蚕
業が失われた今日において、その歴史・文化・精神を伝承する
ものである。
八尾町教育委員会
八尾町(現・富山市)の指定文化財台帳 No.65 蚕養宮
(http://www.city.toyama.toyama.jp/yatsuo/nourin/hikiyama/hikiyamakaikan/bunka/0066.html)
に詳しい記述があります。
円筒状につなぎ合わせた繭袋で飾られた若宮八幡社(2003.10.10)
(坂のまち千年会議・作 坂のまちアートinやつお2003)
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