私とおわら風の盆 最終更新日 2006.09.02
●私のような新参者にも、年々の観光客の増加を実感しています。観光客の増加が、八尾の人たちには満足に楽しむことができないという不満を、観光客には満足に見ることもできないという不満をいだかせ、両者の間に不幸な事態が生まれてきているように思います。
まだ十年と少しだというのに、私が初めて見た「おわら風の盆」は遠い夢の世界だったように感じます。もう、あの世界に戻ることはできないのでしょうか。
●下の写真は、フィルムを整理していたら見つかったものです。撮影当時は誰なのか分かりませんでしたが、今なら分かります。
1991(平成3)年9月3日、場所は諏訪町通り。中央で踊っているのが胡弓奏者として有名になった上新町の「若林美智子」さん。胡弓の名人といわれた「故・若林久義(1909.02.04-1992.10.25)」さんの孫です。向かって右端の三味線が鏡町の「故・長谷川昭悦(1904.06.30-2001.10.20)」さん、胡弓が諏訪町の「山田誠」さん、若林さんの後ろの三味線が諏訪町の「杉崎茂信」さん。左端に立っているのが女優の「高橋惠子」さん。
14年前、こんな時代もあったのです。
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以下は、思い出しながら書き継いだ、私の簡単な記録です。
最近、このホームページを見つけてくださる人が増えました。気恥ずかしくて、このページは読み返すことがなかったのですが、「あの女性」として書かれている人のために、書き加えておきます。書き直したい部分も多いのですが、稚拙な記録として、そのままにしておきます。
「あの女性」は、踊りに難があるのではなく、形が決まる最後の瞬間に勢いがあるのです。私が、力を内にためる踊りを見慣れたせいか、纏綿とした踊りを期待していたためなのか、少しオーバーラン的な「あの女性」の踊りを「薙刀が似合うような踊り」と感じたのでした。
最近の若い女性の踊りは、メリハリが少なくなったように思います。また、意識的に音から遅らせるのも目につくようになりました。懐かしく思い出すのは、「あの女性」の勢いのあった踊りです。でも、最後の年に見た「あの女性」の踊り、「あの女性」が上手くなったのか、皆に合わせたのか、それは分かりません。(2003.09.04 付記)
●1991(平成3)年9月3日(火)
私が初めて「おわら風の盆」を見た年です。
どんなものなのだろうという、好奇心からでした。
八尾の町は無数のぼんぼり・幔幕で飾られていました。
揃いの浴衣で隊列を組んで、唄い踊りながら町を練る姿は、「盆」という言葉から連想される「盆踊り」とは、似ても似つかぬものでした。
とても洗練された、特に新踊りは座敷舞を見るような洒落たものでした。
西町・東町をうろつきながら、どうしてこんな田舎に、と驚いていました。
鏡町を過ぎ、上新町の大通りを右に見ながら、突き当たりを右に回ると……
緩やかな登り坂、両側にはぼんぼりの灯が遠く続いていました。
天上界にまで続くような、幻想的な風景でした。諏訪町です。
この時から、私と諏訪町との付き合いが始まりました。
杉崎茂信氏宅には、高橋治、水谷良重(現、八重子)両氏の姿もありました。
後ろ髪を引かれながら、帰りました。
この頃は、まだ諏訪町通りの石畳化も進んでおらず、八尾郵便局の裏も現在のような屋敷風ではなく、殺風景なフェンスだったと思います。
●1992(平成4)年9月3日(木)
途中で帰らずにすむように準備し、諏訪町で徹夜しました。
昨年は、他の町(東町と上新町)の浴衣を着た女性が諏訪町の地方で踊っている姿がありましたが、そうした姿は見られませんでした。
けれども、現在とは違い、24時を過ぎると観光客もまばらになり、「おわら風の盆」の風情を充分に味わえました。
徹夜しながら、二人の女性の踊りを追いかけていました。
一人は、柔らかな線を描くようで、とても上手。
もう一人は、武家娘のような、どこかぎこちない踊りでした。でも、何か惹かれるものがありました。
踊り子のすぐ側に位置しながら、諏訪町の坂を一緒にゆっくりと上り下り。
やがて、夜が明け、「おわら風の盆」も終わりました。
普段の姿をみせた八尾町の坂を下りながら、今まで見ていたものが夢か幻のような、何か不思議な思いにとらわれていました。
帰ってきてからも、しばらく頭の中で三味線と胡弓の音が鳴り続け、白い指先が消えませんでした。
以来、諏訪町の美しい通りで、あの女性の踊りを見るために、「おわら風の盆」へ通うようになりました。
●1993(平成5)年9月1日(水)
この年も、観光客の少ない3日に出かけ、徹夜する予定でしたが、台風が接近してきていました。
3日が雨になると、今年は踊りを見逃してしまうため、1日に出かけました。
この判断は正しかったです。3日は雨のため、町流しは中止になりました。
井田川河川敷の駐車場に車を入れ、まっすぐ諏訪町へ。
「おわら風の盆」のポスターを見て驚きました。踊りが上手と思った女性がポスターになっていました。私の見る目もまんざらではないようです。
14時30分頃、小学生が集合を告げる鈴を鳴らして諏訪町を一巡。
公民館に集合した後、15時から町流しへ出発。初めて見る昼の町流しは、幼児たちも参加していて、ほほえましく、楽しかったです。
ご祝儀の出た家の前で踊る「花踊り」など、「おわら風の盆」の様子が少し分かるようになりました。
あの女性の踊りは、素直なのですが、緩急に難があるようです。これは、諏訪町の通りを石畳の舗装にしているため、でこぼこして踊りにくいからということにしておきましょう。
この夜は、諏訪町が競演会出演。競演会場までの裏道を、青年団が手拍子で何か歌いながら進んでいました。歌っているのは男性だけで、女性は笑っていましたので、卑俗な歌詞があるようで、「おわら風の盆」の古い姿を見たような思いがしました。
身近で見聴きすることに慣れると、遠く離れたステージ踊りには興味がわきませんので、諏訪町の一行が会場に入るのを見届けると、帰りました。
●1994(平成6)年8月22日(月)、9月1日(木)、3日(土)
この年は、諏訪町の前夜祭にも出かけました。
あの女性は、髪を思い切りショートカットに、本番ではどうするのだろう。
狭い通りなのだから、スピーカーは使わないでほしかった前夜祭でした。
1日、昼過ぎに井田川河川敷の駐車場に。満車になりかけで、あぶないところでした。
行事が始まる前に諏訪町へ。諏訪町の一行と一日を共にするつもりでした。
14時、諏訪社で踊りを披露。
15時から町流しへ。
心配していたあの女性は、付け毛で髷を結って踊っていました。相変わらず、薙刀が似合うような踊りでした。昨年のポスターになった女性の姿はありませんでした。
休憩を挟みながら、町の行事としての町流しが、22時に終了。
0時過ぎ、青年団の有志が町を流し始めました。あの女性は姿を見せませんでしたが、昨年のポスターになった女性が、揃いではない浴衣姿で現れると、「踊って」という希望に、町流しの列に続いて、少しだけ踊ってくれました。
3日、昼過ぎに井田川河川敷の駐車場に。某所で時間をつぶす。風が心地よかったです。
17時に聞名寺で「風の盆の碑」の除幕式、竹内勉氏の姿がありました。というよりも、竹内勉氏の姿を見るために除幕式に行ったのですが。
終わると諏訪町へ。諏訪町は大変な混雑で、輪踊りの開始が遅れ、始まるとすぐ、危険なために踊り子は公民館に避難するという状況でした。私も再び某所に避難。22時には行事も終わり休憩に。
1時、青年団が新踊りで町流しを始めたので、ついて行きました。今年は、あの女性も踊りに加わりましたが、ポスターになった女性は踊ってくれず、翌年からは全く踊ってくれなくなりました。
町流しに高橋治氏も合流。5時40分に終了。しばらく余韻に浸っていると、「エーデル・ワイス」の曲が全町内に鳴り響きました。6時の合図らしいのですが、なんとも興ざめでした。
●1995(平成7)年9月3日(日)
体調が悪かったのですが、3日に何とか出かけ、交通規制が解除された後に着きました。
あの女性を見つけると、「?」と思いました。一年の間に、どうしてこんな上手に……。
体から無駄な力が抜け、踊りがとても柔らかくなっていました。
やがて理由が分かりました。あの女性は酒を飲まされたらしく、少し酔っていたのでした。踊り続けることができなくて、後は公民館でつぶれていました。
諏訪町の地方がほとんど若手に変わっていました。
鏡町のメンバーがいつものように諏訪町へも流しに来ました。その一行の一人と目が合って、会釈。誰かと思うと、櫻井よしこさんでした。
夜が明けると、あの女性も最後の輪踊りには加わりました。輪踊りには、珍しく、女性の母親の姿もありました。母子で踊っている姿を見ると、縁談が決まったのか、名残りのおわらかと思いました。
やはり6時に「エーデル・ワイス」の曲が全町内に鳴り響きました。
●1996(平成8)年9月3日(火)
1日は雨。2日も、ときどき雨でした。
3日、この年は、八尾町役場の駐車場が観光客に解放されるというので、交通規制が始まる前に車を入れ、夜になるのを待ちました。
意外にも、あの女性が姿を見せました。
8月21日の前夜祭でも踊っていなかったので、諦めていたのでした。
日付が変わり、観光客も減った諏訪町通りを、新踊りのゆっくりとした町流しで、いつもと逆に上の東新町の方へ流し、若宮八幡で休息。今度は下へ流し、途中、公民館で休息。再び下へ流して、突き当たると折り返して上へ。そのうちに、白々と夜が明けてきました。至福の時間でした。
最後に公民館前で輪踊り、気がつくと、私のすぐ側に、坂東八十助(現・三津五郎)の姿がありました。「イーちゃんを泣かせないで」と言おうかと思いましたが、やめました。八十助は上新町の○○○を定宿にしているということは、あとで知りました。
「エーデル・ワイス*」の曲が流れる前に、八尾の町を離れました。
●2002.04.03 付記
*この年、「エーデル・ワイス」の曲が流れたのかは不明です。翌1997年には流れませんでした。以後も、徹夜した年は、聞きませんでした。おわら風の盆の期間中だけ流さなくなったのか、流すことを止めたのかは、分かりません。
●1997(平成9)年9月3日(水)
雨のため、おわら風の盆実行委員会主催の行事は中止になったようでした。
少しでも見ておきたいと思い八尾町へ。雨が上がったようで、交通規制が解除された4日の1時過ぎに町民広場に駐車し、諏訪町へ。
諏訪町は上の方へ流していました。あの女性は今年も踊っていました。観光客も、かなりの人数が残っていました。
あの女性は、この年が最後だということを、諏訪町の女の人が教えてくれました。揃いの浴衣を脱ぐ年齢になったらしいのです。
いつまでも、夜が明けないでほしい、でも、夜は明けました。
あの女性の踊りは、しなを作ることのない、楷書に近い踊りでした。
初めて見てから6年、ありがとう、楽しかったです。
●1998(平成10)年
出かけても、揃いの浴衣で踊る、あの女性の姿がないのかと思うと、体調が悪かったせいもあり、出かける気力が湧きませんでした。
そうした気持ちを察したのか、「おわら風の盆」は雨でした。
私の「おわら風の盆」は、終わったのかもしれません。
●1999(平成11)年8月31日(火)、9月2日(木)、9月3日(金)
迷っていたのですが、日付が変わるのを待って町流しを始めるグループがあるというので、8月31日の夜に出かけてみました。
鏡町と上新町で、競演会に備えて最後の練習をしているのを見ました。
やはり、足は諏訪町へ。公民館で地方が練習をしていました。
0時を過ぎると、十数名の地方による町流しが始まりました。3時頃まで続き、諏訪町を一巡して終わりました。観光客は十人程度で、フラッシュの閃光もなく、いい町流しでした。本番に備えて喉をいたわるため、唄が少なかったのは残念でしたが。
このまま居残って、1日の町流しも見る予定でしたが、とても蒸し暑い夜で、天気予報も午後から雨というので、帰りました。
2日。あの女性に代わる人をという思いもあり、再び八尾町へ。西新町から、各町の踊り子の姿を求めながら天満町へ。天満町から順番に坂の上の町へ戻るつもりでしたが、天満町で気になる女性を見つけ、天満町の人たちについていきました。でも、その女性は自分が見られているという意識が仕草に現れ、チョット……。暑さと睡眠不足のせいか疲労が激しく、他の町をゆっくり見る元気がなく、3日の夜のことを考えて、帰りました。
3日。交通規制が解除された夜中の1時過ぎに八尾町へ着きました。
曜日のせいか、残っている観光客の多さに驚きました。
諏訪町に着くと、例年なら1時過ぎには始まっている町流しの姿がありません。
公民館で観光客が減るのを待っているようで、町流しの始まる気配がありません。
3時頃、一人の踊り子が公民館から出てきました。
びっくりしました。あの女性でした。
一昨年に聞いた話は何だったのでしょう。あの女性は、昨年も今年も踊っていたのでした。
町流しが始まらないので、家に帰るらしいのです。ガッカリ。
3時30分過ぎ、焦れたのか、地方だけが町流しを始めました。人出が多かったので同行せず、東新町の方へ向かうのを聴いていました。
4時過ぎ、踊り子が合流しているようなので、そちらへ。
あの女性も踊りに加わっていました。一年ぶりですが、すぐに分かりました。
腕の動きがとてもしなやかになり、上手になったなあと見とれていました。
夜も明け、最後に公民館の前で輪踊りを踊って、6時頃に終了しました。
開始が遅かったため、諏訪町を半分しか巡れませんでした。少ししか見ることができなくて、残念。でも、来て良かった。
観光客の多さに興をそがれたのか、町流しに出た人数は少なく、最後まで残った地方のメンバーも例年とは違うし、諏訪町へ流しに来た鏡町の人数も少なかった。
9月23日放映の「越中おわら風の盆」(NHK)を見て、少し納得しました。全国に放送されることを知っていて、写されるのが嫌だったのでしょう。
●2000(平成12)年9月1日(金)
諏訪町のあの女性は昨年が最後でしたので、出かけるのはやめようと思っていたのですが、今まで見たことのない東新町と福島の踊りを見るために、そして、あの女性が踊っていないことを確認するために、週末の混雑を避けて初日に出かけました。
井田川左岸の河川敷に駐車するつもりで午前中に到着すると、今年からは利用できないようになっていました。穴場だったのに。しかたなく、スポーツアリーナの駐車場へ。シャトルバスの運行は15時からなので、八尾の町を散策しながら、坂の一番上になる東新町まで歩くことに。昼の諏訪町は久し振り。壮年団が諏訪町グッズの販売準備をしていたり、住宅が臨時営業の店舗になっていたり、町の様子が少し変わっていました。
東新町公民館付近で待っていると、14時30分過ぎ、早乙女姿の小学生が、集合を告げる鈴を鳴らして町内を一巡。全員が若宮八幡宮に集まり、歌と踊りを奉納した後に、町流しに出かけました。小さい町なので、小学生の女の子が三人しかいなく、先が案じられます。特徴とされている太鼓もこの日はありませんでした。
西新町の踊りを少し見て、諏訪町へ。諏訪町は上新町・鏡町へ流しに行っていました。
鏡町へ着くと、諏訪町の一行が踊っていました。あの女性の姿は、やはりありませんでした。年長の五人の女性が抜け、ずいぶんと若返っていました。
夕食休憩に入る前にと、福島へと急ぎました。八尾駅の北側の特設舞台で踊っていました。東新町に比べて子供たちの多さに驚きました。最後に青年男女による新踊りで終わりました。新踊りをゆっくり見ることができて、少し満足しましたが、やはり私は諏訪町の踊りが好きです。
19時まではどこも町流しはありませんし、諏訪町は競演会へ出演するため、諏訪町の町流しは20時30分過ぎからになるでしょう。
富山で36.7度と、とても暑かった日で、その上、坂の町を端から端まで歩いて往復したため疲労困憊。大混雑の中で、あの女性のいない諏訪町の夜流しを見る元気はなく、帰ることにしました。再び坂を上り、シャトルバスの乗り場へ。
●2001(平成13)年9月1日(土)
1日2日は雨の心配はないようですが、土日と重なり混雑するだろうし、3日は雨かもしれないし、あの女性は踊らないし、出かけるのはやめようと思っていたのですが、「おわら風の盆」が近づくと、落ち着かない、困ったものです。
混雑は避けたいので、1日の早くに八尾町へ出かけました。状況によっては朝帰りになるかもしれないという気持ちで。
12:時過ぎにスポーツアリーナの駐車場に到着。既に多くの車が駐車され、何人もが駐車場から八尾の町へ向かって歩いていました。私も、JR越中八尾駅、鏡町、競演会場(今年から「おわら演舞場」と呼ぶらしい)などの様子を確認しながら、諏訪町へ。15時からのシャトルバス利用では、諏訪町に着くのが15時30分頃になり、諏訪町の出発に間に合わないのです。
14時30分、小さな男の子3人が集合の合図の鈴を鳴らしながら諏訪町を一巡。
14時45分、公民館前で輪踊りの後、坂を上がり、諏訪町、東新町、西新町、上新町へ流しに。
公民館周辺ではかなりの観光客がいましたが、東新町まで来ると数も少なくなりました。境の石仏の前でも輪踊りを見た記憶があるのですが、踊らずに西新町へ。
西新町で空から水滴が。ポツリでしたが、すぐ避難できるように、世話をしている人は大きなビニール袋を配る用意、雨は大敵なのです。
上新町ではかなりの観光客に囲まれました。坂の上から下を見ると、道路が人で埋まっているように見えます。人混みは苦手です。
17時30分、上新町での踊りも終わり、夕食休憩へ。
各町の踊り場での輪踊り、その他に「花踊り」として新踊りを5回見ました。
三味線は飯島善次さんが立三味線で6人。若い人はまだ自信がないのか、音が曖昧でした。
胡弓は2人。それに太鼓が加わっていました。
青年団の女性は9人、よく踊っていました。上手い女性もいました。でも、もの足りなさを感じていました。1992年から見続けてきたあの女性、その不在が私には大きいようです。
夜は、もっと混雑してくるのでしょう。
かつて諏訪町で過ごした至福の時間を、美しい記憶として残し続けておくために、帰ることにしました。
瞼を閉じれば、三味が鳴り、あの女性が踊りだすのですから……
●2002(平成14)年8月22日(木)、26日(月)、9月2日(月)
前夜祭の期間に、鏡町の練習で古川克己さんの三味線と長谷川清二さんの胡弓を、諏訪町の練習で久し振りに上田省三さんの胡弓を聴きました。諏訪町の踊り子、メンバーの変化に、歳月を感じました。
静かな環境で練習を見るというのは、「風の盆」との新しい接し方でした。私の気持ちの中には、かなり満たされたものがありました。
1日は日曜日のうえに、厳しい残暑が予想されるため(富山で38.3度でした)出かけませんでした。
2日、14時30分にスポーツアリーナの駐車場に到着。シャトルバスが動いていました。シャトルバスを待つ人が多いため、時間を早めて14時過ぎに運行を開始したようです。駐車情も半分くらいが埋まっていました。
諏訪町では、公民館前で輪踊りの後、庚申湯の前で町流しの態勢を整え、下へ流し始めました。三味線は飯島善次さんの立三味線で6人。胡弓は1人。それに太鼓。青年団は、女性が9人、男性が6人でした。残暑(八尾町で35.4度)を避けるため、地方の何人かは頭に手拭をかぶり、踊り子は編み笠をかぶらないという珍しい光景でした。一行を見送ると、今日の主目的、美しく装った八尾町の散策へ。
鏡町公民館前で、西新町が踊っていました。
いつもの場所で竹内勉氏の顔を見て、下新町八幡社ステージへ。特設ステージ出演予定に、今町が17時から出演とされていたので、17時前に着くと、今町は既に踊っており、17時に終了しました。予定が早まったのか、ミスプリントなのか。
天満町の公民館、黒い鼻緒と赤い鼻緒の草履がズラリ、全員で会食らしく壮観。越中八尾駅付近の様子を見に行く元気はなく、再び諏訪町へ。水分は補給していたのですが、脱水症状気味で、何人かの元気そうなお顔も確認できたので、帰ることに。あの女性の踊りを見るという大きな目的がなくなり、気持ちに張りが続かないのです。
●2003(平成15)年8月21日(木)、9月2日(火)
上新町の前夜祭で、若林美智子さんの胡弓の生演奏を初めて聴きました。軽やかで、想像していた音とは少し違いました。公民館前の、右からは生の音、左からはスピーカーの音という奇妙な場所で聴いていましたが、そのうちに、人混みを離れて、坂の下、輪踊りの端へ移動しました。
新の踊りを踊ってほしいと思いながら、壇上での踊りを見ていました。その踊る姿に重なるのは、「あの女性」の勢いのある踊りでした。
1日は天候に不安があったので、2日に出かけました。1日、雨に降られてもいいという覚悟で出かけた人には、深夜ご褒美に、霧に包まれた幻想的な体験ができたそうです。
八尾スポーツアリーナに駐車し、町まで歩くつもりでした。でも、交通規制の始まる前に駅周辺の様子を見ておこうと思い、上高善寺で左折せずに直進すると、以前のように井田川左岸の河川敷に一般車用駐車場が用意されていました。八尾スポーツアリーナよりも歩く距離が短くなるので、そこに駐車しました。
駅周辺や演舞場の様子を見ながら、諏訪町へ。昨日とは異なり、富山県で最高の31.7度と、涼しかった夏に慣れた体には、とても蒸し暑い日でした。
14時30分に、集合の鈴が諏訪町を巡り、15時、公民館前で輪踊りの後、町流しへ。唄が5人、三味線が7人、胡弓が1人。青年団女子は途中から増えて8人。
上新町、こうどうの坂で輪踊り。その後、鏡町へ。鏡町公民館前では、もう夜の場所取りがありました。諏訪町へ戻り、終わったのが17時25分。その間に、花踊りが4カ所。昼の町流しに、井沢澄雄さんの太鼓がなかったのが少し寂しかったです。夕食、休憩へ。明日の夜の天候も心配なので、久し振りに残ることにしました。
19時40分に、演舞場へ向かう諏訪町一行を見送り、八尾町を散歩。上新町の店頭で、ケーブルテレビが演舞場の生中継をしているのを見つけ、東町の途中からと諏訪町を見ていました。生中継が終わると前夜祭の模様を放送。上新町で大輪踊りの準備が始まったので、鏡町へ。公民館前での踊りを、少しだけ見ることができました。次は23時30分からの案内があったので、諏訪町へ。
諏訪町には、たくさんの観光客が残っていました。坂の上の、人の少ない場所で、町流しが始まるのを待つことにしました。0時頃に通り雨。1時を過ぎても、町流しが始まりません。2時ごろ、諏訪町の OG たちの流しが、坂を上がってきました。その中に、あの女性と同期だった女性の姿が。もしや、と思いましたが、あの女性の姿はありませんでした。
公民館に集まっていた青年団女子も、それぞれ家へ帰る様子。待っていても、町流しは無いようなので、坂を下りると、高橋治さんの姿。宿へ帰られるのを見届けて、諏訪町へ戻ると、鏡町の一団が流していました。鏡町の町流しとともに、諏訪町の坂を上がりました。
鏡町の一行と別れ、再び坂を下ると、杉崎茂信さんらが流していました。力強い音でした。流しながら、諏訪町の坂を下りきったのが3時30分。休憩の後、折り返して、上がって行かれるのに付いて行きたかったのですが、体力の残っているうちにと思い、帰ることにしました。
久し振りに長時間滞在した八尾町、そして諏訪町。これを書いている今も、耳の中で三味線が鳴り続けています。
●2004(平成16)年9月3日(金)
昔、会わないと心に決めました。でも、心の中から消し去ることはできませんでした。夢の中で会う彼女は、いつも昔のままでした。
いつか会える日が来るだろうと思っていました。一昨年、風の便りに、彼女は私に会う気があるかもしれないという感触を得ました。会いたいという思いと、まだ早いという気持ちが交錯していました。慎重に、会う日のための準備を始めました。
その彼女が、今年、亡くなりました。昔の私たちのことを知っている人が、送り火に間に合うように知らせてくれました。
彼女は坂東流の名取りでした。お師匠さん宅の近くで、彼女の踊りの稽古が終わるのを待つ、それが私の習慣の頃もありました。「風の盆」に通うようになったのも、その舞姿に、彼女の面影を見ていたのかも知れません。
今年の「風の盆」は、今までの「風の盆」とは違うものになりました。出かける気力が戻ってくるのか、分かりません。出かけても、誰とも会わず、どこかで一人、彼女のことを思っているでしょう。
上では、出かけるのかどうか曖昧に書きました。でも、1日だった予定を3日に変え、4日の未明にも八尾町に居ることを、心の中では決めていました。「新盆」なのですから、台風が来ても行くつもりでした。
もう一つ決めていたのは、山吹橋を渡って八尾町の旧町に入りたいということでした。スポーツアリーナの駐車場からは遠過ぎるので、昨年と同じ井田川左岸河川敷の駐車場を利用することにしました。週末の混雑が予想されるので、駐車場を確保するために、15時過ぎに八尾町に入りました。
山吹橋を渡り、若宮八幡へ寄り、一晩過ごすと決めていた諏訪町の場所へ向かいました。時間が早いため、その場所は空いていました。用意されてあったベンチに座り、前を通り過ぎる人たちを、ぼんやりと眺めていました。
何時間、待ったのでしょうか。人も増え、私の前には二列の人垣ができていました。やがて、囃子の音が聞こえ、諏訪町の流しが近づいてきました。その時。向かい側に「あの女性」の姿を見つけました。その姿を追っている内に、諏訪町の流しが通り過ぎ、「あの女性」も姿を消しました。元気そうでした。
日付が変わり、1時を過ぎ、2時になっても、諏訪町の流しは始まりません。諏訪町に集まる観光客も増えるばかりで、減りません。2時30分、西新町が下から上へ流していきました。
3時頃、青年団の女子5名が、CD の演奏で踊り始めました。でも、上からは鏡町の流しの大集団が近づいてきます。どうするのかと思っていたら、踊りを止め、鏡町に道を譲りました。「ここは諏訪町なのに」と、とても悔しそうで、2名は家に帰ってしまいました、
3時30分、ようやく、諏訪町の流しが上がってきました。やはり、青年団女子は3名しか残っていませんでした。地方に西新町の成瀬高志さんが加わっていました。そして、「あの女性」が踊りの列の中にいたのです。「あの女性」の踊りを見るのは何年ぶりでしょうか。来て良かったと思いました。同じ時に揃いの浴衣を脱いだ5名のうち、4名が踊りに加わっていたのも嬉しかったです。「あの女性」の踊りと過ごす内に、夜空も白み始めました。
最後に、下の方で流していた杉崎茂信さんらも加わり、公民館前で輪踊りを行い、5時45分、今年の「おわら風の盆」は終わりました。
●2005(平成17)年8月30日(火)、9月1日(木)
諏訪町の前夜祭をと思っていたのですが、台風11号の接近で計画を変更。30日に、おわら演舞の舞台練習の様子を見るため出かけました。町民ひろばに到着すると、小雨が降り始めました。私が「風の盆」で傘を使うのは初めて。会場のグラウンドは風もあり、少し肌寒い。練習を見終えた後、東町へ。雨も止んだようで、流しの列が坂を上がってきましたので、その後に続きました。
1日、帰りはシャトルバスを利用することになるだろうと思い、昨年の井田川左岸河川敷ではなく、スポーツアリーナに駐車しました。久し振りに八尾町の様子を見るために、11時という早い時間に着きました。係員は居ませんでしたが、札幌や島根など遠隔地からの車が既にかなり駐車していました。暑くなるだろうと思いながら、越中八尾駅へ歩き始めました。ガイドマップを入手しようとしたのですが、案内所は準備中で無人、まだ駅にも置いてありませんでした。駅前通りの露店も準備中。十三石橋から聞名寺への坂を上がる元気はなく、井田川添いに町民ひろば、禅寺橋を渡り鏡町へ。新しい公民館には雨天対策に、長さを調節できる庇状のテントが付けられていました。輸入品だそうです。おたや階段から西町を通って東町の演舞の会場へ。指定席券売り場でガイドマップを貰いました。上新町から西新町へ。西新町では「暑いでしょう」と切り分けた冷たい梨をいただき、ありがとうございました。町の堺の石仏の横、山からの水が飲めるようになっているので、そこで喉を潤す。以前、諏訪町の一行も、ここで踊った後、飲んでいました。八尾に着いてから1リットル以上のスポーツドリンクを飲んでいたのですが、この清水がとても心地よい。しばらく休み、東新町、そして諏訪町へ。予想以上の暑さ(富山で35.2度)の中を歩いたため疲れました。
15時過ぎに諏訪町の公民館前で輪踊り。その後、下の方へ流しに出発。三味線6名、胡弓1名、青年団女子5名。小学生だった女の子が、もう高校生になって諏訪町の浴衣を着ていました。諏訪町を下りきった所でポツリとだけ雨が降りました。上新町の浜寿しの前で踊り終わると、これで解散するという。まだ16時10分、集合は17時30分とのこと。シャトルバスでスポーツアリーナの駐車場に戻りました。夕方から一時雨の予報が出ており、雨が降ってくれば帰るつもりでいましたが、疲れが激しいので帰ることにしました。
●2006(平成18)年9月1日(金)
夏の疲れが長く続いたため、前夜祭は出かけず、体力の回復に努めていました。
今年の「風の盆」は週末。土曜・日曜は混雑するので、金曜に出かけることに決めていました。15時前に諏訪町に居るためにはシャトルバスは使えません。スポーツアリーナから歩くと遠いので、少しでも近くと、一昨年に利用した河川敷の駐車場へ向かいました。着いたのは11時30分、今年も利用できました。
越中八尾駅の様子を見て、福島から久し振りに十三石橋を渡り、天満町、下新町、今町、東町を経て演舞場会場へ。西町から鏡町へ、「おたや階段」には既に場所取りが。上新町から西新町へ。14時過ぎ、西新町では輪踊りが始まっていました。東新町から諏訪町へ。今年は11の町を巡りました。昨年のような猛暑ではありませんでしたが、こんなに歩くのは今年で最後にしたいと思います。
14時30分、小さな男の子が、集合を知らせる鈴を鳴らしながら、諏訪町の坂を上へ下へ。14時50分、公民館の前で輪踊り。三味線8名、胡弓1名、青年団男子5名、青年団女子2名でした。胡弓は山田誠さん、唄には村杉父子の姿。踊り終わると、上へ移動。2名しかいないのと驚いていましたが、移動とともに数が増え、6名に。男子も7名に。太鼓の井沢澄雄さんも加わり、三味線(女性は4名)、唄も増え、地方はかなりの数になりました。諏訪町の三箇所で「花踊り」、東新町で輪踊り。しばらく休憩。西新町へ。踊る場所が他の町の人と重なり、なかなか進行しません。結局、西新町、上新町では輪踊りができず、それぞれで「花踊り」を一度踊っただけで、16時55分に解散。集合は18時とのこと。
昨年、もう高校生になったのかと驚いた女の子。今年は昨年より少しスリムになっていました。私には記憶があるのです。小学生ぐらいだと思いましたが、とても強い目をした女の子でした。しっかり踊るようになってくれないかなと思っていました。その後に見たのは、腰を痛めたのか何か不自然な踊りでした。上新町の「花踊り」で見た新踊り、素直な踊りでしたので、うまくなるでしょう。
夜の踊りも見たいのですが、混雑も激しくなるだろうし、諏訪町は演舞に出演するので、元気なうちに帰ることにしました。人の流れに逆行しながら、駐車場へ。
夜、通り雨があったようです。
●2007(平成19)年9月1日(土)
初日で土曜日、混雑することは分かっていましたが、日曜日よりも涼しそうなので、1日に出かけました。
夜を見るのは諦めていましたので、昨年の河川敷ではなく、シャトルバスを使えるスポーツアリーナに駐車しました。10時過ぎでしたが、遠方からの車が既に多数駐車していました。
いつもと少し違う道を通って、越中八尾駅へ。線路を跨ぐ陸橋、八尾駅前ステージ側の窓は、ここからの見物を禁止するため、紙を貼って塞いでありました。
福島公民館のスピーカーは JBL かと感心しながら、坂のまち大橋へ。歩行者も通行止めでした。
十三石橋を渡り、下新町の八幡社のステージに設置された屋根を見て、演舞場へ。東町、鏡町、上新町、西新町を経て、町境の石仏へ。ここで、山からの水を飲むのが習慣のように。
東新町、そして諏訪町へ。14時30分、男の子が、集合を知らせる鈴を鳴らしながら、諏訪町の坂を下へ上へ。14時50分、新しくなった公民館の前で輪踊り。唄3名、囃子1名、三味線7名(女性は3名)、胡弓1名、太鼓1名、青年団男子7名、青年団女子7名。もう高校生になったのかと驚いた女の子の姿はありませんでした。踊り終わると、下へ移動。
今年は、諏訪社前、諏訪町と東町との境、鏡町の旧公民館前、鏡町と上新町との境、ごうどうの坂で輪踊りができました。その間に、諏訪町で2箇所、上新町の2箇所で「花踊り」。「花踊り」の青年団女子は、若い6名が踊りましたが、とても初々しかったです。17時15分に解散。18時30分、集合とのこと。上新町を流しながら下ってくる鏡町の一行を見送りながら、諏訪社へ。
ミニステージでの踊り。終わりの部分を、木立越しに、少しだけ見ることができました。こちらは、先ほどの初々しさとは異なり、踊りこんだ踊りでした。
シャトルバスの乗降所へ向かいましたが、東町は既に多数の人出。来る人が多いと、帰る人も多くなるのか、シャトルバス、ほぼ満員。スポーツアリーナに近づくと、駐車場へ入れない車の長い列が見えました。
帰路、反対車線の車の列は、上高善寺の交差点を過ぎても続いていました。
各ページの終わりにある写真は、「風の盆」で見た、あの女性の後ろ姿です。
後ろ姿なら、公開してもいいでしょう。
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