任天堂見聞録2003年下半期
雑誌に掲載された、任天堂に関する発言をピックアップしております。掲載されている文章はすべて一部を抜粋したものです。
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| Nintendo DREAM vol.103 | 2003年11月21日発売 | 阿部 悟郎氏(任天堂・「あつまれ!!メイド イン ワリオ」ディレクター) |
| <ゲームが発売されて、ユーザーの反響ではどんなことが印象に残っていますか?> ホームページで感想をメールでもらうようにしてたんですけど、思ったよりも若いというか、小学生がすごく多かったんです。それに女の子も多くて、「友だちにやってもらったら、すごく面白がってくれて、買うって言ってました」とか、そのようなコメントが多かったですね。ホームページを見てる人たちって、そんなに若い人が多いとは思っていなかっただけに、ちょっとビックリしました。つくるほうとしては、子どもを意識したわけではありませんでしたし。自分たちが楽しめればいいやって感じでしたし(笑)。だから、子どもに楽しんでもらえるか。不安なところもあったんですけど、純粋に楽しんでもらってるので、よかったと思います。 |
| Nintendo DREAM vol.104 | 2003年12月6日発売 | 初芝 弘也氏(トライクレッシェンド・代表取締役社長) |
| <(「バテン・カイトス」の)開発を終えて、ゲームキューブのハードとしての印象はどうですか?> 個人的には非常に作りやすかったので、かなりいいハードだと感じましたね。(戦闘システムとの相性は)どちらかといえば、それほどよくなかったかも。というのは、戦闘でマグナスはすぐにつかえなきゃいけないんで、常駐メモリに置いておく必要があるんですよ。そのへんを工夫で上手くできたのが大きいですね。 |
| <今回のバトルはこれまでのRPGにない斬新なシステムですね> 新規でRPGが作れるというときに、それなら多少荒削りでもチャレンジは許されるんじゃないかな、と言うのがあって。そこはやっぱり怖い部分もありましたけど、逆にあおこで新しい何かが完成すれば、それをベースに今後も作っていけるわけじゃないですか。そこで思い切ってチャレンジしてみました。 |
| 週刊ファミ通2004年1月2日号 | 2003年12月19日発売 | 宮本 茂氏(任天堂・専務取締役
情報開発本部長) 岩谷 徹氏(ナムコ・インキュベーションセンター コンダクター) |
| <「レベルX(ファミコン20周年展示会)」について> 僕らが昔作ったものを並べてどうなるんやろ?正直、最初にこの企画を聞いたときは、そう思いました(笑)。でも、とてもいい雰囲気で感動してます。とくに開発者をクローズアップしていただけたのでうれしく思います。(宮本 茂氏) 想像以上にすばらしい内容。日本からこういったおもしろいエンターテインメントを発信できたことを、あらためて誇りに思います。ここに展示されているすべてのゲームは、重要文化財と言ってもいいのではないでしょうか。(岩谷 徹氏) |
| <「パックマンvs.」に込めた思い> 展示では、技術の進歩とともにゲームが変わっていくのがよくわかります。実際、任天堂はハードが変わることでゲームも変わるということをひとつの目標にしていましたから。でも、最近はハードの性能だけでゲームを変えようとしている傾向にあります。それを否定するわけではありませんが、複雑で難しいものになってしまっているんじゃないかと。開発の規模も大きくなって、分業により作り手の個性が見えにくい。開発者が本当に作りたいものが作れているのか?そう考えて「パックマンvs.」を開発してみたんです。(宮本 茂氏) 最初にこのお話を聞いたときは驚きましたね。別件で電話をかけたときに、「「パックマン」を開発してる」って言うんですから。でもいろいろお話を伺っていくと、これはおもしろそうだ、って。それで協力させていただくことになりました。お客さまがどんなゲームで遊びたいのか考えなさい、と僕も若い開発者にいつも言っているんですね。たいへんな思いをしてまでゲームがやりたいか?けして、そうではありませんよね。(岩谷 徹氏) 今年はファミコン20周年ということで、古いものをやってもらう機会が多かったんですが、みなさん「けっこういまでも遊べるものなんですね」って。実際、遊びの本質は変わらないんですね。(宮本 茂氏) |
| <コラボレーションについて> これからは自分の会社だけが儲かればいいと考える時代ではない。業界全体を考えて、いろいろとコラボレーションをしていかないといけないと思いますね。(岩谷 徹氏) あらためて展示会を見ると、ナムコさんとは敵どうしだった、ずいぶん戦ってきたなと感じます。でも当時の現場の人間が、いまはマネージャーの仕事をするようになってきて、最近は変わってきましたよね。もちろん、悔しい反面、他社のゲームに敬意を持っているという面もありましたし。(宮本 茂氏) |
| <ゲームとは?> インタラクティブがすべてだと思う・ゲームの文化は新しい刺激を与えることで発展してきていますが、本当に大事なのはユーザーが感じること。たとえば「ゼルダ」で、豪華な演出を与えるのではなくて、本当に扉を開けるといった感覚を感じてもらえることが大事。「マリオ」なら、あのブロックからは何がでるのかな、と思わせることだったりするわけです。(宮本 茂氏) ゲームは素材だと思います。いまは映画でも何でも情報がシャワーのように降り注いでいますが、シンプルな素材から想像するほうが楽しめるんじゃないかと。とにかく、ゲームという素材を自由に遊んでもらいたいですね。(岩谷 徹氏) |
| 週刊ファミ通2003年12月5日号 | 2003年11月21日発売 | 宮本 茂氏(任天堂・専務取締役
情報開発本部長) 岩谷 徹氏(ナムコ・インキュベーションセンター コンダクター) |
| <「パックマンVS.」その開発までの経緯> E3での発表、「僕が勝手に作った」と初めて言うっていうのは演出でした、が、基本的にウソではないです。事実、あれと同じようなことが半年まえにあったんですよ。コネクティビティの研究段階で、「迷路もの」っていうテーマがあって、いろいろ考えたんですけど「迷路ものなら「パックマン」やろ」と。で、そこかの機会でナムコさんと話ができないかな、と2年ほどまえから思ってました。(宮本 茂氏) 私のほうは、お話を聞いたとき、宮本さんがつくられるということで喜びました。と同時に「なんで、ナムコがこういうものを作らないんだ」と疑問に思いましたね。「うちで作るもんだろ」って(笑)。でも、こういうコネクティビティの発想は我々にはできないですから、これには1本取られました。(岩谷 徹氏) |
| <「「パックマン」だから」という理由でかけられる歯止め> ゲームって、アイテムを買ってパワーアップとかLRボタンを使ってとかドンドン肥大して複雑になっていく傾向がありますよね。でも「パックマン」ということなら+ボタンのみで操作できる「+ボタン縛り」みたいなことを基本にできる。そこに絞れば、その中で遊べる要素が何かということに視点が絞り込んでいけるんです。「パックマン」を選ばなかったら加速ボタンをつけたりしてしまったと思うんですよ。でも「「パックマン」だから」というところで歯止めが効く。(宮本 茂氏) 元のゲームが持っていた楽しさは十分出ていると思います。難しすぎて誰もゲームをやらなくなってきている時代に、間口の広いゲームとして、+ボタンだけでプレイできますので、とてもいい仕上がりだなぁと。(岩谷 徹氏) 僕、いま対戦ゲームがおもしろいと思ってて、ネットゲームで遊ぶのも対戦が楽しいからだと。任天堂は4台コントローラを使ったり、コネクティビティに力を入れてますけど、4人揃うことがたいへんなんじゃなくて、同等のゲームスキルを持った4人が集まることがたいへんなんだなと。そうなってくと、+ボタンしか使わない遊びっていうのは30分も遊んでいると、みんな同じレベルになるし、あとはその人の反射神経や理解力の問題になってきますから。情報戦ではなく体力戦(笑)。でも、そうは言っても実際遊んでいると深いんですよ。(宮本 茂氏) |
| <任天堂とナムコならではのコラボレーション> 昔は売れているゲームをちょっとマネするような、クリエイティブから言うと品位のない作り方もあったじゃないですか。それなら、借りたいものは借りたいとハッキリ言ったほうが潔い。そのかわり自分たちはこれだけのアイデアがあると示さないといけないですけど。ズルい言いかたをすれば、ゲーム業界全体の資産ですから、お互いにメリットのあるビジネスにつながるのであれば協力したほうがいいと思うんです。今作以外に「ドンキーコンガ」やトライフォースもやりました。だからそれぞれの得意なところを生かし合えばいい。(宮本 茂氏) 私は、これがきっかけになって弾みがつけばいいな、と考えています。クリエーターが、いっしょにタッグを組んでよりおもしろいゲームを作ろう、って気分にならないとダメだと思うんですよ。だからトップが手を組んでから「やれ」と言うのではなく、現場レベルの人たちが「やろう」という気持ちになるのが大事。(岩谷 徹氏) 仕事をしてみて、現場の風土が似てるというか開発部隊の意識が似てるんですね。打ち合わせをしていてもすぐにピンと跳ね返ってくる。打てば響く感じ。これは現場の人はもとより、マネージャークラスの人も現場で叩き上げたっていう方が多いからなんですよ。だから細かい仕様の話をしても、ふつうは部長さんクラスだと「キミ、アレはどうなってるんだ」となるけど、ナムコさんの場合は部長クラスでも「あ、あれはこうなってます」とか「あれは迷ったんですけどねぇ」といった話ができる。すごく仕事がやりやすくて、楽しいコラボレーションでした。(宮本 茂氏) |
| <キャンペーン的展開とクリエイティブな立場> これは任天堂だけの持論かもしれないですけど、コネクティビティという遊びがいろんな可能性を持っているよ、ということを実感してもらいたくて僕らはこれを作ったわけです。さらに、これを単品で売ろうとする場合、ここからひとり用モードを作るんですね。でも、僕らが作りたいのは4人用なわけですよ。4人用をパッケージとして売りたいためにひとり用を作るとしたら、そのひとり用モードを作る人の苦労は何なんやろ、って僕はクリエイティブな立場から思う。そんなモードを作らなくても、たくさんの人に遊んでもらう機会があって、しかもこういう遊びがおもしろいと思ってもらえれば、それがいちばんいい。そこからまたビジネスとして広がっていくわけです。で、今回キャンペーン的な展開ができそうだったんで、ナムコと任天堂という古参がやるんならこういうスタイルがあってもいいじゃないかと思いました。ナムコさんのほうもそれに賛同していただいて、すごく大らかに対応していただいたんでよかったなぁと。(宮本 茂氏) |
| Dengeki GAMES1月号 | 2003年11月29日発売 | 宮本 茂氏(任天堂・専務取締役
情報開発本部長) 岩谷 徹氏(ナムコ・インキュベーションセンター コンダクター) |
| <ここ数年、ゲーム業界はかつての勢いを失っていますよね。これは開発の最前線が変化していることも理由としてあるのでしょうか?お2人は最近の若いクリエイターについてどのように感じていますか?> 経営者的に見れば、ちょっと困るなぁってことはあるかもしれませんが、若い開発者が間違っている、ということはないと思います。あえて言うなら、限りあるスタッフや予算の使い方かな。どこにパワーを使うか、というのがゲームデザインの大事な要素。大作を作るパワーがないのに、それらと同じモノを作ろうとする矛盾をかかえている。与えられた現実で何が可能で、そこに「自分だからこれができた」という証をどう残すかが重要なんです。(宮本 茂氏) 全力を尽くしても100%できないのは当たり前。思い描いたモノの80%でも達成できれば、狙っていた面白さが提供できるはずなんです。それを完璧を目指すあまり、余計なコストや時間をかけてしまう。それではもう芸術作品になってしまう。ゲームは、あくまで利益を追及する企業の商品でもある。その見極めが難しいんです。これは経験を積まないとわからないですけどね。(岩谷 徹氏) |
| <ゲーム制作の際に、もっとも重要視していることを1つ挙げるとしたら?> 難しいなぁ。1つあげるなら、ゲームには時代によって変化していく遊びと、いつまでも変わらない楽しさがあって、それを、うまく調合させていくことかな、(岩谷 徹氏) 僕が制作現場で、いつもココだけは譲れないと言っているのが「プレイヤーが自分でやっている」感じを出すこと。例えば、リンクの前にレバーがあったとすると、そこでBボタンを押したら、キャラが勝手にレバーを引くのはイヤ。そういった動作は自分でやりたい。だから、僕のゲームでは、Bボタンを押さえながら方向キーを手前に倒すなんていう、複雑な操作が多くなるんですけどね(笑)。「ゼルダ」を作るときによく言うんですけど、リンクが夜中にお店に入ると、リアルな映像の親父が出てきて「坊主、何か買っていくか?」というのはオカシイ。夜中に子どもが訊ねてきたら、「坊や、家族は心配していないのかい?」と言って、心配してくれるほうが、リアルな映像なんかよりも、ずっと大事なこと。絵による「リアリズム」より、プレイヤーがゲームの世界に「いる」と感じられる「リアリティ」のほうが重要なんです。(宮本 茂氏) |
| <今のゲームデザイナーに足りないもの、またアドバイスをするとしたら?> モノ作りの原点は「観察」。あらゆる事象を分析することでアイデアが出る。街を歩いている時など、普段からきょろきょろ観察してほしいですね。(岩谷 徹氏) 最近のゲームに足りないな、と思うのは「1つのアイデアに絞り込む」こと。作り手としては、1本のゲームにいろんな要素を入れ込まないと不安なんでしょうね。多くの要素を入れて、ほかと同じような企画ができて、その上で作り始める。その人しか考えつかないモノをやったほうが個性が出せるのに。厳しく言うなら、もっと自分の頭で考えて、ノビノビやりなさいと。(宮本 茂氏) ゲームを誰のために作っているのかを考えてほしいですよね。プレイヤーが必要とする最小限のことがあればいい。宮本さんの言うように、枝葉や飾りをつけすぎて、ワケがわからなくなっているのはよくありますよね。ターゲットを絞り込んで、特定のテーマでやっていく、ユーザーをイメージするというのが大事なんです。(岩谷 徹氏) |
| <若いクリエイターに、ココは負けないと思っているのはどんなところですか?> プレイヤーの気持ちを引き込む技術、ノウハウは、経験を重ねるごとに蓄積される。だから、体力・根気などでは負けますが、ノウハウのひきだしは多いですよ。(岩谷 徹氏) アイデアをまとめたり、出したりするスピードは負けません(笑)。制作中のゲームを客観的に見るのも得意。それを30年近くやってきたみたいなものなんで。(宮本 茂氏) |
| <お互いのタイトルで好きな作品というのは、どれになりますか?> 僕は当然「パックマン」です。遊んでいる人だけでなく、横で見ている人も何をしているのか理解できる。これだけハッキリしているのは、ほかにはないですね。アーケードでは、お客さんが気に入らないと3分で去ってしまう。それをどう掴むか、幅広い層にどうアピールするかという、岩谷さんの特徴がよく出ているゲームですね。(宮本 茂氏) 僕はやっぱり「ゼルダの伝説 神々のトライフォース(SFC)」ですねかね。技術の可能性と、謎解きのバランスが非常によくできてますよね。宮本さんのゲームには、「人の心を動かす」、「積極的なサービス精神」というものがある。(岩谷 徹氏) |
| <20年以上も、ゲームに携わってきたわけですが、さらに10年後もご自身が、ゲーム業界に関わっていると思いますか?> 僕は現在製作自体に関わっていませんが、ナムコが間違った方向に行きそうな場合は、軌道修正していきたいかな。(岩谷 徹氏) 世間をいろいろなモノでアッと言わせたいと思っているけど、なかなかゲーム以外のことができない状況ですね。まぁ、10年後もゲーム作りはしてるでしょうね。規模が大きくなって自分で作ったとは、なかなか言えないけど。「ピクミン」以降では、自分でデザインしたと言えるのは、この「パックマンvs.」だけですし。こういったことはこれからもやっていきたいですね。(宮本 茂氏) |
| Nintendo DREAM vol.102 | 2003年11月6日発売 | 杉山 直氏(任天堂・「マリオカート
ダブルダッシュ!!」プロデューサー) 高橋 伸也氏(任天堂・「マリオカート ダブルダッシュ!!」プロデューサー) 水木 潔氏(任天堂・「マリオカート ダブルダッシュ!!」チーフディレクター) |
| <今作(「マリオカート
ダブルダッシュ!!」)の最大のウリである2人乗りは、どういう経緯でそうなったんですか?> 「マリオカート」っていうのは、レースゲームというよりパーティーゲームなので、多人数で遊べる要素は何か、2人で操縦することによる新しい遊びは何か、と考えたのが出発点なんです。かつ、「マリオカート」のイメージを壊さずに、「マリオカート」であらねばならぬという、ものすごい難題があったわけです(笑)。(高橋 伸也氏) 「マリオカート」は、各ハードで必ず出るような定番ソフトですからね。ぼくらには「売れて当たり前」って思われているプレッシャーがあるわけですよ。そんな期待があるなかで、何か新しい要素を入れようと。だから「2人乗り」はものすごく考えた末での結論なんです。でも当初は、2人乗りだけで開発を進めていくのはとても心配だったので、一応1人乗りバージョンも並行して開発を進めてたんですよ。でも結局、「新しいことをやりたい」というスタッフが多くて、2人乗りに開発を絞りました。(杉山 直氏) 去年1年間はほぼ、2人乗り関連の開発で費やされた感じですね。もういろんなことを試しましたね。(水木 潔氏) |
| <1台のカート上でも(キャラクターが)いろんな動きをしているのに、それが8台も登場していて、今回はゲームキューブがすごい働きをしている印象がありますね> 今回はキューブのCPUをほとんどフルに動かしています。16人登場するキャラの関節の数も普通のゲームのモデルとあまり変わらないですし、こうなるともう普通のレースゲームなレベルではないですね。(水木 潔氏) キャラを普通に動かすことを前提に開発をはじめたんですよ。それだけは絶対に外せないと。それ以外にもコース内には風にゆれてる木もあるし、かなりいろんなものを動かしてます。(高橋 伸也氏) N64版でやり残したことを、キューブ版で実現したかったんです。たとえば、N64版のキャラクターはプレリンダっていう1枚のポリゴンだけで描いていたんです。それをキューブではちゃんとフルポリゴンにして、クルマの動きもリアルにすることができたんですよ。N64ではキャラの真ん中の1点だけを支点にしてクルマが動いていたわけですけど、キューブではタイヤ1本ごとに計算しています。4点でクルマが動いていますから、本当にクルマらしい動きが実現できたんです。(リプレイモードも)N64版ではやりたくってもできなかったんです。キャラクターを前から見た絵が少なかったので。それで、クルマが激しく上下するような起伏のあるコースをあまり作ることができなかったわけですね。(杉山 直氏) |
| <今回は世界でほぼ同時期に発売されるんですよね> はい。きちんとローカライズしたソフトで、この規模のゲームを世界でほぼ同時に発売できるのは、任天堂では初めてかもしれませんね。(水木 潔氏) そこは、世界中の人たちのクリスマスに間に合わせようということで。「マリオカート」みたいなゲームはテキスト量が比較的少ないので、少しはマシなんですよ。だから「世界同時でやろう!」って言えたんです。(高橋 伸也氏) これまでヨーロッパの人たちにも「マリオカート」は相当な数の人に遊んでもらっているんです。だから、「ぜひ年末に欲しい。そのための協力は惜しまないから」とまで言われると、やるしかないだろうと(笑)。(水木 潔氏) それで、開発の最後には、アメリカ人とイタリア人とフランス人とスペイン人とドイツ人に来てもらいました。もうサミット状態(笑)。(高橋 伸也氏) |
| <今回は、意地悪なコースが少なくなったような印象がありますね> そこはデザイナーたちがみんな練り込んで作ってくれました。ドリフトの調整は、コース設計と合わせてやったんです。だからドリフトを変えたらコースも調整して、コースを変えたらまたドリフトも調整して、ということを何度も繰り返したんですね。その(走っていて、すごく気持ちがいい)ことはもう、重点的に考えて作ってました。(高橋 伸也氏) ゲーム初心者でもちゃんと楽しんでもらえるということを目指していましたので、任天堂社員のご家族やお子さんたちに集まってもらって、開発バージョンを遊んでもらうようなこともしたんです。それに、開発者の間でも、走っててちょっとでも気持ち悪いと思った部分は可能な限り修正していったんですね。(水木 潔氏) やっぱり開発途中では気持ち悪い部分もありました。でもそれを煮詰めていって、最終的にはなくしたつもりです。(杉山 直氏) |
| <今作は何人で作ったんですか?> 最後の打ち上げでは4〜50人くらいですね。でも、メインのスタッフはその半分くらいなんですよ。去年1年間はもっと少数でした。でも、任天堂のゲームでは普通ですよ。少ないほうではないです。しかもスタッフの半分以上は今年からチームに加わってくれた人たちだったんです。(水木 潔氏) ぼくらとしてはもっとやりたいこともあったんですけど、全世界のクリスマスに間に合わせようと(笑)。(高橋 伸也氏) |
| Dengeki GAMES12月号 | 2003年10月29日発売 | 手塚 卓志氏(任天堂・情報開発部部長) 岡本 吉起氏(ゲーム リパブリック・社長予定) |
| <(任天堂のゲームは)世間一般的には、子ども向きのイメージが強いじゃないですか(岡本 吉起氏)> ウチの商品は全体的に大人でも大丈夫ですよ。子ども向きと思われることは多いですけど、作り手として、そんなことはぜんぜん考えていないんですよ。作ってるスタッフも、子どもに媚びたゲーム作りは好みません。例えば「(登場キャラクターが)3頭身だから子ども向き」、ということを特に意識したことはないですね。僕はわりと漫画好きなんですけど、子ども向きじゃなくてもそういうデフォルメしたデザインの漫画もありますよね。みなさんそのようなイメージを持たれていて、質問されるたびに毎回同じような回答をしているんですけど、やはりいろんな人に遊んでほしいんですよ。万人に遊んでもらいたい、という思いがあるんです。特定の層に向けたゲーム作りはしないですね、絶対に。(手塚 卓志氏) |
| <任天堂さんのゲームって、バイオレンス性を題材にしたものってほとんど作られてないですよね(岡本 吉起氏)> 僕個人の意見ではNGなんですよ。僕は元々、ゲームの中でも中を使って人を撃ったりするのはよくないと思ってるんです。物を撃って壊すくらいならええんですけどね。「007ゴールデンアイ」などは欧米でもの凄く売れましたが、これは国の持つ文化の違いかなと思いました。例えばアメリカなら、銃は「自分を守るための武器」という、ちゃんとした所持目的が文化としてあるんですよ。でも日本人から見たら、銃は「他人を攻撃するため、暴力のために使われる武器」です。そういう見方の違いがあって、アメリカの子どもは銃を撃ちたいという憧れが強くて、ゲームでちょっと撃ってみたくなるんでしょうね。昔、「アーバンチャンピョン」というファミコンソフトがあったんです。道端で対戦するゲームで、見た目はチープでしたけどね。でも、当時の僕は「任天堂でこういうの作ってええんかな?」と思ってたんですよ。暴力を遊びに取り入れたくないって。今はそんなに神経質じゃないですけど。(手塚 卓志氏) |
| <今の若いクリエイターたちに、ファミコンレベルのハードで面白いゲームを作ってみろ、と言ってみたいんですよ。「制限のある中で面白いゲームを作ってみいや」と(岡本 吉起氏)> 制限のある中で、どれだけ面白いものを作るかという仕事は、結構楽しいですよ。今でいえば「カードe+」ですね。制限のある中で、お客さんに喜んでもらえるものを作ろうと、真剣に考えていますね。チームは楽しそうですよ。(手塚 卓志氏) 今は、GBAのゲームを作るのにも悩みますからね。ハード性能の限界もあるし、SFCに近い性能だから、その時代のゲームと内容がかぶらないように気をつけないといけないし。(岡本 吉起氏) |
| <任天堂タイトルで確実にヒットしているシリーズって、ほとんどファミコン時代の生まれで、完全新作って少ないですよね。昔からのシリーズと新作のバランスを、今後どんな風に取って行くんですか?(岡本 吉起氏)> 多分、僕らはどんどん新しいものをユーザーさんに提供していくべきだと思います。今のゲームに飽きている人ってたくさんいると思いますしね。でも、既存のタイトルも大切にしたいという気持ちも強い。とにかく、もっとお客さんが喜ぶものを作ることが大事ですね。(手塚 卓志氏) |
| 朝日新聞9月25日 | 2003年9月25日掲載 | 岩田 聡氏(任天堂・取締役社長) |
| <知的財産権がまだ確立途上の中国で、販売に踏み切る理由は> 巨大な人口を抱え、大きな潜在市場として注目してきた。ただ、国民の所得や知的財産権に対する考え方が日米欧と違い、同じビジネスモデルで販売しても通用しない。上海など沿岸部の富裕層向けに高級品として売る手もあるが、それでは全国に普及しない。ゲーム産業が受け入れられる仕組みを、山内溥・前社長時代から約2年がかりで考えてきた。 |
| <なぜ、最新のゲーム機「ゲームキューブ」を売らないのですか> ソフトの価格や流通形態、代金回収、海賊版対策など様々な点から、キューブは中国の販売に適さない。ハードと流通の仕組みをともに新開発することで、これらの問題点を解決した。ソフトは、過去にヒットした任天堂の資産を活用するので低価格で提供できる。今後はソフトメーカーから要望があれば、同じ流通網で販売したい。 |
| <中国の知的財産権保護の状況をどう見てますか> 世界貿易機関(WTO)加盟後、取り締まりが強化されてきた。中国では海賊版ゲームが多かったが、任天堂は中国政府に税金を納めて正当なビジネスとして始めることになり、取り締まりなどの点でも協力を得られると思っている。当面は日本のソフトの中国語版を作るが、将来的には中国の文化や好みに合ったソフトを中国の人と共同開発し、中国にゲーム産業を根付かせたい。 |
| <中国進出の業績への寄与は> 当初は限られた年での販売なのでそれほど大きな金額にはならないだろう。しかし、数年後には任天堂の日米欧でのビジネスに、匹敵するほどのビジネスになると思っている。 |
| 週刊ファミ通2003年9月12日号 | 2003年8月29日発売 | 浜村 弘一氏(エンターブレイン・取締役社長) |
| <ゲームを限られたファンだけのものにしてはいけない。岩田社長の提言は、そんな訴えだった> 任天堂の決算発表会に行ってきた。今後の任天堂の行く末を見せてくれる説明会。さまざまなサプライズがあったんだけど、なにより今年は、きわめて冷静なゲーム市場の状況分析が興味深かった。まず解説は「不況」と呼ばれているゲーム市場について。ソニーの発表会と同様、先だって発表されたCESA白書の数字の解説から始まった。一般的には世界経済として不況がささやかれている時代、さらに日本では少子化でゲーム人口が減っていると言われている。そのため、市場は縮小していっているという説明が行われていることも多い。しかし任天堂の岩田聡社長はこのふたつの理由を「そんなことはありえない!」と、痛快にもサッパリ切って捨てたのだ。「そもそもゲームは不況に強い業種」。なるほどたしかにそのとおり。かつて湾岸戦争や同時多発テロが発生し、世界経済のシュリンクが叫ばれたこともあった。しかしゲーム業界は、旅行などの娯楽に使われるはずだった費用がゲームにあてがわれたということで、むしろ盛り上がりを見せた。さらに少子化に関しても、「ターゲットの年齢層が高目であるプレイステーションでも、同じような衰退減少が起きているというのなら、的確な指摘とはいえない」との分析。とはいえ、全盛期に比べると、ゲーム市場に減少の兆しがあるのは事実。その原因を分析することも忘れてはならない。岩田社長は、明快にこう説明した。「すべては大容量化が問題。ゲームをプレイするに当たって、あまりに時間とエネルギーを使いすぎてしまう。それ自体が問題だったんです。」かつて、シューティングゲームの全盛期があった。しかし、より高度で複雑なものを目指すあまり、一般のプレイヤーはついていけなくなってしまった。格闘ゲームも同じ。「誰でも気軽に遊べる作品作りに徹すること。それがいちばん必要なんです」。原点回帰。敷居が低く、間口の広い作品作り。それこそがゲーム市場を活性化するいちばんの方法である。ゲームを限られたゲームファンだけのものにしてはいけない。岩田社長の提言は、そんな訴えだった。たしかにいま、現状のジャンルの作品が前作を大きく上回ることがないなか、「メイドインワリオ」は50万本、「太鼓の達人」シリーズは通産100万本を超えるロングセラーとなっている。ゲーム性としては高度とはいえないかもしれない。しかし、かつてのファミコン卒業生をも取り込んだこれらの作品のヒットは、大いに注目に値する現象だといえる。と、ここまで話を聞いて、気がついたことがあった。じつはこの原点回帰への呼びかけ。前週にソニーが行ったプレイステーションミーティングと同じ趣旨のものだったのだ。ソニーでは海外との比較を中心に語られていたこの問題提起。それは会場にきていたたくさんのクリエイターの心に届いていたと思う。今回の任天堂の発表会でも、同じ趣旨のことが壇上から呼びかけられたのだが。両者のあいだには、ひとつ大きな違いがあった。それは、任天堂は、その方針を自分自身の手で推進していこうという、強い決意があったということ。「任天堂には、多くの優秀なクリエイターがいる。彼らはすでにそのミッションを遂行している」。5月にロサンゼルスで開催されたE3。そのときの任天堂の展示が、一風変わったものだったというのは、以前触れた。他者が横長のモニターを使って、たくさんの「映画のようなゲーム」を展示していた。まさしくいまの北米のトレンドはそこにあったと思う。しかし任天堂だけはそれを否定。「パックマン」というひと時代まえの作品にあえてスポットを当て、ゲームキューブとゲームボーイアドバンスの接続による広がりを強調。さらに「マリオカート」や「ピクミン」などの新作ゲームのほとんどを画面分割。みんなで楽しく遊ぶこと。それこそがゲームの原点であることを主張していた。すでに策は打っている。「任天堂のソフト作りの姿勢には、まったく揺るぎはありません。」宮本茂さんから語られた言葉には、ファンが大きくうなずける説得力があった。 |
| 電撃GAME CUBE10月号 | 2003年8月21日発売 | 高橋 宏之氏(キャメロット・代表取締役社長) 高橋 秀五氏(キャメロット・代表取締役副社長) |
| <今回始めてGCで開発されたわけですが、まずはその印象からお聞かせください> 思った以上に大変でした。(高橋 宏之氏) 作りやすいハードということで、少しカンタンに考えていた部分もあるのですが、実際に突き詰めて作るとやはり大変でしたね。(高橋 秀五氏) 「ゼルダ」が出てしまいましたからね。それがGCの基準になりますから、そう考えるとがんばらないといけないですからね。(高橋 宏之氏) |
| <オープニングを含めてきれいさに驚きます> N64版と比較するとよくわかるんですが、画面はとてもキレイになっています。ぼくたちも気がつかなかったのですが、こないだN64版を久しぶりに立ち上げてみたら「こんなにキレイになっているのか」って衝撃的でした。(高橋 秀五氏) |
| <2ボタンでのショット(かんたんショット)の導入で、とても間口が広くなりましたね> やはり「マリオテニス64」を作ったことが、「ファミリーツアー」を作るうえでとても役に立ちましたね。「テニス」を作ってみて、スポーツのおもしろさは「操作を巧みにすること」とは違うんだ、ということを学びました。むしろゲームに集中できるような環境を作ってあげることのほうが、楽しく遊べる、ということがわかりました。でも、操作を簡単にしただけじゃ楽しくないんですね。プレイが単調な作業になってしまうんです。じゃあどうすればいいか、と考えたときに、やはりコースレイアウトを練りこむしかないだろうと。頭を使うようにさせれば2ボタンでも楽しくなるはずなんです。ただ、そんな戦略まで楽しめる感慨深いファンのためにも、より複雑で、そしてスピンも扱える操作法も入れたかったのです。しかし、その両立を実現するための操作法の答えが出るまでにとても時間がかかりました。1年ぐらいかかったんじゃないかな。(高橋 宏之氏) |
| Nintendo DREAM vol.97 | 2003年8月21日発売 | 亀岡 慎一氏(ブラウニーブラウン・代表取締役社長) 津田 幸治氏(ブラウニーブラウン・取締役) 大印 健生氏(ブラウニーブラウン・プランナー) |
| <任天堂の子会社である「ブラウニー・ブラウン」が、スクウェアのゲームを作るというのは、どんな経緯で実現されたんですか?> 僕がスクウェアを辞めたあと、石井プロデューサーとは一緒に飲んだりしていて。また一緒に仕事ができるといいんだけどね、っていう話はしていたんですけど、現実的には難しだろうな、とお互い思ってたんです。でもある時期、任天堂とスクウェアのお付き合いが再開しまして、それで石井プロデューサーのほうから、今なら「聖剣」が作れるかもしれない、って話を頂いて。やっぱり「聖剣」はうちも思い入れあるタイトルではあったんで、親会社である任天堂にご挨拶に行って、許可を頂いて・・・。(亀岡 慎一氏) |
| <(「新約
聖剣伝説」は)リメイクという形にはなってますけれど、ほぼ完全新作ですよね。第1作をベースにしただけで> 第1作を遊んだファンのイメージというものがあると思うんですけど、それを超えることは絶対にできないと思うんですよ。だから本当に、別に新作として遊んでもらいたい、というのがあって。(津田 幸治氏) 最初に今回ゲームのタイトルを決めるときも、そういう意味で、石井プロデューサーが「新約」と名付けているんですよ。(大印 健生氏) |
| <これだけハードが進化しても、制約はやっぱりある?> ありますね。逆に厳しくなってるかも。SFCと同じような感覚でやろうとしても、実際にはSFCより制約が厳しい部分もあって。色数とかキャラ数とか、全体の容量には増えているんですけど。ちょっと専門的な話なんですが、常駐メモリが一度に表示できる領域は全然変わっていませんし、スクリーン構成なんかはSFCとは違うので、SFCの「3」でやっていた技法は今回使えなかったんです。そのへんは頭を悩ませました。(津田 幸治氏) |
| <亀岡さんはスクウェアを辞めるとき、もともと独立するつもりだったんですか?> ぜんぜん思ってないです。そんな話になったのは、ひと月かそこら前ですね。辞めるきっかけ自体は、単純に僕が当時の3Dのゲームが自分で作ってて楽しくなかったんですよ。で、やっぱり2Dをつくりたかったんですけど、当時これからは全部3Dだ、っていう雰囲気になってて。ちょうどその頃、GBAの噂が世間に出ていて。SFCみたいなだなーって思ってて。そんな話を何人かに言ったら、やりたいねぇっていう話になって。どこかの会社に行こうかとも思ったんですけど、それだけのスタッフが一緒に動くんなら、会社を立ち上げようかということになって。それで任天堂の方にお話をさせてもらったら、ご協力して頂けるということになって。ちょうどGBAの発売前で、タイミングがよかったと思うんですけど。その波にのって会社を設立できたんです。(亀岡 慎一氏) |
| Nintendo DREAM vol.97 | 2003年8月21日発売 | 桜井 政博氏(フリー・ゲームデザイナー) |
| <N64の頃からずっと桜井さんを見てきて、「いつか(ハル研究所を)辞めちゃうんだろうな」と思ってたのも事実で・・・> そのように言う人は多いですね。でも、会社への不満が大きくて辞めるわけでないんですよ。僕としてもやり残したこともありましたし・・・。今回辞めるのは、どこかから引き抜きを受けたからではありません。しばらくは、会社や組織に属することなくフリーの立場でやっていこうと思ってるんです。(自分で会社を)あまり作るつもりはありませんね。まあ、事務所のようなものはつくるかもしれませんが、少なくともそこにプログラマーやデザイナーを呼んで、開発会社っぽいものにするつもりは今のところないです。 |
| <なぜ辞めたのかというと、会社勤めがルーチンワーク化・・・、つまり、日常的な繰り返しになることを恐れたわけですね> そうですね。たとえば1本のゲームをつくっても、続編が出ることを当たり前のように思われるのもツラかったりするんです。ゲームって、たとえ続編でも誰かが一生懸命になってつくらなきゃいけないものなのに、その続編が自然に出てくるものだと思われたりもしますし。 |
| <僕自身がそうなんですが、会社を辞めようとしても、家庭や経済的な理由から、実現できなかったりするわけです> 家庭の存在は大きいですよね。幸いにして、私は1人なんで(笑)。でも、お金を稼ぐことがすごく難しい時代になっていますので、何らかの組織から離れることはリスクも大きいことは判っています。私もこのまま日の目を見られず、自然消滅してしまう可能性さえあると思います。でも、もしそうなったとしても、ゲームばかりにこだわらないで、自分のできる仕事はどんどんやってみようという覚悟はできているつもりです。 |
| <やっぱり桜井さんがこれからつくるゲームに期待しちゃいますよね> 私はいま、ゲーム業界全体を見れば、のんびりしたことをいえない状況にきていると思ってるんです。ゲーム業界って、すごくピンチじゃないですか。売上を見ても、それで多くの人が食べていけるわけがなくって、ゲームの可能性がどんどん小さくなってきていると思うんですよ。もしもゲームがそれなりの支持を受けて、面白がられ、それがよく売れていれれば、今もなおいいゲームや斬新なゲーム、ポジティブなゲームがどんどん出ているはずなんです。だけどそういう未来は今はないわけで。1本はずすと、会社が傾きかねないほどリスクが大きくなってますし。それで、低価格版のソフトをいっぱい出すことで、なんとか食いつないでいったりだとか。ゲーム会社って、例外なくどこもかしこも必死なんです。だから、たぶんこれからも、「これじゃあ食べていけない」ってことで、ゲーム業界から、ぼろぼろと人が落ちていくことが考えられるわけです。よくハードのプラットホーム同士の争いを国盗り合戦のように例える人は多いじゃないですか。多くのゲーム業界の関係者が「任天堂組」だとか「そのほかのハードの組」とか、誰かに勝手に定義されてしまう。でも、そんなことを言ってる場合ではない!と思うんです。実際にゲーム制作を商売としてやっていこうとするならば、ハル研に残っていたほうが生活は安定するし、仕事をやっていくうええでも有利だと思うんです。お給金もそれなりにもらえて、山梨だったら生活環境も悪くないし、家賃も高くないし、社会保険もあるし。でも、そのような安定は私にとってはどうでもよくって、いま、ユーザーとメーカーと開発者で成り立ってるゲーム業界に、ひどい軋みが発生していることのほうが大きな問題だと思ってるんです。一開発者である自分は、開発を通じて、いろいろな人にその問題をいっしょに考えてもらえる可能性はあると思っています。ひとところにとどまっていれば、それを伝えられるのは社内の人間や近くの人間に限られるわけですが、外に出て、少しずついろんな人とふれあうことができれば・・・。世の中には自分よりもすごい、いろんな才能を持ってる人はいっぱいいると思うんです。自分なんか、ゲーム専門の人間で、大したことがなくって、できることにすごく限界があるんですけど、「ああ、スゲエなー」って思えるような、いろんな才能のある人とふれあうことによって、そこに化学反応が生まれ、その結果、新しいゲームなり、よりよいものをつくれていけたら、と思ってるんです。そういう才能を持っている人は、逆にゲーム作りに窮しているかもしれない。そこを自分が補填できるのではないかと。そのかわりその才能に助けてもらう。理想論に聞こえるかもしれないけど、真剣にそう思っています。 |
| <会社やゲーム業界という枠をとっぱらって、いろんな優秀な人たちと交流することで、新しいものが生まれてくると> たとえば4万本売れたものと、2万本売れたものでは、単純に売上げは2倍違うわけです。でも、会社に勤めていると、給料にはあまり大きくは反映されないわけです。ソフトが売れても売れなくても、毎月しっかり給料が振り込まれるので、開発者がお金のことに無頓着になってしまって、自分たちでお金を稼いでいるという意識が低くなってしまうこともあるわけです。一方、ユーザーは、自分の財布からお金を払ってゲームを買ってくれるわけじゃないですか。こうして、開発者とユーザーの意識の距離がどんどん遠くなってるな、と感じることがあります。で、いろいろな職種の人から話を聞いてみると、個人差はあるけれど、営業とか小売店といった、お客さんに近いところで働いている人たちのほうがユーザーの気持ちをよくわかっていたりするんですよね。でも、そういうことっておかしいじゃないですか。ゲームを実際につくってる開発側の人間が、そのゲームを遊んでくれるユーザーの気持ちからいちばん遠くにいるって、ぜったいにおかしいことなんです。そのようなことも含めて、これからなんとかしたいなあと思うんです。決して「自分がゲーム業界を変えたい」なんて、大それたことは考えていないんです。とにかくなんとかしたい。・・・でも偶然というか、示し合わせたわけではないんですけど、同じゲーム業界にいる、それなりに名の売れた開発者の人たちが、この時期に会社を辞めたり、動いたりしているみたいですね。 |
| <桜井さんは団体をつくらないし、所属もしないと> 自分はフリーの立場でやることを決めたので、他の組織に属するようなことは、しばらくはないと思います。表舞台から姿を消すと思うんですね。陰でこっそり、このソフトに関わっていた・・・みたいな。しばらくは大ぶりの仕事を受けられないと思いますので、イキナリ1本の大作のディレクターをやるようなことはしばらくやめておこうと思ってるんです。いろんなソフトに関わる可能性はあると思うんですけど、そのバランスはよく考えなければと。中には本格的に関わるものもあるでしょうし、基本的には現場のディレクターやスタッフにやってもらって、自分はアドバイスに徹するようなケースもあるでしょうね。 |
| <いくら業界に顔が広い桜井さんでも、大変なこともあるんでしょう?> これからフリーでやるといっても、1人じゃ何もできませんし、一緒に働くことになるプログラマーやデザイナーといったスタッフの人たちが、どのように考え、私の言うことをどう捉えてくれるのかといったことが重要になります。人が毎回変わるとしたら、とても不利なことがあります。これまでは、たとえばプログラマーやデザイナーに指示するときに、「「スマブラ」のときにやった、あれね」って言えば、すぐに納得してもらえることもありました。かみ砕いて解釈すれば、これがノウハウと言われるものだと思うんです。でも、これからは初めて一緒に働く人ばかりなわけですから、ひとつひとつ仕様を説明してあげないといけないわけです。それにはとてもエネルギーが必要になりますし・・・。でも逆に、ハル研が「カービィ」の新作をつくると言っても、私がいなくなったとはいえ、ある程度のノウハウはたまっているはずなので、それを生かしてゲームを作り続けることは可能だと思います。ある一定水準のものはできるでしょうし、それ以上を期待します。 |
| <桜井さんにとって、ゲームづくりって何ですか?> 何だかんだ言っても、最初はエゴだと思うんです。ものをつくるということのすべてがそうだと思うんですけど。「ものをつくった」「うまく動かすことができた」「すごいだろう」というところからはじまるものだと思ってるんです。でも、たとえばスタッフが2人になるところから、ひとりのエゴでは納まらなくなっていきますね。その2人の関係がプログラマーとデザイナーであれば、デザイナーだけが自己満足するというわけにもいかないし、プログラムがいくらキレイでも外からは見えないわけです。それで、どんどんプロダクトとして大きくなっていって、いずれはお客さんに売らないといけない。その最後の段階になると、エゴの部分はすっかり消えてるとまでは言いませんけど、だいぶ薄められたものになってるわけです。そのエゴというのは、明らかにゲームをよくすると思うんですけど、そのエゴを市場が殺してしまうと。「これじゃ売れないよ」って言われたりして。自分が自分のためにゲームをつくるようなことは、たぶんこれからもないと思います。 |
| <元上司でもある任天堂の岩田社長から「京都で一緒にやろう」なんて話はされなかったんですか?> ハル研に辞表を出したあと、京都に行って岩田さんにお会いしたんです。社長室に入ると、岩田さんが開口一番、「桜井君のその晴れ晴れとした顔を見たら、ハル研に引き留めるよりもキミの着地点を見つけてあげるほうが、自分の役目としては適切なのだろうと思った」と言われたんです。どうも、重荷がなくなって社長室に入った私が、晴れ晴れとしていたように見えたようですね(笑)。確かに辞めると決めてから、すごくスッキリしたのは事実なんですよ。下痢も直ったし、頭痛もしないし、腰痛もなくなったし・・・。たぶん体調は今最高の状態ですね。 |
| <今回、桜井さんがハル研を辞めると知って、ショックを受けたファンも多いと思います。そういった人たちへのメッセージを> これからも岩田社長とは定期的に会ってやりとりする約束をしています。決して任天堂とケンカしたわけじゃありませんし、これからも任天堂のソフトをつくる可能性もあるわけで、だから悲観しないでくださいね。今回の退社によって、私のできることの範囲がちょっと広がりましたよ、というだけのことですから。でも、しばらくは大きな仕事に関わらず、身軽にしていようと思っています。 |
| Nintendo DREAM vol.96 | 2003年8月6日発売 | 河津 秋敏氏(スクウェア エニックス・執行役員 開発担当) |
| <2年前の今頃は、スクウェアがGCに参入するということはありえなかったわけで。それを一体どうやって覆したんだろうと> はは(笑)。以前からGBAでやりたいという話は社内にずっとあったんですけど、なかなかそれは実現しなかったんですね。でもその話の流れの中で、それならGBAとGCで連動するスタイルで何かできないか、という話を任天堂の山内前社長から頂いたんです。検討を重ねて試作したものを、山内前社長と、当時のスクウェアにぶつけてみた、という。(でも、そんなに簡単には行かなくて)いろいろとしゃべれないような話もあるんですけど(笑)。もちろん(京都に)何度か伺いしましたよ。 |
| <(「FFCC」は)実際にはどのくらいの年齢層を意識されてるんですか?> うーん。あまりそういう意識は特になかったですね。たとえば中学生くらいなら友だちとパーっと集まったり、家でお父さんと子供、それから兄弟同士なんかで、とにかく複数で騒ぎながらやる感じを想定してはいますけれど。でもやっぱり、毎回4人集まってやるのはなかなか難しいかなぁとも思ってて、2人というのを基本の単位でできるようにしたつもりです。 |
| <新しい試みの詰まった「FFCC」ですけど、それだけにこれまでのファンはちょっととまどうかもしれませんね> 「こんなの「FF」じゃないよ」とかいきなり切って捨てずに、とりあえず触ってみてほしいですね。1人でやり込むのもRPGの一つの道ですけど、そうじゃない新しいおもしろさを体験してもらえると思うんです。みんなでゲームで遊ぼう、ってとき、その道具としてパーティーゲーム的なものではなくて、「FF」ならではのRPG的なテイストという部分で、今までにないものだと思いますので。新しいことを最大限にやるっていうことが、開発者ひとりひとりが共通して持っているイメージだと思います。もちろんそれでみんな、作るときに「これでいいのかな?」とか悩みながら作っていくわけですけれど。 |
| <「FFCC」は、シリーズでは位置付けはどんなものになるんでしょう?> PSで出た「FFZ」以降のラインとは大きく違っています。どちらかと言えば以前の、まあSFC時代のタイトルのほうが近いかもしれない。そこに、こうアクションRPGっぽい要素が入り込んで出来ている感じではあると思います。(「FF」シリーズのファンが「FF」に期待していることって)圧倒的なボリューム感だとかそういう部分が非常に期待されてますよね、今の「FF」って。ゲームに限らず、他に同じようなエンターテインメントって存在しないじゃないですか。本当に、この世に同じ娯楽は2つとないので、それをみなさんが期待しているんだろうな、って。そういう意味じゃ、「FFCC」はまったく違うものなんですけれど。作り手としては、大げさなエンターテインメントが「FF」なんだ、という定義にされてしまうと、別に作ってても楽しくないんでね。また違った定義をしたいとは、作っている本人たちも思っていることですから。まあ、僕はわりとフリーというか、自由な立場で作れますんで・・・。ときに今回は「数字」もついてませんし(笑)。既存の「FF」のイメージから離れて、こういうスタイルのゲームもあるんじゃないか、って。みんながワイワイと何か楽しそうだなーって見てみると、そこに「FF」がある・・・みたいな、そういう存在になれないかと思っているんです。 |
| <手ごたえとしてはどうですか?> 作りとしては、完全に満足してるかといったら、やっぱり足りてない部分もあって。時間だったり容量だったりいろんな部分で、もうちょっとやりたかった、ってところはありますよ。 |
| <任天堂ハードでは今後どうでしょう?> それは、とにかく「FFCC」の結果を見てから、ですね。我々もそうですけど、任天堂さんもそう見てるんじゃないかな。結果を見た上で、次のステップへ進めればいいなと思っています。 |
| <宮本茂さんと交友は?> 今回の「FFCC」も何回か見ていただいて、もっとこうした方がいいんじゃない?とかアドバイスを頂きました。そういう話の中で、ああ、こういう考え方をする人なんだなとか感じたり、参考になりましたね。 |
| 週刊ファミ通2003年8月1日号 | 2003年7月18日発売 | 今西 紘史氏(任天堂・顧問) |
| <運命のような奇跡があったからファミコンは形になっていった> 今回の取材にあたっていろいろ思い出そうとしたけど、ほとんど忘れてますね(笑)。ファミコンの始まりは、山内溥前社長がおそらくインベーダーブームを見てCPUというものに目をつけて、あれを何とか家庭に持ち込めないか、というところからでした。それは山内さんの慧眼だと思います。最初に山内さんが開発陣に言ったのは、「3年間はほかから真似されないものにしろ」ということでした。任天堂は、ゲーム&ウォッチの市場を他社に潰されたという苦い経験がありましたからね。さらに10000円を切るものを作れ、という指令が出たんです。最終的に価格は14800円になったけど、これだったら無理すればなんとか買ってあげられるな、という設定だった。このへんは、山内さんのカンの鋭い部分でね。いくらいい物を作っても、売れなければ意味がありませんから。当時のアーケードで主流だったZ80系のCPUを使ってたら、これは実現できなかったでしょうね。そのときに6502というCPUに巡り合ったのは大きかったです。(6502を選んだ理由は)詳しい理由というのはよく知りませんが、僕が聞いている範囲では、奇跡というか運命に近いものがあったと思います。いろいろなルートでCPUを捜しているうちに、いくつも偶然が重なって、最終的に6502にたどり着いた・・・・・・という感じです。ただ、当時言われていたのは、「6502は難解すぎて、数人の東大生しか使えない」と(笑)。それほど一般的じゃないCPUだったんです。だから、ファミコン時代のソフトの開発者はすごかった。6502という難しいCPUを使いこなして、さらにいろんな制約があるなかでも必死になってすばらしいソフトを作ってくれた。ファミコンが発売されてから数年は、ソフトを出せば必ず売れるという状況でした。でも、ソフトを出すまでにはものすごい勉強をしていたわけですからね。僕は開発畑の人間ではありませんが、そんな話はよく聞きました。そういった積み重ねが、いまのゲーム業界にとっても大きな資産になっていると思います。それと6502は一般的なCPUではないから、ファミコンが発売されたあとも、チップを調べてもなかなか解析できなかった。結果的にほかから真似されなかった、という効果もありました。 |
| <ファミコン発売当時の、流通などの反応はどのようなものでした?> ひどいもんでした(笑)。最後発のメーカーでしたし、「アーケードやらゲーム&ウォッチやら、まら「ドンキーコング」ですか」という受け取られかたでした。ただ、豊富な色数と十字ボタンのコントローラ、そのふたつがあったからこそ生き残れたのではないか、と僕は思います。というのは以前、上村(雅也・任天堂開発第二部部長)が言っていたんですね。新聞向けにファミコンの記者発表をしたときは、実物がなくて紙資料だけで、ほとんど反応がなかったが、ひとりの記者が「52色って、何色があるんですか?」と質問してきたことはよく覚えている、と。色の多さというのは、それだけインパクトがあったんでしょうね。それとコントローラーは、任天堂の内部でも最初はたしかジョイスティック推進派が多かったんです。でも、ゲーム&ウォッチでマルチスクリーンを採用した際に、いちいち手もとを見ていなくても操作はできる、ということで十字ボタンを採用したんですよ。・・・・・・それにしても、いま考えてもよく企画が通ったな(笑)。 |
| <ファミコンは、発売された年の年末までに40万台が売れましたね> 当時としてはすごい数字だったんですが、実際にはかなりの危機だったんですよ。初期出荷分に関して、半導体の温度変化で動作が安定しなくなるというトラブルが発生して、最終的にはかなりの台数を回収して交換しました。そのため、83年のクリスマス商戦をほとんど棒に振ったし、年が明けたら流通さんから「ファミコンが欲しい」というものすごい数の声があったんだけど、けっきょく84年2月ごろまで本体をほとんど出荷することができなかった。もしかしたらあの時点でファミコンは終わっていたかもしれませんが、それを乗り切ったんですから、いま思えば奇跡に近いですね。 |
| <ファミコンの発売当初は、今西さんは何をなさっていたんですか?> 今後、ソフトはすべて自社で作るのか、それともサードパーティーにお願いするのか、それを検討していました。「せっかく自分のところのハードなんだから、ソフトもうちでやる!」という意見と、「まわりでも「やりたい」という人が多いから、やってもらうべきだ」という声があったと思います。最終的に、山内さんはライセンスを選びました。特許で守れない部分が多いとなればライセンス契約にするのがベター、と思われたんでしょうね。自社であれ、ソフトの質をどうコントロールしていくか、という点に尽きるんです。ゲーム&ウォッチやアタリの凋落を見ていたので、山内さんはとにかくソフトの質の部分を重視していた。しかし、当時はパソコン用ソフトの制作にはライセンスがいらなかったのに、ファミコンだけ契約が必要になるのはおかしい、というのがゲーム業界の常識だったんです。でも、任天堂の考えは違っていました。パソコンは、自分の必要に応じて課題を解決するソフトを作る、という創作道具だった。でも、ファミコンは創作しなくていい。我々がソフトを作ります、と宣言してソフトを出す「娯楽のための道具」でした。そして、我々にはハードを買ってくださったユーザーの皆さんに対して、良質なソフトを供給する責任がある。それを果たすために、ライセンス契約を結んでいただくんです・・・・・・とサードパーティーさんに説明したんですけど、なかなかわかっていただけなかった。「任天堂は何もリスクを負わずにライセンス料だけ取って、儲けを独り占めしてるとはけしからん!」という意識があったからなんでしょうかね(笑)。当時はいろんなマスコミからそんなふうに叩かれましたよ・・・・・・もう忘れましたけど(笑)。そういう誤解や曲解を受けながらも、山内さんがビジネスモデルを作り上げて、テレビゲームの市場が確立したんじゃないかな。そうそう、バージョンの異なるファミコンもライセンス契約にひと役買ってくれたなあ。ファミコンというのは細かい改良を重ねていて、型番は同じですが最終的に8つのバージョンの本体が存在したんです。しかし、どれも同じ規格のICを使っているはずなのに、ソフトによっては動かないことがある。「ハードの相性」というやつですね。それを、どのバージョンのファミコンでもソフトが問題なく遊べるように、任天堂がすべてチェックした。このバージョンチェックを、自衛のための大きな武器のひとつにしたんですよ。「もし動かないと、ユーザーの皆さんに大きな迷惑がかかりますよね? だからこそ、安易にライセンスを結ぶことはできないんです」と、契約における根拠のひとつにしていましたから。手間と労力と、もちろんお金もかかりましたが(笑)、それだけにユーザーさんには安心して遊んでいただけました。チェックに携わった人たちは、本当によくやってくれたと思います。 |
| <ファミコン本体の修理やパーツ交換など、20年ものあいだアフターサービスを受け付けている。ゲーム業界以外を見ても、これは極めて異例なことだと思います。> 本体のモデルチェンジもほとんどしていませんからね。それは、「ハードはソフトのためにある」という山内さんの持論の証明でもあるんです。それと、ユーザーさんに対するサービスというのは、うちはよくやってると思いますよ。昔からのユーザーさんを切り捨てるような冷酷なことはしませんから(笑)。 |
| <ファミコンとのつき合いも長い今西さんですが、これまででいちばんよかった思い出は何ですか?> うーん・・・・・・ないですね(笑)。いろいろなマスコミに叩かれたり、ソフトに関する特許なんかでも苦労させられっぱなしで。でも、米国での対ユニバーサルドンキーコング訴訟では、「象とアリの戦い」と言われながらも全部勝ちましたからね。こんな企業は珍しいらしいですよ。買ったときには賠償金を取りましたしね。 |
| 朝日新聞7月16日 | 2003年7月16日掲載 | 細井 浩一氏(立命館大学・政策科学部教授) |
| <楽しさ提供
生活定着> 「ファミコン」はコンピュータの持つ可能性をわかりやすく引き出した点がお茶の間に受けた。音声や映像によって五感に直接訴え、想像力を喚起しながら、双方向のやり取りの中で、物語に参加できる。ファミコンは、ゲームが産業として世界で注目されるきっかけとなる「シーズ(種)」だった。ゲームは、映画やテレビなどに次ぐメディアの一つとして肩を並べた。ファミコンは世界中に普及し、1000種類以上のソフトが発売された。この20年間に様々なデジタルの娯楽の実験場ともなった。ゲームから人気キャラクターが数多く生まれ、他の産業への波紋効果も大きい。「たまごっち」などキャラクターを育てるおもちゃや、iモードのように携帯電話で情報を双方向でやりとりすることなども、アイデアの原点はファミコンソフトに詰まっていた。最近、ゲームソフト開発者に話を聞くと、新たなアイデアが枯渇しているというが、原点のファミコンソフトをもう一度見直してみる価値があるのではないか。ファミコンソフトに文化的、歴史的な資産としての価値があると思う。私は、これらを電子的に保存するデジタルアーカイブを作り進めている。全ソフトを集め、タイトル、発売年、発売元などをすでに入力しており、将来的には次の世代がこれらの娯楽をもう一度楽しめる方法がないか考えている。ゲームはアニメや携帯電話コンテンツなど様々な波及効果を生んだのに、今のゲーム業界はその効果を十分に取り込めていないのが残念だ。ファミコン発売以来、韓国や台湾などもゲーム産業に目をつけるようになった。日本は長年、世界の先端を走るゲーム産業の国だと言われていたが、最近はこれらの国や地域に急速に追い上げられている。業界と政府はもっと危機感を持つべきではないか。ファミコンなどコンピューターゲームと、少年犯罪などへの影響を短絡的に結びつける人がいるが、正しくないと思う。ゲームも、映画やテレビと同じメディアの一つだ。問題は人がゲームにどう接していくか、という点にある。メディアリテラシー(メディアを読み解く能力)を向上させることが重要であり、社会問題の責任をゲームに転嫁することは適切でないと思う。 |
| 朝日新聞7月16日 | 2003年7月16日掲載 | 山内 溥氏(任天堂・相談役) |
| <「簡単さ」開発の原点に> ファミコン以前は、ゲーム機は「1ハード1ソフト」だった。それをファミコンは、1つのハードでたくさんのソフトを遊べるようにした。それによって、ゲーム機のライフサイクルは比較にならないぐらい長くなった。ファミコンソフトは単純明快で、子供から大人まで簡単に遊べる利点をもち、多くのゲームジャンルを輩出した。ロールプレイングゲーム、パズルゲーム、シューティングゲーム、格闘ゲーム、各種スポーツゲームなど多彩なソフトが次々に登場し、ユーザーに面白く、楽しく、珍しい驚きを与えたといえる。駄作、愚作も数多く発売されたが、ユーザーはコンピュータを駆使した本格的ゲームという分野に免疫がなかったため、そうしたソフトはむしろファミコンブームを支援する形になった。ファミコン以降、ハードの性能が飛躍的に進化した。ソフトは映像、音声の迫力を競い合い、ソフトの中身も急激に複雑化した。その結果、一部のユーザーには、ゲームが難しくなり過ぎて遊べなくなり、ゲーム離れの兆候が現れ始めている。すでにゲーム機の進化は限界に達した。そこで、さまざまな試みが実行されつつある。オンラインゲームに注目する人もいるが、それだと、ユーザーは長期間同じソフトで不特定多数の相手と遊ぶようになるため、新作が売れなくなる可能性がある。メーカー、小売店の収益が圧迫される心配もあると思う。過去から現在まで、ソフトが主、ハードが従のゲームビジネスの基本は変わらない。ソフト開発者が、大ヒットした昔のファミコン用ソフトも参考にし、進化したハード上で、だれでも簡単に楽しめるソフトを開発していけるかどうかが、今後のゲーム業界の成長の鍵となると思う。 |
| Nintendo DREAM vol.94 | 2003年7月5日発売 | 桜井 政博氏(ハル研究所・情報開発部主幹) |
| <レースゲームについて思うこと> 最近、レースゲームがおかしい方向に転がってるな、と思っておりました。いや、わたしも昔は「F-ZERO」で58秒のカベに挑んだこともあるので、レースゲームの面白さはよーくわかっているつもりです。操作がスティック(orハンドル)とアクセル、ブレーキだけとシンプルで、理解がカンタンなので誰にでも楽しめた。操作感が楽しかった。そんなジャンルだったと思います。・・・が、今のレースゲームって、明らかにそういう感じはなく、むしろマニアのものという印象があります。難しいセッティングをして、綱渡りをするかのような精密な操作を強いて、高く設定されたタイムを超えることができないとダメだと。んー、そんなもんだったかなあ。少なくとも、ユーザーとしてのわたしはちょっとしたゲームとして遊びたいだけであって。そういうソフトがあってもいいけど、さくっと遊ぶためのレースゲームがめっきり減ったなあ・・・という気がしておりました。 |
| <使うボタンはたったのひとつ> 今回、(「カービィのエアライド」では)使うボタンはAボタンだけ、ということにこだわってみました。最近のゲームは複雑だ、シンプルにしよう!という気持ちはもちろんありますが、何もそこだけがポイントではありません。「何かを操作する」って、体感的な行為だと思うのですよ。だけど、最近のゲームを操作していて、「体感」より「機能」ばかりに目がいってるのではないかしら?とか思うわけです。演出などによりますが、ボタンを押してギュッと力をこめることは体感的だけど、ボタンを押したら伸びをするのはあまり体感的でないとか。剣をふったり、ジャンプしたり、ビームを撃ったり、メニューを開いたり、アイテムを使ったり、選択肢を選んだり・・・。コントローラのボタンの機能は実にさまざまですが、「機能」を割り当てることに目が行きすぎて、「ボタンを押す」原点の快感が忘れられている、とよく思ったりします。 |
| 京都新聞7月2日 | 2003年7月2日掲載 | 山内 溥氏(任天堂・相談役) |
| <ファミコンが20周年を迎える> 幸運にも世界の多くの人に評価していただき、有り難かった。一定量の部品を手配できなくなり今年で生産を止めるが、実際は打ち切りたくないのが本音だ。ただ当時のソフトに名作と呼ばれるものが残っており、それを活用できないか検討をしている。今のユーザーに魅力あるソフトとして認めてもらえるように手直しできるものを取捨選択し、現在のゲーム機で楽しめるようにしたい。 |
| <SCEがPSPを発表したが> ソニーの携帯型ゲーム機の発売は来年の暮れだ。まだ影も形もない。にもかかわらず、任天堂の携帯型分野での独占が揺らぐのではと一部の人は言っているが、その人たちはゲームビジネスがよくわかっていない。ゲーム機の新製品競争とゲームビジネスを混合している。任天堂はソフトが主でありゲーム機は従と考えているが、他社はゲーム機の優劣を決める競争をしている。全く違う内容にもかかわらず、同じレベルで見るのは間違いだ。 |
| <ゲームソフトは大ヒットソフトが出にくい状況が続いている。またソフトメーカーの合従連衡の動きも活発化しているが> 米国、欧州のユーザー動向と日本のユーザーの動向は、以前から違っていたが、それが一段と鮮明になってきた。昨年末の商戦で任天堂の家庭用ゲーム機ゲームキューブが予想を下回る販売となった理由の一つに、欧米で大ヒットしたソフトがあるが、それはとても残虐で暴力的なソフトだ。そうしたソフトを容認する社会の姿勢は日米欧で大きく違う。市場は世界にあるが、我々の命綱であるソフトを展開するのはとても難しい。有能な開発チームを抱えていても欧米では通用しにくいため、ソフトメーカーはビジネスしにくい状況だ。 |
| <業界の活性化策は。また、任天堂は何を目指すのか> 業界全体が活性化するために、メーカー同士が統合合併するのは、一つの選択肢だろうが、プラスばかりでなく、マイナスもある。むしろ、それぞれのメーカーが持つ特徴や才能、特質をうまく結びつければ、新しい分野が開けるかもしれない。任天堂はそうした他メーカーとの合作によるソフトを今年のクリスマス商戦に市場に出す予定だ。 |