(AJF会員 楠田一千代)
ジブチに行く機会を得た。私にとって初めての、わずか1週間の滞在であったが、見聞きしたことをお伝えしたい。ジブチ共和国は、東アフリカの唯一のフランス語圏で、1977年に旧宗主国フランスから独立した。国土面積は2万3200平方km(北海道の約3分の1)、エティオピア、エリトリア、ソマリアと国境を接し、東側はアデン湾と紅海に開いた、人口57万人弱(1996年)の小国である。人口の大部分は首都(ジブチ市)に住み、村落部住民の8割以上が遊牧生活を営んでいる。耕作可能な土地は非常に少なく、年間降水量は平均100−150ミリにすぎない。野菜は、海の向こう岸、イエメンから輸入していると聞いた。主な民族は、イッサ(Issa、ソマリ系)とアファール(Afar)で、宗教はイスラム教が94%を占め、主要言語は、公用語のアラビア語とフランス語、他にソマリ語、アファール語となっている。
首都を離れて、アジスアベバ(エティオピア)やアスマラ(エリトリア)に続く国道を走っていて目に入るのは、私のよく知っている西アフリカのセネガルとは違い、石や岩、そして山。枝に刺のある低潅木はセネガルで見たものと同種類のようだが、風景はまったく違う。地形は変化に富み、標高2000メートルを越える山から、標高マイナス155メートルの塩の採れるアサール湖まである。火山や温泉もあり、地震も頻繁に起こる。全長314kmの海岸線には珊瑚礁もあり、青く透き通った海が広がる。私の知らないアフリカがここにもあった。何と表現をすればいいのであろうか、地球という天体の生(なま)の姿を見ているようである。
今回訪ねることのできたうちで、首都から一番遠い南西部の交通の要所、ヨボキ(Yoboki)は盆地状の地域にあり、じわーっと暑かった。ジブチ市とつながる国道にはエティオピアントラックがたくさん走っていた。ジブチの港もエティオピアに輸入品を運ぶトラックでにぎわっている。このエティオピアへの流通が、ジブチの重要な国家収入をもたらしている(ジブチ・アジスアベバ間には鉄道も通っている)。しかし、エティオピアから来る運転手たちにとって、ジブチの暑さは非常に厳しい。今年に入ってすでに8人のエティオピア人運転手が心臓発作で亡くなっていて、10時半〜16時まで運転禁止令が出ていると聞いた。想像を絶する暑さである。
主要都市間は舗装された道が通っている。しかし、村落部に行く時には、多くの石や岩が転がる中にある荒れ道、もしくは土漠(どばく)を走らなければならない。その道端には時々ヒツジや山羊の死骸が横たわっていた。集中豪雨は涸れ川(ワジ)を通る鉄砲水となり、石や大きな岩と一緒に動物たちが流され、溺れるのである。水の通り道であるワジは、人や動物たちの水源という一面も持っている。ワジ付近に浅い穴を掘れば、そこに水が湧いて溜まる。伝統的井戸と呼ばれるこの穴から人々は生活水を汲み上げる。水の確保は、ジブチの人たちにとって大きな課題である。量、質ともに問題がある。(ホテルの水も塩辛かった。)ちなみに、ジブチ滞在中に飲んでいたミネラル水はイエメン製で、ホテルで飲めるビールなども輸入品であった。ジブチ市内でコカコーラの工場は見かけたが、食料に加え、飲物も多くを輸入に頼っている。
さて、水の話に戻ろう。村落部での水確保は特に難しく、難民キャンプ用に作られた深井戸を水源として生活をしている村もあった。(ジブチ国内にはエティオピアとソマリア難民のキャンプが所々でみられる。)水源が近くにない村には、給水車が巡回してくるが、配給量は限られており、人々は一般に、1日わずか数リットルの水で暮らしている。
家畜の世話は、セネガルでは男性の仕事だが、ジブチでは少女がヒツジや山羊を追っている光景をよく見かけた。国道沿いでペットボトルに入ったラクダの乳(脂肪分が少なく体に良いそうだ)を売っているのも女性たちだった。水汲みはもちろん、食事の支度も女性。薪を拾い集めるのもそうである(ジブチでは頭にのせず、背負って運ぶ)。一方、村長や伝統的首長(オカル)は男性で、役場の職員もほとんどが男性。石積みの家を建てるのは男たちの仕事だと思うが、普段は何をしているのだろうか。
彼らが好きな時間の過ごし方の一つは、カット(Khat)という合法のソフトドラッグ(麻薬)をかむことである。昼を過ぎると、頬をリスのように膨らませている男性をよく見かけた。毎日1万トンものカットが、エティオピアから空輸されていて、少し古い統計だが、1987年には輸入額全体の約8.5%を占め、車輌と付属機械の輸入額と肩を並べていた。新鮮なカットほど商品価値が高く、ジブチ市内には売店が並んでいる。売り手は女性、買うのは男性たちである。
首都の物価は高い。ホテルのレストランでは、スパゲッティが2000ジブチフラン(Fd)弱(約1600円)、中程度のホテルは1泊7500Fd。パリなみである。しかし、地元のレストランでは、スパゲッティが200Fd(味もGood)、コーラは60Fd。ずいぶんと違うものである。おいしかったのは、ジュースバーで飲んだフルーツの生ジュース。いろいろなミックスジュースが、50数種類のメニューから選べる。実は、このフルーツ(マンゴ、グアバ、バナナ等)、多くは輸入したものである。
帰国の前日、ジブチの土産を探してみた。しかし、国産品はほとんど見つからなかった。珊瑚のネックレスは、ジブチの材料がケニヤで加工され、再輸入されたもので、男性がはくフタ(Futa)というスカートのような服はインドネシア製(1000Fd)であった。帰国前夜、木曜(翌日は休日)のナイトバザールは女性客であふれていた。毎週木曜日に出る新作の女性用ブーブー(ディル)を買いに集まるのだ。男性は女性に毎週ディルを買ってあげる義務がある、問答無用だ、とは一緒に出掛けたジブチ人男性の言である。
私も友人から、ホテルに着いたらまずクーラーを確認するよう忠告を受けていた。ジブチは夜も暑い。統計によると9月の平均最低気温は摂氏29度を越えている。11月からは少し涼しくなるようだが、9月はまだ暑く、湿度も高く、クーラーの効いた部屋を一歩出ると、さながらサウナに入っているようであった。運悪く、私の部屋のクーラーがきかず、部屋は常にサウナ状態だった。拭いても拭いても流れる汗。石鹸の泡の立たない塩味のシャワーと合わせて、さながら「エステ」旅行のようで、1週間で私の肌はすべすべになった、気がする。
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人口増加率:1.51%(1997年推計) 平均寿命:50.61才(1997年推計) 成人識字率:46.2%(男性:60.2%、女性:32.7%1995年) 国民1人当たりGDP:1,200 US$(1995年推計:ジブチ在住外国人の収入も含む) 食料品輸入:全輸入量の27% 国内総生産:農業(家畜生体の輸出など)3%、産業21%、サービス業(港湾流通仲介、フランス駐留軍関係など)76% (1993年推計) 治安:1991〜94年は、北部および南西部は反政府ゲリラと内戦状態にあった。現在は安定してきている。 最近の選挙:1993年5月 |
AJF会報「Monthly アフリカ Now」41号より:写真は追加