国谷裕子
大阪府生まれ。
父親の海外勤務にともない、幼稚園時代からニューヨーク(NY)、サンフランシスコ、香港と日本を行き
来しながら過ごす。
79年、米国ブラウン大学(国際関係・国際経済専攻)卒業。帰国後、家庭用品メーカーに就職。81年、
NHK「7時のニュース」英語放送アナウンサー、ライター。再び渡米、衛星放送のNY発キャスター。
88年帰国、総合テレビ「ニューストゥデイ」、BS1「世界を読む」などを経て93年から総合テレビ「クロー
ズアップ現代」キャスター。
放送ウーマン賞、菊池寛賞(制作スタッフとともに受賞)などの受賞歴がある。
"国谷裕子"キャスターが語る
★お断り
当ページに掲載の、国谷裕子キャスターの談話はすべて、
朝日新聞の「朝日求人」から転用させていただきました。
【一人前でありたい】
国谷裕子が語る仕事・1(朝日求人 09/07/05)
★若い時はチャンスが見えない
・私も、もっと教えて欲しいと甘えた気持ちの新人だった
私は最初から放送界に就職したわけではありませんでした。自分に何ができるか、何がやりたいのかといった明確な思いもなかったのです。ただ、当時は外国の大学を卒業した私のような者には日本企業の門戸は狭く、就職が本当に難しい時代でした。
結果として、実家のあった関西で、外資系の家庭用品メーカーに入社します。研修を受けてから実際の仕事に就くのだと思っていたら、入った時からいきなり化粧せっけんの担当になり、明日は東京出張へ、来週は沖縄へマーケティング調査に行ってきてとか、日本中あちこちのマーケットを見てくるようにと指示されるのです。同じ時期に入社した人はなく、まったく私一人だけ。仕事の内容もまだ分からぬまま、東京の広告代理店へ行き、そこでテレビCMの絵コンテを見せられて、さあ意見を言ってと促される。女性の感性でということだったのでしょうけれど、私は貝になっていました(笑い)。
マーケティングの仕方も分からないままリポートを書き、さらに、その化粧せっけんのパッケージ発注、工場への金型注文、セールスプロモーションの仕組み作りと、本当にびっくりするような課題が次々に出されるのです。
チャレンジングな仕事がしたい、責任を持たせてもらいたいという気持ちがある一方で、なぜ丁寧に教えてくれないのか、なぜ私を指導してくれないのかと思う日々をすごしました。新人の甘えだったのかもしれません。結局、なぜ一つでも多くせっけんを売らなくてはいけないのかと、納得がいかなくなり、一年足らずで辞めてしまったのです。
でもあとから聞けば、これはブランドマネジャーと、私のようなブランドアシスタントが2人でチームになって商品開発から販売戦略まで手がける、ブランドマネージングシステムという、当時、最先端のビジネス手法だったのです。
・鍛えてくれる職場は、やはり人を伸ばす
就職した会社がそういうチャンスを与えてくれていたことに、私はまったく気づきませんでした。あらゆる視野、あらゆる人の立場に立って、工場、セールス、アート、マーケット調査など、自分が中心にいて現場のすべてを勉強できる立場であることに思いも至らなかったのです。
それどころか、人に頼り、指導してくれないことに不満を募らせてしまいました。責任を持つ覚悟というものが、入ったばかりの私には足りなかったのです。
なぜこんなことをしなくてはいけないのか。一体、これをやることでキャリアは積み重なっていくのか。若い時には分からないことばかりですが、でもそれは、自分の視野がまだ狭いゆえ、なのではないでしょうか。
私はその会社を辞したあと、通訳をしたり、リサーチャーをしたりして、その時々にバラバラな仕事をつないできたのですが、結果として、わずか一年の新人経験も含めて、今のキャスターという仕事にすべて生かされていると感じています。
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国谷裕子が語る仕事・2(朝日求人 09/07/12)
★挫折から見えた仕事の道
・私に何ができるか。見えなかった20代の日々
わずか1年にも満たないうちに、新卒入社した外資系の会社を辞めて、さてどこへ向かっていけばいいのか。私には何の目標もありません。働いてためたお金で一人旅に出てみようと、ヨーロッパを中心に3カ月ほど旅をしましたが、もちろんそんなことで仕事の方向が定まるわけもなく、帰国しました。
そんな私に、NHKで英語ニュースを読むアナウンスの仕事を受けないかと声が掛かりました。夜7時のニュースの二カ国語放送で、迅速に英訳できて読める人材が必要だからということでした。仕事は週3回、1日4時間。この仕事をしながら、海外で過ごした時間が長かった私は、自分が日本や日本語について知識が不十分だと痛感し、夜は同時通訳の学校に通って勉強しました。
この仕事以外にも複数の派遣会社に登録し、さまざまな仕事をこなしました。英語で行われたインタビューのテープ起こしや、来日する外国人ジャーナリストから依頼される通訳やリサーチなど、何でもやってみて経験を積み上げていったということでしょうか。英語ニュースの仕事は5年間続け、それ以外の多くの仕事も面白いと感じていたのですが、まだ一つのキャリアとして目指すものは見つかりませんでした。
結婚するため、すべての仕事をすっぱり辞めてパートナーの仕事先となる米国へ行くことを決めたのも、自分の仕事のイメージが確立していなかったせいかもしれません。
現代の若い方を見て大変だなと思うのは、企業が即戦力を求める傾向が強いことです。すぐ役に立ち、すぐ自分の目標を持たなければと追い立てられてしまう。しかし、若い時にはそんなにたやすく自分の目標などは分からないのが当たり前です。ですから焦らないで、まずは目の前の仕事にきちんと取り組むこと、ただし視野は広く持って。それが大切だと、自戒を込めて思います。
・キャスターになったが、挫折はやってくる
パートナーと暮らしていたニューヨークで、NHKからキャスターのお話があったのは1年ほどたってからのことでした。ニューヨーク発のキャスターとして、毎日アメリカの情報を日本に伝える番組です。放映時間は日本の朝3時、5時。衛星放送でしたから、まだアンテナを持っている人はほとんどいない、つまり、経験がなくても大丈夫と説得されたのです。
しかし、番組を見てくれている人はいて、翌年、夜9時から総合テレビでスタートする80分間のニュース番組「ニューストゥデイ」の国際担当キャスターとして、大きなチャンスをいただいたのです。大型のニュース番組であり、キャスターは7人。私の出演時間は4〜5分ほど。しかしそこで私は、プレッシャーと経験不足で萎縮し、自分の力のなさをいやというほど思い知らされます。
苦しい半年間を経た頃、番組自体が80分から60分に短縮され、私はスタジオキャスターをおろされて海外の取材担当リポーターを言い渡されました。その半年後には、リポーターの仕事もなくなります。
確固たる目標もないまま仕事を続けているうちに訪れた大きな挫折。しかしこの挫折のおかげで、私には仕事へのこだわりが初めて生まれたのです。このままでは終われない。何とかしなくてはと思いました。
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国谷裕子が語る仕事・3(朝日求人 09/07/19)
★荷が重いとは考えない
・経験不足とコンプレックスを、仕事の量と質で埋めていく
テレビは、自分の未熟さをさらけ出してしまう。降板という、そのことをはっきりと思い知らされた挫折を経験したのに、私はキャスターを辞めようとは思いませんでした。このままでは悔いを残すことになると考えたのです。報道の現場は厳しく、一度信頼に応えられなかったら二度とチャンスはめぐってこないと言われていますが、幸運なことに私はふたたび衛星放送の仕事をいただきました。
1989年から93年まで、私はNHK-BS1の「ワールドニュース」「アジアナウ」「世界を読む」などの番組キャスターを担当しています。激動の時代でした。中国では天安門事件が勃発(ぼっぱつ)し、東ヨーロッパの社会主義政権が相次いで倒れ、ベルリンの壁も崩壊。その後、湾岸戦争、ソ連邦解体と続きます。私は外国人ゲストへの中継インタビューをはじめ、刻々と入ってくるニュースを見ながら専門家を招いて長時間討論するなど、今までに経験したことのない量と質の仕事に夢中で取り組んでいきました。
世界史が塗り替わるような時代の真っただ中で、ニュースを伝える。毎日の睡眠時間が3、4時間というような激務でしたが、逃げてしまいたいと思ったことはなかったし、疲れ果てていても仕事を休みたいとも思いませんでした。私は荷が重いと考えるよりは、むしろ経験不足を克服できる絶好のチャンスだと感じていました。今こそ鍛えられているという充実感があったのです。
そして、その後「クローズアップ現代」のキャスターの話があった時、私は、何の迷いもなく、やらせてくださいと答えました。
・番組スタッフの情熱と同じ熱を持ちたい
「クローズアップ現代」は、17年間変わることなく、世の中で起きている事柄の底流を伝えることを狙いとして続けられてきた番組です。毎日一つのテーマを追い、背景を探り、掘り下げ、複雑化し見えにくくなっている現代に少しでも迫ることができればとの思いで私は週4日カメラの前に立ちます。
番組スタッフは時間をかけて取材し、VTRを制作してきますから、それを軸に検討を重ねます。私も同じ土俵で議論できるよう、時間の許す限り様々な資料を読むなどして準備をしています。記者やディレクターは情報をたくさん持ち、伝えたいという思いでいっぱいですから、試写室はその熱気でとても暑いんです(笑い)。しかし、初めてVTRを目にする私には、情報が整理されていないとか、伝えたい事実が分かりにくいと感じることもあります。番組キャスターという私の仕事はできる限り視聴者の目線に立ち、その感覚を大事にすることが重要な役割です。最も大事にしなくてはならないメッセージは何なのか。それをどう伝えることがベストなのか。番組スタッフの熱い思いを受け止め、自分が納得した内容を自分の言葉で話す努力を重ねていきます。
テレビは何でも映し出すと、いつも感じています。それは、私が発する言葉一つ、表情一つにも言えることで、だからこそ仕事には労を惜しまずと、いつも自分に言い聞かせています。
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国谷裕子が語る仕事・4(朝日求人 09/07/26)
★自分にチャンスを与えよう
・一日一日を積み重ねるしかない
よく長い間「クローズアップ現代」を続けてこられましたねと言っていただくことがあるのですが、私にはあまり17年間という実感がありません。いつも緊張感の中で毎日、納得がいったか、視聴者に届いたかと問い続けては、またすぐ次へと進んでいかなければならないからでしょう。
週最後の放送日である木曜日の朝に「ああ、あと一日頑張れば」と思えることもあれば、テーマが難解で非常に不安が残ったまま目覚めて、この不安を克服しなければと気持ちを鼓舞することもあります。ただ、朝のリズムは壊さないようにしています。朝起きて新聞を取りに行き、観葉植物の様子を見、カーテンを開け、コーヒーをいれ、今日もきちんと同じことができたから大丈夫だと、心のペースを調整する。そうやって一日一日を積み重ねてきました。
準備時間はつねに足りない、との動かし難い事実を受け入れるには、やるだけのことはやって放送に臨んでいるのだと自分自身を納得させるしかありません。俳優の高倉健さんへのインタビューがあれば、たくさんの活字資料を読みつつ、数多くの主演映画を寝る間も惜しんで観(み)続けます。また、多くの議論がある地球温暖化問題では、京都議定書以前から積み重なってきた経緯がありますから、読み込む資料は必然的に相当な量になります。ゲストの方が、あるはっきりとした視点を持っていらっしゃる場合には、私はその方のお話を伺いながら、一方で異なる意見も提示できるようにしておかなければなりません。そのため、ゲストの著書に加えて異なる立場の方々の著作も読み込んでおきます。
どの仕事もそうだと思うのですが、最後は、できるかぎりのことはやった、という実感が背中を押してくれるのです。
・苦手なことに気づいている。それは次への一歩
今日まで私にとっての仕事とは、自分の苦手なものを克服する場だったという気がしています。一つひとつ、自分のコンプレックスや、力のなさを仕事の中で乗り越えようとしてきました。そして周囲の人々にも鍛えられました。苦手なことやコンプレックスを持っている人は、それを避けずに一歩、踏み出してほしい、それは、とてもやりがいのある仕事につながっていくはずです。
若い人の中には、仕事というものは自分の思いや、やりたいことをかなえる場だと考えている方も多いでしょう。しかし実際には希望通りの仕事にはなかなか就けない厳しい現実があります。それでも今日の仕事の中に、次につながる芽を発見できるかもしれません。私自身、なぜ今この仕事をやっているのかと考え込んでしまう時期がありました。でもその仕事はどこかで自分のチャンスにつながっていました。目指す仕事に就いていなくても、まだその仕事を見つけていなくても、今自分は鍛えられていると感じられる体験が、次の一歩、次の自分を用意してくれるのではないでしょうか。
=終わり=