【誰でも、答えはまだこれから】
草野 仁が語る仕事・1(朝日求人 2011/02/27)
★筋書きは変わるから面白い
・まさかのアナウンサー辞令
生まれ故郷の長崎で、毎日毎日走り回って野生児のように過ごして成長しました(笑)。何より運動が好きでしたし、高校時代に所属していた陸上部でも短距離走で全国レベルの記録を出せたこともあって、スポーツの道に進みたいと考えていましたが、父親からストップがかかります。スポーツで一流になるには厳しい努力が必要だが、私にはその努力が出来ないと言うのです。
やむなく机の前に座り、一浪して大学に入学。途中で少し浮かれた気分になり、英語の授業を2週続けてさぼったらたちまち成績に影響が表れ、気をゆるめるとどうなるのか、この時に身を持って理解しました。
就職はNHKを目指しましたが、同級生が受けると言うので、それもいいかと付和雷同です(笑)。自分ではさまざまなことを調べて文章にする適性があると思っていたので、事件や事故などを担当する報道記者を思い浮かべていたのです。ところが採用されて受けた辞令はアナウンサー。これには参った。人前で話したこともなく、長崎で育った私には、標準語を駆使することなど到底無理だと思えました。しかしNHKしか受けていないのです。いくら上申してもいやなら辞めるしかなく、袋小路に迷い込んだような気持ちのまま、2カ月半のトレーニングを受け鹿児島放送局から仕事が始まりました。
・失望の中から活路を探し始めた
この鹿児島放送局には、私が強く影響を受けた先輩アナウンサー、小谷伝さんがいらっしゃいました。小谷さんは「アナウンサーは原稿を読むだけの仕事ではなく、積極的に自らの番組の企画を立て、台本を書き、演出や編集作業、フロア業務までも担当すべきである」という考えをお持ちで、鹿児島放送局ではアナウンサーが1週間に1本、ローカル番組を制作する機会が与えられたのです。ここで能動的に、主体的に働くという仕事観を手にしました。
しかし、その自主的な時間はわずかで、ほとんどは与えられた原稿を読む受け身の仕事です。鹿児島放送局では、内之浦宇宙空間観測所から全国に向けてニュースを流すことがよくありましたが、番組内で話をするのは招待された専門家です。ロケットの軌道計算が出来るほどの知識を備えた小谷さんでさえ話に加わることはなく、時間通りに番組を進めるタイムキーパーの役割でした。
小谷さんも悔しい思いを抱いていらしたでしょう。私のような新人でも、ただ受け身でいることは居心地が悪いものでした。何か出来ないのか。突破口はないのか。NHKのアナウンサーの仕事をつぶさに見ていくうちに、スポーツの実況なら自分で番組を引っ張っていけそうだと気付きます。その後、福岡放送局、大阪放送局へと異動になりますが、スポーツの実況といえば、必ず「私がやります」と手を挙げてきました。フェンシング、空手などの武道、競馬、マラソンなど、種目が変われば全て一から学ばなければなりません。競技者が少ないコアなスポーツほどファンはマニアックですから、私ものめり込んで勉強します。
受け身のままでいたくない、それでは仕事をする張り合いがない。それが私の価値観の一つです。自分の仕事を求める人はくすぶっている気持ちを抑え込むのではなく、自分の気持ちに素直になって、向かえる方向を探して欲しいと思います。(談)
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草野 仁が語る仕事・2(朝日求人 2011/03/06)
★ガラスの天井を感じた
・スポーツアナウンサーのだいご味を味わう
スポーツの実況は、十分な準備と現場での瞬発力を必要とする仕事です。決して簡単なことではありませんが、一流のスポーツ選手たちが自分の限界に挑む、その場に立ち会えることは本当に大きな勇気をもらえる喜びでした。
例えば1976年のモントリオール五輪水泳のラジオ実況で、珍しいことですが予選から決勝までの全種目を担当させてもらいました。私は32歳です。その時注目の的は男子100メートル自由形決勝に出場した米国のジム・モンゴメリーという選手。彼のベストタイムが50秒39です。この五輪決勝で人類初の50秒の壁突破なるかが一つの焦点でした。五輪は勝敗が大切であって、記録は望めないという空気の中で、彼はなんと49秒99という世界新記録をたたき出したんですね。私は歴史的な快挙に感動していました。
その4年後には、冬のレークプラシッド五輪で、スケートのエリック・ハイデンが500メートル、1000メートル、1500メートル、5000メートル、10000メートルと、男子の5種目全部に金メダルを取る偉業を成し遂げましたが、私は幸運にもその全レースの実況に携わりました。出場種目が細分化された現在では考えられないことですが、両立するはずはないといわれた短距離と長距離すべてに挑んだハイデンの挑戦に感銘を受けずにはいられませんでした。
能動的な報道ができると判断して、自分から手を挙げたスポーツアナウンサーの仕事で、私は十分な体験をすることができたと思います。しかし少しずつ状況は変化し、引退した野球のスター選手がキャスターを務めるなど、スポーツアナウンサーもその役割を侵食される事態が起きてきていました。
・耐えがたかった アナウンス室の「白旗宣言」
スポーツ報道番組に元スター選手などを起用する動きに、私は危機感を感じました。私の入社15年目当時、東京には15人ほどのスポーツアナウンサーがおり、私は一番下っ端でしたが先輩方全員に招集をかけて、危機的な状況を訴えたのです。決起集会ですね。しかしなかなか分かってはもらえませんでした。
またNHKでは常に、政治部、もしくは外信、特派員経験を持った人だけがメーンキャスターになれるという暗黙のルールがありました。そしてある日、アナウンス室長がこう発言します。「報道局長と話をして、今後、アナウンス室はすべて報道局の指示に従っていくことに致しました」と。
それはアナウンス室の自己主張とか、異議とか、そういうものは一切配慮しないという内容で、私は「それはアナウンス室の白旗宣言なのだな」と察知しました。アナウンス室はこれから、報道局の言いなりになって仕事をすると宣言したように感じたのです。目に見えないガラスの天井のような限界を実感し、私はここにいるべきではないと退職の心を決めました。
組織の中では、まだまだ旧態依然とした価値観が存在しています。それが内輪だけのルールであることも多い。違和感を持ったら決別する勇気も仕事では大切だと思うのです。(談)
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草野 仁が語る仕事・3(朝日求人 2011/03/20)
★慢心は、気づかないから怖い
・自ら動かなければ、やはり錆(さ)びてくる
アナウンサーはジャーナリストではないという不文律がNHKにあったとお話ししましたが、しかしそれはなぜなのか。他の業種でも同じことが起こりうるのだろうか。私には不思議で仕方がありませんでした。
しかし、さかのぼって検証してみると、まだテレビもない昭和のラジオ全盛時代、アナウンサーは人気番組を持って活躍している人も数多く、実は放送のスターだったのですね。ラジオ時代から初期のテレビ時代になっても、基本的にはいろいろな部局から司会やナレーションの依頼があって、仕事が絶えない。だからアナウンス室にじっと座ってお呼びがかかるのを待っていればよかった。
ところがテレビの世界は、民放の開設に伴って競争も激しくなっていきました。NHKの記者は、今まで自分たちの取材態勢が十分ではない状況で、多くは共同通信社などから送られてきた原稿をリライトして、それをアナウンサーに読んでもらっていたのですが、「取材するディレクターや記者本人が報道してもいいじゃないか」とカメラの前に登場します。ニュースの現場からの報道は臨場感やスピード感が強い。
テレビに要求されることは何か、自分たちの役割は何か。そのヒリヒリするような問いを記者たちは追い求め、アナウンサーは逆に自分の立場に安住していたのだと想像します。この辺りでいいだろうと自分の手綱を緩めた時から、周囲にはほころびが見え始め、安定していたはずの仕事も侵食されるのです。そう気づいた私は、民放での仕事をさせていただくようになってから、いっそうの緊張感を持つようになりました。
・努力し続けた若い人が教えてくれる
思い切ってNHKを出た私には、新しい仕事と共に多くの出会いがありました。フリーキャスターとして司会を務めた情報番組では、100人を超えるスタッフが一つになって番組を作り放送するのですが、それが毎日、何年間も質を落とすことなく続けられることのすごさ。テレビ画面に映っているのは私を含めたほんの数人でも、支えているスタッフの責任感と働きぶりには頭が下がります。
また、仕事をご一緒するようになった水道橋博士をはじめ、第一線のお笑い芸人さんたちも私の仕事観に大きな影響を与えてくれました。彼らのほとんどが、地をはうような生活苦とか、さまざまな苦しさを体験していて、ラクラクと第一線に抜けて来た人は一人もいません。ザブングルの加藤歩さんなども、裕福な家に育ったのに実家が倒産し、そこから血のにじむような努力をして今に至ったそうですが、必死になってしがみつき、自分らしさとか、新しいものを探り続けてきた。響の長友光弘さんなどもそうですね。そういう多くの芸人さんの体験を聞くにつけ、私は仕事を貫いていく姿を教えられます。
頑張ることを止めたら、日々の水面下の努力を止めたら、すうっと仕事の力が下り坂になることを私たちは認識しなくてはなりません。いい仕事があって、ラクに過ごせる毎日が心地よいと感じたら、慢心の危機が近づいていると思います。(談)
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草野 仁が語る仕事・4(朝日求人 2011/03/27)
★人の資質は、柔軟なものだ
・与えられた仕事で 多面体の自分を知る・
私は基本的に、オファーをいただいた仕事には挑戦すべきだと考えております。もちろん自分の主義に反することはしませんが、頑張れるかどうかの判断がつけば、バラエティー番組で色々なことをやってみることも全く苦になりません。バラエティー番組も全ての出演者が真剣に取り組んでいることを知っているからです。それに、私の持って生まれた性格やいろいろな欠点も、それを上手に引き出してもらえればそれが笑える材料になるからです。
ドッキリ企画にも参加しました。例えば私がゴルフ場で芸人さんたちにゴルフ指南を始める。さんざん教えておきながら、いざ自分でやるとからっきしうまくいかず、すごく不機嫌になり彼らに絡んで困らせる。あるいは、将来を考えて草野事務所に移籍してこないかと芸人さんを誘って、その気にさせる(笑)。テレビは「素」に正直な媒体で、それが楽しさにつながっています。
スポーツが好きなので、司会としてではなく競技者として、スーツもネクタイも脱ぎ捨て、例えば芸能界レスリング最強王座決定戦というような番組にも出場してきました。かつてNHK時代にアマチュアレスリングを習い、たまたま学生との練習試合でフォール勝ちした私の体験を知って出演を要請されたのです。61歳でしたが、リングに上がって本気で戦いましたね。私という「素材」を活(い)かし、新しい一面を引き出してもらうことに抵抗はありません。
・未体験の能力を信じてみよう
私たちは仕事に取り組む時に、自分の得意なことや、周囲からの評価が高い分野を選択しますね。それは全く間違いではないのですが、では、その分野だけにしか能力がないのかといえばそれは違うと思います。ただ、他の分野のことを試す機会がないので気がつかない。自分の仕事力をつけていくために、「やってみないか」と声をかけられたことは、よほどのことがない限り受けてみてください。自分で想像するより、人間の能力の幅というのは広いものだからです。
そして、自分の言葉で話しをする能力も高めていって欲しいと思います。日本人は欧米人に比べて話し言葉で自分の思いを表現することが得意ではありません。しかし、その場その場で自分の心が感じ取った思いを、どう自分で表現すれば相手に分かってもらえるかを意識して、仕事の現場でも、言葉に息吹を吹き込み、愛情を注いで向かって欲しい。人間のやることですから、今日思い立って明日からうまくなるなどと安易なことではありません。でも、折に触れて、自分の論旨を正確に伝える努力は、必ず仕事や人間関係に力を与えます。
長崎の田舎育ちで標準語一つ話せなかった私が、こうやって何とかみなさんに情報をお伝えする仕事を継続できた。私の44年間が雄弁にそれを物語っていると思います。人間の可能性はどれほどあるのか分かりません。仕事を通して自分の中からそれを探し出すのは人生の喜びだと思います。(談)
=終わり=