想い出の、NHKの名、迷アナ
小田和 朗
「対談に入る前に先ず読者の皆様の為に、犬市先生のプロフィルから簡単に紹介させていただきます。
犬市 圭(イヌイチ ケイ)
"女子アナ評論家"、1905年生まれ、99歳、『蔵前尋常小学校』卒業、代表作には、『ビバ!女子アナ』、『女子アナパラダイス』などがある。
これでよろしいでしょうか?」
犬市 圭
「冒頭でいきなり"尋常小卒"と言われると、今からワシが語る内容に説得力がなくなるような気がするんで、ここはひとつ"高等専門学校卒"ということにしてくれんか?」
小田和
「先生、学歴詐称はいけません。例の事件以来世間がうるさいですから」
犬市
「古賀某(学歴詐称で辞職した元衆議院議員)も余計なことを仕出かしてくれたよ・・・・。
あ〜、それと著書だがね、ここに紹介されているワシの代表作のタイトルが、どうも軽過ぎていかん。あれじゃまるでアダルトだ。 ワシの"女子アナ評論家"としての輝かしい業績が、すべて否定されているような気がする。
"アナウンサー大百科"も入れといてくれ」
小田和
「えっ?先生にはそんなに大層な著書もあるんですか?」
犬市
「今から書こうと思っている」
小田和
「書き上げてから承りますよ。
ということで、"女子アナ"が専門の先生には畑違いかもしれませんが、「NHKの歴代名、迷男性アナ」についてそろそろ語っていただきましょうか」
犬市
「専門外?バカ言っちゃいかんよ。ワシが女子アナに留まらず、アナ全般にいかに造詣が深いか、ここで思い知らせてやろうじゃないか」
和田信賢(1912〜52年、東京都出身、早稲田大学中退)
犬市
「NHKの長い歴史の中でも、後世に語り継がれる名アナウンサーと言えば、やはり"和田信賢"をおいて他にはいないだろうな。
通称"しんけん"と呼ばれ、人気においても才能においても、NHKのアナウンサー仲間の間では一目置かれる存在だった。
『三四郎』(夏目漱石)なんかの文芸作品の朗読をさせたら、"しんけん"の右に出る者はいなかったな。
"しんけん"について語る時に忘れて決して忘れてはならないことがある。
終戦(昭和20年8月15日)の、天皇陛下による"終戦詔書"、いわゆる"玉音放送"に先立って、「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさま、ご起立願います」と呼びかけたのが、アナウンサー(当時は"放送員"と言った)の"しんけん
"だった。
"しんけん"の呼びかけに続いて、『天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏(かしこ)くもおんみずから大詔を宣(の)らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」という下村情報局総裁のアナウンス、そして君が代の演奏に続いて天皇陛下による『朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾臣民に告く 朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり』に始まる"終戦詔書"が、約4分に渡って読み上げられた。
その後"しんけん"が30分間程をかけて、それがどういう内容であったかを解説した。
その解説を聴いて多くの人々が、『ああ日本は太平洋戦争負けたんだ』と理解し、日本は米英を主とする連合軍に無条件降伏して、太平洋戦争は終結したわけだ」
小田和
「??」
犬市
「昭和14年1月15日の、横綱双葉山が前頭の安芸ノ海に敗れて69連勝が止まった勝負の実況アナも"しんけん"だった。
双葉山が敗れたその瞬間"しんけん"は、介添え役の山本照アナに『双葉、負けたね、確かに負けたね』と念を押してから、『双葉負る! 双葉山負る!』と絶叫した」
小田和
「双葉山の連勝記録は、未だに破られていないそうですね」
犬市
その後"しんけん"はNHKの花形アナウンサーとして昭和20年台には、ラジオの人気クイズ番組"話しの泉"の司会者として人気を博していたが、昭和28年に明日ヘルシンキオリンピックの実況中継を終えた彼は、その帰路パリで突然客死してしまう。
実は"しんけん"はかなり重度のアルコール依存症で、飲酒の為に仕事に穴を開けることもあって、そのせいかどうかは分からんが血圧も高く、心臓にも疾患があったらしい。
その他にも"しんけん"には数え切れないほどの業績やエピソードが残っており、それが今に語り継がれているわけだが、40そこそこでの早世は惜しまれるよなあ(しんみり)」
小田和
「ぽかーん・・・・」
松内則三(1890〜1972年、東京都出身、慶應義塾大学卒)
犬市
「"しんけん"よりはだいぶ先輩に当たるが、"松内則三"も決して忘れてはならない名アナの1人だな。
彼は主にスポーツの実況中継で人気を得た。
特に六大学野球中継で「夕やみ迫る神宮球場、カラスが二羽三羽・・・・」の名調子で大いにファンを酔わせたし、今に至っても語り継がれている」
小田和
「ぽかーん・・・・」
竹脇昌作(1910〜59年、東京都出身、青山学院大学卒)
犬市
「よく知られていることだが、"竹脇昌作"は、俳優の"竹脇無我"の父親だよ。
NHKアナウンサーの1期生(昭和8年)だが、持ち前の美声で当時マダムキラー(時代を感じるね)と呼ばれた。
NHKを退社後だったのか、あるいは在職中のアルバイトだったのか知らんが、映画の"パラマウントニュース"のナレーターを長い間努めていた。
当時は映画の本編が始まる前の10分位は必ずニュースを放映していたが、そのナレーターの声は必ずと言っていいほど竹脇だったなあ。
小学生でも、竹脇の顔は知らなくても、その声だけは知っていたよ。
残念なことに、強度の神経症に罹り、自ら命を絶った」
小田和
「ぽかーん・・・・」
今福 祝(1912〜78年、神奈川県厚木市出身)
犬市
「朝日新聞朝刊(1968/11/16)の『サザエさん』に、定年の最後の勤務を終えてうなだれながら帰宅した夫に、妻が『なにさ、クヨクヨして』と励ましながらテレビをつけると、ちょうどNHKのニュースが始まり、『ニュースをもうしあげます』と語る今福アナのアップが映し出されたのを見て、妻が『ハッ』として終わる作品がある。
小田和
「はあ? なにがおもしろいんでしょうね」
犬市
「今では見ていてなんのことだかさっぱり理解できないが、今福アナは『サザエさん』が描かれた同じ年の11月に、55歳で定年退職を迎える予定を、現役アナとしては初めて理事待遇で定年延長になることが決まって当時のマスコミをにぎわせた人で、その話題の人を落ち込んでいる夫にうっかり見せてしまったことを後悔したわけだ。
小田和
「NHK内部では評価の高い人だったんですね」
犬市
「地味だったけど、『南極観測隊の越冬隊員が、エサに犬をやり……失礼しました、犬にエサをやり、でした』などの笑えるミスもあり、ファンは多かったよ」
志村正順(1913〜2007年、東京都出身、明治大学卒)
犬市
「NHKの歴代スポーツアナとの中でも、"志村正順"の右に出る者はいないだろう。
もともと人気アナではあったが志村が後世に名を残す礎となったのは、昭和18年の学徒出陣壮行会の実況放送だった。
戦局の悪化に伴って、それまで徴兵を猶予されていた大学生たちも戦場に駆り出されることになり、雨の神宮外苑陸上競技場で行なわれた約3万5000人の学徒の行進の実況は、歴史に残る名放送と言われた。
『最初は和田さんがやる予定だったんですが、ところが前日から酒を飲みつづけていた彼は、二日酔いに迎え酒でろれつが回らず、とても実況など出来る状態になかった。そこで急に私がやることになった。予想外のうえ、原稿もない。それをやり通したのは、大きな自信になった』と、後に彼は回顧している。
志村は昭和11年にNHKに入り、スポーツ放送の主流がテレビになる東京オリンピックの頃まで、大相撲、東京六大学野球、あるいはプロ野球やオリンピックの中継で第一線の人気アナとして活躍した。
H17年の1月11日には、91歳にして、長年プロ野球界に尽くした功績を認められて、"野球殿堂"入りを果たしたが、残念ながらH19年の12月に、老衰のために94歳のご高齢で逝去された
小田和
「ぽかーん・・・・」
館野守男(1914〜2002年、茨城県出身、東京大学卒)
犬市
「昭和16年の"日米開戦の詔勅"を朗読したのが"館野守男"だった。
『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
大本営陸海軍部発表。
12月8日午前6時、帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリスと戦闘状態に入れり』ぐらいはあんただって、映画やドラマなんかで見聞きしたことがあるだろう。
放送の為に保管していた "終戦の詔勅"の録音盤を、戦争終結に反対する青年将校から守ったことで彼は名を上げた。
そして昭和20年8月15日に館野は、天皇による"終戦の詔勅"に先立ってその予告放送を行なった。
『謹んでお伝え致します。
畏きあたりにおかせられましては、このたび詔書を渙発あらせられます。
畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おんみずから御放送あそばされます。
まことに畏れ多い極みでございます。
国民はひとりのこらず謹んで玉音を拝しますよう』
館野は後にN H K 国際局長を務め上げ、平成14年に87才で亡くなった。
まあワシから見れば早過ぎる死ではあったが・・・・」
小田和
「ぽかーん・・・・」
藤倉修一(1914〜2008年、東京都出身、法政大学卒)
犬市
「敗戦後の混乱の最中の昭和22年に、ラジオ番組の"街頭録音"が始まった。
その番組で当時"でんすけ"と呼ばれた録音機を担いで収録に当たり、戦争直後の貧しい世相を見事にとらえたと大きく評価されたのが、"藤倉修一"だった。
特に、生活の為に占領軍の米兵を相手に春をひさぐ"パンパン"と呼ばれた女性達との会話の中で、「実は私は女学校を出ている」というのがあって、『えっ?女学校を出た女性までもが・・・・』ということで当時大きな反響を呼んだ。
その後、ラジオの"二十の扉"の司会、第一回の"紅白歌合戦"の司会も努め、人気アナとして、常に脚光を浴びる存在だったよ。今年(H20年)の1月に、93歳の高齢で大往生を遂げられた」
小田和
「ぽかーん・・・・」
青木一雄(1917〜2001年、東京都出身、明治大学卒)
犬市
「"青木一雄"は、ラジオの"とんち教室"の司会を19年間も努め、大変な人気アナだった
同時代に、"高橋圭三"、"宮田
輝"というド派手なスターアナがいたが、彼らに決して劣らない人気を保った」
小田和
「ぽかーん・・・・」
高橋圭三(1918〜2002年、岩手県花巻市出身、高千穂商科高等専門学校卒)
犬市
「"高橋圭三"は、ラジオの"話しの泉"や『事実は小説より奇なりと申しまして……』という名調子ではじまる"私の秘密"の司会を努め、その軽妙洒脱な司会ぶりで、全国的に脚光を浴び、当時は宮田輝と人気を2分する超人気アナだった。
彼の口癖の「どーもどーも、高橋圭三です」は流行語にもなった。
高橋は、ニュースやスポーツが中心だったNHKアナウンサーのお堅いイメージを変えたという意味では、それなりの功績が」あると言っていいのかな」
小田和
「この辺になると私も聞いたことがありますよ」
宮田 輝(1921〜90年、東京都出身、明治大学卒)
犬市
「"宮田輝"は、"のど自慢"、"ふるさとの歌まつり"の司会で全国的な人気を得た。
特に「おばんです!」という挨拶ではじまる"ふるさとの歌まつり"は、8年間も続く長寿番組だった。
しかし番組の収録では、地方のおじいちゃん、おばあちゃんへの猫なで声のバカ丁寧な話しぶりが、慇懃無礼で、内心はお年寄りをバカにしていると、いわれのない批判をマスコミから浴びたこともある。
奇しくも、高橋、宮田という当時の2大人気アナがそろって参議院議員になったが、議員としての彼らの業績がどれ程のもんだったかは俺には分からん」
北出清五郎(1922〜2003年、東京都出身、中央大学卒)
犬市
「NHKに在職中と退職後4年間の顧問時代を通じて、"北出清五郎"は計31年間も大相撲中継に携わり、「相撲の北出」と言われた。
皇太子(現天皇)ご成婚の沿道中継、夏冬7回にも及ぶ五輪中継など、"松内則三"がラジオ時代、"志村正順"がラジオからテレビ時代のスポーツアナの草分け的存在だったとすれば、北出はまさにテレビ時代のスポーツアナの草分けだったと言えるだろうね。
特に64年の東京五輪開会式のテレビ中継では、『世界中の秋晴れを全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます』という名文句を残した
」
小田和
「相撲好きな私には、忘れられないアナウンサーでした」
鈴木健二(1929年〜、東京都出身、東北大学卒)
犬市
「"鈴木健二"は、人気番組である"歴史への招待"、"クイズ面白ゼミナール"の司会を努めて、高橋、宮田以降では最も人気のあるアナだったと言えるだろう。
講演、執筆活動にも熱心な学者肌の男で、170冊以上の著作があるらしい。
著書のうちでも特に"気くばりのすすめ"は当時の記録的なベストセラーだったが、確か1985年大晦日の『紅白歌合戦』で白組の応援司会をやり、衣装替えを繰り返しておおはしゃぎしたのが視聴者の顰蹙を買い、
『気くばりが足りない』と揶揄されたのが記憶に新しい。
定年退職後は、"熊本県立劇場"や、"青森近代文学館"の館長を努め上げた.
"紅白歌合戦"と言えば、生方恵一(1933年〜、早稲田大学卒、群馬県出身)の名前を忘れることはできない。
彼は"のど自慢"や"ひるのプレゼント"で温厚な人柄がにじむ軽妙な司会でそこそこ人気のあるアナではあった。
彼は1984年の「紅白歌合戦」で総合司会をやったが、"都はるみ"を紹介する際に、"美空ひばり"と言いかけ、かろうじて"みそら"で踏みとどまった。
そのせいかどうかは分からないが翌年大阪へ転勤になり、数ヶ月勤務した後で退職した。
別な意味で彼もNHKの歴史に名を残したアナと言えるかも知れないな』
小田和
「そのことはよーく憶えてますよ。私もその日、"紅白"を観ていましたから」
犬市
「"鈴木健二"以後は、森本毅郎(1939年〜、東京都出身、慶應義塾大学卒)や 松平定知(1944年〜、東京都出身、早稲田大学卒)らの人気アナも出ては来たが、それぞれ(小指を立てる仕草)や(盃で酒をぐいと飲む仕草)で問題を起こし、人気実力アナウンサーとしての経歴に傷をつけたのは惜しまれる」
小田和
「でも、松平さんはもう立派にカムバックしているし、森本さんは民放で大活躍です。さすがに『女性にはもう懲りた』とラジオで言ってましたけどね」
犬市
「もう紙面もないだろうから、この辺で終わることにするが、次に挙げる2人は個人的に俺の好きなアナだ。
相川 浩(1933〜2003年、横須賀市出身、東京経済大学卒)
"紅白歌合戦"、"民謡をあなたに"、"お国自慢にしひがし"
山川静夫(1933年〜、静岡市出身、國學院大學卒)
"紅白歌合戦"、"芸能百選"、"ウルトラアイ"
鈴木健二をタレント性が豊かなな"スターアナ"だとすれば、この2人は絵に描いたようないわゆる『NHK流の正統派アナ』で、その気取りのない温かい笑顔で常にNHKの看板番組をリードしてきた。
ニュースを読ませても安定した力を発揮したし、最近の現役NHKアナには、"相川"や"山川"みたいな人材が少ないような印象を持つのはワシだけじゃないはずだ」
小田和
「次回はご専門の"女子アナ"について語っていただけますか?」
犬市
「"後藤美代子"、"村田幸子"、"永井多恵子"、"広瀬久美子"、"加賀美幸子"、"桜井洋子"、"森田美由紀"など、NHKは実力のある"正統派の女子アナ"を多数輩出してきたが、最近のNHKの女子アナのていたらくは目を覆うばかりだ。
離婚はするし、巨乳はおるし、朝帰りはするし、スポーツ選手とのツーショット写真は撮られるし、これじゃ民放の勘違いアナたちとちっとも変わらんじゃないか。今のワシは、女子アナについて語る気にはなれんよ!」
平成16年5月21日→20年4月25日