バスを降りたら、おばちゃんから予想紙を買い、過去の優勝者の写真を一通り眺め、浜田元市長の胸像に一礼し、おでんと「味飯」で腹を落ち着けたあと1Rの予想にかかる。
もうすっかり恒例になっている小倉入りのパターンだ。
毎年この季節になると体がうずく。年に何度も特別はある。競輪祭なんて、どちらかというと格下のレースである。でも、やっぱり興奮する。それは、この小倉競輪場が持つ雰囲気のせいであろう。
競輪ができて、もう50年。言うまでもなく、この小倉競輪場がその始祖である。
海のものとも山のものとも分からない「競輪」なるものでこの街の戦後復興を果たそうというのだ。かなりの苦労があったと聞く。でも、幾多の苦労を乗り越えて競輪の礎を作ったその努力には全く頭が下がる。小倉なくしては、今の私のはなかったのだ。小倉さえなかったら今のような苦労はしなくてすんだという説もあるが。
さて、その小倉競輪場。やはり長い歴史の中から醸し出される落ち着いた雰囲気が漂っている。古いが妙に豪華な椅子の特観席、安くて旨くて品数が多い売店の数々、やたらいっぱいいる「早替え」のおばちゃん達、スタンド下の薄暗い空間で橙色に輝くヒーター、どれもこれも遠征で疲れた身を優しく迎えてくれる。
ここに初めて行ったのは、もう5年前になる。その前の年の競輪祭でこの道に染まって一年、ついにその地を訪れたのである。そう、小倉は競輪界にとっての聖地であると同時に私にとっての聖地でもあるのだ。
当時は、バス乗り場の場所が分からずに小倉駅からモノレールで行った。モノレールを降り、駅からしばらく歩くと競輪場に着いた。冒頭でも述べた予想紙売りのおばちゃんの群れ、場内に漂うおでんの匂い、朴訥な九州弁、すっかり手慣れた特別競輪の運営。いっぺんにこの競輪場が好きになった。
あれから5年。その間に2回小倉に行った。2回目からは競輪場に着く度に「帰ってきた」と思ってしまう。回数だけで言えばそんなことを思うのは変なのだが、そう思わせてしまう雰囲気がここにはあるのだ。
残念なのが、行く度に予想紙の種類が減っていること。初めて行った頃は三、四紙あったと思うのに、去年にはとうとう一紙になってしまった。
そういえば、施行権返上で揉めたのはここの競輪場であった。私は競輪祭の雰囲気しか知らないのだが、日頃はよほど空いているのだろうか。考えてみれば、すぐそばにJRAの競馬場があり、競艇場も近くに何場もあり、あまつさえ飯塚にはオートまである。しかも石炭は斜陽化し、鉄鋼不況も長い。小倉競輪場にとっては競輪祭だけが生きていく道なのかもしれない。競輪祭がなかったら、門司と同じ運命をたどってしまうのかもしれないのだ。
でも、そんな小倉競輪場もいよいよ来年にはドームになる。攻めの姿勢は客としては嬉しい。今まで語ってきた懐かしい雰囲気はおそらく失われるだろう。でも、きっと新たな魅力を持って毎年私を小倉に呼び寄せるような競輪場になるのではないか。
今年も、あと二週間で競輪祭だ。あの雰囲気を味わいに、今年もフェリーに乗って出かけようと思う。そして、きっと来年も、新たな発見のために彼の地に立つに違いない。
アクセス