| 第二幕「一芸に秀でる者は…・河竹登志夫コレクション」 一場・包丁趣味 |
| 河竹登志夫氏と言えば『比較演劇論』。「この発想の底には、実は私自身の中の、純理志向とイルミネーション的情念の世界との、せめぎ合いがあった…」/朝日新聞『自分と出会う』/と自身を分析する。また、『歌舞伎』/東京大学出版会/の最終章にも、「正と負、正と邪、善と悪、静と動、欝と燥、理性と情熱、健常と狂気、集中と発散…などが二極をなして同居している」と演劇論を展開。東宮御所へ御進講に参ずるのも河竹氏なら、若き日に酩酊して女性の名を呼び、‘I love you!’を連発したのも河竹氏なのだ。
内なる深遠が増すほどに、外界へと拡散していく。それが「河竹登志夫」なのである。 河竹登志夫氏は包丁を研ぐのが趣味である。包丁に興味をおぼえたのは、5歳の端午の節句に贈られた武者人形の小さな刀。それが昂じて、今ではマイ包丁約30本、砥石も各種とりそろえてある。研ぐだけでなく、人を手料理でもてなすことも、それにも増した無類のよろこびであるという。 「べつに心を研ぐなどと気障は言わないが、心平かでないときはよく研げず、怪我をすることもある。刃物研ぎは『禅定』の度合の目安になるのはたしかだ」/『酒は道づれ』南窓社/と言い、逗子の海を見下ろす高台に建つ自宅の、書斎にしつらえられた専用の流しで、真夜中に独り刃物を研ぐ。身を清め‘無’に向かう、刀匠を思わせる。 その包丁に縁結ばれ、気をゆるし合う人々(日本に世界に、実に多い)に酒宴を供する。 「この夏(昭和57年)、歌舞伎の訪米公演に同行して、七つの都市を公演して回った。各地とも立ち見席まで満員という空前の盛況だったが、その忙中に閑をもとめて、ニ十人ほどの刺身を二回つくった。気苦労ずくめの海外公演では、こんな一刻の和とやすらぎが大切なのだ。それを団長の永山松竹副社長の部屋へ運び、スタッフ裏方入り乱れて深夜の酒盛り」/同上/。 |
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大ひらめとハサミのある巨大なロブスターを魚河岸で調達。うろこ引きから盛りつけまで、ホテルの自室でさばいていく。 「こんないいストレス解消法はない」 (以下2枚とも、於‘85アメリカ公演) |
| 見事な盛り付け。 紙皿を二枚、ホチキスでつないだ上に、長々と寝そべる大海老の刺身。 |
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| これには続きがあって、「オーストラリア公演では、鯛の活造りとうしおに、中村歌右衛門丈が、『まあいいお味! 大学の先生なんか、おやめになったら?』。」と、おっしゃったそうな。料理の腕前もさることながら、そこに居合わせた人々の笑顔が浮かび、うちとけたおしゃべりが聞こえてきそうな、宴のいかになごやかなものかがうかがい知れる。 | |
つまるところ、この「包丁趣味」は、もっとも「河竹登志夫」らしさを【示現】しているのだ。正と負、静と動、理性と情熱、集中と発散、そして、人を生を愛してやまない…。 |
| 二場・カエル千匹と絵とダンス |
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河竹氏の趣味は包丁だけにとどまらない。まず有名なところでは、カエル収集。逗子の自宅には、世界20数ヶ国から集まった、ありとあらゆるカエルの置物やら人形やらが、ざっと千匹ほどならんでいる。 「なぜ蛙か?」と問われれば、決まってこう答える。「小学校のころ、親父の田舎の信州に遊びに行った。そうしたらカエルが小川にいて、それが実にかわいげで、当時まだかなづちだった私には、スイスイと泳ぎまわるようすが気持ち良さそうだったから」。病気がちの繊細な俊雄少年の心には、すべてから解き放たれた自由奔放な姿にうつったのかもしれない。 カエルとの付き合いは、もう半世紀をはるかに越える。どの国に行っても「カエルと見れば求めずにはいられない」とおっしゃる。ちなみに、現夫人は出会った瞬間、カエルに似て見えたので一目惚れだったとか。どんなことでもおもしろがる、笑顔のすてきな魅力あふれる方と聞く。 絵は個展を開いたほどの域。幼少のころ、病床で時間をやり過ごすには恰好のなぐさみだったと想像されるから、これもかなりのキャリアとみる。 「河竹登志夫、筆を選ばず」で、そこらにあるボールペンで、思うまま、サラサラとスケッチするそうだ。着色がほどこされたそれは、一行メモの日記とともに「河竹登志夫・生涯の記録」を彩っている。 |
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ダンス。これもまた並ではない。「こんな仕事(原稿書きと役職に追われる毎日)をしているので、なにをやっても極めるところまでいったことがない。女房はいまも熱心にやってるんですが…」とおっしゃるところをうかがうと、もっと極めたいのが本心か。 それもそのはず、ワルツの本場ウイーン仕込みの本格派。イマドキの‘見せるダンス’(競技ダンス)ではなく、たとえてみれば、優雅に踊り興じる王侯貴族のそれである。自宅にはダンスフロアもあるそうだから、入れ込みのほどはおのずと知れる。「美しき青きドナウ」でも流れようものなら、いつのまにか踊りだしてしまうとか。 少年期に寝床で繰り返し耳にした「美しき青きドナウ」の、美しく陽気ではなやかな旋律は、幼な心に描いたはるかな国へのあこがれをよみがえらせるという。旋律の明るさとその奥にある哀愁とに誘われて、ウイーン大学客員教授となって赴任した折には、旧王宮大広間で催される華麗なる舞踏会や、庭師組合や山岳会主催の大衆味豊かなこじんまりした会に出かけていき、タキシードが汗でずぶ濡れになるまで踊り明かしたそうだ。 料理の腕をかわれ、ダンスの足(?)を見込まれて、NHKに出演したこともあるそうだから、趣味の域を越えた、相当なものであることはたしかである。 「一芸に秀でる者はいくつもの芸に通ずる」のひと幕。 シャギリが鳴って、ここで幕間。 幕間のひとときに、河竹氏ご自慢のレシピをどうぞ! |
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