編集部:絵本の中の桟敷に、服部先生と一ノ関さんを発見しました。
服部そう? 僕もいるの(笑)? 知らなかった。よくみつけたねえ。
一ノ関しまった! 教えてなかったですねえ(笑)。これが先生で、その隣が編集の山田さんです。
編集部:この、黄八丈を着て、上を指差している人が一ノ関さんですか?
一ノ関:私はねえ、いないんですよ(笑)。
編集部:桟敷にいる観客を探していたら(一茶・三馬・北斎・広重ほか)、「私はどこにいるの?」と家族が言い出しまして、このかぶりつきにいるのが自分だとか、こっちがいいとか、たいへん盛り上がりました。
一ノ関:あはははは… (ト明るい笑い声。一同なごやかな雰囲気に包まれる)
服部:そう、おもしろいねえ(笑)。そんなふうに楽しんでくれたの? 原画はこの1.5倍くらいの大きさで、一ノ関さんが一人一人ていねいに描いてくださった労作だから、そういう楽しみ方もできるんですね。
一ノ関:あは…(ト照れ笑い)
絵本  夢の江戸歌舞伎
■文:服部 幸雄 絵: 一ノ関 圭
■岩波書店■本体 2,600円
■2001年4月24日初版

江戸時代、歌舞伎は人々の夢の世界だった。観客は、芸と技術にかける役者や裏方と一体になって舞台を盛り上げ、どよめく祭りのよろこびをともにした。

 こんな具合に始まったインタビュー「著者に聞く」。温厚でリベラルな服部幸雄氏と、ほがらかでいて冷静な観察者でもある一ノ関圭さん。お二人の、まさしく夢の大作、『絵本・夢の江戸歌舞伎』についてのあれこれをうかがってきました。

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   プロフィール
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 服部 幸雄(はっとり ゆきお)
  1932年愛知県に生まれる
  現在−千葉大学名誉教授
  著書−『歌舞伎ことば帖』『歌舞伎のキーワード』(岩波書店)
    『大いなる小屋 −江戸歌舞伎の祝祭空間』(平凡社)
    『江戸の芝居絵を読む』(講談社)
    『歌舞伎歳時記』(新潮社)
  近刊−『歌舞伎の表現をさぐる』(演劇出版社)
     歌舞伎研究の第一人者・服部幸雄氏の司会・構成による
     歌舞伎界随一の博識・故市村羽左衛門氏らとの座談形式
     服部氏ならではの深く踏み込んだ司会によって導き出され、
     知られざる歌舞伎の知恵や魅力が語られていく


 一ノ関 圭(いちのせき けい)
  1950年秋田県に生まれる
  現在−漫画家
  著書−『らんぷの下』(小学館文庫)
    『茶箱広重』(小学館文庫)
    『江戸のあかり』(岩波書店)
  近刊−『みぢか夜の夢』(ビッグコミック・スペシャル増刊号・今秋発刊予定)
     「伝説の絵師」と名高い一ノ関圭氏が、久々に放つ、
     文化・文政時代の江戸歌舞伎の世界を描いた待望のコミック


― T 夢のはじまり ―

ここに漫画家としてスタートなさったころ一ノ関さんが描かれた『ランブの下』があるのですが、これが処女作ですか?

一ノ関:ええ。まだ学生だったころに描いたものです。これはビッグコミック賞を受賞したので雑誌に載ることになって楽しみにしていたのですが、ちょっと長過ぎるとかで二分の一に縮小掲載されてしまって…、がっかりしちゃった(笑)。
服部:一ノ関さんの作品は純文学という感じで、かなり特異でユニークな作家です。寡作の人なんですよ。なかなか描かない(笑)。これからは歌舞伎の劇場や楽屋をバックにした、芝居の人たちの話を描いてくださるのを楽しみにしています。

服部先生と一ノ関さんとの出会いは?
一ノ関:10年ほど前、同じ岩波の絵本、『江戸のあかり』の中に芝居小屋の絵を描くことになって、服部先生に考証をお願いしたのが初対面です。そのときの編集者の山田さんが『夢の江戸歌舞伎』の編集もなさったので、3人が出会ってから10年以上になります。いいトリオです(笑)。

この本の構想は、いつごろからお持ちだったのですか?

服部:劇場の内部の構造が歌舞伎にとって非常に大事だということは、50年くらい前から思っていました。この間、大学3年生のころ―昭和27年―に書いた「小劇場」という原稿が出てきまして、俳優座の小劇場―俳優座劇場のことですが―ができたときのことで、非常にうらやましい、その演劇に見合った空間の劇場で芝居はやるものだ、江戸時代のような芝居小屋で歌舞伎が行なわれる日を夢見ていると書いていました。懐古趣味ではなく、前向きの創造ということをそう考えていました。夢はこのころからずっと続いていて、『大いなる小屋』という本になり、そして、この『夢の江戸歌舞伎』に繋がっているんです。

絵本になさった訳は?

服部:昭和61年に『大いなる小屋』/平凡社/という本を書きました。これにも錦絵や屏風絵をたくさん載せました。学者の書くものは絵などなく文字だけのほうが重々しいと考えられていた時代でしたが、僕の書く本は昔からものすごく絵が多い(笑)。
 江戸時代には劇場の楽屋や内部などを描いた絵がたくさんありますでしょ。それを見ていると、江戸人ていうのは「目」というのをものすごく大事にする人種なんだというのがわかる。江戸の都市の人たちは、喜びや楽しみを文字を読むより絵で見る。ビジュアルを非常に大事にする。歌舞伎も狂言作者が「絵のように作れ」と教えた。「絵を見る」というのは江戸の大衆文化の原点なんです。だから何かっていうと、花見や月見などの物見にいくし、見世物がはやる。みんな目で見て喜ぶ。それをまた浮世絵や屏風絵に描いています。
 江戸時代に描かれた芝居小屋の絵はたくさんあるんだけれど、しかしここが見せたいという時に、その意図に合う絵がない。それでだんだん不満になりまして、なんとかして自分の感じているものを絵にして表せないかということを感じ始めたんですね。でも僕は絵が描けないでしょ。そうしたらうまい具合にこういうすてきな人(一ノ関さん)とお目にかかれました(笑)。
 この本は、一ノ関圭さんという実力ある絵描きさんのものすごい意欲と情熱に出会えたことによってはじめて創り出すことができました。それと山田馨さんという編集者の我慢とねばり強さのお蔭です。後世に残るいい本をつくろうという熱意は、それはそれは大変なものでしたから。
 以前私は、江戸東京博物館の設立準備委員会に関わりまして、あの日本橋の横にある中村座のファサード原寸大復元模型と、その裏手にある二十分の一の小屋全体の模型と、「助六」の模型は僕が手掛けました。それと、『四谷怪談』の「蛇山庵室」の仕掛けを見せる模型もそうです。『大いなる小屋』があって、「江戸博」の模型をこしらえて、そしてこの『夢の江戸歌舞伎』です。これで江戸時代の芝居小屋三部作になるんです。

【編注:江戸博では服部氏を中心とした実物の芝居小屋建設の計画があったのですが、あと一歩のところで実現に至らなかったそうです】


― U 素描 ―

歌舞伎はよくご覧になっていらしたのですか?
一ノ関:観てなかったんですよ。知識としてはある程度知っていましたが、『江戸のあかり』で仁木彈正の「面あかり」を描こうということになって初めて観ました。そうしたら、黒衣が面あかりを持ったまま後ずさりするんですよ。へえ、変わった歩き方するんだなあと思ったのが最初の印象(笑)。

まず始めになさったことは?

一ノ関:いろんなところを見ましょうと先生がおっしゃって、楽屋や裏方さんの仕事場などを主に見せていただきました。芝居小屋の構造を見ることが一番大事だったので、各地の劇場を巡って、奈落から上がっていく所なども案内していただきました。
服部:歌舞伎の匂いのあるところをとにかく案内しようということで、昔の猿若町辺りや滋賀県長浜の曳山芝居とか、歌舞伎の持っている雰囲気を味わっていただくことから始まりました。江戸時代の漫画を描いていらしたから、江戸の風俗にはもともと関心がおありだったので、すんなり溶けこめたんじゃないかな。それからは、とにかく毎月の歌舞伎を見てもらいました。
一ノ関:歌舞伎の様式や決まりごとはものすごく多いでしょ。最初は何が何だかわからなくて、これは困ったもんだと思いましたが、とにかく時間をかけて見ることにして。役者より、今度はあれがかかるぞ、あの場面を観ておかなくちゃと国立劇場と歌舞伎座に通って、国立の視聴覚ライブラリーで雨が降っているような時代がかったビデオもずいぶん見ました。とにかくよく見たという感じです。
服部:一ノ関さんはすっかり歌舞伎にはまってしまって、コクーン歌舞伎、こんぴら歌舞伎、平成中村座もみんないらっしゃいました。あの熱心さには感心しました。そうして、8年間です。

芝居小屋の構造とその中の臨場感が見事ですが、インスピレーションはどこから湧いてきたのですか? 「厠」の様子まで描かれていて楽しいですね。
一ノ関:金丸座や各地の劇場を巡って実地見聞したことや、大道具、小道具、衣裳、鬘、床山など裏方さんが実際に作業なさっている現場を拝見し、無数にある文献を調べているうちにイメージが浮んできました。できるかぎり史実に忠実であることを基本に置いています。
 厠に関しては、先生もぜひ描き入れたいとおっしゃるので、あちこち文献をあたってみたのですがどこにもみつからないんです。今残されている江戸時代の建築構造から類推して、きっとこんなふうだったろうと…。ついでに言いますと、先生は風呂もぜひ入れようとおっしゃられ(笑)、これの資料はいくつかありましたので描き入れました。ただし、女形は風呂には入れなかったので、楽屋まで男衆にたらいを運ばせて湯浴みしていたようです。その様子も描きましたので探してみてくださいね(笑)。
 一人一人の表情や、こういった生活感をプラスすることで、江戸の人々の息づきが伝わってくれればいいなあと思っています。

下調べをしている中で特に注目された点は?

一ノ関:先生が「色」にこだわられて、赤はもっと赤くとか、この色はもうちょっとこういう感じの色にとおっしゃられる。昔の赤は今のように青味がかったものではなく橙にちかい色目なんですね。明治の浮世絵も既に参考にはならなくなっていて、私たちが現在見ている色は江戸時代の色とはずいぶん違っています。
 表紙の赤と緑の幕は補色なので目がちかちかしてしまってうまくいかない。何回も描き直して、やっと納得がいったときには、やった!と思いました(笑)。歌舞伎には、衣裳にしても大道具にしても補色がたくさん使われていて、華やかさが増しています。
 「鴇-とき-色」という微妙な色は特に気を遣いました。全体的に楽しく華やかにということを念頭に置いたのですが、それでいてけばけばしくならないように、目に映ったときにある種の落ちつきが感じられるものになるように心掛けました。

役者絵をたくさんご覧になったと思いますが、「役者の顔」は、目が大きく、鼻が高くてくっきり、といった印象ですか?

一ノ関:そうですね。「歩く看板」みたいな感じの顔立ちで。顔が歩いてるっていうか…(笑)。
服部:一ノ関さんは錦絵の研究会にも入っていらして、研究に余念がないんですよ。
一ノ関:五代目幸四郎ってほんとにこんな顔だったのかなという感じで、描いていると魔法使いのおばあさんみたいになってしまう(笑)。一目で悪者とわかりますよね。
服部:今の芝居の一番おもしろくないのは、敵役がいないこと。最近は左團次が演じることが多いのですが、愛嬌がありますでしょ。團蔵もやりますし、亡くなった延若もそうでしたが、今の人は理知が勝ってしまうのでどうしても善人になってしまって、ほんとに憎々しげにはならない。五代目幸四郎なんてのは、そりゃすごいもんですよ。生まれながらの敵役です(笑)。一生敵役しかやらなくて、それで女性に人気があったっていうんですからいいんですね。同時期に五代目幸四郎と五代目半四郎がいたことで芝居に厚みがあった。恐ろしい実悪の敵役と、誰が見ても美しいと思う美貌の女形ってのは、歌舞伎にとってものすごく大事なものです。鼻高とか目千両という言葉があるように、お客に一目でわかることもたいせつなんです。

「役者の体型」は、今より顔が大きく背が低くて胴長で猪首…とありましたが、新之助は現代の若者としては、目が大きく顔も大きめ胴も少し長めではないかと思うのですが、画家の目からご覧になって歌舞伎役者向きですか(笑)?
一ノ関:あははははは…(ト笑ってごまかす)
服部:たしかに、仁左衛門や玉三郎は背が高くて顔が小さいほうですねえ。でも、たとえば天明期の鳥居清長の絵を見ると、江戸時代にも顔が小さくて八頭身のような体型の人を美しいと見る美意識もあって、すらーっとした体型が憧れになってもいたんです。しかしね、最近はちょっと背が高くなり過ぎて、「定式」の大道具では頭がつかえて、寸法を変えなきゃならなくなってきているほどですね。



― V 奔放な演出 ―
絵本に描かれている役者の楽屋入りの恰好も、派手で、舞台衣裳のようですが?
一ノ関:そうです、外を歩くときもかなり派手だったようですよ(笑)。歌舞伎衣裳の本を調べていると、すごい模様の衣裳があるんです。蛇がいくつも刺繍してあって、しかもそれがちょん切られてる蛇。かと思うと、正面から見た蛇の顔があったり、なんちゅう図柄を考えるんだろう、ふつうは描かないだろうと思うようなものがたくさんあるんです。だってちょんぎられた蛇ですよ(笑)。ふつうじゃないですよねえ。昔の役者ってのは、びっくりさせようとか、ウケ狙っちゃえとか、いかにどっとくるかとか、そういうことを考えていたんだろうと思うんです。
服部:この絵本の書評を書かれた方が、絵本の登場人物、道行く人も観客もみんな歌舞伎だからおもしろいと言ってましたが、本当にそのとおりだと思います。江戸時代には観客と役者は同じ髪の形で、同じ恰好をして暮らしてたわけでしょ。世話物になると舞台の衣裳も庶民大衆の普段着と同じ木綿物を着ていた。舞台から花道を進んで、花道を曲がってどんどん木戸の外に出ていっちゃって、小屋の外にいた役者を連れてきて、また花道から舞台に戻ってくるなんていう演出もあったんですよ。おもしろいでしょう。どこまでがお芝居で、どこからが日常なのか、区別があいまいになってしまう。そのおもしろさが小屋の機構にも影響していました。
 芝居小屋の天井にはちょうちんが吊ってあるでしょ。役者がそのちょうちんを引っ張って下ろして、その中に盗んできた重宝の巻物一巻を隠す。それを知った忠臣が巻物の代わりにお客さんの弁当箱を借りて、それを元のように吊っておく。帰ってきた悪者が下ろして取り出してみると、重宝が弁当箱にすり変わっていたという演出もあった。忠義な侍が土間のお客さんにたいせつな子役の若君を預かってもらうなんてことも芝居の中のできごとでした。

宙乗りの立廻りの絵はすごいですね。文献でしか知らなかったことが絵に表れたとき、どう思われましたか?
服部:あれには苦労しました。最初は綱を横に張るのではないかと考えていたんですが、それでは人の重さでたるんでしまうからダメなのではないか、いったいどういう仕掛けだったのだろうと試行錯誤しました。ですからこの絵が仕上がったときには、素直になるほどなあと。一人の宙乗りはあるけれど、二人ってのは見たことないでしょ。この宙乗りと橋は、勘九郎がいつか絶対やってくれそうですね(笑)。
一ノ関:これね、先生が、観客の頭の上で「斬り結ぶんだ」とおっしゃるんですよ。宙吊りにされた二人が離れていてはだめで、ちゃんちゃんばらばらと斬り結びながら、なおかつ、観客の頭の上をチャーッチャーッと移動するんだというんですよ(笑)。どんなものか想像がつかなくて、いろいろ調べましたらこういう図がみつかったんです。ゲタに滑車がついていて、一人でも簡単に動かせるようになっていると解説があったので、なるほどこれならいけただろうと納得がいきました。あれには観客も驚いたでしょうね。

 【編注:みつかった図は簡単なメモ書で、絵本に描かれているように細部まで再現するのにはたいへんなご苦労があったそうです。そう思って拝見すると、一枚一枚が資料的価値のあるとても貴重な作品であることが改めて実感できます】



― W わくわくさせるもの −
天井を行き来するなんて、「ピーターパン」のようですね。

服部:今は舞台と客席は幕の線で区切られているけれど、江戸時代の芝居小屋でははっきりした区別がなくて、芝居の時空をお客も共有しているという感じが強かった。「ピーターパン」を初めて見たとき客席の真上まで飛んできたのにびっくりしましたが、洋の東西を問わず、舞台と客席が同じ空間を共有しているという一体感は演劇の基本です。猿之助が江戸時代の復権と言ってやっていますが、こういった軽業みたいな面も元禄時代からあって―むろんケレンばかりではダメですけど―、楽しみを倍化していたんですね。「忠臣蔵・三段目」でお香―これは判官の役者が自分で用意するんですよ―が客席まで流れて、劇場いっぱいに広がっていくのも同じような感覚で、あの香りで舞台と客席が一体化するんです。
 僕はいつも言っているのですが、「木火土金水-もっかどごんすい-=五行説」というのがあって、地球上のあらゆる事象の原点みたいな要素なんですけど、その中の火と木と水は演劇にとっても基本要素だと思っているんですよ。それが今、なさ過ぎる。それらを持ってくると人間の心って興奮するんですよ。篝火歌舞伎や薪能のように火を焚くとわくわくするでしょ。神事やそれに伴なう民俗芸能の場合もそうです。それから木の小屋。すべてが木でできていて、やさしい雰囲気。そこに「夏祭浪花鑑」や鯉つかみ、「怪談乳房榎」の十二社の滝の場の立廻りのように本水がザーッとくると、人はなんとなくわくわくしてうれしくなるんです。だからやっぱり火と木と水を使いたいんです。今は消防法があってなかなか火の演出ができない。木のぬくもりのある小屋もない。これが一番つらいですよね。ロイヤル・シェイクスピア劇団が初来日したとき、芝居の間中ずっと舞台の両側で火を焚いていた。あれはどうして許可されたのか不思議ですが、良かったですねえ。亡くなった藤浪與兵衛さんと一緒に見ていて、小道具や火の使い方に二人で感激していました。
 岐阜県瑞浪市の相生座で、たった一晩猿之助がやったことがあるのですが、ろうそくの灯りだけの「ろうそく芝居」なども、東京でやれるとおもしろいなあ、やってみたいなあと思うんですけどねえ。いつか平成中村座でできないかなあ。

近代化によって失われてしまったものはたくさんあると思いますが、その中で復活を望まれるものは?

服部:ドラマや演劇は、なにもいつも観客と一体の空間でなくても成り立ちます。近代演劇のように、花道もなく、重い緞帳がおりてくれば舞台と客席がまったく別世界になってしまう劇場空間でも、お客はお金を払って見に来るし、楽しんでるわけなんですよね。それはそれでいいと思うんです。演劇にはそれぞれの構造や様式に見合う空間があるからです。歌舞伎にはユニークな構造があったはずだから、それを十分に生かしたいという願いがあるんです。そうすれば、今よりももっと楽しめるんじゃないか、もっと楽しい雰囲気ができるんじゃないかという思いが、夢みたいなものなんだけれど、僕にはあるんです。

観客も、「ハレ」という意識が薄れてきているように思いますが?
服部:例えば芝居見物用のきものを特別に仕立てて出掛けていくようなことは、戦後まで続いていたわけですけれど、今は気軽に出掛けるようになった。現代人が面倒だと思うところにも、昔はゆとりを楽しんでいたのでしょうね。本の中で今泉みねさんの文を引用したように、芸とか芸術とかを何倍も楽しもうという、生活の中のゆとりをもっていたんですね。今はそういうゆとりがなくなったということでしょう。でも、学生諸君に聞くと、歌舞伎を見に行く時は、ちょっといつもとは違う晴れやかな気分になるといいます。嬉しいですね。それが歌舞伎を支えているムードでしょう。

服部:この絵(P.14・15)、おもしろいでしょ。これはご自慢の絵でね、見たことないでしょ。江戸時代に描かれたものとは構図が逆ですからね。幕の裏側から見ているわけだから。このころは引幕が上手から開いていくでしょ、これも今とは逆なんですよ。中村座の幕なので紺・柿・白でね。下座も上手にあったんです。ちょっと開いた幕の上に見物席の天井が見えていて、いい風景だなあと思って。引幕というものは、向こうとこっちを区別するためにあるものじゃないことがよくわかります。旅芝居や田舎の地芝居で、幕間に子どもが幕の裾をまくりあげて舞台を見ていることがあるでしょ。あれと同じです。歌舞伎の引幕は、「場所が変わるよ」「時間が経ったんだよ」ということを知らせるための記号で、幕内を隠す気はぜんぜんないんです。そこが根本的に緞帳と違うところです。
 こっちの絵(P.16)は、明り窓から猫が覗いてるでしょ(笑)。楽しい絵ですよね。
一ノ関:昔の役者絵にも、猫が寝ているとか、浴衣や洗濯物が干してあるのとかあるんですよ。こういうのっていいなあと思って描いてみました。
編集部:しっぽが染料に染まってしまっている猫がいるんですね(笑)。
一ノ関:小道具のところにいます。よくみつけましたねえ(笑)。
編集部:ところで、ここ(P.20・21)には千松がみつからないのですが。
服部:みんなに聞かれるなあ(笑)。
一ノ関:彼は前のページの大道具の陰にいて、この絵は同じ場面をアングルを変えて見た奈落の様子なんです。ですから前の絵とこの絵は立体になっていると思って見てください(笑)。
服部:どの絵にも描き込んであると書いちゃったのはまずかったね。ごめんなさい。
編集部:橋を見上げている千松の顔(P.16・17)、いいですね。大仕掛けに喜んでいる無邪気な表情で、私たちもあの場に居合わせたら、きっとあんなふうに無心で楽しそうな顔をするのだろうと思いました。お忙しい中、今日はほんとうにありがとうございました。

 芝居に出掛けるまでのいそいそとした気分。視覚に飛び込んでくる色彩と形状。洗練された構造と自由奔放な演出。五感から染み入る木のぬくもりと火と水の興奮。舞台と客席の一体感。それによって芝居小屋は、単なる建物から夢の空間へと広がります。夢のようなわくわくする思いが歌舞伎の原点で、人はいつでもそれを求めつづけています。多様化する娯楽の前に特殊化されてしまった歌舞伎を、もっとたくさんの人たちと楽しむために必要なファクターは、実は江戸の芝居小屋の再興かもしれません。『夢の江戸歌舞伎』の、あのわくわくする思いが多くの人の心に宿って、大都会のど真ん中に、「芝居小屋」が建つ日を夢に見ることと致しましょう。

■「服部幸雄氏 歌舞伎の未来を語る」につづく

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